ライバル・満身創痍・2
The Rivals : Wounded all over
SMS Seydlitz and HMS Lion





 前回の『インデファティガブル』と『フォン・デア・タン』に比べれば、解説の重複を避けたとはいえ、数字の比較は駆け足で通り抜けてしまった。経歴の部分では、『インデファティガブル』と『フォン・デア・タン』では、最初の対決でばっさりと一刀両断になってしまったし、『フォン・デア・タン』の損傷も割合小さくて、以後は派手な展開もなかったから、あまり書くべきこともなかった。

 しかし、『ザイドリッツ』と『ライオン』の両艦は、そんなにあっさりとした経歴の持ち主ではない。直接に砲火を交えたばかりでなく、ともに何度となく傷つき、互いにもう一歩で死の淵を越えるところだった経験をしているのだ。およそ一次大戦の巡洋戦艦に興味を持っている人なら、ジュットランド海戦で『ライオン』の中部主砲塔が直撃弾を受け、爆沈寸前に至ったことをご存知だろうし、『ザイドリッツ』が艦首を海面ギリギリまで沈め、まさに沈没寸前の姿で母港へ帰り着いたことを知らないなどということはあるまい。
 ここでは、2隻が参加した海戦の経過をたどりながら、その状況について細かに比較していこうと考えている。

 『ザイドリッツ』と『ライオン』は、ともに第一次大戦の最初から艦隊にあり、それぞれ快速打撃部隊の旗艦として行動していた。『ライオン』に乗るのは英国海軍の俊傑ビーティ提督であり、『ザイドリッツ』の艦橋から第一偵察部隊を率いたのは、猛将ヒッパー提督である。

 ビーティ提督は、1910年に39歳という異例の若さで将旗を掲げる存在になったとはいえ、開戦時にはまだ少将であり、三つの巡洋戦艦戦隊を指揮するために、少将としての先任期間不足のまま臨時処置として中将位を与えられている。英国海軍、政府内でも、「彼はネルソンの再来です」といった囁きが聞こえてくるほどの評価を受けていた。(David Beatty 1871-1936)
 ヒッパーはこれに対し、終始ビーティよりも劣勢な艦隊を指揮しながら、常に勇猛果敢な戦闘を展開している。人事の硬直していたドイツ海軍において、戦争の始まったときにたまたまこの人が偵察部隊の指揮官だったことは、ドイツ海軍の名を輝かせる大きな幸運だったと言えるだろう。(Franz Ritter von Hipper 1863-1932)
 二人ともが後に全艦隊の司令長官に就任しており、1918年の休戦を迎えた。

 『ライオン』は開戦直後の1914年8月28日に行われたヘリゴランド・バイト海戦で、突入したティルウィット司令の水雷戦隊を援護する部隊として海戦の後半に介入し、引き上げようとするイギリス艦隊を追っていたドイツ軽巡洋艦数隻を蹴散らし、『ケルン』と『アリアドネ』の2隻をほふっている。
 参加したのは『ライオン』の外に『プリンセス・ロイアル』、『クィーン・メリー』、『ニュー・ジーランド』、『インヴィンシブル』であり、巡洋戦艦5隻に襲われた軽巡洋艦では、狙われたが最後、助かる望みがなかった。対等の戦いではなかったためもあり、誰が誰を撃沈したのかは特定されていないようだ。

 ヒッパー提督の第一偵察部隊はこのとき、急報を受けて出動準備を整えたものから順次泊地を出ていたのだが、単独での突入では各個撃破されるだけなので、高海艦隊のインゲノール司令長官は出動を止めた。これにより、ようやく艦隊が顔を並べて戦闘海域へ進出した頃には、イギリス艦隊はとうに引き上げた後で、影も形も残っていなかったのである。




damage 1914/12

写真SX-01:『ザイドリッツ』の後部艦橋付近に命中した砲弾の破壊痕

後煙突の後方、右舷寄り船首楼甲板から後方を見ている。わかりにくいが写真左手に白い箱のように見えるのが後部砲塔の側背面。
砲弾は跳弾であったようで、下から上へ向かって命中しているように見える。内部で炸裂したため、命中痕上では天井が吹き上げられている。リベットが黒く見えているのは、爆風によって吹き飛び、穴だけが残っているから。



