翼をなくした大鷲 CSSヴァージニア物語・第七章 Unflyable Eagle: CSS Virginia stories 1862 |
第七章
1862年3月8日早朝、『ヴァージニア』は動き出した。まだ完全には準備が整っていないものの、砲門の蓋がいくつか足らないくらいで、作戦を行なうのに支障はない程度だったし、これ以上遅らせたくもなかったからだ。
夜明け、引き潮に乗ってゴスポートの埠頭を離れた『ヴァージニア』は、ゆっくりとエリザベス川の水路へ入っていく。曳船が離れ、自力で進みはじめた。
「こんなに舵効きが悪いのか?」
「これで舵角いっぱいです」
艦はほとんど回っていない。低速でまっすぐに進んでいる。
「少し舵を戻してみろ。様子が変わるかもしれん」
やっと2ノットくらいだから、舵効速力ぎりぎりで動きが悪いのかもしれない。しかし、この狭い水路で速力を上げるわけにもいかない。
「いくらか回ってはいるんですね」
航跡は、体感できるほどではないにせよ、艦が向きを変えていると教えてくれている。しかし、その角度はブキャナンが予想していたものよりずっと鈍い。
「悪いだろうとは思っていたが、これほどとはな。…『ボーフォート』と『ローリー』に信号、『曳索を取れ』だ。…機関室、エンジンを止めるぞ。ミスタ・ジョーンズ、艦を止めて2隻の砲艦を前後に配置し、それぞれに曳索を取ってくれたまえ。この牛は、鼻づらを引いてやらんと柵の向こうへ出られないらしい」
前後の2隻の砲艦にそれぞれ曳索を繋ぎ、まさに鼻を引かれるようにして、『ヴァージニア』はようやくエリザベス川へ出た。お尻が勝手に振れ回らないよう、尻尾も握られている。ここもけっして広いとは言えない水路だが、ここで自力航行ができないようでは、戦闘行動などまったくおぼつかない。
ようやく夜が明けたところだが、ポーツマスの岸にはたくさんの人が立ち並んでいる。皆が『ヴァージニア』の壮途を見守っているのだ。桟橋ではボートが動き出している。頼むから邪魔しないでくれ、こっちはどうやら、避けてやるようなことはできそうもない。
「機関室、蒸気を上げろ!」
煙突からの煙が多くなる。結局、ブキャナン艦長は艦首の操舵室を使わず、一番後ろの昇降口に陣取って、後部砲の前にある操舵装置までの間に人を配さず、直接命令して操艦することにした。今はスパー・デッキ上におり、沿岸で手を振っている人々を眺めている。
対岸のノーフォークの岸辺には、町じゅうの人間が集まったのではないかと思うほど、人が溢れている。家々の海に面した窓も人影でいっぱいだ。浮かんでいるボートはすべて漕ぎ出したようで、どれにも人が鈴なりになっている。水が入って沈んだボートがあり、近くのボートが溺れる人を引きずり上げていた。こんなことで死ぬなよ。
「動けるのはせいぜい7時までだ。水路の中央に針路を取れ」
水先案内人のパリッシュは、ブキャナンの隣で水路に目をやっている。エリザベス川河口右岸にあたるセウェルズ・ポイント (Sewell's Point=セウェルズ岬) までは、砲台の援護があるから小船の行き来もでき、水路の状態は把握できているけれども、ハンプトン・ローズ (Hampton Roads=ハンプトン水道) の様子はまったく判らない。河口の中洲は一晩で形の変わることがあるから、6.6メートルもある吃水の深い『ヴァージニア』では、よほど慎重にしないと座洲してしまう。
「4尋半! (約8メートル)」
艦首甲板には測深手がつき、川底までの深さを計っている。
「浅いな」
「もう少し左へ寄せてください」
「『ボーフォート』へ赤旗を上げろ。…取り舵少々」
速力が上がったせいか、さっきよりはマシだが、やはり動きは鈍い。低速ではどうにもならない。右へ左へと鼻を引かれながら、鈍重な装甲艦は水路に沈められた障害物を避けていく。岸には砲台が並び、そこの守備兵たちも、見慣れない形の船を眺め、味方の軍艦と聞いたのだろう、思い出したように手を振りはじめる。
