翼をなくした大鷲 CSSヴァージニア物語・第十章 Unflyable Eagle: CSS Virginia stories 1862 |
第十章
『ヴァージニア』は、さっきとは角度を変え、『ミネソタ』の舷側砲では撃てない方向から接近する。相変わらず底をついたままの『ミネソタ』は、どうにも動けない。
「座ったアヒルだとブキャナン艦長はおっしゃったが、あれは脚を折ったガチョウだな。艦首砲、射撃開始!」
ズシンと腹に響く衝撃とともに、艦首で煙が上がった。いがらっぽい煙の中を突き抜けると、『ミネソタ』の手前に水柱があがる。ジョーンズはパリッシュに声をかけた。
「もう少しまっすぐに行けるか?」
「この辺はだいぶ浅いんですが、通れなくはないはずで…」
その瞬間だった。艦に、はっきりそれとは判らないような異変が起きている。まずパリッシュが気付き、続いてジョーンズも感じ取った。
「なんだ?」
「底を擦っています!」
「艦を止めろ! エンジン停止!」
「いけません! これは泥です! 止まったらくっついて離れなくなります!」
「どしあげたら動けなくなる!」
「前より浅くなっているようですが、完全に乗り上げるほどではないはずです!」
二人が言い争っている間に、エンジンは止まり、『ヴァージニア』は泥に捕まった。吸盤のような泥に艦底が張り付いてしまったのだ。
「ダメだ! 止まってしまったら、もう動かない!」
「慌てるな! 測深しろ! 艦首と艦尾両方でだ。左右も、できるだけ正確に計れ!」
「『モニター』が動き出しました!」
泣きっ面に蜂だな。こんなところで動かずにいたら、いいだけ叩かれる。
「測深を急げ!」
結果、周囲の水深にはほとんど変化がなく、測鉛は、ギリギリとはいえ艦が浮くだけの水深があることを示していた。実際にも艦首は浮いていて、後半部が泥に捕まっているだけのようだ。
「海底は泥です。それも柔らかい泥です」
「吸いつかれているだけですね。乗り上げてはいない」
「前進全速だ。ラムジー機関長、ボイラーの圧力を限界まで上げろ。なにがなんでも脱出する。こんなところで朽ち果ててたまるか!」
ボイラーに非常用の燃料が放り込まれ、安全弁に重しを乗せて、定格以上に圧力を上げる。エンジンは悲鳴をあげ、スクリューは猛然と泥水を掻き回している。
「『モニター』が接近してきます!」
こちらが動けなくなっているのに気付いたのだろう。『ミネソタ』との間に割り込む態勢から、速力を落として接近してくる。さすがに砲門正面へ出ようとはしない。
「照準できません。『モニター』は死角にいます!」
正面の砲門からも、斜め前方の砲門からも、『モニター』は撃てない。ちょうどその中間にいて、艦首を向け、慎重に接近してくる。
「機関室! 頑張れ!」
『ヴァージニア』の船底は、細かな泥に吸着されているだけだ。砂洲に乗り上げているわけではない。それなら後進のほうが、泥の層に水を送り込む形になるから、脱出はより容易だったかもしれない。しかし、ジョーンズの頭に後退はなかった。
「軸受けが過熱しています! これ以上は無理です!」
「水でもぶっかけておけ! 全開だ!」
「ボイラーが破裂します!」
「かまわん! このままではやられる。脱出できるまで全力で回せ!」
過酷な扱いに抗議するように、『ヴァージニア』の船体はブルブルと震えている。艦内の誰もが、食いついて放さない川底の泥を憎んでいた。
「全員、右舷へ寄れ! 艦を傾けるんだ!」
右へ左へと、号令に合わせて乗組員が左右に走り、船体を揺らそうと試みる。しかし、もともと狭い砲廓にたくさんの人間がいるのだから、動ける余地は少なく、効果は上がらなかった。艦はびくとも動かない。
「砲だ! 一斉射撃の反動で艦を動かすんだ!」
「右舷砲列、発砲用意!」
「砲門の蓋を開け!」
総出でロープを引く。重い蓋が少しずつ持ちあがっていく。外の爽やかな空気が流れ込んできた。
「押し出せ!」
「左舷要員、下がれ! 轢かれるぞ!」
蓋が開くのを待ちかねたように、砲が押し出される。すでに装填されていたから、発砲するだけだ。
「撃てーっ!」
少し慌てていたのだろうか、タイミングは不揃いだった。ひと繋がりになったような音が響き、砲が後退してくる。艦は動かない。
「もう一度だ! 装填急げ!…2弾装填しろ!」
「副長、危険です! 炸裂弾で2弾装填は、…その場で爆発するかもしれません!」
「かまわん! ここで動けなければ、どのみち終わりだ。装填急げ! 機関室、回転を落として蒸気を溜めろ! すぐに全力運転する!」
驚異的な速さで装填は完了した。砲が押し出され、砲員が退く。機関は全力運転を始めた。不気味な振動が伝わってくる。
「タイミングを合わせろ。各砲手、準備いいか!」
前後の7インチ砲も、右舷側の斜め方向を向いた砲門に砲を突き出している。さすがにライフルでは2弾装填はできない。間違いなく破裂する。
唯一砲廓全体を見渡せる煙路横の位置で、ケヴィル大尉が腕を振り上げた。
「3、2、1、撃てーっ!」
腕を振り降ろすと同時に、6門の砲が一斉に発砲した。反動ではっきりと艦が傾き、ゆっくりと戻る。動いているか?
「ダメだ…」
艦はエンジンの轟音とともに振動しているが、外を見ている目は、艦が動いていないと言っている。
「再装填! 諦めるな!」
ジョーンズの声が砲廓に響き渡る。そのときだった。
「動いています! 艦が進んでいます!」
実感として判るものではない。ジョーンズはラッタルを駆け上がり、身を乗りだして海面を見詰めた。本当に動いているか?…動いている。わずかずつだが、艦は進んでいる。
「動いているぞ! 機関全開!」
誰にも判る速度で、はっきりと『ヴァージニア』は動き出した。溜めた力を吐き出すように、一気に加速していく。敵はどこだ?
目の前にいた。
『モニター』は『ヴァージニア』が座礁して動けなくなったと思い、艦首近くの死角に接近して、まさに砲撃を始めようとしていた。無防備に側面をさらし、ほとんど止まっている。
砲は間に合わない。たったいま全力射撃したばかりだ。
「突っ込むぞ! 取り舵いっぱい! 全速前進!」
戻る | 目次へ戻る | 次へ |
ガンルームへ戻る |