ゲーベンが開きし門
第二部・第四章
The Goeben opens the gate : part 2 : chap.4



fire brigade

出動する消防隊



第4章・トルコ帽にアイロンをかける

 私たちはすでに3ヶ月間、上陸していなかったが、今日、ついに待ちに待った上陸許可が下りた。どんな男であれ、『ゲーベン』の乗組員ほど、これを喜んだ者はいなかったに違いない。本当に久しぶりに、私たちは動かない地面に脚を下ろすことになる。そしてそこには、コンスタンチノープルの町があるのだ。数えきれないほど様々な人々が入り混じった、この上もなく奇妙な町が。
 もちろん、ここを訪れたのは初めてではない。それでも、ほんのわずかな時間でも、この東洋の首都は大きく変貌しているはずで、そこにある興奮は、けっして過去に味わったものであるはずがない。
 記憶が呼び起こされる。

 人々はまだ、かつて『ゲーベン』が行った善行を忘れていなかった。前回、私たちがここを訪れたのは、1914年5月のことで、そのときにはケルキラ (コルフ?) に立ち寄った後だった。
 あの日コンスタンチノープルの通りを、何百というボロボロの汚い服をまとった真っ黒な男たちが、まるで追われる野ウサギのように、坂を駆け上がってペラへ向かっていた。彼らは手に手に熊手や斧、鉤棹といったものを携えていた。彼らの向かった先では、すでに火災が大きくなっており、たくさんの兵隊で埋まった兵舎が燃えているのだった。

 狭い道が入り組み、民家が密集しているコンスタンチノープルでの火災は、しばしば一街区を壊滅的に焼き払ってしまう。それは常に混乱の極みであり、逃げ惑う人々と火災を鎮めようとする者とが交錯して、誰が何をしているのかも定かでない状態が現出するのだ。
 駆けつけた黒ずくめの男たちは、すぐに火を抑えることに全力を注いだ。彼らは『ゲーベン』の乗組員であり、黒く汚れているのは、彼らが載炭作業の最中だったからで、艦から火災を発見して、即座に載炭を中止し、そのまま駆けつけてきたのである。

 火災が発見されるやいなや、載炭は直ちに中断され、「火を消しにいくぞ!」という叫び声とともに、全員がためらいもなく走りだしたのである。彼らは汚れた服もそのままに、ボートを下ろすと陸へ漕ぎ寄せ、兵舎へ向かって突っ走ったのだ。
 困難な消火作業は数時間も続き、被災者の救出も途切れがなかった。もちろん作業は危険に満ちていたが、乗組員たちはひるむことなく炎を攻撃した。その最中、突然に壁が崩壊し、何人もが生き埋めになった。私たちはすぐに彼らを崩れた石積みの中から助け出したけれども、ここで4人のドイツ人が命を失ってしまった。

 すべてが終わった後、コンスタンチノープルの人々は、死亡した4人の勇敢なドイツ人を悼み、その葬儀は忘れ得ない一大ページェントとなった。町全体が葬送の列に加わっているようだった。彼らは自らの命を犠牲にして、何百という命や家を救った人々の勇気をけっして忘れなかった。

 コンスタンチノープルの火災では、その乏しい対処能力のために、200や300の家が焼けるのは珍しくもなく、無力な人々は呆然と見ているだけだった。彼らには、このとき自発的に行動した消防団がひどくたくましく見えたらしく、専門の消防隊の編成を行おうという機運が盛り上がった。
 その消防団はといえば、半ズボンをはいてセーターを着た、15から20人くらいのチームが裸足で道路を走り、そのうちの4人は2本の棒に乗せられた原始的なポンプを運んでいるのだ。一瞬、それはなにかお祭りの余興のひとつのようにすら思えた。

 消火用水の供給はまったく思うに任せなかった。高台の地区では、水は貴重な資源であり、常に不足していたのである。それはもう、炎に向かって金を撒いているようなもので、ちっぽけな家の一軒や二軒なら、燃してしまったほうが安上がりなほどだった。
 そんなことがあったから、私たちは当直を終えて上陸できる翌日を、この上なく楽しみにしていたのである。私たちは常に歓迎される客だった。たくさんの知人、旧友との再会があり、親しく挨拶がかわされる。

 この休暇の間に、もうひとつの問題があった。
 私たちのトルコ帽は、手入れに不慣れなこともあってくしゃくしゃになっており、なんとも品位を欠いた姿に落ちぶれていたのである。それにはアイロンをかけなければならないのだが・・・

 「鉄トルコ帽」が、私たちをこの苦難から救ってくれた。それは特殊な真鍮の塊で、木炭によって加熱されている。くしゃくしゃのトルコ帽をその上にかぶせ、隅を引っ張ってよく伸ばす。そしてもうひとつの型をかぶせ、ぴったりと合わさるそれを押しつけると、数分のうちに帽子は新品同然になるのだった。外しておいた飾り房を付け直せば、一丁あがりというわけだ。
 このトルコ帽専用アイロンは、ガラタと呼ばれるコンスタンチノープルの古い市街の一角に多く見られる。

 港での平穏な日々は過ぎていった。
 私たちは10月の暖かい日光の下で、ステニア入江の静かな海面を楽しんでいた。ここはボスポラスの山々によって風から保護されており、格好の泊地だった。黒海に出れば、厳しい北東の風が吹きつけ、海面を霧が覆って、こことはまったくの別世界が展開しているという。それでも、私たちがボスポラスを後にして、再び海へ出るのに、それほど長い時間はかからないだろう。そして私たちは、そう遠くない将来に、黒海の強力なロシア艦隊と遭遇するに違いなかった。

 いずれにせよ『ゲーベン』は、新たなる冒険のための準備を整えていた。すでに大量の石炭が積み込まれており、炭庫はいっぱいになっている。それでも私たちは、これを慎重に節約しなければならない。ここトルコでは、石炭はそれほど潤沢に供給されるものではない。私たちは自由になる石炭の所在を確認し、その管理と補充を自らの手で行った。
 正確な目録が作られ、帳簿が記入されていく。優良なカーディフ炭は極めて少なく、そのすべては軍用に確保されていた。国内産の石炭は非常に煙の多い粗悪なもので、燃えカスもまた多かった。これは一般の汽船や機関車など、他の輸送機関に割り当てられた。

 石炭が産出するのは、黒海側のアナトリア地方ゾングルダク炭鉱で、首都までの輸送には多大の手間と費用が掛かっている。炭鉱への鉄道は敷かれておらず、ほとんどすべては海上輸送に頼っていた。これには設備が不十分なために非常に大きな困難が伴い、長いこと何も進歩していなかった。
 そして戦争になったからには、石炭船はその往復の間じゅう、護衛を受けなければならなかったのである。石炭を輸送する側にとっても、それを護衛する側にとっても、特に冬の嵐のシーズンには非常に不愉快な、大きな危険を伴う厳しい仕事であった。

第4章・終わり



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