装甲艦時代の往復動蒸気機関
Reciprocating Steam Engines in Ironclad Era


 19世紀後半、いわゆる装甲艦の時代、主力艦の主機関はすべて往復動機関である。19世紀末期にはタービンが導入されはじめたけれども、まだ駆逐艦などへの試験的採用にとどまっており、燃費、信頼性などに問題を抱えていた。
 ここでは、これらの往復動機関の中でも、普及した三連成機関以前に用いられていた各種機関を紹介していく。後に子孫を残さなかったものがほとんどで、現在は忘れ去られた形式が多い。なかにはかなり特殊な形状のものもあるけれども、基本は同じである。
 商船ではシリンダーを垂直に置くのが一般的だったが、軍艦では防御上の見地から横に寝かせて全体を水線下に収める必要があり、寸法や重量の制限によって、各部の配置に工夫を凝らしたものが各種開発された。
 往復動機関の原理は蒸気機関車と同じで、蒸気の圧力によるピストンの往復運動をクランクで回転運動に変えている。まず最初の図では、基本的な概念を捉えていただきたい。



Basic Steam Engine

基本的な蒸気機関



 この図で、クランクの部分を動輪に変えれば、全体は蒸気機関車の構造そのものである。蒸気はピストンの両側に作用し、直線往復運動を行うピストン・ロッドによって、動力がシリンダーの外へ持ち出される。
 自動車などの内燃機関では、ピストンの一方に燃焼室のあるのが一般的だが、蒸気機関では、ピストンの両側に蒸気を作用させることが普通である。そうしないと、シリンダーの半分とピストンから熱が逃げるので、効率が悪くなるからだ。
 ピストン・ロッドの一方の先端にはクロス・ヘッドが取り付けられ、これに振れ動くコネクティング・ロッド(コンロッド)が接続され、その他端がクランクに繋がれている。ピストン・ロッドとクロス・ヘッドにより、ピストンそのものはクランクからの横方向の反力を受けないため、ガソリン・エンジンのピストンのような高さ(厚さ)を必要としない。

 しかし、この配列だと機関の全長が非常に長くなってしまう。船体の幅には限度があり、出力軸の位置も決まっているから、左右の重量バランスへの配慮もあって工夫が必要だった。これが以下の様々な形式を生み出す原点である。

◆直動機関 Direct Acting Engine とは、この基本形を含む機関形式で、増減速装置を介さず、機関が直接推進軸に連結されているものを言う。二連成機関以後は、この用語を見かけない。

◆滑り弁装置とあるのは、ピストンの動きに連動して蒸気の分配を機械的に行う装置であり、実際にはピストン・ロッドと接続され、間にコントロール用の機構を挟んだかなり巧妙複雑な装置である。ここでは、蒸気機関そのものの構造原理を説明するのが目的ではないので、この機構については一切を省略している。興味のある方は、本ホームページからリンクのある「蒸気推進研究所」を訪ねていただきたい。親切に説明してくれるだろう・・・多分



●トランク・エンジン Trunk Engine (筒装機関)
 トランクと言っても旅行用トランクではない。これは機関の全長を短くするために、ピストン・ロッドを排除し、ピストンにコンロッドを直接取りつける目的で工夫された仕掛けである。
 コンロッドが振れ動くスペースを確保するために、ピストンの中心に円筒形の空間(トランク)を設けたので、ピストンの有効部分がドーナツ型になった。有効面積は若干減少するけれども、側面からの断面図で見るほどではない。せいぜい10%程度だろう。

Trunk Engine

トランク・エンジン概略図



 以下にこれの作動図をお見せする。この機関が用いられていた頃の蒸気圧力は低く、トランク部分の変形はそれほど大きな問題ではなかった。蒸気圧力が高くなると、トランクにも相応の強度が必要になる。ここから熱が逃げることも欠点のひとつだった。
 別な問題としては、コンロッドをかわすために必要なトランクの直径が、ピストンのストロークとコンロッドの長さによって制限されるので、小さなシリンダーでもトランクが小さくしにくく、有効面積の低下が大きいことがある。ドーナツが穴ばかりでは食べでがない。
 そのため、この機関はある程度の大きさがないと効率が悪く、大きければピストンの質量も大きくなり、その速度が上げられないために回転数も上げられない。また力量が大きくなるとコンロッドの反力によってピストンが傾けられ、トランクの強度や精度に問題が出た。

