クィーン・メリーの爆沈(1)
Blew Up of HMS Queen Mary 1916-5-31 (1)




for trial 1913

イギリス巡洋戦艦『クィーン・メリー』1913年、公試直前の艦影



 この小文は、Warship 1996所載の "The Loss of HMS Queen Mary at Jutland" by M. W. Williams の翻訳に肉付けしたものです。
 ●印以下の文章は、私が付け加えたもので、原文には含まれていません。
 ★印以下の文章は、掲示板連載当時、オデンドウフ提督が差し入れてくださったコメントです。



 1916年5月31日の水曜日、イギリスの巡洋戦艦部隊は、北海北部へ進出してジェリコー大将率いる大艦隊と会同の途上にあった。その東方では、ビーティ提督の目となっていた軽巡洋艦部隊が、水平線上に1隻の貨物船を認め、臨検のために接近しつつある。
 彼らはドイツ艦隊の出撃情報を掴んで行動していたものだが、両軍の航路は交わっておらず、水平線のわずか先にいるドイツ海軍の先鋒部隊たるヒッパー巡洋戦艦隊と、平行して走っていたのである。
 両軍の索敵艦は、ほぼ同時に相手を発見し、接近しながら信号を発した。まもなく激しい砲撃戦が始まり、イギリス軽巡洋艦の上にドイツ軍の砲弾が炸裂する。こうして、世界最大の海戦と言われるジュットランド海戦の幕が上がった。

 ここでは、この大海戦の中で劇的な終末を迎えた、1隻の主力艦にスポットライトを当てる。その名は『クィーン・メリー』 Queen Mary 。『ライオン』 Lion 級の改良型として1913年に完成したばかりの、最新鋭とも言える巡洋戦艦だった。
 時の主力である戦艦のどれよりも大きく、どれよりも速い、無敵とも見える巡洋戦艦だったが、その代償となった部分は重く、『クィーン・メリー』がわずか3年で終末を迎えた原因とも言われるところである。ここでは、この災厄を生き残った乗組員の証言を交えながら、状況をつぶさに見ていこうと思う。



●『クィーン・メリー』は、本来『クィーン・メアリー』なのですが、なんとなく語感が気に入らないのでメリーにしました。「メアリー女王」だと、「メリー女王」より良く感じるので、私の感性が歪んでいるという証拠でしょう。



 両軍の索敵部隊は、その中核となっている巡洋戦艦部隊を発見する。両艦隊は急速に接近し、14時38分、ビーティは麾下の艦隊に戦闘配置を下命した。

『クィーン・メリー』の下士官フランシス Ernest Benjamin Francis の証言
「『戦闘配置』のラッパに、本当に驚きました。自分の耳が信じられなかったくらいです。走り回る足音が、私をドアに押しつけて動けなかったほどでした。ハリソンとクラークに声を掛けて、『戦闘配置』だぞ、と告げました。もちろん、彼らもそれを聞いていたのです。私はすぐに持ち場であるX砲塔 (艦尾の第四主砲塔) へのハッチを押し上げて走りました。中へ入った時には、もうみんな揃ってました」
「私はすぐに砲塔員を点呼しました。正しく全員がそこにいましたので、そのことを上官に報告すると、彼は砲塔機構のテストを命じました。『装填装置を確認しろ。慌てるんじゃないぞ、最初の1発でこの世界を吹き飛ばしたくはないからな』」

『クィーン・メリー』の士官候補生ロイド−オーウェン John Hugh Lhoyd-Owen の証言
「14時45分ころでしたか、ちょうどガンルームでのお茶の時間に、『戦闘配置』が鳴ったんです。すぐに私たちは、内気な敵の顔を見てやろうとか話しながら、持ち場へ向かいました。私の配置はX砲塔の装填装置です。すぐに装填装置と発火装置のテストをしました。異常無しと報告して、次の指示を待ちました」

