ゲーベンが開きし門 第一部・第十章 The Goeben opens the gate : part 1 : chap.10 |
第10章・東へ
■"Two lone ships"より
翌日、8月7日の朝は、どんよりと灰色に明けていった。濃い群青色の暗い空は、朝の光の前に少しずつ青さを取り戻していく。それでも夜はまだ、海面で静かに横たわっている。ゆっくりと東の空が明るくなり、やがて巨大な火の玉が出現すると、海面を明るく照らし出した。空は晴れ、暖かだった。
イオニアの海は、日の光を無限に細かく切り分け、キラキラと輝く小さな光に変えている。平和だった時代とまったく変わることなく、『ゲーベン』は青い海原を切り分けて進んでいく。
なにごとだ!?
8時頃、静寂はけたたましい警報によって破られた。東の方角に煙が見え、やがてそれは軍艦の形になった。全艦が緊張していた。配置についた砲員は、発砲の命令を待ち受けて自分の位置に身じろぎもしない。しかしそれは、なんと『ブレスラウ』だった。
『ブレスラウ』との会同は予定されていたのだが、予期されていたのとはまったく別な方向から現れたので、『ゲーベン』はとんでもなく緊張させられたのだ。聞いてみると、『ブレスラウ』は敵の軽巡洋艦をまいた後、『ゲーベン』と連絡を取ろうとしたのだが、無線は使えず、予想した位置に見つからなかったので、大きく蛇行して探していたのだった。2隻は、うまく合流できたことを互いに喜び合う。
『ブレスラウ』が命じられた任務は困難なものであり、大きな危険を伴ってもいたのだ。今、艦隊は2隻に戻り、連携を保ちつつ進んでいる。しかし、喜びは長く続かなかった。
私たちを見失ったことで、オトラント海峡の艦隊は動くことができず、緊張したまま待ち呆けているはずだが、後方から別な煙の接近してくるのが発見された。その速力は速く、私たちの煙を見つけているのだろうことは明白だった。煙はどんどん大きくなってくる。
やがてそれは、昨日まいたはずの『グロスター』であることが確認された。
くそっ!
私たちは、またも英国艦の追跡を受けることになった。どうやって敵は、私たちの足跡を見つけたのだろう。うかつに投げ捨てられたゴミを見つけたのかもしれない。偶然に航跡の名残を横切ったのかもしれない。静かな海では、航跡はかなり長い時間、識別が可能であるそうだ。それともこれは、まったくの偶然だったかもしれない。理由がなんであれ、私たちにそれを詮索している時間はない。
イギリス艦はかなり速力を上げている。私たちは速力を落とし、彼女が不用意に近付きすぎてくれることを念じた。『ブレスラウ』は『ゲーベン』の後方、やや斜めにずれた位置に従っている。
突然、敵艦は発砲した。キラリと発砲閃光が光り、やがて砲声が海面を伝わってくる。追跡者はなぜか、戦闘を行おうとしている。しかし、射程は短く、砲弾は遠く外れた。『ブレスラウ』のはるか後方に、水柱がいくつも立ち上がった。
『ブレスラウ』もお返しに発砲し、斉射弾が敵の近くに落ちる。2隻の軽巡洋艦の間で、大遠距離の砲撃戦が行われている。双方がそれぞれを狙って発砲し、キラキラと敵の発砲閃光が見えると、『ブレスラウ』の砲撃の炎が力強く吐き出される。
『ゲーベン』は戦闘に介入するように、距離を詰めはじめたが、敵はすぐにそれを見て取り、戦闘をやめて距離を開いた。『ブレスラウ』に一発の敵弾が命中していたけれども、大きな被害ではなかった。速力も、戦闘力も損なわれていない。『ゲーベン』と『ブレスラウ』は再び速力を上げ、目指す目的地への針路を進みはじめる。
正午頃、ギリシャの山並みが見えてきた。私たちは三つの並んだ岬のうちで、最も南まで突き出しているマタパン岬の先をかわす角度に、針路を定めた。
