ドッガー・バンク海戦(5) Battle of Dogger Bank 1915-1-24 (5) |
当時の新聞記事を拾ってあるので、ちょっとこれを見てみよう。
東京毎日新聞・大正4年1月26日号
▲北海の大海戦・ロンドン発ロイター電
英国海軍省の発表に曰く、戦闘巡洋艦、軽巡洋艦各1隻よりなる (各1隊の誤りだろう) ビーテー少将麾下の英国巡邏艦隊及びチルホイツト氏麾下の駆逐艦隊は、早朝4隻の戦闘巡洋艦、数隻の軽巡洋艦及び多数の駆逐艦より成る一隊のドイツ艦隊を発見したり。
敵艦隊は明らかに英国海岸を目指して進航せるものの如かりしが、我艦隊を見るや直に艦首を回して全速力を以って白国 (自国? ベルギーでは変) 方面に遁走せんとせり。
我艦隊も一刻の猶予を与ふる事なく之を追跡せしが、9時40分頃には英国側にては戦闘巡洋艦ライオン、タイガー、プリンスローヤル、ニューオエランド、インドミチーブル等、敵側にてはフリンゲル、セドリック、モルトケ、ブラツチヤー其他の諸艦参加して、ここに盛んなる航進戦闘を現出したるが、少時の後、先に戦線外に落伍せしブルツチヤー号は転覆して沈没したり。
ビーテー少将の報告によれば、ブラツチヤー号の外2隻の戦闘巡洋艦は甚大の損害を蒙りたるも、敵の敷設水雷及び潜航艇の危険を慮りて我艦隊の追撃を中止せる地域まで、遁走を続くる事を得たりと。
東京毎日新聞・大正4年1月27日号
▲英国海軍の勝利・ロンドン発ロイター電
英国軍艦は1隻も沈没せず、人員の損害は目下の所はなはだ少数なりと報ぜらる。先頭艦として奮戦せしライオンにてはわずか11人の負傷者を出せしのみにして、戦死者は一人もなし。沈没艦ブラツチヤー号乗組員885名のうち、123名の生存者救助せられたるが、なお外にも救助せられた者あるが如し。駆逐艦、軽巡洋艦中のあるものは確かに戦闘に参加したるが如きも、其れ何れの艦艇よりもいまだ報告到着せず。
▲ドイツ側の詳報・アムステルダム来電
北海海戦に関し、ドイツ海軍省の発表したる公報に曰く、戦闘巡洋艦セイドリツ、戦闘巡洋艦デルフインガー、戦闘巡洋艦モルトケ及び装甲巡洋艦ブリユヘルは、小巡洋艦4隻及び駆逐艇隊2隊と共に北海追撃戦中、戦闘巡洋艦5隻、小巡洋艦数隻及び駆逐艇26隻より成る英国艦隊と遭遇戦を開き、3時間戦闘の後、英国艦隊はヘリゴランドの西西北70浬の点にて戦闘中止退却せり。集め得たる報告によれば、英国戦闘巡洋艦1隻撃沈され、我艦隊はブリユヘル1隻沈没し、他の諸艦は港に帰着せり。
右、ドイツ公報につき英国海軍省の公報に同海戦において英国の戦闘巡洋艦はことごとく無事なりとありしは注目すべし。
東京毎日新聞・大正4年1月29日号
▲英国艦隊の損害・ロンドン発ロイター電
1月24日北海海戦に加わりたる英国巡洋艦および駆逐艇は、いずれも無事帰港せり。ライオン号は故障のため水線下前部区画に浸水を受け、インドミテブル号のため曳かれ、駆逐艦トメア号また行動の自由を失い、リバチー号のため曳かれ両艦とも充分に護衛を受けて帰港せり。駆逐艇の修繕は遠からず竣工すべし。
英国側死傷者総数は、ライオン号17名負傷、タイガー号士官1名水兵9名即死、士官3名水兵8名負傷、トメア号4名即死1名負傷。なおベツテイ号よりの報告到着せば、同海戦の詳報発表せらるべし。[トメア号は『ミーティーア』、ベツテイ号はおそらくビーティ提督のことだろう]
東京毎日新聞・大正4年1月31日号
▲北海海戦の惨話・ロンドン発ロイター電
ロイター電報通信員は、過日北海において撃沈されたる独巡洋艦ブルヘル号の乗組員負傷者とエデンバロウ (エジンバラだろう) における病院において会談したるが、彼らは心置きなく当時の形況を物語り、ブルヘルは自身大砲の反動にて動揺、展転し照準精確なる英艦隊の一舷斉射のため砲座を破壊し、砲手を殺し、檣上にありし兵は投げ出されて即死し、甲板上の兵は枯葉の如く転倒し、血潮は各所に漂いたり、同艦司令の任にありし将校が狼狽したるため、全艦の混雑を惹起せりと云えり。なお1名の負傷者は、我がドイツの海軍は未だもって貴国の海軍よりは多くの経験ありと語れり。
●おおよそこんなところで、艦名に始まる表記の揺れはまあ、致し方ないところでしょう。比較的正確な情報が流されていたのは、ある意味、驚くべきことかもしれません。
この時期、新聞には毎日欧州戦争の様子が報道されており、一々どっちが勝ったの負けたのと、かまびすしいことです。
