ゲーベンが開きし門
第一部・第九章
The Goeben opens the gate : part 1 : chap.9



The Fleet leave Messina

メッシナを出港するドイツ艦隊



第9章・突破

■"Two lone ships"より
 『ゲーベン』と『ブレスラウ』の全乗組員には、戦闘行動に必要な用具一式と識別票を身に付けるよう、命令が出されていた。甲板上の戦闘の障害になる物品は艦底へ片付けられ、戦うための準備が整えられていく。
 午後遅く、出航の命令が下った。敵に関する情報は少なく、不明確だった。それでも、軽巡洋艦もしくは駆逐艦が、メッシナ海峡の両側に張り付き、どんな小さな物でも見逃さないような、鋭い目で見張っていることは確実だった。

 敵の主力は、さしあたりオトラント海峡に集中すると予測された。その敵の期待に応えるためには、私たちがアドリア海へ向かっているという明確な情報を敵に与えなくてはならない。私たちの策略が成功するか否かは、適切なタイミングで監視している巡洋艦を振り切れるかどうかに懸かっており、その後の真の目的地への針路をどれほど欺瞞できるかが眼目だった。
 もし、これが確実に行えなければ、私たちの行く手には敵の全勢力が待ち構えているだろう。そしてそれは、間違いなく私たちの終焉を意味しているのだ。それゆえ賭け金の大半は、私たちの速力に投じられていることになる。

 イオニア海は平和そのものであり、沈みかけている太陽に照らされた空は、メッシナ海峡を暖かに覆っている。緩やかな夕凪の微風は、なだらかな海にわずかな起伏を造り、『ゲーベン』は『ゲネラル』から離れると、海峡を南へ向かった。後方には指定された距離を置いて、小さな『ブレスラウ』が続いている。
 『ゲネラル』もまた、出航の命令を受けていた。シチリア島に沿って進み、さらに東へ転じて、ギリシャのティラ島を目指すことになっている。もし、彼女が敵に捕捉された場合、ただちに無線で報告が入るはずだった。

 私たちは耐えがたいほどに緊張し、神経をすり減らしながら進んでいた。すべてがこの夜の間に終わるかもしれない。突破が成功するか、優勢な敵に捕まって絶望的な戦闘を行うか、いずれかしか道はない。
 『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、カラブリアの海岸に沿って進んでいた。ペロリターニ山地の裾野に広がるメッシナは、後方に去った。もう、わずかに灯台の光が、薄明かりの中に認められるだけである。

 しだいに海峡が広がり、私たちはカラブリアの海岸に沿って、スパルティヴェント岬を目指している。『ゲーベン』と『ブレスラウ』は間隔を開き、徐々に速力を上げていく。
 すべての見張り台に鋭い目が集められ、敵の姿が求められた。露天甲板には誰もおらず、一見して生命活動の見えない艦はしかし、戦う準備を十分に整えている。

 まだ中立水域から抜け出す前、南東に煤煙が発見された。やがてマストと煙突が見え、それがイギリス海軍の軽巡洋艦であると識別されるのに、長い時間はかからなかった。私たちが予期したそのままに、監視は実際に、まさしく居るべき場所に居たのである。
 軽巡洋艦は『グロスター』は、私たちの脱出を監視する任務を受けているのだろう、一定の距離を置いて、カラブリアの海岸に沿って進む私たちに並航し、追跡してくる。もちろんすぐに、私たちを発見したという無線通信を始めた。その宛先はマルタと、彼らの主力戦隊であろう。

 『ゲーベン』はこれに対して、妨害を行っていない。私たちの利益のためには、『グロスター』に私たちの出港と、その進路を敵の主力艦隊に通知させる必要がある。イギリス人には、私たちがアドリア海を目指していると思い込んでもらわなくてはならない。彼らが艦隊をオトラント海峡へ集め、私たちを待ち伏せしてくれるのが、私たちの望むところなのだ。
 しかし、『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、そこには現れない。イギリス人に知られてはならない私たちの真の目的地は、そことはまったく違った方向にあるのだ。

 イギリス艦の無線通信は順調にやりとりされ、私たちはそれに手を触れようとはしなかった。彼らは好きなように考えることができた。私たちの無線室は、そのやりとりを想像しながら、忍び笑いをこらえているのだった。
 決定的な瞬間はまだ訪れず、私たちは夜を待たなければならない。20時前、ようやく空が暗くなった。速めの巡航速力で、私たちは暗くなってくる空の下へ向かっている。
 静かで、空気の澄み切った、魔法のような夜。カラブリア山脈が月に照らされ、青白く冷たい色に光っている。ちらちらと瞬く数え切れないほどの小さな光の中に漬け込まれたように、眠っている陸地の黒い輪郭が空から切り取られていた。人工のものらしい明かりはまったくない。静寂がすべてを覆っている。

 戦時規則の通り、外に漏れる照明は一切遮断されており、2隻は夜の闇を滑るように走っている。波を切り分ける単調な音だけが、艦が進んでいることを表していた。相変わらず、私たちは真っ直ぐにオトラント海峡を目指している。
 いよいよ、その瞬間が来た!
 まず、『ブレスラウ』がそっと離れていく。やがて敵の巡洋艦は、『ブレスラウ』に追いつき、危険なほどに接近していることに気付くだろう。『ブレスラウ』に近付いていることに気付いた『グロスター』は、同じように速力を落とした。『ブレスラウ』は『グロスター』の針路を圧迫して、その間隔をゆっくりと縮めてゆき、双方は『ゲーベン』から離れていく。

 23時、『ゲーベン』は突然速力を上げ、北東にダッシュしてから、大きく向きを変えて南東へ針路を転じた。
 『ブレスラウ』はしばらく、『グロスター』の注意を引くようにコースを維持し、そのままの針路で急速に加速する。そうしてから、『ゲーベン』と同じように針路を変えるはずだった。
 しかし、私たちの策略は『グロスター』に見破られた。『ゲーベン』が大きく針路を変えたことを、『グロスター』は味方の艦隊に急報している。だが、今回は無線に強力な妨害が行われ、『ゲーベン』の無線室からは、『グロスター』の通信をかき消すような、強力な発信が行われた。私たちが針路を変えたことは、彼らに知られてはならないのだ。彼らは1分ごとに、オトラント海峡で貴重な時間を失っているのだから。

 『グロスター』の無線は、これまでに有効だと知られていたあらゆる方法で妨害されていた。『グロスター』の無線室は、次々に周波数を変え、またすぐに次へと飛び移っていた。『ゲーベン』の無線室は、すぐに新しい周波数を見つけ出し、同じ波長で意味のない強力な電波を発信する。
 虚空で行われた、この目に見えない戦いは、およそ1時間も続いただろうか。次々に失敗する中で、イギリスの巡洋艦はなんとか完全な通信文を送ろうと苦闘していた。

 その間、『ゲーベン』の機関室は、その能力の持てる限りを発揮するべく、夜を切り裂いて艦を進めていた。どんな言葉をもってしても、ボイラー室と石炭庫の彼らの偉業を称えつくすことはできないだろう。摂氏50度の熱気の中で、石炭をボイラーへ投げ込み続けることがどれほどの苦行か、言い表す言葉はない。
 タービンは猛然と回転していた。うなりと振動は艦全体を初めて経験する激しさで包んでいる。目論みは成功しようとしていた。敵の偵察艦は、徐々に遠ざかりつつある。オトラント海峡に陣取った英国艦隊は、虚しく待ちぼうけを食わされた。

