ゲーベンが開きし門
第二部・第三章
The Goeben opens the gate : part 2 : chap.3



Sultan's palace

トルコ皇帝の別荘



●第3章・セヴァストポリの地獄

「全ボイラーに汽醸せよ!」
「黒海への出撃に準備せよ!」
 命令は10月28日に受け取られた。本当に、ロシアとの戦争が始まるのか? ついに「待機」は終わりを告げるのだろうか?

 『ゲーベン』と『ブレスラウ』がダーダネルスに錨を下ろしてから、すでに二カ月を越える日々が過ぎ去っている。その間、様々な難しい仕事がひっきりなしに命じられていたけれども、黒海での戦いを望む声には、常に「待て」の返答しか与えられなかったのだ。
 私たちは少なからず困惑していた。今、いやが上にも緊張は高まっている。私たちにははっきりと、なにか新しい事態が進んでいると実感できた。艦は航海への準備をすべて整えている。
 午後になって、続いての命令が下された。

 停泊地で長く水中にあった錨は、力強く引き上げられていく。タービンが回りはじめる。低く、リズミカルな振動が、艦全体に伝わっていく。『ゲーベン』は動きだし、ボスポラス海峡へ向かってゆっくりと進んでいった。
 海峡の流れに逆らいつつ、私たちは黒海を目指して着実に進んでいく。コンスタンチノープルの数えきれないほどの家々の屋根が、まだ熱の残った夕方の日差しを浴び、キラキラと輝いている。丘の上にそびえる王宮、裾を広げるかのように敷き詰められた街並みは、光り輝くパノラマを思わせる。

 太陽はやがて、スタンブールの空に突き刺さる無数の尖塔の背後へと沈んでいった。スクタリと呼ばれるアジア側の海岸では永遠の都市が後方に去り、丘の上にあるサルタンの宮殿の屋根だけが見えている。低くなった太陽の光が、その白く丸い屋根に反射し、そこだけが夕暮れの中に浮かび上がっていた。優雅にカーブする海峡は、ヨーロッパとアジアを明確に区切っている。

 暗い緑色の糸杉の林と、プラタナスの明るい葉の色が見事なコントラストをなし、海峡の両側を鎖のように連なって塗り分けている。無数の宮殿と別荘が斜面に点在し、古代の城が無人の公園を思わせるかのように静まりかえっている。長い年月に風化して色あせた城壁の石積みが、木々の間から覗き見られた。
 ところどころに小さな村があり、畑や果樹園に取り囲まれている。描かれたごとくに美しく曲がりくねった小川は、単調な風景に鮮やかなアクセントを与えている。

 やがて私たちは、ヨーロッパ側にある、すでに荒れ果てた残骸でしかないルメリ・ヒッサーの、かつては堅固だった城跡を過ぎ、アジア側のアナドリ・ヒッサーの城を越えた。そこには石造りの塔があり、それは丘の上からあたりを睥睨するかのように、すっくと立ちあがっていた。素晴らしいパノラマが次々に開けていく。大使の夏の別荘である、テラピアの建物も輝くようだ。反対側にはベイコスの工場があり、皮をなめす薬品の匂いが漂っている。
 徐々に海峡は広がっていく。右手には砲台があり、左手にも同じものが見られた。さらにいくつもの砲台が姿を現し、ここがいにしえの昔から外敵の狙う重要な土地であったことを示している。

 私たちはついに、ボスポラスの要塞を通過した。砲台は斜面に目立たないよう巧みに配置され、高い歩塁によって隠され、保護されている。建物には手入れが行き届いているように見えた。
 その先で、水路は大きく開けている。

 私たちは海峡の入り口にある、二つの灯台を結ぶ線を通過した。そして私たちの目の前には、無限とも思える海の広がりがあった。
 これこそが黒海である。
 夕暮れは、空を燃えるような黄金色で染め上げている。海面にもその色が映り、私たちは新しい世界の展望に、しばし心を奪われるのだった。沈んでいく太陽の光の中で、途方もなく大きく、静かでかつ壮麗な光景は、私たちの心に圧倒的な印象を残したのである。

 駆逐艦が掃海具を曳きながら、私たちの行く手を先航し、機雷の危険を排除していく。私たちは用心深く、ゆっくりと安全な航路を進んでいく。ロシア人が我々の不意を討とうとして、何を考えたかわかるわけもない。どんな罠が仕掛けられているか、誰にも知る術はないのだ。
 やがて私たちは夜のとばりに包まれ、蒸気を上げて自由な海面へと進んでいった。『ブレスラウ』と『ハミディエ』が、すぐ後ろへ続いている。新生トルコ艦隊は今、出動したのだ。

 その目的地はどこか? 何をするために、その場所へ向かっているのか? 私たちは黒海へ出たというだけで、マルマラ海と同じように、ただそこにいるだけなのか? それとも、重大な状況へ突入していくのだろうか? 私たちは、戦いの場の中へ戻っていこうとしているのか?
 まずひとつのことが始まり、次の出来事がそれに続き、そして結果が訪れる。そのすべてが期待されていた。そして、最後に現実となる。

 トルコはすでに、悪賢いロシアがボスポラス海峡の前面に機雷を沈めようとしていたことを知り、いかに対処すべきかを決定していた。
 とてつもなく大きな攻撃計画が練られていた。強力な敵艦隊の意表を突き、強烈な一撃が加えられようとしている。企みはすでに、私たちの司令官に任され、複数のロシアの港を同時に攻撃することになっていた。
 『ゲーベン』はセヴァストポリへ向かう。『ブレスラウ』はノヴォロシスクを、『ハミディエ』はオデッサを攻撃する手はずになっていた。攻撃は翌朝7時に、各地で同時に開始されるはずだった。

