ドッガー・バンク海戦(7)
Battle of Dogger Bank 1915-1-24 (7)




Line of German Ships

ドイツ艦隊の隊列 提供:天翔艦隊



 最後に、ドッガー・バンク海戦におけるビーティ中将の報告書を掲載します。 ( ) 内は本文の付記、 [ ] 内は私の注記です。

水交社 大正9年刊・臨時海軍軍事調査会翻訳 海軍元帥子爵ジェリコー著「英国大艦隊」より



1915年6月3日 海軍省公報
 海軍省は、下記1915年1月24日の北海海戦に関する第一巡戦戦隊司令官海軍中将サー・ディビッド・ビーティの公報に接せり。

1915年2月2日於旗艦『プリンセス・ロイアル』 海軍中将ディビッド・ビーティ手署

 本職はここに次の報告を提出するの光栄を有す。1915年1月24日の払暁、下記の諸艦は一隊となりて北海の哨戒に従事せり。

 巡洋戦艦『ライオン』 (本職の旗艦にして、艦長大佐アルフレッド E.M. チャットフィールド) 『プリンセス・ロイアル』 (艦長侍従武官大佐オスモンド B. ブロック) 『タイガー』 (艦長大佐ヘンリー B. ペリー) 『ニュー・ジーランド』 (海軍少将サー・アーチボルド・ムーアの旗艦、艦長侍従武官大佐ライオネル・ハルゼー) 『インドミタブル』 (艦長大佐フランシス W. ケネディ)

 また軽巡洋艦『サウサンプトン』 (海軍代将ウィリアム E. グーデナフ乗艦) 『ノッティンガム』 (艦長大佐チャールス B. ミラー) 『バーミンガム』 (艦長大佐サー・A. M. ダフ) 『ローズトフト』 (艦長大佐レオポルド W.B. ケンネディー) は主力の左舷真横に占位し水雷戦隊旗艦『アレシューザ』 (海軍代将レジナルド Y. ティルウィット座乗) 以下『オーロラ』 (艦長大佐ウィルモット S. ニコルソン) 『アンドーンテッド』 (艦長大佐フランシス G. セント・ジョン) および水雷戦隊は主力の前方に占位せり。

 午前7時25分、南南東に於いて発砲の閃光を認め、次いで『オーロラ』より其敵の数艦と交戦せるの報を得たり。ここにおいて本職は、直ちに針路を南南東に変し、速力を22ノットに増加し、また軽巡洋艦隊及び水雷戦隊に命じて急速南南東に先行せしめ、敵と触接を保ち、その行動を報告せしめたり。この命令の実行は非常に敏速なりき。これけだし、各隊の指揮官は已に [すでに] 能く [よく] 本職の意図を看取し居れるのいたすところなりとす。

 故に通報はたちまち『サウサンプトン』『アレシューザ』及び『オーロラ』の3艦より至り、巡洋戦艦3隻及び巡洋艦『ブリュッヒェル』、軽巡洋艦6隻ならびに数個の駆逐隊よりなる敵艦隊の編組及びその位置ならびに方向 (北西) を詳らかにす。しかして敵は南東に変針したるも、爾後 [じご=以後] 我が軽巡洋艦は依然としてこれと触接を保ち、絶えずその行動を報告せり。
 当時風は北東の軽風にして視界極めて明瞭なり。我が巡戦戦隊は今や全速力に達して南に向かい、午前7時30分に至り、左舷前方14浬に於いて約南東に急航する敵艦隊を発見せり。
 報告機宜に適したる結果、我が艦隊は敵の斜め後に位置せるをもって針路を南東に変換し、もって敵と並行し、かつ漸次 [ぜんじ=しだいに] 速力を増し、ついに28ノット半となし追撃陣形を制れり [とれり]

 この際、『ニュー・ジーランド』及び『インドミタブル』の2艦が、特に如斯 [かくのごとき] 計画速力以上の高速力を出すことを得たるは、実に両艦機関部員の大功績なりとす。 [落伍したとは言っていないことに注意]



Line of British Ships

イギリス艦隊の隊列 提供:天翔艦隊(一部改変)



