クィーン・メリーの爆沈(3)
Blew Up of HMS Queen Mary 1916-5-31 (3)




in fleet 1916

艦隊中の『クィーン・メリー』・1916年



 あまり触れられることがないけれども、ジュットランド海戦において何隻ものイギリス艦が災厄に遭った重大な原因は、弾薬庫での装薬の取り扱いにあったのではないかと考えられる。一連の保護装置や手順は、戦闘中に少しでも発射速度を上げようとする乗組員によって、完全に閉鎖されず、省略され、しまいには人の手や装薬そのもので押さえ付けられ、開け放しにされていたと思われるのだ。
 戦争の初期には、戦闘中の装薬庫で、揚弾室へ送り込む前に装薬コンテナの蓋を外してしまっていたのが判明している。一部ではこれが拡大し、準備装薬は揚弾筒下部にむき出しで積み上げられ、点火部を覆われてすらいなかった。このことは、せっかくの安全装置の効果を台無しにしてしまうのである。
 これらの「開放」処置は、訓練中にハッパをかけられた乗組員が、高い発射速度を維持するための「テクニック」として行ったと推測される。ジュットランド海戦での損失の背景には、こうした心理的な原因があったことを念頭におくべきだろう。

 典型的な事例として、ブラウン水兵の言葉を引用しよう。彼はヘリゴランド・バイトの海戦に、『クィーン・メリー』の同型艦である『プリンセス・ロイアル』乗り組みの砲塔員として参加している。
「『戦闘配置』がかかるやいなや、私はA砲塔の弾薬庫へ到着しました。すぐに投入口を開け、5発分くらいの装薬を揚弾室へ送り込みました。それからたくさんのケースの蓋を外して、次の命令を待っていたのです」

 このような「習慣」は、おそらく『クィーン・メリー』の弾薬庫にもあっただろう。封じられているはずの蓋は開け放され、中身は簡単に火の届く場所へ積み上げられる。これらが彼女の致命的な結果を招いた可能性は高い。



●速射砲導入の当初から、弾薬庫から砲側への経路における弾薬の移送速度の問題は、大きな影を投げ掛けていたのですが、現在に至るまで完全な解決は見られていないようです。1分間に10発以上も発射できる砲では、弾薬庫内に人間の手が介在している限り、その速度を維持するだけの揚弾ができません。現在の全自動砲でも、即応弾薬がなくなれば発射速度は大幅に低下するのです。
 この当時、これはすでに大口径砲でも同じ問題を引き起こしており、中間地点への砲弾薬蓄積なしでは、装填装置の要求する給弾速度は満たせませんでした。全力射撃が始まれば、この蓄積はどんどん減っていくわけです。ただ、実戦ではそれほど長い時間の全力砲戦が継続することは珍しく、必ずと言っていいほど間が空きますので、その間に給弾作業ができるわけです。これが空かない場合、指揮官が故意に敵との間隔を開くなどして時間を作ったりしました。

●この問題は、古くは1894年に日清戦争の黄海海戦で日本側の旗艦『松島』が、死傷者百名に達する大被害を出したところに始まっています。これは1発の命中弾が、速射砲砲廓の準備弾薬を誘爆させたために起きた被害で、危険な砲側への弾薬集積は、当時の貧弱な揚弾装置の力量からすればやむを得ない処置だったとはいえ、戦闘中の避けられない危険として黙過、軽視され、根本的な解決が図られなかったようです。

 同じではありませんが、似たような事例としては、日露戦争の蔚山沖海戦におけるロシア艦隊を追撃中の日本装甲巡洋艦で、給弾を急ぐあまり弾薬庫から砲へ向けて砲弾をどんどん移送したことから、弾薬庫に砲弾がなくなってしまい、この報告を「残弾なし」と勘違いしたために追撃をやめてしまったという出来事がありました。
 このときには弾薬が滞留していた通路に命中弾がなかったので、何事も起きませんでしたが、ドッガー・バンク海戦の『ブリュッヒェル』では、まさにそこへの命中弾によって死命が制せられたのです。