『クィーン・メリー』の士官候補生ストーレイ Jocelyn Storey の証言
「2時50分ごろだったと思います。『戦闘配置』が掛かって、私たちは持ち場の砲塔へ向かい、すべての装置をテストしました。私の持ち場は、煙突の間にあるQ砲塔 (中央部の第三砲塔) です」



●この小文での舞台を務める配役は、イギリス側が6隻、ドイツ側が5隻の巡洋戦艦です。その隊列は、イギリス側が前から旗艦『ライオン』、続いて同型艦の『プリンセス・ロイアル』 Princes Royal 、改良型の『クィーン・メリー』、最新型の『タイガー』 Tiger 、いくらか旧式に属する『ニュー・ジーランド』 New Zealandと『インデファティガブル』 Indefatigable の同型艦です。
 ドイツ側は旗艦『リュッツオー』 Lutzow 、同型艦『デアフリンガー』 Derfflinger 、さらに前世代の『ザイドリッツ』 Seydlitz 、『モルトケ』 Moltke と続き、しんがりは最も古い『フォン・デア・タン』 Von der Tann でした。

●要目は以下の通りです。これらは、コンウェイのAll The World Fighting Ships 1906-1921 からの抽出です。

『ライオン』、『プリンセス・ロイアル』
排水量:26,270トン、全長:213.4メートル、速力:27ノット、主砲:13.5インチ=343ミリ砲8門
『クィーン・メリー』
排水量:26,770トン、全長:214.4メートル、速力:27.5ノット、主砲:13.5インチ砲8門
『タイガー』
排水量:28,430トン、全長:214.6メートル、速力:28ノット、主砲:13.5インチ砲8門
『ニュー・ジーランド』、『インデファティガブル』
排水量:18,500トン、全長:179.8メートル、速力:25ノット、主砲:12インチ=305ミリ砲8門

『リュッツオー』、『デアフリンガー』
排水量:26,180トン、全長:210.4メートル、速力:26.5ノット、主砲:30.5センチ砲8門
『ザイドリッツ』
排水量:24,594トン、全長:200.5メートル、速力:26.5ノット、主砲:28センチ砲10門
『モルトケ』
排水量:22,616トン、全長:186.5メートル、速力:25.5ノット、主砲:28センチ砲10門
『フォン・デア・タン』
排水量:19,064トン、全長:171.7メートル、速力:24.75ノット、主砲:28センチ砲8門

●10キロ先から見た外形的には、イギリスでは『ライオン』、『プリンセス・ロイアル』、『クィーン・メリー』がほぼ同じ。『ニュー・ジーランド』と『インデファティガブル』は、どちらとも区別がつきません。『タイガー』は外見が大きく異なります。
 ドイツ側では、『リュッツオー』、『デアフリンガー』と残りの3隻に、比較的大きな差がありました。しかし、イギリス側は一時、巡洋戦艦艦列の向こう側にいたドイツ軽巡洋艦を目標と見誤ったりしているくらいで、靄の中に識別は困難だったと思われます。
 これらのシルエットは、ここからリンクしている「天翔艦隊」に全部揃っています。ご参考になさってください。

●イギリス艦の主砲塔呼称は、AからZまで飛び飛びのアルファベットで示されています。『クィーン・メリー』では、艦首の背負い式2砲塔が前からA、B、中央部のものがQ、艦尾の砲塔がX砲塔と呼ばれていました。

●ドイツ側の記録には、時差の関係で1時間ずれた時間が記されています。ここでは、混乱を防ぐためにイギリス時間に合わせて修正しています。

★ビーティ隊の旗艦ライオンからは、まず水平線上に「5条の太い煤煙」を認め、近づくにつれてその下からヒッパー隊の5隻の巡洋戦艦が船体を現わしてきた、と英国側の戦史にあります。ドイツ艦は質の悪い褐炭を使用していたため、英艦に比べて煤煙と火の粉が多かったようです。
 ヒッパー隊の非敵側にいたドイツ軽巡洋艦付近への弾着は、英国側の測距儀の不精確により、ビーティ隊の初弾がヒッパー隊を飛び越えて大遠弾となったものです。
 ビーティ隊では当初、ヒッパー隊の5隻をヒンデンブルク、リュッツオウ、デアフリンガー、ザイドリッツ、モルトケと認識していたようです。



