ゲーベンが開きし門
第一部・第四章
The Goeben opens the gate : part 1 : chap.4



stokehold

炭庫内の様子



第4章・メッシナ

■"Two lone ships"より
 翌朝、艦内にはロシアとの戦争が始まったと通知された。
 前方にはカラブリアの山々が見えてきていた。青い空の下で、そのギザギザな稜線はくっきりと空を切り取り、日光を浴びて輝いていた。イオニア海は敷き詰められたように滑らかで、鏡の如くに輝いている。
 『ブレスラウ』はメッシナへ向けて先行し、石炭の手配をすることになっていた。まず、艦隊の最大の関心事が石炭だったのである。トリエステでは満載にできなかったし、ブリンディジではまったく入手できなかった。この航海で使われた量は、炭庫の中を空虚にし、その残量は深刻なほどに減っている。

 8月2日の正午過ぎ、真上から炙りつけるような熱気の中、私たちはスパルティヴェント岬を回り、メッシナ海峡へと入っていった。前方にはエトナ火山の巨大な姿があり、薄いもやに包まれていた。午後、私たちはメッシナの港内へ入る。
 港には多くの船がおり、その中に淡い灰色の客船、ドイツの東アフリカラインの『ゲネラル』がいた。前の晩、彼女はスエズに向かって東地中海へ入ったところだった。そこで『ゲーベン』からの無線通信を受け、戦争の危機を知らされて、メッシナへ退避するために戻ったのだ。すでに黒海と地中海にあったすべての汽船に対し、『ゲーベン』から戦争の危機が通知され、航行中のすべての船舶は退避を始めていた。

 『ゲーベン』が海峡を通過していた頃から、艦は載炭の準備を始めていたし、『ブレスラウ』も用意は整っているようだった。しかし、石炭船は姿を見せない。私たちはただ、じっと待っているだけだった。
 イタリアには様々な障害があった。ドイツ大使館からの強硬な働きかけがあり、ようやく午後6時になって、石炭船が派遣される見通しが告げられた。厳しい仕事はすぐに始められるだろう。やがて右舷側に最初の石炭ハシケが横付けされる。私たちはただちに石炭の積み込みを開始した。この石炭がどれほど貴重なものであるか、知らない者はいなかった。

 右舷側で石炭が積み込まれている間に、『ゲネラル』が左舷側に寄り添い、艦内の余剰物品、戦争に必要でない様々な備品や私物の受け渡しを始めた。戦闘に備えて、艦は贅肉を落とさなければならないのだ。
 蒸気艇を含むすべての艦載艇は甲板から降ろされ、甲板は広々と開け放しになった。『ゲーベン』は戦闘のための準備を整える。右舷側では、まだ載炭が続いていた。石炭が倉庫から運び出されてくる速度はゆっくりとしたものだったが、私たちは真夜中までに2000トンを積み込み、ようやく行動の自由を確保した。1時間で出港するために、まず石炭で汚れた船体が清掃される。

 提督は一刻も早く、この場を立ち去らなければならないと考えていた。午前1時、2隻はトリムの調整もそこそこに錨を上げた。暗い中で動き出した『ゲーベン』の長い船体は、空っぽになった甲板で妙に大砲が目立ち、厳しく見える。『ブレスラウ』が先導して船のいない海峡へ出ると、2隻はゆっくりと速力を上げながら北口へ向かった。
 ほどなく、メッシナの明かりも見えなくなる。夜の闇は2隻のドイツ軍艦を包み込み、慎重に外に見える明かりを覆った軍艦は、自由な外洋へと進んでいく。灯台の光も届かなくなり、陸から見られる心配がなくなったところで、ドイツ艦隊は西へ、さらに南寄りに針路を変えた。

 すでにメッシナに24時間以上滞在していたから、英仏海軍は私たちの所在を承知しているだろう。素早い行動で彼らの目から逃れ続けることだけが、私たちの生き残る道なのだ。
 情報は不十分だったけれども、それでもフランス、イギリスとの戦争が間近に迫っているのは間違いない。私たちの立場は際どいものであり、また、その存在は重大で、かつ貴重でもあった。
 ブリンディジとメッシナにおける、イタリア人の奇妙に非友好的な態度は、戦争になった場合の「同盟国」に期待される協力関係に、いささか影を投げかけるものであった。オーストリアが積極的に私たちを援護してくれるかも、同様に不確実である。
 私たちは孤独だった。

