中央砲塔艦と梯形配置(3)
Central turret ships with en echelon (3)


 さて、先駆者イタリアは、イギリスとはまったくコンセプトの異なった新型艦『イタリア』 Italia を建造する。防御を主砲塔周辺に限定し、ほとんどの船体は無装甲とされ、主たる防御は亀甲形をなした甲板装甲によっている。水平弾道の敵砲弾は、無装甲の船体を突き抜けるだけであり、仮に爆発しても、その破片は防御甲板で食い止められるから、浸水を招く吃水線下には大きな損害を被らないで済むと考えられた。水線上の区画は細分化され、浮力のある繊維を充填するなどして、被害と浸水の局限を図っている。
 主砲塔は重量の節減を考えて高架砲塔とされ、17インチ (431ミリ) 後装砲を連装で、まったく砲身全体が剥き出しの装備とされた。この砲塔の詳細についても、士官室のページ「砲塔の生い立ちと進化(2)」を参照してほしい。ここでイギリスの高架砲塔を紹介している。左右の砲身はギリギリ接近して並べられ、砲塔を基準として障害物に引っ掛かる範囲を狭くしていた。機関出力が増し、速力はさらに速くなって、公試では18ノット前後を発揮している。

 煙突は『デュイリオ』同様前後に大きく分離し、『イタリア』は3本ずつの2群、同型艦『レパント』は2本ずつ2群とされた。この艦は22メートルほどの幅があり、さらに砲塔構造は舷側から張り出しているから、砲は艦首正面へ向けて発砲可能であって、4門が0度方向へ集中できる。
 この艦は異様に大きな容積を持ち、乗組員の他に多数の陸兵を収容できるから、その高速性とあいまって、かなり特殊な用法を考えられたようだ。舷側縁にずらりとならんだ艦載艇を合わせ見て、重砲装備の強襲揚陸艦という考えに同調したい。



Italian Italia

イタリアの中央砲塔艦『イタリア』

 この写真から平面形を想像するのは、いささか困難だろう。写真右側が艦首になる。
 最前部煙突に張り付くように航海艦橋がある。その直前から艦首にかけて伸びている斜めの線は、艦の構造物ではない。天幕を張るための支えだろう。後部煙突群後方に立つ、巨大なグーズネック・クレーンに注意。これは艦載艇の揚降に用いられた。



●イタリア
建造所:カステラマーレ海軍工廠
起工:1876年1月3日/進水:1880年9月29日/完成:1885年10月16日/1921年除籍
常備排水量:13,678トン、満載排水量:15,407トン
全長:124.7m、垂線間長:122.0m、幅:22.54m、吃水:8.75m
ボイラー:円缶16基+楕円缶8基、主機:垂直複合機関4基、2軸
出力:11,986馬力、速力:17.8ノット
航続力:10ノットで5,000浬、石炭:1,650〜3,000トン、重油:120トン
乗員:669〜701名
装甲:鋼鉄:水線装甲帯なし、リダウト480ミリ、甲板100ミリ、司令塔100ミリ
兵装:完成時:431ミリ26〜27口径砲4門(連装2基)、150ミリ26口径砲7門、120ミリ23口径砲4門、356ミリ魚雷発射管4門
同型艦:レパント Lepanto   




Italia plan

イタリア中央砲塔艦『イタリア』の平面略図

 砲塔は高架砲塔で、砲身はバーベット内に埋め込まれた旋回部の上に剥き出しで乗っている。射界はかなり広い。


 さらにイタリアでは、イギリスと同様に『デュイリオ』の廉価版、『ルッジェーロ・ディ・ラウリア』Ruggiero di Lauria が建造された。1884年から85年の進水で、こちらは『デュイリオ』をひとまわり小さくしたほぼ1万トンである。砲も『イタリア』と同じ17インチとされているが、砲塔がフード付き露砲塔となり、船体の形状は『デュイリオ』に近かった。速力は速く、かなりの快速艦隊が編成できたはずだ。

●ルッジェーロ・ディ・ラウリア
建造所:カステラマーレ海軍工廠
起工:1881年8月3日/進水:1884年8月9日/完成:1888年2月1日/1909年除籍
常備排水量:9,886トン、満載排水量:10,997トン
全長:105.9m、垂線間長:100.0m、幅:19.84m、吃水:8.3m
ボイラー:円缶8基、主機:複合機関、2軸
出力:10,591馬力、速力:17ノット
航続力:10ノットで2,800浬、石炭:850トン
乗員:507〜509名
装甲:鋼鉄:水線装甲帯450ミリ、シタデル・バーベット360ミリ、甲板75ミリ、司令塔100ミリ
兵装:完成時:431ミリ27口径砲4門(連装2基)、152ミリ32口径砲2門、120ミリ32口径砲4門、356ミリ魚雷発射管2門
同型艦:フランチェスコ・モロシーニ Francesco Morosini、アンドレア・ドリア Andrea Doria   

