ドッガー・バンク海戦(1)
Battle of Dogger Bank 1915-1-24 (1)




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S.M.S. Blucher 1914

ドイツ装甲巡洋艦『ブリュッヒェル』 Blucher・1914年



 このページは、2001年1月から3月にかけて掲示板に連載したテキスト原稿を元にしたもので、若干の改正を加えていますが、ほぼ連載時のままです。ここでは、写真、図面などは最小限しか挿入していませんが、これはとりあえず急いで公開するために手を加えていないためです。いずれ紙メディアでの製作を計画しておりますので、そちらには一通りのものを付け加えられるでしょう。



 ジュットランド海戦の1年半ほど前に、ほとんど純粋に巡洋戦艦同士の戦いと言える、ドッガー・バンク海戦があった。これは共に巡洋戦艦を主力とする両軍の遭遇戦で、ドイツ側の装甲巡洋艦1隻が沈み、イギリス側の旗艦が機関部に被害を受けて落伍している。戦術的にはイギリスの勝利であり、以後、ドイツ艦隊の出撃はことさら慎重になったのだが、ここでの戦訓や経験は、ジュットランド海戦に大きな影響を及ぼしている。
 このため、この海戦を知らないと、ジュットランド海戦そのものの発生理由や、その中で各指揮官が何を考えていたのかなどの理解が不十分になる。また、損傷から得られた教訓の消化が両軍で異なり、これもまたジュットランドでの結果に大きく影響した。日本ではあまり紹介されたことのない海戦であり、外国語文献でもそれほど詳細なものはないのだが、ここではできるだけ詳しく、この海戦を紹介してみようと思う。

 1915年1月24日に、この海戦は発生している。場所は北海のほぼ中央にあたるドッガー・バンクの東南海面だった。イギリスのニューカースルから真東、ドイツのヴィルヘルムスハーフェンからは西北西およそ300キロメートルになる。第一次大戦での英独開戦が1914年8月初頭だから、まだやっと半年しか経っておらず、開戦時の艦隊勢力は大きく変動していない。
 ジュットランド海戦の発生は1916年5月31日なので、16ヶ月後となり、この間には若干の増勢がある。大型艦はそれほど多くないものの、駆逐艦などはずいぶんと刷新されており、その点は見逃すことができない。

 ドイツ海軍の根拠地ヴィルヘルムスハーフェンは、北海に面したヴェーザー川の河口にあり、エルベ川河口を経由して、運河でバルト海のキール軍港と結ばれている。このためドイツ艦は、北海とデンマーク北側のスカゲラック海峡の、どちらからでも出撃できた。
 しかし、ベルト海峡など狭隘な航路が多いため、スカゲラック海峡側からの艦隊の出撃は、敵にまったく察知されないとは、およそ期待できなかったのである。また、主力艦隊がこちら側から出撃したところで、出口が北海にあるのには変わりがないし、大西洋上に基地を持たないドイツとしては、何ができるわけでもない。遠回りになるだけだ。

 それでもイギリス艦隊は、ドイツ艦隊の脱出を警戒し、これを阻止するため北部のスカパ・フローに根拠地を置いていた。これはドイツ艦の出撃を、ドーバー海峡方面以外のすべてにおいて阻止できる好位置だったが、東南部沿岸への敵対行動に対処するには遠すぎた。
 これは1914年11月、12月に、ヤーマス、スカボロー、ハートルプールへの攻撃という形で現実となり、襲撃したドイツ巡洋戦艦を捕獲できなかったイギリス艦隊は対策を講じなければならなくなった。  このため一部艦隊をスコットランドのロサイス Rosyth へ分遣し、南部ハリッジ Harwich の戦力を増強して、海岸へのドイツ海軍の行動に対処させている。

 開戦当時の英独両海軍の勢力を比べておこう。以下はかなり大ざっぱな表で、個艦の実力などは考慮していない。左側が開戦時、右側が1915年1月の状態である。 ( ) 内は、その中で外地にあって本国艦隊にいない数である。また常時1〜2隻は、大規模作戦が予定されていない限り、定期的な修理のために出撃できない状況にある。

ドイツ
ド級戦艦    13 → 16
前・準ド級戦艦 20 → 20
巡洋戦艦     4 →  5  (1)

イギリス
ド級戦艦    20 → 24
前ド級戦艦   40 → 40  (多数)
巡洋戦艦     9 → 10  (3〜4)


