翼をなくした大鷲
CSSヴァージニア物語・第十章
Unflyable Eagle: CSS Virginia stories 1862




illust 5

戦闘を描いた絵画・5

 比較的リアリティのある絵だが、『ヴァージニア』の舷側の傾斜はもっと寝ている。
 これほど近付いたことはほとんどなかったようだ。



第十章

 『ヴァージニア』は、さっきとは角度を変え、『ミネソタ』の舷側砲では撃てない方向から接近する。相変わらず底をついたままの『ミネソタ』は、どうにも動けない。
「座ったアヒルだとブキャナン艦長はおっしゃったが、あれは脚を折ったガチョウだな。艦首砲、射撃開始!」
 ズシンと腹に響く衝撃とともに、艦首で煙が上がった。いがらっぽい煙の中を突き抜けると、『ミネソタ』の手前に水柱があがる。ジョーンズはパリッシュに声をかけた。
「もう少しまっすぐに行けるか?」
「この辺はだいぶ浅いんですが、通れなくはないはずで…」
 その瞬間だった。艦に、はっきりそれとは判らないような異変が起きている。まずパリッシュが気付き、続いてジョーンズも感じ取った。

「なんだ?」
「底を擦っています!」
「艦を止めろ! エンジン停止!」
「いけません! これは泥です! 止まったらくっついて離れなくなります!」
「どしあげたら動けなくなる!」
「前より浅くなっているようですが、完全に乗り上げるほどではないはずです!」
 二人が言い争っている間に、エンジンは止まり、『ヴァージニア』は泥に捕まった。吸盤のような泥に艦底が張り付いてしまったのだ。
「ダメだ! 止まってしまったら、もう動かない!」
「慌てるな! 測深しろ! 艦首と艦尾両方でだ。左右も、できるだけ正確に計れ!」
「『モニター』が動き出しました!」

 泣きっ面に蜂だな。こんなところで動かずにいたら、いいだけ叩かれる。
「測深を急げ!」
 結果、周囲の水深にはほとんど変化がなく、測鉛は、ギリギリとはいえ艦が浮くだけの水深があることを示していた。実際にも艦首は浮いていて、後半部が泥に捕まっているだけのようだ。
「海底は泥です。それも柔らかい泥です」
「吸いつかれているだけですね。乗り上げてはいない」
「前進全速だ。ラムジー機関長、ボイラーの圧力を限界まで上げろ。なにがなんでも脱出する。こんなところで朽ち果ててたまるか!」
 ボイラーに非常用の燃料が放り込まれ、安全弁に重しを乗せて、定格以上に圧力を上げる。エンジンは悲鳴をあげ、スクリューは猛然と泥水を掻き回している。
「『モニター』が接近してきます!」

 こちらが動けなくなっているのに気付いたのだろう。『ミネソタ』との間に割り込む態勢から、速力を落として接近してくる。さすがに砲門正面へ出ようとはしない。
「照準できません。『モニター』は死角にいます!」
 正面の砲門からも、斜め前方の砲門からも、『モニター』は撃てない。ちょうどその中間にいて、艦首を向け、慎重に接近してくる。
「機関室! 頑張れ!」
 『ヴァージニア』の船底は、細かな泥に吸着されているだけだ。砂洲に乗り上げているわけではない。それなら後進のほうが、泥の層に水を送り込む形になるから、脱出はより容易だったかもしれない。しかし、ジョーンズの頭に後退はなかった。
「軸受けが過熱しています! これ以上は無理です!」
「水でもぶっかけておけ! 全開だ!」
「ボイラーが破裂します!」
「かまわん! このままではやられる。脱出できるまで全力で回せ!」

 過酷な扱いに抗議するように、『ヴァージニア』の船体はブルブルと震えている。艦内の誰もが、食いついて放さない川底の泥を憎んでいた。
「全員、右舷へ寄れ! 艦を傾けるんだ!」
 右へ左へと、号令に合わせて乗組員が左右に走り、船体を揺らそうと試みる。しかし、もともと狭い砲廓にたくさんの人間がいるのだから、動ける余地は少なく、効果は上がらなかった。艦はびくとも動かない。
「砲だ! 一斉射撃の反動で艦を動かすんだ!」
「右舷砲列、発砲用意!」
「砲門の蓋を開け!」
 総出でロープを引く。重い蓋が少しずつ持ちあがっていく。外の爽やかな空気が流れ込んできた。
「押し出せ!」
「左舷要員、下がれ! 轢かれるぞ!」
 蓋が開くのを待ちかねたように、砲が押し出される。すでに装填されていたから、発砲するだけだ。
「撃てーっ!」

 少し慌てていたのだろうか、タイミングは不揃いだった。ひと繋がりになったような音が響き、砲が後退してくる。艦は動かない。
「もう一度だ! 装填急げ!…2弾装填しろ!」
「副長、危険です! 炸裂弾で2弾装填は、…その場で爆発するかもしれません!」
「かまわん! ここで動けなければ、どのみち終わりだ。装填急げ! 機関室、回転を落として蒸気を溜めろ! すぐに全力運転する!」
 驚異的な速さで装填は完了した。砲が押し出され、砲員が退く。機関は全力運転を始めた。不気味な振動が伝わってくる。
「タイミングを合わせろ。各砲手、準備いいか!」
 前後の7インチ砲も、右舷側の斜め方向を向いた砲門に砲を突き出している。さすがにライフルでは2弾装填はできない。間違いなく破裂する。
 唯一砲廓全体を見渡せる煙路横の位置で、ケヴィル大尉が腕を振り上げた。
「3、2、1、撃てーっ!」
 腕を振り降ろすと同時に、6門の砲が一斉に発砲した。反動ではっきりと艦が傾き、ゆっくりと戻る。動いているか?