 夜になってスション提督は前進全速を命じ、各艦はそれぞれの目的地へ向かって航路を分かつ。私たちは黒海での最初の夜を迎えた。
 艦内外すべての照明は注意深く覆われ、まったく光を漏らさないようにして、『ゲーベン』は夜の闇の中を突き進んでいく。見張りはすべての方角に目を凝らし、なにかが見えてこないかと待ち構えている。二つのマストトップ、艦橋のウイング、ブルワークや船首楼のあちこちで、鋭い目は何物も見逃すまいと、周囲を警戒している。艦内では戦いの準備が整えられ、艦は滑るように進んでいく。

 その内側では1000もの命が鼓動し、様々に神秘的な人生を、この瞬間に重ね合わせている。何物も、彼らを裏切ることはない。
 単調なリズムにのって、艦首が切り分ける波の音だけが、静寂を破るものだった。わずかに、先航する2隻の駆逐艦の航跡だけが、前方で見分けられる変化だった。
 もちろん、私たちの中には不安もあった。不可思議な感情は抑えようもない。時間は果てしなく続くようだった。

 私たちはセヴァストポリへ向かっている。それが何を意味するのかは周知だった。それは非常に重大な問題であり、真剣にならざるを得なかったのだ。セヴァストポリ、そこはロシアの海軍基地であり、世界中で最も強力な防御を持つ場所のひとつである。
 その名にはどこか、威嚇を感じさせるような不思議な響きがあり、とてつもなく強力で、傷つけることさえできないような、非現実的な何かが存在するような雰囲気があった。はるか昔から、多くの船がその鋼と鉄に挑み、戦ってきた歴史がある。

 最も近いところでは、それは1854年のクリミア戦争の最中に起こり、イギリス、フランス、トルコとサルディニアの艦隊がこれに挑んでいる。艦隊すべてが、この要塞を撃ち壊そうと襲いかかったのだ。
 しかしセヴァストポリは、700もの口を開いて炎を吐き出し、攻撃者の頭上に鉄と火薬の雨を降り注いで、死と破壊をもたらしたのである。艦隊の攻撃はすべて虚しく終わった。

 そして今、私たちは『ゲーベン』ただ1隻である!
 かつて誰も、このように大胆な企てをした者はない。私たちは深夜、セヴァストポリの煉獄の中へと飛び込んでいこうというのだ。なんという無謀な企てであることか。地獄はその口を開き、私たちを呑み込むかもしれない。
 夜はゆっくりと通り過ぎていく。

 午前6時、私たちはいよいよクリミア半島の海岸に近付いている。突然、光の切っ先が暗闇を突き通した。さらにもう一度。二つの灯台の光が、闇を探っているのだ。
 白い光の剣が、真っ黒な空を撫でるように通り過ぎていく。セヴァストポリからの最初の挨拶だ!
 目のくらむような光の腕が、その手に触れようものならすべての物質を消してしまうぞと言わんばかりに、虚空を掃いていく。その腕に捕まったが最後、次の瞬間にはありったけの地獄が降り注いでくるのだ。

 私たちは光の届かない外側を、半円を描くようにして慎重に回っていく。朝の訪れの兆候は、すでに東の空に現れており、強い光はまもなく消されるはずだ。そのとき突然、艦橋は騒然としたざわめきに包まれた。いったい何が起きたのか。
「無線室より艦橋! 緊急信号がロシアの無線局から発信されています! 別な無線局が非常に大きな出力で、これに応じています! 返信しているのはセヴァストポリの主無線局と思われます!」

 『ゲーベン』の無線室は、非常な緊張に包まれていた。何が起きたのか、私たちの接近と時を同じくして、何かが偶然に発生したのだろうか。私たちは最大限の緊張をもって、遠くの無線局が何を伝えようとしているのかに聞き耳を立てた。
 再び、私たちは最初の無線局の叫びを聞き取った。
「これは…オデッサです!」

 彼らはとても慌てており、まったく暗号化していない平易なロシア語で発信していた。
「2隻のトルコ駆逐艦が、町を砲撃している! 砲艦『ドネズ』と『クバネツ』が魚雷で攻撃されている! 『ドネズ』は撃沈された!」
「オデッサにあったロシア水雷艇は、すでに反撃を開始し、敵艦は港外へ立ち去った!」
 ロシア人は激しいショックを受けているようだった。

 時刻は6時40分。オデッサへ向かった2隻の駆逐艦は、なんらかの理由で定められた時刻より早くに攻撃を開始しなければならなかったに違いない。ロシア語は直ちに翻訳され、伝声管を通じて艦橋へ伝達された。
 こうなれば私たちは、全速力でセヴァストポリへ突撃しなければならない。ロシア人はすでに、トルコ艦隊が戦争行為を行っていることに気付いている。無駄にしている時間はない。『ゲーベン』は全速力でクリミアの海岸へと接近していく。

 空はすでに明るみを増している。薄明かりの中に前方の陸地が見えてきた。私たちは危険な岩礁を朝靄の中に発見し、これをかわして進んだ。距離はもう4000メートルしかない。セヴァストポリはまさに、私たちの目前にあった。
 すでに戦闘配置の命令は全艦に伝えられており、乗組員は全員がそれぞれ所定の配置にいる。艦橋では射撃諸元が計算され、『ゲーベン』の砲は定位置から旋回し、目標へ指向される。射程は伝声管を通じ、それぞれの砲塔へと伝えられる。砲塔では全員が待機し、指揮所からの発砲ベルを待っている。

 そのとき、クリミアの要塞が発砲した。それは砲列の一番左側で始まり、列をなして右へと動いていく。そして束の間、信じられないような静寂が訪れた。
 砲弾のうなりが朝の空を突き破り、途方もない数の雷撃が虚空から落ちてくる。
 神よ!!
 先に発砲したのはロシア人だった。彼らは私たちの出現に気付いていたのだろう。彼らは私たちを観測し、各砲に数値を伝えていたに違いない。

