翼をなくした大鷲
CSSヴァージニア物語・第十五章
Unflyable Eagle: CSS Virginia stories 1862




President Davis

アメリカ南部連合大統領 ジェファーソン・デイヴィス

Jefferson Davis, President of the Confederate States of America



第15章

 『ヴァージニア』の残骸が、そも誰のものであるのか、論争はそこから始まった。
 海軍は自分たちのものだと言い、陸軍はそもそも放火した時点で放棄しているのだから、基本的な所有権はこれを再建造した南軍側にあり、戦利品として現物を押さえた陸軍に回収権があると論じている。ワシントンは結局、これを海軍の所有物と裁定した。
 それでも、戦争が終わった1867年春まで、『ヴァージニア』の残骸はほとんど手つかずのままだった。一部の好事家や地元の人間が、小遣い稼ぎや記念品目当てに若干のものを持ち出した形跡もあったが、重く、大きな機械類や装甲鈑は、個人の素潜りでどうにかできるものではない。
 最初にこれの回収を請け負ったのは、地元ノーフォークのブラウン・モルトビィ社 Brown, Maltby & Co. で、彼らはまず、エンジンとボイラーを引き上げる。さらに、元の『メリマック』だった部分の木材が一部回収され、セント・メアリ・カトリック教会の婦人部が、この一部を入手した。彼女たちは、この木材で『ヴァージニア』の記念品を作り、これを賞品として、宝くじを販売したのである。

 宝くじは完売し、とある土曜日に抽選会が行われた。儀式ばった式次第が進められ、厳粛な雰囲気の中で次々に当選者が決まる。最後に一等の抽選が行われ、見事当たりくじを持っていたのは、会場に来ていた一人の農夫だった。思わずくじを頭の上に掲げた男は、自分のくじの番号を何度も当選番号と見比べている。
 農夫は信じられないというふうに首を振っていたが、やがてシスターに促され、壇上に上がらされた。おどおどと周囲を見回し、喝采を浴びると慌てて逃げだそうとしたものの、押し留められてリボンの付いた記念品の楯を渡される。
「当選者は、ノーフォークのジョン・オレンジ氏です! おめでとうございます!」
 彼は促されて楯を高く掲げ、さらなる喝采を浴びて気を失いかけている。よろめくように壇から降りると、一人の紳士が近付いてきた。
「ミスター・オレンジ、ちょっとお話があるのですが」
「はあ? どなたでしたっけ」

「はじめまして、私、ライトと申します。怪しいものではありませんよ。あなたが今、手に入れられたその記念品、『ヴァージニア』の楯について、少々ご相談があるのです」
「なんですか?」
 ちょっと訛りのある、いかにも朴訥とした農民は、いくらか警戒するように、受け取ったばかりの楯を持つ手に力を込めた。
「シスター・ブレンダ……オレンジさんに、私が変な男ではないと証明してくれませんか」
「あら、そうねえ、お二人は初めて?…そうですか。オレンジさん、このライトさんは、教会へもしげく足を運んでくださる、立派な紳士ですのよ。お話は、その楯をどうなさるのかってこと」
 彼らの間では、事前に話はできあがっていたらしい。
「オレンジさんは、その楯をどうなされるお積りかな」
「いやあ、別に考えてはおらなんだがね、暖炉の上にでも飾ろうかと」

「それがあなたにとってどういう意味があるか、私には判りませんが、その楯をよりふさわしい人に渡し、その引き換えとして、あなたに大きな名誉をお渡しできると考えているのですよ」
「…いくらだい?」、オレンジは怪訝そうに尋ねる。
「売るのですか? そういう問題ではありません。あなたに、普通では経験することのできない出会いを用意しますので、その楯を持って、一緒にいらしていただけないかということなのです」
 楯が金に換えられるわけではないし、持っていても御利益以上のものはないだろうから、ライトの話を聞いたオレンジは、その言わんとするところを理解すると相好を崩し、二つ返事で承諾した。新しい服が要るかね。ドッドさんに借りればいいか。女房や子供たちも一緒でいいのかね。いや、これはなかなか。