 これに対し11月3日から4日には、ドイツ艦隊の第一偵察部隊がイギリス本土の北海に面したグレート・ヤーマスへ艦砲射撃を行う作戦を実行し、『ザイドリッツ』を旗艦に、『モルトケ』、『フォン・デア・タン』、『ブリュッヒェル』がこれに加わった。ビーティの艦隊は通報を受けたものの出動が間に合わず、会敵はならなかった。
 さらに12月、シュペー提督のドイツ太平洋艦隊捕捉のため、本国艦隊より『インヴィンシブル』と『インフレキシブル』の2隻が南大西洋フォークランド島へ派遣され、さらに『プリンセス・ロイアル』がパナマ運河を警戒して西インド諸島方面へ進出していたため、本国のビーティには巡洋戦艦が新参の『タイガー』を加えても4隻しかなく、その手薄になった隙をついて、完成したばかりの『デアフリンガー』を加えたヒッパーの偵察部隊は、再びイギリス本土への艦砲射撃作戦を実行し、ハートルプール、ホイットビー、スカボローを攻撃した。

 このとき、諜報活動によってヒッパー艦隊出撃を察知したイギリス海軍は、ビーティの巡洋戦艦艦隊へ大艦隊から新型艦で編成された第二戦艦戦隊を分遣して応援させ、これを捕らえようとした。しかし、折からの悪天候と情報不足によって、ヒッパーとビーティはほんの30分の距離まで接近しながらぶつからず、イギリス主力艦隊は一発も撃たないまま作戦を終えている。
 この作戦中、『ザイドリッツ』は陸上の砲台と交戦し、後部上構に6インチ砲弾1発を命中させられている。損害は軽微だった。(写真・SX-01)

 ここまで『ザイドリッツ』と『ライオン』は、互いを見ることなく作戦を行っているが、ついに1915年1月24日、両雄は北海中部、ドッガー・バンク上で相まみえることになった。
 戦闘は戦力に勝るビーティが、撤退するヒッパーを全速力で追いかける壮絶な追撃戦の様相を呈し、大遠距離での砲撃戦が行われた。この戦いについては、「ワードルーム」に全貌を紹介したページがあるので、参照していただきたい。

 さて普通なら、ここで海戦の経過とともに両艦の挙げた戦果を書き並べるのだろうが、それは前述のページにあるし、へその曲がっているこのページでは、爆沈の危機にさらされた『ザイドリッツ』と、自力での行動ができなくなった『ライオン』について、もっぱら被害の詳細を取り上げていこうと思う。なお、時刻については基本的にイギリスの標準時を示している。
 写真ページとの照合のために、項目にはそれぞれ特別な記号を添付しておく。一文字目はSが『ザイドリッツ』、Lが『ライオン』で、2文字目は海戦名とし、Dはドッガー・バンクを意味する。それ以外の戦闘はXと記す。最後の数字は海戦ごとの通し番号で一般に時間順だが、明確でない場合もある。また、「ドッガー・バンク海戦」のページとだと矛盾する記述もあるが、後に別な資料を入手したためであり、多分こちらのほうが正しいだろうと思っている。・・・だといいなあ。




damage 1915/1 barbette D

写真SD-02:最後部D砲塔のバーベット、上甲板下230ミリ装甲にうがたれた命中痕

砲弾は鈑面に食い込んだところで爆発し、撮影者のいる甲板はバーベット直前部分に大破口を生じている。穴のすぐ右側に見える縦線は装甲鈑の継ぎ目。



●ドッガー・バンク海戦・1915年1月24日
『ザイドリッツ』
 『ライオン』、後に『タイガー』と交戦している。28センチ徹甲弾390発を発射し、8発を命中させたと見られる。
 被命中弾は3発で、船首楼に当たった1発目と、最も装甲の厚い部分に当たった3発目は、大きな損害にならなかった。しかし、射程15500メートルで発射された『ライオン』の13.5インチ砲弾は、もう少しで本艦を吹き飛ばすところだった。