 やがて『ゲーベン』は速力を落とし、今は巡航速力で航行している。海は凪いで静かにうねり、月光は海面を銀色に輝かせている。時間は飛ぶように通り過ぎていく。心を乱すものもなくなり、私たちは平穏を取り戻していた。しかし、行く手に何が待ち構えているのか、すべてがわかっているわけではない。イギリス人が、これ以上妨害を試みずに諦めるなどということは、まったく考えられなかった。




The stokers

ボイラー室での投炭風景



●ドイツ海軍
 『ゲーベン』は8月6日17時にメッシナを出港し、17時20分には『ブレスラウ』がこれに続いた。スション提督はギリギリまで出港を延ばすことをせず、明るいうちに姿を見せることによって、アドリア海へ向かうと見せる陽動には好都合と考えている。
 メッシナの新聞は、両艦の出港を「死出の旅立ち」と捉え、そのように報道していた。新聞の見出しには次のような言葉が見られる。「死と栄光へ向かって・ゲーベンとブレスラウの大胆なる冒険 "Towards death and glory: the bold venture of Goeben and Breslau"」 (この場合の bold は「無謀」に近いニュアンスのようだが、元はイタリア語だろうから、実際にどういう単語だったかは不明)
 別な新聞はもっと直截的だった。「死の顎 (あぎと) へ踏み入る "Into the jaws of death"」

 状況はドイツ艦隊にとって絶望的だった。新聞が書き立てたように、一般的な感覚では、メッシナ海峡の両側はすでにイギリス艦隊によって閉鎖されており、ドイツ艦隊は出撃と同時に圧倒的な戦力に取り囲まれて押し潰されると予想されていたのだ。
 ドイツ艦隊のメッシナ逗留は36時間に及び、その入港は遅滞なく通報されたはずだから、イギリス艦隊が戦力を集中する時間はたっぷりとあった。海峡の出口は二つあるけれども、二つしかないのであって、優にドイツ艦隊の倍以上の戦力を持つイギリス艦隊は、戦力を二分してもなお敵を圧倒できるだろう。
 しかし、この一般的感覚は、なぜかイギリス艦隊首脳の間には存在せず、彼らは腫れ物に触るかのようにドイツ艦隊を遠巻きにしていたのだ。スション司令官が遺書を認めたとか、さまざまな噂は一人歩きしているけれども、彼は突破を確信している。

 メッシナ海峡を出ると、18時05分には予想通り、イギリスの軽巡洋艦が右舷側から接近してきた。後にそれが『グロスター』であることが判明したものの、このときにはタウン級の軽巡洋艦としか識別されなかった。彼らは25ノットが可能であり、容易には振り切れない相手である。捕まえて攻撃するのも難しい。
 艦隊はイタリア半島のつま先をかわし、北東に針路を取ってオトラント海峡を目指す。『グロスター』はこれを司令部に緊急通報した。その通信への返信から、付近には多くのイギリス艦が所在していると判断されるものの、危険なほど極端に近くはないらしいことも推測された。

 イギリス側の立場に立って、これまでのドイツ艦隊の行動を考察すれば、彼らが海峡出口に詰めていないからには、オトラント海峡に戦力を集中しているに違いない。いかに彼らを出し抜くか、失敗すれば艦隊は死に直面することになる。
 イギリス軽巡洋艦は当初、『ゲーベン』の右舷後方に位置していたけれども、やがて位置を陸側に変え、カラブリアの陸地を背負い、明るく見やすい海側に『ゲーベン』が位置するよう、慎重にポジションを定めている。3隻はルーズな艦隊を組んでいるかのように、互いを視界内に保ったまま、北東へと進んでいた。

 22時15分、『ブレスラウ』はイギリス軽巡洋艦の排除を命じられ、2隻の西側に出ていた『グロスター』に接近していく。圧迫された『グロスター』は速力を落とし、『ゲーベン』から離れる形になった。しかし、この夜の空は満月で明るく、不良な石炭のために濃い煤煙を排出している『ゲーベン』は容易に視認され、振り切ることができない。
 『ブレスラウ』はイギリス軽巡洋艦より劣勢であり、過度に接近して戦闘に持ち込まれたくはない。『グロスター』も戦闘によって『ゲーベン』を見失ったのでは任務が達成できないから、1時間ほどの駆け引きが、それぞれの思惑のままに行われた。

 23時、『ゲーベン』は東に大きく針路を変えると共に速力を上げ、これを通報しようとする『グロスター』の無線通信を妨害した。『グロスター』は『ゲーベン』を見失わず、接近しきれない『ブレスラウ』をかわして追跡を続行する。
 『グロスター』は6インチ砲を装備しており、105ミリ砲しかない『ブレスラウ』の手に余る。艦を損傷させたくないドイツ艦隊は、夜間戦闘が遠方の敵を呼び寄せることと、戦闘中は他艦の接近に気付かない恐れがあるため、これを実行せず、オトラント海峡を閉鎖しているだろうイギリス艦隊から遠ざかることに専念した。当然彼らは、そこに最強の艦隊を置いているはずなのだ。その時間はたっぷりとあった。

 『ゲーベン』は速力を上げ、追いすがる『グロスター』との競争が始まる。『グロスター』の機関、船体状況は理想的ではなく、23ノット程度と思われる『ゲーベン』に付いていくのがやっとの状態であり、やがて追従しきれなくなった。ここでまたしても英国艦は速力競争に敗れ、ドイツ艦隊を見失う。
 『ゲーベン』と『ブレスラウ』はそれぞれに平行した針路を進み、ひたすらにマタパン岬を目指しているのだが、接触を失ったイギリス艦隊は視界外での急転回を考えなくてはならず、単純な追跡、戦力集中を行えない状況になっている。

 8月7日0時50分、東南東へ向かう『ブレスラウ』は、右舷4点に巡洋艦1隻、駆逐艦2隻を発見した。ただちに左へ5点変針すると、敵艦隊はこれに追従してくる。『ブレスラウ』は増速し、徐々に原針路に戻るように操艦した。この艦隊は明らかに『ブレスラウ』を視認していたが、積極的な襲撃行動は起こしていない。そのまま3時20分、敵艦隊は視界外に去った。
 これはイギリス軽巡洋艦『ダブリン』と駆逐艦2隻で、その艦長は『ブレスラウ』を発見したものの、至近にいるはずの『ゲーベン』を求めて発見できなかったために、襲撃を断念したと後に述べている。もし、機を逃さずに攻撃していれば、『ブレスラウ』は全速力で逃走するしかなく、状況によっては『ゲーベン』の介入を誘発できたかもしれない。

 『ブレスラウ』の27ノットに対して、『ダブリン』は25ノットでしかなく、2隻の駆逐艦も27ノット程度の性能だから、逃げ切るのに問題はなかろうが、追われれば負担は大きかっただろう。位置関係からは、東へ進みたい頭を押さえられている形なので、回り込むにはかなりの時間を必要とする。『ダブリン』が発見と同時に戦闘行動をとっていた場合、まったく戦闘をせずに駆け抜けられたかは、微妙なところだ。
 いずれにせよ、戦うのか、追跡するのか、目的の曖昧な行動をとったため、『ダブリン』はドイツ艦隊を捕捉する機会を失い、駆逐艦と共にオトラント海峡警戒にあたるよう命じられたので、この夜の追跡には寄与できなくなっている。




map5

8月6日20時00分の位置



▲イギリス海軍
 8月6日、『インドミタブル』はフランス兵たちに歓迎されながら、ビゼルタ港へと入っていった。ケネディはここで、最初に持ってこられた石炭バージが、質の悪い練炭しか積んでいないことに毒づき、港内にあったイギリスの石炭船『ガンジス』に、5300トンの優良なイギリス炭が積まれていることを知った。その荷物の宛先はドイツ国籍の会社であり、彼はこのことをミルンに報告して、その石炭の積み取り許可を求める。彼は許可が下りる前に載炭を開始し、14時40分までに1550トンを積み込んだ。
 この船は『ゲーベン』の石炭船かもしれないという嫌疑を受けており、疑いをかけられた船長は、英国艦への譲渡を二つ返事で承知しなければならなかった。載炭と並行して『インドミタブル』からは可燃性の不用品が下ろされ、港の倉庫へと運び込まれる。