 そして今度は、私たちが発砲した。艦全体がすさまじく振動する。轟音とともに、10発の28センチ砲弾が空中へ飛び出し、海岸要塞へと飛んでいく。掃海のために先航していた2隻の駆逐艦は、すぐに『ゲーベン』の後方にかばわれた。
 そして巨人同士の戦いが始まるのである。この上ない獰猛さの発現として。

 大口径主砲の発砲に続いて、副砲も射撃を始めた。再び砲口から炎が噴出し、砲弾は甲高いうなり声をあげて空気を引き裂いていく。そして五つの砲塔からの発砲が轟き、低いうなりのような音が続く。
 二つの音は交互に織り込まれる。副砲の発射が2ないし3回繰り返され、挟まれるように主砲の斉射音がかぶさる。力強く、低い爆発音が轟くのだ。猛烈な騒音が空気を震わせている。

 陸上でもまた、砲撃の炎が荒れ狂っていた。ロシア人は狂ったように撃ちまくっている。何百という炎の口が開いている。セヴァストポリはまるで、地獄の蓋を開いたかのように炎を噴き出していた。
 発砲の閃光がロシアの長い砲列に沿って走り、砲弾はうなりを上げて私たちの頭上を通り過ぎていく。破裂する鋼鉄の炎が、私たちを取り囲んでいる。そこらじゅうで、ものすごい雷が鳴り響いていた。そして、お返しの砲弾が陸地へ向かって飛んでいく。

 またもや炎が海岸のある位置から始まり、同じ高さで途切れなく左から右へと連なっていって、右端で終わる。そして砲弾が金切り声を上げ、私たちの周りへ落ちてくるのだが、それらは皆、手前に落ちるか通り過ぎるかだった。いたるところに鋼鉄の砲弾が落下し、驚くほどの高さに海水を噴き上げる。砲弾の落ちた海面は、まるで痘痕だらけの模様のようになった。水柱やしぶきがしばしば視界を妨げ、一時は何も見えないほどだった。
 『ゲーベン』もまた、負けじと撃ち返している。砲撃戦はますます激しくなり、火薬の匂いが海面に充満し、突風に吹き散らされていく。

 「後進全速!」、スクリューが急激に逆転し、艦全体が激しく振動する。
 その瞬間、砲弾の大集団が艦首の直前に束になって落下した。
 またも命令、「全速前進!」
 再び強力なスクリューは艦を推し進め、次の砲弾の束は私たちの後方で虚しく海水をかき回すだけだった。艦は卓越した技能で操縦されている。
 すでに10分間の破滅的な砲撃が行われていた。・・・たった10分間?

 砲員たちは照準眼鏡を通して、陸上を走り回っている兵の姿を見ていた。そこには抵抗しがたい破壊的な砲弾の嵐が降り注いでいた。火柱が丘を駆け上る。炎の舌が舐めるように進んでいく。要塞の上を分厚い黒い煙が覆っていった。照準器からは、破壊された砲が砲台から転げ落ちるのが目撃された。
 『ゲーベン』にはまだ、一発も命中した砲弾はない。空はどんどんと明るくなっていく。海は日光を浴び、キラキラと輝いていた。またも斉射が行われる。またしても砲弾の塊が落下し、噴き上げられる水柱が視界を遮った。この戦いのスペクタクルは、誰にも終生忘れ得ない強烈なものだった。斉射は絶え間なく要塞の上に爆発している。

 要塞もまた、切れ目なく射撃を続け、鉄の嵐が私たちの頭上に振り撒かれていた。地獄の扉が開かれたかのようだった。セヴァストポリは、激しい破壊の炎に覆いつくされ、荒れ狂っていた。
 そこには信じがたい光景が展開されていた。4000メートルの距離を隔てているだけで、1隻の軍艦が巨大な要塞と撃ち合い、投げつけられる砲弾の破壊と炎と鉄片の嵐の中で、かすり傷ひとつ負わずにいるのだ。砲弾は艦のすぐ脇に落ち、後方に水柱を上げて、そしてまた前方の海水をかき回すだけだった。際限のない砲撃が繰り返され、破滅的な砲弾の集団が叩き付けられ続けた。

 鉄の塊の中には、まったく生命が感じられないかのようだった。しかし、鋼鉄の壁の裏側では千人もの男たちが、彼らの力を操るために働いているのだった。それがまったく、外からは見えないとは言え。
 威嚇的に突き出した五つの砲塔は、敵に向けられている。射撃のたびに強烈な振動が艦を揺さぶった。何メートルもある炎の舌が砲口から噴き出し、何もかもを破壊する砲弾が死を運んでいく。副砲もまた、途切れのない砲弾の列を浴びせかけていた。
 敵の砲弾もまた、私たちに死をもたらそうと押し寄せてくる。それは『ゲーベン』の周囲に水柱を立ち上がらせ、海が水柱で覆い尽くされるかのようだった。しかし、ひとつとして命中するものはなかった。
 それはひとつの奇跡だった。

 ようやく、ロシアの反撃は力を失いつつあった。閃光の列に途切れ目が見られるようになった。いくつもの砲が、私たちの攻撃によって粉砕され、射撃の列から落ちこぼれている。こうした損失は、敵の意思を挫くのに十分だった。射撃は統制を失いはじめ、不規則になっていく。
 おそらく、電力や通信のケーブルもまた、砲撃によって破壊されたのだろう。いくつかの砲台はまったく射撃しなくなり、全体を統制するのは不可能になっていた。それでも彼らは、十分すぎるほどの数を持っているのだ。