すでにかなり気温は上昇している。遮るものない空から、強烈な日差しが降り注ぐ。空は晴れ渡り、乾燥していた。この季節、ギリシャの沿岸ではめったに雨は降らない。わずかな慰めもない午後の厳しい日差しが、海を燃え立たせているかのようだった。
そして古い友人である『グロスター』は、執拗に追跡を続けている。しかし、それはもう障害物では有り得なかった。私たちは戦いに巻き込まれてはならないのだ。そうして失うべきいかなる時間も、私たちにはなかった。軽巡洋艦は、追いついてくる主力艦隊に私たちを引き渡し、バラバラにさせるための時間を稼ごうとしているのに違いないのだから。
またもやスピード競争が始まる。ボイラーとタービンは、刺激的な取っ組み合いを始めた。またしても、手空き総員が石炭の運搬に駆り出される。確実な安全を求めて、私たちは自らのタービンが持つ、優れた力に頼らなければならない。
2時間、全員が煉獄の上に立っていた。どこまでもうっとうしく、いらいらさせられる仕事だ。炭塵は皮膚を突き刺し、鼻から吸い込まれて喉を詰まらせる。力いっぱいの仕事をする男たちの肺は限界まで酸素を取り入れる。その流れに乗った細かな石炭の粉は、喉に張り付き、痰を絡めて咳き込ませる。
コーヒーやレモネードがふんだんに用意されたけれども、まったく追いつかなかった。鼻を突き刺し、喉に張り付く炭塵ばかりではない。炭素の針は、目に入って涙を呼び、視界を遮ってしまう。
半裸の火夫たちは、滝のような汗を流しながら黙々と扉を開いては石炭を投げ込み、灰を掻き出す。炉床に適切に振り撒かれた石炭は、真っ赤に燃えて蒸気を作りだし続けた。ボイラーの輻射熱は、皮膚を焼き、髪を焦がす。石炭庫でも、休みない仕事が続いている。砲弾こそ飛び交わなかったが、戦いはまさにここで行われていたのだ。
どんどん大きくなっていくように感じられるうなりが、巨大なエネルギーの解放を表していた。加速に伴う振動はいつものことだった。空気を吸い込むファンの音は、耳を劈くような轟音となっていた。『ゲーベン』は持てる力のすべてをタービンに注ぎ込んでいる。このような状況では、ボイラー水管の消耗が進むのは避けられなかった。その材料も完璧なものばかりではない。火夫は危険なほどのやけどを負ったが、それは一人だけではなかった。
それでもまだ、英雄的行為が続けられる。いつなんどき、破裂した水管の蒸気が、開けた焚口から炎を逆流させるかもしれない。それでも、皆は仕事をやめようとはしなかった。結果的に、『ゲーベン』の伝説的な速力の代償として、4人の男が犠牲になった。
追い立てられる鹿のように、『ゲーベン』と『ブレスラウ』は静かな海を駆け抜けていった。私たちはエーゲ海の島々を目指し、マタパン岬からクレタ島へ向かうコースに乗っている。
突然、『グロスター』は追跡を断念した。彼らは、軽巡洋艦が水路の複雑な多島海で罠に落ちることを憂慮したのだろう。2隻の、圧倒的な戦闘力を持つ艦隊に続いて、島の間へ入っていくことはあまりにも危険なのだ。またしても私たちは、執拗な追跡者を追い払った。
『グロスター』はしだいに遅れ、やがて水平線の下に見えなくなる。無線信号が激しく交わされ、主力戦隊やマルタ島と連絡を取っているのは明らかだった。だが、『グロスター』は自分の冒険をやすやすとは報告できなかった。一切の通信は、『ゲーベン』と『ブレスラウ』の無線室からの激しい妨害にあったのだ。またもや妨害は私たちに勝利をもたらした。
まもなく『グロスター』は、通信を試みることをやめた。突破は達成されたのである。
●ドイツ海軍
8月7日朝、『ゲーベン』と合流した『ブレスラウ』は、ほどなく『グロスター』が2隻を追跡中であることを知った。再び『グロスター』の排除を命じられた『ブレスラウ』は、『ゲーベン』前方の位置から引き返し、『グロスター』と『ゲーベン』の間に挟まって、両艦の距離を増大させようとする。
