ゲーベンが開きし門
第三部・第四章
The Goeben opens the gate : part 3 : chap.4



turkish cruiser Medjidie

トルコ巡洋艦『メジディエ』



第4章・避けられた大惨事

■"Two lone ships"より
 私たちが、復活祭の日には海に出ているだろうという予想は正しかった。すべての乗組員が喜んでおり、これ以上の喜びを知る者はないだろう。私たちのすばらしい軍艦は、再び戦いの装束をまとったのだ。さらなる任務が生まれ、新たな行動が始まっていく。
 港に逼塞していなければならない日々は、終わりを告げたのである。ロシア人が『ゲーベン』の再出撃に出会えば、それがどれほど俊敏になっているかに驚かされるはずだ。

 4月3日、新たな作戦行動が命じられた。
 その午後、『ハミディエ』と『メジディエ』の2隻の巡洋艦は、2隻の駆逐艦を伴ってニコライエフへ向かい、そこにある造船施設を破壊する計画だった。

 夕方、『ゲーベン』と『ブレスラウ』もまた、錨を上げた。2隻がボスポラスを抜けたとき、天候はすばらしく穏やかだった。そこには、なんとも例えようのない美しい光景が展開されている。
 輝く水道は、常に新鮮な喜びを与えてくれるものだったが、この晩の眺めはまた格別だった。夢見るかのような日没は、西の空をこれ以上ないほどの演出で染め上げている。静かに呼吸するように、黒海の果てしない海面はゆったりとうねり、やがて夜を迎える。艦の行く手を見透かせば、今回の巡航に心がはやり、思わず知らず笑みを漏らしていた。

 まもなく艦隊は危険な機雷堤を抜け、セヴァストポリへ向けて速力を上げた。外に漏れ得る明かりのすべては覆い隠され、2隻は影のごとくに滑っていく。すべての監視所に配置された目は、暗闇を透かすように見詰めている。海に出るたびに、艦が足の下でかすかに振動する低いうなりは、私たちの心を浮き立たせてくれるのである。

 私たちは、定められた時刻に、定められた位置へ進出している必要があった。ニコライエフを砲撃した巡洋艦が、セヴァストポリから出撃してくるだろうロシア艦隊に追跡される可能性があったためである。逃げてくる巡洋艦をかばい、追っ手のロシア艦を排除しなければならない。それは私たちにうってつけの任務なのだ。
 『ゲーベン』と『ブレスラウ』が予定のコースへ乗ったとき、夜はまだ平和なままだった。敵の気配はどこにもない。彼らは、私たちが出動していると思ってはいないようだ。

 午前7時頃、艦隊はクリミア半島近くへ到達しており、セヴァストポリのすぐ沖合いにいた。私たちは、艦隊の出撃をロシア艦隊に知らせるため、全艦一斉に最大出力での発信を行う。
 通常、海上での無線交信は最小限に抑えられていた。無線の発信強度によって、艦の位置を特定されてはならないからだ。

 奇襲は私たちにとって最良の作戦要素であり、この上なく重要な問題だった。策略はたいてい成功し、ロシア人は幽霊を見るような驚きと共に『ゲーベン』や『ブレスラウ』を発見して、大騒ぎを始めるのだ。この夜もまた、何ひとつ敵に知られることなく進んできたのである。しかし、今はセヴァストポリに煙が立ち昇っているのが見られた。ロシア艦隊は出動しており、私たちへ向かってくる。私たちをねじ伏せるために、全艦隊が出撃していた。
 『ゲーベン』は全敵艦隊と交戦するのだろうか。いや違う。私たちにはより重要な任務があったのだ。この朝、途切れ途切れに、『ハミディエ』からの無線通信が入ってきており、彼らが任務を遂行する直前に、報告しなければならない何らかの問題を引き起こしたことが明らかになっていた。

 巡洋艦艦隊では、ニコライエフに到達する以前に『メジディエ』が触雷し、オチャコフの沖で沈没してしまったのである。この手酷い一撃のために、作戦は当然中止されることになった。幸い、沈没地点の水深は浅く、『メジディエ』は最上甲板を海面に残した状態で沈座していた。
 『ハミディエ』と駆逐艦は、生存者を救助し、安全に連れ帰ることが可能だった。砲からは尾栓が外され、駆逐艦はそれを持ち帰っている。ロシア人に大砲を使わせるわけにはいかない。さらに沈んでいる船体へ魚雷が打ち込まれ、『メジディエ』の運命は絶たれた。
 『ハミディエ』と駆逐艦は、全速力で現場から退却しつつあったが、あまりに多くの人間を乗せているため、海上に長く留まるのは得策ではなく、迂回せずにまっすぐにボスポラスへ向かっていた。この3隻の帰還を援護しなければならない。

