ゲーベンが開きし門
第一部・第十一章
The Goeben opens the gate : part 1 : chap.11



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8月8日12時の位置



第11章・隠遁

■"Two lone ships"より
 私たちは今、ギリシャの群島の間に身を潜めている。猛烈な速度で争われたイギリス巡洋艦との競争の後で、私たちは静かに、穏やかな速力で進んでいる。
 身軽な『ブレスラウ』は、あるときは先行し、あるときは後ろへ回って、島陰に警戒の目を向けている。艦隊は群島の東南部分へ入った頃、日没を迎えた。敵の姿はなく、私たちはようやく気を緩めて休息することができる。午前4時の交代を予定して、片舷直が寝床へ向かった。

 素晴しく美しい8月の夜だった。空はどこまでも深い青で、天球いっぱいに振り撒かれた星々は、磨き上げられた海面の上を完全な半球に覆っている。月は静かに自らの道をたどり、銀色に輝いて、自己の存在を揺るぎだにさせていない。日中の耐え難い暑さは、今はすがすがしい涼しさに置き換えられている。
 艦隊は泡立つ船首波を引きながら、航海を続けている。艦内には何も問題はなく、見張りは暗闇を見詰めている。夜は穏やかで、何も起きなかった。

 やがて東の空が白み、一日の前触れが始まった。私たちは執拗な追跡者を振り切り、今のところ敵影を見ていないけれども、状況は十分に危険だった。私たちが、この島の間にいることを気付かれてはならないのだ。2隻は島の一つひとつに寄り添い、隠れるようにして進んでいた。
 できる限り船の多い航路には沿わず、無線局を持つ大きな島や、灯台には近付かないようにしていた。しかし、忍び歩きする2隻の船は奇妙な眺めであり、当然に人々の注意をひきつけ、私たちが望まないような好奇心の対象になってしまう。

 この隠れ場所の入口で私たちを見失ったイギリス人たちは、私たちが何をしようとしているのかを、どのように想像するだろうか。彼らは、私たちが黒海へ入ろうとしているとは考えているまい。しかし、私たちには他に行くべき目的地がない。
 『ゲーベン』と『ブレスラウ』が、中立国の港に逃げ込むことは極力避けなければならない。それゆえ、私たちはイギリス艦隊の目から逃れ続けなければならないのだ。私たちは、彼らがその瞬間、私たちが隠れ家から出てくる瞬間を待っているのではないかと想像していた。彼らは、私たちが永遠に隠れていられるわけではないことを知っている。それでも私たちには、ここに隠れていなければならない理由があった。

 私たちは、ピレエフスから送られてくるはずの石炭船を待っている。メッシナでの猛烈な載炭の間にも、予備処置としてさらなる石炭の手配が進められていたのだ。ピレエフスのエージェントが、石炭船の手配を命じられていた。石炭の補給は緊急の要件だった。メッシナを出てから、どれほどの量が燃されてしまったことか。『グロスター』との長い競争は、私たちの石炭を危険なほどに減らしてしまっていた。
 それでも、通常のように港へ入って補給するわけにはいかなかった。イギリス艦隊はすぐにその知らせを受けるだろうし、彼らは圧倒的に優勢な戦力を差し向け、港の外に陣取って、出てくる私たちをやすやすと捕まえるに違いない。

 残された手段は、確かに異常な方法なのだが、エージェントが中立国ギリシャから送り出した石炭船と落ち合い、海の真っ只中で積み替えを行うことだった。他に手段はない。私たちは敵の取り囲む中にいて、私たち自身をしか頼ることのできない、祖国を遠く離れた存在なのだ。
 日が高くなるにつれ、海上には霧が立ち込めはじめた。視界は急激に小さくなる。見張りから煙が見えると報告があった。ただちに警報が鳴り響き、全乗組員は戦闘配置へと急いだ。イギリス艦隊が追いついてきたのだろうか。
 やがて煙は大きくなり、その下には典型的な貨物船の姿が見えてきた。それこそが、ピレエフスから送られてきた、待ち望んだ石炭船だった。