『グロスター』への攻撃を意図する『ブレスラウ』だが、スション提督がギリシャの島々を利用して敵艦を罠に掛けようとする目論見を持っていたため、この時点での攻撃は許可されなかった。
2隻の軽巡洋艦の距離は、13000ないし15000メートルだったけれども、正午頃、敵巡洋艦は『ブレスラウ』に接近し、砲撃を始めた。射程は11000ないし13000メートルである。この遠距離では、軽巡洋艦の中口径砲では、まず命中は期待できない。
イギリス軽巡洋艦は、危険の多い多島海への進入前に『ブレスラウ』を痛撃し、足を止めようと考えたのだろう。『ゲーベン』は『ブレスラウ』を援護するために針路を変え、これを見たイギリス巡洋艦は西方へ離れた。これは明らかに、ドイツ艦隊を戦闘に誘致し、味方艦隊が追いついてくるまでの時間稼ぎをしようとしたものである。つまり、足を止めれば追いついてくる位置にまで、イギリス主力が接近してきていると考えられる。スションは針路を戻して速力を上げ、距離を拡大する道を選んだ。
大遠距離射撃であったにもかかわらず、『グロスター』の砲弾1発が『ブレスラウ』の艦尾に命中しており、わずかな損害はあったものの、運動力、攻撃力に影響はなかった。『グロスター』にも命中弾があったように観測されたが、イギリス側の記録には命中の事実がない。
13時47分に戦闘を中断して離れたイギリス軽巡洋艦は、再び東へ向かうドイツ艦隊を追跡してきたけれども、マタパン岬を回ってエーゲ海へ進入した16時37分、イギリス軽巡洋艦は針路を西へ戻し、追跡を断念した。おそらくは罠に陥ることを避けたのだろう。
ドイツ艦隊の前方にイギリス艦の存在情報はなく、その気配もなかった。イギリスの巡洋戦艦は、ついに『ゲーベン』に追いつけなかったのである。
この戦闘は、ヴェネチアからコンスタンチノープルへ向かっていて、たまたま近くを航行していたイタリアの客船『シチリア』によって目撃されており、戦闘を目の当たりにした乗客たちは、強い興奮の中に固唾を呑んで状況を見守っていた。
このときこの船には、アメリカの駐トルコ大使ヘンリー・モーゲンソーの娘が、彼女の夫や子供たちと共に乗っていて、コンスタンチノープルに到着してから父親に海戦の様子を話している。
「上甲板のテラスで昼食をいただいておりますと、水平線に奇妙な形をした2隻の船を見つけたのです。部屋へ戻って取ってきた双眼鏡を向けてみましたら、それは大きな2隻の軍艦でした。前のほうにいる軍艦は、見慣れない大きな塔を二つ備えていましたが、後ろの船は、普通の軍艦のように見えました。眺めていると、やがてさらに後ろのほうから別な軍艦が素晴らしい速さで走ってきて、前にいる軍艦に近付くと、ズドーンと大砲の音がいたしました」
「水柱があがって、こちらからも白い煙がパッ、パッと見えます。私には初め、何が起きているのかわからなかったのですが、すぐにこれは戦争をしているのだと気がつきました。軍艦の位置はどんどんと動いていきます。やがて前のほうにいた2隻が後ろのほうへ振り返って挑みかかると、後ろの軍艦は旋回して私たちの船に近付いてくるのです。これにはちょっと驚いたのですが、別に何事もなく、軍艦は私たちの客船の周りをぐるりと回ると、船長さんに信号でいろいろなことを尋ねていました」
「双眼鏡に見える水兵たちは、みな薄汚い風体で、なにやら嘲笑っているようにも見えました。そのうちに離れていくと姿は見えなくなったのです。後で船長さんに話を伺ったら、2隻のほうはドイツ軍艦で、地中海で捕まりそうだったのが、ついにイギリス海軍の手から抜け出そうとしているのだということでした。イギリス艦隊は地中海のいたるところで待ち伏せをしており、ドイツ艦隊はそれから逃れようとしているのだとおっしゃるのです。船長さんは、イギリス艦隊はいったいどこにいるのでしょうね、と、話しておられました」
