ドッガー・バンク海戦(3)
Battle of Dogger Bank 1915-1-24 (3)




S.M.S. Seydlitz

ドイツ巡洋戦艦『ザイドリッツ』 Seydlitz



 9時40分頃、ドイツ駆逐艦に襲撃らしい運動が見られたことから、ビーティは速力を24ノットに落として若干南へ艦首を振り、距離を保つ運動に入っている。後続艦を追いつかせ、戦列を詰める目的もあった。この直後、『ライオン』が最初のスコアを記録する。
 9時43分、『ライオン』の13.5インチ砲弾は、『ザイドリッツ』の最後部砲塔の直後で上甲板へ命中した。砲弾は甲板を貫通し、直前のバーベットへ当たって、その230ミリの装甲鈑を撃ち抜く。炸裂した砲弾の破片と閃光は砲塔の換装室を襲い、ここにいた砲員を全滅させると同時に、準備されていた装薬に着火する。

 炎は砲塔内に充満し、次々に装薬を誘爆させていく。砲室の乗組員は脱出の暇もなく焼き殺され、炎の塊は下部の弾薬操作室へも襲いかかった。
 逃げ道のない砲塔員は、直前の四番砲塔へ続く脱出ハッチから逃れようとする。その仕切りとなっていたハッチが開かれた時、新たな装薬の誘爆が起こり、爆炎は通路にいた砲塔員を押し包んで、そのまま隣の砲塔へと飛び込んだ。たちまちこちらでも装薬の誘爆が始まり、2基の砲塔は炎を吹き上げる。

 合計で62発分、およそ6トンの装薬が発火したとされている。炎はあたりを嘗め尽くし、砲眼腔や照準腔、ハッチから噴出した。両砲塔で合計165人の乗組員中、159人の命が奪われている。しかしながら、残った乗組員の決死的作業によって、弾薬庫全体の誘爆は辛うじて免れた。
 数分間にわたり、旗艦の艦尾砲塔が繰り返し大きな炎を噴き上げるのを目撃した後続艦は、いったいどんな面持ちでこれを見ていたのだろうか。また、今にも艦全体が吹き飛ぶ寸前だった旗艦では、特に首脳部がどんな心境に置かれていたのだろうか。ヒッパー提督は緊張のあまり、ひっきりなしにタバコに火を付けていたという。
 『ライオン』に乗っていた従軍記者は、この光景を見て、「あの下では、いったいどんな地獄が展開しているのだろう」と考えている。
 そんな中でも、射撃指揮所の砲術士官は、残った三つの砲塔からの射撃を冷静に指揮していたともいう。



●この時、炎に包まれた弾薬庫周辺で行われた作業については、以下のような記述が見られます。
「その男は、真っ赤に焼けた注水バルブのハンドルを素手で掴み、手の肉が焼けるのもいとわず、弾薬庫への注水弁を開いたのである」
 「その男」は、士官、先任下士官、士官と水兵など、表記が一定しませんが、若干の表現の違いこそあれ、複数の書物に同じような記述が見られます。

 しかし、弾薬庫への注水バルブのハンドルが赤熱しているというのは、ちょっと考えにくい状態です。通常、管系は隔壁から浮かせて取り付けられており、バルブハンドルが赤熱しているのでは、そもそもその部屋が立ち入りできない状況になっていると思われます。当然そこまで水は来ていないわけですし、そんな状態のバルブが人力で回るかどうかも疑問です。
 この記述は、戦記ものにありがちな誇張表現か、何かが取り違えられているものと思われます。こうした記述は比較的古い書物に多く、最近に出版された書物では、ここまで刺激的な文章は使われていません。
 掲示板連載時の各人の意見からすれば、赤く塗られたバルブ・ハンドルの「赤」が、どこかで「赤熱」と混同されたのだろうとするのが順当に思われます。
 それでも、人が行動できないような環境下での、我が身を顧みない犠牲的作業があったのは確かでしょう。この注水によって、『ザイドリッツ』は三途の川を渡らずに済みました。



 この損傷と注水によって、『ザイドリッツ』にはおよそ600トンの浸水があり、艦尾の吃水は10メートルを越えている。後部の砲塔が失われたため、後方へ向けられる火力は激減し、角度が浅くなれば1砲塔しか指向できなくなった。それでも、推進力にほとんど影響がなかったのは幸いだった。
 危殆に瀕した旗艦の艦橋では、まだ外見上冷静さを保っているヒッパーが、この危機を乗り切る方策として、各艦の射撃を敵の旗艦『ライオン』に集め、これを叩くことで敵に混乱を導き出そうと考える。
 それまで『タイガー』や『プリンセス・ロイアル』と交戦していた列艦に、『ライオン』への集中射撃が命じられた。