 すでに25分間、クリミアの海岸での轟きは、休むことなく続けられていた。25分間にわたって、私たちの砲弾が誇り高きロシアの力、セヴァストポリの要塞に降り注いでいるのだ。そして、『ゲーベン』はまだ無傷である。戦闘を続けつつ、私たちは外海へ出外れようとしていた。もう、飽きるほどに砲撃は続けられていた。私たちは射撃を中止した。
 ロシアに厳しい教訓を与える目的は達せられたのだ。『ゲーベン』の最初の企ては、見事な腕前を証明していた。ロシア人はしかし、このことをけっして認めようとはしないだろう。

 少なくとも300はあろうかというクリミアの要塞砲は、25分間に渡って私たちを休むことなく撃ち続けていた。その結果は、一発たりとも命中させられなかったのである。
 後に耳にしたところでは、ロシア人はこの結果を信じることができず、私たちが悪魔を引き連れていて、その助けを受けているのだと考えたのだそうだ。そのときから、『ゲーベン』には神話が生まれたのである。

 再び2隻の駆逐艦が先導して掃海具を展張し、私たちは南へと向きを変えた。煙に覆われた要塞は、後方に離れていく。
 やがて、後方およそ10キロメートルの距離に、二つの煙の塊が発見された。駆逐艦だ! これはおそらく、私たちを追跡しようとしているロシア艦隊の先鋒であるのだろう。しかし、艦隊の姿はまだ、どこにも見えていなかった。
 二頭の黒い駿馬は、最大限の速力で私たちに向かってくる。艦首に高い波が立っているのが見分けられた。なんという豪胆か、本気で攻撃してくるつもりなのだろうか。

 私たちの15センチ砲は、旋回して敵の駆逐艦に照準を合わせた。最初の射撃は敵の手前で海面に衝突した。射程はいくらか短かったようだ。次の射撃は、より正確に行われた。敵艦を水柱が取り囲む。
 彼らもまた撃ちはじめた。いい度胸だ!
「一斉射撃、撃てーっ!」
 最初の命中弾を示す白煙が、先頭の駆逐艦に上がった。続いてもう一発が、別な駆逐艦に命中した。敵艦は自ら艦首をそらせ、酷く傷ついて海岸へと走り去った。
 駆逐艦は岸に乗り上げて沈み、艦橋と船首楼だけが水面から見えていた。もう1隻も慌てふためいて逃げていく。




landed destroyer

擱座したロシア駆逐艦

 この戦闘においてロシア駆逐艦が撃沈された、もしくは大破擱座したという記録はない



 そのころ『ゲーベン』の無線室は、わめきたてるロシアの通信に埋められており、その傍受に休む暇もなかった。トルコ海軍の砲の轟きは、彼らを沸騰させていたのだ。普段とは懸け離れた調子で、それらの通信はやりとりされていた。黒海での最初の作戦が、こうした混乱を導いたのである。ロシア人は今、極めつけに苦い経験を交換し合っているのだった。
 通信の数は増え続け、それに比例して興奮度も増していった。平文の通信ですら、翻訳は間に合わなかった。その中に突然、重要なメッセージが紛れ込んでいた。

 それはロシアの機雷敷設艦への命令で、私たちの退路に機雷を敷設しろというものだった。彼らは私たちを、根拠地へ戻る途中で爆破しようというのだ。通信文はただちに翻訳され、そこに含まれた企みが艦橋へ伝達された。
 その敷設艦は、まだまったく見えていなかった。周囲はすべて水平線に囲まれており、煙ひとつ見えない。このとき私たちは、クリミア半島の海岸から16ないし18キロメートルも離れていただろう。
 突然、ものすごい唸りが通り過ぎた。
 空気はビリビリと震え、その恐怖の大きさを示している。

 艦は静まり返った。そして、砲声が聞こえてくる。誰かが私たちに向けて発砲しているのだ。
 強烈な音と共に砲弾が飛んできていて、後部煙突に二つの穴がうがたれていた。非常に正確な射撃である。彼らは確実に射程をつかんでいる。
 煙突を突き抜けた砲弾は爆発し、何千という破片は鉄の嵐となって撒き散らされた。しかしそのほとんどは、海面に数え切れないほどの小さな水しぶきを作っただけだった。もし、この砲弾がもう少し低く飛んできていたら、無線室は串刺しだっただろう。

 セヴァストポリのずっと南に、長射程の30.5センチ砲が装備されていたのだ。私たちはまだ、このことを知らなかった。しかし地上に置かれた砲塔は、もう一度の射撃を行わなかった。私たちは最大射程ギリギリのところをかすめて通ったのに違いない。

 ショックは強烈だった。ロシア人の射撃は非常に正確であり、致命傷にならなかったのは『ゲーベン』が幸運だったというだけでしかない。
 煙突にはぽっかりと穴が二つあいている。私たちは無線の空中線を修理するために、無線室から出なければならなかった。空中線は砲弾の破片を浴びてずたずたになっており、破片のほとんどは煙突の間を駆け抜けたようだった。

 次第にクリミアの海岸が見えなくなっていく。艦は開けた外洋へ向けて針路を定めた。
 「左舷に煙が見えるぞ!」、艦橋上の見張りが知らせてきた。私たちは速力を上げて、その煙へ向かう。機雷敷設艦かもしれない。
 やがて水平線からマストが見えてきた。それはかなり大型の蒸気船で、船首が波を蹴立てている様子からして、かなり急いでいるように思われた。距離を詰めていくと、その船が船尾から機雷を落としているのが見えた。

 まさしくこれが、それそのものだった。私たちは、この船がその行為を行っている、その場を捕まえたのだ。なんとも素晴らしい。
 蒸気船は全速力を出し、また可能な限りの速さで、積荷を落とそうとしていた。船尾からは次々に機雷が落ちている。私たちはしかるべき行動に移った。威嚇の砲弾が発射され、信号旗が掲げられる。
「停止せよ! ボートを下ろせ!」

