翼をなくした大鷲 CSSヴァージニア物語・第五章 Unflyable Eagle: CSS Virginia stories 1862 |
第五章
「ぜんたーい、止まれ!」
船員が行進してくるというのは、あまり馴染みのある光景ではない。揃いの灰色の制服というのも、水兵らしくない。埠頭に集まった彼らの正体は砲兵隊で、陸軍から派遣されてきた『ヴァージニア』の乗組員である。分離宣言と同時に、海軍はほとんどが北へ付いてしまい、一部の士官が南軍へ投じてきただけだから、生粋の水兵はどれほどもいないのだ。これでまず、乗り組みの90パーセントが陸者 (おかもの) だとはっきりした。
「どうなるんでしょうね」
「どうもこうも、彼らを水兵として鍛えている時間はない。少々床が動くのを我慢してもらって、大砲を扱うことにだけ専念させるさ」
「全部で何人乗せるのですか?」
「ざっと250人。1門あたり20人、プラスアルファだ」
うへっ、それが全員でゲーゲー始めたら、…考えたくもないな。
埠頭では、200人を越える人数の部隊が整列し、それぞれに自分の荷物と毛布を担いでいる。これを狭い艦内のどこへ入れるのか、考えただけで目が回る。すでに100人以上が、艦の中で生活しているのだ。
『ヴァージニア』はほぼ完成し、いくつかの備品が足らないだけだ。めぼしいものでは、砲門の蓋が届いていない。あれが開け放しでは、ろくなことにならない。
火薬も届いていない。ブキャナン艦長は8トン以上の量を要求しているが、まだ調達しきれないようだ。南軍全体で火薬が不足しているそうだから、それだけの量は簡単には集まらないだろう。
陸軍の砲兵隊は戸惑いつつ、見たこともない乗り物に足を踏み入れる。埠頭から長い渡り板で直接スパー・デッキへ上がり、昇降口から艦内へ降りていく。乗るだけで1時間くらい掛かったような気がする。まるで牢獄へ押し込められるようなもので、一度入ってしまうと簡単には出られない。
陸軍の下士官たちは、兵隊を砲廓の中で整列させようと、悪戦苦闘している。士官はいない。彼らは一時的に陸軍を離れ、軍艦の命令体系の中へ放り込まれたのだ。誰か、士官を派遣してもらう必要があるかもしれない。
「さて、始めるとするか」
副長は昇降口から砲廓へ下りていった。
「軍曹、そのままでいい。船の中は狭いんだから、整列しようたって無理だ。後は私が代わる。…全員、その場で休め! 荷物を足元へ下ろせ!」
ざわざわと200人が、隣をこづきあいながら、徐々に静まっていく。軍曹は怒鳴りつけるわけにもいかず、そわそわと落ちつかない。
「南部連合軍艦『ヴァージニア』へ、ようこそ。私は本艦の副長、ケイツビィ・アプ・ロジャー・ジョーンズである。船は初めてかな」
返事はない。答えていいものかどうか、戸惑っているようだ。副長は声を張り上げて続ける。
「諸君には、この『ヴァージニア』で、目の前にある大砲を操作してもらう。明日からはせいぜい訓練に励むように。さて、まず最初に、ここが海に浮かんだ船の上であり、中へ水が入ってくると沈むものだということを理解してもらわなければならない」
船の上で何をしてはいけないかを、陸者に理解させるのは簡単ではない。大体が、触るなと言えばいじってみたくなる連中なのだから。
「この中で、泳げるものはいるか? いたら手を上げろ!」
パラパラと手が上がる。けっして多くはない。
「よろしい。この艦は全体を鉄板で囲んでいる。分厚い、非常に重い鉄板だ。だから、水が入ると石のように沈む。もし沈むなら、おまえたちは泳げようと泳げまいと関係ない。こいつが沈むときにはあっという間だから、外へ出るヒマはない。全員、仲良く溺死だ。判ったか!」