 実際にイギリスの12インチ砲塔の発達を見ると、発射速度の向上は、揚弾経路を分割して短くし、それぞれの部分に弾薬の滞留を作ることで実現されています。つまり、バケツ・リレーの手数を増やすような手法と言え、危険と引き換えの攻撃力アップだったわけです。
 後にこれは、比較的安全だが重量のある砲弾については連続的に補給し、危険な装薬は1発ずつの供給という形になりました。

 コルダイトよりはるかに爆発しやすい黒色火薬を用いていた帆装軍艦時代には、装薬の危険性がより深刻に受け止められており、装薬は発射ごとに1発分ずつ、パウダー・モンキーと呼ばれる少年兵の手によって、艦底の弾薬庫から砲甲板へ運ばれていました。発射速度が数分に1発で、装薬量も少なかった時代の話ですが、その危険性に対する意識はけっして低くありませんでした。



『ニュー・ジーランド』からの報告
「『クィーン・メリー』の左舷側に砲弾が命中したのです。命中したと思われる場所の近くから、炭塵のような小さな煙が上がりました。数秒間は何も起きませんでしたが、突然、恐ろしい黄色の炎が、巨大で真っ黒な煙と一緒に噴き上がり、『クィーン・メリー』は見えなくなったのです」

『デアフリンガー』砲術士官ハーゼの証言
「16時26分頃、イギリス艦隊の誇りでもある『クィーン・メリー』に歴史的な瞬間が訪れたのです。16時24分から、我々の砲撃は敵艦を夾叉していました。16時26分、砲弾が命中すると、巨大な爆発が『クィーン・メリー』を包んだのです」

『ニュー・ジーランド』の従軍牧師ブラッドレイ Bradley の証言
「前マストの上部は叩き落とされ、少し距離の開いた海中へ転落しました」

 艦首での強烈な爆発に続き、Q砲塔とX砲塔では、状況の激変が次々と乗組員を襲っている。

士官候補生ストーレイの証言 (Q砲塔)
「物凄い爆発が、艦の前方で起こりました。前マストからの前半分がなくなってしまったのです。私は、前部の弾薬庫に魚雷が飛び込んだに違いないと思いました。私たちのQ砲塔の左砲は、砲塔の外でへし折れ、尾栓は換装室へ落下しました。右砲も俯仰軸が外れてしまったのです」

士官候補生ロイド−オーウェンの証言 (X砲塔)
「すぐ近くで、恐ろしい爆発がありました。私は砲塔が直撃を受けたに違いないと感じました。それで、砲塔がローラー・パスから外れてしまったのだと。いずれにしても、私は揺れ方が普通じゃないと思いました。私たちの砲塔は役に立たなくなりました。水圧がすぐに、まったくなくなってしまったからです。そして電気が消え、真っ暗になりました」

下士官フランシスの証言 (X砲塔)
「大きな爆発が起こり、衝撃を感じました。圧力計を見ると、それがゼロになっているのが判りました」

 この前方での出来事の後、艦が重大な危機に晒されているのがはっきりした。これ以後、問題は個人の生き残りへと変わっていく。

士官候補生ストーレイに関する著作「私はそこにいた」 (I Was There) の記述 (Q砲塔)
「砲塔の士官は、艦が急速に沈みつつあると言いました。そして、すぐに皆を外へ出さなければならないとも。そこで、私は全員に緊急の砲塔退去を告げました。私は天蓋のハッチから体を乗り出し、船が横倒しになりつつあるのを見ました。艦尾は大きく持ち上がっており、私は砲塔の上にへたりこんだのです。何人かが海へ落ちていくのが見えました。艦尾は真っ赤に燃えていました。きっと、爆発が艦首を吹き飛ばしてしまったから、艦尾がこんなふうになっているのだと思いました。そして、私は海へ投げ出されたのです」

士官候補生ストーレイの私的会話から (Q砲塔)
「砲塔の中は飛び散る破片だらけでした。何人かはそれに殺され、装薬に火がついて燃え上がると、何人もがガスに巻かれました。皆は素早く砲塔から脱出しましたが、誰もパニックになって叫んだりはしていませんでした。私が砲塔から出ると、煙突とマストが砲塔の横に倒れていました。私はコートを取り、片方の靴を脱いだところで爆発に飛ばされ、海中に放り込まれたのです」