 これは『プルートゥ』という、大型の機雷敷設艦だった。その艦名は、まだ艦首に大きな文字で堂々と記されている。『プルートゥ』はただちに停止し、素早くボートを降下させた。ほとんどの乗組員は急いでボートに乗り移り、海へ飛び込んだ者はボートから投げられたロープによって引き上げられる。彼らは岸へ向かって漕ぎはじめた。しかし、まだ何か、艦尾のデッキの上で動いているものがある。
 誰か、艦から降りていない者がいるのだ。それはなんと、船の司祭だった。彼がその職業にあることは、その特異な衣服によって明らかである。彼は艦尾の旗の脇に立って、艦から降りようとする様子を見せなかった。艦から離れることを拒否しているのだ。左手に聖書を持ち、胸の前では右手でひっきりなしに十字を切っている。

 私たちは、彼を説得するのに十分なほど、ここに立ち止まっているわけにいかなかった。最初の砲撃が行われたが、砲弾はわずかに手前に水柱を上げた。2発目は中央部の吃水線に当たり、炸裂した。デッキの上から炎が立ち上った。さらにもう一発が吃水線に撃ち込まれ、爆発する。
 敷設艦は傾き、浸水していった。甲板上にあったものすべてが、海中に滑り落ちていく。『プルートゥ』は数分のうちに、司祭を乗せたまま海中へ沈んでしまった。




Pruth sunk

砲撃を受けて撃沈される『プルートゥ』



 『ゲーベン』は今、南へ針路を取って進んでいる。黒海の真ん中へと進み、陸岸が見えなくなった。なんともたとえようのない素晴らしい今日の日がここにある。前夜は冷え込んでいたけれども、太陽の光を受けた海面は暖かく、空は澄み渡って良好な視界を提供していた。穏やかな風が、輝いている見渡す限りの海面を吹き渡り、しぶきをどこまでも運んでいくようだった。

 私たちは、黒海がこれほど好ましい場所だとは、考えたこともなかった。いろいろな評判より、それはずっと良い場所のように思われた。トルコ人やギリシャ人からは、そこは北や東からの強風にさらされる不快な海だと聞かされていた。少なくともまだ、私たちはこの海のそうした別な顔を見ていない。
 『ゲーベン』の長い船体は、滑るように海面を進んでいく。私たちは穏やかに時を過ごしていたが、それも長くは続かなかった。

 9時30分に、突然警報が鳴り響いた。
「戦闘配置につけ!」
 南西方向の水平線に煙が見えてきたのだ。『ゲーベン』は、この煙に向かって距離を縮めていく。まもなく、船の輪郭が浮かび上がってきた。私たちは真っ直ぐにこの船へ近付く。彼女は、まったく逃げることなどできなかった。

 臨検隊員が集合し、停止した汽船にボートを送ることが要求された。私たちはボートを積んできていないのだ。汽船はこちらから見える側でボートを下ろし、漕ぎ寄せてきた。
 臨検隊は、士官1名、機関技術兵1名と、武装した若干の水兵だった。汽船には無線が装備されているようだったから、無線士も彼らの中に含まれている。
 彼らは汽船に乗り移るとほどなく、それがロシア客船『オルガ』であると伝えてきた。客船は針路を変え、ボスポラスへ向かう。

 私たちは黒海をさらに進んでいく。状況が検討されていた。私たちはロシアの黒海艦隊と遭遇するかもしれない。それは非常に興味深い問題であったけれども、敵の兆候はどこにもなかった。見渡す限り、煙も見えない。
 その一方、無線には他の艦からの報告が入り始めていた。彼らはそれぞれの成果を報告してきており、全部隊が目的を達成していた。この小さな艦隊は、最初の攻撃を計画通りに実行していたのである。

 目標とされたすべてのロシア港で、トルコの砲弾がうなりを上げていた。いずれの場所でも、敵は多大の損害を被っている。『ハミディエ』はフェオドシアを砲撃し、倉庫、兵舎、港湾設備が破壊されていた。『ブレスラウ』はコーカサス海岸の西にある工業都市ノヴォロシスクの港を攻撃しており、そこにある石油の備蓄タンクを破壊していた。停泊していた14隻の船舶は、残らず『ブレスラウ』からの射撃を受けていた。
 破壊された石油タンクから発生した被害は甚大だった。ノヴォロシスクには40基もの巨大なタンクがあり、それらは港の近くや町を見下ろす丘の上に建てられていたのである。そのすべてが燃え上がったのだ。ノヴォロシスクで展開したスペクタクルは、恐ろしく壮大なものであったに違いない。

 砲弾の炸裂によってタンクは燃え上がり、巨大な炎の海が生み出された。真っ黒な煙が立ち昇り、空を黒く染めて太陽を覆い隠し、ノヴォロシスクを暗闇にした。燃える石油は壊れたタンクから流れ出し。坂を下って町へと流れ込んだのである。
 町はパニックに襲われ、人々は車で、あるいは手押し車を押して、そして徒歩で逃げるしかなかった。ただ、町を離れるしかなかったのだ。逃げ遅れた者たちは炎に巻かれ、誰も助けに行かれなかった。燃える石油は道路の両側にある家々を燃え上がらせ、町並みのすべてが炎に包まれた。
 それは早朝のことだったが、石油の燃える赤い炎は、夜になっても北東の水平線の向こうに見えていたという。それは空に書き記された、「戦争!」という宣言だった。

 旗艦として、『ゲーベン』はトルコ艦隊の最初の一撃を無線で報告した。
 すでに空は暗くなりはじめている。夜じゅう、私たちは黒海を進んでいった。長い時間だった。艦隊は夜明けに、ボスポラスの直前で集合することになっている。艦隊はひとつにまとまって、隊列を組みつつ、コンスタンチノープルに凱旋する手はずになっていたのだ。