 この状況は艦内でも共通に認識されていた。地中海に取り残され、本国とも、唯一の基地とも言えるポーラからも切り離された、たった2隻の艦隊が、圧倒的に優勢な敵艦隊に取り囲まれている。石炭の残りは少なく、敵はいくらでも補給のできる根拠地を持っている。私たちには中継してくれる無線所もなく、電信線はどこにも繋がっていない。利点のほとんどは敵が握っているのであり、私たちには立ち向かうことも困難な障害ばかりが立ちふさがっているのである。私たちは、資源的優越性が何を意味しているのかを、赤裸々に理解させられた。
 15隻の戦艦、13隻の装甲巡洋艦、4隻の軽巡洋艦に無数の駆逐艦、潜水艦、航空機に機雷までもが、1隻の巡洋戦艦と1隻の軽巡洋艦に向けて牙をむくのである。私たちがいつまで生き長らえ得るのか、誰にも、予期することすら不可能だった。包囲され、粉々にされるまでにどれほどの時間が残っているのか、想像もしたくないことだった。




●ドイツ海軍
 『ブレスラウ』は石炭の手配を行うために、先行してメッシナへ向かう。2日の昼頃に『ゲーベン』がメッシナへ入港すると、そこにはドイツの東アフリカ航路定期船の『ゲネラル』 General など、多くのドイツ国籍船舶が停泊していた。『ゲネラル』は東地中海でスエズ経由の航路を取っていたのだが、戦争の危険を避けるためにメッシナへ呼び戻されたのである。乗客はジェノヴァまでの運賃を渡され、他の交通機関を用いて旅行するように言われて、是非もなく船から放り出されていた。地中海、黒海にあったすべてのドイツ船は、警告を受けて避難を始めている。
 この日、ドイツとロシアとの間ではついに戦争が始まり、メッシナのイタリア当局は石炭船の派遣に難色を示していたが、ようやく夜になって載炭が開始され、2000トンが積み込まれる。2隻の軍艦は当座の行動の自由を得た。

 8月2日夜、メッシナを発したドイツ艦隊は、シチリア島の北岸沿いに西進し、翌朝スション提督は、艦隊に命令を発する。
1、如何なる場合にも艦を敵の手に渡さぬよう、各艦自沈の準備をせよ。
2、敵情に関しては、数日来の無電情報を検討せよ。(8月2日、対ロシア戦争が開始された。ビゼルタにてフランス軍の輸送が行われている。カサブランカに軍隊の集合あり。英国の敵対行動が予測される。などの通信)
3、作戦目的は、敵の平安を撹乱し、可能な限り、アルジェリア沿岸と、ビゼルト・ツーロン間の航路上において敵に損害を与え、フランスの軍隊輸送に重大な危機感を持たせ、より大きな警戒を行わなければアフリカにある軍隊を本国へ送れないよう、妨害を行うことにある。

4、作戦は、明4日の天明を期して実施される。『ゲーベン』はフィリップヴィル沖に、『ブレスラウ』はボーヌ沖に達して、外国旗を掲げつつ港内の状況を偵察し、ドイツ海軍旗を掲揚後、港湾設備、敵艦艇、輸送船を攻撃する。状況に応じて魚雷攻撃も行うが、弾薬は節約する必要がある。陸上要塞との戦闘は許可しない。攻撃後、西方への針路を取って陸上からの視界外へ脱出し、沖合いからサルディニア島のスパルティヴェント岬方向へ向かい、合同するものとする。

 8月3日18時19分、艦隊は対フランス戦争の開始を通告された。

★スパルティヴェント岬は、イタリア本土の南端にも存在するので注意。フィリップヴィル Phillippeville は現スキクダ Skikda、ボーヌ Bo^ne は現アンナバ Annaba、いずれもアルジェリア地中海岸東部の地名。二つの都市はおよそ100キロメートル離れており、西側のフィリップヴィルからさらに西のアルジェまでは、直線でおよそ330キロメートルの距離がある。