「このあたりから、深くなるはずです」
「機関室、全速準備。曳索を放て!」
「6尋!」
「抜けましたね。ここからハンプトン・ローズまでは、水路の中に浅瀬はありません」
「よし、どれだけ足があるか試してみよう。前進全速!」
引き潮もあって、速力はかなりのものだ。艦首の波切りが水を押し分けきれず、上を越えはじめた。測深手が砲門から艦内へ逃げ込んでくる。
「陸標を取れ! 三角法で速力を計るんだ」
流れがあるからログが使えない。後部甲板は渦巻く水の中で、立っていられるような場所でもない。上に張った鉄板には、真下のスクリューの振動がモロに伝わっているだろう。スクリューは鉄板のすぐ下で回っているのだ。振動は、位置の浅すぎるスクリューが、鉄板の脇から、いくらか空気を巻き込んでいるためでもあるようだ。
数日前、火薬が届いて積みこんだとき、艦が軽すぎることが判明した。いくら積んでも吃水線が上がらず、装甲下端が水の中へ入らないのである。浮力が大きすぎるのだ。結局、造船所じゅうから屑鉄を集め、後部倉庫に敷き詰めて目方を増やした。艦首側にはすでに石炭がびっしりと積まれていてどうしようもなく、居住甲板の隅にまで重しを積み込んでいる。先に積んでいたバラストと合わせれば、全部で300トンほどにもなっただろう。
まだ十分とは言えないのだが、一応装甲下端は水中に入ったから、出撃することになった。釣り合いの問題はそのままで、許容範囲ではあるが中途半端な状態になっている。艦が思うように回らないのは、そのせいがあるかもしれない。本来なら一度全部を積み直したほうがよいのだが、時間がない。
「ざっとの計算ですが、9ノットくらい出ています」
「なかなかだな。舵を当ててみろ」
鈍くはあるが、回らなくもない。回転を上げていれば、なんとか操縦はできそうだ。
「機関室、減速準備。ミスタ・ジョーンズ、投錨用意だ」
速力を落とし、河口近くに錨泊点を探す。もう、だいぶ潮が引いているので、これ以上の行動は危険だ。
「投錨!」
艦内は当直を残して配置を解かれ、食事の時間になる。食べ終わった砲員たちが、ぞろぞろと露天のスパー・デッキへ上がり、タバコに火を着けはじめた。艦尾にいるブキャナン艦長を見やり、その先に見えてきた北軍艦隊を指差している。
交替の時間になり、スパー・デッキに上がっていた連中が降りてくると、ラッタルの下で待っていた班が、待ちかねたように駆け上がっていく。食事も、休憩も、時間割をしてずらさないと、思うようにできない。
「軍艦って、こんなもんなのかね」
「さてな、誰も乗ったことないんだろ」
「水兵連中に聞くと、またバカにしやがるからな」
「靴なしは俺たちの近くへ来もしねえ。そんなに踏まれるのがイヤかね」
「そりゃ、こんなゴツイもんで踏まれるのはイヤだろうさ。楽しいわけがねえ」
艦内には、砲兵と水兵の不文律的な棲み分けが始まっている。もともと靴を履いている海兵とも、どこかしっくりいかない部分があるけれども、一方的に足を踏まれるだけの水兵とは、数度の殴り合いを経て、奇妙な分離関係ができあがりつつある。
「船って、こんなに揺れるのかね」
「連中に言わせれば、ピクリとも揺れてないそうだよ」
「俺は貨物船に乗ったこともあるけどな、揺れるってのはこんなもんじゃない。大砲を撃つなんてとうていできないさ。大砲は勝手に走りださないように、ロープでぐるぐる巻きにするんだ。この船には帆柱がないからいいけど、風が強くなって帆を畳みに登っていく連中を見たときには、俺には絶対できねえって思ったよ。上なんかこうだぜ」
ひじから先を垂直に立て、それを左右に傾かせて振って見せる。甲板から百フィートも上で、まさに振り回されながら、帆を広げたり畳んだりする。下から見上げているだけで気分が悪くなる眺めだった。
