翼をなくした大鷲
CSSヴァージニア物語・第六章
Unflyable Eagle: CSS Virginia stories 1862




Captain_Worden

ウォーデン艦長 (1818-1897)

 ニュー・ヨークの生まれ、1835年海軍入隊、開戦直後に南軍の捕虜となり、交換で北軍へ戻っていた。片目を失ったが、1863年にはモニター『モントーク』Montauk の艦長に任命されている。



第六章・承前

 一方通行のルートを作っても、昇降口は狭く、狭い部分が長いので思うようにならない。昇降口の中に人がいるとバケツが通らないから、ラッタルの中段に足をかけて頭の上にバケツを押し上げても、上からだとやっと手が届くだけだ。
「ダメだな。昇降口が狭すぎるんだ」
「この大桶を砲塔に上げれば、そこまでポンプで水を上げられませんか」
「桶が昇降口を通らないだろうが。前甲板の天窓からでなきゃ、こいつは外へ出ないよ。そこから入れたんだから」
 そっちの口は、開けたら沈む。今だって20秒のサイクルで10秒間は水の中なんだから。砲弾用のホイストを使ってバケツを上げるのでは、取っ手のついた容器しか使えない。しかもそれが艦の動揺で振れ回るのだ。こぼれるほうが多い。
「ラチが明かんな。なんとかブロワーを回復させるしかない。ボイラーに蒸気を作らないと、ポンプが回せない。それまでは、気休めでも排水を続けるしかない。機関長、急いでくれ」
「了解です。全力を尽くします」

 ようやくブロワーの状態に目鼻がつくと、こんどは石炭がビショビショで火がつかない。炭庫を探って乾いた石炭を確保する。下からしか出せないのに、下のほうは水浸しなのだ。やっとの思いでボイラーに再点火し、換気を確保しつつ石炭をくべる。いっぺんに放り込んだら、全員が煙に巻かれてしまうだろう。
 岸が近付くと、波は細かくなり、やはり甲板を越えてはくるが、うねりのように艦全体が水中へ入ってしまうようなことはなくなった。とはいえ、浸水が止まるほどではない。吸気筒からの漏水が減ったくらいだ。命綱をつけた乗組員が、ひび割れた吸気筒の応急修理を始める。
 トラブルの発生からおよそ5時間掛かって、ようやく蒸気が上がり、ポンプが回ると、ビルジの水位はみるみる低下していった。やれやれ…

「艦長、お疲れさまでした。少しお休みになってください」
「この状態が続けばいいんだがな」
 すでに午後8時を過ぎており、日が暮れて空には月が浮かび、ちぎれ雲が飛び過ぎていく。前を行く『セス・ロウ』は、順調に足を進めている。
「さすがに疲れたな。ちょっと横になろう。もっとも、寝床は水を吸ってグチャグチャだがな」
「艦全体がビショビショですからね」
 艦長とグリーン副長、二人が自室に戻ってほどなく、突然艦が大きくピッチングを始めた。同時に凄まじい音が艦内を突き抜ける。まるで大砲を撃っているかのような、ズシーンという破裂音に近いものだ。ウォーデンが飛び起きてきた。

「どうした! 敵襲か?」
「わかりません! 見張りはどうした! 当直は何をしている!」
「異常はありません! うねりが急に大きくなっただけです!」
 大きくなったというより、うねりの角度が変わったようだ。ローリングが減り、ピッチングが激しくなっている。
「うねりのサイクルが艦の動揺周期と一致しています。危険です!」
「音はなんだ!」
 激しい破裂音は、どうやら艦首から聞こえてくる。ちょうどピッチングの周期と一致しているが、聞こえないときもある。
「判りました! 錨鎖口です! もの凄い勢いで水が入ってきています!」
「破損したのか?」
「いいえ、壊れてはいないようなのですが…」

 錨鎖口は、艦の一番前にある。行ってみると、ウインドラスの先、錨鎖が艦内へ入ってきている口が原因のようだ。相変わらず水が入ってきていて、海水は艦長室の床を流れているが、量はさほどに多くない。艦がうねりに乗り、落ちるように艦首が下がると、ドーンと大きな音がして、錨鎖が通っている穴からもの凄い勢いで水が突入してきた。顔を出していたグリーン副長が弾き飛ばされる。
「何が起きているんだ?」
「おそらく…錨を吊っているマンホールは、ちょうどコップを伏せたようになっています。艦首は平たい板のような構造ですから、うねりに乗って艦首が宙に浮くと、コップの中に空気が入ります。艦首が下がると、閉じ込められた空気に大きな水圧が掛かり、錨鎖口へ集中して、爆発的に艦内へ噴き出してくるのでしょう。水の量はたいしたことがなさそうですが…」