 ミルンはケネディに依頼して、フランス艦隊の現在位置と、輸送船団がいつアルジェリアを出航するのかについて、正確な情報を得ようとしたけれども、陸軍輸送船の第一陣が6日にアルジェリアを発つ予定と知っただけで、詳細は判らなかった。おそらく10日まで、フランス艦隊は手が空かないだろう。
 ケネディが収集したフランス艦隊についての情報は、断片的かつ錯綜したもので、正確な状況は把握できなかった。ラペイレールが『クールベ』と2隻の戦艦を率いてバレアレス諸島へ向かっており、3隻の巡洋艦戦隊がフィリップヴィルを目指しているという情報があれば、装甲巡洋艦戦隊はすでに8時にフィリップヴィルを離れ、コルシカ島のアジャシオへ向かっているという情報があった。いったい、この二つの巡洋艦戦隊は同じものなのだろうか。

 ケネディが送ってくる情報は、全般に曖昧で意味不明なものが多く、ミルンはこれがフランス人のせいなのか、ケネディがやっていることなのか、判断できないままに苛立っていた。
 フランス海軍との連携がほとんど絶望的と見て、ミルンはケネディに艦隊の運動予定を通知する。「巡洋戦艦は18時まで東へ進みつつ捜索を行い、その後、西へ戻るつもりだが、翌朝までにドイツ艦隊の情報が得られなかった場合、彼らはサルディニア島、もしくはコルシカ島の北を回って脱出しようとしていると判断することにした」
 またミルンはケネディに、ビゼルタのフランス提督ドゥ・フルネと連絡を取り、必要であればイギリス艦隊が2隻の巡洋戦艦と1隻の軽巡洋艦を、彼らの輸送航路上へ派遣する用意があることを知らせるよう命じる。

 16時33分に、この通信はケネディの手に渡ったけれども、そのときすでに『インドミタブル』はビゼルタを出港しようとしており、水先案内人を乗せて湾口を出るところだった。電報に接したケネディは、防波堤を出たところでただちに艦を止め、ドゥ・フルネに面会するため艦載艇で港へ戻る。
 不意の訪問を受けたドゥ・フルネ提督は、ケネディを待たせたままで、彼がラペイレール提督はミルンの協力申し出に返答する気がないのだと確信するまで放っておいた。ようやく姿を見せたドゥ・フルネは、英仏の協力状況のお寒い現実をあらわにする返事をしている。

「おや、そちらの司令官はご存知ありませんでしたか。我々の艦隊は全力で輸送船を護衛しておりますので、彼らはまったく安全なのですよ」
 信じられないことに、フランス軍は彼らの4隻の装甲巡洋艦を、ミルンの指揮下に置いてもよいと申し出てきた。ミルンはこれを聞き、その艦隊にボン岬とマッザラの間でパトロールしてもらえると、非常にありがたいと返答した。ケネディのビゼルタへの訪問は不首尾の連続で、ミルンはフランス人とケネディの、どちらに腹を立てるべきなのかを悩むほどだったという。
 ドゥ・フルネとの茶番劇のような会合の後、ケネディが艦へ戻った時には、すでに20時を過ぎていた。

 一方、18時になったときミルンは、ドイツ艦隊に対する新しい情報を得られないまま、艦隊を西へ戻さず、そのまま東へ進むことに予定を変更した。艦隊をメッシナ海峡の北口へ近付け、情報を得るために『チャタム』を派遣することにしている。これにより、すでにスションがメッシナを北へ脱出していた場合に備えたのである。
 18時15分、ドイツ艦隊がメッシナの南口に現れ、東へ向かっているという情報が入った。『グロスター』が、これを発見したのだった。

 ミルンは、海軍省からメッシナ海峡の通過を禁じられていたため、またスションの行動がフェイントであり、彼らがシチリア島の南側から西へ向かう可能性も考えて、反時計回りにシチリア島を回ることにした。
 やがて追跡する『グロスター』から、『ゲーベン』がスパルティヴェント岬を回ってさらに北東へ進んでいると知らされ、巡洋戦艦が交戦する可能性が非常に小さくなったことが明らかとなる。彼らの目的地は明らかにアドリア海だったが、そこにはトルーブリッジが網を張っている。彼は『インフレキシブル』と『インデファティガブル』をマルタへ戻し、石炭の補給をすることとした。
 『インフレキシブル』は高速航行をしていなかったため、石炭の消費は900トンにすぎなかったが、『インデファティガブル』は1450トンと重油50トンを必要としていた。それでもこれならば、アドリア海の入口へ詰めるだけなら十分な残量があったことになる。

 そして、海軍省からは笑い種にしかならないような通信が届いた。ミルンが22時54分にこの電報を受け取ったとき、彼はすでにシチリア島の西端を回り、マルタへ向かっていたのだ。
「もし、『ゲーベン』がメッシナから南進するならば、貴戦隊はメッシナ海峡を通過して追跡すべし」
 このとき、海軍省のバッテンバーグは、ドイツ艦隊がメッシナ港にいると知り、ミルンが彼らを追ってシチリア島の北側にあり、東へ向かって距離を詰めているはずと考え、彼の下した海峡通過禁止の通知が足枷になるとして、これを撤回したのだ。ドイツ艦隊を捕捉するためならば、イタリアの不興くらいは代償として小さいと考えたのである。その通知はすでに遅すぎたが、それでなにか相違は生じただろうか。

 ドイツ艦隊がいったん西へ進みながら、アドバンテージを捨ててメッシナへ戻ったということを正当に評価するならば、彼らの目的地は第一にアドリア海と推測され、トルーブリッジ戦隊の補強を本気で考えなければならないのは明白である。西への脱出も無視できないとすれば、このとき彼に可能だった手段は、燃料の十分にある『インフレキシブル』から司令部を下ろし、これを東へ向かわせることだっただろう。せめて、載炭の必要があった『インドミタブル』をビゼルタではなくマルタへ向かわせていれば、トルーブリッジへの補強に、より近付いていた。
 いずれの場合もシチリアの西には、なお巡洋戦艦2隻があり、対抗戦力としては十分である。トルーブリッジの装甲巡洋艦4隻に『インフレキシブル』もしくは『インドミタブル』が帯同していれば、『ゲーベン』がオトラント海峡を突破するのはかなり厳しい問題になる。

 ドイツ艦隊がアドリア海を目指しているという『グロスター』の報告があり、軽巡洋艦ががっちりと敵艦に喰いついている状況で、ミルンが巡洋戦艦をトルーブリッジ援護に向かわせなかったことは不可解だ。敵がそこにいて、自分には他に心配しなければならない要素がないのだから、全速力とは言わないまでも、可及的速やかに味方の援護に向かうのは当然ではないだろうか。
 正面からぶつかり、燃え上がるトルーブリッジの装甲巡洋艦を後に残して、損傷した『ゲーベン』がよたよたとアドリア海へ逃げ込もうとするとき、距離を詰めていなければ彼には何もできないことになる。彼は、それで自分の責任が果たせると考えていたのだろうか。この段階で、巡洋戦艦の燃料は、たしかに少なくなってはいるけれども、オトラント海峡へ行かれないほどの状態ではなかったのだ。