 よかった!
 次の問題は、船を並べて、邪魔をされずに載炭ができるような、人気のない、安全な泊地を探すことだった。その一方で私たちは、旧友『ゲネラル』に通信を送り、新たな、そして重要な依頼を行った。『ゲネラル』はティラ島近辺まで進んでおり、私たちの予備給炭船として待機しているのだ。もし、ピレエフスからの石炭船と出会えなければ、『ゲネラル』が持っている石炭だけが、私たちの命を繋ぐのである。しかし、これはとりあえず必要がなくなった。
 そこで、『ゲネラル』はスミルナへ向かい、コンスタンチノープルとの直接通信距離に入って、私たちが海峡を通過する許可を得るように命じられたのである。私たち自身が、そんな大出力での交信を行うわけにはいかなかったのだ。そんなことをすれば、敵を呼び寄せるだけなのだから。

 私たちが直接トルコの無線局と通信を行うことなど、問題外だった。この遠距離では、世界中から敵を呼び集めるような、ものすごい大出力での発信をしなければならないのだから、そんな無神経な行動を取ったら、それこそ破滅に一直線である。(前文と重複しているが、原文でもそのような記述がなされている)
 やがて、『ゲネラル』がコンスタンチノープルと連絡を取ろうとしている無線が、『ゲーベン』でも傍受された。こうして私たちは、自らを不当な危険に追い込むことなく、状況の変化を知ることができたのである。

 『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、後方に石炭船を従えてたくさんの島の間を慎重に進みながら、安全な隠れ場所を捜し求めた。見張り所はまったく息を抜く余裕もなかった。望遠鏡が水平線に見えるものを何ひとつ見逃さないよう、ゆっくりと回されていた。敵艦も、煙すらも見えない。
 やがて、孤立した島が、穏やかに光り輝く波間の向こうから見えてきた。デヌサ島だった。大きな島ではなかったけれども、高い山を持ち、崖に囲まれた人気のない入江が、その島にはあった。私たちの奇妙な艦隊は、その湾の中へと進んでいく。
 ゆっくりと湾へ入っていった『ゲーベン』は、慎重に向きを変え、湾口に側面を向けて不意討ちに備える。石炭船がその背後に隠れ、『ブレスラウ』がさらに石炭船を挟んで繋がれた。

 艦は載炭のために準備され、小さな島の静寂を破る、奇妙な活動が始まった。国籍を示す旗は、どこにも見られなかった。偶然を装って、艦尾の艦名板には載炭用の保護シートが被せられている。私たちはまるで、秘密の隠れ家で奪い取った財宝を分け合っている、悪名高い海賊のようだった。
 ほんのわずかな漁師だけが、この島に住んでいた。無線局も灯台もなく、そのことは彼らが私たちの存在を通報する危険を取り去っていた。さらなる用心として、私たちは蒸気艇を下ろし、私服に着替えてリュックサックを担ぎ、登山杖で武装したパーティを上陸させている。この登山者は、クソ暑い真夏に照りつける太陽を無視して、険しい山をよじ登り、高みへ登って周囲の見張りにあたる者たちだった。

 彼らは主に信号班員で、山の頂へたどりついた彼らと『ゲーベン』は、自由に手旗通信ができるようになった。登山者は4時間ごとに交代させられる。
 登山パーティを乗せた蒸気艇の乗組員は、イギリス風のセーラー服を着て、帽子に英語が書かれたリボンをつけていた。彼らはそれを、これまでに出会ったイギリス艦の乗組員と交換したりしていたのだ。こんなつまらない土産物が、今は重要な役割を果たしていた。
 山の上から鋭い目が水平線を眺め渡しているのと同時に、『ゲーベン』の無線室はイギリス軍の通信に聞き耳を立てている。こうした準備の下で、載炭が始まった。

 今回、私たちはメッシナで行ったような、猛烈な勢いでは作業をしなかった。乗組員は疲れており、休養を必要としている。この数日間の緊張と労苦は、それほどに凄まじいものだったのだ。
 メッシナを離れるとき、私たちはすでに疲労の極致にあった。そして追跡者を振り切るとき、炭庫とボイラーでは、18時間の重労働が連続したのである。私たちはまだ、その消耗から回復していなかった。
 今、一方では載炭が行われながら、私たちは交代で休養を取った。イギリス軍は私たちを探し続けているだろうが、ここは十分に用心された、とりあえず安全な場所である。この上なく静かで、平和でしかない風景は、私たちの心に大きな効果をもたらした。ささくれた神経は癒され、平穏を取り戻していく。