★SD-01:『ライオン』が発射した13.5インチ砲弾
 船首楼の最上甲板へ命中、大きな破口を作ったが、戦闘能力に影響はなかった。

★SD-02:『ライオン』が発射した13.5インチ砲弾 (写真参照)
 この砲弾は右舷後方から飛来して、最後尾D砲塔の直後で上甲板に命中し、甲板下バーベットの230ミリ装甲に食いこんだところで爆発した。砲弾は貫通しなかったけれども、装甲鈑の破片は砲塔内へ飛びこみ、炸裂の火炎は換装室にあった装薬を誘爆させた。この炎は砲室に侵入し、装填機にあった装薬が引火している。さらに下へ向かった炎は、揚弾筒内、艦底の弾薬操作室内の準備装薬を順次誘爆させ、砲塔内を焼き尽くした。
 この誘爆は比較的ゆっくりとしたものだったため、砲塔員の一部は直前のC砲塔に通じる連絡口を開き、災厄から逃れようとしている。その瞬間、誘爆した装薬の火炎は、この通路を通ってC砲塔へ侵入し、こちらにあった装薬をも誘爆させてしまう。合計62発分、約6トンの装薬が爆発し、両砲塔は完全に破壊された。

 しかし、弾薬庫に注水されてそれ以上の誘爆が起きなかったことと、一回の爆発が小規模で、爆燃ともいえる状態で緩慢に繰り返されたために船体は破壊されず、直下の推進軸も損傷しなかった。照準孔や砲眼孔など両砲塔の外部への開口からは、爆発のたびに火柱が噴き上がり、これは敵味方の視界内全艦から目撃されている。いつ大爆発となってしまうか、状況は予断を許さなかったが、ようやく燃えるものがなくなって鎮火した。
 換気装置が破壊されたため、一時艦尾部分にはまったく近付くこともできず、舵機室は30分にわたって放棄されたものの、舵の機能は失われなかった。注水のために艦尾は大きく沈み、吃水は10.5メートルに増大している。

★SD-03:発射艦不明
 右舷中央部舷側装甲帯に射程15000メートル以上で命中した。大きな損害は発生していない。
 この戦闘による戦死者は159名、負傷者は33名とされる。艦隊への復帰は4月1日のことになった。この砲塔の被害に際し、ドイツ海軍はこれを貴重な教訓と捉えて砲塔構造に改良を加えた。揚弾筒内に防炎扉が新設されて、上部の被害が下部へ波及することを防ぐ対策が講じられ、C、D砲塔を繋いでいた非常通路は閉鎖されている。




『ライオン』
 発射弾数243発は、すべて徹甲弾。命中させたのは合計4発と見られる。『ブリュッヒェル』、『デアフリンガー』に各1発、『ザイドリッツ』に2発。これらにより『ザイドリッツ』の後部2砲塔を使用不能とした。4インチ砲は駆逐艦に向けて54発を発射したが、命中弾はなかった。
 当初は『ブリュッヒェル』を目標とし、ドイツ艦列に追いつくにつれて前艦に目標を移している。最終的には先頭の旗艦『ザイドリッツ』と交戦していたが、海戦の後半では全ドイツ艦からの集中攻撃にさらされた。
 被命中弾は、28センチもしくは30.5センチ砲弾16発、21センチ砲弾1発。すべて左舷側からの命中である。一応照合記号はふっておくが、被害状況を撮影した写真、図面などは、まったく見つけていない。

★LD-01、★LD-02:詳細不明
 水中弾が吃水線下5メートルほどのところへ命中、それぞれ1区画に浸水している。着水後かなり弾速が落ちてから船体にぶつかったのだろう、大きな被害にはなっていない。炸裂したかは不明。
★LD-03:『ブリュッヒェル』の21センチ砲弾
 A砲塔の天蓋に命中。天蓋が凹んで、左砲が2時間ほど使用不能となった。
★LD-04:『モルトケ』から射程およそ16500メートルで発射された28センチ砲弾
 船体から4.5メートルほど手前の海面に落ち、跳弾となって後部満載吃水線上60センチほどの5インチ舷側装甲を貫通した。60センチ×45センチの穴が開き、さらに4インチ砲弾薬庫への通風筒を貫通した。
 おそらく不規則な角度で当たったために命中の衝撃で砲弾は破砕し、炸裂しなかったが、弾片のひとつは4インチ砲弾薬庫内へ落下した。砲弾の主体はさらに装甲された主甲板にあたり、跳ね返されてこの甲板上に転がった。後部の低電圧配電盤室に浸水し、3基の発電機のうち2基がショートして停止した。