 ヨーロッパにおける中央砲塔艦の系譜は、ここでぷっつりと途絶える。以後、この配置を持った主力艦はまったく建造されず、イギリス、イタリアとも艦首尾に砲塔を配置した艦へと移行するのだ。何か根本的な欠陥が明らかになったか、戦術思想の変化なのか、この変わり身の理由ははっきりしない。

 逆に海を渡ったアメリカでは、新たに構築されることになった新海軍が、1892年に『テキサス』 Texas を進水させている。12インチ砲を2門、単装砲塔に収めて船体中央部に梯形配置し、航洋性と速力を兼ね備えた設計だった。わずか6千トンほどの大きさでこれを実現するには、やはり必要な構造だったのかもしれない。

●テキサス
建造所:ノーフォーク海軍工廠
起工:1889年6月1日/進水:1892年6月28日/完成:1895年8月15日/1911年標的処分
常備排水量:6,135トン、満載排水量:6,665トン
全長:94.13m:(308ft10in)、幅:19.53m:(64ft1in)、吃水:6.86m:(22ft6in)
ボイラー:円缶4基、主機:垂直三連成機関、2軸
出力:8,600馬力、速力:17ノット
石炭:500〜850トン
乗員:392〜508名
装甲:ハーヴェイ鋼・ニッケル鋼:水線装甲帯12〜6インチ(305〜152ミリ)、砲塔12インチ、リダウト12インチ、揚弾筒6インチ、横隔壁6インチ、甲板3〜2インチ(76〜51ミリ)、司令塔12インチ
兵装:完成時:12インチ35口径砲2門(単装2基)、6インチ35口径砲6門、6ポンド砲12門、1ポンド砲6門、14インチ魚雷発射管4門
同型艦:なし   

 さて、ここに紹介したほかにも、当時主砲塔を左右互い違いに配置した軍艦があるけれども、これらは必ずしも中央砲塔艦とは呼ばれない。この亜種とも言える存在を、それぞれ見ていくことにしよう。
 『テキサス』より若干先行して、アメリカでは7千トン近い『メイン』 Maine が造られ、1891年に進水している。1898年にキューバのハバナ港で突然爆沈し、米西戦争の引き金となった砲塔艦である。
 この艦は、機関部を挟んだ前後甲板に10インチ砲各2門を装備した砲塔を、艦首で右舷側、艦尾で左舷側に片寄せて配置している。砲塔は大きく舷側から張り出しており、良好な射界を持っているけれども、その分反対舷への射界は狭くなってしまった。

 この艦は、イギリスでブラジル向けに建造された『リアチュエロ』 Riachuero、『アクィダバン』 Aquidaban (それぞれ1883年、85年の進水) の設計を基本にしたとされ、砲塔配置は左右逆ながら、確かによく似た形状をしている。
 この3隻は、いずれも前後の砲塔が比較的離れており、特に直下のバーベット部分で装甲が独立している。このことから、これらは中央砲塔艦ではなく、艦首尾に置かれた砲塔を、それぞれ左右に片寄せたものと解釈される。本来なら上甲板中心線上に置きたいのだが、船体の大きさとの関係から一甲板低い位置に装備せざるを得ず、射界確保のために梯形配置とされたのだろう。

 日本では知名度の高い、清国がドイツから輸入した『鎮遠』、『定遠』の2隻も、砲塔を梯形配置にしている。しかしながら、これもまた中央砲塔艦とは呼ばれない。これは、その2基の連装砲塔がともに機関部の前にあり、定義上は艦首砲塔とみなされるためだ。つまりこれは、艦首に砲塔を集中配置した軍艦で、並列配置の変形と見ることができる。
 本級では、艦首正面に4門を集中することは可能なものの、両砲塔の前後方向への偏差が小さいため、反対舷への射撃が困難なのである。これは、7,200トンの船体に12インチ砲4門を積む必要から、連装砲塔の併置が難しかったのと、前後にずらすことによって構造重量が削減できる効果を狙ったものだろう。



Chinese Chen-Yuen

清国の砲塔艦『鎮遠』

 左舷側に寄せられた第二砲塔がよく判る。右舷側の第一砲塔は、バーベット直径の3分の2ほどずれた艦首寄りにあり、写真では黒く影になっている。艦橋は砲塔をまたぐ空中甲板上にあった。写真は日清戦争後、日本に捕獲された後の姿である。



