ライバル・満身創痍・1
The Rivals : Wounded all over
SMS Seydlitz and HMS Lion


 このページは、第一次世界大戦直前に完成し、ともに快速巡洋戦艦艦隊の旗艦として大戦を戦い、1915年1月24日のドッガー・バンク海戦、1916年5月31日のジュットランド海戦で矛を交えた『ザイドリッツ』と『ライオン』の、2隻の巡洋戦艦を詳細に比較したものである。
 『ザイドリッツ』は1913年5月22日の完成で、『ライオン』は1912年5月の完成であるから、年齢的には約1歳違うわけだが、まあいいだろう。・・・いいことにしよう。ここでの繋がりは直接に刃を交えたことのある、強力な快速艦隊の旗艦同士ということなのだから。
 表題にもあるとおり、この2隻はともに重傷を負って死線をくぐったという意味でも「同志」である。どちらにもあわやという瞬間があり、どちらも這うようにして母港へ帰り着いた経験を持つ。




SMS Seydlitz

ドイツの巡洋戦艦『ザイドリッツ』



 『ザイドリッツ』は18世紀プロイセンの男爵騎兵将軍から戴いた名で、Friedrich Wilhelm Freiherr von Seydlitz (1721-1773) が全部の名前らしいが、艦の名は『ザイドリッツ』だけだ。古い日本語文献では、「セイドリツ」、「サイドリッヅ」などと表されていることもある。「セドリック」という、完全に勘違いした表記を見たこともある。
 『モルトケ』級の拡大強化型だが、主たる武装はまったく同じで、いくらか幅を狭くし、速力性能を強化している。防御も若干だが厚くされた。最も大きな相違点は、乾舷が低いと指摘された艦首を一層かさ上げし、短い最上甲板を付け加えたことである。このため、三段のブロークン・デッカーという珍しい形態になった。

 『ライオン』は、『インデファティガブル』の改良型というにはかなり隔絶した実力差があり、同じ傾向の存在であるのは間違いないのだが、その目指したところには判然としない部分もある。単純に見れば最大の仮想敵国ドイツで、『インヴィンシブル』に対応した『フォン・デア・タン』以降が建造されたので、これを圧倒できる艦を造ろうとしたと見えるのだが、それだけを目的とするには少々高価に過ぎるだろう。
 12インチ50口径砲の失敗が一方にあるので、13.5インチ=343ミリ砲を装備しようとするのは理解できるのだが、それを8門も積んで防御を強化、さらに27ノットもの速力を与えたため、べらぼうに大きくなり、戦艦よりも大きく高価な艦になってしまったのだ。そりゃあ強力であることに間違いはないのだが、脆弱であるという欠点を克服できておらず、そんな高いものがろくな防御なしで国防を担うという考え方には、国内でもかなりな違和感を持たれていた。

 名前としての『ライオン』は、まあライオンで獅子のことだが、イギリスでは国体の象徴でもある。各種の紋章などに使われている動物であり、そうした象徴的な意味も持たされていたようだ。「スプレンディド・キャット=ステキなネコちゃん」というあだ名をつけられているけれども、後続艦に『タイガー』があり、これとは別につけられたあだ名だったのか、ネコ科が2隻になって「キャッツ」になったのか、よくわからないところでもある。少なくとも2隻の姉妹艦『プリンセス・ロイアル』と『クィーン・メリー』はネコ科の名ではない。それゆえか、架空戦記などでは同型艦として『レパード』やらが登場することもある。
 発音も英語では動物のライオンと同じなのだろうが、日本語では平板に動物と同じ発音をする人と、頭の「ラ」にアクセントを置いて英語式に発音する人とがいるようだ。

『ザイドリッツ』:1911年2月4日ブロム・ウント・フォス社で起工、1912年3月30日進水、1913年5月22日就役
『ライオン』:1909年11月29日デヴォンポート海軍工廠で起工、1910年8月6日進水、1912年5月完成
 この当時、ドイツで大型船舶用タービンを製作できたのはブロム・ウント・フォス社だけなので、初期の巡洋戦艦はすべて同社で建造されている。1910年頃には各造船所に技術が備わりだしたので、カイザー級戦艦からタービン主機が一般化した。




