ドッガー・バンク海戦(4)
Battle of Dogger Bank 1915-1-24 (4)




heeled Blucher

大きく傾いた『ブリュッヒェル』



 ヒッパーは、完全に落伍した『ブリュッヒェル』を見捨てるか、艦隊を回し、全滅を賭してこれを援護するか、苦しい選択を迫られる。駆逐艦隊に襲撃を命じるものの、すでに長時間の高速運転に疲れた駆逐艦は、主機の能力が低下していて動きが鈍い。

 一方、『ライオン』も無事では済まなかった。10時35分から41分にかけて3発が命中し、その1発は艦首A砲塔のバーベット内部に火災を発生させている。この火災はただちに消し止められたが、艦首弾薬庫には注水しなければならなかった。
 ビーティは最後尾の『インドミタブル』に『ブリュッヒェル』の処分を命じ、自らは残りの4隻を率いて突撃しようとする。列艦には、「全砲の射撃が可能な角度を保ちながら敵に接近せよ」と信号した。しかし、煙のためにこれらの信号はムーアには読めず、直近の『タイガー』でさえ、「敵に接近せよ」の部分を読んだだけでしかなかった。ビーティの意思は徹底されず、禍根を残すことになる。

 11時ころ、『ライオン』はさらなる命中弾を受けた。これは水線装甲帯を貫通こそしなかったが、装甲鈑を歪ませて浸水を招き、これが残った発電機を止めてしまったのである。
 すでに左舷機の蒸気系には海水が混入しており、停止せざるを得なくなった。これによって速力は15ノットに低下、戦列を維持できなくなる。浸水は3,000トンに達し、左舷への傾斜は11度となった。砲塔のひとつは使えなくなっている。電力の途絶によって照明はなくなり、『ライオン』は戦闘能力を喪失したと、ビーティは苦々しい宣告を受け入れるしかなかったのである。ヒッパーは、敵旗艦の能力を奪うという目的を果たしたのだ。『タイガー』がすぐ脇を追い越していく。

 今度は『タイガー』がヒッパーの新しい目標となった。たちまち命中弾があり、ボート甲板の艦載艇用燃料が発火したため盛大な火災が発生した。ドイツ側は大きな損害を与えたと考えたけれども、実際にはたいしたことはなく、射撃指揮装置を破壊したもう1発のほうが深刻な損害だった。もっとも、これはこの時点まで、能力を発揮していたとは言い難い状況だったのだが。



 10時59分に『ライオン』の見張りは右舷側に潜水艦を認め、11時2分、ビーティは艦隊へ左8点 (90度) の斉動を命じる。実際にはこの潜水艦は存在しておらず、ドイツ側の記録では、最も近い潜水艦でも100キロメートルは離れていたとされるから、見張りの誤認に過ぎなかったのだろう。しかし、この判断は予想外に高いものについてしまう。

 ビーティのこの命令は、『ライオン』をも含む各艦に混乱を招いた。『ライオン』艦橋の信号長ですら、「提督、ここで戦闘を打ち切るべきではありません!」とまで叫んでいる。どの艦長も、艦の向きを変えながらも、ビーティが追撃を止めるとは信じられなかった。皆が、ビーティは誤りを犯さない男というイメージを持っていたのだ。
 ハリヤードには、その理由である「潜水艦発見」の信号がまだ掲げられていなかったから、誰もその真意が理解できなかったのである。すでに弾片などによってハリヤードは2本しか残っておらず、掲揚できなかったのだ。

 ビーティは、変針が急に過ぎ、ドイツ駆逐艦の航跡へ入れば機雷を投下されるかもしれないと考え、針路を北東に変えさせた。この信号の直後、ビーティは「敵の後部を攻撃せよ」 "Attack the rear of enemy" と信号させたが、この時、信号係士官のセイモア Seymore は致命的なミスを犯す。
 彼は、まだ「針路北東」の信号旗をハリヤードに残したまま、「敵の後部を攻撃せよ」の信号を上げてしまったのだ。この二つは同時に引き下ろされたので、他の艦はこれを、「北東にある敵の後部を攻撃せよ」と読んでしまったのである。他の艦の航海日誌には、このとおりに記載されているという。

