ライバル・満身創痍・3
The Rivals : Wounded all over
SMS Seydlitz and HMS Lion





◆ジュットランド海戦:1916年5月31日〜6月1日
 海戦の全体図については省略するが、『ザイドリッツ』は、この海戦では第一偵察部隊旗艦の地位を新鋭の『リュッツオー』に譲っており、艦隊の3番艦として戦列に加わっている。終始激しい戦闘を続け、夜になってイギリス艦隊の追及をかわし、安全地帯へ到達する頃には累積した損害から艦首への浸水が大きくなり、行動能力は自力航行の限界にまで小さくなっていた。
 最終的に大口径砲弾21発、魚雷1本の命中を受けて戦闘能力はほとんど消失し、まさに瀕死の状態だった。艦隊の帰着から数日遅れて母港へ到着したため、イギリスは当初、本艦が沈没したものと考えている。

 『ライオン』はこの海戦に巡洋戦艦艦隊の旗艦として参加し、ビーティ提督の指揮の下、終始艦隊の先頭にあって戦闘を主導した。初期には激しい砲撃戦を行い、かなりの損害を受けたのだが、後半期では前方に出すぎて後ろに敵を見る形になり、夜の闇のためにこれに気付かず、あまり激しい戦闘は行っていない。主砲塔に大損害を受けたものの、機関部には大きな損傷もなく、最後まで戦闘力、行動力を失わなかった。
 では、それぞれの損傷について、詳しく記述していこう。写真などとの照合用記号はこれまでのものを踏襲し、Jがジュットランドを意味する。残念ながらイギリス側の公表写真は極めて少なく、損傷の生々しい写真はほとんど見られない。




1916.05.31 hit-01

写真SJ-01:右舷艦橋横、副砲砲廓の直前に『クィーン・メリー』の13.5インチ砲弾が命中した。

わかりにくいが、写真の右端上下中央付近から、左下へ向かって砲弾の進入路が矢印で書き込まれている。砲弾は写真左寄り、下の甲板へのラッタル上端付近で炸裂し、甲板に大穴を開けているものの、舷側の破口は小さなものでしかない。正面の壁は穴だらけだが、150ミリの装甲壁のはずである。もし薄い隔壁なら、吹き飛んで大穴が開いているはずだ。



『ザイドリッツ』
 『クィーン・メリー』、『タイガー』、『ウォースパイト』、『コロッサス』などと戦闘、28センチ砲弾376発を消費した。そのうち少なくとも10発を命中させたとみられる。『クィーン・メリー』に4発、『タイガー』、『ウォースパイト』、『コロッサス』に各2発ずつ命中させたようだ。他に15センチ砲弾450発も発射している。
 以下に被命中弾の詳細を時間順に記す。本艦は三段のブロークン・デッカーであるため、ここでは艦尾まで全通した露天甲板を上甲板、中央部の舷側砲塔がある甲板を船首楼甲板、艦首A砲塔のある最も高い甲板を最上甲板と呼ぶ。

◆南行戦:15時48分から16時54分頃まで
 以下の01から04は、直接の対戦相手だったイギリス巡洋戦艦『クィーン・メリー』が発射した砲弾の命中したものである。すべて右舷側からの被弾。
★SJ-01:15時55分頃 (写真参照)
 右舷舷側上部、最前部15センチ砲の前方で、副砲の射界を開くために切り欠かれた部分に命中した。この部分では砲廓の装甲壁延長部が斜めに置かれて横隔壁を形成しており、舷側外板との間に三角形平面の空間がある。砲弾はここを前進して砲廓装甲鈑の直前、25ミリの上甲板直上で爆発した。舷側の破口は砲弾直径だけに近い小さなものだが、炸裂点の甲板には3メートル四方の穴が開き、周辺構造に大きなスプリンター被害があった。




1916.05.31 hit-02

写真SJ-02:後部C砲塔右舷側の被弾痕

バーベットの中ほど、黒く汚れている右端にほぼ円形の穴があいている。砲弾は貫通していないが、装甲鈑はスプリンターとなって砲塔内部を破壊した。砲弾がバーベットに接して爆発したため、前方のラッタルが爆風で曲がっている。バーベット手前に転がっている円筒形のものは主砲弾の薬莢。



