ゲーベンが開きし門
第二部・第五章
The Goeben opens the gate : part 2 : chap.5



russian_fleet

セヴァストポリのロシア艦隊



第5章・黒海艦隊との交戦

■"Two lone ships"より
 トルコが戦争を始めたことにより、世界戦争には新たな局面が生まれた。陸地ではすでに戦いが始まり、その前線は黒海東岸コーカサスの、ロシア、アルメニア国境にある。
 トルコは国境へ向かって軍勢を送りだすものの、ロシアとの最初の戦闘が予想された地点へのトルコ陸軍の輸送路は、山間の貧弱な道路を用いたもので、移動にはたいへんな困難が伴っていた。鉄道はなく、道路も未整備で、大軍の移動、その補給に必要な輸送手段はまったく欠如していたのだ。

 特に冬場、雪に埋もれたポンティック山地を通る道は、困難を極める。結局、兵隊、馬、軍需物資を必要なだけ運ぶには、海路に頼るほかなかったのだ。輸送船にはロシア艦隊の攻撃に対して保護が必要であり、結局、この任務は私たちがこなすしかない。
 『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、アナトリア海岸東部のザムスンとトレビゾンド (トラペツント) の港へ兵員輸送船を護衛し、そればかりでなく必要物資の輸送、空になった輸送船の帰還にまで同行しなければならなかった。この護衛任務は、限りない忍耐と不断の警戒を要する仕事であるのだが、一般にアナトリア海岸の港は規模が小さくて未整備であり、予定は常に遅れるのが当然だった。

 最初の輸送船は、すでに護衛なしでザムスンまで航海しており、これは妨害を受けることなく帰還している。しかし、それに続く船団には屈辱的な結果が待っており、護衛の必要性が確信される。3隻の輸送船が、ちょうど石炭積み出し港であるゾングルダク砲撃に従事していたロシア艦隊に行き合ってしまい、撃沈されてしまったのだ。これは11月5日の出来事で、イギリス艦隊の第一陣がダーダネルスで作戦を開始した、その日のことだった。
 ロシア黒海艦隊は、私たちによるセヴァストポリ砲撃の直後に出撃していたのである。東部海岸への輸送船護衛は、必然的に『ゲーベン』と『ブレスラウ』の仕事になった。

 11月16日、『ブレスラウ』は大量の物資を満載した輸送船団を護衛して黒海へ出撃している。この輸送により、数千の軍勢と大量の軍需物資が、コーカサスに近い海岸都市、トレビゾンドへ運ばれた。
 『ゲーベン』はこのとき、敵の奇襲攻撃に備えて黒海中央部へ進出しており、敵を待ち受けていた。私たちは、ロシア艦隊が二日前に出動した情報を入手していたのだ。
 しかし、海は平穏で、どこにも敵の兆候はなかった。

 スション提督の意図では、私たちは数の上で劣勢であるにもかかわらず、敵に戦闘を強いようとするはずだった。しかし、敵の姿はない。
 敵と接触する最も確実な方法は、その根拠地であるセヴァストポリ前面で敵艦隊を待ち受け、帰ってくるに違いない彼らを待ち伏せることだろう。

 翌日の夜、護衛任務を終えてトレビゾンドから戻ってきた『ブレスラウ』が、私たちに合流した。輸送船は無事に兵隊や物資を目的地へ送り届けており、ボスポラスへは護衛なしで戻るはずである。周囲への見張りを怠ることなく、2隻は暗闇の中を進んでいった。
 冬の訪れと共に天候が悪化しはじめており、空には雲が多く、日没が早まって暗い時間が長くなっていた。やがて真っ暗な空から雨が降り出す。星は見えず、海面には濃い霧が漂って、暗黒が私たちを押し包んでいる。
 視界はほとんどなく、闇は私たちを吸い込んでいくかのようだった。そこにはなにか絶望的な雰囲気がある。感知できるのはただ、縹渺 (ひょうびょう) たる穏やかな海面の広がりだけであり、具体的なものは何ひとつ見ることができなかった。