●『ザイドリッツ』の艦尾砲塔に命中した砲弾ですが、邦文の関連資料では、例えば福井静夫氏の高名な「英国戦艦ネルソン型に関する一考察」に記述が見られます。氏はここで、砲弾が命中した場所を背負い式配置の上側になる第四砲塔と誤記していますが、これはおそらく、ドイツ艦の砲塔配置記号を読み間違えたためでしょう。

 ドイツでは、砲塔をA、B、Cと連続したアルファベットで呼んでいるのですが、これは単純に前からではなく、艦首砲塔をAとして、時計回りにアルファベットを振っているのです。ですから『ザイドリッツ』の場合、右舷側の第二砲塔がB、艦尾の第四砲塔がC、第五砲塔がDとなり、左舷側の第三砲塔がEとなります。
 英語もしくはドイツ語の文献上でのD砲塔を、単純に第四砲塔と読んでしまっただけの誤りで、悪いことに似たような命中弾がジュットランド海戦で発生しているため、取り違えに気付かなかったのではないかと思われます。



 この頃、ヒッパー麾下の駆逐艦隊は、巡洋戦艦戦列の敵側を進行していて、その前方に位置していたのだが、高速で航行する巡洋戦艦部隊に従うのは困難になってきつつあり、徐々に落伍する様相を見せはじめている。駆逐艦は巡洋戦艦戦列の前方から、非敵側へと落ちはじめた。
 インゲノールは、『ザイドリッツ』の攻撃力が半減するという危機に対し、イギリス海軍に読ませるために平文で「戦艦隊は出撃しつつある」と送信しているが、その後には暗号文で、「できるだけ早く」と書き足されていた。実際に高海艦隊がヤーデ湾を出られたのは14時30分頃のことで、まったく援護にはならなかったのである。

 イギリス艦隊は勝利を確信しており、艦隊についていききれなくなっている『ブリュッヒェル』に対して、『プリンセス・ロイアル』と『ニュー・ジーランド』が砲火を集中していた。
 これは、『デアフリンガー』への命中弾が、一時的に大きな火災を引き起こしたために、これが戦闘能力を失ったと考えられたためである。実際には軽微な損傷で、『デアフリンガー』の攻撃力は損なわれていなかった。

 『ブリュッヒェル』の周囲には常に水柱が立ち、600キログラム前後の13.5インチ砲弾が、次々に至近距離へ打ち込まれていた。『ブリュッヒェル』の防御の基本となっている、自艦の21センチ砲の砲弾は重量108キログラムに過ぎず、もし命中すれば、その装甲は耐えられるはずもないのである。ここに至ってもなお、『ブリュッヒェル』を戦列にとどめた理由は何だろうか。



●13.5インチ砲弾の重量は、『ライオン』、『プリンセス・ロイアル』が1,250ポンド (567キログラム) 、『タイガー』のそれが、より強化された1,400ポンド (635キログラム) で、ここにはいない『クイーン・メリー』も1,400ポンドの新型でした。なお、『ニュー・ジーランド』の12インチ砲弾は、重量850ポンド (386キログラム) です。



Blucher from Derfflinger

艦隊に続航する『ブリュッヒェル』
 ドッガー・バンク海戦当日の撮影とされる



 9時45分、『ライオン』はきわどい命中弾を受ける。砲弾が4インチ砲の揚弾機へ飛び込んだのだが、不発だったのである。9時54分にはA砲塔の天蓋に命中弾があり、砲弾は貫通しなかったものの、1門の砲はしばらく発砲不能となっている。
 この時間帯、イギリス艦隊の変針によって距離が開いたため、ドイツ艦隊は一息つくことができた。それでもドイツ艦隊からの砲撃は、5分に一発程度の間隔で命中弾を与え続けている。

 10時1分、『モルトケ』からの砲弾が『ライオン』の舷側装甲を貫通したが、これも不発だった。それでも浸水は発電機室に達し、3基の発電機のうちの2基をショートさせて止めてしまう。
 ヒッパーは東南東への針路を変えることができず、ビーティは再び27ノットに増速して距離を詰めはじめる。射程16,000メートルで射撃は活発さを増し、『ザイドリッツ』に1発が命中したが、大きな被害にはなっていない。

 10時18分、絶望的に見えたドイツ艦隊に、光明をもたらす命中弾があった。『ライオン』左舷の舷側に当たった『デアフリンガー』からの2発の砲弾は、6インチの水線装甲帯を貫通し、左舷主機のコンデンサーを損傷させたのである。魚雷が命中したのではないかと疑われるほどの、大きなショックがあったと言われる。もう1発は水線下で炭庫に浸水を引き起こした。缶水用の真水タンクにも亀裂が入っている。
 左舷のエンジンは、缶水に海水が混ざりはじめたため、まもなく停止しなければならなくなる。これらによって『ライオン』は左舷に傾斜し、砲弾をかわすためにジグザグ走行を始める。すでに1時間半を経過した砲戦でも決定的な打撃を与えていないビーティは、一気に決着をつけようと図った。