 午前8時52分、敵の殿艦より約2万ヤードの距離に達せしをもって、我が巡艦戦隊は全砲の照準発射を可能ならしめんがため、まず小角度の梯陣を制りて、次いで『ライオン』まず砲火を開きたりしが、その初弾は近弾なりき。この時敵は、単縦陣を制り軽巡洋艦を先頭とし、多くの駆逐艦を右舷真横に配備せり。

 我が艦隊は指命打方をもって試射を続行せしが、『ライオン』はついに9時9分、初めて敵の4番艦『ブリュッヒェル』に対し命中弾を得たり。次いで9時20分、2番艦『タイガー』の来たりて敵殿艦を砲撃するに及び、『ライオン』は目標を移して1万8千ヤードの射程をもって敵の3番艦を砲撃し、斉射数回の命中を認めたり。しかして敵の応戦を開始せるは、午前9時14分なりとす。
 9時35分『プリンセス・ロイアル』また有効射程内に入り、直ちに『ブリュッヒェル』に対して砲火を開けり。この時、敵嚮導艦の距離、実に17,500ヤード。『ニュー・ジーランド』も今や落伍しはじめたる『ブリュッヒェル』を射程内に捉えしをもって、砲火を開始したるをもって、『プリンセス・ロイアル』は更にその目標を敵の3番艦に移し、これに多大の損害を与えたり。

 この間、我が軽巡洋艦及び駆逐艦は、その煤煙をもって主力の射撃を妨げんことを虞れ、漸次左舷真横より左舷斜め後に退きたるも、今や敵駆逐隊襲撃の虞あるをもって、『ミーティーア』以下M級駆逐隊はオノラブル H. ミード大佐の極めて巧妙なる操縦により我が先頭に進出せり。 [これも落伍したとは言っていない。M級駆逐艦は速力が速いので、これだけが先頭に出得たとも読める]
 午前9時45分頃における状況は、敵の4番艦『ブリュッヒェル』は我が砲火により大損害を受けたる兆を呈し、その嚮導艦及び3番艦また火災を起こせり。当時『ライオン』は敵嚮導艦に対し、『プリンセス・ロイアル』は3番艦に、また『ニュー・ジーランド』は4番艦に向かって各砲火を注ぎたり。しかして『タイガー』は初め敵の1番艦を砲撃したるも中途より煤煙に妨げられ、ついにその目標を敵の4番艦に変換せり。[『タイガー』の目標選定ミスにも触れていない]

 この際、敵の駆逐隊は盛に煙幕を漲らして、その主隊を遮蔽し、主隊はその掩護の下に北方に変針し、もって離脱を企てしものの如く、また殿艦は確かにその嚮導艦の左舷艦尾列外に出て、かくして敵は我が艦隊との距離を延伸せり。
 ここにおいて本職また巡戦戦隊をして列線方向北々西の梯陣を制らしめ、最大速力をもって進撃せしむ。この時、敵の駆逐隊はまさに来襲せんとするの企画明らかなりしをもって『ライオン』及び『タイガー』はこれを砲撃して退却、旧位に復するの止むなきに至らしめたり。
 我が軽巡洋艦は終始敵の左舷斜め後に占位し、もって敵の行動を監視して、能くこれと触接を保ち、かつ敵の落伍艦を攻撃するに最適当なる位置を保持せり。[グーデナフの軽巡洋艦の速力では、攻撃しようとしても接近に時間が掛かりすぎ、危険が大きい]

 午前10時40分に至り、すでに著しく落伍せる『ブリュッヒェル』は船体大いに傾き、火災を起こし、全く撃破せられたる状態をもって左舷に回頭、北方に変針せり。よって本職は『インドミタブル』に命ずるに、北方に解列せる敵艦を攻撃すべきをもってす。
 午前10時54分、右舷艦首に敵潜水艦のあるを報するものあり。本職もまた親しく右舷艦首2点に敵潜望鏡の波浪を認めたるをもって、直ちに左舷へ転舵せしめたり。
 午前11時3分、旗艦『ライオン』の被害は、急速修理の見込みなきの報告に接したるをもって、本職は同艦に北西に定針すべき命ぜり。