彼女はさらにもう一度、同じことをドイツ大使のワンゲンハイムとオーストリアの大使にも話している。大使たちは、ドイツ艦隊が大きな損傷を被ることなく、追跡を逃れた様子であることを非常に喜んでいたという。
▲イギリス海軍
『インフレキシブル』の艦隊主計長ヘンリー・ホーニマンは、暗号と要員の管理に責任があった。7日早朝、重要通信が届いたという知らせがあり、ホーニマンは寝床から起き上がると、長官室の外のロビーに立った。そこには何人かの乗組員が、何があったのかを知ろうとして集まっていた。
「ここで何をしている! すぐに解散しろ!」
乗組員が散り散りになったすぐ後に、上の甲板にいたミルンが戻ってきて、ホーニマンに話しかけた。彼はそのときの様子を述べている。
「私たちは20年来の旧知の間柄です。話の種なら掃いて捨てるほどあります。司令官はこのとき、ご自分の決断になんら疑問を持ってはおられませんでした」
暗号文が手渡され、ホーニマンはそれを解読するよう命じられた。解読はただちに行われ、文面は直接ミルンに手渡されている。これは、トルーブリッジが『ゲーベン』追跡を断念し、針路を変えたという通知だった。これで彼らは逃走に成功し、イギリス艦隊は一指だに触れられなかったことになってしまう。
「私の提督に対する敬愛の情は、彼が通信文を読んだときの態度で、よりいっそう深められました。あの強烈な打撃は、彼を打ちのめして当然であったと思いますが、通信文を持ってキャビンへ戻る彼には、なんら不安の色は見えませんでした」
ミルンが『インフレキシブル』の艦橋に現れて通信を命じた時刻は5時15分、トルーブリッジの暗号電報が届いてから1時間10分後だった。この遅れの大部分は、通信文の暗号解読と、ミルンの発信文を暗号化するのに要したとされ、特別不当なものではない。しかしトルーブリッジは通信を行ってから10分後、返答が届く前に、艦隊をザンテ島へ向けていた。
もし、ミルンが彼の決定を不適切と判断し、追跡の継続を命じるのなら、それはおそらく「追跡を続行せよ」というような短い電文であっただろうし、それならば通信に時間はかからない。それが来ないのならば、追跡の断念は肯定的に受け取られていると考えたのだ。
トルーブリッジは、もし7時までに命令が与えられれば、我々は『ゲーベン』に手を届かせることが可能だっただろうと言っている。実際には、すでに再追撃には遅すぎ、イギリス艦隊は『ゲーベン』に戦いを強いる機会を失っていた。それでもミルンはなお、トルーブリッジに『グロスター』を支援させ、『ゲーベン』が確かに東へ向かっていることを確認して、それが西や北へ戻ろうとしていないことを確実にしようとすることはできた。
追いつけないまでも、追いつこうとする努力すら怠ったことは、トルーブリッジの評価を決定的なものにしている。それをさせなかったミルンの評価もまた、然りである。ミルンは午前6時13分に、コンスタンチノープル、アテネ、エジプトのイギリス領事に対し、「ドイツ巡洋艦艦隊は東へ向かっている。英国船舶に警報を発すべし」と通知したが、そこには差し迫った危機感のようなものは見出せない。
8時30分になって、ようやく『ディフェンス』で受信されたミルンからの通信は、「なぜ、『ゲーベン』追跡を継続しなかったのか。『ゲーベン』の速力は17ノットでしかなく、戦闘に引き込むことが重要だったのだ」というものだった。
ミルンはいまさらになって、トルーブリッジが『ゲーベン』を追わなかったと難詰しているが、自分もまた、最大限の努力で距離を詰めようとしてはいなかった。
それでも、このときの彼らの意識は、けっして追い詰められていたわけではない。追跡の前半部は確かに失敗だったけれども、いずれにせよ、『ゲーベン』はエーゲ海の島の間に隠れているだけなのだ。戦力を集中し、これを燻り出してしまえば、問題は解決する。