しーんと静まりかえる。確かに、たった今だって、外へ出る方法は限られているし、沈むまでに出られる人数は、ほんのひと握りだろう。何人かは昇降口を見上げ、何人かはいくらかでも近付こうと体を動かした。
「そこでだ、この艦を沈めないために、お前たちに注意しておくことがある。お前たちがいま居るここは、ガン・デッキだ。いいか、大砲があるから、ガン・デッキだ。復唱しろ! ガン・デッキ!」
「ガン・デッキ!」
不揃いな声が唱和する。明らかに戸惑いが声に出ている。
「そして、おまえたちが寝起きするのは、この下にあるバース・デッキだ。繰り返せ! バース・デッキ!」
「バース・デッキ!」
「いいぞ! さて、このガン・デッキは、水の上にある。ここで何をしようと、艦は沈まない。大砲は扱い慣れているだろうから、寂しくなったらこのデッキへ来い。一部のものは、ここに寝床を作ることになる。そうでない者は、下のバース・デッキで寝起きする。繰り返せ! バース・デッキ!」
今度はいくらか声が揃った。
「よし、そこでだ。下のバース・デッキへ行くことを指示されたものは、壁と床以外、艦の一切のものに触ってはならん。いいか、それがどんなに無害に見えても、絶対に触ってはいけない。何かをしなければならないと思ったら、艦に前から乗っている乗組員を探せ。誰でもいい。そいつがいいと言わなければ、例えばそれがお前の足の上に落ちてきたテーブルであっても、動かしてはならん。何か動かせば、艦が沈んで、お前たちは全員溺死だ。覚えておけ!」
生ツバを飲み込む音が聞こえたような気がする。実際、何も知らないこれだけの人数がいたずらを始めたら、艦は間違いなく破滅する。
「これは命令だ! この命令を守らないものは、即刻海へ放り込む!…もうひとつ、バース・デッキの下へは、絶対に下りてはいかん。いいか、絶対に、だ! バース・デッキから下への昇降口は、地獄の入口だと思え。下へおりた者は、やはり例外なく海へ放り込む。いいか、こいつは冗談でもなんでもない。私は、言ったことは必ずやる。まだ泳ぐには寒いからな、たっぷりと後悔できるぞ。俺が許してやろうと思う前に心臓が止まっていたら、…それだけのことだ。不運な事故死、それ以上の扱いはされない」
副長はジロリと全員を眺め渡す。誰にせよ、海の理を覚えるまではバカなことをやるだろうし、それは初めて船に乗る者なら当然でもある。しかし、一度に200人は気が遠くなる人数なんで、好き勝手をやられたのでは、艦が無事で済むわけがない。
「なにか質問はあるか?」
「あのう、外へ出てもいいんでしょうか」
恐る恐る聞く顔がひとつ。もうすでに、閉所恐怖症だろうか。
「今、おまえたちが下りてきた昇降口を上がって、上の甲板、昇降口から煙突までの間だけだ。艦首、艦尾の甲板へも出てはならん」
「バウって、なんですか?」
まるっきりの素人なんだ。船の用語すら知らない。
「お前たちが最初にこの艦に乗った場所、そこから煙突のある方向、尖った先端が艦首だ。煙突は判るな。黒い、太い筒だ。反対側、旗の立っているのが艦尾、スターンだ。階段、ラッタルを上がったら、そこからまん前の煙突までの間が、お前たちのデッキだ。他のデッキへ行ってはいかん」
この艦は普通と違う。前後がほとんど対称になっているから、素人に説明しようとすると、艦首と艦尾の区別が難しい。普通の船なら、こんなことはないんだが。
「艦首には船を動かす上で重要な備品がたくさんある。うっかり触れば沈むぞ。そういうものは艦尾にもある。…いっぺんに全部覚えろとは言わんが、艦の部分を示す単語をできるだけ早く覚えろ。お前たちが船の乗り方を覚えるのと、この艦が沈むのと、どっちが早いか賭けをする気はない。命令を守らないものは、たとえこの軍曹…まだ名前を聞いてなかったな。…タブ軍曹か。このタブ軍曹であっても、氷の間を泳いでもらう。これだけ太っていりゃあ、簡単には沈まないだろ」