 後方の真っ暗闇の中に、さらに暗いシミが見分けられ、『ブレスラウ』がついてきていると判別できた。雨は小やみなく降り続いている。見張りたちにはこの上なく不快な天候であり、闇を通して何かを見ようとするのは絶望的だった。この速力では、雨は針のように目を突き刺し、油引きの防水服からは滝のように水が流れ落ちてくる。しかし、この瞬間にも敵が闇の中から出現し、幽霊のようなぼんやりとした姿が見えてくるかもしれない。
 一方で私たちは、ロシアの無線交信に注意を払っていた。明け方、その信号強度は強くなり、さらに強くなりつつあった。近くにロシア人がいるに違いない。

 今、私たちはクリミア半島から遠くない地点に進出している。夜が明けようとしており、幸いなことに雨はやんだようだった。天候は回復しつつある。しかし海面は蒸気を流したように、濃い靄で覆われている。陸側には大きな霧堤があり、陸地を隠しているかのようだった。
 そして、太陽が平たくて長い土地を白く照らし出すと、素晴らしい眺めが広がったのである。霧の幕は突き破られ、海岸近くにうっすらと霧の幕が残るだけとなり、光線はいくばくもない微水滴の抵抗を打ち破ろうとしているところだった。やがて微風が訪れ、海面にわずかなさざ波を立てる。岸の近くにある霧の塊は分断され、低い岸の上を流されていく。やがてそれは海上で濃いひとかたまりになり、動かなくなった。

 私たちはクリミア半島の南部、バラクラバの古戦場近くにおり、緊迫した、危険な状況にある。敵はすぐ近くにいるはずであり、もしかしたらあの霧堤の陰にいるのかもしれない。私たちには敵の方角を知るなんの手掛かりもなく、手探りで進むしかなかった。霧が私たちから離れてから、不思議なほどの静寂の中で時間が過ぎていく。
 すでに午前9時30分になろうとしており、私たちは、これ以上ないくらいに緊張していた。この静寂には何か、得体の知れない不安な予感が伴っている。

 霧の中で見えない何かがきらめいた。
 何かいるぞ!
 無線室の緊張は、突然に破られた。正体不明の無線局が、思わずヘッドセットを外させるほどの大音量で信号を送り込んできたのだ。その信号音は鼓膜を破るかと思えるほどだった。
「畜生!」、私は、「ロシア人がすぐ近くにいるぞ!」と叫んだ。

 私たちが艦橋へ駆け上がると、そこでは白い霧を突き通して何かを見ようとしていた。私たちは司令部将校に報告した。
「非常に強いロシアの無線通信を傍受しました! 敵はすぐ近くにいるに違いありません!」
 皆が一斉に、海面に漂う霧の塊を見詰めた。
 その海岸にはしかし、何も見えなかった。私たちが無神経な日光の下に姿をさらしている一方、霧堤は目前に壁のように立ちはだかっている。そのすぐ後ろに、ロシアの黒海艦隊がいるに違いない。
「警告が受けられたことを神に感謝しなければならないな」と、私は考えた。「見えないのならば、聞くしかないのだ」

 私たちは砲廓の背後を駆け抜けて、無線室へ戻る。今、状況は私たちの双肩にかかっている。この瞬間、誰もが無線室の重要性を理解しただろう。それは私たちに欠くことのできない、艦の重要な感覚器官のひとつなのだ。
 常に眠らず、準備を怠ることなく、空間を支配し、大きな距離も、夜の闇も、霧さえも突き通して、神秘的な、しかし科学の目は、けっして閉じられることなくすべてを監視しているのだ。いかなる企みも、それがどれほど離れていようとも、暴かれないことはなかった。

 すでに「戦闘配置につけ!」は下令されていた。敵はまったく見えていなかったけれども、砲員はいつでも行動に移れる状態で待機していたのである。多くの目が砲門から海面を凝視していた。他の者は砲の近くに座り、互いに言葉を交わしている。
 私が無線室へたどり着くやいなや、静寂は名状しがたい猛烈な騒音によって粉砕された。

 これは奇妙な記述である。重要な秘密通信を受け取ったのでもない限り、無線室から艦橋へ課員が出向いて報告するということは、普通は行われないことだ。しかも無線室は後部煙突付近にあって遠く、戦闘配置では上甲板の通行が禁止されているから、下の甲板へ迂回しなければならず、電話もしくは伝声管で通報するより、はるかに時間がかかってしまう。
 しかし、原英文では複数の人間が艦橋へ行き (We rush up on to the bridge ... We report to the flag-lieutenant)、無線室へ戻ったような (Back we ran through the casemate-way into the wireless-room.) 書き方がなされている。実際にこうしたことが行われるとは考えにくく、なにかの比喩なのかもしれない。   