How to move, trunk engine

トランク・エンジン作動行程図


●水平還動機関・Horizontal Return Connecting Rod Engine = HRCR
 これは、トランク・エンジンとはまったく発想の異なるもので、原理的には通常の蒸気機関と変わらない。延長したピストン・ロッドの先にクロス・ヘッドを置いて、コネクティング・ロッドを逆向きに取付けている。2本のピストン・ロッドが出力軸を挟むように配置され、トルクの発生を防いでいた。



Horizontal Return Connecting Rod Engine

水平還動機関概略図


 多く普及した機関形式で、おそらくここに紹介したものの中では、最も効率や整備性が優れていたのだろう。機関の全長そのものは必ずしも短くないけれども、出力軸の位置が好適である。
 これを縦置きにしたものも存在するが、主に外輪船に用いられたもので、スティープル・エンジン Steeple Engine (尖塔機関)と呼ばれた。シリンダーが下にあって頭上にクロス・ヘッドを置き、クランクを直接外輪の回転軸に設けている。このクロス・ヘッドを支える構造が高い塔を成すため、この名がある。



How to move, HRCR

水平還動機関作動行程図


●オッシレイト・エンジン Oscilate Engine (首振り機関、揺筒機関)
 シリンダーを耳軸に乗せ、クランクを回すために必要な首振り運動をシリンダーごと行わせている。



Oscilate Engine

オッシレイト・エンジン概略図


 シリンダーの位置や角度に自由度が高いものの、耳軸を通して送られる蒸気のシールドや腐食、耳軸の消耗、揺れ動くシリンダーの質量に起因する振動などの問題が多い。
 類似のものは現在でも小さな模型用エンジンなどに使われているが、こちらでは耳軸を通してのエネルギー導入ではなく、フレキシブルなパイプを用いることが多い。模型用のような小さな物ならではとも言えるだろう。



How to move, oscilate

オッシレイト・エンジン作動行程図


●バイブレーティング・レバー・エンジン Vibrating Lever Engine
 ピストンの往復をレバーの運動で回転に変えるコンパクトな機関。トランク・エンジンの一種で、南北戦争時に北軍の『モニター』はこれを装備していた。開発は『モニター』を設計したエリクソンの手になる。水平還動機関にも、これに類するものがあった。



Vibrating Lever Engine Model

バイブレーティング・レバー・エンジン模型写真


 トランク・エンジンの項で触れたように、この機関は回転を上げることが難しい。ストロークを短くすればトランクの寸法は小さくでき、回転も上げられるのだが、クランクのトルク・アームが短くなるために動力伝達が飽和しやすくなる。
 エリクソンは、トランク・エンジンのストロークを小さくしながら、この動きをレバー機構で増幅し、クランクを小さくせずに動力を伝達する方法を工夫した。この機関は全体の配置がひとまとまりになって小さく、一架台の上に全部が載せられるコンパクトさも特徴だった。

 下の図は、模型写真の機構を半分だけ模式化したもので、本来の配置だと重なってしまう部分を展開してある。模型写真と見比べながら構造を把握してほしい。
 ピストンに繋がれたコンロッドは、A棹を揺さぶるだけだから、振幅は非常に小さい。A棹とB棹は同じ軸上に固定されているので、B棹もA棹と同じ動きをするが、長い分だけ揺動幅が大きくなる。これによってC棹を通じ、大きなクランクを回すだけのストロークを確保するのである。



Vibrating Lever Engine

バイブレーティング・レバー・エンジン展開図


●ペンデュラム・エンジン Pendulum Engine
 これもエリクソンの考案したエンジン。方形のピストンに、半円筒形のシリンダーの中で振り子運動をさせる。肺活量測定器と似た原理である。ピストンの回転軸に直結し、部分円運動を行うレバーでクランクを回し、回転運動を取り出す。



