クィーン・メリーの爆沈(2) Blew Up of HMS Queen Mary 1916-5-31 (2) |
通信だけに齟齬があったわけではない。『クィーン・メリー』では機械的な故障も発生していた。
下士官フランシスの証言 (X砲塔)
「砲員たちは完璧でしたが、ちょっと装填を急ぎ過ぎてました。私は、着実に作業するようにと声を掛けましたが、両方のラマーが揃って故障するまでは、なにもかも上手くいってたんです。最初に私の砲が故障し、すぐに反対側も同じ状態になりました。射撃が終わり、後退した砲身が前進していた時です。まだ完全に復座しないうちに係が尾栓を開いてしまい、それがラマーの頭へぶつかったんです。どこかが噛んでしまったらしく、ラマーは動かなくなりました。私は俯仰ハンドルを離すと、金テコ棒をラマーの頭に押しつけ、ラマーを前進させるように言いました。すぐに戻させ、もう一度前進させると、ラマーは元のように動作したんです。反対側も同じように回復したから、みな喜んでました。もし人力で装填しなきゃならなくなったら、たまったもんじゃありませんからね」
●連装砲塔が、斉射よりも交互打ち方をする場合が多いのは、単に機械的な問題だけではなく、砲塔員の競争意識が邪魔になるからとも考えられます。まったく同じタイミングで作業を行っていると、わずかでも遅れれば慌てて追いつこうとするものですし、作業手順で次の動作へ移るタイミングが、隣の作業に引きずられる場合があります。
装填が速いに越したことはないのですが、機械的な限界を越えて操作しようとすれば、自動装置ではないので予期しない故障が起こります。当時の機械には安全装置がいくらも付いていないため、とんでもないことが起こり得るのです。
中心線上に隔壁があり、反対側の作業が見えない構造であるのならば、この仮説は意味を持たないのですが。
このようなつまずきにもかかわらず、『クィーン・メリー』の主砲は卓越した能力を発揮し、『ザイドリッツ』に顕著な損害を与えていた。しかし、距離が詰まってくると、彼女は手痛い報復を受けることになる。15時58分、分火のミスを修正するように命令が下った。このとき、ヒッパー艦隊はビーティに大きな効果を及ぼしている。
●この頃までに、『クィーン・メリー』は『ザイドリッツ』に2発の命中弾を与え、第四砲塔を射撃不能としています。しかし、全般にはドイツ側の戦果のほうが大でした。
また、16時3分には隊列の後尾で『インデファティガブル』が爆沈していますが、砲塔内の彼らはそんなことに気付く理由もなく、何も言及はありません。
★インデファティガブルは本当にひっそりと沈んでいった感じですね。先航艦ニュージーランドでも最期を見届けたのはごくごく少数ですし、対戦相手のフォン・デア・タンや後続のトーマス隊各艦からの言及もありませんし。
『デアフリンガー』砲術士官ハーゼの証言
「その頃、標的は『プリンセス・ロイアル』でした。『斉射』の号令を行っている士官候補生スタチョウ Stachow は、それを20秒おきに怒鳴っていたのです。『Wirkung』という用語は、主砲が1回射撃する間に、副砲が2回射撃する方法を意味します」
「轟音がとどろき、戦闘は継続していました。我々の砲弾は、80メートルから100メートルにも達する水柱を噴き上げていました。敵艦のマストの二倍もの高さがあったのです。標的にされていないという優位は短いものでした。敵側の『クィーン・メリー』はミスに気付き、我々は砲弾に夾叉されるようになったのです。私はペリスコープで敵の砲塔を調べ、それが真っ直ぐこちらへ向けられているのを見ました」
石炭焚きの艦から上がる煙が視界を遮り、斉射の弾着は靄に紛れて見えにくくなっていた。視界の悪さはドイツ側にも同じであり、水柱に包まれるようになった『デアフリンガー』でも、なにかしか悪影響があったはずである。
●この頃、両艦隊の間をイギリスの駆逐艦隊が走っていました。巡洋戦艦艦隊の前へ出るための占位運動ですが、この煤煙はイギリス艦隊の前を流れ、観測に支障をきたしています。ビーティは彼らに、邪魔をするなと信号しました。