 突然、猛烈な砲撃が襲いかかってきた。何が起こったのか認識する暇もなく、私たちは砲弾に圧倒されたのだ。しかし、ほとんど同時に、私は『ゲーベン』もまた発砲していることを感じ取った。
 大きな衝撃が艦を揺さぶり、その瞬間に無線室の照明が消えた。
 何が起こったのか?
 私たちは真っ暗になった部屋でうろたえ、やがて誰かが非常用のロウソクに火を灯した。私たちは目を刺すような痛みを感じ、それがすぐに耐え難いほどになると、何も見ていられない状態になった。鼻や喉にも痛みが襲いかかり、息ができないほどになった。

 毒ガスだ!
 砲弾が命中したんだ!
 その瞬間、人間として本能的に行動しようとするのを、やっとのことで押しとどめた。
 私たちがガスの充満した部屋の中で動けずにいる間も、頭の上には砲弾の通り過ぎるうなり音が絶えなかった。状況を把握しようとし、次になすべきことは何かを考える。下のデッキには特に変わった様子はなく、私たちは持ち場へ戻り、無線機のレシーバーを耳に当てなおした。

 主砲が発砲するたびに、艦全体を特有の振動が駆け抜ける。私たちは明らかに、警告を受けないまま敵と遭遇したのに違いなかった。そのとき、私たちにわかったのはそれだけだった。なにもかも、不確実なことばかりだった。時間ばかりが過ぎていく。戦いのこだまは、まだ艦内で共鳴しているようだった。そして『ゲーベン』の船体が振動しているのを感じた。私たちは再び、全速力に達していた。
 そして次には、後部の2砲塔だけが発砲していた。艦の前半分は、まったく静かだった。

 やがて全体が静まりかえる。不愉快な混乱は、すでに過ぎ去っていた。何も騒音は感じ取れない。無線室の状態は最悪だった。非常用のロウソクはだいぶ小さくなって、もうまもなく燃え尽きるだろう。無線室は維持できなくなりつつあった。
 私たちはようやく、部屋の外の空気を吸うことができた。新鮮な空気だ! 外の甲板に出た私たちは、ようやく何が起こったのかを知った。それらはまったく瞬時の出来事だったに違いない。

 私が艦橋を離れ、無線室へ向かっていたちょうどそのとき、霧の中にいくつかの灰色の影が見つけられていた。それこそがロシア艦隊だったのである。
 小さな突風が霧の壁を動かし、わずかな窓を開けた。そこにはぼんやりとだが船のシルエットがあり、蒸気の中に浮かぶ幻のように見えた。影はいくつかあり、そのどれもが船だった。彼らは霧の中から、蜃気楼のように出現したのである。再び霧の窓が閉ざされ、彼らの姿は白い壁の向こう側へ消える。一瞬の後、海上には濃い霧の塊が横たわっているだけになった。

 霧に覆われた中で、彼らは私たちが岸へ接近しているのに気付き、立ち止まって待ち伏せたのだ。彼らは安全な隠れ場所に身を潜めて、接近してくる私たちを待ち構え、どんな希望を抱いていたのだろう。
 『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、その武器を構えた腕の間へと進んでいた。私たちが彼らを見つけると同時に、殺人的な砲火が始まった。それは想像を絶する速度で繰り返される。射程はせいぜい4000メートルしかない。ロシア人たちは、まるで何かに取り憑かれたかのように撃ちまくっていた。霧の中に連なる炎が出現したのである。

 目のくらむような閃光が、霧の中を驚くほどの速度で突き抜けてくる。すべての砲が射撃しており、鉄の嵐を吐き出していた。
 それは私たちの頭上でうなり、甲高い口笛を吹くように駆け抜けていった。ロシア全艦隊が、無数の砲弾を私たちに投げつけてよこしたのだ。海面は激しくかき回され、噴き上げられる水柱がいたるところに林立していた。
 『ゲーベン』もまた、直ちに反撃した。長い砲身から真っ赤な炎が吐き出され、ロシア艦隊へ向けて砲弾が次々に弧を描いて飛んでいった。