 『クィーン・メリー』の砲術長レウェリン Llewlyn 中佐は、いつものとおり艦の四つの主砲塔すべてをコントロールできた。全乗組員は過怠なく配置につき、艦は戦闘機械としての機能を持つ。
 すべてのデッキと艦載艇に水が撒かれ、弾片避けマットが取り付けられると、浸水防止用具、つっかえ棒にする円材、消火ホース、砂箱、担架、医務室が準備される。これらはほんの2分で終わるのだ。電動機械や水圧機械の予備部品、工具も揃えられ、海上戦闘でどんな事が起きても対処できるだけの準備がなされた。
 煙突からは力強い煙が吹き上がり、大きな戦闘旗が掲げられれば、それは一幅の絵画のようだった。獲物を追跡する強力な巡洋戦艦の姿は、今にも飛び掛からんばかりに緊張している。1時間の追跡の後、戦いはまさに始まろうとしていた。

士官候補生ストーレイの証言 (Q砲塔)
「15時25分に『戦闘準備』があり、15時40分に『すべての砲に装填せよ』の命令がありました。私たちは、いよいよ本番だな、と感じました」

士官候補生ロイド−オーウェンの証言 (X砲塔)
「その命令があったのは、15時50分より前じゃなかったと思います。最初の命令は、両方の砲にリダイト炸薬の砲弾を込めろというものでした。私はそれをすぐに砲塔員へ伝え、尾栓が開かれました。大きな装填函が下から上がってくると、ほんの数秒で砲弾と装薬が砲身へ送り込まれます。二つの装填函は次の弾薬を乗せるために下へ降り、見えなくなりました」
「装填函が見えなくなると、レバーに押されて大きな尾栓が回り、砲尾へはめ込まれます。私は砲塔の後部にある小さな指揮所へ、『両砲装填完了』を報告しました。私は指揮所にいた同じ士官候補生のデアードン Deardon に、ちょっと余計な事でしたが、『どうなってんだい?』と尋ねました」
「彼は、敵艦が視界内にあり、これから戦闘が始まるはずだと教えてくれたのです。私は胸が熱くなり、持ち場へ戻ると、皆がまさに知りたがっているそのことを告げ、力強い反応を受けました。我々が長い間、真に待ち望んでいた瞬間が訪れるのだと判ったのです。偉大なる指揮官、強力無比な軍艦、そして私たち乗組員が、そこにいました。砲塔員の一人が言いました、『いいかげん、待ちくたびれちまったぜ』。私は、その言葉が何よりも我々の心情を正しく表していると感じました」

 ドイツ海軍ヒッパー提督麾下の巡洋戦艦『デアフリンガー』 (この話の最後で重要な役割を演ずる) の艦内も、イギリス艦と同じような状況だった。このことは優秀な砲術士官によって、以下のように記録されている。

『デアフリンガー』砲術士官ハーゼ von Hase の証言
「敵巡洋戦艦の存在が報告され、私はこのことを砲塔員に伝えました。もうすぐ、生きるか死ぬかの戦いが始まると判ると、一瞬、水を打ったような静けさが指揮所に広がりました。しかし、それはすぐにユーモアに取って代わられ、すべての命令が完璧な冷静さの中に遂行されたのです」
「突然、私のペリスコープの中に、黒い怪物とも見える6隻の大きな軍艦が見えてきました。それは二つの塊に分かれていて、それぞれがもくもくと煙を吐き出しています。まだずっと遠いところにいるのですが、水平線にくっきりと浮かび上がった姿は、がっしりと強力で巨大に思えたものです。6隻の軍艦は、当初二つのグループに分かれていましたが、やがて単縦陣を形成しました。まるで大昔の、恐れるものとてない恐竜の群れであるかのように、ゆっくりと動いていました」