★SJ-02:15時57分頃 (写真参照)
 射程13300ないし13700メートルでC砲塔のバーベット露出部右舷側、上甲板から2メートルほどの高さで装甲鈑の継ぎ目近くに命中し、貫通はしなかったものの230ミリの装甲に食いこんで爆発した。弾片とスプリンターが砲塔内へ飛びこみ、換装室にあった2発分の装薬が誘爆している。旋回装置、俯仰、揚弾装置が破壊され、砲塔は戦闘不能となったが、下部弾薬庫への誘爆はまぬかれ、損害は砲塔1基にとどまった。この砲塔は帰港するまで動かせず、右舷90度方向を向いたままになっている。
★SJ-03:16時00分頃
 中央部舷側直前の水中で爆発した。長さ12メートルの舷側区画に浸水している。
★SJ-04:16時17分頃
 右後方から飛来し、右舷副砲砲廓最後部後面へ斜めに命中。射程は16500メートル。右舷の第6副砲が使用不能となった。

 16時26分頃、本艦が目標としていた『クィーン・メリー』へは、『デアフリンガー』も30.5センチ砲弾を浴びせており、挟叉して速射状態になったときには、前の水柱が消えないうちに次の斉射が着弾する状況になったと思われる。この猛攻を受けた『クィーン・メリー』は、艦首弾薬庫に大爆発が発生して轟沈し、『ザイドリッツ』艦内は凱歌に包まれた。目標はすぐに『タイガー』へ移されたものの、ほどなく後方から追いついてきたイギリス第五戦艦戦隊の射程に入ってしまう。
★SJ-05:16時50分頃、第五戦艦戦隊の発射した15インチ砲弾
 艦首最上甲板、舷側近くを貫通して炸裂。船体に多数の破口を作った。これと (01) の命中弾は、海面から高い位置に命中したため浸水を発生していなかったのだが、後に艦首が沈下した際、止めどなく浸水を拡大する原因となっている。




1916.05.31 torpedo hit

写真SJ-T:A砲塔右舷側の魚雷命中痕

4月24日の触雷点よりやや後方で、ほぼ艦首砲塔の真下になる。弾薬庫へは漏水したが、発射管室へは浸水しなかった。写真では一部の舷側装甲鈑が押し込まれ、上部で水雷防御網が垂れ下がっているのがわかる。破壊状況は4月24日の触雷より軽いように見える。



★SJ-T:イギリス駆逐艦『ペタード』 Petard もしくは『タービュレント』 Turbulent が発射した53センチ魚雷 (写真参照)
 A砲塔付近の右舷側に命中。12メートル×4メートルの破口を穿った。長さ30メートルほどの舷側区画と炭庫に浸水。水雷防御隔壁は変形して漏水し、水柱で右舷第1副砲が押し上げられ、架台が破損して使用不能となった。これは4月24日に触雷した部分よりやや後方で、魚雷発射管室は損なわれておらず、ここがドライに保たれたことが本艦を救ったと言えるだろう。




1916.05.31 hit-06

写真SJ-01,-05,-06:艦首右舷側の状況

写真右寄りの舷側にできた大破口は、どうやらSJ-05とSJ-06の二つの穴が複合しているようだ。A砲塔に天蓋と砲身がないのは、被害ではなく重量を減らすために取り外したもの。写真左端、B砲塔砲身下の舷側で、並んでいる舷窓の一番左に、やや大きく不規則な形状の穴があるのが、SJ-01の砲弾侵入口。
 艦橋上部海図室の両側にある軽構造のウイングに人影が見えるが、右舷側に見える下段のウイングは歪んでいるように見える。この付近にも命中弾の記録がある。左舷側の下段ウイングは見えないけれども、ウイングそのものが煙突脇を後方へ伸びているためで、欠落しているかはこの角度からではわからない。



◆北行戦:16時54分頃から18時15分頃まで
 シェーアのドイツ艦隊主力を南方に発見したビーティが、艦隊を180度回し、北北西へ向かって撤退する。ヒッパーはこれを追って艦隊を回したが、ちょうど突撃してきたイギリス駆逐艦の魚雷攻撃を受け、前記の魚雷命中はこの旋回中に起きた。
 ビーティはジェリコーのグランド・フリートへドイツ艦隊を誘引するため、射程ギリギリ付近を北上しつつ、北、さらには北北東へ針路を変えて逃げるのだが、イギリスの基地は西ないし北西の方角であり、この異常な逃走方向に対して、なぜかドイツ艦隊は大きな疑問を持たなかったようだ。ヒッパーはこれの東側をほぼ並行する形で追跡しているが、ビーティ艦隊からは後落しており、主たる戦闘相手は15インチ砲を装備する第五戦艦戦隊だった。

