三脚檣写真帖 (7)
Photo Album 07 (Funny ships)



 ようこそ三脚檣写真帖へ

 ここでは昔の軍艦の写真を中心に、普通の書籍やホームページでは取り上げないような、一風変わったものを集めてお目に掛けます。

 このページでは、ちょっと風変わりな船だとか、奇妙な形状、ようするに、「何だこれ?」というようなものを集めてみました。視点は様々ですんで、ひとくくりにできるジャンルではありません。



 まずはフランス装甲艦の曲線美から。タンブルホーム、プラウ・バウと言った、特徴的な思想で造り出されたフランス軍艦は、単に華美というだけでなく、一種独特の雰囲気を持っています。ここでは、その片鱗を覗いてみましょう。



French Belier

 砲塔衝角艦『ベリエル』(Belier 1870)

 小娘とはいえ、ケツの丸みは姉さんに負けていません。しかし、この三枚舵はいったい何のつもりでしょう。よほど曲がらなかったのかな。
 非常に優雅なラインを持っていますが、これは一種のモニターで、主船体は水面のわずかに上までしかなく、モニターと同じです。その上に曲面で形作られているのは上構でして、一見して船体のように見えるだけです。強度はなく、波風を防ぐだけのペラペラの囲いですね。繋ぎ目の位置としてはウエストの切り替えの入っているあたりでしょうが、双方の取り合い構造までは判りません。
 主砲は艦首側に連装砲塔が1基だけあり、上構の高さをかわすためにバーベットを持っています。ですから、装甲砲塔とバーベットの組み合わせは、ホントはこのクラスが嚆矢ということになるわけなんで。戦艦じゃないもんだから、無視されてますが。


French Foudroyant

 装甲艦『フードロワイアン』(Foudroyant 18??)

 こういう角度から見ると、一体なんだろうって感じですね。下膨れのタンブルホームが、なんとも奇妙な造形になっています。で、この艦をリストから見つけようと思うと、これが難しい。なにせコンウェイの索引にもありませんからね。
 艦尾にはしっかりと艦名が記されていますし、相当に大きな艦だということもわかるでしょう。その通り、立派な主力装甲艦なんですが、こいつの正体はいったい何でしょうか?


French Bouvines

 装甲艦『ブヴィーヌ』(Bouvines 1892)

 この曲線の見事なこと。光線の具合も絶妙ですね。これだけ大きく、かつ滑らかな三次元曲面を鋲接の船体で実現する技術力は、高く評価されるべきでしょう。能力を向ける方向に、いささか疑問があることには目をつぶるとして。


French Carnot

 戦艦『カルノー』(Carnot 1894)

 こうなってくると、若々しい丸みと言うより、デーンと座ったオバサンのお尻という風情ですね。上のほうがやたらと賑やかなんで、主砲なんか埋もれてしまって、どこにあるのか判りません。
 なんで、こんなに苦労してまでたくさんのボートを積まなければならなかったのか。ガントリー・クレーンもどきまで艦の上に載せるくらいなら、ボートを減らす算段をするほうが、よほど有益に思えるんですが。


Russian Tsessarevitch

 ロシア戦艦『ツェサレヴィチ』

 フランス建造艦ということで。解体中の姿ですから、余計な部分がなくなって、秀麗なラインがはっきりと見られます。進水時の、言わば生まれたままの姿とは異なる、一種のヌードですかね。盛りを過ぎた元アイドルのヌード?
 この艦では、艦尾にある大きな窓が、船体から引っ込んだ形で造られておりますが、前掲のフランス艦では、外側に蓋があって船体と面一になっているものが多数派です。で、この蓋の内側がどうなっているかと申しますと、ロシア艦の窓の位置あたりに内窓がありまして、これは部屋の中から直接開閉ができます。
 外側の、『ブヴィーヌ』ではっきりと見える「蓋」との間には、人が通れるくらいの隙間(通路)があり、ここを巡回する水兵が、外の扉を開けたり閉めたりさせられるわけです。『ブヴィーヌ』では艦が小さいので、そこまでの間隔はないようです。中から直接開閉するための棒リンクも用意されていますが、ガッチリとロックする必要がある場合は、通路を使わなければなりません。