▲イギリス海軍
 トルーブリッジの艦隊は、戦闘準備におおわらわだった。一切の不用品は、空になった石炭バージの中へ放り込まれていく。士官のチェストもお構いないに積み上げられ、まるでガラクタ扱いだった。
 マルタへ到着したミルンが最初に行ったのは、ここ一週間ほど病気で臥せっている『インドミタブル』のケネディ艦長を見舞うことだった。ケネディはすぐにでも海へ戻れると言っている。
 11時50分、乗組員には22時まで、士官には24時までの制限で、上陸が許可された。しかし、『インデファティガブル』、『インドミタブル』、『ディフェンス』と『ウォーリア』では、この許可が14時過ぎに取り消しとなり、急速な出港が命じられた。

 このときミルンは、トルーブリッジにチャーチルからの電文を見せている。しかし、「優越した戦力」が具体的に何を意味するのか、二人の間に突っ込んだ意見交換は行われなかった。
 トルーブリッジの見解では、視界のよい日中、1隻の巡洋戦艦は装甲巡洋艦1コ戦隊を上回る実力を持つ。海軍省も、トルーブリッジのこの意見に同調していた節がある。巡洋戦艦と装甲巡洋艦の戦力差に関しては、作戦本部のスターディ中将が以下のように言明しているのだ。「装甲巡洋艦は、高速の巡洋戦艦によってまったく超越された。彼らは十分な戦力を持っているけれども、速力が決定的に足らない。このため、巡洋戦艦との近距離戦闘ではそれなり対抗できるかもしれないが、巡洋戦艦側が距離を開き、遠距離戦闘に徹した場合、餌食になるだけである」

 トルーブリッジはこれに加えて、「私の見解を付け加えさせていただけるのならば、私は装甲巡洋艦戦隊にとって巡洋戦艦が、射程に捕らえられないという意味で、優越した戦力であると考えます」と、述べている。
 1913年の演習で、トルーブリッジの装甲巡洋艦戦隊は、偶然に敵方の巡洋戦艦『ライオン』と遭遇した。このとき、距離があまりにも大きかったためにトルーブリッジは射撃など考えもしなかったのだが、ほんのわずかな時間の間に、判定官から戦隊の半数が戦闘不能になった由を通知され、愕然とさせられた経験を持っているのだ。

 この意見に対してミルンは、トルーブリッジの戦隊には巡洋戦艦2隻が付属するので、そのような状況にはならないだろうと返答した。ミルンはここで、トルーブリッジが装甲巡洋艦を持って『ゲーベン』と戦闘することの困難さを主張したことを受け入れたが、敵の不意を突いたり、敵艦の行動が自由にならない海面での戦闘であったりすれば、十分に戦闘可能であることにも同意している。
 ミルンは、トルーブリッジが巡洋戦艦との交戦を困難なものであると言明したことは認めているけれども、だからと言って戦闘を回避するとは考えなかったとしている。「優越した戦力」は、オーストリア主力艦隊のことであると、彼は認識していたようだ。

 敵艦隊がアドリア海の入口を突破するのは、夜間に行われるだろうという想定のもとに、トルーブリッジの艦隊 (このときの予定編成では、旗艦『ディフェンス』、『インドミタブル』、『インデファティガブル』、『ウォーリア』、『デューク・オブ・エジンバラ』、『グロスター』と第一、第二水雷戦隊) は、夜間は駆逐艦が哨戒を行い、日中はギリシャの海岸に拠って休養しつつ燃料を節約し、装甲巡洋艦がこれに代わって哨戒を行うはずだった。もし『ゲーベン』が発見されれば、巡洋戦艦2隻と軽巡洋艦が追跡にあたるわけである。

★資料には『ブラック・プリンス』の名がないけれども、単なる書き忘れかもしれない。

 8月2日13時30分、スターディの慎重な結論は、次のような命令となってミルンに伝えられた。「『ゲーベン』は2隻の巡洋戦艦によって追尾されなければならない。アドリア海への接近は、巡洋艦と駆逐艦によって監視される。貴官自身は『インフレキシブル』とともにマルタ近辺で待機すること。さらにチャーチルが付け加える。「イタリアの中立は期待できるが、確実ではない」

 ミルンはトルーブリッジに宛て、「戦争が始まった場合、海軍戦力を地中海に保持することが必要である。貴官は優越した戦力との戦闘を避けるべきである」と、海軍省からの電文をそのまま伝えているが、中央から司令長官への通達と、司令長官から部下の指揮官への通達では、内容は同じでも微妙にニュアンスが異なってくるだろう。通達を受けた側は当然、自分が預かっている戦力を基準にして物事を考えるからだ。
 トルーブリッジはこの通知を受けたとき、再び「優越した戦力」が具体的に何を意味するのかを問い返す機会を持ったわけだが、彼はそれを行わなかった。
 ミルンは海軍省の指示に沿って、トルーブリッジに2隻の巡洋戦艦を付属させようとしていた。このことはトルーブリッジにも通知されている。ミルンは『ゲーベン』の追跡に主要なリソースをつぎ込もうとしていたが、彼の主たる任務は依然フランス軍隊輸送船の保護とアドリア海の監視である。

