英露戦争危機 2
The 1884 crisis of war (2)


Central Asia

19世紀当時の中央アジア

 地図中の国境は現在のものだが、地名は19世紀後期。当時の国境は不確実で、国名は大きく異なる。ロシアはカスピ海沿岸のHクラスノボーツクからヘラート北にあるIクシカまで伸びている鉄道を利用し、カンダハルと国境を挟んだベルチスタン(現パキスタン)のGクエッタを経て、カラチ方面への鉄道による進出を企てたようだ。現在でもアフガニスタン国内には、鉄道はほとんど敷かれていない。

@ロシア領オムスク Aカザフスタン領アルマティ Bキルギス領ビシュケク Cウズベキスタン領サマルカンド Dタジキスタン領ドゥシャンベ Eトルクメニスタン領アシハバード Fパキスタン領イスラマバード Gパキスタン領クエッタ Hトルクメニスタン領クラスノボーツク Iクシカ




明治18年(1885年)3月16日 (月)
ロシア、中央アジアへ手を伸ばす

 ロシア皇帝を中央アジア皇帝の位につかせようという目論見については、先般紙面に掲載したところであるが、ソーレイル?新聞の在彼得堡 [ペテルブルグ] 通信者の伝えるところでは、ロシア皇帝アレキサンドル三世皇は、タスケンド王をアジア皇帝の位につかせるために本年中にタスケンドへ赴くという。そして、その道筋においてコーカサスの諸鎮台およびアトレク地方の新領地を巡覧するはずである。
 これは、元来スキールニウイフク (昨年ドイツ、オーストリア、ロシア三帝会合の地) の会合において墺露の間に結ばれた条約によって、オーストリアにバルカン半島内における自由裁量を認める代わりに、ロシアの中央アジアにおける行動に干渉しないという約束をしたことに基づく。ロシアが中央アジアに覇を唱えれば、遠からず南下してインドの背後を脅かすことになるだろう。

明治18年3月20日 (金)
▲ロシア軍艦『ミーニン』 [装甲巡洋艦] が、19日午前8時に横浜へ入港。横須賀で入渠の予定。

以下、▲印の記事は、小さなベタ記事で詳細のない事実記載だけのものです。




明治18年3月21日 (土)
ロシア海軍

 現在のロシア海軍は、バルチック艦隊、黒海艦隊、シベリア艦隊、裡海艦隊 [カスピ海] の四つに分かれている。この他に帝室盡舫守衛水兵1分隊がある。バルチック艦隊は6分隊、黒海艦隊は2分隊、シベリア、裡海艦隊は各1分隊である。

・帝室盡舫守衛水兵
 航海士官69名、留守士官80名 [予備役?、陸上勤務?] 、その他の人員2,056名
・バルチック艦隊
 航海士官 561名、留守士官 706名、その他の人員14,596名
・黒海艦隊
 航海士官 160名、留守士官 225名、その他の人員3,540名
・シベリア艦隊
 航海士官50名、留守士官67名、その他の人員1,809名
・裡海艦隊
 航海士官60名、留守士官76名、その他の人員1,363名
・灯台および港湾に服務する水兵
 航海士官41名、留守士官64名、その他の人員 783名
・合計、航海士官 941名、留守士官1,218名、その他の人員24,147名

その軍艦を列挙すれば以下の通り。

装甲艦25隻 (バルト海22隻、黒海3隻)
モニター10隻 (全数バルト海)
円形砲艦2隻 (黒海)

巡洋艦30隻 (バルト海27隻、黒海3隻)
砲艦33隻 (バルト海21隻、黒海2隻、裡海3隻、シベリア7隻)
輸送船23隻 (バルト海10隻、黒海10隻、シベリア3隻)
通報艦28隻 (バルト海20隻、黒海9隻、裡海4隻、シベリア5隻)