苦い夜が明け、それでもイギリス海軍の有能さの象徴とも言える『グロスター』は、偶然に助けられた艦長の推理によって『ゲーベン』の航跡を発見し、その煤煙を追って、ついに艦隊を視野に捉えていた。
その位置と針路、速力が明確になると、「射程に捉えられる望みがない」としたトルーブリッジの誤りが明白になる。彼は『ゲーベン』の速力を過大に見積もって「追いつけない」としたのであり、彼らの巡航速力よりは自分たちの全速力のほうが早いということを、どこかへ置き忘れてきていたのだ。
仮に追いつけなくても、せめて接近していれば、地中海艦隊としての選択肢は広がっただろうが、そこに居ない者には何を期待することもできない。その点で彼は、後にその行動を疑問視されることになるわけだが、ミルンにしても同じことであり、燃料の入手に四苦八苦している相手を、自らがたらふく食べるために立ち止まりながら追っていたのだから、およそ追跡というような行動でなかったのは大同小異だろう。
トルーブリッジからの追跡放棄通知を受けた17分後、ミルンは『グロスター』に警告を送っている。「捕捉されるな "Do not be captured"」
その『グロスター』のハワード・ケリー艦長は、ドイツ艦隊の行く先を確認する目的もあって、執拗に追跡を続けていた。
13時35分、『グロスター』は『ブレスラウ』まで11000ヤード (10000メートル) の大遠距離から6インチ砲で射撃を開始した。『ブレスラウ』の105ミリ砲では届かないと思っていたのだが、『ブレスラウ』の砲は仰角が大きく、最大射程では『グロスター』の6インチ砲を上回っている。
ケリーは、ここでドイツ艦隊を戦闘に巻き込み、いくらかなりとも足止めすることで、追ってきているはずの味方艦隊に引き渡そうとしたのである。しかし、『ゲーベン』が本気になった場合、彼が粉砕されるまでに現場へ到着できる位置には、誰もいなかったのだ。
『グロスター』、『ブレスラウ』とも、1万メートルという大遠距離と装備する砲を勘案すれば、賞賛に値する正確さで砲弾を放っており、命中弾はわずかに『ブレスラウ』に1発が当たっただけだったけれども、『グロスター』は30メートルとない距離に着弾した斉射弾の水しぶきを浴びている。『ブレスラウ』の損傷も大きなものではなく、重要部にはまったく損害がなかった。
このとき、『グロスター』の見張りは『ゲーベン』が発砲したと報告したものの、着弾は観測されていないし、『ゲーベン』に発砲の記録もない。また、魚雷を見たという者もあったが、これもまた発射された記録はなく、届くような距離でもなかった。おそらくは手前に着弾した砲弾が水中弾となり、泡の尾を引いているのを魚雷の航跡と見間違えたのだろう。
『グロスター』には本気で戦闘をする意思がなく、ドイツ艦隊にも『グロスター』を追って無駄にする時間がなかったから、13時47分、戦闘は短時間で終息した。『グロスター』はそのまま追跡を継続し、ドイツ艦隊も振り切ろうとはしていない。
マタパン岬を過ぎ、多島海へ入れば、ドイツ艦隊は島陰を利用してどんな策略を仕掛けてくるかわかったものではないし、事実スションはそうした計画を持っていた。
ケリーはミルンからマタパン岬を越えての追跡を禁じられており、さらに『グロスター』では、乗組員がこの24時間、戦闘配置に付いたままだったのと、石炭が欠乏しつつあって、これ以上の追跡が難しかったのも間違いない。
17時過ぎ、『グロスター』はドイツ艦隊の監視を諦めてコースを変え、巡洋戦艦に合同しようとする。称賛に値する執拗さにもかかわらず、『グロスター』はついに、有力な味方艦隊にドイツ艦を引き渡すことができなかった。
第10章終わり
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