ゲーベンが開きし門
第一部・第二章
The Goeben opens the gate : part 1 : chap.2



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高速航行中の『ゲーベン』

 速力公試中の写真だろう。



第2章・準備

■"Two lone ships"より
 港には『ゲーベン』が横たわっていた。圧倒的に大きく、低い上部構造は長く伸びて、古風な港とはおよそ不釣合いだった。刺すような太陽の光は、その分厚い装甲を取り巻いて輝かせ、巨大な煙突からは一条の細い煙が渦を巻くように立ち昇っている。今は動いていないその灰色の姿は、計り知れない力を秘めているように思われた。
 この艦は1912年に、沸き立ったバルカンの煮え釜を鎮めるために、比類のない快速を発揮してキールからマルタへと走り、戦いに敗れて撤退するトルコに秩序を保つべく、コンスタンチノープルへと向かったのである。

 その頃、バルカン・ヨーロッパは混乱の只中にあり、諸列強は、騒動に巻き込まれる自国民を保護し、互いを意味なく虐殺しようと対立する勢力の間に分け入るために、多くの軍隊を派遣していた。各国海軍の集まるコンスタンチノープルに姿を見せたとき、『ゲーベン』は否応もなく人々の視線を集めた。英国人は艦尾に翻る旗を苦々しげに見送り、フランス人やロシア人、イタリア人は、羨望の眼差しで見詰めていたのである。
 これらの努力によって、この地に立ち込めていた暗雲は吹き払われ、バルカンの太陽は束の間、平和の輝きを取り戻していた。

 喜ばしい平和は、『ゲーベン』の上にも分け隔てなく与えられ、彼女は地中海の港を巡り、多くの地に偉大なるドイツ海軍の足跡を残していった。ブルガリア、ギリシャ、トルコ、イタリア、そしてエジプトの港、どの地にあっても、ドイツ軍艦は心からの歓迎を受けた。またあちこちに繁栄しているドイツ植民地の人々は、祖国の繁栄を体現する存在に大きな誇りを感じていた。私は、そんな『ゲーベン』に乗組んだのである。
 皆がこの幸福な時間を満喫していた。私たちの誰一人として、この喜びに満ちた時間に突然の終わりが来るとは、予想もしていなかった。時は飛ぶように通り過ぎていく。『ゲーベン』は地中海での2年目をまもなく終えようとしており、運命の時、1914年の夏を迎えている。

 2年前にキールを出て以来、『ゲーベン』は一度もドック入りしておらず、長い海外任務の間にエンジンやボイラーはかなり消耗していて、ボイラーの水管は特に注意を要する状態になっていた。任務の必要上、艦は十分な効率を維持していなければならなかったから、オーバーホールは緊急の必要事項であり、それは日を追って厳しい要求になっていった。
 さらに『ゲーベン』には、地中海で最高速の主力艦であるという事実が重要視されており、その速力は特別な評価を受けているのだ。この地位を維持する目的から、海軍では姉妹艦『モルトケ』との交代を予定していたのだが、何らかの事情で交代は遅れている。
 夏になって『ゲーベン』のボイラー水管は状況がさらに悪化し、その修理は待ったなしになってきた。ようやく新しいボイラー水管が、7月になればオーストリアのポーラへ到着するという知らせが届く。修理はそこで行われるだろう。

 『ゲーベン』は今、ヤッファとハイファのドイツ人入植地を訪れ、地中海南東部にあった。ところが突然、この楽しかるべき巡航の最中に、サラエボの暗殺事件が飛び込んできたのである。私たちはこの事件が、ヨーロッパ国際秩序の根本を揺るがすと感じた。事実これは、世界を覆った嵐の、最初の雷鳴であったのだ。
 未来に広がったこの暗雲の中で、自分はどういう結末を迎えるのだろうか。皆が感じているこの疑問に答えられる者はいなかった。この閉塞感を突破するのは、ただ激烈な戦闘があるのみだと考える者もいた。嵐はいつ、どこで私たちを打ちのめすのか。私たちはそのとき、『ゲーベン』が世界の歴史を変える運命にあったことなど、知る由もなかったのである。

 今、『ゲーベン』は北寄りの針路で進んでいる。雲ひとつない空から、太陽の厳しい光線が照り付けて、あらゆる物を乾かしてゆく。力強い船体は、キラキラと輝く海を押し分けて進む。鏡のように滑らかな海。その青さは比類ない壮麗さで、どこまでも広がっている。
 7月1日、キプロスが見えてきた。私たちはラルナカを目指し、そこでは上陸班が若干の訓練を行った。夕方には錨が上げられ、ポーラへ直航することとなる。世界情勢は厳しく、ポーラでの修理はできるだけ急いで行われる必要があった。