 数日後、ライトは蒸気ランチをチャーターしてきた。精一杯めかしこんだオレンジと彼の家族を乗せ、波止場でチェックを受けると、ランチは滑るように走りだす。行く先はハンプトン・ローズの対岸、モンロー要塞。
 この要塞は、戦争が終わった後、その一部を刑務所として使われており、特別な囚人が収容されていた。ライトはコネを持っていて、ここにいる囚人との面会許可を取りつけていたのだ。
 要塞の下へ着いたランチの一行は、再び検査を受けると、兵士に案内されて刑務所の入口へとたどりつく。子供たちはいかめしい建物に圧倒され、母親のスカートにしがみついている。

「腹が痛くなってきたよ」
「そう緊張なさらんでもいい。話は全部ついているから、言われた通りにすればいいんだ」
「んだけど…」
 刑務所とは言っても、それほど厳重な警備は行なわれていない。広場の中へ入っていくと、一方の端に一人の男がたたずんでいた。護衛の兵が数人、その背後に立っている。ライトはかまわず近寄っていく。
「デイヴィスさん、お久しぶりです。お元気そうでなによりです」
「ライト君、久しぶりだね。皆さんご健勝かな」
「お陰さまで。…こちらはノーフォークのジョン・オレンジ氏です」
「は…はじめまして、ジョン・オレ…オレンジです」
 不器用に楯を両手で突き出したオレンジの前に立っているのは、誰あろう南部連合の元大統領、ジェファーソン・デイヴィスその人だった。

「この楯は、先の戦争で沈んだ、装甲艦『ヴァージニア』の船体の一部から作られたものです。彼は、ヴァージニア州民を代表して、ミスター・デイヴィスにこれをお渡ししたいと、本日まかりこした次第です」
「それはそれは…ほう、これはありがたい」
 どれほど立派な細工物でもないが、地元ノーフォークの人々は、戦いに敗れ、反乱者の汚名を着せられた元大統領に、いまだ厚い敬愛の情をいだいていると、ライトは述べた。
 いくらか形式ばってはいたけれども、デイヴィスは丁重に礼を言い、ゴツゴツとした農民の手をとって、しっかりと握手を交わす。彼の妻や子供たちも、一度は大統領と呼ばれた人と親しく言葉を交え、手を握り合った。

… * …


 主な機械類の回収を終えた会社は、通航船舶の障害にならないようにと、残余の船体に爆薬を仕掛けた。しかし、水中にある物体を単純な爆発で破壊するのは困難であり、水面上に見える部分はなくなったものの、船体の大半はそのままの形で残された。

 1868年1月の報道によれば、アンダーダウン艦長 D. A. Underdown という人物が、『ヴァージニア』の衝角であるという6トン (13,000ポンド) の鉄塊を手に入れており、それをサウンダーズ&ブルックス船舶用品店 Ship Chandlery of Saunders & Brooks に渡したということである。
 フィラデルフィア、ボストン、ボルティモアの団体が、それぞれこの鉄塊に興味を示し、入札の結果ボルティモアが入手している。

 1929年のブキャナンの伝記によれば、この鉄塊はボルティモアへ運ばれ、数年前までアシュランド通りの歩道に放置されていたとされる。海事博物館にある古い写真には、レンガ道に横たわる鉄塊が写っている。写真の背景から、それがボルティモアであることは明白だ。
 これは鉄屑として処分されるはずだったけれども、地元の有志がこれを買い上げ、現在はスミソニアン博物館のコレクションになっている。

 アンダーダウン艦長は、他に推進軸の一部と、若干の機械類、装甲鈑、艦尾部材をも回収していた。1868年2月4日付のヴァージニア新聞では、5トンの重量がある推進軸は、海軍工廠に運び込まれて切断され、スクラップとして処理されたという。
 これらの回収が終わったところで、アンダーダウン艦長は残った船体に爆薬を仕掛け、『ヴァージニア』は3度目の爆破を受けることになった。それでもなお、強固な船体は水中に残り、皆の記憶の隅に引っ掛かったまま、時を過ごしていく。