 私たちは無事に帰還した。セヴァストポリに地獄を現出させた朝の記憶は、私たちの心に深く印象を残していた。それは私たちにとって初めての大作戦だった。『ゲーベン』の砲が、クリミア半島の海岸を飛び越え、雷電を轟かせていた。私たちが望んでいた黒海での戦闘は、まさしく今、始まっていたのだ。艦尾に翻っている三日月の旗は、まったく想像もされていなかったが。
 そして、次に何が起きるのか。私たちの重大な敵、ロシアの艦隊は、まだ姿を見せていない。彼らはどこに隠れているのか。朝の出来事は、彼らを叩き起こすのに十分な衝撃だったはずだ。最初の遭遇はいつになるのだろうか。私たちは誰もが、それを知りたいと願っていた。

 夜は何事もなく過ぎていく。私たちが暗闇を行き来している間、敵の姿はかけらも見られなかった。
 やがて集合地点へ向かうべき時刻になった。『ゲーベン』は南へ針路を取り、灰色の夜明けの中で、ボスポラス海峡の前に身を横たえていた。他の仲間たちも、無事に危険な任務を終え、1隻、また1隻と戻ってくる。空がすっかり明るくなった頃、艦隊はボスポラスの入り口に差し掛かった。

 緑の海岸は、私たちを温かく迎えてくれた。艦隊はゆっくりと海峡を下っていく。要塞には兵士たちが鈴なりになっている。すでに稲光のように、私たちの企てが成功したニュースは、コンスタンチノープルじゅうに広まっていた。早朝にもかかわらず、人々は私たちを出迎えるために起き出していた。喝采が浴びせられ、手に手にハンカチを振る人々がそこにいた。岸上に立ち並んだ人々が、私たちに熱狂的な声援を送っているのだ。

 この輝かしい勝利の知らせが、トルコ全国民にとって今日を特別な日にしていた。何世紀にもわたって虐げられてきたトルコが、黒海で初めての勝利をつかんだのだ。積年の敵、ロシアに対する勝利を、だ。今回、私たちはいつもの泊地へ戻らず、コンスタンチノープルの郊外、サルタンの壮麗な別殿の近くに錨を入れた。
 捕獲されたロシアの客船『オルガ』は、ボスポラス海峡内にある小さな入江、ステニアへ連れて行かれ、そこで水雷艇の母艦として使われることになった。

 数日後、『ゲーベン』がステニアの入江に行くと、『オルガ』はすでにしっかりと係留されており、はるか昔から、ずっとそこにいるままのように見えた。
 『ブレスラウ』には、決まった泊地が定められていなかった。軽巡洋艦はステニアにいたり、金角湾のスタンブール橋のたもとに繋がれたりしている。次の問題は、お決まりの「石炭」だった。

 さて、ついにサイは投げられた。
 ロシアの敵対行為に対する返答として行われた、私たちの黒海沿岸のロシア港への攻撃は、戦争を意味するものでしかありえなかった。それはすでに、外交官が何かをできるような状況ではなく、彼らはまったくの頭越しに行われた事件に直面し、ただその事件が示す状況に合わせた行動をとるしかなかったのである。

 戦争はすでに始まっている。今、それは正式に宣言されるのを待つのみで、残っているのは形式的な手続きだけだ。
 ロシア大使は、すぐに出国手続きを開始した。11月1日には、コンスタンチノープルに置かれていた連合軍側の大使館のすべてが閉鎖され、外交官たちは国外へ出る特別便に乗る。その直後、戦争の宣言が彼らを追いかけていった。




burned Novorossisk

燃え上がるノヴォロシスク



●ドイツ/トルコ海軍
 1914年10月末におけるトルコ艦隊の戦時編成
艦隊司令長官:スション少将
軍令部参謀:ヴィルヘルム・ブッシェ少佐 (実態は艦隊参謀)
次席将官:アリスベイ代将
軍令部参謀:フォン・アルミン少佐

大型巡洋艦 (巡洋戦艦) 『ヤウズ・スルタン・セリム』 (ゲーベン) :艦長リヒャルト・アッカーマン大佐
 1911年3月28日進水、ハンブルクのブロム・ウント・フォス社建造
 常備排水量:22616トン、満載排水量:25300トン、全長:186.5メートル、幅:29.5メートル、常備吃水:8.2メートル、満載吃水:9.0メートル
 主機:シュルツ・ソーニクラフト・ボイラー24基、パーソンズ・タービン4軸、計画出力:52000馬力、25.5ノット、公試での出力:85660馬力、28.0ノット、石炭:3050トン、航続力:14ノットで4120浬
 兵装:28センチ50口径砲10門、15センチ45口径砲12門、8.8センチ砲12門、50センチ魚雷発射管4門
 装甲:水線部270〜100ミリ、砲塔230〜60ミリ、砲廓200〜150ミリ
 乗員:1053名 (平時定員) 1915年には1346名が乗り組み、ドイツ人がほとんどでトルコ人は数えるほどだった。

小型巡洋艦 (軽巡洋艦) 『ミディリ』 (ブレスラウ) :艦長ケットナー中佐
 1911年5月16日・進水、シュテッチンのフルカン社建造
 計画排水量:4570トン、満載排水量:5587トン、全長:138.7メートル、幅:13.4メートル、吃水:5.1メートル
 主機:海軍省型ボイラー11基、タービン4軸、公試出力33482馬力、27.5ノット、石炭:1200トン、航続力:12ノットで5820浬
 兵装:10.5センチ45口径砲12門、50センチ魚雷発射管2門、機雷搭載数:最大120個
 装甲:水線部60〜18ミリ、甲板60〜40ミリ、砲防盾50ミリ
 乗員:354名、1915年の乗組員はドイツ人426名、トルコ人6名とされる。