 それでも、石炭を積み込むことの重要性はひとつも減っていない。いったい誰に、私たちが次にどこで石炭にありつけるかを保証できるだろうか。しかし、作業のピッチは低いままで、載炭は静かに行われた。誰もが、この安穏な状況を楽しむ必要があったのだ。
 次の日にどんな出来事が待っているか、誰にも予言できなかった。重要なことは、フレッシュな活力をみなぎらせておくことなのだ。この理想的な状況の中で唯ひとつの問題は、石炭船がその用途としてはおよそ理想から懸け離れていたことだった。メッシナでも同じ苦労を味わったが、構造が適していない船からの積み替えは非常な難事なのである。それでも、今は石炭が手に入ったことを喜ぶべきだった。

 まもなく日が暮れてきた。しかし私たちは、夜を通して交代で働き続けた。どこから見えてしまうかもわからないから、強い光源を用いるわけにいかず、ほんのわずかなランプやろうそくの光の下で、載炭は続けられた。奇妙に揺らめく男たちの影。これはもちろん、作業効率には良いことがなかったが、やがて青白い月が昇ると、状況は大きく改善された。
 深夜、『ゲネラル』がコンスタンチノープルと連絡を取っているのが傍受された。また、ときおり聞こえてくる敵のものと思われる通信では、その発信強度が慎重に計測された。しかし、この人知れぬ小さな島影で行われていることは、誰にも知られていないようだった。

 夜の天気は翌日の好天を約束しており、その通りに暖かな夜が明けた。太陽は高く昇り、遮るもののない熱線を浴びせかけ、茶色の島からの照り返しも耐え難いほどだった。
 8月9日正午、積み込まれた石炭はまだ十分な量ではなかったが、作業は続いており、炭庫は着実に満たされつつあった。なんの外乱もなく、私たちは働き続けた。山の頂へ登った「登山者」は、まだ煙ひとつ見つけていなかった。無線室でも、近距離からの警戒すべき発信はキャッチされていない。
 敵は孤立している私たちに、奇妙に近付かないようにしているようだった。なぜかを考える理由はない。私たちは与えられた時間を有効に使うだけだ。一日はあっという間に過ぎ去った。私たちは穏やかに夕食をとり、この島での二度目の夜が、隠れている私たちを覆っていく。

 それでも私たちは、前夜と同じように乏しい光の下で作業を続ける。その結果は着実に積み重なっていく。夜は果てしがないように思えた。
 下界の私たちとは無関係に、満天の星は空を横切り、それぞれの定めに従って動いていく。やがて東の空が白んできた。黒い空に混じった白髪が増えていく。青ざめた、陰気な夜は消え、夜明けがすべてを描き替えていく。
 やがて『ゲーベン』の無線室は、イギリス軍艦のものと思われる、うるさい通信を捉えた。敵の艦隊は近付きつつある。




collier at Denusa

デヌサ島で会同した石炭船



●ドイツ海軍
 日没を間近にしてイギリス艦隊の追跡を振り切ったスション提督は、次の問題である石炭の入手に取り掛かった。すでにピレエフスに手配された石炭船が港を出ているはずだったが、気楽に無線を使うことも、人の多い港湾を利用することもできないドイツ艦隊は、自ら石炭船を探し、載炭のできる場所を見つけなければならなかった。
 マレア岬を通過したところでドイツ艦隊は分離し、キクラデス諸島の北側を回った『ゲーベン』は、ヒオス島の南方海上で8月8日の夜明けを迎える。『ゲーベン』はここで北上をやめ、日中一杯を東西に低速で行き来するだけだった。これは、石炭船とのランデブーに向かった『ブレスラウ』からの連絡を待ちながら、イギリス艦隊が接近してきた場合に備えたものであり、いざとなれば燃料の枯渇を覚悟の上で、ダーダネルスを強行突破するつもりだったようだ。

 一方の『ブレスラウ』は、ミロス島からサントリーニ島、クレタ島の北方海域をジグザグに進んで、石炭船を探していた。やがて8日20時、『ブレスラウ』は石炭船を発見し、これに予備士官ヒルデブラントを派遣すると、報告のために一足早く会合点であるデヌサ島 Denusa へ向かう。この最中に近くを通りかかったフランス客船があったものの、ギリシャ領海内であることと、時間を無駄にできないために、臨検は行われなかった。
 8月9日5時32分、夜明けと共に『ゲーベン』はデヌサ島の東側にある湾内に投錨した。続いて8時44分、『ブレスラウ』も錨を下ろす。両艦は蒸気を維持したまま、島の山頂に見張りを上げ、イギリス艦隊の奇襲に備えた。

