大戦艦 3
The Big Battleship : HMS Agincourt (3)
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アレンカー提督:Alexandrino Faria de Alencar
第1章・有能なるセールスマン・承前
このころアームストロング社は、地元エージェントとして、ウォルター Walter 兄弟をリオに滞在させていた。彼らはダインコートと同じチャーターハウスに学び、非常に端正な容貌をしていた。
ダインコートは彼らを、「非常に有能な兄弟であり、特に兄のチャールズは、私が知る限り最も典型的なブリトン Briton (古典的な英国人)だと言えるだろう」と、評している。「背が高く痩せていて、清潔感にあふれ、慎重なアクセントでゆったりとしたしゃべり方をする。常に計算され尽くした答えを用意しており、人の心を捉えるのが巧みだった。もちろん、ブラジル人は皆、彼に魅了されていた」
すでにウォルター兄弟は、海軍省内部に3番目の戦艦に対する熱意が沸き上がっていることを察知していた。彼らはアームストロング社のダインコートにその状況を伝え、彼らの武力を確実に優位に置くべき戦力が具体的に取る形について、貴重な示唆を与えている。
彼らは他に比肩するものがないほどの、大きくて強力な戦艦を夢見ていた。すでに『ミナス・ジェライス』は十分に大きく、イギリス自身の『ドレッドノート』より2門多い12インチ砲を搭載している。それでも、それはすでに起工から3年を経過しているので、その間に諸外国はさらなる強力な戦艦を建造しているのだ。
たとえばドイツでは、1910年には2万4千トンで12インチ砲を10門装備する戦艦を起工している。
ブラジルの大艦巨砲主義者たちは、熱狂的な愛国心の発露として、2隻のアルゼンチン戦艦ばかりでなく、ドイツの、アメリカの、否イギリスの戦艦さえもしのぐ巨大で強力な戦艦を欲した。それが現実となった暁には、南米に起こりうる紛争のすべてにおいて、充分な説得力となるべき存在である。
海軍内部では、熱心な士官たちによって多くの試案が作られ、検討されていた。それらは主砲ばかりでなく、副砲でも他を凌駕する性能を持たされている。
海軍大臣アレンカーは、少なくとも31,600トン、14インチ砲を12門装備し、6インチ砲、4インチ砲をそれぞれ14門持つという戦艦を考えた。
デ・バセラル Duarte Huet de Bacellar Pinto Guedes 提督は、これよりいくらか小さいものの、16インチ砲を装備し、副砲として9.4インチ砲と14門の6インチ砲を持つ戦艦を想像している。これならば、この先10年間はブラジルの覇権を揺るぎないものにできるだろう。これはアメリカ製の戦艦を投射弾量において9,000ポンドも上回る、4万ポンドもの重量を発射できるのだ。
アームストロング社は、これらの空想に対して冷静に反応している。彼らにとって、顧客の政治的信条や海軍力への思い入れなどどうでもよいことであり、単にその提案が技術的に可能かどうかが問題なのだ。それが可能である限り、会社は詳細な設計計画を返し、合意を得て契約を結ぼうとするだけだった。会社がしているのは商売であって、政治でも遊戯でもないのである。
提案されたような戦艦は、地域の軍事バランスを崩し、不安定要因となるだろう。しかしそれは、彼らに商売の機会を提供するだけでしかなく、さらなる利潤を上げうる状況を現出させるのだ。ちょうどこれは、ヨーロッパで行われていることの縮図だった。すでに兵器製造者は空前の利益を上げており、関係者はどこまでも豊かになりつつあった。
ダインコートはこの通知を受け、非常に喜んだとされる。彼にとっても、最大最強の戦艦は夢であり、誰のためでもない彼自身の欲するものだったのだ。そういうものが一片の空想でしかないとは理解しているが、現実にそれを設計する嬉しさは、ともすれば不幸の底に落ち込みかねなかった彼に、大きな力を与えている。
アームストロング社が、この戦艦を受注するであろうことは、ほとんど疑いのない状況だった。ブラジル海軍省との関係は密接であり、誰も介入できるとは考えられなかったのである。その海軍の新型艦は、大小とも大半がアームストロング社の造ったものであり、2隻の戦艦も性能は証明されていて、彼らを満足させていたのだ。
ダインコートとウォルター兄弟は、よりいっそうブラジルとの関係を深めていく。