 この戦争での海戦においては、他にもこのような、爆発によるにもかかわらず無傷で吹き飛ばされるという、幸運な偶然が報告されている。
 Q砲塔の士官候補生は、強烈な衝撃を感じたと述べ、50トンもある砲身が外れて、砲尾を下に砲塔の中へ落ちたと言っている。脱出経路ははっきりしないけれども、彼自身は倒壊した煙突の上におり、泳がなければならないと考えてコートを脱ぎ、ブーツを脱ごうとしている時に、次の爆発で吹き飛ばされた。彼はそれから何が起きたのか覚えておらず、まるで夢のように、落ちる感覚だけを記憶していた。落下の記憶は北海の海面に到達したところで終わっている。

 X砲塔では、この二度目の爆発が非常に激しく感じられた。しかしながら、エワート Ewart 大尉は、彼の崩壊しかけた命令系統をまだ維持している。おそらく、彼はこの時点で生き残っていた最先任の士官だっただろう。

士官候補生デアードンの証言 (X砲塔)
「数分後、二度目の凄まじい爆発が起こりました。私たちの砲は、どちらも砲架から転げ落ちてしまったのです。皆は、ドイツ軍の攻撃で砲塔が破壊されてしまったと考えました」

下士官フランシスの証言 (X砲塔)
「強烈な一撃が来た時、私は天井からぶら下がったラインに掴まっていました。このおかげで、砲室の床へ叩き付けられずに済んだんです。他の連中はそういうわけにいかず、二人が砲架から落ちた砲身の下敷きになってしまいました。砲室の床は大きく盛り上がり、砲はまったく使い物になりません。それでも混乱の兆候はありませんでした」
「砲塔員の一人が私のほうを向いて、『いったいどうなっちまったんだい?』と聞きました。私は『静かにしろ。エワート大尉に聞いてみるから』と答え、指揮所へ行って『上官殿、何が起きたと思われますか?』と尋ねました。彼は『神のみぞ知る、だ』と答えたので、『イエス、サー』と返し、『彼らをここへ置いておいてもすることがありませんから、戦わせてやるために4インチ砲の応援に行かせたいのですが』と具申しました。彼は『いい考えだ。4インチ砲がどんな状態か見てこい』と言い、私は砲塔のハッチから頭を出して前方を見ました。すると砲廓はメチャメチャになっていました。すぐに頭を下げると、船が大きく左舷へ傾きだしたのに気付いたのです。はしごを踏み外して砲塔の中へ落ちましたが、すぐに大尉に状況を報告しました」

 この時、エワート大尉は、他の二人による状況の報告によって惨状の確認をしている。これにより、すでに艦が救いようのない状態で、ただちに砲塔から退去しなければならないと判った。

士官候補生ロイド−オーウェンの証言 (X砲塔)
「エワート大尉は私に、もし可能ならば、何が起きているのかを調べてこいと命じました。天蓋へのハッチを半分くらい登ったところで、とんでもない光景が目に飛び込んできました。煙突もマストも立っていなかったのです。巨大な黄色と黒の煙の塊が立ち上ぼり、炎の塊がその中にありました。幸い艦はまだ水平に浮いていましたが、『クィーン・メリー』が手酷い打撃を受けたことは容易に理解できました。私は砲塔へ戻り、大尉に艦が手の付けようがない状態になっていることを告げました。彼はただちに『砲塔退去』を命じ、そこにいた全員を外へ出したのです。換装室からも伝声管で何が起きたのかを聞いてきましたので、砲塔から脱出しろと伝えましたが、その直後に艦が大きく左に傾いたため、脱出のチャンスはなくなりました。みんな溺れ死んだのだと思います」

士官候補生デアードンの証言 (X砲塔)
「私は砲塔の外に出て、初めて何が起きているのかを理解しました。そして煙と炎のために、呼吸装置を着けなければならないと考えたのです。でも、艦の前方はすでに水の中でしたから、それを取りに行く時間はありませんでした。私は砲塔の士官に、艦がすぐにも沈んでしまうから、砲塔のみんなを外に出さなければならないと言いました」

