ゲーベンが開きし門
第一部・第五章
The Goeben opens the gate : part 1 : chap.5



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8月4日6時の位置



第5章・フランス植民地襲撃

■"Two lone ships"より
 夜間、私たちは何隻かの汽船を見かけ、慎重にこれを避けて進んだ。灯火を消し、滑るように進む艦隊は、まず見つかる心配はなかった。日中は、見かける煙を避けて針路を変更した。彼らが誰に何を知らせるかを考えれば、どんな船に見られるのも嬉しくなかったのだ。
 フランスとの戦争は間近に迫っており、この瞬間にも宣戦が布告されているかもしれないことを思えば、居場所を特定されていないことは何よりも重要だったのである。

 これらの優勢な敵勢が私たちの前に立ちはだかる前に、『ゲーベン』と『ブレスラウ』はアルジェリアの海岸都市、フランス軍の重要な輸送港フィリップヴィルとボーヌを攻撃することになった。彼らはこれらの港からアルジェに配置されている第19軍を本国へ引き揚げようとしているのである。私たちはこれを妨害し、輸送を遅らせるために最善を尽くすのだ。
 8月3日夜、フランスとの開戦の通知が無線によってもたらされた。艦隊は経済的な最大限の速力で目的地へ驀進する。敵を奇襲しなければならない。『ブレスラウ』はボーヌへ向かい、『ゲーベン』はフィリップヴィルを目標とした。戦争が宣言されてほんの数時間、灰色の夜明けに、アフリカの海岸にはドイツの砲の轟きがこだまするだろう。

 青っぽい朝の光の中に、アルジェリアの険しい海岸が望見された。私たちの上を覆う空は緑色に輝き、東の空は一点の赤へ集中するように燃えていた。輝く火の玉はゆっくりと上昇し、震える光はバラの色で海岸線を染める。針のように鋭く、ギザギザな大気の輪郭は、美しく忘れ得ないスペクタクルで空を覆っていく。今、私たちはフィリップヴィルの丘に、平たい白い家と倉庫、兵舎を識別することができた。要塞は街を見下ろしている。
 『ゲーベン』はマストにロシアの旗を掲げ、ゆっくりと港に接近していく。すでに乗組員は戦闘配置についていた。1000人もの乗組員はほとんど見えず、甲板上には本来28センチ主砲を配置とする者だけが姿を見せている。他の乗組員はすべて、甲板下に息を潜めているのだった。

 灯台の展望台がはっきりと確認された。そこには見張りがいたけれども、彼は妻と一緒に朝のコーヒーを飲んでいるところだった。
「ずいぶんと早起きだね」
「その仕事熱心に免じて、一発目を灯台へ当てるのはやめておいてやろう」、近くにいた水兵がスション提督の声色でつぶやく。小さな笑い声が起きそうになったけれども、士官がこちらを向いたので、皆は笑いをかみ殺した。

 その燈台守は望遠鏡を取り出してこちらへ向け、しばし眺めた後、それを膝の上に下ろした。
「田舎者のロシア人か」と、彼は気を緩め、そう思ったに違いない。
 要塞は街をそっくり見下ろす高台に建設されていたが、砲はまだターポリンで覆われており、敵よりも天候に備えている。誰にも警戒している様子はなかった。心配する理由などあるはずもない、ロシア人は友人なのだから。私たちはさらに海岸へ接近した。
 港からは物売り舟がいくつも漕ぎ出している。バナナ、パイナップル、ヤシの実を一杯に積み込んでいるのが見えた。彼らは良い商売相手が来たとしか思っていないのだろう。だが、その正体は…

 号令一下、すばやくロシアの旗が引き下ろされ、ドイツ軍艦旗がそれに代わった。ただちに15センチ砲が発砲され、兵舎、港湾設備、倉庫、波止場へと砲弾が降り注ぐ。武器は副砲で十分だった。主砲は威嚇するように目標へ向けられたものの、発砲は行われていない。
 その瞬間、先を争って漕ぎ寄せていた物売り舟は、一斉にきびすを返すと、今まで見たこともないような速度で飛ぶように離れていった。彼らの商売には、ちょっと見込み違いの相手だったということだ。
 私たちの計略は見事に成功していた。砲弾は大きな威力を発揮し、街は燃え上がっている。