1910年4月、バセラル提督は、ヨーロッパにおけるブラジル海軍の常設委員会を設置するためにロンドンを訪れた。彼はすでに58年を海軍で過ごしており、1894年のトラブル解決も含め、多くの経験を持っていた。背筋はピンと伸び、油断のない目と豊かな口髭が彼を特徴づけていた。ダインコートとの友情は、『ミナス・ジェライス』建造の間に醸成され、揺るぎないものとなっている。
彼らは数カ月に渡り、アームストロング社の設計オフィスで最高の技術者を交え、来るべき最強のブラジル戦艦について討議を重ねた。1910年の秋には、すべての計画が固まり、アレンカー大将の意を容れた14インチ砲12門を持つ3万1千トンの戦艦が契約される。
この新戦艦は『ミナス・ジェライス』の5割増しの大きさを持ち、2倍の攻撃力を持つとされた。予定艦名は『リオ・デ・ジャネイロ』である。しかし、アームストロング社にとっては、素っ気ない「690番艦」であり、単に「巨大な戦艦」としてエルジック工場に伝えられただけでしかない。
1910年10月、世界最大の新戦艦はエルジック工場の船台にキールを据える。工場のあちこちで、この戦艦に必要な部品が組み立てられはじめた。兵器工場では12門の14インチ砲を作りはじめ、長く繊細な作業が始まったのである。
この時、この戦艦建造そのものを特徴づけた事件の発端が始まる。この契約に、少々異例なものではあったけれども、その価格と大きさについて、1910年11月に就任する新海軍大臣の了承を得なければならないという条件が付けられたのだ。そのため、工事は新大臣の就任まで停止されることになる。
その新大臣に予定されていたひときわ小柄な人物、レアーオ Leao 提督は、この夏ヨーロッパ各国を歴訪しており、フランスのナント、ボルドー、サン・ナゼール、ドイツのブロム・ウント・フォス、クルップ、イギリスのバーロゥ、タインを訪れて軍艦建造の実態を見ていた。彼はヨーロッパ自体の競争の状態を把握し、列強間のバランスに対するド級戦艦の意味を感じ取っていた。
★Leao:3文字目の a には点が二つついている。全体の読み方は判然としない。ここでは便宜上「レアーオ」と記す。
すでにイギリスでは、12隻のド級戦艦と巡洋戦艦が、完成あるいは建造中だった。ドイツではティルピッツの要求するところにより、16隻のド級戦艦が予定表に名を連ねている。フランスもまた、独自の戦艦隊を計画中であった。ヨーロッパ列強では最も海軍力に対する認識が薄いとされる、オーストリア・ハンガリー帝国でさえ、4隻の戦艦を計画している。
戦艦というものの戦争抑止力に対する評価は、各国でほぼ統一されたものと受け止められた。
キールにおいて、レアーオ提督はクルップ社の経営者たちに大歓迎を受けた。彼らはブラジルで競争に敗れ、アルゼンチンでも一敗地にまみれている。彼らの設計チームは、レアーオ提督に重要な助言を行った。
彼らはすでに、新ブラジル戦艦がまもなくアームストロング社で起工されることを知っていた。そしてまた、その契約が11月就任の新大臣による認定という枷をはめられていることも知っている。クルップ社はここで、非常に巧妙な手段をとった。
彼らはまず、『リオ・デ・ジャネイロ』に装備予定の14インチ砲が、まったく新規なものであり、何も実績のないことを強調した。15インチ、16インチ砲も同様である。彼らはこれを、確実な戦力であるべき戦艦に用いるには冒険的にすぎると論理を展開する。
カイゼルでさえ、あの強力なイギリス海軍に立ち向かうにあたって、自国ドイツの戦艦を2万4千トン、12インチ砲で十分だと認めている。まだ1隻の戦艦すらも持っていない、たかがアルゼンチン海軍に対抗するのに、どうして3万1千トン、14インチ砲が必要なのだろうか。それは過剰な戦力であり、つまりは無駄な買い物なのだ。
ついで彼らは、12インチ45口径砲を装備した戦艦の一案を提示する。これは『リオ・デ・ジャネイロ』よりずっと小さく、当然に安価だった。これは、高騰を続ける戦艦建造相場に悩まされていたレアーオ提督の心を掴む。クルップ社は、さらなる妙手を用意していた。すでに行われた決定を覆すだけのエネルギーを、提督の心に注入しようとしたのである。
「そうそう、閣下が戦艦のことで悩んでおられるとお聞きになって、我が皇帝陛下におかれては心を痛められ、親しくお話しする機会があればと仰っておられました。侍従は、なかなか機会も作れないので難しいと言っていましたが、皇帝陛下は軍艦にも造詣が深く、この工場を視察なさるのも珍しくないのですよ」
「ほう、それで?」
「もしかしたら、閣下がこちらにご滞在の間に、そうした機会があるかもしれません。お忙しい方ですので、時間をとっていただくのは難しいでしょうが」