 ここで、開戦直前に『インヴィンシブル』が工事のために本国へ戻りながら、代替戦力が派遣されなかったイギリス海軍省の決定が意味を持ってくる。『ニュー・ジーランド』の派遣も提案されながら却下され、3隻という半端な数になった戦力は気楽に二つに分けることができず、2群の巡洋戦艦で海峡の両側を押さえるという最良の戦術が実行できなかったのである。
 また、開戦を目前にして8月2日に石炭を満載にしていたはずの巡洋戦艦が、わずか4日後に燃料不足を訴えなければならないという、カタログ値と懸け離れた実状は何を意味しているのだろうか。
 第2章で触れたような、常用石炭庫と予備石炭庫の運用上の落差という、カタログには明記されにくい性能が足を引っ張ったとも考えられるが、運用当事者の怠慢があったのではないかという疑いも禁じ得ない。前章にあった『インドミタブル』の石炭が不均衡に消費されているという一文は、彼らが艦内で石炭の移送を行っていなかったという傍証になるだろう。

 この問題は後に、前日に『ゲーベン』を追跡していた2隻でそのまま海峡の北側を監視し、ミルンが自ら『インフレキシブル』で南側へ詰めるべきだったのではないかという批判も生んだ。
 ミルンは常に、『ゲーベン』がイギリスの巡洋戦艦より3ノット半優速であるという観念に囚われていたが、そうであったにしても、ならばなおさら、海峡の両側に接近して艦を配置していれば、彼らが速力を上げる前に叩けるという意見が出てくるのは当然である。砲撃を受けつつであれば、『ゲーベン』が速力を発揮するにしても、損傷の発生と共に長続きしないと考えられるのも確かなのだ。
 そしていったん戦闘が始まってしまえば、イギリス地中海艦隊のすべてが戦場へ殺到し、どういう損害が出るにせよ、『ゲーベン』が息の根を止められるのは必然でしかなかっただろう。

 8月6日の夜、ミルンはフランスの最後の軍隊輸送船団7隻が、その朝アフリカの港を発ち、フランス海軍に護衛されて安全な状態にあることを知らされていた。そして、蓋が閉じられていなかったメッシナ海峡を抜け、スションは東へ向かって速力を上げていたのである。この段階で、ドイツ艦隊の目的地はアドリア海と考えられ、立ち塞がるべきトルーブリッジに強い圧迫感を与えている。
 ミルンも、海軍省も、『ゲーベン』には巡洋戦艦2隻で対抗すべきと考えており、ミルンは3隻をマルタへ集合させようとしている。
 彼は『インドミタブル』に通信を送り、敵を追跡中の『グロスター』を支援するため、マルタへ寄って完全に燃料を満たすよう命令している。結局、3隻の巡洋戦艦は軽巡洋艦を従え、7日昼になってマルタに集結した。

 ミルンの想像の中では、ドイツ艦隊は地中海を西へ向かってジブラルタル突破を図るか、アドリア海へ入ってオーストリアへ向かうかしか選択肢がなく、オーストリアの態度が未定の状態では、最大の警戒対象がジブラルタル、もしくは西部地中海を航行中のフランス陸軍輸送船であり、そこに最大勢力を控置し、次勢力をアドリア海入口に配するのは当然である。メッシナから東へ向かうのは、自ら袋小路の中へ入っていくことであり、とうてい合理的とは考えられなかったのだ。

 さて、『ゲーベン』はメッシナを南へ出港したとき、質の悪い石炭を燃やすために大量の煙を吐いていたから、監視にあたっていたイギリスの軽巡洋艦『グロスター』は、直ちにこれを発見し、その事実を報告した。
 このときの『グロスター』は、すでに長く洋上にあったことから速力性能が低下しており、せいぜい23ノット、頑張っても24ノットがやっとという状態だった。それでもケリー艦長は、『ゲーベン』を視界内に留めるべく、積極的に接近している。
 すでに彼は、『ゲーベン』が26ノット以上を発揮したと聞いており、もし、『ゲーベン』が本気で彼を処分しようとすれば、逃れるのが容易でないことを認識していた。その『ゲーベン』の速力についての情報通知は、不吉なことに「『グロスター』に警告せよ」で終わっていたのだ。彼がその内容を疑う理由は、もちろん、ない。

 ドイツ艦隊がメッシナから出てきたとき、『グロスター』は先行する『ゲーベン』の後方2浬につけ、『ブレスラウ』を発見したときには海岸線に沿って12ノットで走っていた。
 『グロスター』はドイツ艦隊を追跡し、16000ないし18000ヤード (14600ないし16500メートル) の距離を置いて、平行にコースを定めた。やがて日が暮れてくると、見失わないために距離を詰める。ドイツ艦隊は突然に向きを変えるかもしれず、『グロスター』が夜の闇の中に見失う可能性は低くなかった。19時45分、月が出ても『ゲーベン』は暗い陸の背景に溶け込み、容易に視認できなかった。『グロスター』は陸へ向けて直角にコースを変え、『ゲーベン』と陸の間に入り込むことに成功する。いまやドイツ艦隊は月光に照らされており、洋上にくっきりと姿を確認できた。

 スションは目障りな『グロスター』を追い払おうと考えたのだろう。22時過ぎに『ブレスラウ』が距離を詰めてくると、『グロスター』は陸地との間に圧迫され、『ゲーベン』との距離が開いていく。しかし、『ブレスラウ』と戦闘すれば『ゲーベン』を見失う可能性が高くなるし、2隻の間に挟まれるわけにもいかない。
 ケリーは注意深く位置を変え、陸側の位置を放棄して、『ゲーベン』との距離を保った。『ブレスラウ』は20分後、再び針路を変えて『グロスター』の艦首を横切ろうとする。『グロスター』から3000ないし4000メートルの距離で通過した『ブレスラウ』は、南東に針路を取っていた。『グロスター』は『ゲーベン』の追跡を続行し、『ブレスラウ』からも目が離せなかった。
 23時過ぎ、『ゲーベン』は突然針路を変え、マタパン岬へ向かう。これを報告する『グロスター』の無線は激しく妨害された。それでも15分後には、ドイツ艦隊の進路変更はミルンに通知されている。

 こうして『グロスター』のハワード・ケリー Howard Kelly 艦長が、『ゲーベン』の尻尾を放すまいと苦労していたとき、彼の二つ違いの兄、『ダブリン』のジョン・ケリー John Kelly 艦長は、『ビーグル』 Beagle と『ブルドッグ』 Bulldog の駆逐艦2隻を伴って夜間攻撃を企て、『ゲーベン』を探していた。彼は最初の追跡の後、本隊より一足早くマルタへ戻っており、6日13時35分には載炭を終え、30分後には洋上にあって、駆逐艦2隻を連れて北東へ進んでいたのである。
 彼はミルンから、『グロスター』からの情報を元に『ゲーベン』に接触し、可能であれば今夜のうちにこれを撃沈せよと命じられていた。『ダブリン』は『グロスター』からの情報を元に『ゲーベン』との交差方位を推測し、接近を図っている。

