誘導魚雷 Guided Torpedoes |
音もなく攻撃型潜水艦の発射管を滑り出た魚雷は、ゆっくりと真っ暗な海中を進んでいく。わずかに向きを変えたその航跡には、細い糸のようなラインが残されている。
このラインを通して送られる信号に従い、魚雷はまた向きを変えた。その先には、うずくまるように身を潜めた敵の潜水艦がいる。ほんのわずかな騒音だったが、その特徴あるエンジン音は見逃してもらえなかった。
何かがいるという気配こそ感じ取ったものの、敵の潜水艦が速力を落として聞き耳を立てたときには、すでにその運命は定まっていたのだ。
また少し向きを変え、頭を上げた魚雷は、目標に突っ込むために爆発的に速力を上げるべく、最後の指令を待っている。
と、まあ、こういうのが誘導魚雷というものだろう。お好きな方には申し訳ないが、このサイトではこういう現代的な兵器は扱っていない。もっとずっと古い、骨董品と化したものが並んでいるだけだ。しかし19世紀後半に魚雷が開発され、実用化された当時、これを誘導しようとする試みは、さまざまな方法で実行に移されていたのである。
自立した動力源で推進し、航跡に繰り出す電線を伝わってくる信号によって誘導されるという、現代の誘導魚雷と原理的にはまったく選ぶところのない兵器が、今から130年も前に作られていたのだ。
いろいろな発想の、何が正解で何が誤りなのか、現在の目から過去を飛び越えて判断するだけでは、なかなかに「後知恵」のそしりを逃れられまい。ここで紹介する試みは、当時は完全に失敗に終わったものでしかないけれども、それでもその発想そのものは、決して行き止まりの道ではなかったのだ。時を経てよみがえったアイデアは、有効な兵器として実用化されている。
「正誤」の判定は、そう単純なものではない。失敗の墓標は、いつ何時、正解への道しるべに化けないとも限らないのだ。以下にその墓標をいくつか並べてみよう。資料が非常に少ないので、記述や図が曖昧なのはご勘弁いただきたい。
図で、紫色は弾頭、緑が動力源、オレンジは原動機、青色が操縦系、赤が目印である。
この他にもレイ Lay、ヴィクトリア Victoria 、エリクソン Ericson などという名称が文献にあるのだが、それらの形状については資料がない。いずれ、そう極端に形の異なるものではなかっただろう。上掲のものはどれもアメリカで開発されたのだが、ヴィクトリア魚雷はどこで作られたのか判らない。
大きさについても記述は少なく、レイ魚雷には、長さ7.62メートル、直径914ミリ、重量2トンとかという数字がある。速力は4ないし6ノット、最大射程が3,700メートルとされる。これは1872年にアメリカで試験され、後にペルーが買いこんで実戦に使った。命中するどころか、故障して自分の方へ戻ってきたそうであるが。
1873年のエリクソン魚雷は、動力源の圧搾空気をゴム管を通して外部から供給しようと考えられたもので、抵抗が大きすぎ50メートルと進まなかったらしい。
シムス・エジソン魚雷は1880年ごろの開発で、長さが6メートルとしか判らない。「誘導のために2本の旗を立て」とあるので、…まあ、そういうことなのだろう。炸薬は100キログラムだそうだから、当時の軍艦ならまずイチコロだ。
電線を通じて供給される、300ボルト、25アンペアの電力駆動で、最大射程は当然電線の長さ!であり、1,800ないし4,000メートルと幅がある。速力は初期型で9ノット、1892年には20ノットに達したそうだ。図で弾頭の直後にある緑色の大きな区画が、全部電線用リールである。改良型と思われるものの図もあるので、お目にかけよう。こちらには重量1,360キログラムという数字がある。
ノルデンフェルト魚雷は、シムス・エジソン魚雷の電池版で、電線は誘導信号だけを送るために細いものですんでいる。水上の目印は最小限の大きさとされ、発光体の光が前方に漏れないようになっていたようだ。
パトリック魚雷も引いている電線は誘導用で、これの動力は何やら得体が知れない。頭部炸薬の直後にある丸いタンクには、「炭酸ガスタンク」とあり、その直後の四角い部品には「炭酸ガス装置」とだけ記載されている。その後ろの区画は電線のリール、小さな四角は操舵装置、大きい四角は電動モーターだから、どうやって電気を起こしているのか判らない。
別な資料には、これはレイ魚雷の改良型で、動力源はアンモニア・ガス、後に硫酸と石灰に変わったとされているのだが、記述が違いすぎて妥当な推測ができない。最終型は19ノットも出たとされるけれども、どんなものだったのだろう。最大射程は2,100メートルと言われる。