 両艦隊は徐々に接近し、戦闘が開始される。ビーティはヒッパーの5隻の巡洋戦艦に対し、6隻の巡洋戦艦を擁していた。その後方にはさらに高速戦艦『クィーン・エリザベス』級4隻からなる第五戦艦戦隊が追従しているのだが、直前の艦隊運動で信号の不達から遅れており、まだ戦闘のできる距離に達していない。
 15時45分、ビーティは旗旒信号を掲げる。これにより、イギリス艦隊は前艦の煙をかわすために梯型陣を取り、艦隊はビーティの旗艦『ライオン』から北西へ列を伸ばした。



●この頃、ビーティ隊の針路は東で、ドイツ艦隊へ向けて接近中です。ドイツ艦隊は『ライオン』から方位角330度ほどのところに見え、南東へ向かっていました。



 ビーティの次の命令は「左方より分火」"Take targets from the left"で、これにより敵の旗艦には2隻分の砲力が集中できるはずだった。しかしながら、この命令は完全には伝わっていない。
 ヒッパー艦隊でも、敵艦隊に相対する戦法が採られ、旗艦『リュッツオー』からは同様に「左方より分火」の命令が下された。『デアフリンガー』では徹甲弾が準備され、対応する位置の敵艦に照準が合わされる。
 命令では、『ザイドリッツ』が『クィーンメリー』に相対することになる。



●このとき、分火命令の不徹底でイギリス側の砲火は不均等に分散し、結果として『デアフリンガー』は射撃されませんでした。1隻多いイギリス側では、『ニュー・ジーランド』が目標になっていません。
 分火命令について補足すれば、
「左方より分火」とは、敵艦列を見てその左側から数え、自分の位置に対応する艦を目標とせよ、ということです。
 ですから、イギリスから見ると、最後尾の『インデファティガブル』が、同じくドイツ側最後尾の『フォン・デア・タン』を、『ニュー・ジーランド』が『モルトケ』をと振っていって、2番艦の『プリンセス・ロイアル』と、先頭の『ライオン』が『リュッツオー』を射撃することになります。
 ところが、『クィーン・メリー』より後の艦はこの命令を受領しなかったため、通常の戦闘様式である「先頭から分火」で射撃を行ったのです。

 これに対応するドイツ側では、「左方より分火」は「先頭から分火」と同じですから、イギリス艦隊の先頭から目標を割り振るわけです。それゆえ、本来ならば最後尾の『インデファティガブル』は撃たれないはずだったのですが、『フォン・デア・タン』はあえて目標を変えていました。これは錯誤ではなかったようです。

★ビーティが旗琉信号でこの分火命令を発した1545頃、ほぼ同時に「針路東南東」および「列線方位北西の単梯陣制形」の命令も発せられたため、旗艦ライオンのマストには3種類の旗琉信号がひしめいて非常に見えにくかったとされています。
 「敵艦見ゆ」に続く1432頃の針路北微東から南南東への変針の際にも、ライオンの旗琉信号がトーマス隊(高速戦艦隊)から見えず、同隊が後ろに取り残されてしまったり、ドッガー・バンク海戦のときもヒッパー隊を取り逃がしてしまったりと、よくよく信号に不運(と言うよりマストと第1煙突の近接など構造的な問題)な艦であったようです。

fire distribution 1550

15時50分ごろの対戦図



『デアフリンガー』砲術士官ハーゼの証言
「15時48分、距離15,000メートルで、私の命令は吠えるような声だったでしょう。前方を見ると、旗艦はまさに発砲する瞬間で、同時に『戦闘開始』の信号が上がりました。私は『一斉射撃』と叫び、轟音とともに第一射が放たれたのです。後方の艦もこれに続きました。敵方の巡洋戦艦からも発砲煙が上がり、炎が吹き出すのが見えました。戦闘が始まったのです」