 すべての砲口が火を吹き、目に付くすべてのものを射撃していた。『ゲーベン』は敵戦列のすべてと交戦している。『ブレスラウ』はすでに、有力な「姉」にかばわれる位置に後退していた。彼女は、こうした戦いをするようには造られていないのだ。
 私たちは全力を上げて、ロシアの全艦隊と戦っていた。

 実際にはそれは、ほとんど一瞬の出来事だった。敵の砲弾は艦の周囲にところかまわず落下し、あたりは水柱でいっぱいになった。けれども、すべては幸運だった。
 『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、この嵐を無事に乗り切ったのだ。『ゲーベン』にかばわれた小型巡洋艦には、まったく被害がなかった。『ゲーベン』には、わずかに一発だけが命中している。それでも、紙一重のところで致命的な結果からは逃れていた。

 敵の30.5センチ砲弾が、左舷の3番副砲砲廓に命中し、炸裂して装甲に穴を開けていた。15センチ砲の砲員は、全員が戦死した。衝撃で大きな装甲鈑がめくれあがっていた。砲廓に用意されていたすべての弾薬が誘爆し、彼らに致命傷を与えたのだ。装甲鈑の破片が、信管を作動させたに違いない。装薬も同様に炎を送り込まれ、爆発していた。

 短時間のうちに炎は揚弾筒を通して艦底に入り、危うく弾薬庫へ達するところだった。この災厄がまぬかれられたのは、一人の下士官のとっさの行動によるものだった。彼は下の弾薬区画にいて、揚弾機を通して爆発を聞き、上で何が起きたのかをすばやく察知すると、弾薬庫の注水バルブを開いたのだ。炎が下の区画へ達したとき、弾薬庫はすでに水浸しになっていた。この的確な処置は、私たちを重大な損傷から救ったのである。

 それでも爆発の威力は非常に大きく、装甲鈑にうがたれた穴は1メートル四方にもなり、甲板にも穴が開いて、マンホールの蓋は吹き飛ばされている。砲廓と平行している蒸気パイプは爆発によって損傷し、毒ガスを各部へ運んだのは、これを通してであった。
 それでも私たちは、より深刻な状況に至らなかったことを幸いと考えるしかなかった。

 『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、霧の壁の外側を走り続けている。霧のかたまりは、いっこうに薄くならないように見えた。敵艦隊は、それが当然であるかのように、霧の保護の中から出てこようとはしなかった。ロシア艦隊は、霧に飲み込まれてしまったかのようだった。
 彼らにとっては、すでに十分な結果だったのだろう。それ以上の行動を起こそうとする意思はないように思われた。ミルクを流したような霧を通してではあったけれども、私たちの砲弾が炸裂する閃光は確認されていたのだ。

 敵戦艦『エフスタフィ』は最も大きな損害をこうむっていた。『ロスティスラフ』にも深刻な被害が出ている。後に、ロシアの無線手たちは、その損害について語っている。
 戦闘は突然に始まり、突然に終わっていた。まるで恐ろしい未知の怪物が通り過ぎたようだった。私たちのロシア黒海艦隊との最初の戦闘は、こうして終了した。

 私たちの誰にとっても、これは初めての経験だった。私たちは敵がロシア艦隊だけだと考えていた。まさか、霧が彼らの友人として危険な振る舞いをするとは、想像していなかったのだ。
 それでも『ゲーベン』は再び、強力な存在に戻っていた。敵戦隊はそのすべてをもって戦いに挑んだのだ。ロシア人はこれらの経験を通して、考えてもいなかった敵に敬意を払うべきことを学んだだろう。単独でセヴァストポリを攻撃した「悪魔の船」は、今度は彼らの全艦隊と交戦したのだ。

 ロシア人は、このような事態をまったく想像していなかったに違いない。私たちは戦いの場に残り、勝者として振舞っていた。誰も、その平穏を乱そうとはしない。
 霧はまだ、何も変わらないように漂っている。そしてロシア艦隊の存在は、それきり何も兆候を見せなかったのである。もし、彼らが甚大な被害を受けていないのなら、彼らは数の優位を恃んで、戦闘を継続したはずである。最終的に私たちは、南への進路をとり、霧のかたまりを後方に残して立ち去った。