「ダメだ…」
 艦はエンジンの轟音とともに振動しているが、外を見ている目は、艦が動いていないと言っている。
「再装填! 諦めるな!」
 ジョーンズの声が砲廓に響き渡る。そのときだった。
「動いています! 艦が進んでいます!」
 実感として判るものではない。ジョーンズはラッタルを駆け上がり、身を乗りだして海面を見詰めた。本当に動いているか?…動いている。わずかずつだが、艦は進んでいる。
「動いているぞ! 機関全開!」
 誰にも判る速度で、はっきりと『ヴァージニア』は動き出した。溜めた力を吐き出すように、一気に加速していく。敵はどこだ?
 目の前にいた。
 『モニター』は『ヴァージニア』が座礁して動けなくなったと思い、艦首近くの死角に接近して、まさに砲撃を始めようとしていた。無防備に側面をさらし、ほとんど止まっている。
 砲は間に合わない。たったいま全力射撃したばかりだ。
「突っ込むぞ! 取り舵いっぱい! 全速前進!」

… * …


 揚弾を続けながら、『モニター』は『ミネソタ』へ向かっている『メリマック』の、前方を遮るように動き出した。いくらか後落しており、完全に間へ入ることは難しい。しかし、『ミネソタ』は座洲したままだから、『メリマック』も体当たりはできないだろう。旗艦は1発か2発撃たれるだけですむ。
「『メリマック』の動きが変だな。ハワード君、どう思う?」
 艦長と位置を代わり、スリットを覗きこんだ水先案内人のハワードは、ややあって顔を引いた。
「あのあたりは浅いですから、乗り上げたのかも。『メリマック』は明らかに止まっています。機関が故障したのかもしれません」
「艦長、『メリマック』の煙が濃くなっています。やっきになって蒸気を上げているみたいですよ」
 舵取りのウィリアムスからも見える位置だ。
「奴め、どしあげたな。よし、死角から接近しろ。至近距離から砲弾を叩きこんでやる」

 『メリマック』には砲を向けられない角度が多い。死角から接近すれば、まったく撃たれずに一方的な射撃ができる。近距離から同じ場所を撃ち続ければ、どんな装甲だって破壊するだろう。
 もし、『モニター』が艦首正面へ向けて発砲できるなら、接近しながらでも射撃ができ、そのままの姿勢で撃ち続けられるが、艦首から左右30度くらいの範囲では、発砲すると操舵室が爆風に覆われてしまうし、ごく浅い角度では操舵室そのものが射界を遮っている。これも欠点のひとつだな。
 ドーンと発砲音がして、『メリマック』の側面に煙が上がった。何を狙ったんだ? 『メリマック』の右舷側を見渡しても、目標になるような艦はいない。何をしているんだろう。
「発砲の反動で、艦を海底から引き剥がそうとしているんでしょう。座礁しているのではなくて、泥に捕まっているだけですね」
「逃がすものか。砲塔、右舷60度へ向けろ!」

 距離はもう100ヤードもない。速力を落として艦が回り、おおよそ砲塔が敵艦の方向を向いた。若干の調整が必要で、砲塔は旋回に手間取っている。思うような微調整ができないから、動かずに精密射撃をするのは、この砲塔には向いていない使い方のようだ。だからといって艦を動かしていれば、敵の死角から出てしまう。
 また、『メリマック』は何もいない方角へ一斉射撃した。
「砲塔、準備できしだい発砲せよ」
 後ろ側のスリットから見れば、砲塔はすでに照準ができているようだ。まもなく発射するだろう。振り向いたウォーデンは、我が目を疑った。
 『メリマック』の艦首に波が立っている。奴は進んでいる。
「機関室、前進全速! 面舵いっぱい!」
 急激に加速した『メリマック』は、『モニター』の側面をめがけて突っ込んでくる。今、ウォーデンは踏まれないはずの亀に踏みつけられた。

 それでも、わずかに動き出し、艦尾を振った『モニター』に追従できるほど、『メリマック』は素早く右へは回れない。艦首正面で『モニター』を捉えることができず、艦首右舷がモニターの右側面に衝突した。
 『モニター』は4倍近い重量を押しつけられ、横ざまに突き飛ばされる。乗組員は残らずひっくりかえった。艦は傾き、ゴリゴリという音と振動が、ぶつかってきた物の質量の大きさを表している。
 砲撃するどころではなく、乗組員は手が触れたものにしがみつき、恐怖に引きつった目で、壁の向こう側の見えない存在を見詰めていた。
 10分も続いたような気がしたが、こすれていたのは、ほんの10秒かそこらだっただろう。突き飛ばされた『モニター』は頑丈で、振りまわされただけで大きな損傷もなく、『メリマック』から離れる。横揺れが収まると、ウォーデンは立ち直った。



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