HMS Lion

イギリスの巡洋戦艦『ライオン』

完成直後の姿で、司令塔の真上に艦橋があり、前檣は第一煙突の後方に、逆向きに立っている。第一煙突は後方視界を確保する目的で幅を狭く造られており、横から見ると大きく見える。乾舷が高いのは、おそらく石炭を定量積み込んでいないため。後檣の左側に見える背の高い黒く見える箱は、缶水の消費量を計測するために仮設された養缶水タンクと思われる。



 ではまず、スペックの比較から。ここでも基本的にコンウェイの ”All The World Fighting Ships 1906-1921" に掲載されている数字を基準としていく。
 以下、二つ並んだ数字は、<<◆>>を挟んで左側が『ライオン』、右側が『ザイドリッツ』である。ヤード・ポンド法で造られている『ライオン』には、元の表記とメートル法に換算した数字を並べるのも同様としよう。

 標準排水量…『インデファティガブル』と『フォン・デア・タン』のところで解説したように、この時代の常備排水量は後のそれと概念が異なり、平時の普段の状態という意味なので、こうした用語を用いる。
 英文資料では、"load displacement"、"load condition"、"normal"、"standard" などの語があてられており、用語として確立した概念ではないようだ。なにも修飾語をつけず、ただ排水量として、満載にだけ "full load" と添えられたりもしている。ワシントン軍縮条約で定義された「基準排水量 standard displacement 」が一人歩きする一方で、それが実際の艦の運用とは無縁の無意味な数字であり、さらには慣用されていた「普段の」という意味の用語と重なったために、先人が用語の選定に苦労している様子がよくわかる。

●標準排水量:26270トン<<◆>>24594トン ・24988トンという数字はこれのメートルトン換算
●満載排水量:29680トン<<◆>>28100トン ・28550トンという数字はこれのメートルトン換算

 『ライオン』のほうがひと回り大きく、そのまま実力差になっているとも言えるが、大きい分は機関に回され、計画27ノット、実力28ノットを発揮しようという機関部にその大半が集中している。後は厚くなった以上に覆う面積の広がってしまった装甲鈑の重量だ。13.5インチ連装砲塔の重量は、12インチ50口径砲用の砲塔と大差なく、1基あたり60トンほどの増加は、ほとんど厚くなった装甲鈑の目方だけだ。乾舷が高くて航洋性は大きく、かなりの海況でも速力は発揮できるだろうが、燃料の消費もとんでもない量になった。

 『ザイドリッツ』の排水量の数字には、資料ごとにやはりいくつかのバラツキがあるのだが、接近した二つの数字が1.016倍の比率を持つ場合、たいてい大きいほうがメートルトン (1トン=1000キログラム) で、小さいほうがロングトン=英トン (1トン=2240ポンド=約1016キログラム) である。基本的にドイツはメートル法だったのだが、排水量は慣習的に世界中でロングトンが使われており、軍縮条約もロングトン定義なので、換算されていることが多い。
 問題はこの換算の、どちらが元の数字なのかを掴みにくいことと、換算した数字の端数の丸め方、丸めた数字から換算が繰り返された可能性などにある。艦が運用されている限り日々変化する数字だし、もともと実際に量って求められた数字ではないのだから、端数にこだわっても意味はなく、下二桁くらいは無視してしまったほうがいい。ここでは、あえて資料にある数字をそのまま、丸めずに記載している。




SMS Seydlitz

ドイツの巡洋戦艦『ザイドリッツ』

左舷ほぼ真横からの姿



<船体寸法>
●全長:700フィート=213.4メートル<<◆>>200.6メートル
●水線長:675フィート?=205.7メートル?<<◆>>200メートル
●垂線間長:660フィート=201.2メートル<<◆>>データなし