 15時45分、ようやく石炭船が到着すると、『ゲーベン』に横付けする。『ブレスラウ』も石炭船の反対側に接舷し、石炭を積みはじめた。石炭船の構造から効率はよくなかったけれども、翌10日夜明けまでに、『ゲーベン』は415トン、『ブレスラウ』は150トンを積み取っている。
 艦隊はコンスタンチノープルと直接連絡ができず、客船『ゲネラル』をスミルナへ送って、トルコ政府との交渉にあたらせていた。『ゲネラル』は9日朝にはスミルナへ到着しており、ここの領事に協力を得て、通信文をコンスタンチノープルへ送っている。

「発『ゲーベン』・スション海軍少将、宛『ローレライ』・海軍後方勤務部。敵を黒海で攻撃することは軍事上絶対に必要な事柄である。ただちにトルコ政府の許可を取り、必要であれば形式的な認許なしでも、本職が海峡を通過し得るよう、極力取り計らうべし。8月7日正午の艦位はマタパン岬。ただちに無線連絡を開通せよ」
 8月10日5時45分、未だトルコ政府の通航許可にも、ドイツ本国からのダーダネルス進入許可にも接しないまま、『ゲーベン』と『ブレスラウ』はデヌサ島を抜錨し、18ノットでダーダネルスを目指す。




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8月10日0時の位置



▲イギリス海軍
 7日、『インデファティガブル』は午前11時、『インフレキシブル』が12時10分、『インドミタブル』は13時44分にマルタへ到着した。彼は載炭が終わりしだい、ドイツ艦隊の捜索を開始すると海軍省へ通知しているが、この報告は海軍省にとって、スションがすでに見失われているという最初の報告であり、ロンドンでは翌日の午前6時52分になって、ようやく受け取られた。
 午後いっぱいを載炭に費やした3隻の巡洋戦艦は、マルタを発って『ゲーベン』の後を追う。このときすでに『グロスター』は追跡を断念しており、ドイツ艦隊はエーゲ海あたりにいるとしかわからなくなっていた。彼らがそのまま東の、クレタ、キプロス、シリア、エジプトへ向かったのか、エーゲ海を抜けてトルコへ向かったのか、はたまた多島海に身を潜めているのか、手掛かりは少ない。

 7日から8日にかけての夜、イギリス海軍省には断片的な情報が入るだけで、作戦本部は状況を組み立てるのに躍起となっていたものの、ミルンやトルーブリッジの行動がどういう情報の下に、いかなる意図で行われているのか、細切れの情報からは支離滅裂に見え、ほとんど把握できない状態だった。受け取る電報ごとに艦隊の針路は異なり、位置はメチャクチャだったのだ。このとき、イギリス海軍省は敵艦隊を見失っていたのだが、実質、味方艦隊をも見失っていたのである。

 原因の大半は、洋上との無線通信の未達、遅達、欠落であり、直接受信できないために暗号電報の転送が繰り返されれば、避けられない問題ではある。
 このため海軍省では、現場のミルン提督が、最善を尽くしているはずだと信じるしかなかった。それゆえこのときの海軍省はミルンに対し、なんら指示を出していない。焦燥感はあるものの、ドイツ艦隊が袋小路の中にいるという認識に変わりはないから危機感は小さく、特にどこを警戒しなければならないとも指示できない、漠然とした追跡が行われている状態である。

 現場のミルン提督にも急速な追撃を行う意思がなく、なおスションの意図を読み取ろうと試みていた。様々な情報は、ドイツ艦隊がエーゲ海にあって石炭を入手しようとしていることを示していたけれども、それは彼らが確たる行き先を持っていないからとも受け取れたため、彼にしてみれば慌てる理由がなかったのだ。
 マルタでも、ビゼルタで良質な石炭を十分に積み込んでいた『インドミタブル』には給炭の必要がなかったから、他の2隻が載炭を終えるまで、ただ待たされているだけだった。実際に給炭が必要だったのは『インデファティガブル』だけであり、他の2隻が先行することも可能だったのである。こうしてみるとミルンは、追跡者が獲物との距離を詰めておくことの重要性を認識していないかのようだ。

 こうした消極性の原因としては、それまでに艦隊に対して行われた海軍省からの容喙があまりに煩雑で変更を繰り返していたため、現場指揮官が自身での判断をやめてしまい、命令に対して受身になってしまったことが考えられる。
 一度そうした心理状態になってしまえば、指示がなくなっても人は自ら考えなくなっているから、前動を続行して、次の瞬間に来るかもしれない指示を待つだけになってしまうものなのだ。