目の前に放り出された餌に、レアーオは食いつくしかなかった。カイゼルとの会談など、ブラジルに居たときには考えたこともなかったのである。そして提督はとうとう、11月の新大臣就任とともに、新戦艦の計画を白紙に戻して入札をやり直し、そこへ参加させる約束を取り付けられてしまう。
無論、カイゼルはこの役割を引き受けた。レアーオ提督は親しくカイゼルと話し合う場を与えられ、有頂天となった。地に足が着いていないような工場の視察を終えると、レアーオはカイゼルと食事を共にする栄誉に溺れ、ほとんど赤子のように、ドイツの工業力について語られる言葉を呑み込んでしまう。
この席で、カイゼルは自らクルップ社首脳の言葉を確認する。クルップ社の12インチ砲は優秀であり、どんな装甲板をも撃ち抜けると言うのである。それゆえ、ドイツはこれ以上の口径の砲を必要としていないのだとも付け加えた。
さらに、ブラジルがその主たる艦砲を12インチ砲で統一すれば、補給の面で好都合であり、既存の2戦艦との作戦行動においても指揮の面で有利だろうと語った。最後にカイゼルは、クルップ社がブラジルのために、すばらしい戦艦を建造できると保証した。
これらのことは、レアーオ提督が11月に海軍大臣に就任したとき、その責任の重さとあいまって彼に非常な重圧をかけた。艦隊にはすでに1千万ポンド以上もの国費が投入されている。そしてその艦隊は、まだ反乱とその鎮圧しかしたことがない。真新しい戦艦は人々を魅了したかもしれないが、実際のところ、首都を砲撃し国民を傷つけただけなのである。
戦艦の建造費は、国家予算に大きな負担をかけており、その一方で自国の造船所、港湾、要塞は未整備のままに置かれている。それでも彼は、前任者や後輩の提督と同様、自分の任期中に海軍力を低減させることなど考えられなかった。
その一方で、カイゼルやクルップ社首脳との会談により、最大の口径を持つ巨砲と、それを装備する巨大な戦艦に対する盲信は打ち消されている。悩みながらも彼は、建造中の『リオ・デ・ジャネイロ』について、彼の思うところを発表した。これは国内外に大きな波紋を広げることになる。
アレンカー提督と彼の同調者たちに対し、レアーオ大臣は、「計画の根拠となった数字には誇張がある。これらは何一つ確認されておらず、実験で確かめられたものではない」とした。
さらにカイゼルの言葉を引用し、クルップ社の提案による『リオ・デ・ジャネイロ』のあるべき姿、その仕様と建造見積もり額を提示した。
この知らせは、ただちにウォルター兄弟によってアームストロング社にもたらされた。ダインコートにとっては寝耳に水の出来事であり、これに反撃しようにも情報が不十分なので、彼は急遽その収集を始める。最大の問題は、クルップ社の12インチ砲について、レアーオ大臣が持った認識の変化である。
アームストロング社の設計オフィスは、いまだ彼らの「最大砲」理論が有効であるとの認識に立ち、より安価に造りうる戦艦の計画を練り直す。
1911年初春、ダインコートはこの計画案を持ち、戦艦を必ず持って帰るという決意を抱いて海を渡る。それは13.5インチ砲、14インチ砲、さらには15インチ、16インチ砲をも含んだ計画であり、副砲もハリネズミのように充実していた。ダインコートはこれらを8セットも抱えて船に乗ったのである。
彼はブラジルが好きだったし、リオは特にお気に入りだった。暖かいもてなし、開けっぴろげの好意、そういったものをこよなく愛していた。それに反してアルゼンチンは好きではなかった。
長い体験から、ダインコートは南米の人々が移ろいやすいことを知っていた。市場で、街角で、彼らは前言を平然と翻し、言い逃れ、コロッと態度を変える。政府の要人でさえ同じであり、何度も重要な約束が反故にされるのを見てきたのである。裏表のある人々に対し、彼はそれなりの対処を学んでいた。
イギリス人を覆っている絶望感の裏では、急に活気づいたドイツ、アメリカのエージェントたちが暗躍を始める。しかし、ダインコートはこれらの変化に柔軟に対応できた。レアーオ大臣との会談では、彼がヴィルヘルム皇帝の言葉に強く支配されていることを感じ取り、戦艦がクルップ社に奪われる寸前であることに気付く。
小柄な海軍大臣は、12インチ砲が彼らの要求を満たすだろうこと、他の戦艦と同じ口径の砲弾は、補給作業を単純化するだろうこと、巨大な戦艦は単なる贅沢品であることといった、カイゼルの言葉を繰り返した。ドイツは短期間で戦艦を建造でき、それはアームストロング社のものより50万ポンドほども安いはずだった。
ダインコートは、彼が携えてきた計画書のすべてを忘れることにした。大臣の希望がそこにないことは明白だったのだ。ブラジル人が12インチ砲を欲するのなら、彼らはそれを手に入れるべきなのだ。ダインコートは矛先を変える。