 たまたま北東方向では、半身不随となった『ブリュッヒェル』が重傷に呻吟していた。このため、命令には一見矛盾がなく、『ブリュッヒェル』の命運は尽きた。
 次席指揮官であるムーアは、遠かったために『ブリュッヒェル』が逃走など考えられないほどに損傷しているとは知らず、『ライオン』が損傷したこと、ムーアの艦隊が落伍していることから、ビーティは追跡を諦め、『ブリュッヒェル』という戦果を確保することで、この戦闘を終わろうと考えたのだと解釈している。

 『タイガー』と『インドミタブル』の艦長も同じ結論に達した。ひとり『プリンセス・ロイアル』のブロック Brock 艦長だけは、何かの間違いと考えて追跡を続けようとしたけれども、前を横切る『タイガー』のために、針路を維持することができなかった。ビーティは、一連の信号によって大殊勲を失ったのである。



map of battle no.2

海戦中期以降の両軍位置関係とそれぞれの航跡を示す
 旗印は命中弾のあった時間と場所、命中した艦を表している


 イギリス艦隊の変針を見たヒッパーは、いったん南へ回頭して退路を確保しながら様子を見る。敵艦隊は『ブリュッヒェル』に攻撃を集中しており、これを助け出せる希望が残っているとは思えなかった。ヒッパーは救出を諦め、腹に冷たいものを抱えたまま、艦隊を回して根拠地への航路を進む。
 いまだジェリコーのグランド・フリートの所在が不明なため、これに捕まって全滅必至の状態に追い込まれる可能性が大きかった状況から、これはやむを得なかったと評価されている。

 さらに『ザイドリッツ』の残った砲塔では、砲弾の残量が少なくなってきており、11時5分には、残りの砲弾数が総量で200を切ったとも報告されているのだ。襲撃にかかった駆逐艦隊も、イギリス艦隊の変針によって行動が空振りとなり、ヒッパーは命令を撤回している。



●もし、戦闘開始前後に『ブリュッヒェル』を戦列から外し、非敵側へ逸れた並行針路を進ませていたとしたら、ビーティはどういう戦術を採ったでしょうか。
 ビーティ直轄の戦隊は巡洋戦艦3隻であり、これだけならヒッパーの3隻と互角です。後続の2隻を待てば、速力が足らずに振り切られてしまいます。『ブリュッヒェル』を追えば、これは仕留められるでしょうが、ヒッパー隊は手付かずで逃げてしまうのです。ムーアに『ブリュッヒェル』を追わせ、自分たちはヒッパーを追うとすれば、その後の事実を重ね合わせると、『ライオン』が落伍して戦力比は逆転してしまいます。

●このような、本来対抗できない戦力を隊列内に含める戦術は、古くから誤りとされています。日清戦争の黄海海戦での『赤城』、『比叡』といった実例があり、日本海海戦でも、戦艦戦隊への『日進』、『春日』の編入を批判する意見があります。

 ドイツ海軍ではまったく同じ誤りを繰り返しており、第二次大戦で『ビスマルク』が、『フッド』、『プリンス・オブ・ウェールズ』と撃ち合った最中に、重巡洋艦『プリンツ・オイゲン』を戦列にとどめるという大失敗をやりました。
 たまたま当たらなかったから結果オーライだったのであって、戦艦の大口径砲弾をくらった巡洋艦がどうなるか、考えるだに恐ろしいことです。



 艦隊が追跡を止め、あらぬ方角へ向かっていることに驚いたビーティは、ただちに信号を命じた。かつてネルソンがトラファルガーで掲げた、「さらに敵に接近して攻撃せよ」 "Engage the enemy more closely" である。
 ところが、セイモアはその信号を信号書から見つけられず、最も近いものとして「敵に接近し続けよ」 "Keep nearer the enemy" でよいかと尋ねる。ビーティは了承し、その信号を掲げるように命じた。ところが、この命令は各艦に受信されなかったのである。もたもたしている間に距離は大きく離れてしまい、旗旒信号を読める範囲ではなくなったのだ。電源が途絶えているため、無線信号も発光信号も使えず、ビーティは艦隊を指揮する術を失っている。

 こうして巡洋戦艦4隻は、すでに進退極まっている『ブリュッヒェル』に全力を注ぐこととなり、「戦いの目標は、敵の主力を撃滅することにある」という原則に反する行動となった。誤解を招いた信号は、命令への盲目的な服従に重なり合って、決定的な結果を招いてしまったのである。
 これには、次席指揮官が速力の劣る艦に乗っていたという編成上の問題もある。実際に大きく落伍していたのだから、追撃する積極的な意思を持てというのは、無理な注文かもしれない。