 0時少し前、ドイツ艦隊はまだ東へ向かっており、30分以内に視界から失われるだろうと、『グロスター』はミルンに報告している。
 日中の攻撃が自殺的であるというトルーブリッジの事情をミルンも把握しており、『グロスター』をトルーブリッジの指揮下に置くと共に、『ダブリン』を派遣したのである。トルーブリッジはこれを受け、『ダブリン』に極力『ゲーベン』との接触を求め、夜間に攻撃ができなかった場合には接触を維持し、日中は欠かすことなくその針路と速力を通報するように命じた。

 『ゲーベン』が南東へ針路を転じたという知らせを受けたとき、『ダブリン』は自分たちの出番になったと認識した。『グロスター』の弟は、これによって確実に『ダブリン』と駆逐艦は失われ、彼が兄の葬儀に参列することになるのだろうと考えている。「勝てるわけがない」
 すでに転舵していた『ブレスラウ』は、一人マタパン岬を目指していたが、そのコースは『ダブリン』と接触するものであり、もうひとつのチャンスがイギリス海軍に与えられている。
 8月7日0時45分、煤煙を見つけた『ダブリン』は乗組員を戦闘配置につけた。2隻の駆逐艦は速力を落としてもなお、その煙突から石炭を燃す煤煙を大量に吐き出しており、遠距離から視認されてしまうから敵に警告を与えるだけだったけれども、どうなるものでもなかった。

 午前1時、『ダブリン』は左舷前方に船影を発見するが、それは『ブレスラウ』だった。『ダブリン』はただちに襲撃に備えて占位運動を始めるものの、近くにいるはずの『ゲーベン』を探してもいる。彼らが受けている命令は「『ゲーベン』を攻撃せよ」であり、その発見が第一義で、『ブレスラウ』への攻撃は二義的なものなのだ。それゆえケリーは、『ブレスラウ』に対して積極的な接敵行動を取らず、曖昧な行動に終始している。
 『ダブリン』は『ブレスラウ』から6000ヤード (5500メートル) にまで接近するものの、魚雷攻撃に適した位置へは進出できず、1時30分に襲撃を断念して『ブレスラウ』の後方につき、これを追跡する構えとなった。ケリーは彼らが再合流するはずで、互いに近くにいるものと考えている。これについていけば、『ゲーベン』を発見できるに違いない。

 『ダブリン』艦上では、多くの者が『ブレスラウ』の艦影を見ており、水兵たちは地中海海戦の口火を切る栄誉について語り合い、「リダイト弾を装填せよ」という命令は喝采を持って迎えられる。砲の準備はすぐに終わり、続いて魚雷発射管も準備を整えた。
 しかし、ジョン・ケリー艦長は命令の通りに『ゲーベン』を攻撃しようとしていて、その、近くにいるはずの姿を追い求めていた。彼から見える煙は『ブレスラウ』だけであり、後方からこれを追っている『ダブリン』は、彼らが襲撃にかかれば『ブレスラウ』は速力を上げて逃げるだけと考え、見えてくるはずの『ゲーベン』を待っていた。

 彼は2時42分、おそらく『ゲーベン』が『ブレスラウ』の北側を、平行した針路で進んでいるものと考え、一か八か北東へ針路を転じた。夜だったが月があり、視程はけっして短くない。彼は想定した『ゲーベン』の針路を直交するように進み、3時10分までこれを維持したが、『ゲーベン』は発見できなかった。『ダブリン』はさらに向きを変えて、『ゲーベン』の想定針路を逆にたどるように進んだが、20分たっても発見できなかった。
 さらに5分後、彼らはついに煙を発見したが、それは『グロスター』であり、『ゲーベン』が東方へ通過してしまったことは明らかだった。実際の『ゲーベン』の針路は、さらに北側だったのであり、もう少し北へ進んでいれば発見できただろう。

 『ダブリン』の襲撃失敗が何に原因したのかは明らかでないが、『グロスター』の暗号通信は『ゲーベン』の強い妨害にあっており、これの解読に当たって、いずれかの数値が誤って伝えられた可能性もある。いずれ、夜間洋上で1隻の船を見つけようとするのは、それほど簡単なことではない。まあ、『ブレスラウ』は見つけていたのだから、虻蜂取らずと言われれば返す言葉もないだろうが。
 緊張を続けていた『ダブリン』だったけれども、艦内に命令が伝わってきたとき、古参乗組員は口惜しそうに舌打ちしている。
『伝達せよ。司厨員厨房へ。ココア配給の準備をせよ』
「チェッ、どうやら捕まえそこなったらしいな」
「そうなんですか?」
「たぶんな。ココアを配給するってことは、すぐに戦闘になる見込みがないってことだからな」

 砲はまだ装填されたままだったが、乗組員の間には失敗したという挫折感が広がっている。彼らが『ブレスラウ』を見ていただけに、反動は大きかった。しかし、『グロスター』のハワード・ケリーは、『ダブリン』が襲撃に失敗したことを、半ば喜んでもいた。
 そして、まだミルンの手駒には、トルーブリッジの第一巡洋艦戦隊が残っている。…はずだった。この間、東の海ではトルーブリッジの舞台が進んでおり、その致命的失敗が明らかになっていく。

 8月6日、第一巡洋艦戦隊司令官であるトルーブリッジ少将は、多くの難問に直面していた。彼は自分の戦隊が、2隻の巡洋戦艦によって強化されるものと考えていたけれども、いつまで待っても補強はやってこなかった。
 6日18時13分、『ゲーベン』がメッシナを出港しようとしているという知らせが入ったとき、彼の艦隊はケファリニア島の沖にあり、南へ向かっていた。彼の配下にあった、第一、第二水雷戦隊8隻の駆逐艦もギリシャ沿岸にあったが、燃料が欠乏しており、補給の石炭船が到着するのを待っている。
 トルーブリッジは水雷戦隊の嚮導艦である『ウォルヴァリン』 Wolverine に、蒸気を上げ、全速待機するよう命令を発したが、その命令に対する返答は失望を招くものでしかなかった。「列艦の燃料残量は、それぞれ66トン、92トン、75トン、40トン、63トン、58トン、79トンであり、本艦にも残量は69トンしかなく、ご命令の通りには行動できません」

 この水雷戦隊の構成は定かではないけれども、おそらく全体が『ウォルヴァリン』の属する『ビーグル』級によって編成されていたと思われる。彼らの石炭搭載定量は205ないし236トンであるから、多い艦でも残量は半分以下、最も少ない艦では20パーセントを切っていることになり、これでは高速による襲撃は望み得ない。
 燃料欠乏が第一の理由となって、トルーブリッジが最初にもくろんだ夜間作戦は頓挫したが、その原因はマルタ島基地にあった。

 8月3日の段階で、ミルンは第三水雷戦隊をマルタ島に置いており、ここは戦争になっても確実に燃料補給ができる数少ない場所のひとつである。ミルンは、いよいよ戦争が始まろうというとき、ギリシャ沿岸にあった、第一、第二水雷戦隊をマルタ島へ戻そうとしたのだが、駆逐艦へは、「それぞれの燃料事情の許す限りで、速やかにマルタへ戻れ」と命令が出されている。そしてこのとき彼は、マルタにあった水雷戦隊を代替に送ることをしなかったのだ。
 ミルンはさらに、4日深夜に戦争が始まるという見通しを報じられたため、マルタへ向かっていた駆逐艦を待機場所へ戻し、そこで石炭船を待つように命じたのである。これにより、無駄に往復した駆逐艦隊の燃料は、緊急に補給を要する状態になっていた。