 『ザイドリッツ』は、同時期のドイツ戦艦とほぼ同大だけれども、やはり長さはかなり長い。こうした寸法の拡大にはインフラの問題が大きく立ちはだかってくるのだが、「大艦巨砲主義」という、大きくなってしまう必然に沿った競争を選択してしまったのだから、ひとつでも二つでも入れるドックがあるのならば、とにかく造ってしまうしかない。
 それでも、入れるドックがまったくなければ建造は実質不可能であり、軍艦がどこまで大きくなるのかは、土木屋の仕事と密接に関わるようになってきた。前世紀末には、こうした事態を望ましくないとして軍艦の大きさを制限していたのだけれども、土木技術の進歩がドックの開削を容易にした事情もある。

 『ライオン』は過去のすべての英国海軍軍艦より長く、排水量でも乗員数でも同時期の超ド級戦艦を上回るのだから、名実ともに最大の軍艦となった。巡洋艦が戦艦を越えた、輝かしい瞬間というのは大げさだろうか。実際に20世紀初頭のロシアでは、装甲巡洋艦のほうが戦艦より大きかったのだから、これが最初というものでもないのだが。
 水線長の数字には疑問があり、艦型図を見る限りでは、全長とそれほど違わない数字になるはずだ。

●幅:88フィート6インチ=27.0メートル<<◆>>28.5メートル
●標準吃水:27フィート8インチ=8.43メートル<<◆>>8.2メートル
●満載吃水:31フィート8インチ=9.65メートル<<◆>>9.2メートル
 とはいえ運河のように大きなものになれば、幅を広げるにしても深さを増すにしても容易なことではなく、キール運河 (カイゼル・ヴィルヘルム運河) を抱えるドイツでは、特に吃水の面で制約が大きくなってくる。弩級艦時代到来のときに、運河を十分に広げていた先見の明は称えられるべきだろう。それでもヴィルヘルムスハーフェン隣接の艦隊泊地ヤーデ湾ともども周辺には浅海が多く、引き潮のときに行動制限を受けることは珍しくなかった。

 グーグル・アースでヴィルヘルムスハーフェンを見ると、ヤーデ湾の西岸に二つ並んだ閘門があり、水路を西へたどるとほぼ正方形をした池が見えてくる。ここが当時の造修施設で、船台といくつかのドックがあったのだが、現在は池の形も含めてかなり周辺が変わってしまっている。取り巻くように線路 (の跡?) が見えるけれども、その内側はほぼそっくり海軍工廠だった。(北緯53度31分12秒、東経8度7分54秒)
 正方形の池の一辺は500メートルほどの長さしかなく、巡洋戦艦の進水を空中から捉えた写真では、反対側へぶつかる前に止めるのにかなり苦労しそうだ。現在でもNATOの海軍基地として機能しているらしいが、昔のドックや船台は潰されてしまったようだ。

 『ライオン』は速力発揮を重視して幅を狭く抑え、船体の拡大があまり国内に制限の大きくない吃水を深くする方向へ向いている。『ザイドリッツ』はこれでも前級『モルトケ』より幅を狭くし、速力発揮を容易にしているのだが、なお大きな『ライオン』より幅広く、逆に吃水は小さめである。




HMS Lion

イギリスの巡洋戦艦『ライオン』

艦橋周辺の再配置が行われ、バランスの取れた外観になっている。第一煙突は後方へ移され、円形断面に造り直された。また後部2煙突は高さを増されている。後部の主檣が太くなっているのに注意。これはデリックで扱う艦載艇の重量の問題で、既成の前後檣を入れ替えたらしい。三脚檣の側脚は撤去されている。



<主機関と速力性能>
●ボイラー:ヤーロー水管缶42基<<◆>>海軍省式水管缶27基
●主機関:パーソンズタービン二組4軸<<◆>>海軍省式タービン二組4軸
●計画出力・速力:70000軸馬力・27ノット<<◆>>63000軸馬力・26.5ノット
●公試最大出力・速力:76121軸馬力・27.62ノット<<◆>>89740軸馬力・28.1ノット
●石炭:3700トン<<◆>>3540トン
●重油系燃料:1135トン<<◆>>?トン
●舵:並列2枚<<◆>>縦列2枚