 7日の深夜、ミルンはトルーブリッジに対し、3隻の巡洋戦艦と軽巡洋艦『ウェイマス』が、サピエンザの灯台 (ペロポネソス半島の南西端) へ向かって14ノットで進行中であることを通知した。
 かなり疑問は大きかったものの、この段階でも海軍省やミルンは、ドイツ艦隊が最終的にはアドリア海へ戻るものと考えており、それに備えた態勢を維持しようとしていた。ミルンは巡洋戦艦の全戦力をもってドイツ艦狩りを行おうとするが、ここでとんでもない邪魔が入る。

 8日の午前11時過ぎ、イギリス海軍省では一事務官が仕事の手を休め、昼食を何にしようかと考えていた。彼はいくつかの有り得べき状況に備え、電報の草案を作っておき、通知がありしだいただちに発信できるよう準備をしていたのだ。さて昼食にしようかというそのとき、彼は作ったばかりの仮電文を机の上に出しっ放しで出掛けてしまったのである。彼と交代した担当は、書式の整ったこれを発信されるべきものと誤解し、電信部へ回してしまったのだ。その内容は、イギリスがオーストリアと戦争状態に入ったというもので、敵対行動の開始を命じていた。
 仮電文を作成した事務官が席へ戻ったとき、どれほど慌てたかは想像に難くない。

 しかし、電報は海軍省電371号として正午 (おそらく標準時、地中海の現地時間では13時) に発信されてしまい、13時58分に『インフレキシブル』で受信され、6分後にはミルンの手に渡った。すでに彼は、イタリアとオーストリアが戦争を始めたという、やはり誤ったニュースを受け取っていたから、この通知を疑う理由はなく、彼に与えられた任務の中の優先事項、オーストリア艦隊の出動に備えるという文言が、すべてを支配することになる。
 トルーブリッジも、この通信を14時過ぎに受け取っている。彼はその直前に発見したと知らされていたオーストリアの駆逐艦を攻撃するべく、艦隊に北西へ向かうよう視覚信号で命令した。『ゲーベン』追跡にかかっていた艦隊は、一斉にきびすを返して西へ戻ったのである。

 ミルンは、オトラント海峡を監視する巡洋艦戦隊、水雷戦隊を援護するため、また自艦隊がマルタから切り離されないために、ただちに第一巡洋艦戦隊と『グロスター』、水雷戦隊に自隊との合流を命じた。『ダブリン』と『ウェイマス』にはアドリア海入口の監視を命じている。
 海軍省における失敗は、およそ1時間45分後に判明し、「オーストリアへの敵対行動開始は誤りであり、命令は取り消された。緊急に受信を確認せよ」という海軍省372号電報が発信された。この電報がミルンの手に渡ったのは15時50分である。

「提督、海軍省からの緊急通信であります。戦争はキャンセルされた、です」
「なんだと? どういうことだ。通信文を見せろ」
 その通信文はいかにも異常だった。
「暗号方式は?」
「一般暗号であります」
「おかしいな。これほどの大事なら、重要通信用暗号が用いられるはずだが…」

 ミルンは戸惑った。オーストリアとの戦争勃発が取り消されたのか、この通信そのものが誤りであるのか、判断は困難を極める。ミルンはこれに対し、「海軍省372号電報は、オーストリアへの敵対行動を開始せよという命令の取り消しと受け取ってよいのか?」という、「電報407号」を返信している。
 海軍省はこれに対して17時35分、「貴電報407号への返答、肯定」の返信を送った。これがミルンに受け取られたのは、25分を経過した18時のことである。

 海軍省は躍起となって、オーストリアとの戦争勃発情報を打ち消したが、状況はかなり危険なものだった。誰かが早まって発砲すれば、戦争が本物になってしまう可能性がある。ミルンは、この訂正電報が本物であるかどうかに疑いを持っており、もし偽物であった場合、それは当然にオーストリア艦隊による奇襲攻撃に繋がるから、とりあえずの安全策として艦隊の集合を急ぐ方針を変更していない。トルーブリッジには、石炭の欠乏している駆逐艦を曳航する準備について予告している。