 灯台はいい目標になっていた。何がどうなったのかはわからなかったが、灯台はぐらぐらと揺れ、傾いて倒れはじめた。ひっくり返って海面に衝突し、派手な水しぶきを上げる。私たちの砲手の一人は、そのあまりにも魅力的な目標を見逃すことができず、見事に灯台を破壊したのだ。フランス人に何を遠慮することがある? これは戦争なのだ。
 およそ10分後、提督は砲撃中止を命じ、その効果が十分に大きかったと確認した。『ゲーベン』は艦首をめぐらせ、外海へ向かって速力を上げる。陸では、燃える港を霧が覆いはじめており、その靄の中に閃光がきらめいた。要塞が発砲しているらしい。ようやく準備を整えた要塞の砲兵隊が、『ゲーベン』を目標にしようとしているのだが、もう十分に遅すぎた。砲弾は『ゲーベン』の航跡、はるか後ろに水しぶきを上げただけでしかない。

 西向きの針路で海岸から離れ、陸上の視界から離れたところで、『ゲーベン』は『ブレスラウ』との会合点へ向けて針路を変更した。30分後、私たちは無事に合流した。『ブレスラウ』はボーヌ砲撃に成功したことを報告してくる。そこでもやはり、港湾施設、兵舎、倉庫、船舶の多くが破壊されていた。
 このためアルジェリアにあった陸軍の移送は停止している。後に私たちは、この砲撃が行われたとき、フランス地中海艦隊の一部がチュニスで載炭中であったことを知り、冷や汗を流した。知らぬが仏とはこのことだろう。もし出会っていれば、厳しい戦いは避けられなかったはずだ。

 『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、巡航速力で北西 (*) のコースを進んでいた。
 フランスの無線局は、すでに私たちの攻撃のことを報告している。この通信は『ゲーベン』の無線室で傍受された。同時に私たちは、たった2隻のドイツ軍艦が敵に取り囲まれており、とうてい長くは生きながらえないだろうことを痛切に感じた。
 しかしながら、私たちは彼らをのほほんとさせておくわけにはいかなかったし、そう簡単に捕まるわけにもいかない。最後には、燃料を使い尽くして行動できなくなり、自らの手で艦を沈めなければならないだろうことは明白だった。それでも、これを敵の手に渡すわけにはいかない。
 私たちは覚悟を決めた。

*原文のまま:実際には北東か東北東のはずだが、誤記もしくは誤訳かもしれない。海岸を離れるときには北西の針路だったので、筆者の思い違いとも考えられる。

 この絶望的な状況にあった8月4日、本国から意外なメッセージがもたらされた。8月2日に、トルコとの同盟が成立したというのである。『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、コンスタンチノープルへ向かうよう命じられた。
 このとき、私たちにはまだ、世界政治的に重要な役割を果たすことになるなどとは、まったく想像もできなかったのである。運命が私たちを運び、世界戦争に新しい舞台を追加することになるなどと、どうして予測できるだろうか。かつて、1隻の軍艦の存在そのものが、これほど重要な政治的役割を担ったことがあっただろうか。
 しかし、現実の私たちの状況は、とうてい楽観的な観測を許すものではなかった。さらに新しい情報が飛び込んでくる。イギリスとの関係は決定的に悪化しており、いつ戦争になってもおかしくない状況だった。

 私たちは、イギリスとフランスの地中海にある艦隊に対抗できる、たった2隻の存在でしかない。それでも、私たちの存在位置は知られておらず、自由に行動できた。メッシナでの同盟国イタリアの「友好的な」対応によって、私たちは石炭庫を完全に満たしてはおらず、コンスタンチノープルへ向かうにしても燃料に不安を感じないわけにはいかなかった。載炭は致命的な状況を招く恐れがあった。遅れは敵に決定的な優越を与えてしまう。
 イギリスとの戦争が始まる前に、できるだけダーダネルス海峡へ近付いている必要がある。最短距離を移動すれば目的は達成できるかもしれないが、燃料の欠乏は決定的となる。いずれにせよ、コンスタンチノープルまでの移動に必要なだけの燃料はなく、どこかで補給を受けなければならなかった。…いったいどこで? 私たちはこの点でまったく希望を持てなかった。
 唯一可能性がありそうなのはメッシナだったが、それは迂回と貴重な時間の浪費を意味している。しかし、他に選択肢はない。