 『ザイドリッツ』のボイラー区画は五つあり、縦隔壁で三列に仕切られていたから、合計15室になる。一番前の3室にはそれぞれ1基ずつボイラーが置かれ、他の12室には2基ずつが配置された。前寄り9室、15基分が前煙突に排煙され、右舷側B砲塔の弾薬庫を挟んだ後ろ寄り6室12基分が後煙突へ煙路を導かれている。
 蒸気性状は前級と変わらないが、ボイラーの効率がイギリスより良いものを使っている分、整備には神経を使わされる。ドイツでは石油系燃料の入手が困難なため、重油混焼缶の導入が遅れ、まだ燃料は石炭だけである。後に200トンのタール・オイルを積むようになったという記述はあるが、これは『フォン・デア・タン』と同水準であり、短時間のブーストにしか使えないだろう。

 『ライオン』は、42基のボイラーを六つずつ七つの区画に収めている。一番前が中心線縦隔壁を持たない区画で、ここに横3基ずつ2列に6基が置かれていた。後方の6室は中心線に縦隔壁を持って左右に並び、それぞれが横2基、3列にボイラーを並べている。一番前の区画と、二番目の前寄り2缶ずつ4缶、合計10缶分が第一煙突に排煙され、第二煙突には20缶分の煙路が導かれていた。後ろの二部屋は中央部Q砲塔の弾薬庫を挟んだ後方にあり、ここの12缶が第三煙突に排煙している。こちらも蒸気性状は前級とほとんど変わっていない。

 『ライオン』の燃料消費量は尋常ではなく、14ノットの巡航速力でも一日あたり330トン以上を食ってしまうようになった。石炭だけを焚いた場合に、16.75ノットでは一日の消費量が400トンを越えるというデータもあり、全速では1410トンを一日で使ってしまう。
 これはつまり、42基のボイラーを全部使うとすれば、14ノットでも各ボイラー前に毎時300キログラムの石炭を運び、投炭しなければならないことを意味する。毎分5キログラムである。さらに全速力になったら、毎時1.4トン、毎分23キログラム以上をそれぞれのボイラー前へ運び、火床へ投げ込まなければならないのだ。人力でこんな運搬が続けられるはずもなく、燃料を液体にしなければどうにもならないのは歴然としている。

 1912年2月の完成時の『ライオン』では、艦橋の直後に第一煙突があり、通常と逆向きになった三脚檣がさらに後方から脚の間に第一煙突を抱くように配置されていた。これは同時期に建造されていた『オライオン』級戦艦とよく似た配置で、第二煙突との間に積まれる艦載艇を、三脚檣の主脚をデリック・ポストにした大型のデリックで揚降するアイデアだったのだ。
 ところが、定格でも1万6千馬力以上をまかなうボイラーの排煙は猛烈な量で、なるほど前進すれば煙は檣上の指揮所より下を通過するのだが、風向きによっては何も見えなくなってしまうし、戦闘前の増速準備期には排煙が盛大に増えるので、速度が上がる前に炙られてしまう。
 なによりも煙の真っ只中に取り残される三脚の中には、昇降用のハシゴが通されているのだ。熱い煙が直接入ってくることはないにしても、数百度の熱気の中に置かれた鋼鉄製の円筒は、まったきオーブンそのものになってしまうのである。その中を上り下りするのは、非常に危険というより、不可能と判断されることになった。そのヤードに掲揚されるはずの信号旗は、煙で見えないどころではなく、ハリヤードごと丸焼けになるとまで指摘されている。

 このため、『ライオン』は艦隊へ配属される前に造船所へ戻され、5月までかけて煙突の形を変えて位置を後方へずらし、艦橋との間に隙間を作ってここに棒檣を立てる工事を受けた。このとき、司令塔の真上にあった航海艦橋も後ろへずらされ、イメージはかなり変わっているのだが、改装前の写真は少ないので、めったに見ることはないだろう。
 棒檣は強度の不足を指摘され、後に側脚を追加して三脚檣になったのだが、足を踏ん張る場所がなかったのか側脚は短く、煙突の頂部くらいで主脚に接続しているから、側脚が見えにくい角度からだと棒檣に見える。艦載艇の揚降には専用の小型デリックが配置され、全煙突の高さも増された。