 ミルンはオーストリアとの戦争状態不在の確認電報を受け取る前の17時20分、電報409号で、「海軍省371号電報による状況に基づき、我々はエーゲ海への『ゲーベン』の追跡を中止している」と発信した。これらの一連の処置によって、ドイツ艦隊はまったく監視なしに放置されることになってしまう。
 どうやらオーストリアとの戦争勃発が誤りであるとはっきりしてくると、艦隊内では戦闘の可能性から切り離され、右往左往するだけの状況に失望が募り、上層部への不信という形で士気の低下が見られた。

 これらの通信は、その発信時刻、受信時刻がどの地方時間で記録されているかが異なり、また再放送、転送などが繰り返されたから、受信がどの発信を捉えたかも様々であって、さらには受信時刻と暗号を解読した通信文書が手渡された時刻などの状況の違いが錯綜するため、正確な時系列的状況の再現が困難である。特定の電報がどういう順序で通知されたかによっては、状況が180度ひっくり返ることもあるのだ。そうした状況はここでも発生している。
 これらのやりとりとは別に、誤情報に狼狽した海軍省は複数の電報を送っていたのだ。16時10分には、「海軍省373号・オーストリアとの関係は危機的状況にある」との警告が送られていたものの、戦争が始まってはいないことを確認できるこの電報は19時少し前まで、ミルンに伝わっていなかった。

 ミルンがキャンセルの電報を確認しようとした通信自体は、なんら問題のない、当然とも言える行為である。これほどの重大事について、まったく裏腹な電文が並べば、確認を取ろうとするのはあたりまえだろう。しかし、戦争状態にないという確認の後で受け取られた「危機的状況である」という電文は、「危機的状況ではあるが、戦争は始まっていない」ではなく、「戦争は始まっていないけれども、(すぐにそうなるかもしれない) 危機的状況である」とも受け止められる。

 さらなる失敗は海軍省側にあった。彼らは誤った電報371号でミルンが『ゲーベン』の追跡を止めていても、続いた取り消し電372号で、ただちに追跡を再開していると期待していた。彼らはミルンが発した409号電報「我々は『ゲーベン』を追跡していない」が、最終的な、オーストリアとの戦争状態がないことの確認以前に発信されたものと考えていたから、それが確認されたからには、ミルンは当然『ゲーベン』の追跡に戻り、エーゲ海へ向かっていると思い込んだのだ。
 18時15分、海軍省にフランス艦隊の現在位置が通知され、彼らが『ゲーベン』を追っていないことが明らかになったとき、「ミルンとトルーブリッジはどこにいるんだ?」という質問が発せられた。このときにそれぞれの現在位置が問われていれば、彼らが『ゲーベン』を追っていないことは明白だっただろう。

 結局、ミルンの位置を海軍省が把握したのは、なんと9日12時50分であり、彼らはギリシャ沿岸のザンテ島に近いところにいたのである。作戦部のレヴィスン提督はミルンに対し、オーストリアとの戦争に備える必要はないこと、『ゲーベン』が7日早朝にはマタパン岬を北東針路で通過していることと、ただちにこれを追跡するべきであることを通知した。
 9日午後になって、『ゲーベン』がエーゲ海にいるという情報が殺到しはじめる。実際にこのときドイツ艦隊は、デヌサ島で載炭作業の真っ最中だったのだ。もし、イギリス艦隊がこれほどまでに無駄な回り道をしていなければ、彼らはもっとずっと『ゲーベン』の近くにいたはずであり、次の行動への選択肢が広がっていただろう。しかし、現実にはまだ艦隊はイオニア海にいるのであって、彼らがマタパン岬を通過したのは8月9日深夜、『グロスター』が追跡を断念してから、なんと56時間後だったのである。

 載炭して十分な行動力を確保したドイツ艦隊が、エーゲ海からどちらへ向かうかについては、なんら手掛かりはなかった。彼らはアレクサンドリアへ向かうかもしれず、引き返してアドリア海へ入ろうとするかもしれない。それならば巡洋戦艦隊は、エーゲ海の南西側から簡単には移動できない。自分たちのほうが遅いという意識は、どこまでも彼らの足を引っ張ったのだ。
 これほどの情報戦での失敗は、おそらく戦史にも稀な事例であろう。情報の質と量は、英独どちらにもそう大きな違いがあったようには思われない。ほんのわずかなボタンの掛け違いが、指揮官の判断の適否を呼び、『ゲーベン』の生存を許してしまった。そして、小さくはないにしてもそれほどの重大事とは見えなかったこの結果が、この後に巨大なツケとなって回ってくるとは、このときにはまだ誰にも、想像もできなかったのである。

第11章終わり




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