三脚檣写真帖 (5)
Photo Album 05 (Figurehead 3)
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ようこそ三脚檣写真帖へ
ここでは昔の軍艦の写真を中心に、普通の書籍やホームページでは取り上げないような、一風変わったものを集めてお目に掛けます。
このページでは、まずアメリカ艦です。一時期とはいえかなり派手で、そうするもんだと思ってマネをしたのか、確信犯的にやったのか、なんとも言えないところですね。総じて重装甲の戦艦は地味ですから、外国へ行くような艦に積極的な装飾を施したのかもしれません。
続いて各国艦の艦首飾りです。
巡洋艦『シンシナティ』(Cincinnati 1892)の艦首像
鉄製汽走軍艦では、なかなかこれ以上のものはありますまい。美術品ともいえる、完璧なフィギュアヘッドですが、荒波一発で鷲はどこかへ飛んでいっちゃうでしょうね。大きさは女神像がほぼ等身大です。しかし凄えなあ・・・
hush 薀蓄
イギリスを表す女性像はブリタニカと申しますが、アメリカのそれはコロンビアと申します。
無論、コロンブス(英語ではコロンバス、スペイン語ではコロン、イタリア語ではコロンボ)に由来するものですが、シンシナティの艦首像は多分これでしょう。
アメリカの国章も鷲です。
一応、白頭鷲と言うアメリカ特有の鷲ですが、おそらくはヨーロッパの影響でしょう。(フランクリンは七面鳥を主張したそうですが…) 舷側にある円に囲まれた鷲は、その国章に似ています。
胴体に紅白13本の縞が入っており、両翼、両脚を広げている点等、その特徴が出ています。また、嘴で咥えているリボンにはラテン語で「多数からなる一つ」と書いてあるのですが、らしいものも見えます。
ただ、国章の鷲の両脚にはオリーヴの枝と13本の矢があるのですが、この鷲は弓矢を持っているだけのようです。鷲の頭上に置かれるはずの白雲に囲まれた夜空に輝く13ヶの星の図章も見当たりませんが、国章に基づくものと思ってよいと思われます。
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巡洋艦『オリンピア』(Olympia 1892)の艦首像
これは米西戦争で活躍したデューイ提督の旗艦ですが、艦首の飾りは『シンシナティ』のそれと同じもののように見えます。不可解なのは、この写真が1899年、米西戦争の直後に近代化改装を受けてから後のものだということです。
確かに他の写真を調べてみると、戦争前の艦首には国旗をアレンジした盾が描かれているだけで、大仰な艦首像などは見られません。「勝ったから」とでも言うことなのでしょうか。
1914年撮影とされる写真には、まだこの飾りがあり、けっこう丈夫なものだったみたいです。1906年頃からは練習艦任務についていて、戦争中に8インチ砲塔を降ろして5インチ砲に積み替えていますが、艦首飾りもこの頃に外されたようで、それ以降の写真には見られなくなります。
本艦は現在、記念艦として保存されていますが、その写真には、この艦首飾りは写っていません。とある書籍の記述によると、これはワシントンDCの博物館に保存されているそうです。
巡洋艦『ニュー・オーリンズ』(New Orleans 1896)の艦首
ハデだったことから「ショウ・ボート」とあだ名されていた艦ですが、さもありなんってとこですかね。中央の楯部分には、小さな星が見えるものの全体の絵柄は不明。
同艦の艦尾
13星の国旗楯と艦名のリボンに蔦飾り。腹ばいになった乗組員が何をやっているのかは不明。
hush 薀蓄
13条の縞と13ヶの星が見受けられますが、この13と言う数は独立13州を表し、アメリカの国章にはくどいぐらい出てきます。
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装甲巡洋艦『ブルックリン』(Brooklyn 1895)
中央の楯部分には鳥のような図柄が見えます。小さな砲廓から突き出しているのは6ポンド(47ミリ)砲。
装甲巡洋艦『ワシントン』(Washington 1905)
かのビッグ・テンの1隻です。立派な鷲ですが、進水前の写真なので、このまま就役したのかは不明。蔦やら葉っぱやらは、あまりにも華奢にすぎますし、就役後の写真には見られません。
以下は各国の艦首を並べてみました。古い順です。