1等・2等水雷艇 115隻 (バルト海97隻、黒海18隻)
水雷火装備の端艇11隻 (バルト海)
航洋水雷艇6隻 (バルト海には 230トン1隻、黒海に48から65トン5隻)
各種蒸気端船73隻 (バルト海25隻、黒海27隻、裡海15隻、シベリア6隻)
付属汽船 [徴用貨物船?] 9隻




明治18年3月31日 (火)
恐るべきはロシアなり

 ロシア東洋艦隊が、司令官カツコフ少将の指揮下、済州島の沖合に停泊して近海の測量を行っている (25日の紙面を見よ) との一報に接し、これはかねがねロシアの極東における長年の願望を具体化したものと驚いたが、昨晩の横浜ヘラルド新聞は、ロシアの活動が見られる場所での行動に一々注目している者の弁を述べている。
 その述べるところによれば、ロシアは東洋において格別保護を必要とするような貿易を行っていないにもかかわらず、多数の軍艦を相次いで派遣しているが、これはイギリスの東洋貿易を妨げる目的、もしくはフランスと共同して清国と戦争を始め、清国あるいは朝鮮の土地を奪おうとしているのではないかということである。
 朝鮮は弱体であり、事あればただちに侵略者の手に落ちるだろう。ロシアには朝鮮を保護国にしようという企みがあり、必ずこれを実行すると予測されている。現在の状況と照らし合わせれば、これはかなり現実化してきているのではないだろうか。

 ロシアに陰謀があるのならば、日本はできるだけ朝鮮から手を引き、この紛争に巻き込まれないようにするべきである。そうしなければ、ロシアは日本から朝鮮を保護するという名目によって朝鮮に干渉してくるだろうからである。また、ロシアが済州島を占領するのではないかという噂もある。これが一時的なものか、長期にわたる割譲を意図するかは判らないけれども、ロシアは現に周辺海域を測量しており、この島に彼等の目的を達する地勢があるかどうかを調べているようにも思える。
 地勢上から言えば、黄海に対する済州島の存在は、地中海におけるマルタにも匹敵する要衝である。もしも、ロシアがここの港を改良し、十分に堅固な防御を固めれば、日本、清国、朝鮮に対して十分な足掛かりを得ることになる。3国はこのために火に迫られる形になるだろう。しかし、清国は自国の大事にも無頓着な国であって、朝鮮を独立すらおぼつかない弱国でしかないと称してこれを併合しようとし、かえって敵を引き込む可能性すらある。

…中略…

 衆目の見るところでは、今日の情勢は千鈞一髪の危機と言うしかない。

明治18年4月1日 (水)
▲イギリス軍艦『オーダシャス』、『ペガサス』、『フヤールブランド』の3艦は3月22日に香港を出港。行先は不明。




明治18年4月15日 (水)
露英中央アジアに覇を競う

 近来の東洋は、なぜこんなにも騒がしいのだろうか。私は常に東西の情勢に目を配っているが、かつてどんな時でも紛議の絶えることはなく、どんな時でも干戈の収められたことはない。それでも、昨今の東洋の大勢を観察すれば、ずいぶんと賑やかなことと言わざるを得ない。
 フランスの東京 [トンキン] 征伐といい、清仏戦争といい、京城の変での日韓対立から始まった今日の日清関係といい、およそ東洋の情勢に注目している政治家は、一日たりとも注意を怠るべきではあるまい。
 ところで、私は最も注意を要すべきと考える大事件に着目した。これは、大国ロシアとイギリスが中央アジア・亜非汗斯坦 [アフガニスタン] に覇を争っている一事である。もし、現在の状態が進行して互いに譲れないところにまで至れば、由々しき一大事に発展する可能性がある。我々といえども枕を高くして安閑とはしていられない。であるから、諸般の事情を開陳し、読者の参考に供しないわけにはいかない。