すでに東洋における対ドイツ戦闘は終わっており、上野公園では毎日新聞社の主催による「戦捷記念博覧会」が催され、1月20日に開館しています。欧州戦線のジオラマやら、42センチ砲の実物大模型などが展示され、戦勝ムードに包まれていました。
この博覧会開会の記事の下には、色恋沙汰の連載小説やら、美人になるという化粧品の広告などが並んでいて、緊張感などどこにもありません。他日の新聞では、この小説の挿絵にヌードの女性まで描かれていました。
この直後の1月31日には、メキシコ沿岸で装甲巡洋艦『浅間』が作戦中に座礁しています。かなり酷い座礁だったようで、2月6日の新聞記事では、離礁が難しく、艦が放棄されるかもしれないと述べていました。実際に離礁したのは5月になってからで、かなり困難な作業だったようです。
両軍の状況を再点検してみよう。
イギリス側の『ライオン』は、主砲243発を発射している。被命中弾は12発 (16発、18発という数字もある) で、主機が停止、電力が失われて、砲塔も一部が戦闘不能になっていた。それでも戦死者はなく、負傷者17人が数えられるだけである。
『タイガー』は新型砲を装備していたが、完成直後で慣熟訓練が終わっておらず、いまだに造船所の工員を乗せている始末だった。エピソードとして、この工員が戦闘中パニックに陥ったことも書かれている。この海戦を通じて主砲弾255発を発射しているものの、『ブリュッヒェル』にトドメを刺した時以外、おそらく1発の命中弾も敵に与えていない。被命中弾は3発だけだったが、戦死10人、負傷11人を発生している。
『プリンセス・ロイアル』は271発を撃ち、損害はまったくなかった。『ニュー・ジーランド』は147発 (139発とする資料もある) しか撃っておらず、ほとんど射程に入れなかった『インドミタブル』は、134発 (50発程度とする資料もある) を撃ったものの、もっぱら『ブリュッヒェル』にしか向けていない。もちろん、これらにも損害はない。
軽巡洋艦には主力艦との戦闘による損害はなく、駆逐艦『ミーティーア』 Meteor が21センチ砲弾1発を受けて、4人が戦死、1人が負傷している。
ドイツ側では、『ザイドリッツ』が390発を発射、3発を受けて、159人の戦死者と33人の負傷者を出している。機関部の損害は小さかったが、砲塔2基が失われ、艦もあわやという状況だった。
『モルトケ』と『デアフリンガー』にはほとんど損害がなく、『デアフリンガー』に3発が命中しているけれども、有効だったのは1発だけで死傷者はない。それぞれ、276発と310発を発射している。『モルトケ』が記録した命中弾は8発とも言われ、命中率では最良だった。沈没した『ブリュッヒェル』は、およそ300発を撃ったと推定されている。
ドイツ側が接近した軽巡洋艦や駆逐艦に向けた以外、副砲はほとんど用いられていないようだ。射程の大きさを考えれば当然だろう。
軽巡洋艦では、『コールベルグ』に3人の戦死と2人の負傷があったけれども、概して小型艦の戦闘はそれほど激しくない。これは、双方ともに主力についていくだけが精一杯で、満足に襲撃行動が行えなかったためと思われる。
両軍の砲力を比較すると、イギリス巡洋戦艦の大口径砲による斉射弾量は、13.5インチ砲艦が1隻あたりおよそ4.5トンで、『タイガー』は5トンを越える。ドイツ側は口径が小さく3トン程度でしかない。イギリスの12インチ砲艦は、これにほぼ等しい数字である。『ブリュッヒェル』のそれは1トンに満たず、その差は如何ともし難かった。主力艦間の比率は、ほぼ2対1になる。
『ブリュッヒェル』が落伍する時まで、イギリス側の命中弾は6発ほどでしかなく、発射弾数との比率では1パーセントに満たない。ドイツ側は少なくとも16発を命中させており、1.5パーセント程度となる。海戦全体の比率では、『ブリュッヒェル』への命中弾が算入されるので、公平とは言えない結果になってしまう。
これらを眺め渡すと、『モルトケ』の主砲発射数が少ないのが目に付く。途中で2砲塔を失った『ザイドリッツ』より100発以上少なく、もともと2門少ない『デアフリンガー』よりも少ないのである。これは何を意味するのだろう。砲の装備要領は『ザイドリッツ』とほぼ同じだから、より敵の近くにいたことを考えれば不自然に思える。