それぞれにいわくいわれはあるのでしょうが、私には詳しい解説などできません。フランスにはごく初期の装甲艦にフィギュアヘッドがあっただけで、以後は顕著な飾りがありませんでしたが、他国はそれなりの装飾を施していたようです。資料が少なく、いつごろまで実施していたのかなどは判然としません。
フランスの装甲艦『マジェンタ』の艦首(Magenta 1861)
巨大な鳥のフィギュアヘッドなんですが、鷲というよりラドンですね。(古い!) 姉妹艦『ソルフェリーノ』の艦首にも、よく似た鳥のフィギュアヘッドがあるのですが、これ以外のフランス装甲艦には、まったく装飾のかけらもありません。
この理由ははっきりしませんが、この艦が就役した当時、この2隻だけが二層の砲甲板を持つがゆえに戦列艦として扱われていて、他の艦はフリゲイトでした。これが理由なのかもしれません。いずれにせよ、これらも早期に撤去されたようで、写真はほとんど見つけられませんでした。
hush 薀蓄
ナポレオンの時代、フランスでは鷲が国章として使われていました。ナポレオン3世の第2帝政においても多分そうであったのではないかと予測しておりますが、ローマ皇帝に倣ったものです。
ただ、ローマの鷲が左側を向いているのに対して、反対側を向いており、足許に雷電があります。写真ではよく分からないのですが、鷲が右側(すなわち手前)を向いていたらまず間違いは無いでしょう。
1859年、イタリア統一戦争においてフランスはオーストリアと戦いイタリアはロンバルディノのマジェンタとソルフェリーノで勝利を収めます。前者はその勝利の年に発見された赤紫の染料の名として、後者はアンリ・デュナンをして赤十字の創設を決意させた戦いとして有名でありますが、ナポレオン3世にとっては栄光の戦場です。
この両艦の艦首に金色に輝くラドンが(いや、鷲だ)飾られていたとしても不思議ではないでしょう。1870年、ナポレオン3世がプロイセンの捕虜となり第2共和制となりますが、この鷲が撤去された原因をそこに求めれば辻褄が合うと思います。
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清国の装甲艦『鎮遠』(Chen-Yuan 1882)
狭いところへ押し込められたような竜です。色はおそらく黄色でしょう。写真は日本海軍に捕獲された後、旅順での修理時に撮影されたもの。艦首の副砲塔に見える白丸は、被弾跡を示しています。
hush 薀蓄
中国で龍は天子の象徴です。清朝は黄色を天子の色として禁色とし、皇帝以外の使用を禁じました。
北洋水師は李鴻章の私兵と見られていますが、一応、建前上は朝廷のものだったのですね(当たり前か)。
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日本の防護巡洋艦『高千穂』(Takachiho 1885)
イギリスでの進水式直前に撮られた写真。菊の御紋章は両舷にあり、飾りが付属しています。下側にある膨らんだ水平の一本線は、ドイツのと同様、ロープなどが直接こすらないようにされているんでしょう。
次のシリーズは衝角なので、この写真をじっくり見ておいてください。
hush 薀蓄
日本の軍艦は菊の紋章をつけて、天皇の艦である事を示していました。
天皇家の紋章であり、パスポートの表紙等に使用されている菊ですが、日本で知られるようになったのは奈良時代になってからでした。これは菊と言う漢字に「キク」と言う音はあっても訓が無い事でも分かります。この花を偏愛した人物の一人に後鳥羽天皇がおり、彼が皇室の紋章に昇華させたようです。
なお、昭和天皇はイギリスのガーター騎士団の客員となっておりましたが、ウィンザー城の聖堂内には菊を象った天皇旗が飾られていました。
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イタリア戦艦『サルデーニャ』(Sardegna 1890)
紋章の中身はなんでしょう。その上にはずいぶんと勇ましそうな鳥が乗っています。上のほうを見ると、煙突が並列になっているのがお判りいただけるでしょうか。この艦は、前部煙突が二本並列、後部のそれが中心線上に一本という変則的な配置でした。
hush 薀蓄