 しかし、造船所のドックを借りる手段は放棄された。戦争が間近になっているからには、どこのドックも手一杯のはずである。それに状況が変われば、作業は中断され、放棄される可能性もある。そのため海軍は、ボイラー水管の交換作業を完全に艦内で行うことを決定した。本来、このような作業は造船所で行われるものであるから、これは乗組員に多大な負担をかけてしまう。しかし、ここは外国なのだし、簡単に国へ戻れる状況でもない。
 今の平穏は、嵐の前の静けさに過ぎない。嵐はあっという間に過ぎ去るかもしれない。それでも、私たちの準備のために残されている時間は多くない。私たちが生き残る方法は、ただボイラー水管を修理して、高速力を取り戻すことにあるのだ。猛烈な作業が待ち受けているに違いない。




●ドイツ海軍
 ドイツは地中海沿岸に領土を持たず、当然に海軍基地もない。非常に近い関係にあるオーストリアや、同盟関係にあるイタリアの港湾を利用することは可能だったけれども、当時の最先端技術を駆使して建造された『ゲーベン』に、十全の整備を行える場所はなかった。派遣から1年半を経過した頃、さしも新鋭艦にも疲労が蓄積し、早急な大整備が必要になっている。
 武装は、比較的小さな部品や砲弾の供給で能力を維持できたが、機関は徐々に消耗していくのが避けられず、24基のボイラーのうち、不良な水管の多くなったものは閉鎖され、残ったボイラーにパーツを供給して運転を続けるような状況に至っている。このため、公試で発揮された28ノットという速力などまったく望めなくなり、持続できるのはやっと14ノット、短時間のダッシュでも20ノットがせいぜいというまでに、実力は低下していた。

 ドイツ海軍はこの状況に鑑み、『ゲーベン』を1914年秋には同型の『モルトケ』と交代させる計画を持っていたが、6月に起きたサラエボでのオーストリア皇太子夫妻暗殺事件で状況が一気に悪化すると、この計画は実行されることなく終わった。
 戦争の可能性が増すにつれ、不良になった機関をなんとか回復させなければ、基地を持たない『ゲーベン』は、容易に敵対国の海軍に捕捉されてしまうと案じられ、比較的安全と思われる友好国の軍港で、機関の修復を行うよう計画された。本国への回航計画は、様々な理由から放棄されている。

 現実として、地中海中部からヴィルヘルムスハーフェンまでは、およそ3000浬の距離がある。その航海には15ノットで200時間、8日間を要するのだ。『ゲーベン』の航続力は14ノットで4000浬とされているから、能力低下を計算に入れても、ギリギリ到達は可能かもしれない。しかし、その8日間に状況の変化があれば、祖国を目前にした大洋の真っ只中で、入口の扉を閉められてしまう可能性がある。
 イギリスとドイツの地理的な関係は、大洋を挟んで向かい合っている日本とアメリカの関係とは大きく異なる。本国の根拠地同士は一日で行かれる距離にあり、双方の伸ばした腕の指先が、遠い外地で絡み合うように接触しているのだ。すなわち自国へ戻ろうとする行為そのものが、敵の根拠地へ接近する行動になるのである。両極に本拠を置き、中間点で対峙するのとは、まったく異なった図式なのだ。

 それでも外国の造船所で機関をオーバーホールするのは、いつ戦争が起きるかわからない状況では危険にすぎる。まったく動けない状態のまま、放置される可能性も考えなければならない。破壊工作や抑留の可能性もある。
 こうした状況からドイツ海軍は、作業をすべて乗組員の手で行うことを決定する。加工した資材を応援の技術者と共に送り込み、不良になったボイラーの水管を交換するのである。7月1日、『ゲーベン』は地中海東部を巡航してキプロスにあり、陸戦隊の演習などを行っていたが、用意された水管がオーストリアのポーラ (現在はクロアチアのプラ) へ向かっているという連絡を受け、ポーラへの回航が決定された。




▲イギリス海軍
 このときの司令長官ミルン提督が率いるイギリスの地中海艦隊は、『インヴィンシブル』を欠くものの、なお『インフレキシブル』 Inflexible、『インドミタブル』 Indomitable、『インデファティガブル』 Indefatigable の3隻の巡洋戦艦を擁し、これに加えてトルーブリッジ少将の第一巡洋艦戦隊、『ディフェンス』 Defence、『ウォーリア』 Warrior、『デューク・オブ・エジンバラ』 Duke of Edinburgh と『ブラック・プリンス』 Black Prince という、装甲巡洋艦としては最有力の艦隊が控えていた。
 さらに彼の手元には、25ノットが可能なタウン級軽巡洋艦『チャタム』 Chatham、『ダブリン』 Dublin、『グロスター』 Gloucester と『ウェイマス』 Weymouth があり、若干旧式ではあるが、駆逐艦13隻が付属している。