命中率がよかったのには、目標にされなかったという利益があるのは間違いないだろうが、このことと何か関係があるのだろうか。376を276と転記してしまうという、ただの誤りである可能性も捨てきれないので、結論は出せない。
ビーティは指揮ぶりを評価され、重要な瞬間に起きた艦の損傷については、不運だったと判断された。信号伝達についての不首尾は、着任から間のなかった士官たちに原因があったことになり、技術的な問題とはされていない。
ヒッパーの逃亡成功には、潜水艦と機雷が大きな役割を担ったとされている。幻想に過ぎなかった潜水艦は、ビーティに不要な進路変更をさせ、機雷には迂回針路を抑制する効果があった。また、煙幕が有効だったとされ、その研究も進められる。
ドイツ海軍は海戦後、その射撃指揮装置を改良し、遠距離での測距能力を向上させている。『ザイドリッツ』では主砲仰角の引き上げも行われた。また、『ザイドリッツ』の損傷を大きな教訓と捉えて、全艦に改良を施している。砲塔間の連絡路は塞がれ、揚弾路には火炎から弾薬庫を守る防護扉が新設された。装薬の取扱規則を徹底して、犠牲となった『ブリュッヒェル』の仇討ちが誓われる。
イギリスの徹甲弾が、斜撃によって破砕し、貫通前に爆発してしまう傾向があることも認識されている。当然、これらに対応する改良が自軍兵器に施された。
イギリス海軍は、『ライオン』を造船所へ送ってまで徹底的な修理を行ったけれども、戦訓の消化については不十分だった。
その機関長からは、弾薬操作室が命中弾によって火災を起こし、弾薬庫への注水を余儀なくされたことから、火炎を遮断する防護扉の必要性が具申されているのだが、これは採用されず、弾薬庫は脆弱なままに置かれてしまった。ジュットランド海戦で繰り返された損傷は、3隻の巡洋戦艦の爆沈へと繋がっている。
これは一般に、遠距離からの大落角砲弾に対する水平防御の不足とされているが、砲弾の貫通は垂直防御の装甲鈑にも起きており、単純な装甲厚の問題ではないと思われる。これは、以前に掲載した「クイーン・メリーの爆沈」でも述べたことだ。
駆逐艦が初めて組織的に艦隊の防御用法に用いられ、襲撃もしくはその疑似行動が、敵から対応を引き出すと意識された。
魚雷は、ドイツ側では突撃した駆逐艦『V5』から2本が発射されただけで、効果はなかった。イギリス側は『ブリュッヒェル』に対して用いたのみである。『ブリュッヒェル』が断末魔の時期に発射した可能性もあるものの、命中してはいないし、雷跡を見たという報告もない。
主力艦隊の速力が異常に速かったため、グーデナフの軽巡洋艦はその最大速力でも追従できず、駆逐艦でさえ位置を維持するのがやっとだった。ティルウィットの新型軽巡洋艦にしても、前に出るまでの運動はしていない。ある程度自由に行動できたのは、33ノットが可能な一部の駆逐艦だけである。
しかも海戦の初期、ビーティは追跡に夢中になったためか、あたかも艦隊の存在を忘れてしまったかのように、自らが先頭に立って突っ走っている。前方にまったく目がない状態であり、当然駆逐艦の防御スクリーンもないから、もしドイツ駆逐艦が集団で襲撃行動を取った場合には、非常に危険な状況になったと思われる。
そのまま水雷戦隊と全速力での反航戦となったのでは、相当な損害を覚悟しなければならないし、損害を受けたところへヒッパーが引き返してくれば、艦隊全滅の可能性すらある。ドイツ水雷戦隊1隊との交換では、対価が大きすぎるだろう。
針路を変えてこれをかわしていれば、ヒッパーにはいつまでたっても追いつけない。さすがにこれに気付いたとみえ、ビーティは一時速力を落とし、後続艦を追いつかせるとともに、高速のM級駆逐艦を前に出している。
これはジュットランド海戦初期の行動と比較すれば明らかなことで、ジュットランドではより退路を遮断しやすかった対勢での遭遇でありながら、ビーティは全力での突進をしていない。経験に学んで、より慎重に行動したと言えるだろう。その分、新型巡洋戦艦の28ノットは宝の持ち腐れになったわけだが。
ドイツ艦隊でこのような戦術行動が現実とならなかったのは、ひとつには逃げるのに必死で、ビーティを捕らえるというような発想がなかったためだろうし、撤退戦での駆逐艦による追跡遮断戦術が確立していなかったこともあっただろう。しかし、ここでの経験がジュットランドでの作戦立案の基本となっているのは、まず間違いないところだ。
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