 艦首が沈み、艦が大きく左へ傾いているのだから、砲塔退去は緊急の問題だった。艦尾は空中に高く上がり、スクリューはまだゆっくりと回っていた。『クィーン・メリー』の長さは210メートル以上もあるので、艦首は45メートルしか深さのない海底へ届いていたと思われる。そのため、艦は艦首底を支点として回転しはじめ、左舷へと転覆していった。『クィーン・メリー』、最期の瞬間である。

下士官フランシスの証言 (X砲塔)
「私は砲塔指揮所を通り抜け、天蓋の上へ出ました。エワート大尉は、私のすぐ後に続いてましたが、突然立ち止まり、砲塔へ戻っていったんです。多分、何か忘れたものがあったんだと思います。その後、まったく大尉を見てはいないので、それ以上のことは判りません。彼は偉大でした。私はそのことを全世界へ告げたいと思います。彼のことを思い出すと、胸が熱くなるんです」
「彼が戻っていってすぐ、艦は大きく左舷に傾きはじめました。私は砲塔の外のはしごに辿り着いたところでしたが、掴まるところのない連中は、砲塔の上を滑って海へ落ちていきました。私は右舷側の手摺金具に掴まろうとしましたが、手が届きませんでした。もし手を放せば、甲板を転げ落ちてどこかへぶつかるのは明らかでした。そのとき、二人の砲塔員仲間が、私の窮状に気付いて手を貸してくれたんです。水兵のロングとレーンでした。彼らは精一杯手を伸ばしてくれ、私は彼らに飛び付いて、やっとその足を掴みました。そして右舷側へよじ登ったんです」

「彼らは自分たちの危険も顧みずに、私に手を貸してくれました。ヴィクトリア・クロスを二つずつでもやってほしいもんです。舷側には人がたくさんいましたが、誰も水に入りたいと思っていなかったようです。私は彼らに声を掛けました。『さあ、みんな行くんだ。泳がなけりゃしょうがないんだぞ』」
「誰かが、『まだ艦は浮いているじゃないか』と言いました。理由が何であるにせよ、彼はここから離れるべきだという言葉を受け入れませんでした。仕方がないんで、私はぬるぬるした艦底を登ってビルジ・キールのところへ行き、海へ飛び込んだんです。泳いで離れなければ、艦が沈む時の渦に巻き込まれてしまいますから」

士官候補生ロイド−オーウェンの証言 (X砲塔)
「私が砲塔から抜け出しかけた頃、艦は大きく左舷に傾いて、艦尾が空中に高く突き出していました。私は砲塔の後壁をよじ登りましたが、普段垂直に近いその壁が、ほとんど水平になっていたのです。何人もが甲板を滑って、海へ落ちていきました。幾人かは手摺なんかにぶつかりましたから、多分水へ入る前に死んだでしょう。私は砲塔の後壁に立っていました。艦はどんどんと沈んでいきます。私は度胸を決め、船の渦に引き込まれないよう、飛び込んで泳ぎはじめたのです」

士官候補生デアードンの証言 (X砲塔)
「船首楼は吹き飛んでいました。私はシャツとベスト以外、身に付けていたものを外しました。水に入って泳ぎだし、艦尾から30ヤードくらいのところを通り過ぎました」

 かなり他人に脚色されているようなのだが、下甲板からの生存者の一人であるクラーク Arthur Bower Clark についての記述を引用しよう。また別な場所でのショッキングな光景が展開している。
「彼は右舷のボイラー員の一人だった。その時、多くの機関員はメス・デッキにおり、敵とは反対側になる右舷のドアは開いていた。敵弾が左舷側を貫通し、メス・デッキ近くで爆発した。水が入ってきて、艦は傾きはじめた。水は激しさを増し、大半の乗員は上の甲板へ上がるハッチへ殺到した。しかし、ハッチは固く閉じられており、彼らはそれを押し開けようとしていた。クラークと船大工の一人は右舷側へ脱出し、その直後に艦は大きく左へ傾いた。彼らが後甲板への階段へ辿り着くと、そのハッチは開いていた。船大工が先に階段を上がったが、その直後に彼の頭は首から離れて転がり落ちてきた。クラークは階段を駆け上がり、死体を飛び越えて舷側へ出ると、海へ飛び込んだ」