 『ザイドリッツ』から射程14600メートルで発射された28センチ砲弾2発が、同時に命中している。非常に大きな衝撃があり、当初魚雷が命中したのではないかと疑われたほどだった。
★LD-05:
 前部砲塔付近の5インチ舷側装甲帯、主甲板直下に命中。75センチ×60センチの装甲鈑を吹き飛ばし、1.8メートルほど前進して炸裂した。隣の区画は魚雷筐体の格納室であり、この部屋も大損害をこうむっている。浸水はこの2部屋と直下の左舷水中発射管室、錨鎖庫、キャプスタン機械室に広がっている。キャプスタン駆動用蒸気廃棄管が傷つき、補機コンデンサーに海水が侵入、これが主機関へ拡大して、最終的に右舷機を停止せざるを得なくなる原因となった。
★LD-06:
 (05) のすぐ後方、常備吃水線の下1メートルほどのところへ命中。6インチの舷側装甲面で爆発した。この装甲鈑は60センチほど押しこまれ、長さ12メートル、高さ2メートルほどの範囲に浸水が発生した。防御甲板傾斜部にも損傷が及び、最前部の下部炭庫に浸水している。

 射程15500メートルほどで28センチ砲弾2発が、同時に左舷中央部へ命中し、上部構造物にかなりの被害が発生している。
★LD-07:おそらく『ザイドリッツ』の28センチ砲弾
 6インチの装甲帯、上甲板直下の高さに命中。2.5メートルほど前進して炸裂した。
★LD-08:おそらく『ザイドリッツ』の28センチ砲弾
 6インチ装甲鈑と9インチ装甲鈑の継ぎ目に命中、60センチほど前進し、主甲板上で爆発した。
★LD-09:不明
 船首楼の側面に命中。1インチの上甲板上、A砲塔バーベット直前で爆発した。損害は小さく、砲塔内部に小火災が発生したものの、直ちに消しとめられている。

 この後、『ライオン』はドイツ艦隊の集中射撃を受け、さらなる8発の命中弾によって電力を喪失、速力も低下して戦列を維持できなくなった。以下の命中弾に関しては、時間的に接近しているので順序が不明である。発射した艦も判然としない。
★LD-10:
 パン焼き室で爆発、弾片の一部はグレーチング・アーマーを通り抜け、左舷復水器室排気筒に穴を開けたが、復水器には被害がなかった。
★LD-11:
 中央部の9インチ装甲鈑に命中。貫通しなかった。
★LD-12:
 1番煙突基部を貫通、船首楼甲板も貫通し2.5メートルほど前進して炸裂した。
★LD-13:
 2番煙突を貫通、天窓の上で爆発した。
★LD-14:
 2番煙突を貫通、そのまま舷外へ飛び去った。
★LD-15:
 船首楼甲板へ命中、貫通して右舷舷側を裏側から突破、舷外で爆発した。
★LD-16:
 おそらく『デアフリンガー』からと思われる砲弾が、後部機関室横の9インチ装甲帯、満載吃水線直下へ命中。鈑面で爆発して、長さ5メートル、高さ1.7メートルの装甲鈑を最大60センチほど押しこんだ。付近の船体構造や傾斜装甲甲板も損傷し、左舷の缶水タンクに開口ができて、ここから入った海水が予備缶水タンクを経て機関室へあふれたものの、すぐにバルブが閉じられたので機関室への大浸水は食い止められている。
 エア・ポンプからの缶水タンクへの配管がひどく破損したけれども、幸運にも破断しなかった。これには遮断バルブがないので、破断していれば機関室は満水してしまうところだった。
 これらの被害で左舷機は停止し、左舷側のボイラーへの給水も止まった。二つの下部炭庫にも浸水したため、『ライオン』は左に10度ほど傾斜して、速力も15ノットに低下している。傾斜によってすでに浸水していた区画の海水面が上昇したことから、さらなる電路の短絡が起こり、最後の発電機も停止してしまう。これらにより、『ライオン』は戦闘能力を失った。