●ドイツ海軍
 メッシナを出港後、洋上に2隻の不明船を発見し、これを観察、迂回したため、予定にはいくらか遅れが出たけれども、燃料節約の問題もあって速力を上げるわけにもいかなかった。8月3日、フランスとの戦争が始まり、敵対行動が開始された。
 8月4日午前2時35分、スション提督はドイツ軍令部からの重要電報を受け取る。「8月3日、トルコとの同盟が締結された。『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、ただちにコンスタンチノープルへ向かえ」
 しかし、スション提督は、現在進行中の作戦が後の行動を欺瞞するために有効と考え、予定通り続行することを決心した。遅れはそのままで、より近いボーヌへ向かった『ブレスラウ』は、夜明けまでに港へ接近できたものの、『ゲーベン』は夜が明けた午前6時になって、ようやくフィリップヴィルへの射点に到達している。

 ロシア旗を掲げて港へ接近した両艦は、国旗をドイツ旗に揚げ替えると同時に、それぞれ陸上施設と港内の船舶に対して砲撃を行った。『ゲーベン』は、午前6時8分から18分まで、もっぱら15センチ砲を用いて43発を撃ち込み、22センチ砲を装備するとされる砲台から若干の反撃を受けたものの、命中弾はなかった。
 『ブレスラウ』は夜明けに、街の明かりに導かれてボーヌ沖に到着し、防波堤内に若干の汽船が存在するのを確認して、これを射撃した。ついで町の北方山麓にある信号所を攻撃、合計で10.5センチ砲弾60発を発射している。ボーヌには21センチ砲16門を持った砲台があると言われていたけれども、反撃は受けなかった。艦隊はただちに北西針路で海岸から遠ざかり、視界外へ出てから北東に針路を転換する。
 この攻撃による陸上側の損害は大きくなかったが、最も影響が大きかったのは、無線局が平文で発したドイツ軍艦による襲撃のニュースだったのである。




▲イギリス海軍
 ドイツ艦隊がメッシナへ入ったという情報は、かなり遅れてミルンの手元に達している。これによって彼は、ドイツ艦隊が西方へ向かい、ジブラルタル突破を考えていると信じた。英国海軍省も同様の見解であり、また、その航路途中ではフランスの軍隊輸送船が、彼らの針路と直交する航路で、アルジェリアからフランスへ向かっているはずだったから、これの保護を含め、西方への戦力集中は火急の要件となった。
 しかし、オーストリア海軍の動向は無視できるものではなく、ここで英国海軍はトルーブリッジの装甲巡洋艦をイオニア海に置き、分離した2隻の巡洋戦艦を西へ向かわせる。軽巡洋艦『チャタム』にメッシナへの急行を命じ、石炭を得たドイツ艦隊が次にどちらへ動くか、情報の収拾におおわらわとなった。

 ここでミルンは、大きな失策を犯すことになる。トルーブリッジに先行してギリシャ沿岸へ向かった駆逐艦隊に対し、マルタへの帰還を命じていたのだが、これをまた元の場所へ戻したのである。これによって駆逐艦の燃料事情は、かなり重大な問題になってしまったのだ。
 ミルンはただちに、マルタから石炭船を駆逐艦の待機場所へ送るよう手配したのだが、いかにも泥縄的で、突発事態への対処としては後手に回ったと言うしかない。彼の手持ちの船舶は少なく、ようやく手配した石炭船は開戦による混乱で石炭を渡してもらえなかったため、出港が大幅に遅れてしまった。おそらく、開戦によって軍港からの石炭移動が禁じられ、これを杓子定規に受け取った担当が、船に積まれようとしている駆逐艦への補給石炭を差し止めたのではないかと思われる。彼から見ればこれは、貨物船に積まれて軍港から「持ち出される」石炭でしかないのだから。

 このとき、ザンテ島近辺にいた駆逐艦の燃料残量は、多い艦でも半分ほどになっており、これでは高速力による襲撃はかなり限定されることになる。
 一方、分離された『インドミタブル』と『インデファティガブル』は、8月2日にメッシナを発ったという『ゲーベン』を追って、シチリア島の南方を西航する。『ゲーベン』の出港から6時間遅れてメッシナへ入った『チャタム』は、ドイツ艦隊が海峡を北へ抜けたと知っただけで、行先はわからなかった。北西へ向かって彼らを追った『チャタム』だったが、何も捕捉できなかった。このときすでに、ドイツとロシアは戦争状態にある。