 巡洋戦艦の死の瞬間に何が起きたか、周囲の人々はさまざまにこれを見ている。『タイガー』は濃い煙の中、『クィーン・メリー』の左舷側を通過、真っ暗な中で甲板には破片が雨あられと降り注いだ。ペリー Pelly 艦長は、この煙が立ちはだかる壁のように見えたと言い、煙自体は北へ向かって流されているように感じられたとしている。『クィーン・メリー』の艦尾は、沸き立つ海水の中、まだ高々と空中に突き出されており、スクリューは回転を続けていた。後部の天窓が吹き飛んで巨大な火の玉が噴き上がり、ハッチからは猛烈な空気の流れにあおられた書類が舞い飛んで、空中に渦を巻いていたという。

『ニュー・ジーランド』からの報告
「『タイガー』は24ノットの速力で、『クィーン・メリー』の艦尾からわずか500ヤードしか離れておらず、素早く左へ回頭して煙の中へ突っ込んでいきました。私たちは右へ転舵してこれをかわしましたから、『クィーン・メリー』の両舷を通過したことになります。彼女の船体から50ヤードしか離れていなかったでしょう。煙が途切れると、後部煙突から後方が、まだ水の上にあるのが見えました。スクリューはまだ回っていましたが、船体の前半分は完全に水没していました」

『ニュー・ジーランド』航海課士官の証言
「後部の砲塔や昇降口から、人があふれ出てくるのが判りました。私たちからは150ヤードくらいしか離れていなかったでしょう。『クィーン・メリー』の後部船体はひっくり返り、爆発しました。大きな鉄の破片が空中に舞い上がり、私たちの周囲の海へ落ちてきました。その時、高さが100フィートか200フィートくらいでしょうか、ボートが空中にあるのに気付きました。それは逆様になっていましたが、どこも壊れておらず、漕ぎ手座まではっきりと見えたのです。私たちが完全に通過してしまう前に、『クィーン・メリー』の姿は海中に消えました」

『タイガー』砲手の証言 (姓名不明)
「『クィーン・メリー』がゆっくりと左舷に傾いていくのが見えました。マストや煙突はなく、横腹に大きな穴が開いているのが判りました。彼女はさらに傾き、穴は水中に隠れて見えなくなりました。水が彼女の中へ流れ込んで、完全にひっくり返り、わずか1分半で、彼女のキールしか見えなくなったのです。そして、すぐにそれすら見えなくなりました」

『ニュー・ジーランド』従軍牧師ブラッドレイの証言
「『ニュー・ジーランド』が横に並んだ時、後部が爆発しました。艦尾は二つに裂けてしまったのです」

 沈没しかかっている船から逃げ出していた人々にとって、この爆発は近すぎ、その生存の可能性をあらかた吹き飛ばしてしまっただろう。

士官候補生ロイド−オーウェンの証言 (X砲塔)
「私が海に落ちた時、頭の上で爆発が起き、体が海中に吸い込まれました。海面に戻ると、小さな残骸と大量の油以外、あの偉大で勇敢な『クィーン・メリー』は、どこにも見えなかったのです。そして、すぐ近くを『ニュー・ジーランド』が通りすぎていきました」

士官候補生デアードンの証言 (X砲塔)
「彼女は突然、完全に爆発してしまいました。私は幸運にも水中に引き込まれたところだったので、破片を浴びなくて済みました。私は我慢できなくなるまで息を止めて水中にとどまってから水面へ戻りました。周りを見回して、何か手助けになるものがないかと探したのです」

士官候補生ストーレイの証言 (Q砲塔)
「私は、後部の弾薬庫が爆発した時、頭の上で別な恐ろしい爆発を聞きました。水面へ戻った時には、『クィーン・メリー』はまったくなくなっていたのです。たくさんの残骸、円材などが浮かんでいました。すぐ後ろにいた『タイガー』は、きっと『クィーン・メリー』が沈んだその場所を通過したに違いありません。なにしろ、彼女が沈むのに1分と掛からなかったのですから」