 政府はマルタ島の石炭をすべて徴発したが、そもそも十分な備蓄がなく、手配できる石炭船も少なかったから、遠隔地にある戦隊への石炭補給は容易に実行できなかった。マルタで駆逐艦隊への補給を命じられた石炭船『ヴェスヴィオ』は、1400トンを積むように命じられたけれども、手間取って5日の午後遅くにならなければ出港できないと報告された。
 これも相当に甘い見積もりで、実際にこの船が出港できたのは6日の15時であり、8ノットの低速船が目的地へ到着するのは8日になると予想され、急速に移ろった事態に対処できないどころか、まったく間に合わなかったのである。しかもそれでさえ石炭は予定通りに積むことができず、出港時刻を守るために940トンしか持って出られなかったのだ。

 しかも5日、トルーブリッジがドイツ艦隊のメッシナ入港を知らなかったために無駄な待ち伏せが行われ、これに呼応して出動した駆逐艦の燃料は、危機的な状態にまで欠乏してしまったのである。航続力の短い駆逐艦を基地から離すにあたって、待機場所に燃料の手配をしておかなかったのは明らかにミルンの手落ちであり、トルーブリッジにしてみれば巡洋戦艦同様、あるはずの戦力が次々に使えなくなっていくことに不満を感じるのも無理はない。
 こうした事情があるので、トルーブリッジがミルンに宛てた『ゲーベン』捕捉の失敗についての言明にある以下の部分から、非難の色を読み取るのは難しくない。「私は『ゲーベン』を捕捉すべく努力しておりました。そして水雷戦隊にも、十分な燃料があれば同様の努力をするよう期待していたのです」

 トルーブリッジは、通信の傍受などによって、ドイツ軍が彼の戦隊の存在と作戦任務をあるていど知っていると考えていた。8月5日に通りかかったオーストリアの汽船を臨検した際、彼はミルンに対してオーストリアとの戦争が始まっているか否かを問い合わせており、その状況に従って当該汽船を釈放していたから、当然に位置を通報されていると考えたのだ。その後も何隻かのオーストリア船舶と遭遇しており、彼は、「彼らは間違いなく、我々の存在を通報している」と判断したのである。

 彼の信ずるところによれば、オーストリア人はそれらの船を、戦争を始める前に急いで国へ戻そうとしていたのであって、イギリスが司令部を置いていたケファリニアのオーストリア領事は、英国艦の動きを逐一報告していたに違いなく、『ゲーベン』とも直接無線通信を行っていたはずである。彼は、自分たちの行動が筒抜けになっていると信じていた。実際にトルーブリッジは5日の正午、ミルンに宛て、「我々の位置はすぐにオーストリアに知れてしまうでしょう」と、報告している。ミルンはこれに対し、「移動し続けているように」と指示しただけだった。

 今、『ゲーベン』と『ブレスラウ』がアドリア海を目指していると報告が入り、彼は自らの作戦と通信暗号に命を預けることになった。ところが水雷戦隊に出動準備を命じた無線は、『ブラック・プリンス』から『ウォルヴァリン』に伝えられたのだが、たいした警戒もなく「緊急通信用語」ではない通常の暗号を用いていた。
 トルーブリッジは22時50分に、この事実を知らされると、「自分の作戦がかなりの確率で敵に察知されている」と考えた。
 彼の恐れが正当なものであるという論理的補強は、『ブレスラウ』が『ゲーベン』から分離し、その目的地が不明であるという通報によってなされている。トルーブリッジはドイツ軽巡洋艦が駆逐艦の迎撃に向かったと考え、『ウォルヴァリン』が危険であると判断し、『ウォルヴァリン』に対して「敵は貴官の基地を知っており、日中に遭遇しようと目論んでいる」と警告を与えた。

 18時15分以降、ケルキラの北へ向かっていた第一巡洋艦戦隊は、22時07分に針路を北西微北へ振り、13ノットでアドリア海の入口、ファノ島 (ギリシャ領ケルキラ島の西にある現在のオソニ島) へ針路を取った。
 針路変更の直前、トルーブリッジは彼の旗艦艦長フォウセット・レイ Fawcett-Wray に詰め寄られている。彼は巡洋艦戦隊で『ゲーベン』のアドリア海侵入を阻止するために浅海域へ入り、戦闘を行うことに同意していなかった。トルーブリッジは当初の計画に代え、オトラント海峡に陣取り、浅瀬を利用して『ゲーベン』を追い詰め、自艦隊に有利な射程を得ようと考えていたのだ。

 レイは、海峡の中央に陣取ることには危険が伴うと認めていたが、『ゲーベン』にとって、より危険が大きいだろうと考えていた。自身にとっても危険である浅瀬を利用しようとするより、安全な海面で有利な対勢を得るほうがよいと考えたのだ。
 トルーブリッジはこの案に同意せず、22時53分には艦隊に、「これ以上の情報が得られない場合、我々は日中にファノ島へ到着するように進む」と信号した。
 トルーブリッジは、開けた海面で十分な視界があるとき、『ゲーベン』は4隻の装甲巡洋艦を上回る戦力を持つと考えている。これは、バッテンバーグがミルンに宛てた訓令で、『ゲーベン』の追跡は2隻の巡洋戦艦で行われなければならないという言明に基礎を置いていた。

 トルーブリッジの考えでは、日中の『ゲーベン』に対抗できるのは複数の巡洋戦艦だけであり、『インドミタブル』と『インデファティガブル』の双方ともが艦隊から離れている以上、第一巡洋艦戦隊はアドリア海監視に残り、優勢な敵との交戦は避けるべきだった。
 彼らは、オーストリア艦隊が気付かれずにオトラント海峡を抜け出すことと、『ゲーベン』がアドリア海へ逃げ込むことの双方に備えなければならない。これは非常に困難な任務であり、もし『ゲーベン』と呼応してオーストリア艦隊が現れた場合、トルーブリッジは挟み撃ちになり、逃げることもできずに撃滅されるだろう。

 彼はここで、配属されるはずの巡洋戦艦が到着しないことに苛立っていたようだが、明確に「戦力をよこせ」と要求してもいない。ミルンの言い分をとらえれば、トルーブリッジの通信では、巡洋戦艦が必要であるのか否か、ミルンには理解できなかったということになる。
 ミルンは、「水雷戦隊を夜襲に用いるべし」と信号しているが、これをトルーブリッジは、「装甲巡洋艦を夜襲に用いるべきではない」と受け取っている。これらの通信による指示は結局、トルーブリッジに『ゲーベン』と装甲巡洋艦を白昼戦わせるべきではないという意識を強化しただけだった。これはまあ、そう思い込みたかったから、文言をすべてそちら向きに受け取ったと推測することもできる。

 8月6日の22時過ぎ、トルーブリッジの第一巡洋艦戦隊は、最大戦速で前進を始めた。彼らはアドリア海へ向かうと見られた『ゲーベン』の鼻先を押さえるべく、行動を始めたのだ。
 信じられないことに、トルーブリッジは『ゲーベン』がメッシナで載炭したことを信じず、その航続力がかなり小さいと考えている。それゆえ、ドイツ艦隊はブリンディジか、オーストリアの港へ入ろうとするものと決め付けており、オーストリア艦隊との合流を目論んでいるとしていた。
 トルーブリッジの頭の中では、ドイツ艦隊が東へ向かうという可能性がまったく考慮されていなかった。「彼らに、そこで何ができると言うんだ?」