★SJ-06:『バーラム』もしくは『ヴァリアント』の発射した15インチ砲弾 (写真参照)
 艦首から20メートルほどの位置で、最上甲板を左舷側から貫通。右舷側外板のすぐ内側で炸裂したため、右舷舷側に3メートル×4メートルの大破口を作り、船首楼甲板にも1.8メートル四方の穴を開けた。多数のスプリンター破口ができ、やはり後の浸水を拡大した。帰港後にドックへ引き込まれた状態の写真で、最も目立つ破口である。(05)の破口が、これと重なっているようにも見える。
 この破口も、通常であればまったく浸水とは縁のない位置なのだが、艦首が沈下するに従い、海面に近付いて浸水の原因となってしまった。こうした破口から次々に新たな浸水が発生するため、応急処置は間に合わず、状態は悪くなるばかりだった。

 以下、07から11は、第五戦艦戦隊の『バーラム』もしくは『ヴァリアント』が発射した15インチ砲弾である。すべて左舷側からの命中。
★SJ-07:
 (06) の6メートルほど後方、左舷舷側に命中。薄い外板を貫通した直後に炸裂し、上甲板に1.8メートル四方の破口を作った。船首楼甲板の破口は6メートル×7メートルほどである。
★SJ-08:17時10分頃に命中 (写真参照)
 右舷側にあるB砲塔の右前盾、250ミリの装甲鈑に直撃した。射程は17400メートルとされる。砲弾は貫通せず、鈑面で爆発して大半の弾片は舷外へ飛んだが、装甲鈑に穴があいて破片と一部の弾片は砲室内へ入り、右砲の俯仰装置を壊した。これは、左砲と連結することで俯仰が可能となっている。爆煙が砲塔内へ侵入したため、乗員は一時砲塔外へ退避し、機関室からの圧搾空気の供給により砲塔内を換気して戦闘を続行している。命中場所の至近にいた砲塔員1名が戦死した。
★SJ-09:
 前マスト付近の舷側水中部分に命中、爆発した。爆発が舷側炭庫内であったため、弾片の大半は石炭によって運動エネルギーを失い、大きな被害にならなかった。




1916.05.31 hit-08

写真SJ-08:右舷B砲塔前盾の被弾痕

一見致命的だが、砲弾は貫通しておらず、破片が砲室内へ入って一人を戦死させ、一部機器を破壊したものの、砲塔はなお戦闘可能だった。穴の周囲が放射状に黒く汚れているのは、砲弾がここで爆発したことを示している。完全に炸裂したのではなく、破砕して不全爆発したのではないかと思われる。



★SJ-10:(写真参照)
 艦首舷側の120ミリ装甲鈑上端に命中。艦内へ入ってキャプスタン軸に接して爆発し、上甲板と主甲板の5メートル×7メートルの範囲に破口を作った。
★SJ-11:
 (10) より前かもしれない。左舷の巻き上げ機に命中。爆発して最上甲板と船首楼甲板に大破口を作った。

 (10) と (11) に関しては、損害の判定が重複している可能性がある。(10) の命中弾は装甲貫通後、キャプスタン軸へ横向きにぶつかり、ここで破砕されて炸裂しなかったとする資料がある。大弾片が下方の装甲甲板を突破すると同時に、別な弾片が反対舷の装甲鈑へ裏から当たり、これを数センチほど押し出して取り付けボルトを緩めたため、ここから浸水が発生したとしている。
 これらや (07) の破口は、砲弾が内部で炸裂したため外板の破損は小さくても内側では広範囲に損傷があり、あたかも内部の床や壁がなくなってしまったかのような状態になった。それゆえいったん内部に浸水すると、外部破口のある場所へ近づけなかったり、損傷のない船体下部へ入っていかれない状況になっている。扉のない水密横隔壁が逆に災いして、防御甲板以下での横連絡はできない構造なのだ。




1916.05.31 hit-10

写真SJ-10:船首楼内の破壊状況

吹き飛ばされて甲板の残っていない上部の梁にドイツ語で「砲甲板」と書き込まれているが、単純に受け止めれば副砲砲廓のある甲板、本文中での上甲板を指していると思われる。破壊はかなり広範囲で、上からは外光が入っており、少なくとも甲板3枚は吹き抜けてしまっている。縦のシャフトはキャプスタンの軸。写真奥の壁が傾いており、舷側にフレアのある部分だと判断できる。ここに浸水したのだから手の付けようがない。



◆第三巡洋戦艦戦隊との戦闘
 17時55分頃に、航法ミスからビーティ艦隊とすれ違いかけていたグランド・フリートの前衛、第三巡洋戦艦戦隊の3隻が、突然ヒッパー艦隊の東側に出現し、奇襲的な射撃を浴びせてきた。
★SJ-12:『インドミタブル』の発射した12インチ砲弾と思われる
 後部の300ミリ舷側装甲帯に命中。大きな振動があって遠隔操舵機の連結が外れ、しばらくの間、艦橋からの直接操縦ができなくなって舵機室での操舵が行われた。