 これと似た配置のものには、オーストリアが1887年に進水させた『クロンプリンツェッシン・エルツヘルツォージン・ステファニー』 Kronprinzessin Erzherzogin Stefanie がある。長い名前だ。これは2基しかない12インチの単装砲塔を艦橋の両側に配置し、艦首方向に広い範囲で2門が集中できるものの、側面には1門しか向けられなかった。
 また、ロシアで1886年から1892年に進水した『エカテリーナ二世』 Ekaterina II 級は、艦中央部に大きな三角形平面のシタデルを持ち、この中の艦首側に並列、艦尾側の中心線上とに合計3基の12インチ連装露砲塔を装備した。ここまで来ると定義の拡大解釈も限界という気がするので、この方面はこのくらいにしておこう。

 中央部に砲塔を置き、前後に構造物を設けて、射界の制限に甘んじながらも航洋性や居住性を確保した艦としては、単砲塔のものも見られる。先に紹介したイギリスの『スコーピオン』級の単砲塔版は、オランダ、ペルー (イギリス建造)、ブラジル (イギリス、フランス建造) などに見られる。2砲塔の同類も、デンマーク (フランス建造)、トルコ (フランス建造)、オランダ (イギリス建造) にあった。
 また、モニターの砲塔を中央部に置き、前後に上構を設けたものもある。オランダ、アルゼンチンなどにあって、連装砲塔のものでは、砲塔内の砲身を極力左右に離して装備し、艦首側の上構を狭く造ることで、上構の側面ギリギリを通して艦首正面への射界を考えたものがある。多分、爆風で壊れる物品が多く、実用にはならなかっただろうが。



Monitor Krokodil

オランダのモニター『クロコディル』

 低乾舷のモニターだが、中心線上に幅は狭いものの顕著な構造物が並んでいる。連装砲塔内の砲身は左右に接近しており、中心線付近に若干の死角があった。


 このように、装甲艦の主たる装備である砲塔を、小さな船体と広い射界という半ば矛盾した要求に合わせるために開発された中央砲塔艦は、およそ10年でほとんど建造されなくなった。以後、艦首尾上甲板への砲塔配置は当然のものとなり、戦艦最後の時代まで崩れることはなかった。

 国別に見た場合、首尾線方向への射界制限を甘受して中央部中心線上に砲塔を配置したのは、大型航洋艦ではイギリスに2隻、ドイツに3隻、ブラジルに1隻だけのようである。ドイツの3隻は同型でイギリス設計、ブラジルのものはイギリス建造で、完成前にイギリス海軍へ移されているから、結局イギリス以外では中央部中心線のみに砲塔を配した大型艦は造られなかったとみていいだろう。
 これは、いかに工夫してみても、砲塔を用いれば帆装航洋艦としての性能低下は少なくなく、この時代には軍艦の建造数が多くなかったこともあって、試行すらされないまま、より大きくすることで航洋性の問題を解決してしまうという、いわば力技が主流になってしまったためと思われる。機関の信頼性が増し、帆装に頼る理由がなくなったのも同時期である。
 梯形配置を採用したものも、ここに挙げたわずかな数でしかない。結局は、今ひとつ実用性に乏しい、思いつきの域を出ない配置だったのかもしれない。

 しかしながら、艦中央部における砲塔の梯形配置そのものは、20世紀初頭のド級戦艦において復活している。その目指すところには若干の相違があるけれども、現象としてはよく似ているし、得失にも同じ部分がある。
 これらは主として重量や爆風の問題から、背負い式配置を嫌ったために採用されたものだけれども、昔と違って直下に大容量の弾薬庫を持たなければならないため、艦内配置はややこしいものになった。
 ひとつ不思議なのは、背負い式配置とほぼ同列にある、艦首甲板における梯形配置が見られないことだ。初期のド級艦計画などで、並列配置はあっても梯形配置のものは見たことがない。唯一、先に紹介した『定遠』だけと思われるが、これは基本的に並列配置だし、中心線上に構造物があって反対舷へはまったく指向できないから、少々意味が違うだろう。一度くらいは、考えられていてもよさそうに思うのだが。
 …やっぱ、カッコ悪いですかね。



追補
 さて、ド級艦もやれという声があるので、簡単に。

 いわゆる標準型戦艦には、その名が示すようにこういう突飛な配置のものはない。また準ド級艦では、たくさんの砲を限られた長さの中に配置するという発想から、並列配置が多用され、梯形配置は用いられていない。
 イギリス、1906年の『ドレッドノート』では、その流れを汲んで並列配置が残存しており、このための効率低下に批判があった。そして、背負い式配置という選択肢にジャンプしきれないまま、次の設計では中央部の2砲塔を梯形に配置し、真後ろへの発砲機会が多くないだろう後部に背負い式配置を採用した。
 ド級戦艦では3隻のみ、巡洋戦艦では『インデファティガブル』級3隻がこの配置だろう。『インヴィンシブル』級の中央部砲塔もたしかに前後にずれてはいるが、反対舷射界に意を払ったものではないので、並列の中途半端な変形と見るべきと考える。
 戦艦『オライオン』級、巡洋戦艦『ライオン』級以降は、この配置はまったく採用されていない。