 こうして『グロスター』が23時08分頃、『ゲーベン』が針路を南方へ変えているという最初の報告をしてきたとき、彼は混乱し、これが『グロスター』を撒こうとする策略なのか、あるいは『グロスター』そのものを攻撃しようとしているのだろうと受け止めた。それゆえ、彼はそれまでの針路を変えず、北西へ向かって走り続けている。
 このため、第一巡洋艦戦隊と『ゲーベン』との距離は徐々に離れてゆき、『ゲーベン』が南東へのコースを変えていないという報告が、23時36分、23時58分に繰り返して受信され、これがフェイントではないとはっきりしたときには、すでに致命的に遠ざかってしまっていたのだ。

 ようやくトルーブリッジが、アドリア海へ向かっていたコースこそが『ゲーベン』のフェイントであったと気付き、針路を反転したのは8月7日の午前0時10分だった。彼は15分後に、針路を南に取り、15ノットで航行中であることをミルンに報告した。『インフレキシブル』のミルンは、それぞれの報告を海図上にプロットし、トルーブリッジが『ゲーベン』に接触するのは午前6時頃と推測している。
 トルーブリッジは艦隊がザンテ島に接近することから1時57分、駆逐艦隊に出動を命じた。しかし、水雷戦隊の石炭不足は解決しておらず、21ノット以上では航行できないとされた。それでも艦隊指揮官は、午前4時頃に巡洋艦戦隊に合流できるという見通しを告げている。
 当初、20ノットまで速力を上げた巡洋艦戦隊だったけれども、やがてこれは機関不調の『ウォーリア』に足を引っ張られ、18ノットに落とさざるを得なくなった。

 トルーブリッジは艦隊に向け、「我々は午前6時頃 (グリニッジ標準時では午前5時) に、『ゲーベン』の艦首を横切る形になり、可能であればこれと交戦する。単縦陣を形成する用意をなせ。もし、遮断行動が取れない場合には、長射程での戦闘を避けるため、ザンテ島の後方にまで撤退するかもしれない」と通知した。
 この時期、この地点での午前6時は、夜明けから1時間後を意味しており、特に悪天候でなければ、昼光下での戦闘ということになる。この状態で『ゲーベン』が、果たして「優勢な敵」であるのか否か。
 しかし、それから30分もしないうちに、トルーブリッジは当初の決断を引っ込め、阻止行動を断念するよう決定を下している。いったい何があったのだろうか。

 もし、『ゲーベン』がアドリア海へ向かっていた当初の針路を維持していた場合、トルーブリッジの艦隊は夜明け前にこれを遮断する位置に達したはずであり、戦闘は黎明時に行われたことになる。
 『グロスター』のケリー艦長は、『ゲーベン』の変針を見たとき、まず「南方へ向かっている」とだけ報告している。これは直感的に彼らの行先を判断できなかったため、とりあえず見たままを報告したものである。

 次の報告では、『ゲーベン』の針路は107度とされた。これはまっすぐに駆逐艦隊の泊地へ向かっていることになり、自分たちの行動が筒抜けになっているというトルーブリッジの危惧を裏付ける形になった。この確定的な報告に基づいてトルーブリッジが針路を変えたとき、彼はまだ、午前4時頃に戦闘距離に入れると考えている。この段階では艦隊の士気は高く、『ゲーベン』は自分たちより大きな砲を持ち、より遠距離で射撃ができるものの、戦闘になることを望む雰囲気が強かった。

 しかしさらに、『ゲーベン』の針路が126度であると通知されたことから、彼らがマタパン岬へ向かっていることが推測され、トルーブリッジには『ゲーベン』の針路を遮断できないことが明白となった。『ディフェンス』の海図室では、艦隊が午前6時以前に『ゲーベン』に接近するのが不可能であること、後方からの接近になって、その進路を遮断できないこと、北西へ向かっていた1時間が致命的な遠回りになってしまったことが明らかになっている。
 彼らがどこへ向かおうとしているのか、合理的な推測のできなくなったトルーブリッジは、次のように述べている。
「エジプトへ向かうなどという考えられない針路について考慮すれば、これが我々をアドリア海からおびき出し、オーストリア艦隊との合流を目論む陽動である可能性は大きかった。これの遮断は、私が最も重要な任務として与えられたものであり、これについて考えないわけにはいかなかったのだ」

 一方でこのとき、8月5日にオーストリア艦隊が明らかでない目的地へ向けて出港したという報告があった。一足す一が二になると考えるのは、当然以下のものではない。
 この報告は6日23時20分にマルタで受信され、ただちにミルンとトルーブリッジに通知されている。ミルンがこれを受信したのは、7日0時24分のことで、だいたい同じ時刻に各艦も受信している。例外はトルーブリッジの『ディフェンス』で、彼がこの報告を読んだのは、すでに追跡を断念した4時42分のことだった。しかし、トルーブリッジは後の報告の中で、この通知を知った時刻について矛盾した記述を行っている。

 当初彼は、午前1時にこの通知を受け取ったとしており、『ゲーベン』の行動の謎が解けたように感じていた。この遠回りによって、『ゲーベン』はトルーブリッジたちと日中に遭遇できる状況を作り出しているのであり、トルーブリッジには大きな不安が感じられたと言っている。しかし、その後の著述では、通知を受け取った時刻は午前4時過ぎになっている。この矛盾は何を意味しているのだろうか。
 トルーブリッジの苦悩は大きくなった。ミルンが彼の指揮下に巡洋戦艦を配しようとしていたことからは、ミルンが『ゲーベン』を「優勢な敵」と考えているように解釈できたし、開けた海域で日中、20浬以上の視程の下では、これは当然と思われた。

 こうした状況下では、彼らはイギリス装甲巡洋艦の射程外から、大遠距離射撃で装甲巡洋艦を1隻ずつ潰していけるのであり、さらにオーストリア艦隊が応援に駆けつけたのでは、ミルンもフランス艦隊もが応援にたどりつけないうちに、トルーブリッジの戦隊はズタズタにされてしまうに違いない。
 スションは、遠回りすることでトルーブリッジの艦隊を移動させ、接触が日中になるように時間調整をし、さらにはオーストリア艦隊の到着を待つことで、オトラント海峡を容易に突破できると考えたのだろう。トルーブリッジには、そうとしか考えられなかった。

 彼の空想は、局外から冷静に眺めれば大きな根拠のないものなのだが、自分の命がかかっている身とすれば、あながち無理とまでは言えないところでもある。しかし、彼がイギリス海軍の有力な一艦隊を預かっている提督であるという立場を素直に考え合わせるならば、そこまで自分に不利な推測ばかりを積み上げるのは、少々妥当性を欠くとも言えるだろう。少なくともスションがこのとき、オトラント海峡にある敵戦力を正確に知っている理由はどこにもないのだ。

 こうした中、旗艦艦長のフォウセット・レイは2時45分に、トルーブリッジに対して重大な質問をしている。 「提督、あなたは戦闘を行うつもりなのですか? もしそうなら、戦隊はそのことを承知していなければなりません」  午前3時、トルーブリッジはミルンに宛てて、「我々は午前6時に、敵に接触する予定である」という信号を送ってから、旗艦艦長の問いに答えた。
「それが間違いであるかもしれないことは承知している。しかし、私には地中海艦隊に汚名を着せることはできないのだよ」