◆グランド・フリートとの戦闘
 ドイツ艦隊の北側に展開したグランド・フリートが、東側へ回り込みつつ南下し、これに対してシェーアの突撃命令を受けた第一偵察部隊が、決死的攻撃を行ったときの損害。19時10分から23分頃に発生している。
★SJ-13:『ハーキュリーズ』の発射した12インチ通常弾
 左舷側から後部の上部構造を貫通。舷外へ出たところで爆発した。
★SJ-14:『ハーキュリーズ』の発射した12インチ通常弾 (写真参照)
 (13) より前かもしれない。左舷中央部の水雷防御網もしくは格納棚に命中。装甲鈑に損害はなかったものの、広範囲の水雷防御網が垂れ下がった。装甲帯下の船体にも損傷があり、長さ12メートルほどの舷側区画に浸水した。




1916.05.31 hit-14

写真SJ-14:左舷中部舷側への12インチ砲弾の命中痕

砲弾が水雷防御網そのものか、その至近に命中し、かなり広範囲に網の棚が破壊され、網が垂れ下がっている。一部に足場が組まれるなど、それなり修理作業が進んでいるようだが、まだズタズタになった網が外されていないのはなぜだろうか。



★SJ-15:19時14分頃、『セント・ヴィンセント』の発射した12インチ徹甲弾
 おそらく跳弾。左舷側から船首楼舷側と船首楼甲板を貫通。艦橋下の排水口に入って爆発した。爆発は病室を破壊し、大きなスプリンター被害を発生して、後に左舷側の炭庫が次々に浸水する原因となった。
★SJ-16:19時14分頃、『セント・ヴィンセント』の発射した12インチ徹甲弾 (写真参照)
 使用不能となって右真横方向を向いていたC砲塔の背面装甲鈑下端に命中。装甲鈑は半円状にかじり取られた。爆発の影響は砲塔内に及び、装填準備位置にあって露出していた装薬に引火した。破片はさらに砲塔外側の上甲板を貫いている。




1916.05.31 hit-16

写真SJ-16:右真横方向を向いているC砲塔後盾への命中痕

装甲鈑の下端に命中し、その場で爆発したようだ。砲塔内部に装薬が残っていたらしいが、内部が破壊されて、外へ出す手段がなくなっていたのかもしれない。



★SJ-17:19時23分頃、『ロイアル・オーク』の発射した15インチ砲弾 (写真参照)
 左舷E砲塔右砲砲身に命中。砲身が破損した。衝撃で砲塔の照準装置が壊れ、破片で左舷第5副砲も使用不能となった。砲塔全体が故障したかの記述はないのだが、海戦後しばらくは砲塔が横を向いたままになっているから、戦闘できない状態だったのだろう。さらに後の写真では定位置に旋回しているので、応急修理によってある程度は回復したと思われる。もちろん、破損した砲は発砲できない。
 この砲身は前後部を切り落とした状態で記念品として保存され、ヴィルヘルムスハーフェンに展示されていた。連載時に情報を提供してくださった読者により、10年ほど前の存在が確認されているので、現在もまだそのままなのだろう。古い写真とだと展示状況が変わっているようである。




1916.05.31 hit-17

写真SJ-17:E砲塔右砲に15インチ砲弾が直撃した

砲身の一部が削り取られているが、これだけの衝撃があるとたいていは内側にも膨らみができてしまい、発砲できなくなる。砲塔は正規の繋止位置には止まっていない。砲身の下に積み上げられた円筒形の物体は、おそらく装薬缶。薬莢ではないので副装薬だろう。水兵の背中にあるのが横を向いたC砲塔。