 マルタで、トルーブリッジの『ディフェンス』の出港準備が整おうとしていた16時52分、彼はミルンに巡洋戦艦を待つべきか否か問い合わせている。ミルンは、出発を遅らせることに同意したけれども、後から追いつけるので、駆逐艦隊には石炭を節約できる10ないし11ノットの低速で先行するように指示した。
 17時45分、トルーブリッジは麾下の艦長を集め、戦争がまだ始まっていない状況で『ゲーベン』に遭遇した場合の行動を指示している。尾行はことのほか慎重に行われなければならない。

 『インドミタブル』のケネディ艦長はこれに対して、最大でも22ないし24ノットの艦が、どうやったら27ないし28ノット出せる艦を追いかけうるのか、方法を伝授していただきたいと、皮肉まじりに質問している。
 トルーブリッジは、『ゲーベン』の状況はけっして理想的ではなく、そのような高速は発揮し得ないと答えている。この見解にはミルンも同意しており、『ゲーベン』がアレクサンドリアを訪れたときの港湾関係者の話として、『ゲーベン』は1フィート半ほども吃水が増大しており、状態は良くないと認識していた。しかし、ケネディは納得していない。

 18時07分、トルーブリッジは彼の艦隊を二つに分けた。ひとつめは『ディフェンス』、『ウォーリア』、『デューク・オブ・エジンバラ』であり、二つめは『インドミタブル』と『インデファティガブル』であって、2隻の軽巡洋艦『チャタム』と『グロスター』はこれらとは別行動を取る。

★ここにも『ブラック・プリンス』の名がないので、もしかすると同艦は、何らかの理由で艦隊に加われなかったのかもしれない。この後の行動では一緒に動いているようだから、別行動を取っていたとも考えられる。

 8月2日21時15分、装甲巡洋艦艦隊は1時間前に出発した駆逐艦を追って、北58度東の針路を15ノットで進んだ。その後駆逐艦隊に追いつくと、速力は10ノットに低減されている。この夜、艦隊は夜間警備体制を敷き、砲には通常弾が装填されていた。
 ミルンは艦隊の出発を海軍省へ通知したが、もし、『ゲーベン』と『ブレスラウ』がアドリア海から出てきた場合、トルーブリッジの艦隊に全戦力を集中すべきか、これらの追跡は巡洋戦艦に任せて、トルーブリッジにはアドリア海を監視させるべきかを海軍省に問うた。

 これに対するロンドンの答はやはり曖昧なもので、バッテンバーグは「アドリア海の監視は『ゲーベン』の追跡と同様に重要である」と言い、チャーチルは「アドリア海の監視は必要であるが、貴官の主たる目的は『ゲーベン』である」と言っている。「いずこへであれ、『ゲーベン』を尾行するべし。差し迫っている宣戦布告に対して、準備怠りなきよう」
 ミルンはその夜、フランス海軍のラペイレール提督との連絡をとる権限を与えられた。

 彼は、ドイツ艦隊はジブラルタルから地中海を抜け出し、本国帰還を試みると考えており、これの阻止を第一義として艦隊を編成し、ついでオトラント海峡を塞ぎ、オーストリアへの逃亡を阻む構えだった。ダーダネルス、スエズへの出口も一応は考慮されているものの、袋小路のさらに奥へ入り込むだけと考え、特に対策は立てていない。
 彼の編成上の問題点は、フランス艦隊がいつごろ臨戦態勢を整えられ、軍隊輸送護衛任務から解放されて、『ゲーベン』追跡にあたれるか、だった。しかし、フランス海軍との情報交換はまったく不十分であり、互いに相手がどこにいるのかさえ、ほとんど知らない状況だったのだ。彼は軽巡洋艦『ダブリン』をビゼルトへ送り、直接書面によって自軍の配備状況を通知し、情報収集を行わなければならなかった。