士官候補生ストーレイの証言 (Q砲塔)
「15時53分、我々は敵の3番艦に8マイル4分の3の距離で初弾を発射しました」



●8マイル4分の3は、およそ16,200メートルです。実際には、これによる弾着はかなりの遠弾となりました。この時には、ドイツ側の『モルトケ』が14,200メートルとほぼ正しい測距を行っていた以外、程度の差こそあれ全艦が遠弾となっています。これには技術的な問題よりも、気象状況が大きく影響したようです。

★これについては以下の二つが理由に挙げられています。
一つには英国側の光学兵器の立ち遅れで、
  英国側巡洋戦艦の測距儀
    基線長12ft (3.7m) 上下分像合致式
  ドイツ側巡洋戦艦の測距儀
    基線長6m ステレオ(倒分像立体視)式 カールツァイス製
 もう一つは、ビーティ隊の対敵側を全力で先頭に進出しようとした味方水雷戦隊の排煙のため、空気の温度差で光が屈折を起こしたこと
しかし、リュッツオウ、デアフリンガーも初弾は約1700mの大遠弾であったことより、ご指摘どおり戦闘海域自体の悪条件のほうが支配的であったようです。



士官候補生ロイド−オーウェンの証言 (X砲塔)
「『ライオン』が撃ちはじめました。1、2分後、私たちの艦の艦首砲塔も射撃を始めました。私の砲塔が敵を捉えられるようになったので、『準備完了』と叫びました。すぐに射撃が始まり、それぞれの砲は繰り返し発砲しました。耳を劈く轟音で何も考えられなくなり、外で何が起こっているかなど、なにひとつ判りませんでした」

下士官フランシスの証言 (X砲塔)
「最初の砲弾が発射され、私たちは壮大な狩りを始めました。不安から急ぎがちになる作業を、砲塔長は『気楽にやれ』と諫めてました」

 イギリス艦隊には若干の混乱があった。『ライオン』と『プリンセス・ロイアル』は、まさに『リュッツオー』へ射撃を集中していた。『デアフリンガー』は目標にされないままに残され、『クィーン・メリー』は『ザイドリッツ』を、『タイガー』は『モルトケ』をそれぞれの目標としている。まもなく『ニュー・ジーランド』も戦闘に参加し、『インデファティガブル』とともに『フォン・デア・タン』に射撃を集中した。ビーティ隊の後方4隻に、分火上の疑問があったのは間違いない。
 すでに起こってしまった失策が取り戻せるわけではない。しかし、取り残された『デアフリンガー』にしてみれば、妨害されることなく『プリンセス・ロイアル』への射撃に集中できるのが、何よりも幸運だった。



●着弾の水柱から、目標選定のミスはすぐに明らかになりますが、急に目標を変えれば、また一から試射をしなおさなければなりません。そのため暇戦期になるまで、そのままの状態が維持されたようです。

★最も精神的プレッシャーの大きい緒戦で自艦が射撃目標になっていないと知ったため、非常にリラックスでき、以後落ち着いて射撃指揮に専念できたと砲術長フォン・ハーゼの回想記“Kiel and Jutland”にあります。同艦はクィーン・メリーの他、インヴィンシブルの撃沈にも主要な役割を演じますが、その要因の一つがここに在ったわけです。逆の立場で言うと、敵戦列にあまねく砲火を浴びせることが重要であるわけです(特に緒戦期において)。



『デアフリンガー』砲術士官ハーゼの証言
「ちょっとびっくりしたのは、我々がまったく撃たれていないと判った時です。近くへすら1発も飛んでこなかったのですから。敵二番艦の砲塔を注意深く観察すると、それが我々のほうを向いていないのが判りました。彼らは『リュッツオー』を照準していたのです。私は三番艦も見てみました。いかなる理由か、我々は間違いなく『抜かされて』いたのです」



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