◆薄暮戦:20時以降
 以下の18から22は、20時24分から30分にかけて命中した。艦隊一斉回頭によって敵から離れたドイツ艦隊が、基地へ向かって南下しつつ、東側を並行するイギリス艦隊と散発的な戦闘を行っている。
★SJ-18:『プリンセス・ロイアル』の発射した13.5インチ砲弾 (写真参照)
 左舷第4と第5副砲の間で、砲廓の150ミリ装甲鈑に命中して炸裂。爆発は内部に及び、15センチ砲1門が破壊され、即応弾薬1発分の装薬が誘爆した。15センチ砲の指揮系統が破壊されている。
★SJ-19:『プリンセス・ロイアル』の発射した13.5インチ砲弾
 艦橋上司令塔近くへ命中。炸裂した。これにより司令塔要員に被害はなかったが、海図室や非戦闘舷で待機していた信号員に多数の死傷者が発生している。
★SJ-20:20時28分頃、『ニュー・ジーランド』の発射した12インチ砲弾
 艦尾D砲塔の天蓋右後部へ命中。70ミリの装甲鈑に跳ね返され、1メートルほど離れたところで炸裂した。砲塔天蓋がへこみ、このため天蓋内側に導設されていた電力線が破断し、いくつかの機器が天蓋のフレームから叩き落されて、砲塔は使用不能となった。
★SJ-21:『ニュー・ジーランド』の発射した12インチ砲弾
 300ミリの舷側装甲帯上端付近に命中。炸裂、もしくは破砕した。装甲鈑は損傷したが脱落せず、長さ10メートルほどの範囲で炭庫に浸水した。射程は8700メートル。
★SJ-22:『ニュー・ジーランド』の発射した12インチ砲弾
 (21) よりも前かもしれない。水線装甲帯と上部装甲帯の境目に命中、貫通したところで爆発した。若干の装甲鈑が破損している。




1916.05.31 hit-18

写真SJ-18:左舷中央部、副砲砲廓に命中した砲弾の痕跡

見えにくいが、黒く汚れた中心にぽっかりと穴が開いている。砲弾は貫通しなかったらしく、爆発痕は装甲鈑の表面で爆発したことを示している。ちょうど後煙突の真横で、右側に見えるのは左舷のE砲塔。
 その下に見えるのも砲弾の命中痕で、(SJ-22) ではないかと思われるが確実ではない。



 日没を迎え、第一偵察部隊は基地を目指して行動することになった。以後ほとんど戦闘は行っておらず、損傷も発生していない。
 ここまでの記録で『ザイドリッツ』には、合計22発の大口径砲弾が命中したことになってしまうけれども、命中した大口径砲弾を22発としている資料もあり、21発としているものではおそらく (SJ-03) が、被害はあっても命中には算入されていないと思われる。この他には4インチ砲弾1発、6インチ砲弾1発が戦闘の初期に命中しているが、装甲帯に当たったもので被害はなかった。
 それ以外では、前部砲塔で射撃の爆炎が揚弾機を通して換装室へ入ったとされており、これはまったく初めての経験だったと記録されている。この戦闘での死傷者は、戦死98名、負傷55名である。

 5月31日21時の時点で、『ザイドリッツ』には2636トンの浸水があったと計算され、右に2.5度傾斜、艦首吃水は2.5メートルほど増加し、逆に艦尾は1メートルほど浮き上がっていた。それでもまだ22ノットが可能で、艦隊に加わっている。
 その後速力は20ないし21ノットに落とされたが、これは機関の回転数からの推測なので、抵抗も増えており、実際には18から19ノットくらいだっただろう。やがて夜になったために第一偵察部隊は分散してしまい、『ザイドリッツ』は単独で基地を目指した。

 艦首部では破損していない防御甲板以下の区画にも、電線の貫通孔、伝声管、穴のあいた換気口などから浸水が拡大している。上部が全滅して交通路が確保できないので、破損していない船体下部に溜まった海水を排除する方法がなくなり、小さな漏水を止める手段がないまま、区画は次々に満水していった。
 人が入ってポンプを運び込み、動力が確保されれば問題なく排水できる浸水速度でも、入っていくことができないと手立てがなく、見ているだけになってしまう。

 ホルンス・リーフ灯船に到達したのは6月1日午前4時のことで、明るくなった5時40分には、はぐれていた艦隊に復帰している。しかし浸水はとめどなく増大し、15ノットの艦隊速力にも追従できなくなって、速力は10ノット、さらには7ノットにまで低下した。軽巡洋艦『ピラウ』が随伴して先導したが、とうとう後進で5ノット、3ノットにまで能力が低下している。
 やがて救援のポンプ船が接舷し、最前部の副砲砲廓から排水を行いながら、6月3日午前3時25分になって、ようやくヴィルヘルムスハーフェンに到着した。このときの浸水量は5329トンと計算され、艦首吃水は14メートルを越えていた。艦尾吃水は7.4メートルほどで、左舷に8度傾斜している。もし、うねりのある外洋でこれだけの損傷が発生したら、まず助かる可能性はない。

 投錨後ただちにA砲塔の天蓋と砲身が外されたが、まだ吃水が深すぎて閘門に入れず、6月6日の大潮を利用して入港した。修理が完了したのは9月16日のことである。




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