中央砲塔艦と梯形配置(1)
Central turret ships with en echelon (1)


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 梯形配置という言葉は、船に関する用語としては新しくも古くもあるという、奇妙な語である。
 言葉の意味としては、直列、並列といった単語に近い、物体の配列を示す語である。「梯形」は平行四辺形を指す語であり、ひとつの対角線を基準線に重ねたとき、もうひとつの対角線上に物を配置する並べ方を指す。

 最近では、アメリカのスプルーアンス級駆逐艦が煙突をこの配置にしており、派生型のタイコンデロガ級イージス巡洋艦も同じ煙突配置を採用している。これが、現行のアーレイ・バーク級や日本のこんごう級が現れたときに中心線配置に戻ったため、一時話題になった「特異な配置」という言葉もあまり聞かれなくなったところだ。
 基本的に左右対称に造られる船舶では、目立つ大きな構造物を左右非対称に造ることは、多かれ少なかれ違和感を生む。また、実用上も問題のある場合が多い。しかしながら、1隻の船の上にひとつだけあればよい装備をすべて中心線上に配置したら、その船はやたらと全長の長いものになってしまうだろう。こだわってまでそうすることにたいした意味があるわけでもないし、実際に船の内側を細かに見ていけば、けっして左右対称になど造られていないのは明白である。

 この現象は、水の抵抗をできるだけ左右均等にしなければならない水中部分や、重量のバランス面から自然に左右均等になる対称配置が、特に重量のある物品について、半ば無意識に造形されているために生まれる印象なのだ。もちろん、外形的に左右対称であることは、美的センスの面からも当然であり、理由もなく非対称に設計されることはない。
 水中形状については、単軸艦でのスクリューへの水流の問題はあるにせよ、基本的に左右対称でないとまっすぐ走らなくなってしまうけれども、それ以外の面では重量と空気抵抗 (ごく高速の一部を除けば無視しても大過はない) への配慮を忘れなければ、配置そのものが対称である必然性はない。それゆえ、煙突を非対称に配置するのもアリなのだ。

 さて、軍艦における重要な装備品として、船としての要件の次に来るのは兵器類だろう。現代の船は直接的な打撃を与える武器よりも、情報関連の兵器のほうが重要視されており、その視界を遮らないために様々な工夫がなされるのであって、初代のイージス・システム装備艦であるタイコンデロガ級が、基本的には機関配置の要求から煙突を梯形配置していたスプルーアンス級の船体を利用するため、やはりイージス・システムのレーダー面を左右非対称に配置しなければならなかった。
 これは、その後続であるアーレイ・バーク級で対称配置となり、より洗練された印象がある。

 このページで取り上げるべきは、このような現代の軍艦ではない。20世紀に全盛期を迎え、消えていった「戦艦」の、そのさらに祖先である装甲艦であり、ここではその中に見られた左右非対称配置の際たるもの、最も重要な装備品であった砲塔の梯形配置を見ていくことにする。
 最初にこの配置を採用したのが、どこのどの艦なのかという問題は、これがけっこう難しくて、単純に砲塔配置だけを見るならば判りやすいのだが、その根本である砲の配置という側面を見ると、非対称配置そのものはかなり起源を遡ることになる。
 しかしながら、ここでそれを手繰ってみてもあまり意味はないと思われるので、ここでははっきりと「砲塔」の形態を持っているものだけを見ていくことにしよう。

 先人の行なった研究により、この種の軍艦にはすでに分類名称が与えられている。中央砲塔艦 central turret ship がそれで、装甲艦の歴史全体から見れば、絶対数はあまり多くない存在であるし、分類名そのものがマイナーで、用いられない場合も珍しくない。それでも、割合はっきりした特徴があって分別はしやすいほうだろう。歴史の常として例外や亜種の存在があり、また形態的な特徴は簡単には消え去っていない。
 ひとくくりに中央砲塔艦という場合、これは主砲塔を艦の中央部にのみ装備し、かつそれを左右互い違いに配置しているものを指す。単純に砲塔を中央部に載せただけでは、このようには呼んでもらえないのだ。しかし、この形態へ至る道筋には、この定義にあてはまらない艦があり、それを見なければ発生理由もまたつかみきれない。ここでは若干定義を拡大し、少数の真性種の周辺をも見ていくことにする。

 砲塔を持った初めての軍艦は、アメリカ南北戦争で活躍した『モニター』だとするのが一般的な歴史通念だが、実際に初めて砲塔を採用したのはイギリスであり、早くも1861年9月には、コールズの提唱していた砲塔を試験採用して実験を行なっている。『モニター』が完成し、ハンプトン・ローズで『メリマック』(『ヴァージニア』)と撃ち合ったのが、翌1862年3月だから、半年ほど遡るわけだ。しかしこれは、あくまでテストであって、そのまま実用になったわけではないので、第一号の名は『モニター』に譲っているのだろう。

 南北戦争中にあまた建造されたモニター系統艦は、そのすべてが例外なく砲塔を中心線上に配置している。これはまあ、あの大きさの船にあれだけ重い物を載せれば、真ん中に置かないと構造が成立しないから当然でもある。
 砲塔は1基のものが基本だけれども、後には2基、3基のものも造られた。それでもこれらはモニターであり、砲塔艦とは呼ばれても、中央砲塔艦と分類されることはない。

