翼をなくした大鷲
CSSヴァージニア物語・第七章
Unflyable Eagle: CSS Virginia stories 1862
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スループ・カンバーランド
排水量1726トン (旧方式)
第七章・承前
その朝、最初に異変に気付いたのは、『カンバーランド』の当直士官だった。なにか煙を上げる存在が、エリザベス川を下ってくる。それははっきりと視界へ入る前に、島陰で錨を下ろしたらしい。煙は見えるが、帆柱はない。近くには南軍の砲艦がいると判るものの、そちらは脅威になるような戦力ではない。
煙だけの存在は動かず、艦は早朝の日課を始める。
「あの煙から目を離すんじゃないぞ。動き出したり、煙が濃くなったら、すぐに報告するんだ」
『メリマック』のウワサはある。南軍が遺棄されたフリゲイトを引き上げ、改造して鉄板を張り付けているという。しかし、それがどんな姿なのか、いつ動き出すのか、誰も知らなかった。
天候によっては気球が上げられ、高い位置から工廠の様子は盗み見られていたけれども、10キロメートル以上も離れていたのでは、望遠鏡を使っても細かいところまでは見えない。『メリマック』の最終形状も判らないのだから、完成したものだかどうだか、はっきりとはしていなかったのだ。試運転に動いた様子もなかったから、漠然と、まだ完成していないのだろうと考えられていた。
午前中は何事も起きなかった。引き潮が終わり、潮が変わって錨に繋がれた艦の向きも変わる。今、煙は右舷に見え、徐々に濃くなっているように思えた。『カンバーランド』のラドフォード艦長は、『ロアノーク』での軍法会議に出席していて、今はモリス副長が指揮をとっている。
「煙が動いています!」
陸に重なっているので、動き出すとすぐに判る。
「副長を呼べ!」
モリス副長は、すぐに甲板へ上がってきた。指差された方角へ望遠鏡を向ける。
「煙が動き出しました。『メリマック』でしょうか」
「まだ判らん。島陰から出ないと、なんとも言えんな」
煙はゆっくりと左手、セウェルズ・ポイントへ向かっている。
「先頭は『ボーフォート』です!」
「見えました! なんでしょう。…なんだか判りません。煙突があるだけで、帆柱が見えません」
「上へあがってみる。旗艦に注目していろ」
当然、『ミネソタ』からも見えているはずだ。今、旗艦には注意喚起の信号が上がった。号砲が轟く。
ミズン・トップへ上がった副長は、望遠鏡で煙の方向を眺めている。まもなく当直交替の時間になる。副長が降りてきた。
「ミスタ・マクドナルド、総員戦闘配置だ」
「戦闘配置!」
あっという間に、艦は雑踏にまみれる。数分のうちに砲の固縛が解かれ、隔壁が分解格納された。艦は戦う準備を整えていく。
「あれが『メリマック』か。…これを持って、見てみろ」
もう甲板からでもよく見える。手渡された望遠鏡を向けると、まったく見たことのない船、いや、怪物がそこにいた。
「黒い亀みたいだ。煙突の付いた亀?」
「そのようだな。『ボーフォート』と比べると大きさが判る。かなりの大型艦だ。あれが『メリマック』なら、元は『ミネソタ』とほぼ同じ大きさだから、不自然じゃない」
「セウェルズ・ポイントへ向かっているようです」
「モンロー要塞とでも撃ち合うつもりなのかな」
彼らに側面を向けたまま、『メリマック』=『ヴァージニア』は、川を下っていく。その前方にいた北軍軍艦『マウント・ヴァーノン』 Mount Vernon は13時5分、『メリマック』へ向けて射撃を始める。すでに北軍の全艦が『メリマック』を見ており、戦闘準備を整えていた。
… * …
「諸君! だいぶ長いこと待たせてしまったが、これから北軍の艦隊に、我々の存在を思い知らせるための戦闘を仕掛ける。力を発揮する機会が巡ってきたのだ。我々は自由を踏みにじられ、祖国を荒らされ、家族を殺された。今、我らは立ち上がる。傍若無人な北軍の奴らに、手痛い教訓を与えてやろうじゃないか」
早めの昼食の後、ブキャナン艦長は全員を砲廓に集めて演説を行なった。
「私は君たちに約束する。砲弾が届くほど近付かなかったなどとは、間違っても言えないくらい、君たちを敵の近くまで連れていってやるとな。思う存分、砲弾を撃ち込んでやれ。南部連合政府は、君たちが本分を尽くすことを期待している。…以上だ。では諸君、戦闘配置につけ!」
艦は敵へ向かって進みはじめた。火薬庫が開かれれば厨房に火がなくなってしまうので、昼食のあいだ当直にあたっていた士官たちは、戦闘の始まる前に昼食を済ませるはずだったのだが、士官室へ行ってみると、気の早い乗組員がすでにテーブルに真っ白なシーツを伸べており、軍医の助手が手術道具を並べていた。その銀色に光る冷たい輝きを見たのでは、誰にも食欲などすっかりなくなってしまう。