どっと笑い声が上がる。
「艦内ではタバコも禁止だ。バース・デッキでも、ガン・デッキでも、火は許さない。吸うなら上へあがってにしろ。頭の上の露天甲板だ。スパー・デッキという。見ての通り、スパー・デッキはスノコになっているから、下へ火種を落とすな。下、つまりガン・デッキには大砲がある。大砲があれば火薬がある。わかるな。もし、艦内にタバコの痕跡があったら、全員の連帯責任だ。皆で海水浴をしてもらう。泳げなくてもだ」
「食事、配給品、給料については、ここにいるセンプル主計長に話してもらう。私からは以上だ。…そうそう、私を呼ぶときには『ナンバー・ワン』だ。私は、お前たちの中では一番偉いことになっている。なにか申し出たいことがあるなら、このタブ軍曹に言って、一緒に私のところへ来い。タブ軍曹についての苦情は、そんなものがあるならだが、私にじかに話してくれて構わない。艦長には直接話しかけないこと。…海軍では、ナンバー・ワンの私より偉いのが艦で、それより偉いのがブキャナン艦長だ。忘れるなよ。…以上だ」
「敬礼!」
軍曹が叫ぶ。あちこちで腕がぶつかる。艦の中では敬礼の仕方から違うんだよ、広くないんだから。
これで、艦に足らないのは実質火薬だけになった。訓練という大問題があるのだが、おそらく時間はない。
砲廓先端の操舵室は、入口に板をあてがって塞いでしまった。下へ延びていた操舵索も、とりあえず外してある。これに触るなというのは、子供からお菓子を取り上げるようなものだし、ブキャナン艦長自身が、この狭い中で指揮を取るのを好まなかったためだ。操舵装置は砲廓後部にもあり、困るようなことはない。
その操舵装置は、チェーンで舵頭のリンクと直結している。どういうわけか、砲廓へ引き込む部分でチェーンには覆いがなく、一部が剥き出しになっている。これが切れたらどうなるんだろう。
陸軍から来た砲兵は、これほど大口径の砲は扱ったことがなかった。『ヴァージニア』へ来る前に、練兵場で9インチ砲の実射訓練をしてきたそうだが、広い野原で射撃しただけだから、狭い中で重い砲を扱うのに面食らっている。埠頭に繋いだまま発砲するわけにもいかず、これでは確実に、大砲に背中を突き飛ばされたり、砲車に足を轢かれる奴がでてくるだろう。人に踏まれたくらいなら、たとえそれが、すでに一日に何度も悶着の種になっているように、硬い靴で裸足を踏まれたにせよ、まだ笑って (一発殴って) 済ますこともできるだろうが、4トンに踏まれると痛いでは終わらない。
水兵としてはあるまじきことに、彼らは靴を履いたままなのだが、裸足で生活することに慣れていないから、これもとりあえずそのままにするしかない。これでは足を踏まれた水兵とは揉め事にならないはずがなく、これが長く続くようなら、根本的な解決を図らないと艦の秩序がメチャクチャになる。
砲兵隊は広い場所で訓練されていたのと、あまり優秀とは言えない顔ぶれが混じっているため、一人ひとりの役割が重複していないし、他の仕事ができない。その結果、砲1門に20人もが必要になっている。普通の海軍砲ならせいぜい15人、10人以下の場合も珍しくない。一人ひとりが複数の役割を持っているし、必要なときには反対舷の砲員が応援に付くから、困ることはないのだが。