 ムーアは積極性の不足を咎められ、後に艦隊司令官を解任されている。しかし、もし追撃していれば、イギリス側は『タイガー』と『プリンセス・ロイアル』の2隻だけになってしまうかもしれず、返り討ちになる可能性もあったのだ。どちらが幸いだったのか、結果はわからない。

 これらのイギリス艦隊の行動によって、ヒッパーへの攻撃は終わった。この時点でも、大損害を受けた『ザイドリッツ』の速力は21ノットを維持できたし、『モルトケ』には1発も命中しておらず、『デアフリンガー』も有効な命中弾は1発だけだった。
 地獄へ追い込まれた『ブリュッヒェル』だったが、その強靭な耐久力と、最後まで戦い抜いた艦長エルドマン Erdmann 以下の敢闘精神は、高く評価されている。

 至近距離から撃ち込まれる重砲弾は、装甲鈑をボール紙のように打ち抜き、甲板を引きむしった。恐怖が全艦を包み込むが、残った砲からの砲撃はやまない。
 70ないし100発といわれる重砲弾を全身に浴びながらも、その戦闘旗は降ろされようとしなかった。それでも生き残った砲からの射撃は徐々に衰え、左舷側から接近した『アレシューザ』が2本の魚雷を打ち込み、傾斜が大きくなると砲は目標を捕らえられなくなって、ようやく沈黙した。

 イギリス艦隊は攻撃をやめ、生存者救助のために接近する。その惨状を見たティルウィットは、「それは哀れとも思われた。上構は破壊し尽くされ、そこらじゅうの破口から炎が噴き出していた」と述べている。

 戦闘は終わり、接近するイギリス艦を見て、『ブリュッヒェル』の生存者は手を振ってこれを招いたが、危険なため横付けできずにいた12時13分、『ブリュッヒェル』は転覆した。多くの乗組員が船体の下敷きとなり、いまだ艦内にいたものは脱出の手段を失う。
 横転する船体の写真が撮られ、その舷側には行き場を失って慌てふためく男たちが写し出されていた。その沈没地点は、北緯54度25分、東経5度25分とされる。ヴィルヘルムスハーフェンは、まだ200キロメートルの彼方だった。



end of Blucher

転覆する『ブリュッヒェル』



 ほどなく、『ブリュッヒェル』の船体は北海の海面から消える。後にはおびただしい残骸と遺体が浮き、その中の生存者が救助を待っていた。真冬の北海は冷たく、救助が遅れれば生存の可能性はほとんどなくなってしまう。
 『アレシューザ』と数隻の駆逐艦が接近し、ボートを降ろして救助活動を始める。これによって1,026名の乗組員のうち、負傷者45人を含む234人が救助された。艦長のエルドマンも救助されているものの、後に収容先で肺炎を起こして亡くなり、祖国へは戻れなかった。

 実際にはもっと多くの生存者がいたのだが、突然現れたドイツ軍の水上機が、救助活動の真っ直中へ爆弾を投下したため、ティルウィットはボートに行動を中断して退避するよう命じた。これによって、あたら多くの人命が失われている。水上機は、沈んだのがイギリス艦だと思い込み、攻撃したのだった。
 上空にはツェッペリン飛行船『L5』の姿もあったが、これは『ブリュッヒェル』の最期を見届けただけで、海戦には何も貢献できなかった。

 落伍した『ライオン』のビーティは、駆逐艦『アタック』 Attack を呼び寄せ、幕僚とともに移乗して戦隊を追っていた。12時頃ようやく『ブリュッヒェル』の最期を見る時間になって追いつき、12時27分には『プリンセス・ロイアル』に将旗を掲げ、ドイツ艦隊再追跡を命じる。
 しかし、時すでに遅く、30キロメートル以上先行している敵を全速力で追っても、追いつくのには2時間を要すると計算され、それではヘリゴランド島が目前となり、要塞の勢力下に入ってしまうとされた。ドイツ戦艦隊の出動も未確認である。
 12時45分、ビーティは作戦を放棄し、追跡を断念した。自己の判断でヒッパーを追っていたグーデナフも13時過ぎ、ビーティの決断に応じて艦隊を回している。