★LD-17:
 右舷?吃水線下5メートルほどに水中弾が命中。被害僅少。左舷の間違いの可能性があるけれども、もしかすると一時北東に針路を変えたときに、右舷側へ当たったのかもしれない。

 この戦闘中、Q砲塔右砲は、15発を発射したところで発砲回路に不具合を生じている。
 『ライオン』の速力が低下して『タイガー』に追い越される4分ほど前、A砲塔弾薬庫に火災警報があって弾薬庫へ注水され、これが誤報であると判明するまでに、60センチほども水が溜まってしまっている。
 全電力を失って指揮能力を喪失したため、ビーティ司令官は『ライオン』から降りて駆逐艦に乗り移り、さらに『プリンセス・ロイアル』へ移乗して追跡を続行しようとしたが、信号の誤解から追跡を中断していた艦隊は、すでに追いつける状況になく、大破した『ブリュッヒェル』にトドメを刺しただけで引き上げることになった。
 傷ついた『ライオン』は、片舷運転で低速力のまま本国帰還を目指したものの、途中で缶水への海水混入から全機関の停止を余儀なくされ、『インドミタブル』に曳航されて26日朝にスコットランドへ帰り着いている。もしドイツ主力艦隊の追撃を受けていれば、放棄するハメになっていたかもしれない。

 その後、ロサイスで応急修理を受け、木材と150トンのコンクリートで破口を塞いだ。パルマーの造船所で本修理を行う際、このコンクリートは堅すぎて修理作業の障害になっている。結局『ライオン』は、2月9日から3月28日までかけて修理を終えた。およそ1500平方フィートの外板が損傷し、20枚の装甲鈑が背後の構造修理のために取り外されている。うち5枚が取り替えを余儀なくされたという。
 これらの被害には恒久的な修理が施され、『ライオン』はほぼ完成時の能力を取り戻している。戦闘中に一部の被害による火災が下部弾薬庫に到達しそうになった状況があり、艦隊機関長から揚弾筒への防炎扉新設の必要性が具申されているものの、上層部には取り上げられず、脆弱な構造はそのままにされてしまった。




1916.04.24 torpedo damage

写真SX-02:右舷艦首、舷側魚雷発射管室付近に触雷した。

発射管室は破壊され、大量の浸水が発生している。破口のほぼ中央、ハシゴの上端右側に見える蛇腹のようなものが魚雷発射管。 発射管室のすぐ後方はA砲塔の弾薬庫で、30ミリの水雷防御隔壁を持っているが、発射管室にはない。上部の舷側装甲帯は300ミリから120ミリに厚さの減る部分だが、いずれもほとんど被害を受けていない。



●ローズトフト襲撃作戦・1816年4月24日
『ザイドリッツ』
SX-02:触雷 (写真参照)
 偵察艦隊を率いてイギリス東岸のローズトフト襲撃へ向かった作戦途上、右舷艦首に英軍の敷設した機雷が触れ、約136キログラムの炸薬が爆発した。ちょうどA砲塔の前、舷側発射管室の部分で、発射管室は完全に破壊されたが、魚雷の弾頭は誘爆せず、被害はこれだけにとどまっている。
 浸水量は1400トンと見積もられ、艦首吃水は1.4メートルほど増大したけれども、なお15ノットで行動可能であり、ヴィルヘルムスハーフェンに帰りついた。

 修理には5月22日までかかったが、その後の検査で防水不良が見つかり、なお数日の工事を必要とした。このため、実施予定だった作戦が遅延し、結果として次に述べるジュットランド海戦を誘発している。すなわちこの遅延は、作戦の一環としてイギリス艦隊の出撃路に偵察目的で配置された、潜水艦の行動能力を限界に達させることになったのだ。悪天候のために飛行船の出動もままならず、十分な偵察線を構築できないことから、危険の大きいイギリス本土接近は放棄され、地域を北海東部に絞った通商破壊作戦が実行されたのである。




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