「陸軍では、1門の砲を長時間、継続して射撃することになりますから、過剰に働かせると体力が続きません。人数に余裕があるので、配置を固定していても困りませんし、能力のない人間は、そうしないと使えません。号令に合わせ、ひとつことを覚えた通りに繰り返すだけなら、訓練されていない、いえ、訓練できないような頭でも使えるのです。歩兵としては使えないようなのもいます」
タブ軍曹が実情を説明してくれた。
「なるほどなあ、海軍にも、石炭を運んだり、ロープを引っ張るのにしか使えないのがいるが、同じことなんだな」
「皆が皆、下士官を勤まるほどに能力があるなら、ずいぶんと強い軍隊ができるのでしょうが」
「いや、どうしたって頭を使わない部署というのはあるし、それはそれで、なければならないわけだから、能力のあるのをそんな仕事に付けたら、腐ってしまうか、余計なことを考えはじめる。難しいところさ」
「そうですね。ところで、我々は揺れる船の上での射撃というのをしたことがありません。訓練はできないのでしょうか」
「うーん、難しいね。この繋がれた状態では、たとえ空砲でもまったく発砲はできないし、ここを出てもハンプトン・ローズまで行かなければ、大砲を撃てるような場所はないな。そして、そこには敵がいるんだ。私たちだって、まだこの艦を実際に動かしてみていないのだよ」
「どうするのですか?」
「操砲訓練だけしておきたまえ。照準は、それが必要ないくらい接近すれば問題にならないだろう。そのための装甲でもあるのだし」
3月になって、ようやく『ヴァージニア』に出撃できるだけの装備が整った。大量の火薬が積み込まれ、砲門の蓋も、数は足らないままだが一部には取り付けられた。これは装甲鈑に固定された上部のピンで砲門の外側に吊り下げられ、下端の片方にチェーンが取り付けられて、その先が艦内へと引き込まれている。
砲廓の中でロープを引くと、蓋の下隅が壁に沿って持ち上がり、砲門が開くわけだ。かなり重いものなので、滑車装置が必要になっている。
「チェーンが切れたらどうなるんです?」
「落ちるな。上のピンでぶら下がって、砲門は蓋をされた状態になる」
「修理は?」
「外へ出てするしかないが、足場がないか」
「油を塗ってしまいましたからね。ロープで体を吊るとかしないと、海中へ転げ落ちてしまいます」
舷側の35度という斜面は、装甲鈑固定用のボルト頭が出っ張っているために、飛び移ってよじ登れるのだ。副長が砲兵隊員に、砲門から出てはいけないと言わなかったので、あらためて禁止するまでに十数人が試し、すでに数人が海へ転げ落ちた。幸い、誰も溺れ死ななかったが。
戦闘中に舷側を接した状態で乗り移られ、スパー・デッキを占拠されると、スノコ状の天井から爆発物や揮発油を投げ込まれる恐れがあるから、舷側に取り付かれないために、全体にグリースを塗って滑るようにした。もしかしたら敵の砲弾も滑ってくれるかもしれない。
出撃は3月8日と決まった。前夜、艦では地元の司祭を呼んでミサが催され、『ヴァージニア』に神の祝福が与えられた。乗組員は砲廓にひざまずき、帽子を取って胸に手を当てている。それぞれが特に自分への、神の御加護を祈っているのは間違いあるまい。
乗り組んだ士官の名が、一人ひとり呼ばれる。艦長フランクリン・ブキャナン、副長ケイツビィ・ジョーンズ、士官シムズ、マイナー、ダヴィッドソン、ウッド、エッグルストン、バット、士官候補生フォウト、マーマデューク、リトルペイジ、クレイグ、ロング、ルーテス、主計長センプル、軍医フィリップス、軍医補ガーネット、海兵隊長ソーン、機関長ラムジー、甲板長ハスカー、砲手長オリバー、大工リンゼー、シンクレア、といった面々である。陸軍砲兵隊の指揮には、ケヴィル大尉が派遣されてきた。
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