Pendulum Engine

ペンデュラム・エンジン 左は断面図、右は模式図


 初期のエンジンは、ピストンの質量と蒸気圧力の低さのため、回転数の増加が容易でなかったが、装甲艦の出現頃にはようやくスクリューに適した回転数が得られるようになっていた(毎分50回転程度)。それでも、一部にはエンジンの回転数を増してスクリューに伝達する機構が組み込まれている。
 ベルト駆動は大動力の伝達には向かず、チェーンを介してスプロケットを回すものは騒音がひどくて故障も多かった。当時は精度の高い頑丈で大きな歯車が作れなかったため、歯車装置は騒音と振動の塊のような状態であり、摩耗が速いために大歯車には木製の歯が植えられていたものもある。磨り減ったら交換すればよいと割り切った発想だ。
 外輪船の時代に一般的だったサイド・レバー機関は、出力軸の位置が高いために使えず、これを逆向きにしたビーム・エンジンも重心が高いので、例外的に採用されているだけである。



●頭上ビーム・エンジン Overhead Beam Engine
 蒸気機関としてはポピュラーなもので、陸上のポンプ用機関では珍しくもない。高さが大きくなるため、ビームは吃水線上に出てしまい、防御上の問題がある。頑丈なビームは重量も大きく、重心上昇という観点からも歓迎できなかった。
 これを装備した軍艦は珍しく、装甲を持つほど大型の艦では、アメリカの巡洋艦『シカゴ』 Chicago (1885年進水)だけではないかと思われる。構成上は複合機関とされるが、詳しいことは判らない。これも1898年には通常の三連成機関に換装された。



Overhead Beam Engine

頭上ビーム・エンジン


●複合機関・Double Expansion (Compound)、三連成機関・Triple Expansion
 ボイラーの進化に伴って高くできるようになった蒸気の圧力を有効に使うために、高圧、低圧の二つのシリンダーを使う複合機関が開発され、続いてこれを三つの段階に分ける三連成機関が主流となった。これによって燃費、機関重量とも減少し、より高い出力を経済的に発揮できるようになる。
 複合機関では上記の各種エンジンを高低の蒸気圧に分けて用いることが多かったが、三連成機関ではクランクの真上にシリンダーを置く直動型の垂直倒置式が多く採用されている。四連成機関も用いられたけれども、装甲艦では使用例がないようだ。

●ウルフ式複合機関・Woolf system
 イギリス人ウルフが開発した複合機関。高圧シリンダーからの排気を、蒸気溜めを介さず直接低圧シリンダーに送り込んでいる。このため、二つのシリンダーは同位相、またはまったくの逆位相でしか作動できない。初期にはウルフ自身の構想上の誤りから効率が悪く、イギリスでは認められなかった。ヨーロッパ大陸諸国では改良型が多く用いられたが、複合機関そのものをウルフ・システムと呼ぶことがあるので、文献からの識別は困難である。

●タンデム複合機関・Tandem Compound Engine
 直動式複合機関の一種。高圧シリンダーが低圧シリンダーの同軸上にあり、両ピストンはロッドで連結されている。クランクがひとつで済むのでコンパクトになるが、シリンダーヘッドから出力軸までが非常に長くなるため、シリンダーを垂直に装備できる商船で用いられた。



Tandem Double Expansion

タンデム(直列式)複合エンジン



●参考文献
蒸気原動機/吉原英夫/北原出版・1941
舶用機関史話/矢崎信之/天然社・1941
ヴィクトリアン・エンジニアリング/L.T.C.ロルト:高島平吾訳/鹿島出版会・1989
蒸気動力の歴史/H.W.ディキンソン:磯田浩訳/平凡社・1994
Advent of Steam (The)/Conway Maritime Press
All the world's fighting ships 1860-1905/Conway Maritime Press
Before The Ironclad/D.K.Brown
Old Steam Navy vol.1 (The):Frigates,Sloops,and Gunboats,1815−1885/Donald L.Canney
Old Steam Navy vol.2 (The):The Ironclads,1842-1885/Donald L.Canney
Steam at Sea/Denis Griffiths/Conway
Treatise of The Steam Engine (a)/John Bourne/D. Appleton and co. 1866



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