 『ザイドリッツ』の主機室は『フォン・デア・タン』よりシンプルになり、前寄りに外軸に繋がれた高圧タービン室があって、間に補機室を挟んだ三列構成とされ、後ろ寄りは中心線縦隔壁を挟んだ左右の低圧タービン室になっていた。艦尾が延長された形で細長くなっているため、『モルトケ』級から舵は並列に置けなくなり、主副に分けて前後に配置されたが、あまり効きはよくなかったようだ。
 『ライオン』の主機室は『インデファティガブル』のそれと同じ配置で、中心線縦隔壁を挟んで高圧低圧のタービンが同じ部屋にあり、それぞれが別な推進軸に繋がれている。

 『ザイドリッツ』は第一次大戦のドイツ巡洋戦艦中では最高速を誇っており、後続の『デアフリンガー』級よりも速かった。もっとも実力はどっこいどっこいで、『デアフリンガー』以降は戦況の影響により、条件の良い場所での公試が行えなかったからでもある。
 高速力での燃料消費は『ライオン』と同傾向で、小さい分だけ消費は少ないのだが、数で三分の二のボイラー前へ運ばなければならない石炭の量は、一缶あたりでは同じくらいである。こちらには液体燃料の助けがないのだから、機関部員の労苦はなまなかなものではない。
 いずれ、排水量の増加割合に比べて、燃料の搭載量はさほどに伸びていない。このため、次の航続力の数字は、当然に小さくなってくる。

●航続距離:
10ノットで5610浬<<◆>>10ノットで6225浬
20.5ノットで3345浬<<◆>>14ノットで4200浬
24.6ノットで2420浬<<◆>>24.5ノットで2080浬

 『ライオン』が重油燃料を併用しているかは資料に記載がなくてはっきりしないものの、高速力では使わないと速力が維持できないと思われる。すでに前級でも、全速力での行動可能時間は100時間を切っていたのだが、『ライオン』ではせいぜい60時間で燃料庫がカラッポになる。『ザイドリッツ』はさらに短いだろう。このあたりから全速力はタテマエだけの数字になり、短時間のダッシュとしてしか使えない速力になってきた。

 二次大戦の軍艦運用を見慣れた目からでは、30ノットを超える全速力とはそうしたもので、使い続ける能力ではないというのが常識になるのだが、一次大戦までは、過負荷はともかく定格全力は発揮し続けられる能力であり、互いに全力、1ノット2ノット差での追いかけっこは、けっこうあちこちに見られる。超ド級戦艦でも視程より射程がだいぶ短いから、敵を視界内に置きながら全速力で追跡するのがあたりまえなのだ。上から降ってくる爆弾もなければ、そんな速力の軍艦を襲撃できる潜水艦もいないから、専念して追いかけっこができたわけだ。

 防御の一翼をになう石炭の使用に抵抗があると、航続力をカタログだけの数字にしてしまうけれども、これは液体燃料の導入によって払拭される意識でもある。液体燃料は砲弾からの防御にはあまり役立たないから、防御は鉄板の厚みそのものとなり、ごまかしの効かない数字になっていった。空になった燃料タンクには必要であれば海水を満たせるので、吃水やトリムの変化を吸収でき、燃料消費によって艦の状態が大きく変わらなくなる。これは軍艦の防御設計に、別な角度からの影響を与えることになった。




SMS Seydlitz

ドイツの巡洋戦艦『ザイドリッツ』

右舷真横やや後方からの姿



<兵装>
●主砲:13.5インチ=34.3センチ45口径砲8門<<◆>>28センチ50口径砲10門
●砲塔:13.5インチMk II<<◆>>DrhLC/1910
●砲身:13.5インチ Mk V (343ミリ、45口径)<<◆>>28cm SKL50 (283ミリ、47.42口径)
●最大仰角、射程:20度、23400ヤード=21400メートル<<◆>>13.5度、17830メートル・後に16度、19500メートル
●初速:2550フィート/秒=777メートル/秒<<◆>>880メートル/秒
●徹甲弾重量:1250ポンド=567キログラム<<◆>>302キログラム
●装薬量:293ポンド=133キログラム<<◆>>105キログラム