戦艦 『ヘイレディン・バルバロッサ』 (元ドイツ戦艦:クルフュルスト・フリードリッヒ・ヴィルヘルム):ドイツ人艦長フォン・アルニム少佐:トルコ人艦長ムザツフアー少佐
戦艦 『トゥールグット・レイス』 (元ドイツ戦艦:ヴァイセンベルク):ドイツ人艦長ローゼントレーター大尉:トルコ人艦長アリ・リヅア少佐
 いずれも1891年に進水、1910年にトルコへ売却されている。
 常備排水量:10501トン、全長:115.7メートル、幅:19.5メートル、吃水:7.9メートル
 主機:三連成往復動機関2軸、10200馬力、16.5ノット
 兵装:28センチ40口径砲4門、28センチ35口径砲2門、10.5センチ砲6門
 装甲:水線部400〜300ミリ、バーベット300ミリ、砲室125ミリ、乗員:568名
 ※いずれも完成時の数字で当時の実態は不明。速力はやっと10ノット程度とされる。

小型巡洋艦 (防護巡洋艦) 『ハミディエ』 :ドイツ人艦長フライヘル・フォン・コトウィッツ少佐:トルコ人艦長ワヂツフ少佐
 1903年進水、イギリスのアームストロング社建造
 常備排水量:3830トン、長さ:103.6メートル、幅:14.5メートル、吃水:4.9メートル
 主機:三連成往復動機関2軸、12500馬力、22ノット
 兵装:6インチ (152ミリ) 砲2門、4.7インチ (120ミリ) 砲8門、46センチ魚雷発射管2門
 装甲:防御甲板傾斜部4インチ (102ミリ)、水平部 1.5インチ(38ミリ)
 乗員:302名、1915年にはドイツ人15名、トルコ人340名が乗り組んでいたという。

 ※1916年当時には、速力は16ノットがやっとだったとされる。同時期建造の日本防護巡洋艦『音羽』に相当するが、『音羽』は戦争中の1917年に退役している。

小型巡洋艦 (水雷砲艦) 『ベルク』 (ベルキ・サトベト):ドイツ人艦長フォン・ウエレンテイン中尉
小型巡洋艦 (水雷砲艦) 『パイク』 (ペイキ・シェブケト):ドイツ人艦長ビーラー中尉
 1906年進水、ドイツのゲルマニア造船所建造
 常備排水量:760トン、長さ:80メートル、幅:8.4メートル、吃水:4.6メートル
 主機:三連成往復動機関2軸、5100馬力、21ノット、石炭:240トン、航続力:3240浬
 兵装:10.5センチ砲2門、57ミリ砲6門、45センチ魚雷発射管3門
 装甲:なし、乗員:145名

 ※1915年ころには、最大速力は18ノット程度だったとされる。艦首尾に10.5センチ砲、両舷に57ミリ砲を並列装備し、発射管は中央部両舷上甲板上に旋回式各1門、艦首に固定式1門を持つ。

水雷艇隊
隊司令 マッドルング中佐
第一艇隊司令 フィルレ大尉
水雷艇 (駆逐艦) 『ガイレット』
水雷艇 (駆逐艦) 『ムアベネト』
両艦とも元ドイツ駆逐艦、1909年建造、1910年トルコへ売却
 満載排水量:765トン、全長:74.2メートル、幅:7.9メートル、吃水:3.0メートル
 主機:タービン2軸、17500馬力、32ノット、石炭:116トン、重油:74トン、航続力:17ノットで1050浬
 兵装:8.8センチ砲2門、45センチ魚雷発射管3門
 装甲:なし、乗員:84名
 他に同型艦として、『ジャディガル』、『ヌメネ』がある。
 ※日本の『海風』 (1910年進水) より小さく、『朝風』 (1905年進水) より大きい。性能的にもこの中間くらいになる。

第二艇隊司令 コン大尉
水雷艇 (駆逐艦) 『タッショオス』 (タシヨオス)
水雷艇 (駆逐艦) 『ザムスン』
両艦ともフランス製の小型駆逐艦、1907〜08年トルコ向けに建造
 満載排水量:284トン、長さ:56メートル、幅:5.3メートル、吃水:2.8メートル
 主機:三連成往復動機関2軸、5950馬力、28ノット、石炭:60トン
 兵装:65ミリ砲1門、47ミリ砲6門、45センチ魚雷発射管2門
 装甲:なし、乗員:67名
 他に同型艦として、『ヤルヒッサル』、『バスラ』がある。

 ※駆逐艦と呼べる最小限の大きさに近い。同時期建造の日本の『神風』型よりだいぶ小さく、性能も低い。

機雷敷設艦 『ニールウーファー』 :ドイツ人艦長ツェーダーホルム
機雷敷設艦 『ザムスン』 :ペーター・ヘルマン大尉
 いずれも他任務船舶からの改造艦である。

 上記編成は、ドイツ海軍本部の編纂になる「地中海戦隊」による。人名、艦名には一部異なった表記があるけれども、本文中の表記に揃えてある。原表記にはカタカナ部に促音、拗音の区別がないため、特にトルコ人名については読みが確定できない。また、表記の揺れもある。カタカナによる各表記は便宜上のもので、原発音を示したものではないと考えてほしい。各要目は、それぞれコンウェイの ”All The World’s Fighting Ships” 該当版によった。

 「地中海戦隊」該当部には、翻訳者による以下のただし書きがあり、ドイツ海軍の他と異なる編成に注意が促されている。
「ドイツの水雷艇一艇隊は10隻よりなり、これを艇隊司令が指揮する。艇隊の半数5隻を半隊と呼び、これに半隊司令がつく。したがって、(当時の) 日本海軍編成に当てはめれば、一艇隊はおよそ我が一連隊に、一半隊は一艇隊に相当する」

 一般に駆逐艦は、19世紀末期に出現し、20世紀初頭から第一次世界大戦にかけて急速に進歩すると同時に大型化したため、最小のものと最大のものとでは排水量で10倍に近い開きがある。およそ200トンあたりが水雷艇との分別点になるようだが、大戦末期には2000トンを越える駆逐艦が造られているのだ。