 上部重量の削減が主眼のタンブルホームですが、内側から見ると傾いた壁際には使えない容積が多く、軍艦の要求される仕様が変動して内部容積を求められるようになると、ほとんど百害あって一利なしの状態になります。甲板室を造ろうにも、上甲板の面積そのものが小さいのですから、上へ上へと積み上げるしか方法はなく、結果、なんのために上部重量を減らしたのか、まったくわからなくなるわけです。



 次はロシアの戦艦、日露戦争中に日本海海戦で降伏し、後に日本戦艦『石見』となった『オリョール』(Орел 1902)です。
 これはボロディノ級の1艦で、このクラスはフランスに発注された戦艦『ツェサレヴィチ』の、図面を流用した国内建造版として5隻が完成しましたが、『ツェサレヴィチ』の評判とは裏腹に、あまり芳しい評価はされていません。その主たる理由とされるのは建造中の重量増加ですが、ここではその視覚的証拠を提示しましょう。



Russian Orel launching

まずは進水時の写真

 ちょうど船台を滑り降りたところで、艦首露天甲板にいる作業員が、錨の止め綱を切断しようとしている瞬間。右舷側の作業員は斧を振り上げたところですし、左舷側の作業員の斧は、振り下ろされてまさに綱を切断するところです。これによって船体は行き足を止められ、対岸へ乗り上げるような不始末を避けるのです。
 しかし、ここで注目していただきたいのは、船体上下中央の吃水線付近です。ご覧のように水線装甲帯は未装着で、一部にその取り付け下地となる木材層が見てとれます。そして、そこには仮の塗り分けがなされ、計画吃水線がはっきりと確認できるのです。

 この級の計画値は、常備排水量が13,516トン、吃水7.97メートルと言われますが、写真の吃水線は、おおよそ艦底から26フィート、7.92メートルの位置にあることが、艦首の吃水マークから読み取れます。そしてこの26フィートという数字は、この時のスエズ運河の通航制限吃水そのものであり、当時の大型軍艦の吃水として、ひとつの標準になっていた数字でもあります。つまりこの艦は、ほぼ常備状態でスエズ運河を通航できるように計画されていたわけです。
 ここでは、この吃水線と艦首にある魚雷発射管との相対位置をご確認ください。発射管の前扉を包む膨らみの下端は、吃水線からおよそ1メートルほどの高さにあります。水線装甲帯は、その40%ほどが水中にあって、側面に充実した防御を持つことがご理解いただけるでしょう。もっとも、その厚さは十分とは言えず、下半分が最も厚い部分で194ミリ、上半分は145ミリでしかありませんが。


Orel in commission

 就役後の写真

 正確な状況は不明ですが、第二太平洋艦隊自体が本艦の完成を待って出発したので、いずれ完成直後の撮影でしょう。吃水はほぼ常備状態と思われます。さて、艦首の発射管ですが、それは突出部の下端がほとんど海面すれすれの位置にあります。つまり、この状態での吃水は、計画から1メートル近くも大きくなっていることになるのです。
 この程度の大きさの船では、重量増加による吃水の増加 (シンク・レート) が1インチあたり54トンほどなので、大雑把な推測として2千トンほども重量が増えたことになります。常備排水量の15パーセントほどもね。
 これにより、水線装甲帯は3分の2ほどが水中に沈み、最も厚い部分の上端は吃水線下となりました。


Orel surrendered

 日本海海戦直後

 ネボガトフ提督の指揮下で日本艦隊に降伏した後の写真です。吃水はかなり浅く、発射管は水面から50センチ以上も浮き上がっています。激しい火災を経過し、浸水があったために投棄された物品も少なくなく、石炭は使い果たしているでしょう。応急修理がなされ、浸水が排除されたために、かなり軽い状態になっていると思われます。満身創痍という表現がぴったりで、艦首主砲塔では左砲が途中から折れ飛んでいます。