 『ザイドリッツ』の主砲塔配置は、『フォン・デア・タン』のそれに近く、艦尾に1砲塔を背負い式に追加しているだけだ。砲塔の呼称は艦首から、A、B (右舷側)、E (左舷側)、C、Dとなる。口径は28センチのままだが砲身は長くなり、公称50口径となった。砲身は全長が14.15メートルで50口径だが、イギリス規格と同様の尾栓前面から砲口までの長さは13.42メートルで、47.42口径である。
 『ライオン』の主砲塔はすべて中心線上にあり、艦首砲塔は背負い式に配置されている。中部Q砲塔は缶室の中間に置かれ、艦尾に一段低くX砲塔が配置されていた。艦首2砲塔の射界は広いものの、第二、B砲塔の砲口が、第一、A砲塔の照準口直上に位置するため、B砲塔からのA砲塔の上を越える正面方向への発砲は制限されている。Q砲塔の射界は左右とも120度ほどで、X砲塔は300度に若干足らない程度の射界を持っている。
 ともに艦首乾舷が大きく、どちらのA砲塔も俯仰軸は海面から10メートルほどの高さにあった。

 『ザイドリッツ』の主砲は45口径砲と装薬量が同じで、初速だけが異なるという奇妙なものである。普通なら装薬量も変わるだろう。
 搭載される砲弾の数は、『ザイドリッツ』では1門あたり87発とされるが、イギリスの資料によれば中心線砲塔が各96発、舷側砲塔が各81発で、合計900発だとされる。『フォン・デア・タン』のような砲弾移送のできる通路があったのかははっきりしない。『ライオン』では1門あたり平時80発、戦時110発で、前級と変わりがない。とはいえ砲弾は大きくなっているし、装薬も増えているから、弾薬庫の容積は大きくなっている。

 『ライオン』の13.5インチ砲は、初速を低く抑えているために砲弾重量の割には最大射程が短く、12インチ45口径砲と比べても10パーセントほどしか長くなっていない。砲塔構造を12インチ50口径のMk-XIから流用したため、砲弾を十分に大きくできず、戦艦も含めて初期の13.5インチ砲では重量1250ポンドの砲弾が用いられている。
 一部の資料では、砲塔内部にスペースを要求し、砲架にも余分な強度が必要になる自由仰角装填は放棄され、最大仰角を20度に引き上げる代わりに固定仰角装填とされたとあるのだが、他の資料にはこれといって記載がない。しかし、俯仰軸から尾栓までの長さに、砲弾を積んだ装填箱の長さを加え、さらには装填用のチェーン・ラマーの末端を支持する腕までをバーベット内部に収めなければならない自由装填では、長くなった砲身、大きくなった砲弾を12インチ砲用のものと同じ寸法内に収容するのは困難と思われ、装填装置を非俯仰部に置く固定仰角装填にしなければ成立しないのではなかろうか。

 その資料によれば、固定仰角装填によって射撃速度が若干遅くなったけれども、運用上の安定度が増したため、大きな差にはならなかったとされている。  その後の艦では改良され、同型の『クィーン・メリー』からは1400ポンドのより重い砲弾が使用されるようになった。これは『金剛』の14インチ=36センチ砲が初期に用いていた砲弾とほぼ同じ重量を持つが、『ライオン』がこのタイプの砲弾を使うようには改造されなかった。

 この新砲塔で自由仰角装填が復活したのか、資料に記述は見られないのだが、形式上改良点は多くないようであり、バーベットの大きさにも変化はないので、そのままだったのだろう。その一方で戦艦も含めた1250ポンド砲弾の砲塔を積んだ艦のどれにも、1400ポンドの砲弾を運用するように改造されたという話はないので、簡単に改修できない構造差があったと思われる。
 14インチ砲を装備した『金剛』の砲塔では、旧来の方法で自由仰角装填が実現しているから、単純に寸法だけの問題で、技術的には障害がなかったのではなかろうか。