 次いで午前11時20分、駆逐艦『アタック』を招致し11時35分、これに移乗し再び艦隊に合せんがため全速力をもって急航し、正午あたかも戦場より北北西に向かい背進し来たれる我が艦隊に会合し、午後0時20分『プリンセス・ロイアル』に移乗し、本職旗章を掲揚し艦長ブロック大佐より『ライオン』落伍の時以後の戦況を聞き、『ブリュッヒェル』の沈没、敵巡洋戦艦の大損害を受けつつ東方に逸走し去りたるを詳らかにし、かつ『ブリュッヒェル』の生存者救助中の我が艦艇に対し、敵航空船及び飛行機が爆弾の投下をしばしばせるを知れり。
[もっとも重要な部分である。詳細への言及を避け、駆け足で通り抜けている記述と読める。前段での『インドミタブル』への命令と、後段での艦隊の行動に矛盾があることをさりげなく記述しているが、読む人が読めば解るという感覚か。原文が判らないので、「背進」にどういう語を用いられているのかが気懸りなのだが]

 午後2時、本職は『ライオン』に接近し、同艦よりその右舷機もまた缶水沸溢のため故障を起せるの報告を得、同3時38分『インドミタブル』にこれが曳船を命じ、午後5時曳船準備完制す。当時の困難なる状況の下にありて、能く該作業を遂行せる両艦艦長の熟練なる運用の手腕は、大いに賞賛に値するものなり。
 本職はまたここに最顕著なる要項として、本戦闘に従事したる各艦が、各能く優秀なる高速力を発揮し得たるを特筆す。
 本戦闘において、特に抜群の功績を顕したる将卒の名簿は、別冊として添付せり。ただし各艦各員皆能く武功を顕したるをもって、すこぶる選抜の困難を感じたり。しかして『ライオン』『タイガー』の2艦は特に敵弾を蒙りたるの故をもって、本職の選抜は主としてこの両艦乗員の中よりせり。

以上



●本文と比べていただくと、書いてあることと書かれていないこと、言いたいけど言えないこと、微妙に表現を工夫している部分など、行間からビーティの心中が覗けるようです。
 この種の報告書は公式のものであり、多くは防諜上の問題がない限り、新聞に掲載されます。誰が読むか判りませんし、敵の手に渡るのも当然ですから、表現には苦労があったでしょう。
 原邦文中では、固有名詞の表記がだいぶ食い違っておりますので、ここでは本文に合わせて書き換えてあります。例えば、ディビッド・ビーティが、ダヴイツト・ビイツテイーのようになっています。また、句読点はほとんどなく、かなはカタカナです。言いまわしも若干読みやすいように変えました。



参考文献・書籍
All The World Fighting Ships 1906-1921 / Conway Maritime Press
Battleships and Battlecruisers 1905-1970 / Siegfried Breyer / Macdonald
Battleships in Action / H. W. Wilson (1926) / Conway (1995)
The Big Gun / Peter Hodges / Conway
British Battleships 1860-1950 / Oscar Parkes / Seeley Service
Flawed Victory / Keith Yates / Chatham
Fleet to Fleet Encounters / Eric Grove / Arms & Armour
German Warships 1815-1945 vol.1 / Groner / Conway
Guns at Sea / Peter Padfield / Evelyn
Jutland - An Analysis of The Fighting / John Campbell / Conway
Jutland - The German Perspective / V. E. Tarrant / Arms & Armour
Jutland 1916 / John Costello and Terry Hughes / Futura Pub.
Marine-Arsenal : Alte Deutsche Panzerkreuzer / Siegfried Breyer
Salvo! / Bernard Edwards / Arms & Armour
The Thunder of The Guns / Donald Macintyre / Norton
海軍砲術史 / 海軍砲術史刊行会
英国大艦隊 / 海軍元帥子爵ジェリコー / 水交社
大戦中の独大海艦隊 / フォン・シェーア / 水交社
欧州戦争・英国海軍戦史 / コルベット / 水交社

雑誌・新聞
Percy Scott and The Director / John Brooks / Warship 1996 / Conway
英国戦艦ネルソン型に関する一考察 / 福井静夫 / 世界の艦船 55-69 集 / 海人社
海軍砲術史話 / 黛治夫 / 世界の艦船 149-158 集 / 海人社
ドッガー・バンク海戦 / 永井喜之 / シーパワー1984年7月号 / シーパワー
東京毎日新聞



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