 ここでの水雷艇は、大きさなどから見て駆逐艦とするべきであるものの、この編成表内では水雷艇と分類されている。帝政ドイツ海軍では駆逐艦を水雷艇と呼称し続けているため、文献内に艦名が明示されないまま水雷艇と表記されていると、本当に水雷艇なのか、実質駆逐艦であるのかの判別ができない。
 ここでは、艦名が明らかであって、それが実質駆逐艦である場合に限り、駆逐艦と表記している。大型巡洋艦、小型巡洋艦も、ドイツ海軍での分類に基づくが、本文中では前述のように、巡洋戦艦、軽巡洋艦の呼称を用いている。   

 艦隊には以下の攻撃命令が与えられた。
 『ゲーベン』は駆逐艦2隻、機雷敷設艦『ニールウーファー』を率いてセヴァストポリ沖に進出し、在港船舶ならびに陸上の軍事施設を砲撃する。駆逐艦は掃海具を展帳して『ゲーベン』に先航すること。
 『ニールウーファー』は先発して攻撃開始予定日の前日にセヴァストポリ入口前に機雷を敷設する。そのまま帰投して機雷を補充し、待機する。
 『ハミディエ』はフェオドシアを攻撃し、通商破壊戦を行う。

 『ベルク』はノヴォロシスクを攻撃する。
 『ブレスラウ』はケルチ海峡に機雷を投下後、ノヴォロシスクへ向かって『ベルク』と合流し、ノヴォロシスクの石油、穀物貯蔵庫を攻撃する。
 駆逐艦はオデッサを攻撃する。敷設艦『ザムスン』はオチャコフ港口に機雷を投下する。
 『パイク』はヴァルナ、セヴァストポリ間の海底電線を切断する。

 この中でオデッサへ向かった駆逐艦は、たまたま到着した輸送船に遭遇してしまい、そのまま戦闘行動に移ったため、急報を受けたロシア軍は急速に戦闘準備を整えた。
 『ゲーベン』が射程に入ったとき、彼らはすでに砲撃準備を行っており、先手を取って『ゲーベン』を攻撃した。『ゲーベン』も遅れずに反撃を開始する。このときの要塞からの距離は7800メートルという。さらに港湾施設、在泊艦船を射撃し、総体で28センチ砲弾47発、15センチ砲弾12発を発射した。(前掲の本文中では、かなり誇張されている)

 煙突への2発の命中弾は、破片によってボイラー1基を故障させたものの、大きな被害にはならなかった。『ゲーベン』の射撃時間は15分間、セヴァストポリ要塞の射撃は22分間とされる。
 帰途、ロシア駆逐艦3隻と遭遇して、射程1万メートルないし1万2500メートルでこれを攻撃、命中弾を得て撃退した。撃沈は確認されていないし、そうした記録もない。さらに機雷敷設艦『プルートゥ』に遭遇、これを撃沈する。乗員250名中、75名は捕虜となった。その後、客船『イダ』を発見して捕獲、ボスポラスへ連れ戻っている。

 『ブレスラウ』は28日夜にケルチ海峡へ進出し、60個の機雷を敷設した。さらにノヴォロシスクへ向かい、『ベルク』と合流して同所の石油備蓄タンク、穀物倉庫、セメント工場などを砲撃した。ここでは10.5センチ砲弾308発を消費している。
 商業航路上でロシア船を捕獲する試みは成功せず、『ベルク』の機関に故障が発生したため、同艦に代わって『ブレスラウ』がヴァルナ、セヴァストポリ間の海底電線を切断しようとしたものの、これも成功しなかった。

 『ハミディエ』は29日朝、フェオドシア沖に到着し、住民に警告を与えた後、各種の目標へ150発の砲弾を撃ち込んだ。帰途、小型帆船を発見し、これを体当たりで沈めると、さらに1223トンのロシア汽船を発見、これも海水弁を開放して沈めた。いずれの場合も乗組員は回収しており、犠牲者はなかったようだ。

 オデッサ攻撃を割り当てられた2隻の駆逐艦、『ガイレット』と『ムアベネト』は、未明に港外へ到着していたが、折からロシア汽船が港へ到着して水先案内を乞い、港内へ入ろうとする状況に遭遇し、これに乗じて港内へ侵入したため、攻撃開始時刻を守れなかった。
 彼らは港内にロシア砲艦『ドネッツ』を発見してこれを雷撃、見事に撃沈している。さらに『クバネツ』を攻撃して撃破すると、発電所を攻撃して全市街を停電させた。両艦は無事に撤退している。

 機雷敷設艦『ザムスン』は、そもそも古い曳船であり、機械故障のために予定位置へ進出できなくなり、機雷28個はオデッサ、セヴァストポリ間の航路上に敷設された。帰途、片舷機は完全に停止し、少数のドイツ人乗組員が苦心惨憺した結果、ようやくボスポラスへ帰還している。

 こうして新生トルコ艦隊初の作戦行動は、若干の齟齬はあったものの成功し、損害はほとんどなかった。スション提督はこの成果に対し、以下のような報告を行っている。
「本行動が幸運と天候に大きく恵まれたことは忘れるべきでないが、これらが万全の効果を挙げたことは、ドイツ人乗組員の卓抜した技能と、適切な配置、教育の賜物である。ここでトルコ艦に配乗したドイツ人は、十分な教育を受けた士官、兵員であり、彼らが職務への熱意、犠牲的精神の発揮、鉄石のごとき意志、不撓不屈の精神力をもって最大限の奮闘努力をなした結果として、今回のような多大の成果を得られたものである。最近数ヶ月間の艱難辛苦に対し、十分なる褒賞を得たと言うべきで、彼らは明快な判断の下に万難を克服し、卓抜なる成績を収めたのだ」

第3章・終わり



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