士 官 室 wardroom |
ようこそ三脚檣士官室へ
士官室=ワードルーム wardroom とは、艦長を除く士官たちの公室です。ここでは本来のコンテンツとして、史実(とされるものを含む)に基いた物事を解説しています。
基本的には記述内容を信頼していただけるものですが、当然、私の主観、誤解、元資料の誤りを含む可能性がありますので、引用などにつきましては裏付けを取るなどのご確認をお願いします。
各展示物の中、艦船の名称に続いて表記されている4桁の数字は、西暦で進水年を表しています。イベントの場合には、発生年です。
遠き祖国 (1914)
太平洋を渡ったシュペー艦隊の勝利と破滅。歴史上唯一の両洋で戦った艦隊 |
ゲーベンが開きし門
第一次世界大戦を異国で生き抜いたドイツの大型巡洋艦・歴史を変えたとまで言われた軍艦とは |
サリチの戦い (1914)
黒海で戦ったド級巡洋戦艦ゲーベンとロシアの前ド級戦艦艦隊 |
大戦艦
転々と持ち主を変えられた稀代の戦艦『エジンコート』7砲塔の謎 |
長崎騒動・鎮遠定遠下駄に履き (1886,1891)
日本を訪れた清国艦隊が長崎で起こした大騒動と、その5年後の再訪 |
英露戦争危機 (1884)
一触即発! 横浜港で発生した英露の鞘当て |
清仏戦争・福州海戦 (1884)
明治の初め、まだろくな海軍を持っていなかった日本は、隣国への侵略に震撼していた |
中央砲塔艦と梯形配置
斜め互い違いという発想には、どういう根拠があるのか? |
地獄の番犬ケルベロス
今もメルボルンに残る ヴィクトリア植民地海軍モニターの一生 |
クィーン・メリーの爆沈 (1916)
戦闘中に爆沈した巡洋戦艦。その実相を探る |
ドッガー・バンク海戦 (1915)
巡洋戦艦の追撃戦。僚艦を見捨てるしかなかったヒッパーの苦悩 |
砲塔の生い立ちと進化 1〜6
戦艦の象徴とも言える、砲塔の発生と進化をたどる |
ポポフ中将の偉業
ポポフ中将の名を不朽のものにした、軍艦史に残る円形軍艦 |
皇帝とポポフの浮かぶダンスホール
ポポフ提督の隠れた傑作。黒海に浮かぶ皇帝の別荘リヴァディア |
合衆国軍艦ラデツキー (1918)
地中海でアメリカ合衆国の旗を掲げたオーストリアの戦艦 |
サモアの災厄 (1889)
19世紀末、帝国主義のつばぜり合いがもたらした楽園の災厄 |
キャプテンとコールズ艦長
自ら設計した艦と運命をともにした悲劇の天才 |
装甲艦時代の装甲区画の呼称について
シタデル・リダウト・ケイスメイト・ブレストワーク・バーベットの意味するもの |
ハバナ沖の戦い (1870)
ほとんど海軍が働かなかった普仏戦争で、唯一の海上戦闘とは |
ヤスムントの海戦 (1864)
世界最初の洋上における機帆装艦隊同士の海戦は、実はこれかも |
装甲艦時代の往復動蒸気機関
装甲艦誕生の頃の蒸気エンジンとは・・・後の世に残らなかった絶滅種の紹介 |
クィーン・メリーとキュラソーの衝突 (1942)
第二次大戦中に衝突事故を起こした豪華客船、その顛末 |
アームストロング後装砲
日本では幕末の頃、イギリスで新兵器「後装砲」が開発された。その実態とは!? |
誘導魚雷
高価で数の少ない魚雷を誘導すれば・・・誰しも考えることは同じ |
アレクサンドリア砲撃 (1882)
反乱に乗じた英海軍はアレクサンドリアを攻略、スエズ運河を手中に収める |
HMS ウォーリア (1860)
大英帝国海軍最初の航洋装甲艦とは、どんなものだったのか |
グロワール (1859)
フランス最初、いやさ世界最初の航洋装甲艦とは? |
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