 当時、ドイツ海軍はイギリス海軍に対する劣勢を過大に評価しており、主力の高海艦隊は皇帝の勅命によって出動を制限されていた。
 主力が劣勢であるドイツ艦隊は、一時的な局地優勢を作りだし、イギリス艦隊の一部を叩くことで勢力の均衡を図ろうとしている。グランド・フリートとの正面対決は、極力避けなければならないのであり、高海艦隊の主力が失われるような事態は絶対に許されなかった。
 この中で、巡洋戦艦隊は比較的行動の自由度が高く、ツェッペリン飛行船とともに、イギリス本土への直接襲撃が可能となっていた。実際、足の速い巡洋戦艦部隊を使ってイギリス沿岸に砲撃を加える作戦が立てられている。数回の作戦は、港湾都市に若干の被害を与えただけで、戦略的には大きな影響を持たなかったものの、イギリス海軍もまた、これを捕捉できないでいた。

 1914年12月16日に行われた作戦では、中部海岸線のスカボロ− Scarborough 、ハートルプール Hartlepool といった都市が砲撃され、スカボロ−では18人、ハートルプールでは主に婦人と子供からなる102人が犠牲となった。直ちに出撃したイギリス艦隊だったが、激しい靄気と悪天候のためにドイツ巡洋戦艦艦隊を捕捉しきれず、悔しい思いをさせられている。
 もっとも、この時にはドイツ艦隊はほぼ全力が出撃しており、イギリス側はビーティの巡洋戦艦艦隊と若干の装甲巡洋艦、戦艦戦隊が1コ戦隊 (6隻) だけだったので、ドイツ艦隊がグランド・フリートに遭遇しそうだと感じて引き返さなければ、危うかったのはイギリス艦隊のほうだった。ただ、実際には前衛の軽艦隊が接触しただけでしかなかったから、両軍共にこのことを知らず、イギリス側は取り逃がしたとしか思っていない。

 イギリス側にもなかなか効果的な対策はなかったのだが、暗号解読によってドイツ快速部隊の出動を察知したイギリス海軍は、これを捕捉撃滅するべく、巡洋戦艦部隊を待ち伏せさせる計画を立てる。



●ドイツには当時、「巡洋戦艦」という艦種はなく、装甲巡洋艦系列にあたるこれらは、公式には「大型巡洋艦」です。また、艦隊は「偵察艦隊」であり、主力とは位置付けられていません。あくまでも前衛部隊という扱いなのです。
 このことはイギリスにおいても似た解釈が存在しており、巡洋戦艦艦隊は大艦隊の別動隊とされて、指揮官には戦艦戦隊よりワンランク下の将官があてられています。現実に個艦を見れば、艦隊で最も高価であり、最も多くの乗組員を擁する (『ライオン』級以降) のですから、認識と現実の間に乖離が発生していると見ることができます。
 ここでは便宜上、ドイツのこれら大型巡洋艦を、一般の通例に従って巡洋戦艦もしくは装甲巡洋艦と呼びます。これらの位置付けには、現在の我々の目と、当時の海軍首脳、政府首脳それぞれに認識のズレがあることを頭に置いておいてください。

●北海は全般に浅い海であり、機雷の敷設には苦労しません。そこで、ヴィルヘルムスハーフェンを取り囲むように両軍が機雷堤を築いています。比較的浅いところに浮かんでいる機雷は、天気のよい日に高い位置から見れば、そのありかが見え易いのですが、たいていは誰かが引っ掛かって初めて、機雷堤の存在が認識されました。
 この存在は、どちらの艦隊にも行動の制約となるので、海戦の経過にも影響してきます。



 1915年が明け、ドイツ海軍の首席参謀エッカーマン Eckermann は航空偵察によって、ドッガー・バンク付近にイギリスの軽艦隊が出動しており、偵察に従事しているらしいことを知った。彼は高海艦隊司令長官フォン・インゲノール von Ingenohl 大将に、巡洋戦艦部隊を用いて、これらを排除するよう進言している。
 当時、高海艦隊は一部がバルト海側で演習に従事しており、巡洋戦艦『フォン・デア・タン』が損傷修理のためにドック入りしていることもあって、作戦に消極的だったインゲノールだったけれども、エッカーマンの要求に応じて、ヒッパーの艦隊が出撃することに同意する。

 1月23日に、ドッガー・バンク方面へ出動したドイツの第一偵察艦隊は、巡洋戦艦 『ザイドリッツ』 Seydlitz を旗艦とし、同じく『モルトケ』 Moltke 、『デアフリンガー』 Derfflinger 、装甲巡洋艦『ブリュッヒェル』 Blucher からなっていた。指揮官はヒッパー Hipper 少将である。
 艦隊には軽巡洋艦4隻からなる第二偵察艦隊と駆逐艦19隻が付属し、同時にヤーデ湾を出撃した。目標はドッガー・バンク付近にあるイギリスの軽艦隊で、巡洋戦艦の高速にものを言わせ、これを奇襲しようと企んだのである。彼らはまだ、前年12月16日の待ち伏せを、暗号が漏れたためと気付いていない。
 ヒッパーは飛行船による索敵を要請しており、飛行船は順次出撃を準備していたけれども、天候に災いされて遅れ、必要な時間に作戦海面上空へ到達できなかった。