 他に目を転じてみれば、中央砲塔艦を建造しなかったドイツが、ド級艦でこれを採用している。確信犯とも思える、見事にイギリスとは裏返しの配置なのだが、若干異なった部分もある。
 ドイツの場合は、その砲塔が舷側いっぱいに寄せられておらず、比較的内舷寄りにあったことが特徴である。このため、正艦首尾方向への射界は若干制限されており、『フォン・デア・タン』や『ザイドリッツ』では、一段高い船首楼のために、少なくとも内舷側の1門は艦首0度方向へ水平発射できない。
 実用上は大きな問題ではないと考えるけれども、装甲鈑を舷側から食み出させるまでの極端なイギリス式配置と比べると、考え方の違いが面白い。

 他の国では、スペインの戦艦が中央部砲塔を梯形配置にしているが、これはイギリス設計なので、系統としてはイギリス艦と同じに考えてよいだろう。
 ブラジルの『サン・パウロ』、『ミーナ・ジェライス』も、中央部の両舷に配置された砲塔が左右で前後にずれているが、反対舷への射撃はまったく不可能なので、これは単なる並列配置であり、射界とは別な、重量配分や艦内弾薬庫の配置あたりが理由で前後にずらしたものと思われる。

 で、ドイツのK級軽巡洋艦であるが、これは明らかに中心線配置の砲塔を、艦首側への射界を拡大する目的でずらしたものだ。アイデアはともかく、実用上はほとんど差がなく、不利な面だけが強調されてしまったらしい。
 この配置に利があるのならば、それこそ日本の重巡、『利根』、『筑摩』の3,4番砲塔を左右にずらしたほうが解りやすい。この2隻では後方に射界のないことが、実用上ハンデにならなかったそうなので、あれだけの運動性能がある艦ならば、そんな限界的な配置をしなくても、運用で問題なくカバーできるということなのだろう。
 これはつまり、そういう方法でカバーできない、鈍重な重装甲艦だからこその利益だったわけだ。



蛇足
 一般にしばしば、砲塔を舷側配置とすると、船体が発砲衝撃に耐えられないかのような記述を見かけるが、「構造が耐えられない」などということは有り得ないのであって、構造が弱いのなら強く造ればいいだけのことである。せいぜい若干重くなる程度だろう。
 これは、そのための構造強化が中心線配置の砲塔に比べて重量上不利になるという問題と、反対舷へ向けて水平に近い射撃を行った場合、艦の一部が爆風によって破壊されやすいという問題とが、混乱しているのではないだろうか。この場合に壊れるのは船体構造ではなく、甲板上の構造物や床の木板であり、甲板以外は弱いから壊れるので、必要であれば強化すればいい。

 木甲板だけは、衝撃波に叩かれた反動で引き剥がされるので、これは簡単には解決できない。もちろん、同じことは中心線配置であっても甲板直上で発砲すれば起きるのであり、火がつく場合すらある。これを防ぐため、その部分に真鍮板を張った艦があったりもした。
 フランスが好んで用いた船体の極端なタンブルホームは、この問題の解決のひとつだろう。砲口の近くにあるのが船体外板ならば、壊れるにしても内側の何かであって、板張りが持っていかれるようなことは起きないのだから。



 最後に、前述した艦首尾甲板における背負い式配置の代替としての梯形配置だが、実はこれを採用している艦があるのだ。
 これは、1886年に完成した、アメリカの防護巡洋艦『アトランタ』と『ボストン』である。この2隻は、艦首尾に8インチ砲を単装で装備し、中央部上構内に6インチ砲を6門搭載している。砲の大きさ、装備方法などには特異な点がないのだが、アメリカはこの艦をやや小さめに造るために、普通とは異なった配置を試みた。

 通常であれば、8インチ砲は艦首尾上甲板中心線上に置かれ、6インチ砲は中央部上構内に両舷配置されるだろう。前後の6インチ砲は、側面ばかりでなく首尾線方向への射界を持たされる場合もある。
 ここで、艦型のやや小さい『アトランタ』は、中心線に8インチ砲を置いた場合、後方舷側の6インチ砲を首尾線方向へ指向すると、露天配置の砲員が爆風を強烈に受けることになってしまう。幅がないので、クリアランスを確保できないのだ。
 そこで、このクラスでは8インチ砲を中心線から外し、後方の6インチ砲と梯形配置とすることで、その射界をかわしているのである。艦首正面から見た場合、やや左舷寄りに8インチ砲があり、右舷舷側近くの上構内に6インチ砲が見える。左舷側の6インチ砲には艦首方向への射界がない。艦尾側もこれと点対象の配置とされ、やはり首尾線方向に8インチ砲と6インチ砲が指向できるようになっていた。



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