「あれに登らされたら、絶対死ぬと思ったよ。とにかく、掴まっていなきゃ立ってることもできないのに、ロープを掴むだけで登っていくんだぜ、どうして落ちないのか、あいつらは蜘蛛かと思ったよ」
皆、想像できないという顔で話を聞いている。外洋のうねりの中で、船がどういう振舞をするかは、知らなければ想像しようがない。
そろそろ時間だ。食器を洗い、片付けてラッタルの下へ集まる。タブ軍曹が時計を持って、交替のタイミングを計っている。
「ヘニング、あと1分だ! 火の始末をさせろ!」
上からはあまり気のない返事が返ってくる。ほんの15分ずつ、一日に3回しか陽にあたれない。これが不公平になったら、砲兵の中でも反目が始まるだろう。タブ軍曹はがっちりと時計を管理している。
「よーし、お前たち2列に並べ。ヘニング、降りて来い!」
ぞろぞろと班員が降りてくる。一歩一歩ゆっくりと。待ち焦がれていた班員は、一斉に駆け上がっていく。すれ違っていく足どりは実に対照的だ。
「おー、今日もいい天気だ。生き返るなあ」
穏やかな春の日差しが待っていた。次々に火が回される。一斉に煙が噴き上がり、青空を昇っていくと、太い煙突の黒煙に吸い込まれていった。
昇降口から後ろには、艦長と士官が二人、水兵が何人かいるだけで、甲板はガラガラだが、砲兵はそこへ入れない。両側の手すりにそってずらりと並び、貴重な時間を貪る。
「諸君、あれが北軍の艦隊だ。よく見ておけ」
ケヴィル大尉が、風下の方向を指差している。ずっと遠くにポツポツと船が見えるものの、あまり緊迫感は感じない。そんなことより、今日のケンカが終わったら上陸させてもらえるのかな。
艦は錨に引かれ、引き潮に乗って艦尾を河口へ向けている。穏やかな南風が吹き、絵に描いたような暖かな春の朝だ。帆船と違い、この艦はほとんど風の影響を受けない。下では風を探っているのだろう、煙管形の吸気筒が回っている。
見渡せばハンプトン・ローズが目前に開け、対岸に北軍艦隊の姿が見える。艦尾を向いてやや左手、クレイニー島に重なるように帆柱が見え、そこから右手外海へ向かって、ズラリと軍艦の展示会場だ。小さな船がその間を行き交っている。直線距離で10キロメートルくらい離れているだろうか。
「一番左、川上側にいるのが『カンバーランド』 Cumberland ですね。本艦のものと同じ、9インチのダールグレン砲を22門装備しています。次が『コングレス』 Congress で、32ポンド砲50門。付き添っているのは曳船だと思います。『ズアーヴ』 Zouave かな。右へ『ミネソタ』 Minnesota、『ロアノーク』 Roanoke、『セント・ローレンス』 St. Lawrence でしょう。モンロー要塞 Fort Monroe の向こう側にも船がいます」
「壮観だな。…美しい、一幅の絵画とも見える光景だ。あれだけの艦隊は、イギリスといえども、そうそう揃えられるものではない」
『カンバーランド』はスループ、『コングレス』と『セント・ローレンス』はフリゲイトだが、それほど大きさに違いがあるわけではない。建造時期の違いによる武装の差のほうが大きいだろう。どれも帆装艦だが、『ミネソタ』と『ロアノーク』は、戦列艦に匹敵する大型の汽帆装フリゲイトである。この『ヴァージニア』自体が、同じクラスのフリゲイト『メリマック』だったのだ。
あちらも朝食の最中のようで、あちこちに細い炊事の煙が立ち昇っている。『コングレス』では洗濯物がマストを登りだした。
「緊張感ゼロですな」
「そうか、今日は土曜日なんだな。なあに、すぐに思い知らせてやるさ。さて、メシにしよう」
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