… * …


 1874年10月22日付けの新聞は、『プラネット・マーズ』 Planet Mars というスクーナーが、『ヴァージニア』の残された推進軸に触れ、船体を傷つけられたと報じている。
 これを受けて、船舶サルベージ会社であるB & Jベイカー社 B & J Baker は、『ヴァージニア』の残余の船体を完全に回収すると宣言した。この会社は、まさにゴスポート工廠で『メリマック』の船体を引き上げ、『ヴァージニア』への改造に貢献した、そのものの会社である。
 ポーツマスの古物商オコーナー John O’Conner は、B & Jベイカー社から若干の銅パイプやボルトを譲り受けると、これを融かして記念品を製造し、販売するよう、フィラデルフィアの会社と契約した。

 1875年夏、回収は地元のダイバー、ウィリアム・ウェスト William West へ委託された。同年7月28日の地元新聞には、彼が2門の砲と若干の金属を回収したと報じられている。彼は根気よく作業を進め、翌1876年5月30日には、船体のかなりの部分を引き上げることに成功した。
 残っていた船体は、バージに乗せられてゴスポート工廠の乾ドック、まさに『ヴァージニア』が改造された、その場所へ引き込まれた。
 船材の大半は腐食しており、使いようもなかったが、使用に耐える部分は選別、回収され、『ヴァージニア』の記念品に加工された。6月2日付の新聞は、この状況を報じ、使用に耐える木材は記念品として販売されるので、希望する人はすぐにウェスト氏と連絡を取るべきだと書いている。

「お父さん、どこへ行くのさ」
「ゴスポートだ」
「船に乗るの? やったあ、それなら僕も連れてってよ! 僕、船が大好きなんだ。メアリーもいくだろ?」
「やれやれ、お祭りに行くわけじゃないんだがな。…しょうがないなあ」
 子供たちはもう、すっかりお出かけの気分だ。こうなってしまっては置いていくわけにもいかない。
 元南軍の兵士で、『ヴァージニア』に乗ったことはなかったけれども、その勝利をスウェルズ岬の砲台から見ていた父親、テッド・ディクソンにとって、『ヴァージニア』は特別な軍艦だった。
 家族を守るために志願して砲台に赴いたテッドだったが、自身は部隊のノーフォーク撤退に伴い、是非もなく家族と離ればなれになって、ジェームズ川沿いの要塞を転々とした。残された家族は心配だったけれども、ノーフォーク占領の頃には北軍兵士もまだ穏やかで、後のアトランタのような悲劇は生まれなかった。血で血を洗う戦いは、人間を変えてしまう。

 それでも、家族では弟が戦死しており、裕福だった家はずいぶんと財産をなくしている。戦争が終わり、捕虜の立場から解放されて故郷へ戻れば、途中の焼き払われた町とは違い、ノーフォークはほとんど昔のままに見えた。
 しかし、ゴスポート海軍工廠が実質的に消滅したことと、北部の人間が入り込んできたために、町の内部は大きく様変わりしていた。すぐに幼なじみのエリザベスと結婚、生まれたフランクリンも、もう9歳になる。妹のメアリーは7歳だ。まだ幼い下の子たちと妻を残して、テッドは二人の子の手を引き、フェリーに乗ってゴスポート工廠、いや、その跡地を見に行く。

 古いドックの周囲には露店が立ち、ドックの見える場所へ入るには入場料を取られる。なんだ、まるでお祭りじゃないか。子供たちは期待に胸を膨らませている。
「大人一人と、子供が二人だ。…盛況だね」
「おかげさんで。旦那さんは、元兵隊さんかい?」
「ああ、3月8日に『ヴァージニア』が勝つのを、この目で見たもんだよ。岬の砲台にいたんだ」
「そうですかい。それからご苦労なさったんでしょうな」
「どうかな。死んだ人に比べれば、どうというほどでもないだろ」