 それにしても13.5インチ砲弾はさすがに大きく、28センチ砲弾のほぼ倍の重量がある。遠距離射撃では、存速の差はあまり大きくなくなるので質量がモロに効いてくるから、当たると衝撃は激烈である。中距離以下では、初速が大きく弾道の低いことが命中率の向上に繋がるし、存速が装甲鈑を突破するためのエネルギーとなるから、高初速の砲弾が有利になる。それでも質量が消えるわけではないので、当たれば痛い。
 より大口径の砲を用いれば、砲が大きくなった分だけ積める数が減り、砲弾の数も減ってしまう不利はあるけれども、どんな命中の仕方をするにせよ、質量の効果だけは消えてなくならないので、砲弾は大きいほうが有利なのは間違いない。そして積める数を減らしたくないという意識が働くために、戦艦は際限なく大きくなっていこうとするのだ。

●副砲:なし<<◆>>15センチ45口径砲12門
●水雷艇防御砲:4インチ=102ミリ50口径砲16門<<◆>>88ミリ45口径砲12門
●高角砲:3インチ=76ミリ20口径砲1門<<◆>>88ミリ45口径砲2門
●魚雷:21インチ=533ミリ水中発射管2門、14本<<◆>>500ミリ水中発射管4門、11本
 これも前級からの思想の違いをそのまま持ち越している部分だ。

 『ザイドリッツ』は15センチ砲を2門増やしているが、これは『モルトケ』級からで、そこから特に強化はされていない。装備方法も概略同じである。
 88ミリ砲は船首楼下船体内に左右各2門、艦橋構造物内に各1門、中央楼後端の主甲板、15センチ砲の砲廓後方に連なる形で各2門、後部上構上に各1門で合計12門と若干減っており、後部上構のものは高角砲に変更された。いずれも大戦中に撤去され、最終的には高角砲2門だけが残されたようだ。15センチ砲弾は全体で1920発。88ミリ砲弾は1門あたり250発が搭載されたという。

 『ライオン』の艦橋下に設けられた4インチ砲砲廓は無装甲で、初期には砲廓にもなっておらず、甲板室内に砲が設置されていただけである。左右各3門は船首楼甲板にあったが、1門ずつはひとつ上の甲板にあって、まったくの露天装備だった。主砲爆風の影響をモロに受けるので、後に砲廓化されるものの装甲は持たされなかった。
 後部の4インチ砲は、やはり船首楼甲板に片舷4門ずつ置かれているけれども、こちらも砲廓ではなく、艦載艇置き場の周囲に砲を置き、全体を側壁で囲っているだけである。砲列の直上にキャットウォークがある以外に甲板はなく、第三煙突直後に主檣が立ち、後端に後部司令塔がある。写真を見ると大きなデリックブームの支点が、甲板室に半ば埋もれた高さにあるのがお解かりいただけるだろう。
 いずれにせよ、魚雷の大型化とこれに伴う駆逐艦の大型化、高速化に対して、4インチ砲では力不足であり、さらには警戒スクリーンを置いていってしまう自分自身の高速力を考慮した場合、自衛能力の不足は深刻なものになった。なお搭載される砲弾数は、平時で1門あたり150発、戦時で200発である。

 『ライオン』の高角砲は、大戦が始まってから6ポンド砲が1門装備され、翌年には後部上構上後端に3インチ=76ミリ砲が増強、半年後に6ポンド砲が3インチ砲の2門目に強化されたとするが、写真などでは1門しか見えない。1917年に新型の3インチ砲2門に換装されている。
 どちらの魚雷発射管もサイズが大きくなっただけで、装備要領などはほとんど変わらない。最大射距離が1万メートルくらいに伸びたので、海戦中に機を見て発射されているけれども、命中を確認されたものはない。




SMS Seydlitz fire

『ザイドリッツ』の主砲発射

右後方を指向している後部砲塔を艦橋後部から見ている。この角度では左舷側砲塔は指向できないだろう。艦首砲塔も難しいと思われる。煙突脇のデリックからアームが外され、甲板上に寝かされているのがわかる。



