翼をなくした大鷲
CSSヴァージニア物語・第一章

Unflyable Eagle: CSS Virginia stories 1862




USS Merrimac

汽帆装フリゲイト『メリマック』(1857)



第一章

「そんなバカな!」
 びっくりした秘書がタイプライターを打つのをやめたので、質素な執務室には沈黙が流れている。急遽撤退してきた工廠のオフィスは、まだ仮住まいのままだ。古い倉庫の一角を区切っているだけだから、ろくに窓もなくて殺風景この上ない。気が滅入るような湿気とかび臭さに囲まれている。外は陽光あふれる初夏の好天だというのに。
「…申し訳ありません、失礼しました」
 呼び出され、書類を読んだ軍服の若者は、一瞬絶句し、気を取りなおしてそのときの状況を思い出すと、必死に反論を始めた。すでに手遅れなのだが。
「いや、しかし、私は確かに火を着けましたし、下甲板にばらまいたウエスには、たっぷりとテレピン油が染みこませてあったんです。それが燃え上がって、索具を炎が駆け上っていきました。私たちが埠頭を離れる時だって、まだ燃えていたんですよ!」

「ワイズ君、落ちつきたまえ。…君の言っていることを疑っているわけではないよ。『メリマック』は確かに黒焦げになったんだ。しかしな、南軍はあれを引き上げようとしている。それもまた確かなことだ」
「まさか、まるまる燃え上がって沈んだ船を、もう一度使おうっていうんですか? そんなことは不可能だ! いや、よしんばできたにしても、新しく造るのに比べて何倍も手間が掛かるし、金も掛かるはずです!」
「そのとおりなんだがね、彼らにとっては、燃え残った船体の下半分、海水付けになったエンジンでも、無からは造りだせないんだよ。残っている形に意味があるんだ」
「そんな……そんなことで…」
 士官として、彼の出世の道は閉ざされる。理不尽だが、『メリマック』を敵の手に渡らぬように破壊せよという任務に失敗した結果があるからには、どうにもなるまい。『メリマック』の火薬庫が引火せず、爆発しなかったのは不運だった。

 火薬庫へ導火線を引くこと自体は、工廠の他の部分を破壊するために大勢が活動していたことを考慮すれば、問題外だったのだ。点火に失敗すれば、艦は無傷で敵のものになってしまうし、10トン以上の火薬が過早に爆発したら、どうなるか判ったものではない。あまりにも危険すぎた。

 あの日、大慌てでゴスポート工廠を破壊するために差し向けられた部隊は、結局乾ドックを破壊することもできなかった。それには扉船に爆薬を仕掛けるしかなく、何十という火薬樽を積み上げたのだが、皆が引き上げる中、なぜか火薬は爆発しなかった。
 兵器工廠に残された新式砲も、砲耳を叩き落とすはずなのに、あまりにも頑丈でいくつも壊せなかった。おそらく1千門以上の砲が、無傷で残されたはずだ。

 とにかく破壊作業は不首尾の連続だったのだが、悪かったのは派遣された部隊ではなく、時間がなかったことだった。ろくに情報はなく、人数も、装備も足らなかった。任務を命じられたこと、そのものが不運だったのだが、そのタイミングを読み誤った連中には、責任を押しつけるスケープ・ゴートが必要になる。
 目の前でしょげ返っている若い士官に、同情は禁じ得なかったけれども、効果的な救出手段もなかった。南軍はすでに、焼けてしまった元木造蒸気フリゲイトの残存船体回収を始めており、再利用を考えている。妨害する方法はない。

 『メリマック』がこの世に生を受けたのは、1855年6月14日のことだった。季節外れの寒い日で、晴れてはいたが北風が吹き、午後1時になっても気温はやっと20度を越えただけだった。
 その日、ボストンの造船所には、およそ2万人が集まったと言われている。私は『オハイオ』の上にいて、船が船台を滑り降りていくスペクタクルを眺めていた。ここで頭を抱えている男は、まだ候補生だったころだ。
 何百というボートが海面を埋め尽くすように浮かび、進水した巨大な船体の押しのけた海水が波立ち、順繰りにそれぞれのボートを揺らすのを楽しんでいた。歓声が上がり、波に乗るボートから飛び込む向こう見ずな若者がいた。揺れるボートに慌てて立ちあがり、本当に落ちた娘もいたそうだが。

 禁酒主義者どもの主張が通ったお陰で、町の酒屋に一本のシャンパンが売れ残り、代わりにわざわざメリマック川から汲んできたという、水の入ったビンが割られた。あれはシモンズの娘だったな。ちょっと太目の、小柄で、赤ら顔で、あんまり美人って娘じゃなかった。愛嬌はあったけどな。誰と結婚したんだったか、思いだせない。結婚式には出席したんだがね。…そういえば、あのビンの中身は誰かが飲んだのかな。それならシャンパンは売れ残らなかったわけだ。
 あのころ、『メリマック』は合衆国の華だった。

 長さは83.8メートル (275フィート)、フットボール場に置けば、ほんのわずかな余りが出るだけでしかない。バウ・スプリットまで含めれば、100メートルを軽く超える。幅はほっそりと15.5メートル (51フィート)。寸法だけでも快速ぶりが判ろうというものだ。
 初めてのスクリュー・フリゲイトというわけではないし、主たる推進は帆によるので、蒸気機関は補助的な装備だった。それでも、他国を圧倒するほどに先進的だったのは間違いない。直径5.2メートル (17フィート) のグリフィス2翼スクリューは、毎分40回転で10.5ノットを発揮した。イギリスにだって、これに対抗できるフリゲイトは何隻もない。
 スクリューは引き上げ式になっていて、帆走するときには邪魔にならないようにされていた。スクリューそのものは、それだけで13トンもある真鍮の塊だった。一度、どうにもスクリューを引き上げることができなくなって、艦では大騒ぎになったことがあったそうだ。スクリューとシャフトの接続部分で軸受けが腐食していたんだっけ。報告書は読んだが、直接は見なかったな。