 岸を離れると天候は回復し、視界は大きく広がった。そよ風が心地よい。乗組員は非番になると、代わるがわる損傷した砲廓を訪れる。そこには、敵艦隊との最初の遭遇で命を落とした、勇敢な仲間の遺体が横たえられていた。
 戦争は無慈悲に犠牲者を指名する。そして乗組員は皆、自らが傷ついたような錯覚を起こす。想像を絶する形で破壊された光景を見ることは、自分自身の心に深い傷をうがつのだ。

 焼けただれた砲廓は、惨劇を雄弁に物語っていた。死神はそこで、血まみれの収穫を得たのだ。何人かの遺体は、大きく引き裂かれ、裏返ったように皮膚がめくれ上がっていた。ある者は、一見無傷に見えて、壁を背に座っているようだった。しかし、その顔は暗い黄色の色彩で塗りこめられ、それが被弾の結果であることは明らかだった。それはまったく突然に起こったのだろう。
 医療班はすでに活動を開始していた。彼らは犠牲者の認識票と、千切れた手足を拾い集めていた。縫帆手は彼らをそれぞれのハンモックに包み、縫い閉じていく。

 それぞれの足には15センチ砲弾がくくりつけられる。彼らは深い海底をその墓場とし、穏やかな死後の世界へ旅立つのだ。
 非番の者が後甲板に集められ、水葬式が執り行われた。戦死者は海軍旗に覆われ、甲板に並べられている。その中にはトルコ人の乗組員も一人いた。訓練のために艦に乗り組み、損傷した砲廓を持ち場としていた。彼もまた、運命からは逃れられなかったのだ。彼だけはトルコの旗で覆われていた。

 弔銃を構えた列が前進し、『ブレスラウ』がすぐ近くに並んで、その光景を見守っている。教会のペノンが掲げられ、軍艦旗は半旗に整えられる。艦長の短い弔辞があり、静寂の中で三発の銃声がとどろく。遺体は艦の外へ滑り落ち、海神の手に委ねられた。海は深く、彼らの墓場は冷たい。
 すでに二度、私たちは死地を渡っていた。次は誰の番だろう。

 その夜は、それ以上なにも起きなかった。『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、予定のコースを順調に進んでいる。翌朝、ボスポラスの入口を視認、コンスタンチノープルがまだ早朝の眠りにある間に、私たちはステニアに錨を下ろした。偉大なる冒険、ロシア艦隊との最初の戦闘が背後に残されている。
 午後、載炭の命令が下り、炭庫を石炭でいっぱいにした『ゲーベン』は、ずっしりと重くなり、深々と艦を沈めている。艦内に十分な石炭を保有していることは、メッシナからの脱出に際して得られた経験からすれば、何にも増して重要なことだった。石炭はそのまま、戦闘と行動の自由を意味している。とにかくこれは、多ければ多いほど好ましいのだ。供給が滞れば、それは状況の悪化を示している。

 どうしても必要であれば、私たちはヴァルナ、コンスタンツァといった、ルーマニア、ブルガリアのような中立国の港で供給を得ることも可能だったが、いずれ停泊は24時間しか認められなかったし、その間にロシア艦隊が港外を封鎖しないとは、誰にも確言できなかったのだ。
 海へ出るときには、安全を確保するために十分な石炭を持っていなければならなかった。それさえあれば、私たちは速力の優位を活かし、どんな悪天候であっても、追跡者を置き去りにすることができるのである。もちろん、それには多大の費用を要したけれども、現状ではそれが唯一の正しい方法だったのだ。

 戦力の比率は、あまりにも一方的だった。『ゲーベン』は全ロシア艦隊に対抗する、唯一の装甲巡洋艦でしかなく、ロシア艦隊はただ一点、速力の要素を除くすべての点で、私たちを上回っているのである。
 それでもこの決定的な点で、『ゲーベン』の優位は絶対だった。『ゲーベン』はかつて、地中海最速の軍艦だったが、いまはまた黒海最速の軍艦であるのだ。それでもそれは、少なくとも6隻の戦艦、2隻の軽巡洋艦、26隻の駆逐艦、17隻の水雷艇と8隻の潜水艦、機雷敷設艦や掃海艇に対抗しなければならなかった。