<装甲>
●主装甲帯:9インチ=229ミリ<<◆>>300ミリ
●上部装甲帯:6インチ=152ミリ<<◆>>200ミリ〜150ミリ
●甲板装甲:水平部25ミリ、傾斜部25ミリ<<◆>>水平部25ミリ+30ミリ (二層)、傾斜部30ミリ
 まだ『ザイドリッツ』のほうが強固だが、13.5インチ砲弾に対しては十分とはいえず、『ライオン』のほうが28センチ砲弾となら大体つりあう厚さになったので、立場は逆転したともいえる。いずれ、水平装甲はさびしいくらいのもので、大落角の砲弾に対してろくな抵抗力を持たないのは、どちらも同じようなものだ。
 『ライオン』の主装甲帯で、9インチあるのが機関部側面だけなのは『インデファティガブル』と同じであり、前後砲塔下の弾薬庫側面では6インチから5インチでしかない。しかし、バーベット下部、弾薬庫に密着した側面に3インチから1.5インチ程度の装甲が張られ、その下端は水雷防御縦壁に連なっている。この二段防御により、側面は簡単には突破されないはずだった。ちょうどここで食い止められた砲弾があったとは記録にないようだが、外の装甲を貫通した砲弾が、内の装甲鈑へ到達する前に炸裂した事例はあり、弾薬庫へは被害が及んでいないから無意味でもない。食い止められなかった砲弾があったのかは、海の底から引き上げて調べないとわからない。

●砲塔前面:9インチ=229ミリ<<◆>>250ミリ
●砲塔側面:9インチ=229ミリ<<◆>>200ミリ
●砲塔天蓋:3.25インチ〜2.5インチ=83ミリ〜64ミリ<<◆>>100〜70ミリ
●バーベット:9インチ=229ミリ<<◆>>230ミリ
●バーベット下部:3インチ=76ミリ<<◆>>30ミリ
 おおよそ似たようなものである。砲塔天蓋が薄い薄いと責め立てられるけれども、『ザイドリッツ』も大差ないし、こちらはバーベットを撃ち抜かれているのだから、足らないことに変わりはない。
 天蓋の数字はどちらも、厚いのは前方へ向かって傾斜している部分で、薄いのは水平部分である。

●司令塔側面:10インチ=254ミリ<<◆>>350ミリ
●司令塔天蓋:3インチ=76ミリ<<◆>>80ミリ
●水雷防御縦壁:2.5インチ=64ミリ<<◆>>50ミリ〜30ミリ
 『ザイドリッツ』の水雷防御縦壁は、やはり砲塔弾薬庫の全体と機関区画を覆っており、舷側からかなり後退した位置にあるから相当な抵抗力を持つ。ほぼ同様の防御を持つ『モルトケ』級ともども、何度か被雷、触雷を経験しているけれども、致命傷にはならなかった。
 『ライオン』もまた『インデファティガブル』と同じで、水雷防御縦壁は弾薬庫側面にしか設置されていない。そして珍妙なことに、中部砲塔では弾薬庫が右舷側に片寄せられており、右舷では舷側近くに2.5インチ=64ミリの装甲が張られ、左舷側には水圧機や発電機室を置いて、その内側に1インチの装甲を張っているのである。なんのために、こんな左右非対称の設計をしたのだろうか。これについては後でじっくり考えてみたい。

<その他>
●乗組員数・平時:997名<<◆>>1068名
●乗組員数・戦時:1092名<<◆>>1425名
●艦載艇:たくさん<<◆>>置く場所がない
●お値段・約208万ポンド<<◆>>4468.5万マルク
 燃料に重油を使う量が増えたため、『ライオン』の乗組員は出力の割には多くなっていない。『ザイドリッツ』ではほぼ出力増に見合うだけ人数を増さなければ、高速力を維持できないだろう。
 配置の関係で、『ザイドリッツ』の露天甲板に艦載艇を置く場所がないのは、『フォン・デア・タン』からなんら変わっていない。平時は舷側砲塔側面の空いている場所に置いているけれども、砲の射界をがっちり遮ってしまうから、戦時にはどこにも置けない。せいぜい砲塔の上だけで、ジュットランド海戦後の写真では、右舷側B砲塔の上に小さなボートが1艘だけ載せられているが、デリックブームを外してしまっているので簡単に揚げ降ろしする方法はない。




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