 平らな艦首の裏側が海面を叩いているのでは、衝撃は激しいものになる。艦首が艦首の形をしていないから、平手で水を叩いているようになるのだ。これでは破壊してしまう。錨鎖穴に詰め込んだウエスも、この衝撃で吹き飛んでしまったようだ。これだけ圧力がかかったのでは、応急処置の方法がない。衝撃音に並んで、船体の軋む音が不気味に大きく聞こえる。船体の上半分だけが、下から突き上げるような力を受けているのだ。
「『セス・ロウ』へ信号を送れ! もっと静かなところを走ってくれないと、こっちは沈んでしまうぞ!」
 しかし、夜のこととて旗は見えないだろう。普通の船なら問題にならない程度の海況だから、『セス・ロウ』はろくに警戒していないのだ。
「汽笛を鳴らせ!」
「…ありません」
「なんだと?」
「ないんです。この艦には汽笛がついていないんですよ」
「そんな…」

 砲塔の上から、声をからしてメガホンで叫んでも、風上にいる『セス・ロウ』にはまったく聞こえないらしい。赤いランタンを振っても反応はなく、速力も落とさずに、曳船は南へ進み続ける。
 静かになった間に、吸気筒の隙間には応急的にターポリンを巻き、ロープで縛ってあったので、吸気筒からの浸水は壁を伝う程度で多くはない。しかし、ファンがその滴の下で回っているから、弾き飛ばされた水滴が、どこといって選ぶところなく降りかかる。ベルトが濡れれば摩擦が減り、プーリーが滑ってファンは止まるだろう。スタイマーズ機関長は、ブロワーに付きっきりになった。ベルトが切れたら、この艦は終わりだ。
 艦首では、激しい水の勢いが薄い木造の隔壁を破り、士官室のテーブルにまで水しぶきを浴びせている。床を流れた海水は、ドレンを通じてポンプ下端の窪みへ集まるが、今は排水しきれない水が床を右へ左へと流れている。ドレンへ落ちようとしない水が走り回っているわけだ。

 ボイラーに蒸気を保つためには火を焚かなければならず、石炭を燃やすためにはブロワーで空気を取り入れていなければならない。ブロワーを回すためには、ボイラーに蒸気が必要なのだ。鉄でできた船は重く、ほとんどが水中にあるから、水一滴を外へ出すにもポンプが要る。そのポンプも、石炭を燃して蒸気を作っていなければ動かなくなる。
 木造帆船の時代、人は自然の力をなだめ、巧みに利用して海を渡ってきた。経験から得られた知識は、船の形を合理的なものに整え、何が必要で、何をしなければいけないのかを学ばせてきたのだ。この艦は、それらを片っ端から否定し、無視している。自然の摂理、人との融和など、まったく反故にされているのだ。なんという邪悪な船だろうか。

 嵐というほどの状況ではない。この程度の風波なら、大西洋では珍しくもないレベルだ。ほんの小さな低気圧の縁を周っているのだろう。やがてうねりの角度が変わり、横揺れが加わりはじめた。
 グラリと艦が傾くと、波くぼへ斜めに滑るように落ちていく。平底でキールがないから、うねりを横から受けると右へ左へと横滑りする。性の悪い舵をだましだましでも操って、曳索にかかる負担を減らさないと、そのうちには破断してしまうだろう。その最中、
「操舵索が切れました! 舵に手応えがありません!」
 顔を見合わせた艦長は、呪いの言葉を吐き捨てて走っていった。この状態で舵を失ったら、艦がどうなるか予想もつかない。沈むという一致した結果だけは、予想しても始まらない。

 操舵索は切れたのではなく、プーリーから外れただけだったが、修理にはたっぷり30分以上かかった。その間、いつ曳索が切れるかとハラハラしていたのだが、なんとか持ちこたえたようだ。ようやく明るくなってくると、さしも鈍感な『セス・ロウ』も『モニター』の緊急信号に気付き、うねりへの角度を変えて負担を減らしてくれた。破裂音は治まり、浸水も減ってくる。
 陸へ近付いて安静な場所へ一時退避し、応急処置を施す。ここまで来ると、もう戻るより進むほうが近い。チェサピーク湾へ入ってしまいさえすれば、ここまで酷いことにはならない、はずだ。大急ぎで朝食の支度がされ、乗組員は暖かな食事で腹を満たす。肉の塊はちょっと生だったかもしれないが、誰も気がつきもしなかったようだ。