 写真の吃水位置から若干高いところに、白く汚れた線が見えますが、おそらくこれは長期航海中の実際の吃水線でしょう。その位置は前の写真の吃水よりもさらに深く、舷側の水雷防御網支持棹の取り付け部分が、ほとんど吃水線に接しています。海戦直前には、1,520トンの石炭満載量に対して2,450トンが積まれ、排水量は16,800トン、吃水は9.6メートルに達していたと言われています。比率で例えるとすれば、体重67.6キロの人が84キロに太ったと言うようなもので、同じように行動できるはずがありません。


Japanese Iwami, ex-Orel

 日本戦艦『石見』

 戦利品として日本海軍に編入され、性能改善工事を施された後の姿。吃水線は原計画位置に近く、性能も良好になったとされています。これだけが理由ではないでしょうが、ボロディノ級の悪評価の原因のひとつが、その大幅な重量超過にあったのは間違いないでしょう。



 次はふたたびフランス艦で、1886年進水の装甲艦『オッシュ』Hoche。



French Hoche

 完成時

 低乾舷のモニターに、よくもまあこれだけ積み上げたものよと感心すべきか。積み上げたもんで戦艦がモニターになってしまったと見るべきなのか。あまりのことに「グランド・ホテル」とあだ名されました。
 二本の太いマストは、内部に螺旋階段と、砲弾を吊り上げるホイストを収容しています。上部のファイティング・トップには小口径砲が並べられ、薄いものとはいえ装甲まで施されています。この螺旋階段、一度は昇ってみたいですが、一度でたくさんですな。


Hoche after refit

 改装後

 いくらなんでもひっくり返るからと、後檣の取り替えなど重量軽減に意を尽くしたのですが、あんまり効果はなかったみたい。背中の荷物は増えているようにも見えます。
 「労働者の小屋を背中一面に張り付けた、半分沈んだ鯨 "a half-submerged whale with a number of labourer's cottages built on its back"」なる揶揄も、さもありなんと思わせます。

 煙突の斜め右下、縦長の窓が狭い間隔で並んでいるように見える部分ですが、これはボートダビットの一部でして、折り畳み式の腕が畳まれた状態を示しています。窓のように見える穴は軽目穴なんです。通常の旋回式ダビットそのものが、この腕の先に付いていまして、まず腕を振り出し、その先でボートを扱うわけです。
 ボートの格納位置を大きく内舷側に入れなければならないタンブルホームのため、真下に水面が見える位置へボートを振り出すのに、まず苦労してしまうのです。先の『カルノー』のように、ガントリー・クレーンまで用意するハメになるわけで。


Floating Castle

 当時のフランス戦艦をからかった漫画

 で、こんな漫画も描かれたわけですが、これってどこかの監督が大好きなんじゃないでしょうか。次作「ハ●ルの泳ぐ城」とか言って。
 戦艦の周囲にいたり、ボートダビットに吊られたりしている小さな船は、どうやら潜水水雷艇のようですね。どういう取り合わせなんでしょう。実はこれ、戦艦に見せかけた潜水艇母艦だっていうオチですか?



 次もフランス戦艦。なんで、「変」を集めるとフランス艦ばかりになるんでしょうね。
 イギリスにだって、アメリカにだって「変」はいるんだけど。これはぐっと新しくなって、第一次世界大戦後のド級戦艦『ロレーヌ』(Lorraine 1913)です。



French Lorraine

 どこにでもあるような側面図ですが、前檣の右側に添えられた、ちょっと意味の判り難い図面にご注目ください。 


Lorraine's Foremast

 フランス戦艦『ロレーヌ』の前檣に設けられた航空機発進装置

 トラス構造の腕はクレーンを兼ねていて、甲板上で準備された航空機を吊り上げます。写真と図面は、その吊り上げた状態を示しています。航空機はここから後方へ引かれ、尾部がマストの脚の隙間へ入るまで後退すると、エンジンをフル回転させ、勢いをつけ、先端まで走ったところで切り離し、エイヤッと空中へ踊り出るわけです。高さが稼いであるので、海面へ落ちるまでに空中に浮こうという算段ですな。