下士官フランシスの証言 (X砲塔)
「私はできるだけ早く艦から離れようとしており、多分50ヤードくらい離れていたと思います。そのとき大きな爆発が起こり、泳ぐのをやめて振り向くと、空中にはたくさんの破片が飛び回っていました。大きな破片が私のすぐそばに落ちたので、破片にぶつからないように水に潜りました」
「できるだけ長く水中にとどまり、水面へ戻った時に激しい水音を聞きました。渚で砕けるような波が押し寄せてきて、それが艦の沈んだ返し波であることが判ったのです。肺に空気を溜めるだけの時間はなく、波に抗うこともできません。私は水中に引き込まれ、もみくちゃにされました。何かが体にぶつかったので夢中でしがみつくと、それは堅く縛られたハンモックだったのです。半分以上死んだような気がしていましたが、なんとかハンモックの上に体を引き上げました。それでも体力はなくなり、弱っていたのは間違いありません」

『デアフリンガー』砲術士官ハーゼの証言
「巨大な煙の塊が噴き上がり、マストは崩れ落ちました。煙はすべてを覆い隠し、高く、より高く立ち上ぼっていきます。最後には、船のあったところにはただ煙があるだけになったのです。煙の柱は、その根元では狭く、上へいくに従って広がり、黒い巨大な松の木のように見えました。その高さは300メートル、いや400メートルもあったでしょうか」



●艦が沈没する時、かなりの数の生存者がいたことが判ります。この中の多くは断末魔の爆発に巻き込まれたでしょうが、それでも生存者はかなりの数に上ったと思われます。しかし、激しい戦闘が続いたことと、その戦場が一時間と経たないうちに再び同じ場所を通ったので、救助活動は思うに任せませんでした。



Queen Mary blew up

爆沈した『クィーン・メリー』・1916年5月31日



 しかしながら、これで戦いが終わったわけではない。それでも、勝利した『デアフリンガー』では、周囲を塞いでいた水柱や煙から解放され、急速に視界が広がっている。

『デアフリンガー』砲術士官ハーゼの証言
「『クィーン・メリー』が見えなくなったので、私は次の目標を探してペリスコープを左へ回しました。すると、そこには2隻の巡洋戦艦が見えるではありませんか。びっくりした私は、このとき初めて、敵艦隊の三番艦と交戦していたのを知ったのです。『ライオン』が先頭におり、私たちの目標は、もう一度『プリンセス・ロイアル』になったのです」

 ビーティの残った4隻の巡洋戦艦と、エヴァン・トーマスの高速戦艦4隻は、ヒッパーの5隻の巡洋戦艦と戦闘を続けていた。戦いの満ち引きの末、ビーティはドイツ高海艦隊を北へ導き、『クィーン・メリー』の墓場の上を通り過ぎて、ジェリコーの大艦隊の顎の下へと誘い込む。
 生存者の細い命の糸は、冷たい北海の海水の中で次々に切れていった。激しい戦いの動きの中で、救助活動はどれほども行われていない。生存者はまず、18人が駆逐艦『ローレル』と『ペタード』に救われた。さらに二人が、ドイツ駆逐艦に拾い上げられて捕虜となっている。
 勇敢な『クィーン・メリー』は、1,266人の男たちを海底へ連れ去った。ここでは、その物語を体験者の口を通して語らせ、その偉大な名を改めて記憶してもらうよすがとした。



●生存者が合計で20名というのは、あまりポピュラーな数字ではありません。8ないし9人というのが大方の記述で、これは捕虜になった二人を含んでいます。乗組員の合計には1,274という数字があり、これには明確な記録があるはずですから、戦死者が1,266人では数が合いません。拾われた時には生きていたが、海戦後まで生存しなかった人数があるのか、拾った数が遺体を含んでいるのか、はっきりとは判らないところです。また、駆逐艦『ペタード』は、ドイツ巡洋戦艦部隊に雷撃を行っていますから、この突撃時に戦死した数があるかもしれません。



