グロワール
Gloire
Broadside Wooden Ironclad
France 1859:(Armoured Frigate)


 ここでは、世界最初の航洋装甲艦として有名な、フランスの『グロワール』を取り上げる。
 用語などについては、随時別項の『ウォーリア』を参考にしていただきたい。
 装甲フリゲイトは、フランス語では Fregate Cuirasse である。(3文字目と最後の e にアクセント記号)


Gloire side view

帆装をバーク形式に改めたグロワール


種別:木造舷側砲門艦、所属:フランス海軍、公式分類:艦隊装甲艦
建造所:ツーロン海軍工廠
起工:1858年3月4日、進水:1859年11月24日、完成:1860年8月、最終状態:1879年解体

常備排水量:5,630トン
水線長:77.88メートル・幅:16.99メートル・吃水:8.48メートル
ボイラー:楕円缶8基、主機:2気筒水平還動機関1基、1軸
出力:2,500馬力、速力:13ノット
石炭:665トン、航続力:8ノットで4,000浬
帆装:3檣バーケンチン、帆面積:1,100平方メートル、
   後に3檣バーク、帆面積:2,500平方メートル
乗員:570名

装甲:錬鉄:
水線部:120ミリ、砲甲板:110ミリ、司令塔:100ミリ
兵装:
完成時:163ミリ前装施条砲36門(M1858/60)
   :改装後:163ミリ後装砲36門
   :1865年:163ミリ後装砲12〜16門、55ポンド砲12門、224ミリ曲射砲4門
   :1868年:239ミリ後装砲6門、163ミリ後装砲2門



Gloire photo 1

左舷真横からの写真・鮮明に見えるが、だいぶレタッチがきついようだ。
 船体が白く塗られたことがあるのかどうかは不明。


概説:
 クリミア戦争での装甲浮砲台の活躍に鑑み、木造戦列艦の設計を基礎にして造られた、世界最初の航洋装甲艦である。
 設計はデュプイ・ド・ローム Dupuy de Lo^me で、直前に建造された木造機帆走戦列艦『ナポレオン』の設計を基準としているが、装甲鈑の重量を補償するため、上部砲甲板より上の船体をそっくり取り除き、船体ほぼ全体を装甲鈑で囲っている。砲数の関係から等級上は装甲フリゲイトである。
 船価は4,798,000フラン、うち装甲鈑に807,300フランが費やされた。

   砲甲板は一層で、艦首材は垂直になっているが、船体の形状は帆装戦列艦そのものである。船首楼、船尾楼を持ち、中間部分には背の高いブルワークが巡らされていた。中央部に1本の煙突が立つ。航洋性は不良で重心が高く、ロール性能も悪かったという。スクリューは4翼で固定式である。
 水線部と砲廓の全周に錬鉄による装甲鈑を張り巡らせている。本来の船体に装甲を収容するための凹みを設けていないようで、木造船体の外側に装甲鈑でできた船体を被せたような印象を受ける。

 水線装甲帯と砲廓の装甲は、上甲板から水線下2メートルまで、全長にわたる。水線部では120ミリ、砲廓は110ミリの装甲で覆われていた。船材の厚みは66〜61センチ、司令塔の高さは3.6メートルで天蓋はなく、後檣の直前に置かれていた。全装甲重量は820トン。上甲板の木材の下には10ミリ厚の鉄板が張られていたという。
 砲門は水面上2メートル弱の高さしかなく、荒天時にはロールが大きくて砲門が海水に漬かり、運用が困難だった。砲は34門が砲甲板に置かれ、2門は上甲板の追撃砲である。衝角はない。

★『グロワール』…「名誉」
 1858年3月4日発注。163ミリ前装砲は装甲に対してほとんど効果がなかったので、すぐに後装砲に換装されたが、威力はあまり変わらなかった。1865年、1868年に砲を換装している。改装後に搭載された曲射砲(howitzer)は上甲板に置かれた。

同型艦:
『アンヴァンサブル』 Invincible
『ノルマンディ』 Normandie



Gloire photo 2

知名度の割には写真の少ない船で、これは1869年撮影とされる。


解説:
●楕円缶:oval boiler
 円缶の一種で、狭いところへ押しこむため、横に寝かせた円筒形のボイラーをさらに左右から挟んで押し潰したような外形をしている。

●水平還動機関 horizontal return connecting rod engine = HRCR:
 複動ピストンから伸びるピストン・ロッドを延長し、クロスヘッドを介して折り返す形にコネクティング・ロッドを取り付けたものである。この機関の形状については、別項「装甲艦時代の往復動蒸気機関」を起こしてあるので、そちらを参照していただきたい。
 ピストンの直径は2.08メートル、行程は1.27メートル、最大回転数は毎分48.5回転とされる。スクリュー直径は5.8メートル。

 全般に情報が乏しく、最大速力の値も、汽走なのか、帆走を伴っているのか判らない。『ウォーリア』に比べれば出力が小さく遅いのだが、これでも機帆装戦列艦との行動なら問題はない。
 つまり、『グロワール』は実質的に装甲戦列艦なのである。しかし、格付けとしては砲数の関係で『ウォーリア』同様フリゲイトに属する位置にあった。

●バーケンチン、バーク:barquentine, barque (barkentine, bark)
 帆装の型式名である。本艦では帆面積が不足しているとされ、後に帆を張り増す改装を受けたのだが、いつ変更されたのかははっきりしない。本艦の横静索はブルワークの内側で船体に固定されているため、舷側はのっぺりしている。
 このページ冒頭の図はバーク帆装を示しており、バーケンチン帆装は、ここから主檣の横帆を取り除いた状態に近い。