ドイツでも類似のものはシーメンスが開発しており、これは通常の魚雷の形をしていて、ただ2本の棒マストが水上に突き出し、これに無線誘導用のアンテナが張ってあるという凄まじいものだ。1906年の開発とされるから、だいぶ後の世になっても同じ事は考え続けられていたらしい。
これらに共通する障害は、実用化するための最大の障壁であり、それがどうにも越えられなくて、これらはみな挫折したのである。
その障壁とは、実に単純なことなのだが、誘導するためには魚雷そのものがどこにいるのかを、操縦者自身が把握しなければならないということなのだ。水中にセンサーなど何も持っていなかった当時、これを見るためには水上に目印を立てるしか方法がなかった。
こちらから見えれば、あちらからも見えるのが道理であり、この奇妙な物体は確実に見つかることを前提にした兵器だったのである。
無誘導の直進魚雷ですら、やっと20ノットも出せなかった時代、電線を引きずったこれらが、10ノットそこそこの速力しか発揮できなかったと聞いても、誰も驚きはしないだろう。自分よりも遅い速力で、目印を曳きながらノタノタと進んでくる魚雷に、誰が好きこのんで目標を与えるだろうか。洋上を行動中の船に対して、これが無力なのは考えるまでもあるまい。
また、複雑な形態の誘導魚雷は、発射管のような単純な仕掛けでは扱えない。高い位置から水面に落とせば、簡単に壊れてしまうだろう。これらはボートを降ろすのと同じように、デリックなどで吊り上げ、そっと海面に降ろされたのである。当然、発射する軍艦は停止するか、ごく低速にまで速力を落とさなければならない。上掲の写真は陸上からの「発射?」風景だが、フネから発射するときも多分似たようなものである。実戦で使えると考える人はいないだろう。
はて、では、こんなものをいったい何に使うのだろうか。
現代の船しか知らず、また船の行動能力を自動車のそれと混同している人には、この兵器の実力は理解できないに違いない。船は、それも石炭を燃料にし、ボイラーで蒸気を作って推進する船は、ボイラーに火を入れ、蒸気を作って行動を起こすまでに最低でも数十分、通常は2時間も3時間もかかったのである。座ったアヒルは、簡単には立ち上がれなかったのだ。
いくら相手が低速でも、動けないからには近づいてくるものから身をかわすことはできない。錨に繋がれたまま、空高く吹き飛ばされることになる。錨鎖を切ってみたところで、風と潮に流されるだけでは逃げ切れはしない。
つまりこれは、夜陰に紛れて停泊している敵艦に近づき、動けない相手に奇襲をかける戦法を考えて作られたのである。もちろん、敵艦の自由な行動が妨げられるシチュエーションでありさえすれば効果のある兵器だから、港へ侵入してくる敵艦への備えにも有効と考えられた。港湾防御用の機雷が、動かせるようになったと捉えれば理解しやすい。
この種の誘導魚雷のひとつブレナン Brennan 魚雷は、1882年にイギリス「陸軍」に採用されている。能書きには、もし当たらなかった時には、そのまま発射地点まで戻ってこさせることができ、魚雷が無駄にならないとある。しかし…
これは魚雷内部のリールに巻き取られた2本のワイアを陸上の動力機械と繋ぎ、機械でこれを引っ張ると魚雷の中のドラムが回転し、二重反転プロペラが回るというシロモノだった。動力装置が非常に大掛かりなため、船には積みようがなく、陸上装備となったらしい。
2本のワイアを引く力を変えると魚雷内部のドラムの差動となり、これが操舵装置に連結していて向きが変えられるというのだが、どういう原理なのか理解に苦しんでいる。図は、「何かが違っている」と思われるものの、どこが違うのか解らないのだ。
最後に、これの模式図を掲載しておく。ほぼ原典通りに描いたつもりだが、仕組みが完全には理解できていないので、とんでもない間違いをしているかもしれない。
●参考文献
・Torpedobewaffnung / Schiffner,Dohmen,Friedrich / Militarverlag der Deutschen Demokratischen Republik
・La Royale: L'Eperon et La Cuirasse / Jean Randier / Editions Marcel-Didier Vrac
・兵器沿革図説 / 有坂(金召)蔵 / 原書房
・世界の艦船1976年11月号・第233集 / 海人社
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