この海戦の写真で、『ライオン』がQ砲塔に命中弾を受け、砲塔から爆煙が上がっているものなどがありますが、これはこの駆逐艦から撮影されたものです。10キロも先のドイツ艦隊からでは、ろくな写真の撮れる理由がありません。
16時ころ、ビーティは南へ変針し、ヒッパーが南東へ針路を取ったために両艦隊は離れ、一時砲戦は下火になりました。再び接近しますが、後方ではすでに第五戦艦隊がヒッパー隊の後部を射程に入れており、こちらからの射撃も急速に精度を増しています。
★Fawcett & Hooper著“The Fighting at Jutland”によれば、第9水雷戦隊の駆逐艦リディヤード Lydiard からの撮影とのことです。
『デアフリンガー』砲術士官ハーゼの証言
「16時17分、我々は接近し、再び左から二番目の巡洋戦艦と砲火を交えました。私はそれを、前と同じ『プリンセス・ロイアル』だとばかり思っていたのです。実は、これは『クィーン・メリー』で、敵艦列の三番目でした。これは、敵の旗艦『ライオン』を一時見失ったためで、煙と靄のいたずらのせいだったのです」
この時のドイツ艦隊による砲火の再配分は、『クィーン・メリー』の運命を封じた。『デアフリンガー』は『プリンセス・ロイアル』を旗艦と勘違いし、二番艦と見た『クィーン・メリー』へ砲火を集中したが、これによって『クィーン・メリー』は、すでに交戦していた『ザイドリッツ』と2隻を相手にする形になった。
『デアフリンガー』砲術士官ハーゼの証言
「そういうわけで16時17分以降、我々は『クィーン・メリー』と交戦していたのです。私の射撃指揮装置からは、石炭と火薬の煙でろくに敵が見えませんでしたから、敵状の把握は檣上のストッシュ von Stosch 少佐の目に頼るしかありませんでした。彼は称賛に値すべき冷静さで着弾を観測し、我々の砲弾を正しい位置へと導いていました。この交戦の時には、敵側も射程を正確に掴んでおり、我々はしばしば水柱に包まれました。それでも、我々の砲撃はまったく衰えなかったのです」
「『クィーン・メリー』の斉射は、我々のほど速くありませんでしたが、彼らは一斉射撃を行っていました。『クィーン・メリー』は8門の13.5インチ砲を備えており、いみじくも日露戦争でロシア軍が表現した金庫 (coffers) を、八つもいっぺんに我々に向けて撃っていたわけです。私は飛来する砲弾を見分けることができました。彼らの射撃が見事だったことを認めない訳にはいきません。それでも、八つの砲弾は一塊になって落下するものの、ほとんどは遠すぎるか近すぎたのです。我々は二回しか夾叉されず、命中したのは1発だけでした」
●別な記録によれば、この時期に『デアフリンガー』は大口径砲弾の命中を受けていません。この言及が勘違いなのか、それとも記録が誤っているのか、簡単には確かめられません。
イギリス側の斉射に対して、ドイツ側は交互打ち方を行っており、4発ずつの砲弾が『クィーン・メリー』を夾叉し、命中した。この効果について、まさにその場所にいた人物による記述がある。
下士官フランシスの証言 (X砲塔)
「砲弾が命中した瞬間まで、私は騒音というものに気付いていませんでした。その衝撃は強烈でした。後部の4インチ砲砲廓に命中したんだと思います。破片と埃がX砲塔にバラバラと降り注ぎ、私は旋回手であるロング水兵の声に注意を引かれました。彼は、照準ペリスコープから前が見えなくなったと言ったんです。この時、砲塔は方位盤からコントロールされてましたから、これはたいして重要な問題じゃなかったんですが、後ろにいた誰かがこれを聞き付けると、命令を待たずに砲塔の外へ飛び出して、ペリスコープの前ガラスを拭きに行ったんです。彼は爆風に吹き飛ばされ、砲塔から転げ落ちました。それが誰だったのか私には判りませんが、推測しても無意味でしょう」
16時20分頃、『クィーン・メリー』は中央部砲塔に被弾した。砲弾は装甲鈑を貫通しはしなかったけれども、衝撃は内部に大きな打撃を与えている。
士官候補生ストーレイの証言 (Q砲塔)