 計画は単純である。敵艦隊のすべて (6隻の戦艦、2隻の軽巡洋艦、5隻の駆逐艦) に自分たちを追わせ、逃げ戻ろうとしている味方艦から、東へ離れるように引きつけておけばいいのだ。もし、何が起きているのかをロシア人がわずかでも察すれば、彼らは当然に追うべき者を求めるだろう。新たな損失が発生すれば、どんなにわずかな損失でも、トルコ海軍は確実に弱っていくのだから。
 当面、私たちの努力すべき事柄は、敵を東へ向かって進めさせることだった。

 私たちがゆっくりと東へ進みはじめたとき、別な煙が二つ、西と南西の方向に発見された。これは敵の船だろうか。もし、これが駆逐艦であるならば、主力艦隊がセヴァストポリから追ってきている現状では、非常に重大な問題になる。だが、いずれにせよ、煙の正体は確かめられなくてはならない。
 任務は分担された。『ブレスラウ』はただちに西の煙を調べに向かい、『ゲーベン』は南西の煙へ向かって舵を取る。すぐにマストが水平線から見えてきた。これらはいずれも駆逐艦ではなく、セヴァストポリへ向かう貨物船だった。

 やったぜ! 貨物船は何の苦労もなく、私たちの手に捕らえられた。
 ロシア艦隊が到着する前に、こいつらを始末してしまわなければならない。『ゲーベン』と『ブレスラウ』は速力を上げ、それぞれ哀れな犠牲者に接近していく。警告の砲弾が発射されると、砲弾は貨物船の船首のすぐ前に落ち、「停船せよ! 船を捨てよ!」という命令が投げつけられる。

 まったく逃げることもできず、貨物船は命令に従った。乗組員は大慌てでボートを下ろし、乗り切れなかった者は海へ飛び込んで船から逃れた。水中のロシア人を拾い上げたボートが船から離れるとすぐに、15センチ砲弾の斉射がかたをつけ、2分後には、どこにも船は見えなくなっていた。
 この貨物船は、木の実を積んでセヴァストポリへ向かっていた 『ヴォストチュナヤ』 Wostotschnaja だった。木の実は今、黒海の底に沈んでいる。

 『ブレスラウ』の獲物は汽船『プロビデント』 Provident で、砂糖をいっぱいに積んでいたという。ロシア艦隊がこれほどに近くなければ、この獲物は賞金と共にステニアの食卓に華を添えたはずだったのだが、かまっている暇がないのは残念だった。
 ロシア艦隊は、自分たちの目と鼻の先で貴重な貨物船を沈められたことに激怒しているだろう。追跡者はかなり近づいてきている。『ゲーベン』と『ブレスラウ』の2隻に対して、全ロシア艦隊である!

 しかし、私たちには速力の絶対優位があり、心配する必要はまったくなかった。それどころか、ロシア人が頭に血を昇らせているのは、より歓迎すべき状態なのだ。敵の鼻先で踊って見せ、彼らを怒らせれば、冷静な判断力を失った敵は私たちの尻尾の先を追いかけ、東へ向かって引きずられていくだろう。非常に危険な策略が実行されつつあった。

 『ゲーベン』は速力を上げず、ロシア艦隊をさらに近付けさせる。艦尾の真後ろにいる戦艦は、もうちょっとで彼らの射程に入るだろう。私たちの行動は、ロシア人に大きな驚きをもたらしたに違いない。しかし、もっと接近させなければならない。
 『ゲーベン』と敵艦隊との距離が15000メートルになったとき、『ブレスラウ』は間に入って分厚い煙幕を張り、敵の目を遮る手はずである。ギリギリのところで煙幕を張る策略は、かなり有望だった。

 美味なる獲物に、ロシア艦隊は腹をすかせた獣のように小躍りして近付いてくる。ロシア黒海艦隊に、偉大なる瞬間が訪れようとしている。彼らは長く厳しい訓練の成果を、甘美な果実をまさに手に入れようとしているのだ。
 しかし、そうはいかない! それは大いなる幻想であったのだ。敵艦隊が砲撃に備えて展開していく最後の瞬間に、『ブレスラウ』は『ゲーベン』の艦尾を横切り、分厚い真っ黒な煙をたなびかせて、その姿を敵から隠した。
 この巧妙な戦術に、ロシア艦隊は激怒したに違いない。一斉射撃の閃光が敵艦隊全体に沿って綺麗に並んだ。その直後、『ブレスラウ』は水柱の林に囲まれて、ずぶ濡れになっていた。しかし、私たちの「妹」は幸運だった。