サルディニアの紋章は、白地に赤の十字架によって四分割された部分に鉢巻をした黒人の頭部が描かれたものです。この黒人はコルシカの旗にも描かれていますが、王を暗殺から救ったムーア人に鉢巻が贈られ、それで目隠しをされない限り王国はあると言う伝説が伝えられています。図案が一緒であり、地理的にも近いので同一起源であろうと思われます。
上部の鳥はよく分かりません。1802年から14年にかけて使用されたサルディニアで使用された海軍旗には、鷲らしきものが紋章とともに描かれていますが、これとも違うようです。キング・ギドラのようにも見えるので、ヒドラかも知れません。
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スウェーデンの防護巡洋艦『フィリイア』(Fylgia 1905)
発音は心許ないです。鮮明ではありませんが、紋章の中身は三つの王冠でしょう。どういう色調なのかには興味があります。
錨の処理も独特で、ロシアのように爪を入れる穴が船体にあるんですが、錨は立てた状態で格納されています。ロシアの方法なら、艦内から爪を押し出せば投錨できますが、この艦では難しいですね。一度吊り出さないと無理かな。
hush 薀蓄
青地に3ケの金冠は14世紀のスウェーデン王アルブレヒト以来の伝統の紋章です。
世界最古の国旗と言われるデンマークの旗にちなんでスカンディナビア各国は十字を共通要素としていますが、スウェーデンの場合はこの紋章にちなんで青地に黄色で十字を描いています。
トレ・クロノールと呼ばれるこの紋章はゴットランド地方を表す金色のライオン(イェータ・レオン)とともに巡洋艦の名になっており、ともに国章に使われています。
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オランダの海防戦艦『ヤコブ・ファン・ヘームスケルク』(Jacob van Heemskerck 1906)
傾向は同じですね。錨を見ればお判りのように、比較的最近の艦です。ったって100年近く前なんだけど。
シリーズの最後に現用艦を。それほど派手な装飾はなくなっており、艦のバッジばかりです。
チリの練習帆船『エスメラルダ』の艦橋前に飾られたバッジ
サポーターは王冠を頂いた鹿とコンドルですか。スペイン語と思われる文言は、どなたか読める人に解説していただきましょう。
hush 薀蓄
この国章に描かれた Por la Razon o la Fuerza と言う言葉は、「理性または力で」を意味します(言ってダメなら戦争も辞さないと言う事かな)。
サポーターはウエムルと呼ばれるアンデス鹿とコンドルで、星は国家の統一を象徴するものです。
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イギリスのミサイル駆逐艦『ブリストル』の艦首バッジ
1990年に晴海へ入港したときに撮影。写真が下手で暗いのはご勘弁ください。図柄は町並みと帆船のようですね。いかにも港町、かな。
hush 薀蓄
紋章は同市の市章です。1350年から使用されており、背景の城はノルマンディー公ウィリアムが建てたものです。
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ロシアの駆逐艦『アドミラル・パンテレーエフ』の艦尾バッジ
砲口栓のところで掲載した絵柄と基本的に同じなのですが、なぜか中心の騎士が逆向きです。宝珠と笏の位置は合っていますので、どちらかが間違いなのか、どちらでもいいのか、別なものなのかは不明。
hush 薀蓄
1472年、モスクワ大公イヴァン3世は東ローマ最後の皇帝コンスタンティヌス11世の姪ソフィア・パレオローグと結婚し1453年に滅んだ東ローマ帝国の後継者を自称するとともに皇帝と自らを呼びます。双頭の鷲もこの時に使用を始めたものです。
この鷲はローマ皇帝の象徴であり、ローマの各軍団には生きている鷲が与えられました。これが軍団の銀鷲旗(と言いつつ鷲の彫像がついているのですが)を経てローマの紋章となります。
なお、双頭は東西ローマを指します。鷲が抱いているのは聖ジョージを描いた紋章。(聖ジョージ=)聖ゲオルギウスは、トルコ東部のカッパドキアの町で龍を退治したと言う伝説で知られるローマの軍人で、その地理的条件から東方社会ではよく知られていました。
志郎註:中央紋章の下部、馬の脚に踏まれている青いものが、その龍です。
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