 読者諸君は、私が数日来報道してきたことにより、現今の露英関係をご存じのことと思う。ここでまたその概略に触れるが、ロシアはすでに5万の大軍をカスピ海の西岸にあるバフタに駐屯させている。以前にロシアは、アフガニスタンのクシュク河岸ベンジーでアフガン軍を破っており、英国政府はこれに対応してインドの陸軍をベルジスタンのクエッタに集め、また海軍には諸軍艦への待機命令を発させている。
 英国政府はまた、外相グランウィル伯の手で抗議書面をロシア外相ドジールス公に手交させ、この写しをインド太守デュッフェリン伯に送っている。インド太守はまた、アフガン王に面会して協議したとも伝えられている。
 英国政府は、ロシアのベンジーにおけるアフガン軍との戦闘は、アフガン兵の挑発を受けたためではなく、自ら進んで手を下したと考えており、その説明を求めているが、ロシアはその派遣将軍コマロフに説明を命じたとされる。
 もし、これらの事情が確実であれば、状況ははなはだ切迫していると考えられる。ロシアがイギリスの抗議を無視して兵を推し進め、アフガニスタンを蚕食しようとするのは、昨日今日に始まったことではなく、またイギリスがロシアの勢力に対し、膨大な軍事費をもいとわず陸海軍を東洋に送って、あくまでもロシアの南進を食い止めようとしているのも今始まったことではない。

 周知のことと思うが、ロシアには長く南進の意図があり、まず土耳其斯坦 [トルクメニスタン] を取り、次いでアフガニスタンを蚕食し、バルチスタンを出てペルシャ湾もしくはアラビア海へ到達することにより、陸ではアジアを横断し、海では根拠地を獲得しようと計画している。これは彼らの長年の狙いであり、乗ずべき機会があれば必ずこれを実行しようとしてきた。
 先には、いくらかの犠牲を払ってまでもトルクメニスタンへ攻め込み、その首都メルウを取り、ついには全土を掌握するに至った。またさらに一歩を進めてアフガンへ侵入し、その初志を貫徹するために国境を越え、大都市ヘラットまでも侵略しようとしている。これはロシアが南進の足掛かりを確保したと言うべきだろう。

 ところが英国政府にとって、ロシアの南進は彼らの利害に非常に大きな影響がある。周知のように、イギリスが東洋での富の源泉としているのはインドであり、その 868,244平方マイルの土地を保有し、1億9875万余りの人口を保全できているのは、四方にそれを脅かす存在がないからに他ならない。すなわち、東北はヒマラヤ山脈を隔てて清国に接し、東はビルマに、西はバルチスタンに接し、西北はアフガニスタンと境を持っているにすぎない。それゆえ四方はその境界を閉鎖せず、太平を謳歌していられるのだ。
 イギリスが恐れるのは唯一事、北方に南進の大志を持ったロシアが存在していることだけである。しかしながら、インドはその国境を直接ロシアに接していない。アフガニスタンがその中間に位置することによって、言わば中立地帯が形成されているわけで、インドにとっては非常に都合のよい状態なのだ。
 もし、この地がロシアに併呑されれば、いつの日かロシア兵がクーシュの山脈を越え、カシミアを経てバンジャブに侵入してくる時、これを防止する道は残されないことになる。と、すれば、アフガニスタンがロシアに奪われることは、イギリスにとって一大事であり、あたかも唇破れて歯寒しの状態になる。これこそが、イギリスをしてロシアの思惑に抗議を行い、兵力にモノを言わせても争うという姿勢を取らせる理由である。