 写真でぶら下げられているのは車輪付きの陸上機ですが、回収は陸地への帰還だったのか、水上機を使う前のテストだったのかは不明。
 で、上手くいったのかって? 私に聞かないでいただきたい。恐怖の絶叫マシンであることには疑いがありませんけど。艦橋の前の滑走台から飛び出すのや、主砲塔と砲身の上の踏み板から飛び降りるのと、大差ないって言えば、大差ないかもしれませんが。



 次はまたロシア艦だな。いや、別に偏見なんかあるわけじゃないんですが。



Quarterdeck

 ロシア戦艦『アンドレイ・ペルオスワニイ』級の通風採光筒

 立ち並んだ士官たちの足元にあるのがそれです。上甲板から若干の立ちあがりを持った換気筒に、浸水防止と採光を兼ねた蓋を差し込むようになっています。今はいくらかでも換気量を増やすために外されているわけですね。少し遠いほうや、並んでいる人々の足もと、後ろ側にも同じものがあります。


Andrei's ventilator

 で、これはそこから頭を出した乗組員と、甲板上の士官が戯れている他愛もない写真なんですが、よくみるとこの穴は、頭は通っても体は通らない大きさになっています。かなり細い人間か子供でなければ通れないでしょう。
 通常、船ではその隅々まで人が入れるように開口を造りますし、特に軍艦では、被害時などいざというときの利便を考えて、特別な理由がない限り、こういう中途半端な大きさの穴は設けないものです。

 この戦艦は、戦訓を容れて舷窓を廃止しており、艦尾の士官室で換気不足が起きたため、こういう換気口を造ったのでしょう。そうであるなら、普通は人が通れるマンホールの大きさに造るのが自然で、わざわざギリギリ通れないような寸法を選ぶ、技術的な理由が推測できません。
 で、考えてみると、これが建造された時期、日露戦争直後のロシアにおける一般状況は、士官が枕を高くして寝ていられるものではなかったはずだと思い至ります。非常に大胆な推測ではありますが、これは反乱者による不意の侵入を防ぐために、意図して通れない大きさを選んだのではないかと考えられるのです。

 なお、通常この種の換気口は、集合して機械式の通風筒とするものです。おそらくこの艦では、舷窓の廃止と換気システムの構築が両立せず、こんな半端な換気口を開けなければならなくなったのでしょう。普通の戦艦では、こんな危なっかしい仕組みは用いられません。
 機械を用いる以前の換気には、煙管型の通風筒が用いられ、風向きをさぐって空気を取り入れていました。停泊時など換気量が足らない場合は、昇降口などの開口部に帆布の風取り(ウインドスル)を立てます。明かり取りにはハメ殺しの厚板ガラスを用いたりしましたが、盲蓋をして浸水を防ぐようになっていました。
 おそらくこの蓋も内側から固定し、完全に閉じることが可能だろうと思われますが、こんなふうに出っ張っていたのでは、被害時に脆弱であることは否定できません。破片が当たるだけで簡単に水密は失われるでしょう。



 毒を喰らわば皿まで。こうなりゃ最後もロシア艦で〆ましょう。



Russian Sinop

 ロシア旧式戦艦を改造した機雷原突破艦『シノプ』(Синоп 1887)

 第一次大戦時、戦力にならない古い戦艦の船体を利用して、片側5メートルも幅のあるブリスター(バルジ)を取り付け、艦隊を先導して機雷をなぎ倒しつつボスポラス海峡へ突入する目的で改造されました。ブリスターに空気を入れるとプカプカ浮いてしまうので、適当に水を入れて吃水を調節します。つまり、ここがいくら壊れても、どうってことないわけです。
 一次大戦のときには、イギリスも古い巡洋艦に同じような改装を行いましたが、アイデアはどっちが先なんでしょうね。


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