あと何時間かすれば、誰かがここで手足を切り取られているかもしれないし、腹から破片をえぐられているかもしれない。もしかしたら、それは自分かもしれないのだ。彼らは互いに顔を見合わせ、肩をすくめると、食事を諦めて持ち場へ戻っていった。
「艦長、ジェームズ川に味方が見えます」
「うむ…3隻か。そんなものだろうな」
『ヴァージニア』の出撃に呼応して、ジェームズ川の上流から、防備艦隊の一部が派遣されてきていた。ニューポート・ニューズ砲台の射程に入らない位置で待機していたのだが、今、『ヴァージニア』が動き出したのを見て、その射界を強行突破しようとしている。
乏しい戦闘力だが、中心になる『ヴァージニア』がいれば、寄せ集めた蟷螂の斧でも、何かを勝ち取れるかもしれない。万一、『ヴァージニア』が座礁するなどしたときのことも考えられたのだろう。3隻は砲撃を受けながらも、ニューポート・ニューズ岬を回ってくる。
「砲艦の『ジェームズタウン』 Jamestown と『パトリック・ヘンリー』 Patrick Henry、武装曳船の『ティーザー』 Teaser ですね。艦長はそれぞれ、バーニー、タッカー、ウェブです」
「よく来てくれた。歓迎の信号を掲げろ」
向こうにも答礼の旗が上がる。艦隊は全部で6隻に膨れ上がった。エリザベス川の水路を出た『ヴァージニア』は、真正面にいる『ミネソタ』へ艦首を向ける。しかし、へさきは勝手に左へ左へと逸れていく。
「ダメです。上げ潮で『ミネソタ』への針路が維持できません!」
エリザベス川を下っているときから、『ヴァージニア』は流れの速い潮に押され、速力が上がらなくなっていた。北軍艦隊の旗艦である『ミネソタ』へ向かうには、ちょうど潮の一番速い流れを横切るようになる。『ヴァージニア』の推力は足らず、どうしても横へ逸らされてしまうのだ。
「いかんな。ここで潮へ向かうと、ほとんど動けなくなる。やむを得ん、流れに乗って手頃なのから片付けていこう。どうせ全部やっつけなきゃならんのだから、早いか遅いかだけだ。取り舵いっぱい」
『ヴァージニア』はゆっくりとへさきを巡らせ、ハンプトン・ローズを遡りはじめた。今は潮が後ろから押してくれるので、速力が上がる。
「前方に浅い中瀬があります。どちらへ避けましょうか」
「浅瀬の敵側を通りたいが、行けるか?」
「難しいですね。横を向いて流されると、中瀬へ横ざまに乗り上げるかも」
きちんと舵の効く船なら、そんなことにはならないだろうが、『ヴァージニア』の運動性の悪さを実感しているパリッシュは、安全策を勧めた。
「そんなバカなまねはごめんだな。中瀬を右舷に見て通過する。通り抜ける頃には潮だるみになるだろう」
「そうですね。そうなれば自由に動けます」
およそ3千メートルを隔て、『ヴァージニア』は右舷に『コングレス』を見ながら、中瀬をかわしてジェームズ川方向へ向かう。水路に沿って舵を切ると、ほぼ正面に『カンバーランド』が右舷を向けていた。ちょうど満潮が近付き、潮の流れも緩やかになった。『カンバーランド』は水路屈曲部の向こう側にいるから、潮の流れはまっすぐそちらへ向かっている。
「一番川上にいる『カンバーランド』を攻撃する。まっすぐ突っ込むぞ」
『カンバーランド』は、こちらへ側面を向けるため、錨鎖にスプリングを取っている。帆装艦だから、狭い水道では思うように動けず、錨を上げる気はないらしい。斉射に自信を持ってもいるのだろう。
「直進する。艦首砲は射撃を開始せよ」
「右舷に『コングレス』がいます」
北軍のフリゲイトは、ちょうどニューポート・ニューズ岬の先端にいて、やはりスプリングを取り、『ヴァージニア』とほぼ平行した反対方向へ艦首を向けている。この針路で『カンバーランド』へ向かうと、ほんの1千メートルもない距離で、その側方を通過することになるから、強烈な片舷斉射を食らうだろう。こんな十字射撃を受けるような接近をする馬鹿者は、普通はいないな。
「いや、『カンバーランド』が持っている大口径砲のほうが危険だから、先に始末をつけよう。『コングレス』には撃ってもらおうじゃないか。それでこいつの装甲が破壊されるなら、とうてい作戦など続けられはしない。撃たれっぱなしも癪だからな、右舷砲列に応戦の準備を」
「アイ・アイ・サー!」
『コングレス』と『カンバーランド』は、射程を長くとれる上甲板の追撃砲を発射しはじめた。『ヴァージニア』の周囲に水柱が立つ。
「ふん、そんな及び腰で、当たるものか」
「艦首砲、射撃を開始します!」
初めての砲撃だ。ドンッと衝撃があって、艦首に煙が上がった。一瞬間を置き、『カンバーランド』の側面に閃光が見え、煙が上がる。
「命中しました!」
「よし、続けて撃て!」
さすがにブルック・ライフルは正確だ。1千メートル以上の距離でも、初弾から命中する。『カンバーランド』が撃ち返してきた。
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