 イギリス側は、スコットランドのロサイスを基地とし、ビーティ Sir David Beatty 中将が指揮する第一巡洋戦艦隊が主力で、旗艦『ライオン』 Lion 、『タイガー』 Tiger、『プリンセス・ロイアル』 Princess Royal はすべて巡洋戦艦である。追従する『ニュー・ジーランド』 New Zealand と『インドミタブル』 Indomitable は別戦隊 (第二巡洋戦艦隊) であり、これの司令官ムーア Sir Archibald Moore 少将が、全艦隊の次席指揮官となる。
 さらに、グーデナフ Goodenough 代将を指揮官とする第一軽巡洋艦隊が続き、これは6インチ (152ミリ) 砲を8ないし9門装備する軽巡洋艦4隻からなっていた。
 これに呼応して、南部のハリッジからはティルウィット Tyrwhitt 代将が指揮する軽巡洋艦3隻が出動し、ドッガー・バンクで会合する予定だった。こちらには全部で35隻の駆逐艦が加わっている。

 また、スカパ・フローのグランド・フリートも出撃準備を進めていて、ロサイスからはさらに、7隻の旧式戦艦からなるブラッドフォード Bradford 提督の第三戦艦戦隊が支援のために出撃し、ビーティの北方にコースを取った。
 ヘリゴランド付近での待ち伏せを目的として、ハリッジからは数隻の潜水艦も出撃している。



●この時期、ドイツ巡洋戦艦としては、その嚆矢となった『フォン・デア・タン』 Von der Tann があり、イギリスには『クイーン・メリー』 Queen Mary が、最新鋭の『タイガー』に次ぐ存在として就役していました。しかしながら、この2隻は整備中のために艦隊に加わっておらず、両軍ともに駒をひとつずつ欠いています。また、イギリスには初期の巡洋戦艦が他に4隻あったものの、これらは地中海などに分遣されており、本国海域にはいませんでした。

●『ブリュッヒェル』のスペルでは、正しくは3文字目のuが、上に点が二つ付いた別文字 (ウムラウト) なのですが、表示に問題があるのでuのままとしました。またその読みは、現在では「ブリュッヒャー」が正しいとされます。

●海戦に参加した艦の主な要目を簡単に記します。

●ドイツ
第1偵察艦隊・旗艦『ザイドリッツ』・指揮官ヒッパー少将
巡洋戦艦『ザイドリッツ』・排水量:24,594トン、速力:26.5ノット、主砲:28センチ砲10門
巡洋戦艦『モルトケ』・排水量:22,616トン、速力:25.5ノット、主砲:28センチ砲10門
巡洋戦艦『デアフリンガー』・排水量:26,180トン、速力:26.5ノット、主砲: 30.5センチ砲8門
装甲巡洋艦『ブリュッヒェル』・排水量:15,590トン、速力:24.25ノット、主砲:21センチ砲12門

第2偵察艦隊・旗艦付属部隊『グラウデンツ』・指揮官 Hebbingbaus 少将(読めない)
軽巡洋艦『グラウデンツ』 Graudenz ・排水量:4,912トン、速力:28ノット、10.5センチ砲12門
軽巡洋艦『ロストク』 Rostock ・排水量:4,900トン、速力:27ノット、10.5センチ砲12門
軽巡洋艦『シュトラルズント』 Staralsund ・排水量:4,570トン、速力:28ノット、10.5センチ砲12門
軽巡洋艦『コールベルク』 Kolberg ・排水量:4,362トン、速力:26ノット、10.5センチ砲12門

第5水雷戦隊
駆逐艦『V2』、『V3』、『V4』、『V5』、『V6』、『G7』、『G8』、『G9』、『G10』
V1 級・排水量:569トン、混焼、速力:32ノット、88ミリ砲2門、50センチ魚雷発射管4門
G7 級・排水量:573トン、混焼、速力:32ノット、88ミリ砲2門、50センチ魚雷発射管4門

第2水雷半戦隊
駆逐艦『G192』、『G193』、『G194』、『G195』、『G196』
G192 級・排水量:660トン、混焼、速力:32ノット、88ミリ砲2門、50センチ魚雷発射管4門

第18水雷戦隊
駆逐艦『V30』、『S33』、『S34』、『V29』、『S35』
V25 級・排水量:812トン、重油専焼、速力:33.5ノット、88ミリ砲3門、50センチ魚雷発射管6門
S31 級・排水量:802トン、重油専焼、速力:33.5ノット、88ミリ砲3門、50センチ魚雷発射管6門