「なるほど、仰ることはごもっともです。閣下がそういうご意志をお持ちであるならば、我々もそれに沿って努力することにいたしましょう」
「ふむ、結構だ。いや、理解できるだろうとは思っておったが」
「ありがとうございます。そのような明白な事実に目を向けられなかった私としては、閣下に目を開いていただいた感謝を述べなければなりますまい。しかし、ちょっと残念ではありますな」
「ほう、何が?」、レアーオの眉が片方、わずかに吊り上がった。
「いや、まあ、たいした問題ではありませんよ。ただ、貴国が大きなチャンスを失うことになるのだなあ、と」
「それは?」、レアーオはひざを乗り出す。
「小さなことです。…ただ、世界最大の戦艦を保有するという栄誉は、なかなか実現する機会のないことですから」
ぐっと言葉に詰まる大臣。ダインコートは彼の急所を突いたのである。彼の心の中で、その自惚れ、見栄は克服されていなかったのだ。これを見たダインコートは、それ以上大臣を追いつめることなく、翌日の再会を約して立ち去った。
ホテルへ戻った彼は机に向かい、一心に図面を引きはじめる。
翌日からの会談でも交渉は進まなかったが、ダインコートの真摯な態度は新大臣を動かし、少しずつだが光明が見えてくる。数日後、
「カイゼルは私に、クルップの12インチ砲は、現存するあらゆる装甲板を撃ち抜くことができると仰ったが」
「カイゼルが仰ることに、間違いなどあろうはずがありません。12インチ砲は、それがドイツのものであれ、イギリスのものであれ、非常に強力な兵器なのです。イギリス海軍でさえ、すでに16隻ものド級戦艦、巡洋戦艦にそれを装備しています」
「カイゼルは、大きな、発射速度の遅い砲よりも、より小さくても十分な大きさのある砲弾であれば、速い発射速度が敵を圧倒できるとも仰った」
「それも間違いありません。いわゆる砲弾の嵐ですな」
「砲弾の口径を統一することの利益は?」
「それもまた仰るとおりです。そしてそれは、すでにお持ちの戦艦がイギリスで造られたものであるということを考慮なされば、我々の12インチ砲を用いることでよりいっそう有利になると言えます。そこで思い出していただきたいのは、閣下ご自身がヨーロッパを回って確かめられたように、我々アームストロング社のエルジック工場こそが、世界で最も多くの12インチ砲を造り出しているという事実です」
「それは…たしかにその通りだ」
「では、12インチ砲を採用するということに関しては、まったくの合意が成り立ったと考えてよろしいでしょうな。いやもちろん、それが我々の製品でなければならないなどと申すつもりはありませんが」
「うむ、しかし…」、口を渋る大臣。心のどこかに、ダインコートの一言が棘となって刺さったままなのだ。…世界最大、最強の戦艦…ダインコートの釣り針の鈎。
「そこで提案なのですが、どうでしょう、12インチ砲を12門では、これまでの戦艦と変わるところがありません。これを14門にしようではありませんか。連装砲塔が七つ。これは世界に例のない装備です。装甲艦が生まれてから50年、こんな戦艦は造られたことがないのですよ」
ダインコートはたたみかける。
「砲塔はすべて中心線上に置きますので、長さは650フィートを越えるでしょう。我々はつい先頃、13.5インチ砲を装備する戦艦を起工しましたが、これよりもずっと長いのです。片舷にすべての砲が向けられますから、集中できる主砲の数は『ミナス・ジェライス』の10門に対し、14門と40%増しになります。砲を新型にすれば実際にはもっと強力でしょう。副砲には6インチ砲を20門装備できると思います。3インチ砲ももちろん多数装備できます」
「それは…しかし、そんな戦艦の価格は」
「予定されていた価格より大幅に安くなるでしょう。クルップ社の提案と、ほとんど変わらないと思いますよ。これならばあなた方は、『ミナス・ジェライス』より50%大きく、50%強い戦艦が、価格の心配なしに入手できるわけです」
「だが…だが、そんな設計ができるのか?」
ダインコートはトドメを刺した。
「これをご覧ください」
それは、ここ数日ホテルの部屋にこもり、ようやく書き上げた図面だった。艦首から艦尾まで七つの砲塔が数えられ、異様に長い船体の側面には、ずらりと副砲が並んでいる。
大臣のオフィスには声もなかった。
その夜、ダインコートはタインのニューカースル、つまりはアームストロング社へ電報を送る。
「船は我々のものだ "The ship is ours"」
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