「Q砲塔に直撃弾を受け、右砲が完全に使えなくなった16時21分までは、すべてが順調にいっていたのです」
●Q砲塔は天蓋右側に直撃弾を受け、貫通こそしなかったものの俯仰機が破損したため、右砲は戦闘不能となりました。この時までに、Q砲塔右砲は17発を、左砲は20発を発射しています。
斉射であれ、交互撃ち方であれ、何らかの理由で操作が間に合わず、方位盤で引き金を引いたときに準備ができていないと、「一回休み」になります。
ですから、故障、手順間違い、不発射など、さまざまな理由で左右砲は均一の発射数になりません。故に、斉射数×砲数 = 発射弾数とは限らないのです。
当然ではあるが、砲撃は双方に影響を及ぼしていた。頭越しに行われる報告の中で、フランシスは『ザイドリッツ』への命中弾を聞き、敵艦隊に与えた損害を知る。
下士官フランシスの証言 (X砲塔)
「何か衝撃が感じられましたが、砲塔には何も変化がなく、それ以上の注意は払われませんでした。通信センターが、敵艦隊の三番艦が落伍したと告げ、『クィーン・メリー』が流させた最初の血に、砲塔内は歓声に包まれたのです。私は、皆が『どうなってるんだ』と聞いてくる要求に逆らえず、ペリスコープを覗き込みました。確かに敵の三番艦は、艦首を沈めているように見えたのです。目標を変えるために砲塔が回り、見失った敵を探してペリスコープを巡らすと、敵の三番艦はいなくなっていました」
「私は、砲撃の記録を付けていた砲手補のキリック下士官に、左砲は何発撃ったのかと聞きました。彼は三十いくつかと答えました。さらに何発か発射した後、ペリスコープからは敵の四番艦と思われる艦が炎を吹き上げているのが見えたのです」
『クィーン・メリー』にとっては残念なことだが、高い水柱に包まれてはいたものの、『デアフリンガー』と『ザイドリッツ』は未だ健在だった。
『デアフリンガー』砲術士官ハーゼの証言
「私は、敵の二倍の射撃速度が達成できないかと試みていました。これはなかなか上手くいかず、敵の一斉射撃はかなりの速度で繰り返され、砲弾はまったく同時に着弾していたのです」
『クィーン・メリー』の砲塔チームは、確かに卓越した技能を発揮していた。長期間の厳しい訓練の賜物だったと言えるだろう。彼等の射撃は、『デアフリンガー』と『ザイドリッツ』に対してすでに150発を発射しており、いくつかの命中弾も得ている。その代償として、3発の命中弾とこれに倍する至近弾を受けていた。そのうちの2発は、薄い装甲しかない後部の4インチ砲砲廓へ命中し、3発目が中央部へ、そしておそらく、その付近へもう1発が命中していたのではないかと考えられている。
後部の砲廓への命中弾は、発生した火災によって『ザイドリッツ』から明瞭に視認されている。破片を受けた可燃物、甲板張りの木材などが燃えたのだろうが、4インチ砲弾薬の誘爆もあったようだ。このことは公式記録に記載されていないものの、様々な記録から間違いないと思われる。
士官候補生デアードン Peregrine R. Deardon の証言 (X砲塔)
「ドイツ艦の斉射が後部へ命中して、そこらじゅうが火の海になったのです」
『クィーン・メリー』の生涯における最後の4分間に、ドイツ艦の砲弾は彼女を圧倒した。射程は14,000メートルから13,000メートルにまで縮まり、『デアフリンガー』からだけでも、10回を越える4発ずつの斉射弾が彼女を夾叉していた。
『デアフリンガー』砲術士官ハーゼの証言
「『デアフリンガー』と『クィーン・メリー』は、まったく互角に撃ち合っていました。しかしながら、哀れな『クィーン・メリー』には最悪の時が迫っていたのです。すでに『ザイドリッツ』も彼女と戦っており、『ザイドリッツ』の砲術士官であるフォースター Foerster 少佐は、冷静に自艦の射撃を統制していました」
この猛攻撃は恐ろしい結果を招いたのだが、それは周囲の人々によって以下のように記録されている。
『タイガー』の司令塔からの報告
「『クィーン・メリー』は我々のすぐ前にいました。チラッとそちらのほうを見た時、私は斉射弾が彼女を夾叉するのを見ました。4発のうち3発までが命中し、赤い閃光と破片の飛び散るのが見えたのです。それでも、砲弾は装甲に阻止されていて、大きな被害があったようには見えませんでした」