 このとき、『グロスター』を経由して、『ゲーベン』にいくらかなりとも損害を与えられるかもしれないと考えられていた『ダブリン』の戦隊について報告が入り、彼らが追跡していたのはどうやら『ブレスラウ』であって、『ゲーベン』が損傷を受ける可能性のなくなったことが報告された。
 さらに、トルーブリッジの水雷戦隊は燃料不足という絶対的な困難を抱えており、戦闘に耐えうるか否か、大きな疑問だった。艦長はいったん司令官の部屋を辞したが、彼が休憩室としていた操舵室で、30分ほどもこれらの情報について熟考を重ねている。

 午前3時30分、彼は隣にある、トルーブリッジが休憩室として使っていた海図室へ入った。明かりはついていなかったが、トルーブリッジは目を覚ましていた。
 後に二人は、このときの会話について矛盾した発言を行うが、ここまでの部分ではまだ一致している。この先、その発言したとされる内容は、微妙なものになっていく。
「提督、私には状況が芳しいものとは思えません」
「私もそう思うよ。で?」
 艦長はいくつかの事実を指摘した。

「第一に、『ダブリン』の襲撃は失敗しています。『ゲーベン』の速力は衰えていません。第二に、ミルン司令長官は通知されたように低速でマルタへ戻っておられます。おそらくは載炭の必要があるのでしょうが、理由は明示されておりません。彼の意図もまた、明らかではありません。第三に…」、彼はトルーブリッジの視線が自分のほうへ向くのを確かめてから、言葉を発した。
「提督、私には、あなたが如何に戦おうとなさっているのか、理解できないのです。『ゲーベン』には二つの選択肢があります。ひとつは視界ギリギリのところで我々の周りを回るように逃げることです。もうひとつは、やはり我々の周りを回るのですが、その距離は彼らの砲弾が届く16000ヤードです。我々の砲弾は届きません。私には、この戦闘は自殺に過ぎないように思われます」

 強い緊張を伴った情景が、あたかもスローモーションのように展開していた。2分、3分、いや、もっとずっと長かったのかもしれない。
「我々は、我々の射程に彼らを捉えることが可能だろうか?」、トルーブリッジが尋ねた。
「わかりません。航海長を呼びましょうか?」
「うむ。しかしな、我々は今、向きを変えるわけにはいかんのだよ。私の誇りが許さん」
 艦長はそのまま艦橋へ向かった。
「航海長、ちょっと来てくれ。我々は『ゲーベン』を射程に捉えなければならん。どういう針路を取るべきか、提督と相談してくれ」、艦長は航海長を提督の元へ行かせ、艦橋に残った。

 航海長は数分のうちに艦橋へ戻り、艦長に報告した。
「提督は針路を150度にするとおっしゃっておられます」
 艦長は提督の決心を変えさせなければならないと考えた。彼は海図室へ入って提督に話しかける。
「提督、あなたの誇りは、この状況とは関係していません。あなたが守るべきは我が国なのです」

 この後、実際にどういう発言があり、誰にどういう心理変化があったかは不明だが、トルーブリッジは翌朝の戦闘を放棄し、艦隊をオトラント海峡へ戻す決心をした。
 トルーブリッジが反転を決意してから、レイは彼に言っている。
「提督、あなたはあなたの生涯の中で、最も勇敢な決断をなさったと信じます」
 午前3時47分、第一巡洋艦戦隊は速力を落とした。彼らは敵から顔を背けようとしている。トルーブリッジは後に、レイがくどいほどに専門的な問題に言及し、たとえば砲弾の装甲貫徹能力のような数字を挙げ、そしてドイツ艦の砲術の優位さを説いたと言っている。その一方で、装甲巡洋艦戦隊の実力については、何も言わなかったとも。レイは、トルーブリッジの主張を嘘であると言い張り、この論争は水掛け論となって決着しなかった。

 レイは、技術的な助言はしたけれども、決定に関してはミルンに助言を求める時間があったし、彼自身はトルーブリッジが反転を決心したことに驚いたと言っている。その決断に、自分の発言が関係したとは考えていなかったと言う。
 トルーブリッジは午前4時5分、ミルンに向けて通知した。「我々には夜間に『ゲーベン』を射程に捉える望みがないゆえ、追跡を断念する。軽巡洋艦の報告によれば、『ゲーベン』は明らかに地中海東部へ向かっている」
 午前4時15分、艦隊が追跡を断念して実際に進路を変えるとき、艦長はトルーブリッジに、敵を追跡している『グロスター』支援のため、後を追うべきではないかと進言している。しかし、トルーブリッジは決断せず、これをミルンの手に委ねて責任を転嫁した。「それは司令長官が決めることだ」

★ひとつの想像として、旗艦艦長が上級士官である戦隊司令官に向かって、対等に近い戦力相手の戦闘を忌避するがごとき発言をすることが有り得るだろうか。それはひとつ間違えば自身の破滅を導きかねない発言であり、「何を馬鹿なことを言っているんだ! 我々は戦うためにここにいるんだぞ!」とでもやられれば、彼の将来はなくなってしまうだろう。いざというときに尻込みしたなどと報告されたら、それで終わりなのである。
 おそらく彼は、彼にとっての客観的事実を積み上げただけなのだろうが、それがトルーブリッジの心を動かしたにしても、いささか腑に落ちない部分はある。なぜ、トルーブリッジとレイは、自分たちに最も都合の悪い戦い方をのみ、想定しなければならないのだろうか。そうならないような戦術を知らないとでも言うのだろうか。

 スションはミルンの巡洋戦艦がどこにいるのかを知らないし、他の戦力についても確証はない。それゆえ、トルーブリッジの装甲巡洋艦との戦闘を直接の目的としない限り、基本的にこれとの戦闘を避けようとするはずである。目的がオトラント海峡の突破であるならば、立ち塞がる装甲巡洋艦を本気で排除するだろうが、東への脱出である場合、追ってくる自分より遅い敵に立ち向かって時間を費やす理由はない。
 また、こうした情勢では、数に勝るトルーブリッジの側に「周りを回られない」方法が存在する。すなわち、艦隊を分散し、『ゲーベン』を囲むように展開するのである。『ゲーベン』がいずれかに接近しようとすれば、狙われた艦は逃げ、他は距離を詰める。こうすれば、『ゲーベン』は任意の距離で戦うことができなくなる。分散した装甲巡洋艦に対して強引に接近戦を進めれば、戦果は得られても自艦の損傷はまぬかれず、時間の経過とともに位置の利益も失って、砲弾を半減させたところで巡洋戦艦に捕捉されかねない。

 おそらくは、装甲巡洋艦が主力艦隊の前衛であるかのように捜索横列を敷いて行動すれば、後方に何らかの戦力があると見たスションは、状況を確認する余裕もないから、安全確実に速力を上げて逃げるに違いない。
 これに対しては効果的な対応策がないけれども、少なくとも第一巡洋艦戦隊が「逃げた」とは言われないのであり、『ゲーベン』の燃料に大きな負担をかけることにもなる。20ノットでは『ゲーベン』に追いつけはしないだろうが、20ノットから逃げるためには、14ノットの巡航速力では足らないのだ。22ノットで逃げるのなら、1基のボイラーに、1時間ごとに1トンを越える石炭を投げ込まなければならず、ミルンが追いついたとき、これは有利に作用するだろう。追いつけなかったとしても、それはミルンの問題であって、トルーブリッジに責任はない。

 狼の群が熊を襲えば、前段のような展開になる。襲われたのが虎で、狼より足が速く、かつ狼を食べる意思がないのなら、虎は囲まれる前に狼を避けるだろう。狼の後ろにライオンの群が控えているのなら、逃げるのは当然でしかない。野生動物と書類に埋もれた人間の差が、歴然とここにある。

第9章終わり




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