エピローグ
 1991年、ジュットランド海戦の75周年に、サルベージ船『ケーブル・プロテクター』 Cable Protector は、『クィーン・メリー』爆沈の場所へ合同潜水チームを運んでいる。彼等はそこで『クィーン・メリー』の船体を発見した。船体は左舷を下にしてひっくり返ったのだが、現在では完全に逆様になっている。上部にあった構造物や砲塔は、海底の泥に埋もれていてアプローチできなかった。そこにはただ、錆び付いたキールが、それが船体であることを語っているだけだったのである。
 『クィーン・メリー』の残骸を調査することで、その最後の様子は明らかになっている。ひっくり返った船体はひと繋がりになっており、竜骨は切断していない。爆発による破壊が最も凄まじいのはQ砲塔付近である。船体の周囲にはたくさんの破片や備品が散らばっており、その多くは識別可能だった。
 艦首から船体に沿って見ていくと、艦首の突き出しはそのままに残っており、潜水チームは容易にビルジ・キールを識別できた。格子のはまった吸水口があって、大きく破壊された中央部へ続き、スクリューやシャフト・ブラケットがあり、二枚の舵は海面へ向いていた。潜水チームは時間切れになるまで海底にとどまり、その成果として、現在の『クィーン・メリー』の状態が一連の写真とビデオによって記録された。1991年の調査は終了し、彼女の船体は平和の中で再びの眠りについている。

主たる資料
◆The Fighting at Jutland : H. Fawcett : 1921
◆I was There : J. Hammerton : 1938
◆A North Sea Diary 1914-18 : S. King-Hall : 1936
◆British Battleships of WW1 : R. Burt : 1986
◆Kiel and Jutland : G. Von Hase : 1922
◆National Maritime Museum
◆Imperial War Museum

『クィーン・メリー』を始めとする、ド級戦艦が与えた『ザイドリッツ』と『デアフリンガー』の被害を記録した写真とイラストは、1979年にホワース David Howarth のプロデュースによって、タイム−ライフ誌に再録された。

以上、ここまでが翻訳になります。



●この文章は、現在作成中の「ジュットランド海戦のタイム・テーブル」に関する資料の中にあったものから作りました。  「爆沈」という言葉から、ほとんど瞬時に艦が沈み、わずかな生存者は偶然に生き残ったのだろうと、漠然と考えていたのですが、実際には3万トン近くもある船がそう簡単に消えてなくなるわけはなく、沈没までにはそれなりの時間経過があったことが判りました。
 爆沈艦に生存者が少ないのは当然ですが、突然の事件であるため、救助艦が沈没地点へ接近するまでにかなりの時間が必要なことも考慮しなければならないでしょう。イギリス駆逐艦が短時間の捜索の後に去ってから、戻ってきた艦隊が駆け抜け、砲弾が降り注いだ場所で、わずかな生存者は、今度はドイツ艦隊に踏みしだかれたわけです。それでも二人が、沈没から1時間以上経過した後、ドイツ艦に拾われています。おそらく、発見されないまま死んだ人も少なくなかったでしょう。
 この艦には、日本海軍の観戦武官、下村忠助少佐も乗艦しており、戦死しています。

●一般には、『クィーン・メリー』は中央部のQ砲塔が爆発して真っ二つになり、即座に沈没したと記述されていますが、ここに述べたように、沈没の原因は艦首砲塔の弾薬庫爆発と思われます。沈没しかけている段階でQ砲塔弾薬庫も爆発していますが、船体の分断は起きていません。これらは、回転しているスクリューが空中にあったという複数の記述で明らかと考えていたのですが、今回、海底の船体調査の報告を読んで、あらためて納得しました。
 この海戦では、他に巡洋戦艦『インデファティガブル』と『インヴィンシブル』も爆沈しており、原因は同じと見られています。装甲巡洋艦でも爆沈したものがあり、イギリス艦の水平防御不備が言われています。しかし、これを単純に装甲の厚さに帰するのは浅薄な見方でしょう。実際にドイツ艦でも砲塔やバーベットを突破された艦は少なくなく、彼らが爆沈しなかったのは、砲塔内での装薬取り扱いがより慎重だったためではないかと考えられます。

●主な参考資料
All The World Fighting Ships 1906-1921 / Conway
Battleships and Battle Cruisers 1906-1970 / Siegfried Breyer
Jutland / John Campbell



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