 さらに彼らには、兵装の大きさにも優越があった。6隻の戦艦が装備するのは、30.5センチ砲と25.4センチ砲で、副武装として15センチ砲を持っている。それ以下の小口径砲は、数える必要もないほどだ。6隻の戦艦が発射する砲弾重量の合計は10.8トンに達し、『ゲーベン』のそれは3.1トンでしかない。
 ロシアの巡洋艦と駆逐艦の速力は、『ブレスラウ』ならばともかく、『ハミディエ』、『メジディエ』といった軽巡洋艦には大きな脅威だった。これらは23ノットが可能であり、十分に有力な戦闘力を持っているが、ロシアの巡洋艦はさらに重武装なのだ。

 彼らの主砲は15センチ砲であり、『ブレスラウ』の10.5センチ砲の能力を、射程でも破壊力でも大きく上回っている。ロシアでは、駆逐艦ですら10センチ砲を装備しているのだ。ロシア黒海艦隊の優越は、これほどまでに顕著なのである。そして、これでさえすべてではないのである。
 現在、ニコライエフの造船所では、ロシアの誇る3隻の超弩級戦艦が建造中なのだ。その第一艦は1916年に完成する予定であったが、彼らはすべてをこの怪物戦艦につぎ込み、より早い時期に実戦へ投入してくるかもしれない。

 そして彼らは、いつか『ゲーベン』を発見するだろう。この巨人たちはそれぞれ、長砲身の3連装30.5センチ砲塔を4基持ち、12センチ砲20門を副砲にしている。その射程は非常に長い。この怪物が投げつけてよこす砲弾は、一度に4トンを越えるのだ。
 また彼らは、23ノットないし25ノットが発揮できるという。私たちがわずかに慰めを見出すとすれば、それはこれらがまだ完成していないという一事にあるだけだった。
 やがて彼らの砲が私たちを打ち倒す前に、多くのものがボスポラスから流れ出していくだろう。




Imperatriza_Maria

ロシアの新戦艦『インペラトリツァ・マリア』

 「孤独な二隻」の原本に所載されている図面である。出所は不明だが、3連装砲塔4基の特徴的なスタイルから、同艦であることはまず間違いないだろう。興味深いのはアメリカ式の籠マストが描かれていることで、これはバルト海艦隊の戦艦に使用例があるものの、黒海では用いられたことがない。実艦でも採用されておらず、計画段階の図面なのかもしれない。



●ドイツ/トルコ艦隊
 ドイツ政府が同盟国トルコに望んだ作戦は、イギリス、フランスがもっとも苦痛を感じるであろうスエズ運河方面での攻勢であったけれども、前述のようにトルコ一般人民の意識としては、イギリス、フランスはそれほど敵意を持つべき相手ではなく、ロシアへの敵愾心に比べれば大きな落差のあるものだった。これは軍や政府も同じであり、ドイツの戦略的意図を一方的に押し付けることは難しい。

 トルコとロシアが直接に衝突するコーカサスはしかし、いずれからも根拠地を大きく離れた僻地での戦いになり、つぎ込むべき資材、労力に対して実りのある戦場ではない。しかしながら、トルコの陸軍大臣エンヴェル・パシャは、該方面での作戦に固執し、艦隊もまた、これを無視するわけにはいかなかった。
 トルコ国内の陸路は当時非常に劣悪な状態にあり、また自動車などはいくらもなかったから、人馬による輸送しかできず、また冬季に積雪を見れば馬車の運用すらままならない状況である。
 これでは、兵士の輸送もともかく、糧食、弾薬など軍需物資の十分な供給は不可能である。コーカサス前線で攻勢を取るためには、海上輸送は必須のものとなる。

 当時の地図を見れば、トルコの黒海海岸には主要な交通陸路がない。山が海に迫っており、平地が狭く、地形が急峻で道路が発達しにくかったのだろう。海が比較的穏やかだから、普段は海上交通だけで用が足りてしまうという事情もあったと思われる。
 しかし、ボスポラスからトレビゾンドへの航路は、その中間地点でクリミア半島との間に140浬を隔てるだけの部分を通過しなければならない。セヴァストポリからでも15ノットで10時間あれば到達できる距離であり、ここに重要航路を置けば妨害は必至である。低速の輸送船がボスポラスを出たという知らせを受けてから出撃しても、十分に間に合うのだ。