 沖へ戻ると波は静まっており、日中いっぱい艦隊は順調に船足を伸ばす。もう一日同じ状態が続いたら、皆は艦を見捨てたかもしれないが、うねりは小さくなり、緩やかにローリングするだけになった。『セス・ロウ』の船長に言わせれば、ベタ凪である。
 それでも、前進する艦に押される海水は、簡単に上甲板へ上がってくる。砲塔前の天窓が開けられるわけではないから、艦内はグチャグチャのままだ。絞ればどこからでも水が取れる。通常の配備に戻り、当直を外れた乗組員は、思い思いの場所に体を横たえ、束の間の休息を貪っている。またいつ何時、手を止める余裕もない状態になるかもしれない。
「なんとなく落ちつかないもんだな。またなにか始まるんじゃないかと、妙に身構えてしまうよ」
「私もです。ちょっとした軋み音や、ジョイントががたつく音にまで反応してしまうんですよ。一度こいつから降りないと治らないですね。こんな状態が続くと、人間はおかしくなってしまうと言います」
「そりゃあ、なるだろうさ。ノイローゼとかいうやつだろ。なにせ命がけだからな、沈むとなったら逃げ出すこともできない」

 ウォーデンとグリーンは今、砲塔の上で青空を眺めている。相変わらず甲板には波が上がってきているけれども、さすがに砲塔の上にまではしぶきくらいしか飛んでこない。
「しかし日差しがきついですね」
「なにか天幕でも欲しいところだが、支えるものもないな」
 砲塔の上には何ひとつ突き出したものがない。砲塔の天蓋は鉄道のレールで作られていて、隙間を開けたスノコのようになっている。部分的に板を乗せ、歩けるようにはなっているのだが、周囲には手すりもない。かがんで手を触れてみれば、レールは火傷するほどに熱くなっている。

 その日はそれ以上、壊れるところもなかったのだが、昼過ぎにチャールズ岬を視認、チェサピーク湾へ入ろうというところで、ささくれていた曳索がとうとう切断した。またのトラブルは深刻なものではなく、呪うよりも、ここまで持ちこたえてくれたことに対する感謝のほうが大きかった。
 回収された太索は、そっと艦内へしまいこまれる。誰かが編みなおし、敷物でも作って記念品にするか。
 新しい曳索が渡され、航行が再開されると、ほどなくモンロー要塞が見えてきた。はるか遠くから、海面を這うように、低く鈍い音が聞こえてくる。
「なんの音だ?」
「雷鳴? いえ砲声ですね」
「戦闘中か。当然かもしれんが」
 内海へ入ったことで、うねりはほとんどなくなり、艦の状態は安定している。

「戦闘の準備をしておこう。パッキングを外して、とっさの事態に備えておかなければならん。今の状態じゃあ、『戦闘配置につけ!』と言っても、お笑い種でしかないからな。砲声が聞こえているからには、準備なしで接近するわけにもいかん」
「はい、艦長。早速準備させます」
 砲塔を持ち上げ、挟んだウエスを取り除く。砲眼孔のパッキングも取り外した。厳重に封をした防水袋を解き、火薬を手の届くところへ置く。砲弾のラックも、ロック板を外された。日没間近になって、水先案内人を乗せたボートが接近してくる。

「ようこそ合衆国軍艦『モニター』へ。艦長のウォーデンです」
「はじめまして。パイロットのスコットと申します。…これが軍艦なのですか?」
「そうですよ。今はご覧のように曳航されていますが、自力でも動けます。蒸気機関がありますので、帆は張りませんが」
「はあ…こんな船は初めてです。ハシケみたいなものなのかな。吃水は?」
「11フィート4インチ (3.45メートル) です。一軸、平底ですのでスリップがあります」
「ハシケと同じですね。荷を積んだハシケ並だが、タッパはない。重量は?」
「およそ1千トン。見かけの割には重くてね」
「そんなにあるんですか? いったい何を積んでいるんです?」
「鉄、かな。こういうものですよ」

 艦長は砲塔を拳で軽く叩く。堅く鈍い音。ズラリと並んだリベットの頭を見た水先案内人は、不審そうな目を向けている。
「鉄の塊とかが積荷ですか?」
「砲塔と言います。この中に大砲があって、グルグル回るんです。それで南軍をぶっとばすんですよ」
「回るターレット…ルーレットと似たようなものですかな。まあ、それで南軍を吹き飛ばせるのなら、願ってもないことです。なにせ、今日は目の前で、『カンバーランド』と『コングレス』がやられてしまいましたから。…『カンバーランド』は沈んで、『コングレス』はボロボロになって旗を降ろしました。まったく、悪夢としか言いようがない。まだ燃えていますよ。ほら、あの煙がそうです」



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