 10時27分、ビーティは艦隊を旗艦から北北西の方向へ展開させ、各艦に全速力を命じる旗旒信号を上げる。これによってヒッパーが圧迫され、北寄りの針路を取ると期待したのだった。そうすれば、ヒッパーは北から接近しているはずのグランド・フリートに捕まり、両顎がガッチリと獲物をくわえこむことになる。しかし、この時ジェリコーは予定より遅れており、まだ200キロメートル以上の彼方にあった。

 25ノットで驀進するヤードに掲揚される信号旗は、真っ直ぐ真後ろにピンと突っ張ったように広がり、後続の艦がこれを読み取るのは至難だった。ビーティは若干艦の向きを変えて、後続艦から信号が読み取れるようにする。『タイガー』と『プリンセス・ロイアル』は確認信号を掲げたが、遅れている『ニュー・ジーランド』からはなお完全には読み取られず、大きく落伍した『インドミタブル』は見ることさえできなかった。

 『ニュー・ジーランド』のムーア司令官と艦長のハルゼー Halsey は、この不完全な信号に当惑する。ビーティが、艦隊を北北西へ向けようと考えているとは信じられなかった。何かが間違っているに違いない。そこで彼等は、当面この信号を無視することとし、そのまま東南東の針路を維持し続ける。ほどなく艦隊は斜陣に展開し、ムーアは大きな誤りに繋がらなかったことを安堵していた。

 10時30分、『ブリュッヒェル』に一弾が命中する。脆弱な装甲巡洋艦は、まだ戦列にとどまっているのだ。
 『ブリュッヒェル』は、左舷側の砲からグーデナフの軽巡洋艦艦隊を射撃していたが、これには命中弾がなく、接近を抑えるという以上の効果をもたらしていない。
 10時35分、ビーティは艦隊を左へ1点回頭させる。これによってヒッパーをさらに圧迫しようとしたのである。



●1点は11.25度。360度を32点に分割する艦隊用語で、180度の回頭は16点回頭となります。この変針を1度としている文献もありますが、意味のない角度なので誤りでしょう。



 そして10時37分、『ブリュッヒェル』に死命を制する一撃が命中した。
 『ブリュッヒェル』の防御甲板下には、両舷の砲塔と弾薬庫からの揚弾機とを連絡する通路があり、ここには21センチ砲の弾薬がずらりと並んでいたのである。甲板へ命中した『プリンセス・ロイアル』の2発の13.5インチ砲弾は、装甲をやすやすと貫通し、1発がこの通路へ入って炸裂した。

 準備されていた装薬は次々に誘爆する。この通路は艦全長の三分の一ほどもあり、そこにあった装薬はおよそ40発分と推定されている。またたくまに艦中央部は火の海となった。炎は弾薬通路から砲塔へも入り、それらを次々と焼き焦がす。
 もう1発は機関部へ入り、操舵装置は故障、ボイラーからの蒸気管にも被害が出た。煙と炎を吸い込んだボイラーも急激に能力を失っていく。この2発の命中弾だけで、各所にいた乗組員およそ200人が戦死したという。

 速力はみるみる低下し、旗艦『ザイドリッツ』からは、その絶望的信号「全機関作動不能」が読み取られた。
 『ブリュッヒェル』はたちまち落伍し、操舵装置の故障によって大きく左へ曲がっていく。そしてイギリス艦隊が接近するにつれ、命中弾は急速に増えはじめた。



●『ブリュッヒェル』は、実際には完全に推進力を失ったわけではなく、この後も遅れてはいますが艦隊についていこうとしています。信号は何かの間違いか、判断を早まったかでしょう。
 この艦は、12門の21センチ主砲を連装砲塔6基に装備して、艦首尾中心線上と両舷二つずつの六角形に配置しています。両舷の砲塔は並列していますので、反対舷への射界はありません。中央部に置かれた両舷の砲塔は、前後にあまり離れておらず、4基がほぼ正方形に並んでいました。

 艦内構造については、あまり良い資料を持っていないのですが、両舷にある主砲塔のうち、艦首側のものは直下に弾薬庫を持っていません。艦尾側の両舷砲塔は、ちょうど缶室と機関室の境目の位置にあり、ここに集中弾薬庫があります。もちろん、艦首尾の砲塔には直下に弾薬庫がありました。
 両舷砲塔用の砲弾薬は、中央部の弾薬庫から揚弾機によって防御甲板下まで上げられ、ここから通路を水平に移動して、両舷砲塔下の給弾室へ運ばれていたのです。このような配置は、中央部に主砲を持っていた装甲艦時代には珍しくありませんでした。

 21センチ砲弾は、重量が108キログラムですから、水平に移動するなら人力でも大きな困難はありません。台車や軌条が用意されていれば、問題はないはずです。装薬量は資料がないのですが、1発分30から40キログラムくらいでしょう。



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