 その砲弾の嵐の中から、まったく無傷の『ブレスラウ』が抜け出していったとき、彼らの怒りは頂点に達した。またも一斉射撃が行われたけれども、何も得られはしなかった。まさに成功が手の中に入る寸前に、果実はそっくり奪い去られてしまったのだ。

 怒り狂ったロシア艦隊は、隊列を整え直すと再びの追跡にかかる。『ゲーベン』は敵を引き離してしまわないよう、慎重に速力を落としていた。敵はさらに私たちの策略に乗せられ、なおも東へ向かって進んでくる。
 こうして実のない追いかけっこをしていると、2隻の駆逐艦を連れた『ハミディエ』から、南へ向かって快調に走っていると報告があった。しかし、まだ安全圏とまでは言えないから、ゲームはなおも続けられなければならない。『ハミディエ』と駆逐艦が十分に安全な位置を確保するまで、敵艦隊は誘惑され続けなければならないのだ。

 それから数時間に渡って、私たちはゲームを疑っていないロシア人の鼻を引き回した。もし天空から眺めていれば、『ゲーベン』と『ブレスラウ』がロシア艦隊の先導をしているかのような、奇妙な光景が望めただろう。
 『ブレスラウ』はまたも、ロシア艦隊を吊り上げる餌として鼻先をかすめる。命令に従い、あえて一斉射撃の洗礼を受けなければならない。もうちょっとのところで手が届くかのように、敵戦隊との距離を保たなければならない。ほっそりとした軽巡洋艦による、危険を伴うエキサイティングな舞踏が、鈍重な巨人の目の前に展開される。プリマドンナはくるりと回って、いかつい巨人の太い腕の抱擁をするりと抜け出すのだ。

 しかし、今回はいささか近すぎた。ロシア艦隊は確信を持って斉射を放つ。艦隊全体に閃光が走り、赤い炎の舌先が伸びる。火薬の煙が海面を走り、恐ろしいほどの雷鳴が空を震わせる。
 危ない!
 砲弾は『ブレスラウ』を挟叉していた。周囲に水柱が林立し、崩れていく。
 かわしていてくれ!
 戦艦の巨大な砲弾が一発でも当たれば、軽巡洋艦は致命傷を負いかねない。

 鎖を外されたグレーハウンドのごとくに、『ブレスラウ』ははじけるように前方へ飛び出した。次の射撃は距離が足らず、すべてが『ブレスラウ』の向こう側に落ちている。
 常に『ブレスラウ』は、捕らえたと確信して閉じてくる顎をすり抜け、触れんばかりの牙をかわして、鼻先をついと逃げていく。この瞬間の、ロシア人の感情を表現する言葉があるだろうか。

 私たちはずっと、南東の針路を保ったまま逃げている。すでに16時になった。追跡は一日中続いていたことになる。そしてロシア艦隊は、驚嘆すべき忍耐力で私たちを追い続けているのだ。彼らの中では、恐ろしいほどの速さで時間が過ぎ去っているだろう。
 ほどなく『ハミディエ』から、現在位置の報告があった。彼らは黒海の西端におり、私たちとほぼ同じ緯度にいる。

★原英文では「同じ子午線」 same meridian となっているが、それでは両艦隊が南北に並んでいることになるので、これは緯線の誤りだろう。   


 目論みはほぼ達成された。これならば、もう巡洋艦と駆逐艦は敵に煩わされることなく、ボスポラスに到達できるはずだ。こうなると私たちは、ロシア人になぜ遊び半分の追いかけっこをしていたのか、無性に教えてやりたくなるのだった。
 私たちもそろそろ、家に帰る道を選ばなくてはならない。もう十分に長く、敵艦隊と遊び続けているのだ。私たちは針路を少しずつ変えてゆき、大きな弧を描いて南西に向きを変えた。夜が近付き、ロシア艦隊は今、明確に引き離されつつある。彼らは明らかに、実りのない長い追跡にうんざりしているのだ。しかし、駆逐艦はまだ忍耐を失っておらず、なおも接近しようとしている。

 ほう、いろいろと驚かされることというのは、あるものなのだな。
 ロシア人は、ただ引きずりまわされているだけの、愚鈍な熊ではなかったのだ。暗くなってくるまで、彼らは昼間さんざんに味わった屈辱の仕返しをしようと、ひたすら耐えていたのだ。今しも彼らは私たちの喉元へ向けて、駆逐艦を放った。
 魚雷攻撃だ!
 危険極まりない夜襲だ!