 3日午後、ドイツはフランスに宣戦し、イギリスの最後通牒は4日深夜 (ドイツ時間で5日0時、1時間遅いグリニッジ標準時では4日23時) を期限としている。
 そして4日早朝、ドイツ艦隊がアルジェリア沿岸に現れ、海岸都市を砲撃したという電報が届く。砲撃されたというフィリップヴィルとボーヌは、その時刻を合わせ見たときに、とうてい1隻での行動では不可能であることが理解された。ドイツ艦隊は2隻ともがそこにいて、分離しているわけだ。しかし、どちらの知らせも敵艦を「ドイツ巡洋艦」としているだけで、いずれが巡洋戦艦であるのかは判然としない。

 西へ向かっていた2隻の巡洋戦艦は、ジブラルタルへ向かっているのだろうドイツ艦隊を追って、22ノットに増速する。
 このとき、イオニア海にあったトルーブリッジだが、彼はドイツ艦隊と呼応して行動を起こすかもしれないオーストリア艦隊に備えなければならず、動かすわけにもいかなかった。

 ラペイレール司令官は、ドイツ艦隊の目的が西方への突破であり、途中でフランスの軍隊輸送船が見つかれば、血祭りに挙げられると危惧している。彼はただちに輸送船の出港を差し止め、艦隊をアルジェとオランに集めるよう、A部隊の針路を変えさせた。
 この結果8時頃、南から南西へ針路を変えたA部隊の左翼は、東北東へ向かう『ゲーベン』から40浬ほどの距離ですれ違ったようだ。もし、艦隊の速力が落ちていないか、巡洋艦を偵察線に展開させていれば、フランス艦隊はこの朝、『ゲーベン』を発見していただろう。もっとも、発見したところで振り切られるだけで、とうてい追えはしないだろうが。
 ラペイレールが輸送船の出港を止めたため、輸送計画は齟齬を来たし、両3日の遅延をみている。しかし、この輸送中止はイギリスに通知されず、ミルンは軍隊輸送船がなお洋上にあるものと考えていた。

 ここでラペイレールは、『ゲーベン』が西へ向かうと予測していたのだから、艦隊を西のアルジェへ向かわせたのは当然であろうが、偵察線を形成させていなかったのは危機感の欠如と言える。B部隊の一部は『ゲーベン』の煙を見たとも言われ、ここで捕捉できなくとも、追っていれば状況はかなり違っていたはずである。
 実際には、位置関係からしてB部隊が見た煙はA部隊のものである公算が大きく、いずれにせよ追跡は行われなかったので、状況に変化はない。

 もし、追跡が行われていた場合、何が起こっただろうか。まず確実に『ゲーベン』は逃げるだけで、よほど前を塞がれない限り、戦闘はしないだろう。位置関係からすれば、そうした事態にはなりにくい。
 しかし、ここで実際に追跡が行われた場合、『ゲーベン』はいくらかなりとも速力を上げなければならず、速力に対する情報が英海軍に伝われば (可能性はかなり低いが)、その後の展開に影響したかもしれない。また、『ゲーベン』が敵情を十分に把握しないまま逃走していれば、彼らが戦闘を避けようとしているという、より重大な情報も得られたはずだ。これもまた、伝わるかには疑問があるけれども。

 状況を整理してみよう。8月4日朝の時点で、ドイツはロシア、フランスと戦争状態にあるが、イギリスはまだ参戦していない。陸上ではルクセンブルグ、ベルギーへ侵入したドイツ陸軍がフランス国境を目指している。
 『ゲーベン』と『ブレスラウ』は対地砲撃を終え、サルディニア島南方でまもなく会同予定であり、その北西方向水平線下では、フランス海軍がアルジェへと足を速めていた。イギリスの巡洋戦艦『インドミタブル』と『インデファティガブル』は、ドイツ艦隊の東方を西へ向かって高速移動中である。トルーブリッジの装甲巡洋艦はイオニア海にあり、駆逐艦8隻がギリシャの沿岸にいる。『インフレキシブル』はマルタにいて、『チャタム』はシチリア島の北、ビゼルタには『ダブリン』がいた。

 イギリス海軍省、フランスの海軍司令部を含め、ほぼすべての連合軍首脳は、ドイツ艦隊がアフリカ陸岸からの視界外を西へ向かっていると考えている。この時点では、メッシナで十分な補給を受けたドイツ艦隊が、行きがけの駄賃にフランス領土を砲撃し、できれば陸軍輸送船を手土産にしつつ、ジブラルタルを突破して本国への帰還を試みると推測されているのだ。誰も、彼らが東へ戻るとは考えていなかった。そちらにはドイツへの出口がないのだから。

第5章終わり




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