 ボイラーは、…あの頃には新式だったけど、今ではどうかな、あんまり評判は良くなかった。煙いし、燃料はかさむし、すぐ穴が開いたし、あの真鍮のパイプは、どうにも扱いにくいシロモノだった。あれが塩付けになったんじゃ、さぞかし始末が悪いだろう。
 排水量は4,636トンで、ちょっとした戦列艦並みだ。40門の大口径砲を積む。乗組員はざっと500人で、…おっとっと、そういう話ではなかったな。とにかく、『メリマック』はおよそ100万ドルという値打ち物だったのだ。そこそこ優秀な軍艦で、遠くホーン岬を回り、太平洋まで足を延ばしたこともある。まあ、よく働いた艦であることは間違いない。

★『メリマック』には、Merrimac というスペルと、Merrimack とするものとがあり、一定していないようです。
 この名は、ニュー・ハンプシャー州を流れ、マサチューセッツ州ボストン北方のニュー・バリー・ポートへ流れ込む川の名です。マサチューセッツ州北部、川のほとりに同名の古い町があります。




Gosport_burning

燃えるゴスポート工廠



 リンカーンが大統領に決まって、南部諸州は連邦からの分離独立を推し進めた。1861年4月17日にヴァージニア州が連邦を脱退し、南部連合に与したため、我々がノーフォークから撤退しなければならなくなったとき、たまたま『メリマック』はノーフォーク対岸のゴスポート工廠にいた。ドックに入っていたわけではなく、太平洋から戻ったばかりだったから、艤装岸壁へつけて補修作業をしていたんだ。
 この工廠そのものが、連邦にとっては大きな財産だったのだが、機械設備に乏しい南部連合にとっては、自分たちの勢力範囲にある、かけがえのない重要施設だった。なにせ、どんな船でも造れるし、直せるし、兵器工廠も隣接しているから、大砲もごろごろ転がっている。ワシントンはなんとかここを守ろうと考えたが、それはまあ、所詮無理な望みだった。撤退はどうにも仕方のないことだったのだよ。

 で、4月17日には、工廠内にいた艦船にも出港の命令が来たわけだけど、ほんのちょっと、ゴスポート工廠の責任者が『メリマック』の出港に待ったをかけた。彼とすれば、『メリマック』の大砲は魅力的だったし、500人からの乗組員は、それだけでもちょっとした戦力だ。それが手元にあれば、味方が来るまで工廠を守りきれると考えたとしても、まあ、非難するには当たらないかもしれない。『カンバーランド』とか『ポーニー』とかは、さっさと脱出したんだし、異論はあるだろうがね。

 ありていに言ってしまえば、南軍びいきは工廠の中にもいたわけで、町はあらかた南軍組だったのだ。そうでなければ、そもそも撤退などという話になっていなかったのだが、彼はちょっと、そのことを失念していたのだろうな。とにかく、その逡巡が『メリマック』の運命を決め、ひいてはここで理不尽な絶望に打ちひしがれている若者を生産してしまったわけだ。まあ、今は戦争をしているのだから、手柄を立てて汚名を雪ぐ機会もあるだろう。平時に取り返しのつかないポカをやるよりは、よほど運がいいとも言える。

 ゴスポート工廠の司令官が迷っている間に、南軍のシンパ連中は工廠の火薬庫を押さえ、ちょっとノーフォーク港の隅からボロ船を引っ張り出して、狭い水路へ沈めた。これだけで十分だったのだ。『メリマック』は合衆国政府の手に戻らなくなった。200人の応援も焼け石に水だった。南軍は2千人を集めていたからね。どうしようもなくなって工廠の防御を諦め、放棄する決定がなされたとき、全体を破壊するための準備はまるでできていなかった。そいつも、もしかしたら彼の責任かもしれない。

 ようやく4月20日になってマサチューセッツ第3連隊が派遣され、『メリマック』に火を着け、新式砲の砲耳をいくつか叩き落とし、乾ドックの扉船を見事に爆破しそこねて、南軍の奴らを大喜びさせてしまったわけだ。自分たちの安全を考えて、たっぷり長い導火線を引いたのだろうから、誰かがナイフをポケットから出す時間は十分あったに違いない。
 爆発しないことに慌てた指揮官は、船に積んできたロケット弾を発射したものの、そいつが積み上げた火薬の樽に当たる確率など、そんなものがあるならバクチで破産する奴などいるわけがないんで、どうにもならないままに引き上げてきたんだ。

 結局、港内にあった120門3層砲甲板艦『ペンシルヴァニア』、74門艦『デラウエア』と『コロンバス』、フリゲイトの『コロンビア』と『ラリタン』、スループ『ジャーマンタウン』と『プリマス』、ブリッグの『ドルフィン』も燃えた。大昔のフリゲイト『ユナイテッド・ステーツ』はそのままだったな。まあ、こいつは朽ち果てた木造の帆装艦だったからね、彼らの役には立たない。せいぜい焚き付けくらいにしかならんだろうさ。
 なににせよ、エンジンがついている『メリマック』の船体が敵の手に渡ったことは、およそ慶事とは言えない。さらなる問題は、彼らがそいつを怪物に仕立てあげようとしているらしいことだ。スパイの報告などというものは、話半分に聞くに越したことはないのだが、どうやらこいつは眉ツバではないらしい。
 しかし、アイアン・クラッドって、なんだいそりゃ。



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