「お身内は皆さんご無事で?」
「いや、弟は戦死した。どこか、西の方の荒野でね。どこで死んだものだか、遺体も帰ってこなかったよ」
「いろいろと大変でしたからね。はい、切符をどうぞ。…いや、これは受け取れませんて。私のような賎しい者でも、勇者を遇する礼くらいは心得てますよ。…ご心配なく、ウェストの親父だって、南軍の兵隊さんから金を取るなくらいのことは判ってますって。あの人、始めっから稼ぐ気なんか全然ないんで、こいつの引き上げだって気概で引き受けたようなもんですからね」
「そうかい。どうもありがとう」
「お坊っちゃんに、たっぷり自慢話してやってくださいよ。ヴァージニア人の誇りを忘れるなってね」
 テッドは切符売りに手を振り、ドックの脇へと進んでいった。

 そこにあったものは、あの日、2隻の敵艦を次々に屠った黒い怪物とは似ても似つかない、ただの腐った材木でしかなかった。もっと大きかったような気もするが、これで全部というわけでもないのだから、仕方がないのだろう。子供に説明しようにも、違いが大きすぎて、テッド自身にもどう話せばいいのか判らない。
 ドックの近くでは、壇上から戦いの様子を講演している男がいて、仲間が立ち止まる者から料金を集めている。聞いてもみたかったが、子供たちはおとなしくしていないだろう。通りすがりにちらっと聞こえたけれども、ずいぶんと誇張されているような気がした。それでも、言葉の合間には、あの日の遠雷のような砲声が聞こえたように感じたものだ。
「お父さん、これ、すっごいカッコいいよ!」
 せがまれるままに、『ヴァージニア』を象った模型を買う。受け取った模型を目の前に掲げて、上機嫌のフランクリンが走りだした。子供の目は模型しか見ていない。

「フラン! 走るんじゃない!」
 言わんこっちゃない。子供は立ち話をしていた二人の紳士にぶつかってしまった。手から離れた模型が地面に転がる。
「おいおい、気を付けたまえよ。…壊れなかったかな」
 一人が屈みこんで模型を拾い、砂をはらって子供の手に戻した。知らない大柄な男に見下ろされ、びっくりしたフランクリンは、謝るでもなく立ちすくんでいる。
「フランクリン、ちゃんとお詫びしなさい!」
 ひょこっと頭を下げる子供に、二人の紳士が微笑む。
「元気が余っているね。いいことだ。…フランクリン君か。末はアドミラルかな。それなら体当たりもお手のものに違いない。アッハッハ」
 子供は父親を振り返る。意味がわからない。

 父親は子供に向かって小さくうなずき、手招きして呼び寄せる。見送る知らない男たち。いや、一人は見たことがあるような気がする。もう一人は、顔の左半分が真っ黒に汚れている。二人とも背広を着てはいるものの、ピンと伸びた背筋とがっちりとした体躯は、軍人だろうと思わせた。
「子供が失礼しました。さあ、行こう」
 歩き出したテッドは、子供に話しかけた今の男が、前に新聞で見た顔じゃないかと思い出した。あの『ヴァージニア』の指揮官じゃないか。フランクリン・ブキャナン提督がケガをした後、艦の指揮を執った士官だ。きっとそうだ。名前はなんだっけ…。
 ジョーンズだ。そうそう。…でも、もう一人の、あの黒く汚れた顔の男は、まったく思い出せない。親しそうだったけど、いったい誰なんだろう。
 気になって振り向いたテッドはしかし、喧騒の中に二人を見つけることができなかった。背伸びして目探しするうちに、人込みに飽きてきたメアリーがぐずりはじめたので、しかたなく背中におぶって出口へ向かう。子供たちにとって、戦争はただのお祭りと縁日の記憶にしかなるまい。

 ノーフォークのティレィ社 W. P. Tilley & Co. は、このときに回収された木材から記念品を作って販売し、この多くはいまだにあちこちの家庭に保管されている。20日間の展示が終わり、腐食していない木材が取り除かれると、残った木材は燃やされ、金属部品が回収された。