 地中海艦隊司令長官としての彼の立場からすれば、『ゲーベン』が仮に捕捉できなかったとしても、ジブラルタルを突破されなければ追跡は継続中であり、任務の失敗には直結しない。しかし、フランスの軍隊輸送船が攻撃されるか、ジブラルタルを突破されれば、結果はどうであれ自分の失点になってしまう。
 スペイン沿岸にドイツ石炭船が待機しているという情報もあり、彼はドイツ艦隊が西部地中海でフランスの陸軍輸送船を攻撃した後、大西洋へ脱出する行動を憂慮していた。
 ドイツ艦隊がメッシナへ入ったという報告は、ミルンに強い緊張を生み、『ゲーベン』が次にどこへ向かうかとともに、戦争はいつ始まるのかが、この上もなく重要な情報となった。直ちに軽巡洋艦『チャタム』をメッシナへ向かわせ、トルーブリッジの下へ向かっていた巡洋戦艦の足を止めて待機させる。

 トルーブリッジの装甲巡洋艦は、ギリシャのザンテ島 (ペロポネソス半島の西側にあるザギントス島) 近辺に集結し、軽巡洋艦と駆逐艦隊が帯同している。
 ミルンは、この駆逐艦隊に、いったんマルタへ戻るように指令を発しているのだが、各々の燃料事情に合わせて、可能な限り敏速に戻ってくるよう命じている。このとき、代わりにマルタにあった駆逐艦を派遣しなかったので、トルーブリッジには使える駆逐艦がなくなってしまった。

 トルーブリッジは、4隻の装甲巡洋艦と1ないし2隻の軽巡洋艦だけで、『ゲーベン』のアドリア海遁入と、オーストリア艦隊の出撃に備えなければならなくなった。そして先のチャーチルの電報が、彼の判断に大きな重石となってくる。
 彼は日中、海象状況が良い環境下では、1隻の巡洋戦艦が装甲巡洋艦1コ戦隊を上回るという印象を持っており、ミルンもこれを否定してはいなかった。「優勢な戦力」は、『ゲーベン』1隻にも適用されるかもしれない。

 トルーブリッジのこの感覚は、当然自分が指揮を執るはずだった地中海艦隊にミルンが居座り、自由に使えたはずの巡洋戦艦が1隻もあてがわれないことへの漠然とした不満が重ね塗られて、対応を消極的にした原因だったようにも思われる。頼りにするには少々旧式な駆逐艦すら、手元に残されてはいない。
 この駆逐艦隊は、開戦時の第一線艦隊にあったものとしては最も旧式のG級 (ビーグル級) から構成されていたと思われる。これらは石炭燃料で速力は27ノットしかなく、主砲である4インチ砲は1門だけで、魚雷発射管も2門しか持っていないという、巡洋戦艦に対抗するにはあまりにも心もとない存在だったけれども、数は数である。

 一方、フランス艦隊は8月3日午前4時、情報不十分のままツーロンを出港していた。艦隊は三つに分けられている。
 最も大きく、最も強いA部隊は、6隻の準ド級戦艦と、装甲巡洋艦4隻、12隻の駆逐艦からなり、ほぼ全艦隊の半数と言える。コケプラ Chocheprat 中将の指揮下に、フィリップヴィルへ向かっている。
 B部隊は、ラペイレールが直率するド級戦艦『クールベ』と、レ・ブリ少将の率いる5隻の旧式戦艦、第二巡洋艦戦隊と若干の小型艦艇からなり、アルジェへ向かっていた。
 1隻の旧式戦艦と4隻の駆逐艦で構成される予備的なC部隊は、一足早く2日20時にツーロンを出て、バレアレス諸島へ向かっている。そこから、さらにオランへ向かうことになっていた。
 もう1隻のド級戦艦『ジャン・バール』 Jean Bart は、このときまったく別な任務についていて、地中海にいなかった。

 艦隊はどれも11から12ノットの低速で進んでおり、東からA、B、Cの順に並んでいる。『ゲーベン』のメッシナ入港は通報されており、ドイツ艦がそう遠くないところにいることは承知されていたが、艦隊は巡洋艦を偵察に展開させていない。
 そしてA部隊では、戦艦『ミラボー』 Mirabeau の機関故障が原因で遅れを出し、駆逐艦『カラビニエール』 Carabinier も故障を起こしていた。この2隻の速力が低下したため、艦隊全体が遅れている。

第4章終わり




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