 フランス海軍の地中海艦隊を指揮するラペイレール中将は、旗下の艦隊を地中海西部に集中して、ドイツ海軍の奇襲に備えていた。その兵力は、
ド級戦艦2隻 : 『クールベ』 Courbet、『ジャン・バール』 Jean Bart
準ド級戦艦、前ド級戦艦 : ダントン級6隻、リベルテ級3隻、レピュブリク級2隻
旧式戦艦 : 『シュフラン』、『シャルルマーニュ』、『サン・ルイ』、『ゴーロア』、『ブーヴェ』、『ジョーレギベリ』、『カルノー』、『シャルル・マルテル』 (一部は戦闘できる状態ではなかったようだ)

装甲巡洋艦 : 『エドガー・キネ』、『ワルデック・ルソー』、『エルンスト・ルナン』、『ジュール・ミシェール』、『レオン・ガンベッタ』、『ジュール・フェリー』、『ヴィクトル・ユーゴー』、『アミラル・オーブ』級4隻
一等巡洋艦 (防護巡洋艦) : 『ギシャン』、『シャトールノー』、『ジュリアン・デ・ラ・グラヴィエール』
軽巡洋艦 : 3隻
駆逐艦 : 36隻
潜水艦 : 16隻

という、かなり有力なものだったが、ド級戦艦が2隻しかないことからもわかるように、フランス海軍は全般に旧式であり、ド級艦時代の戦術を実行できる準備は整っていない。
 目睫の間に迫る戦争の危機に、フランスはアフリカにあった第19軍の精鋭部隊を本国へ呼び戻すことを決定しており、輸送の手配と共に、海軍にはこれの保護が命じられた。

 当時すでに、英国の駆逐艦など小型高速艦の一部では重油専焼缶が用いられ、液体燃料の使用が始まっていたけれども、ここに名前を挙げた艦はほとんどが石炭専焼であり、一部が石炭と重油を同時に燃すことのできる混焼缶を装備しているに過ぎない。
 石炭は移動が困難な燃料であり、自動装置などなかった当時では、艦内の炭庫への積み込みから、ボイラー前への移動、投炭まで、一切が人力で行われなければならなかった。これは比較的低出力だった時代でも重労働だったのだが、大型高速軍艦の最大速力では、1時間あたり40トン以上もの石炭を消費するほどで、たくさんのボイラーの焚き口へこれをすべて人力で移動するのがどれほどの難事になるか、想像は難しくないだろう。

 また、駆逐艦のような小型艦では、炭庫はボイラーの近くに設けられ、艦内での移動をほとんど考えていなかったけれども、軽巡洋艦以上の艦では、石炭を防御の一部として用いるため、常用炭庫外のかなり広い範囲に予備炭庫を設けている。つまり、弾薬庫や機関室の頭の上を石炭で覆い、周辺への命中弾による破壊エネルギーを、バラ積みされた石炭で吸収しようとしているのである。
 このことにより、全搭載石炭を使用すればかなり航続力は大きくなるものの、そのボイラー前への移動が困難なことと、中身を使ってしまった炭庫はただの空所となり、防御としての能力が減殺されることを考えなければならなかった。すべての燃料を使い切ったような状況では、艦の防御力は大きく低下し、重心位置の移動によって船体の挙動までもが変わってくるのだ。

 こうしたことから石炭燃料の大型艦では、常用炭庫の石炭のみが消費を許されるような観念が一般化してしまい、カタログ数値からは考えられないような、非常に短い航続力が運用者側に意識されていた。曰く、「二日で燃料がなくなってしまう巡洋艦」だの、「全速では数時間で速力が低下してくる巡洋艦」だのが存在し、特に重油専焼艦の有利さを知った層からは、石炭燃料艦がいかにも使いにくいものになってしまっていたのである。
 また、軍艦にはひと通りの作業に必要な人員が乗務しているけれども、予備炭庫から常用炭庫への石炭移送にあたる人数というものは意識されていない。これはつまり、それが必要になった場合、機関部を除いた配置から人員を割愛してこなければならないことを意味する。すなわち、戦闘中には不可能な作業なのである。

 さらに、補機の多くが直接蒸気駆動されている場合、戦闘準備状態ではこれに常時蒸気を流し、温度を上げて即応状態を保たなければならない。このために喰われる蒸気は燃料消費率を悪化させるし、艦内の温度を上昇させて、特に気温の高い地方では大きな不快感を伴うことになる。このような状況から、こうした心配のない公試状態とでは、速度能力にかなりの開きが出てくるのだ。

★公試時に計測される最大速力は、マイルポスト間を駆け抜けて計測された平均値であるから、瞬間的な最大速力ではないし、このときの機関回転数もまた平均で、限界的な最大能力ではない。実戦などで必要に迫られた場合には、過負荷をかけて機関回転を搾り出す場合があり、こうした時の速力は瞬間的に機関回転数上で公試最大速力を上回りもするが、当然持続できるものではないし、一次大戦当時では客観的な速力計が装備されていなかったから、戦史に著された速力には「希望的観測」の色がある場合も多い。公試最大速力を上回ったと言っても、機関回転数上で一時的に公試時の平均を越えたというだけのことで、実際の速力は不明だし、それが30秒間だけでは意味がないのである。




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