●『ブリュッヒェル』が転覆するまでに、打ち込まれた魚雷は7本という数字もあります。個々の詳細には言及がないので、これが発射された数なのか、当たった数なのかは判りません。7本の命中は多すぎるようにも思えますが、当時の魚雷は弾頭が小さいので、沈むまでに当たった数と考えれば、不自然というほどではありません。
 上空にいたという飛行船については、『L4』とする資料もあります。また、爆撃を行ったのが、この飛行船だとする資料もあるのですが、危険な水素で浮いている鈍重な飛行船が、高角砲を持っている艦隊に接近するとは思えません。
 実際にこのとき、『プリンセス・ロイアル』は射程に入った飛行船に向け、一斉射8発の主砲弾を発射したとされています。空中にある目標に対して、放物線弾道の頂点で命中させようというのは、かなり難しいでしょうが、それすら試みられたのですから、真上へ入ろうとすればいいだけ撃たれるでしょう。この当時の飛行船は、そんなに高く飛べませんので、アウトレンジは難しいでしょう。



 残された問題は、傷ついた『ライオン』の確保だけであり、これに手を付けさせて、せっかくの勝利の代償にされてはならなかった。『ライオン』は帰還途中で完全に推進力を失い、最後には『インドミタブル』に曳航されてフォース泊地へ戻ったが、ティルウィット艦隊の護衛を受け、これといった危険はなかった。
 ドイツ駆逐艦隊が『ライオン』を奇襲するという情報もあったけれども、実際問題ドイツ駆逐艦は疲労困憊しており、燃料の残量も少なく、襲撃などは考えられなかったのだ。
 26日朝6時35分、『ライオン』は無事にスコットランド海岸へ戻り、泊地に係留されている。曳航されながらロサイスの港へ入る時、街には人々の歓迎が待ち受けていた。

 応急修理の後、『ライオン』は本修理のためにプリマスへ向かうはずだったが、フィッシャーはこれをアームストロング社へ送り、徹底的な修理を命じた。
 6週間をかけた修理の中では、応急処置として防水区画に流し込まれたコンクリートの除去が大仕事で、小量のダイナマイトまで用いられている。艦隊への復帰は4カ月後になった。

 海戦の翌朝、イギリス中の家庭に配られた新聞は、一面に転覆する『ブリュッヒェル』の写真を掲載していた。虚しく空を向いて突き出された砲身、傷口から血を流すように水を吐き出しながらひっくり返る船体と、そこに群がったアリのようなドイツ兵の姿は、あまりにもあからさまなイギリス海軍の勝利宣言であった。大衆は喝采し、ビーティはネルソンの再来と褒めそやされる。
「昨日の海戦における結果を見たら、大口を叩き続けるベルリンの某氏も、イギリス海軍が恐怖に怯えているなどとは言いにくいだろう」と、ポール・モール・ガゼット紙は皮肉たっぷりに書いている。
 北海沿岸で、身内を艦砲射撃や爆撃で失った人々にとって、これは何物にも勝る報復の凱歌だった。「奴等がまた赤ん坊殺しに戻ってくるには、ちょっと時間が掛かるだろうな」とは、グローブ紙の弁である。

 新聞は大勝利と書き立てる。ドイツ艦隊が、『ブリュッヒェル』という犠牲を置き去りにしてまでも、ただひたすら逃げ続けたこと、味方に沈んだ軍艦はなく、戦死者もわずかに14人でしかないこと、ドイツ兵は1,000人もが失われたこと、200人以上の捕虜が捕らえられたことは、すべて事実である。これを勝ったと言わずしてどうするのか。
 もし、ビーティの『ライオン』が運悪く損傷しなければ、彼はすべてを勝ち取っただろうと信じられた。なぜ海軍が敵艦隊の行動を予測できたのかとか、信号の混乱によってより大きな勝利を逸した事情とかは、当然のことに報道されなかった。イギリスは勝利に酔っている。

 一方のドイツでも、ツェッペリン飛行船が、引き上げるイギリス艦隊には巡洋戦艦が4隻しかいなかったと報告したことから、『ライオン』もしくは『タイガー』を沈没させたのではないかと推測し、そのように発表している。
 もちろんイギリス海軍省は、全艦が無事に帰港したと胸を張った。



 このとき上空にいたツェッペリン飛行船について、天翔艦隊に関連した文書があります。
 下のリンクから参照してください。

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