 もちろん、『ゲーベン』を護衛につければ、ロシア艦隊は主力を投入するしかなくなるが、これはいずれにとっても負担の大きすぎる出動であり、特に燃料の問題が大きいトルコ側には実現困難である。それでも陸軍の意思は無視できず、トルコ艦隊は乏しい戦力をやりくりして、この輸送に携わった。
 一方のロシア側も、この航路を脅かすのに単独の巡洋艦を派遣するのが危険だったから、通商破壊作戦は思うに任せず、これを途絶させることはできなかった。

 戦争を受けて立ったイギリスは、11月1日にはエーゲ海岸のスミルナを襲い、古い砲艦や輸送船を撃沈している。また3日にはダーダネルス海峡に旧式戦艦を中心にした艦隊で攻撃を行った。『ゲーベン』はこちらでの強行突破もあるべきものとして備えざるを得ず、行動を大きく制限されている。
 8月の開戦からほぼ3ヶ月が経過し、海峡の防御は『ゲーベン』の到着時とは雲泥の差になっている。この時間はトルコにとって守りを固める大きな意味のある時間であり、イギリスにとっては取り返しのつかない時間だった。

 11月5日から7日にかけ、トルコ艦隊は陸軍輸送船を黒海南部に走らせ、ロシア艦隊もまた、ダーダネルスでのイギリスの作戦に呼応して行動する。彼らの目標は石炭の積出し港であるゾングルダクであり、ここへの砲撃は大きな損害を招かなかったものの、輸送船への被害があった。
 このとき、すでに出動していた『ゲーベン』だったけれども、その退路を襲おうにも位置関係が悪く、ロシア艦隊が12ノット以上で行動すればセヴァストポリまでの中間地点では迎撃できない。また、ロシア艦隊がボスポラスを襲撃した場合、『ゲーベン』は根拠地から切り離される恐れがある。
 こうした不確実で、かつ危険の大きい任務に貴重な『ゲーベン』を投入することは得策でなく、襲撃は諦められてボスポラスへ帰ることになった。

 その一方で、すでに出動して黒海東部へ進出していた『ブレスラウ』にとっては、比較的安全に作戦を行える環境が整っていることになり、7日朝にバツーム北方にあるポチの襲撃が企てられた。ここでは主として港湾設備に対し、10.5センチ砲弾81発が撃ち込まれている。
 現地の古い要塞は有効な反撃ができず、陸軍が野砲をもって若干の攻撃を行ったものの、『ブレスラウ』に損害はなかった。

 この作戦中、トルコ艦隊は陸軍から大輸送船団の計画を突き付けられ、非常な困惑を持ってこれについての交渉を行っているが、その過程においてすでに輸送船5隻が護衛を受けることなく行動を始めていて、彼らが6日、ゾングルダクを攻撃中のロシア艦隊に発見され、全滅したことが明らかになった。
 やむをえず『ゲーベン』は9日早朝より再び出動し、別な汽船5隻の行動を援護するためクリミア半島南方へ針路を向けた。翌10日には、ヴァルナ、セヴァストポリ間の海底電線を切断し、この隙に『ブレスラウ』の護衛を受けた輸送船団は、5000の兵を東海岸へと運んでいる。各艦の行動はこれで終了し、13日には全艦が無事にボスポラスへ戻った。

 11月17日、戦艦5隻、巡洋艦2隻、駆逐艦12隻のロシア艦隊がトレビゾンドを砲撃し、西方へ向かったという報告を受けたスション提督は、『ゲーベン』と『ブレスラウ』に出動を命じ、両艦とも午後には出港している。
 ここで、ロシア艦隊が北方へ針路を変えたという知らせを受け、偵察に分離しようとしていた『ブレスラウ』は、『ゲーベン』と共にロシア艦隊の退路を遮断する目的で北上する。
 18日昼近くなってクリミア半島南方へ接近した両艦は会同し、敵影を求めて展開する。まもなく12時5分、『ブレスラウ』は靄の中にロシア巡洋艦を発見した。

第5章終わり

 これ以降の、この戦いについての詳細は、ホームページ三脚檣の士官室にある「サリチの戦い」を参照してください。   

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