●イギリス
第1巡洋戦艦隊・旗艦『ライオン』・指揮官ビーティ中将
巡洋戦艦『ライオン』、『プリンセス・ロイアル』・排水量:26,270トン、速力:27ノット、主砲:13.5インチ=343ミリ砲8門
巡洋戦艦『タイガー』・排水量:28,430トン、速力:28ノット、主砲:13.5インチ砲8門

第2巡洋戦艦戦隊・旗艦『ニュー・ジーランド』・指揮官ムーア少将
巡洋戦艦『ニュー・ジーランド』・排水量:18,500トン、速力:25ノット、主砲:12インチ=305ミリ砲8門
巡洋戦艦『インドミタブル』・排水量:17,373トン、速力:25.5ノット、主砲:12インチ砲8門

第1軽巡洋艦戦隊・旗艦『サウサンプトン』・指揮官グーデナフ代将
軽巡洋艦『サウサンプトン』 Southampton ・排水量:5,400トン、速力:25.5ノット、6インチ=152ミリ砲8門
軽巡洋艦『バーミンガム』 Birmingham 、『ノッティンガム』 Nottingham 、『ローズトフト』 Lowestoft ・排水量:5,440トン、速力:25.5ノット、6インチ砲9門

ハリッジ艦隊・旗艦『アレシューザ』・指揮官ティルウィット代将
軽巡洋艦『アレシューザ』 Arethusa・排水量:3,750トン、速力:28.5ノット、6インチ砲2門、4インチ=102ミリ砲6門
付属駆逐艦隊(後に第10駆逐艦隊となる)・旗艦『ミーティーア』・指揮官ミード Meade 中佐
駆逐艦『ミーティーア』 Meteor、『ミランダ』 Miranda、『ミルン』 Milne、『メントー』 Mentor、『マスティフ』 Mastiff、『マイノス』 Minos、『モリス』 Morris
すべてM級・排水量:850〜1,055トン、速力:34から35ノット、4インチ砲3門、21インチ=53センチ魚雷発射管4門

第3駆逐艦隊・旗艦『アンドーンテッド』・指揮官セント・ジョージ St. George 大佐
軽巡洋艦『アンドーンテッド』 Undaunted ・排水量:3,750トン、速力:28.5ノット、6インチ砲2門、4インチ砲6門
駆逐艦『ルックアウト』 Lookout、『ライサンダー』 Lysander、『ランドレイル』 Landrail、『ローレル』 Laurel、『リバティ』 Liberty、『レアーティーズ』 Laertes、『ルシファー』 Lucifer、『ラフォリー』 Laforey、『ロゥフォード』 Lawford、『リディア』 Lydia、『ルイス』 Louis、『リージョン』 Legion、『ラーク』 Lark
すべてL級・排水量:965〜1,010トン、速力:29ノット、4インチ砲3門、21インチ魚雷発射管4門

第1駆逐艦隊・旗艦『オーロラ』・指揮官ニコルソン Nicholson 大佐
軽巡洋艦『オーロラ』 Aurora ・排水量:3,750トン、速力:28.5ノット、6インチ砲2門、4インチ砲6門
駆逐艦『アケロン』 Acheron、『アタック』 Attack、『ハイドラ』 Hydra、『エアリエル』 Ariel、『フェレット』 Ferret、『フォレスター』 Forester、『ディフェンダー』 Defender、『ドルイド』 Druid、『ホーネット』 Hornet、『タイグレス』 Tigress、『サンドフライ』 Sandfly、『ジャッカル』 Jackall、『ゴスホーク』 Goshawk、『フィーニクス』 Phoenix、『ラップウィング』 Lapwing
すべて I 級・排水量:778トン、速力:27から29ノット、4インチ砲2門、3インチ砲2門、21インチ魚雷発射管2門

 両軍とも主機関は石炭焚きから重油燃焼への過渡期にあり、比較的大型艦ではまだ石炭を主たる燃料としていたが、小型艦ではかなり重油焚きが普及している。上記の中で、イギリスのハリッジ艦隊の軽巡洋艦、駆逐艦はすべて重油専焼であり、ドイツでも新型の一部駆逐艦が重油専焼となっている。
 機関の詳細については、蒸気推進研究所に「ドッガーバンク海戦に見る機関部の実相」というページが上梓されており、各艦のデータが網羅されているから、必要に応じて参照していただきたい。下にリンクを設けておいた。一部戦訓なども取り上げられており、興味深い内容である。
 また、"Naval Data Base"に、海戦に参加した艦の一覧、指揮官のプロフィールなどもあるので、合わせてご覧いただきたい。



to Admiral  蒸気推進研究所:ドッガー・バンク海戦に見る機関部の実相へ
to hush  Naval Data Base:ドッガー・バンク海戦へ
to doggar bank (2)  ドッガー・バンク海戦(2)へ



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