 1899年、南部連合記念協会に、『ヴァージニア』の推進軸とされる物体が運び込まれた。彼らは当時まだ存命だったラムジー元機関長を呼び出し、実検が行なわれている。彼は、その物体が間違いなく『ヴァージニア』の推進軸であると証明した。これはリッチモンドの南部連合博物館に展示されている。

… * …


 ハンプトン・ローズで1907年1月、漁師が古い錨と錨鎖を網にかけた。そのストックは黒いウォルナットで造られていたが、一般には樫で造られるものである。しかし、南北戦争の頃のヴァージニアでは、必要な材料が手に入らず、他の材料を代用にした記録があり、これは戦闘の際に失われた『ヴァージニア』の右錨と錨鎖であろうと推定されている。
 シャンクは4.3メートル (14フィート) の長さがあり、ストックも同じだけの長さがあったはずだが、片方の腕は半分ほどがなくなっていた。砲弾が当たっていたのかもしれない。これもまた、博物館に展示されている。

 この時の記事は、自宅の梁に『ヴァージニア』の木材が使われているという、地元民の逸話を引き出した。
「子供の頃に聞いた話だがね、1870年頃かなあ、亡くなった親父がまだ若かった頃、兄弟と一緒にクレイニー島へ行って、波打ち際に転がっていた大きな材木を拾ってきたんだそうだ。それが、この梁だよ。これと、これがそうだな」
 男は居間の上に見える梁を指差した。たしかに傷跡やらホゾ穴やらがあり、古材であることは明白だ。火にあぶられたような痕跡も見える。しかし、それが本当に『ヴァージニア』のものなのか、これといった手掛かりがあるわけではない。

「ちょうどこの家を建てている時で、じいちゃんが材木を取って来いって、親父たちに言いつけたんだそうだ。じいちゃんは、クレイニー島の岸に材木が打ち上げられているのを見つけていたんだろ。あの辺は背丈より高い葦に覆われてるからね、目印でもなきゃ、知らない人間には入っていけないさ。それでも他の人に見つからないようにって、朝早くに水の中を曳いてきたんだそうだよ」
 家の規模には不釣り合いなほどに大きな梁は、がっちりと建物を支えている。
「もし、政府がこれを欲しいと言ったら、どうなさいますか?」
「そうだな、この家を建て替えなきゃならなくなったら、譲ってもいいかな。今はダメだぜ、家がひっくり返っちまわあ」

… * …


 これらの他にも、ニューポート・ニューズの海事博物館には舵輪があり、デコボコになった装甲鈑も保存されている。錨と推進軸を展示しているリッチモンドの博物館には、『カンバーランド』の錨鎖もあって、正面の歩道を飾っている。乗組員が作ったという模型や、当時の制服も多数展示されている。
 個人の所有物にもいろいろあり、『ヴァージニア』の副長だったジョーンズの生家とされる家の庭には、奇妙な形の鉄構造物が鎮座している。これは、あの使われなかった司令塔の一部だということだ。

 『カンバーランド』の船体に食い込んだ衝角には、まだ引き上げられたという話が伝わっていない。およその場所は特定できているはずだが、見つからなかったようだ。実際に艦から落ちたのが、体当たりした場所でなかったとしたら、発見は困難だろう。
 すでに『カンバーランド』の船体と一緒に回収され、処分されてしまっている可能性もある。海軍はこういった遺品にとんと無頓着だし、特にそれが負けた証拠である場合には冷淡なのだ。

 ポーツマスの海軍工廠博物館には、9インチ砲が載っていたとされるマーシリー砲架、装甲鈑の一部、改造計画書のコピーも存在する。クライスラー博物館には『ヴァージニア』の時鐘があり、南部連合博物館にも、もうひとつ時鐘がある。
 これらは、南部人の誇りを背負った艦が残した遺物の、ほんの一部であり、全米に散らばる『ヴァージニア』の遺物とされる個人的なコレクションは、膨大な量にのぼる。これらを全部一堂に集めれば、『ヴァージニア』が2隻造れるというジョークまであるのだ。

おわり



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