 通常の戦列艦では、艦首に長いバウ・スプリット (斜檣) があり、その根元が実用と装飾を兼ねてかなり複雑な構造になっている。『ウォーリア』はその例に属する。一般に装甲艦では、上部重量の増加をいくらかでも減らそうと、この部分をシンプルに造ったものが多い。そのため、元々ここにあったヘッド (トイレの軍艦用語) は、艦首寄りの舷側に張り出して設けられるようになった。



sphere of armour

装甲範囲・厚みは吃水線上下で120ミリ、砲甲板部分では110ミリである。甲板装甲はない


●兵装、装甲:
 『ウォーリア』に比して砲が小さく、装甲に対する効果は期待できなかった。砲門の間隔も狭かったため、大口径砲に置き換えるにあたって装備数が激減しているし、木造船体の相当な補強も必要だったと思われる。
 163ミリ後装砲への換装は、就役後まもなく行われているのだが、はっきりした時期は判らない。1868年の時点では、砲に対して装甲が完全に不足している。
 砲甲板の砲門は片舷に20あり、ここに17門が並んでいる。前後の砲門のいくつかは空いていたはずだが、どう空いていたのかは確実ではない。前後方向の重量バランスを調整するため、随時移動された可能性があるためだ。
 残りの2門は上甲板に置かれた追撃砲で、艦首尾に各1門が両舷に砲門を持っており、移動してどちらの舷からでも発射できた。
 残念ながら、改装後の砲配置を示す図面は見つけられなかった。

  (M1858/60) は、砲の形式を表す名称である。九七式などと言うのと同じだろう。
 不思議なのは239ミリという口径で、フランスでは多用された砲なのだが、これは9.4インチでも、240ミリでもない。なぜ、このように半端な寸法が採用されたのだろうか。163ミリも半端である。

 装甲は船体の側面全体を覆っているけれども、甲板装甲はない。それでもトップ・ヘビーと鈍重さは当時でも問題にされており、けっして成功した設計とは評価されていない。
 背板に関しては、木造船体だから外板との明確な区別ができない。外見上はいかにも鎧を着たかのように、船体に段差がある。
 司令塔に天蓋がないというのは、天蓋装甲がないという意味で、屋根自体がなかったかどうかは判らない。ない可能性もあるものの、雨避けくらいは張っただろう。高さが3.6メートルというのは、視界を確保するために、2メートルほどもあるブルワークをかわす必要からと思われる。ただし、そのすべてが装甲されていたとは限らない。

 本艦の建造は、『ウォーリア』ともどもアメリカ南北戦争に先立っている。そして双方とも衝角を装備していない。これは、装甲艦時代初期には、体当たり構想そのものがなかったことを物語っていると思われる。
 古くからあった衝角戦法は、当時忘れ去られていた戦術であり、南北戦争の実戦によって再発見されたのであろう。建造の目的でも、対海岸要塞戦闘が大きなウエイトを占めるため、対装甲艦戦闘への考慮が不足したのかもしれない。

●参考までに、原型となった機帆装戦列艦『ナポレオン』 Napoleon (eにアクセント記号がある) の要目を記してみよう。

1850年進水、1876年除籍
水線長:71.23メートル
幅:16.16メートル
吃水:7.72メートル
排水量:5,040トン
帆面積:2,852平方メートル
兵装:16センチ前装砲90門



L'Austerlitz

当時の二層砲甲板機帆装戦列艦『アウストリッツ』 Austerlitz 4,430トン

 『ナポレオン』の写真が見つからなかったので代用した。
 ほぼ同時代 (1852-1872) の86門艦である。


●『グロワール』は、装甲艦を取り扱った文献では必ず出てくる名前であるものの、その後の活動などにはまったくと言っていいほど触れられていない。姉妹艦のいずれもが同じであり、そちらは名前すら出てこないのだから、このクラスがいかに使えなかったかという証左なのだろう。
 1870年の普仏戦争で、フランス海軍はプロシア沿岸を封鎖し、『グロワール』級3隻の名は、北海沿岸を封鎖した艦隊中に見られる。しかしながら、プロシア海軍がまったく不活発だったこともあり、目立った戦闘は行われていない。

 このクラスの評価が高くないのは、ひとつには砲が小さすぎ、装甲艦を相手にした場合に戦力とならなかったためと考えられる。比較的早い1868年に、砲をそれまでよりはるかに大きなものに換装したけれども、数は激減してしまった。また、120ミリ程度の装甲では、この砲に対応するだけの防御力は望めない。木造であることから、この砲の運用には船体強度上の疑問すら感じられる。
 砲が小さいのは、初期のフランス装甲艦に共通した問題で、当初から7〜8インチ (178〜203ミリ) 砲を装備したイギリスとは、先見性に大きな差があった。
 一般に木造艦は船体の腐朽が速く、船体の造り替えによる維持を図らなければならないのだが、本級はとうてい近代化に適応できず、ろくな改装もされないまま廃棄された。1870年の普仏戦争敗戦による海軍予算の削減で、役に立たなかった本級は、そのまま放置されたように思われる。

●参考文献
All the world's fighting ships 1860-1905/Conway Maritime Press
Before The Ironclad / D. K. Brown /Conway Maritime Press
British Battleships 1860-1950 / Oscar Parkes / Seeley Service
Cent Ans de Cuirasses Francais / Eric Gille / Marines Edition
The Development of a Modern Navy 1871-1904 / Theodore Ropp / Naval Institute Press
La Royale / Jean Randier / Marcel-Didier Vrac
A Popular History of the Franco-German War / Elihu Rich
Panzerschiffe und Linienschiffe / Brennecke & Hader
Steam, Steel & Shellfire / Conway's History of The Ship
Warrior to Dreadnought / D. K. Brown / Chatham Pub.



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