『タイガー』砲術士の報告
「ドイツ艦の射撃が『クィーン・メリー』に集中されました。彼等は射程を探っていたのですが、しばらくは効果がありませんでした。でも、突然、物凄い事が起こったのです。…ドイツ艦の砲弾が、ことごとく『クィーン・メリー』に命中しているように思えました。まるで竜巻が森をなぎ倒すようでした。凄まじい音とともに巡洋戦艦は打ちのめされ、引き裂かれたのです」
『デアフリンガー』の砲術記録によれば、数回の斉射がこの結果を導いたとされる。16時22分40秒の斉射は、射程13,900メートルで発射され、目標を夾叉したものの2発が近弾、2発が遠弾だったと記録されている。16時23分45秒、射程13,700メートルの斉射も同様で、16時24分20秒、射程13,500メートルの斉射には『良好、速射』の付記がある。砲術士官ハーゼの言うように20秒間隔の射撃が行われ、24分40秒、25分00秒、25分20秒に斉射が記録されている。これは16時25分45秒の、射程13,100メートルでの斉射まで続いた。
16時26分頃、『クィーン・メリー』は夾叉され、2発が命中した。1発は、すでに損害を受けていたQ砲塔へ命中したようである。もう1発は艦首のA砲塔とB砲塔の中間付近で船体に当たり、貫通して艦内で爆発した。最初の命中弾は彼女に膝を突かせ、次の命中弾はとどめの一撃となった。
『クィーン・メリー』では、装薬庫は弾庫の上に位置している。これらの区画は安全装置で守られており、隔壁の扉は自動的に開閉されるようになっている。砲室と換装室の間も、防炎扉で仕切られていた。換気は弾薬庫の周囲に設けられた隙間を通って行われ、砲室、揚弾筒、装薬操作室といった砲塔内部で砲弾が爆発したり、装薬が発火しても、炎は上へ向かうことで弾薬庫へは入らないように造られていた。これら一連の安全装置については、しばしば述べられているところである。それでも、装薬の危険性については十分な認識があり、そのためのさらなる方策が実施されていた。
装薬は一発分が297ポンド (約135キログラム) のコルダイトで、これは四分の一ずつ絹でできたバッグに収められており、それぞれに黒色火薬による点火部があった。この方式では、装薬はわずかな容積しか必要とせず、装薬庫の大きさを最小限にできる。絹のバッグは、装薬庫では丈夫な金属製のコンテナに入れられ、万一発火事故があっても、爆発力を溜めないように工夫された蓋をかぶせられていた。多くの実績のように、イギリス製のコルダイトは連鎖的な爆発を起こす。もし火が着けば、燃え上がるのではなく爆発した。しかし、これはドイツのものも同じだったのである。
●装薬の一包は、およそ34キログラムの重量になります。これは、人力で扱うために大きさが制限されているのです。
コルダイト装薬導入期の触れ込みでは、この装薬は火が付いても閉じ込められていない限り爆発せず、緩慢に燃えるだけだとされていました。しかし、実際にはいくつかの実例によって、必ずしも爆発しないものではないことが認識されています。特に主力艦のように大量の装薬が一カ所に集中していれば、ひとつの装薬の燃焼による圧力が、他の装薬に蓋をしたような効果を発揮しますので、容易に爆発へ繋がったと思われます。
装薬コンテナの蓋は、外部からの圧力には強く、内部からのそれでは簡単に外れて、圧力を高めない工夫になっていたのでしょう。
●これより前の15時57分、『クィーン・メリー』は『ザイドリッツ』の第四砲塔バーベットを貫通する命中弾を得ています。バーベット内部にあった4包の装薬は誘爆したものの、防炎扉が功を奏し、被害は一砲塔の破壊だけにとどまりました。これから見ても明らかなように、けっして『クィーン・メリー』の射撃が拙劣だったわけではありません。防御要領の差が、生死を分けたのでしょう。
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