 最初に砲塔を用いたイギリスでは、実艦への採用も遅れず、木造戦列艦を改造した『ロイアル・ソヴリン』 Royal Sovereign、新造の鉄船『プリンス・アルバート』 Prince Albert を、それぞれ1864年、66年に就役させた。しかし、この2隻はともに、4基の砲塔をすべて中心線上に配置していて左右対称だし、砲塔を中央部に集めてもいない。それまでの砲甲板の代わりに、砲塔を並べてみましたと言うだけである。

 さらにこの時期には、アメリカ南軍による発注で、2隻の航洋砲塔艦『スコーピオン』 Scorpion 級が建造されている。これは帆装を持ち、2基の砲塔は艦の中央近くにあって首尾線方向への射界を持たないという、中央砲塔艦の前駆種たる特徴を持っている。結局アメリカ南軍の手には渡らず、イギリス海軍に編入された。
 続いて1870年頃、ブレストワーク・モニターと称される砲塔艦が建造されたが、これは艦の前後部中心線上に砲塔を配置していて航洋能力に乏しく、モニターの進化種であって、広義の砲塔艦に含まれるだけだ。

 これらの実績と、南北戦争での実戦経験から、砲塔というものの評価は徐々に高くなり、また大口径化を要求された砲が、砲廓で扱うには無理のあるものになってきたことから、砲塔の可能性が探られることになった。まず、半ば実験的に、砲塔を航洋艦に適合させようとした『モナーク』 Monarch と『キャプテン』 Captain が建造される。
 この2隻は基本的に同じコンセプトで建造されたもので、アプローチの違いから異なった形状をしているが、砲塔は艦の中央部にあり、やはり中心線上に配置されている。ここでは、『モナーク』の平面形を略図でご覧いただきたい。これがどういう船だったのかは、本ホーム・ページの「士官室」に、「キャプテンとコールズ艦長」というページがあるので、そちらも参照してほしい。


 
HMS Monarch plan

イギリス砲塔艦『モナーク』の平面略図

 砲塔は中心線上にあり、艦首尾方向への射界は制限されている。艦首砲郭に2門、艦尾に1門の7インチ追撃砲を装備していた。艦尾のものには4ヶ所の砲門があり、任意に移動して射撃できる。


 ここでも左右非対称配置は採用されていないのだが、この2隻の砲塔配置は、この問題を語る上で避けて通れないものなのだ。簡単に言えば、この2隻は航洋艦として必要な装備 (当時は帆装が重要な装備である) を保持したまま、重い砲塔を搭載するために、艦の中央部へこれを置かざるを得なかったのである。
 艦の前後部に砲塔を置いた場合、帆装の装備には非常に不都合な邪魔物になってしまうので、そういう配置が成立しにくいためだ。仮にそうしたところで、索具や支索が邪魔になり、自由な砲撃戦はできない。『モナーク』は上甲板の高い位置に、二つの砲塔を接近させて装備し、『キャプテン』では低い位置で船体へ埋め込むような配置とされている。この2隻はそれぞれ、1868年、69年に進水した。

 同様の配置を持った艦としては他に、ドイツの『プロイセン』 Preussen 級3隻があり、1873年から75年にかけて進水している。イギリスではブラジル向けに1隻が建造され、これも1874年に進水したが、1877年の露土戦争の影響もあってイギリス海軍に編入され、『ネプチューン』 Neptune となった。ロシアにも同様の計画があったけれども、1870年に『キャプテン』が転覆した事故を受け、計画は変更されてしまっている。



SMS Preussen

ドイツ砲塔艦『プロイセン』

 煙突の直前に艦橋があり、砲塔はその前後、中心線上にある。
 乾舷が不足しているため、砲塔の周囲には起倒式ブルワークが立てられており、写真ではその天蓋付近がわずかに見えるだけである。もちろん、このままでは射撃できない。



HMS Neptune

イギリス砲塔艦『ネプチューン』

 『プロイセン』とほぼ同じ配置である。写真では艦首側の砲塔が比較的はっきりと見えるが、前檣の横静索ががっちりと射界を遮っているのがよく判る。
 戦闘の際には、檣上部を短縮し、横静索を緩めて檣周辺に固縛して射撃の妨げにならないようにしたけれども、これは非常に時間のかかる作業だった。


 そして、ここに掲げたすべての艦が、主砲からの首尾線方向への射界を持たないのだ。帆柱や船首楼といった船体の構造が邪魔になって、砲を向けられないのである。

 この問題は、鈍重な装甲艦で至近距離戦闘を行なうという当時の戦闘様式から、砲撃できない角度があることを嫌った戦術思想と相容れないものであり、ほとんどが死角をカバーする砲を別に装備している。この追撃砲は、艦全体としての効率を下げているし、ここに装甲を設けるとやたらに重くなってしまうから、ほとんど無装甲で装備しなければならず、疑問の多いものだった。なんとか、完全に装甲された砲塔で、全周への射界を確保したい。

 その要求そのものは、すでに複数の砲塔を持ったモニター系統艦で実現しているから、問題はその配置と、航洋性の両立ということになる。モニターは、大洋の真っ只中では戦闘ができないのだ。
 1870年代にはイギリスやアメリカが、それぞれのモニターを大型化した艦を造っているけれども、やはりこれらは海を渡ることができるだけで、洋上での戦闘に向いたものではない。比較的静かな地中海でも、海が穏やかなとき以外は、敵との戦闘より海との戦いのほうが先になってしまうのである。



HMS Dreadnought

イギリス砲塔艦『ドレッドノート』

 モニターからの発展型砲塔艦で、前後に置かれた砲塔からの射界は非常に広いが、中央部の上部構造が小さいため、各種装備品の配置場所がなく、居住性は極端に悪い。長期の洋上行動そのものが困難である。



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