 こういう事情なので、露英両国の人心は鎮まらず、ことにイギリス人にとっては重大事であるから、ロンドンタイムスは以下のようにこれを論じている。
 「もし、我々がバラバミサス以北の地とクシュク地方 (アフガン) をロシアに割譲すれば、その結果として実際には西北アフガンをロシア皇帝に献上するようなものだ。そうなれば我々のアフガニスタンにおける権益は破滅し、それどころかロシアの進路を遮断しているヘラットの要塞は、ロシアが熱望しているインド侵略の拠点になってしまうのである」、見事にイギリスのロシアの行動に対する心情を表わしているではないか。
 私が聞くところによると、すでに両国は境界確定委員を任命したという。ロシアもその意図するところをイギリスに十分説明して、事を平和裏に終わらせてほしいものであるが、また両国がアフガンの野に戦うことになるやもしれず、この問題に何をできるわけでもない私としては、読者に状況を記すにとどめて結果を待つしかない。




明治18年4月24日 (金)
露英のことは対岸の火事にあらず

 一時は破裂も仕方がないかと思われた日清談判も、すでに平和が約され、数カ月に渡って砲煙弾雨の中に雌雄を争った清仏の戦も休んで、和議を行おうとしている。自国の患い、隣国の難、共に片付こうとしているこの時にも、私が片時も目を離せないでいるのがアフガニスタンの情勢で、露英両国の関係はいまだに定まっていない。
 先般述べたように、ロシアが常に南進の志を持ち、イギリスがこれに抵抗する図式は、今回その領土であるインド北境の中立国アフガニスタンの存在に掛かっており、これが侵されれば、イギリスは唇破れて歯寒しの状態に陥るからである。
 この問題も平和裏に解決してほしいものなのだが、近ごろ聞くところでは、状況はますます切迫しているようだ。ロシア将軍コマロフがベンジーでアフガン軍を破ってから、英国政府は事の次第を説明するようにロシアに求めていたけれども、説明の命令を受けたコマロフ将軍は、電報によって「戦闘の原因はまったく、イギリスに教唆されたアフガン兵が兵営を撤去することを拒んだばかりでなく、彼らから発砲してきたことによる」と弁解した。

 これを見る限りでは、ロシア軍はその行為に非を認めておらず、罪過をアフガン兵において、さらにはイギリスに累を及ぼそうとしているようだ。ロシア政府がこの説明を信じ、英国政府へまったく同じ回答を送っているかどうかは、まだ私の知るところではないけれども、そうだとすれば現在の英国政府がいかに非戦主義の改進派であるとはいえ、とうてい満足すると思えず、厳重な抗議に及ぶか、あるいは実際に兵力を中央アジアへ送り、ロシア軍の南下に備えるかのどちらかの手段を取るだろう。
 加えて、次報によればコマロフ将軍はベンジーに仮政府を樹立し、一時政令を発したともいう。一昨日のロンドン発の電報によれば、アフガン事件に対して不穏な情勢があり、前日の内閣会議では、スーダンに出兵しているグラハム将軍率いる軍を召還すべきと決議したという。クロンシュタットのロシア海軍も出撃の準備を始めているといわれるが、これはまだ確認されていない。




明治18年4月25日 (土)
外務省告示・ウラジオ港機雷封鎖の通知

以下原文 [縦書、一面のトップに載っています]

○外務省第弐号
露西亜領浦塩斯徳港入口ノ諸海峡に水雷火設置ニ付
露国海軍士官ノ先導スルニ非レハ入峡ヲ許サヽル旨
露国海軍少将フエリドガウゼン氏ヨリ通達アリタル趣
本邦駐剳露国特命全権公使ア・ダウ・ドフ閣下ヨリ
四月廿三日付ヲ以テ我政府ニ通知アリタリ
右告示候事
 明治十八年四月廿四日 外務卿伯爵 井上 馨

 おおよそ読めるだろうと思いますが、若年者のために解説
弐=二  露西亜=ロシア  浦塩斯徳=ウラジヴォストーク (ウラジオストック)  水雷火=ここでは機雷のこと・明治時代の「水雷」の一般呼称  趣=おもむき、ここでは趣旨の意  駐剳=ちゅうさつ=駐在  廿三日=二十三日、ちなみに三十は卅、ちゃんとした漢字です。濁点が落ちているように見えるカナも原文どおりです。




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