 すでに夕闇が辺りを包みはじめている。空に星はなく、距離と空間が喪失していく。不気味な影が、艦隊の周囲をそっくり呑み込んだかのようだ。
 私たちは真っ暗な闇の中を突っ走っていく。暗闇の中を真っ黒な物体が、誰にも見えないままに。追跡してきた駆逐艦は、暗くなるちょうどそのとき、私たちにとって最も状態が悪くなるその瞬間に、距離を詰めてきた。彼らは訪れた絶好の機会に、喜びすら感じているだろう。闇を味方にして、月が昇るまでの短い時間を最大限に利用するつもりに違いない。

 月の出は23時である。そうなれば最も不利な状況は終わる。駆逐艦にとって、現在の暗闇にいるよりは、仕事ははるかに難しくなるのだ。それまでは危険な状況が続く。すべての監視所で見張りの人員は二倍に増やされた。状況はとうてい楽しめるようなものではなく、しっかりと目を見開いていなければならない。

 私たちは未知へ向かって突き進んでおり、ただ自らが持つ、起き得るいかなる事態にも対応できる能力と、準備があることを恃むしかなかった。いつもとは逆に、私たちは今、暗闇を疎んじていて、敵がそれを味方にしようとしている。フクロウやナイチンゲールが嫌われ、白い月光が海面を照らし出す、その瞬間が待ち望まれている。
 艦隊は蒸気を増やして速力を上げ、実体のない物のように海面を滑っていた。ロシアの駆逐艦との化かし合いを楽しむ気分ではないのだ。神経はすり減らされ、どの二つの目も、闇の中を突き通すかのような鋭さを持っている。しかし、何も見えない。

 だが、目が役に立たず、陰鬱な気分が辺りを覆うその中で、もうひとつの感覚器官は最大限に感度を上げていた。そして、虚空を撹拌する影が掴み取られたのである。ロシアの無線通信だ!
 それは駆逐艦、姿の見えない追跡者が、真っ暗闇の中で互いに連絡を取ろうとした、その行為によって自らの存在を暴露したのである。遠い声は、どんどん強くなってくる。無線室では活発な通信が傍受されていた。敵が急速に接近してきている。

 彼らが無線を使っていたのは幸いだった。そうでなければ、私たちにはなす術がなかっただろう。報告は艦橋へ向けて次々に送られている。私たちは全力を集中していた。
 時刻はすでに22時になろうとしている。月の出まで、あと1時間だ! こんな単純な自然現象が、かつてこれほどまでに待ち望まれたことはなかっただろう。
 しかし、状況は最高に危険度を増している。ロシア人もまた、私たち同様、残された時間が少ないことを知っているのだ。

 駆逐艦の間を飛び交う無線通信は、受信機のボリュームを調整しなければならないほどに騒がしくなってきた。この戦争のとき、1918年まで、私たちは拡声装置を持っていなかったから、無線員はそれぞれのヘッドセットを装着していた。
 それは生卵のように、慎重に扱われなければならない。ロシア人の無線通信はいっそう煩雑になり、私たちはレシーバーを耳に当てていられなくなっている。怪しからん亡霊は、確かに私たちの近くにいるのだが、姿はどこにも見えなかった。

 彼らは闇の中もかかわらず、正確に獲物の位置をつかみ、そっと忍び寄ろうとしている。甲高い警報音が鳴り渡り、すべての乗組員は戦闘配置につく。暗闇を凝視する瞳は、痛みすら感じるほどだった。それでもいつ、その真っ暗な視野に、さらに黒い影が浮かび上がらないとも限らないのだ。
 無線室は、敵が不用意に漏らすかもしれない予兆に聞き耳を立てており、これ以上ない緊張の下にあった。そこへロシア艦隊の通信が飛び込んでくる。「1号発射しました!」、それは誰かが、他の誰かに報告しているものだった。
 くそっ! これはどういう意味だろう。

 それとほとんど同時に、『ブレスラウ』からの無線通信が飛び込んできた。ただちに応答する。
「敵駆逐艦は貴艦の煤煙の中にいる!」
 『ブレスラウ』はさらに、探照灯の用意をするように要請してきた。合図があれば、『ゲーベン』の探照灯は後方の煤煙の流れに沿って、強い光を向けることになっている。彼らは非常に近くにいるに違いなかった。
 この瞬間にも、燐光を掻き回す薄い光の帯が、雷跡が海面に現れるかもしれない。猛烈な不安が襲ってきて、そのまま通り過ぎた。

 次の瞬間に何が起きるだろう。持ち場の見張りは誰も、その目を最大限に見開いていたけれども、あまりにも暗すぎて何も見えなかった。煤煙は後方にたなびき、ぼんやりとした大きなかたまりに見えた。高速力に伴う空気の渦が、それを海面に引き付けている。煙突から夜の闇の中へ吐き出された煙が、雲のように漂っていて、やや右舷側に流れ、後ろに取り残されていく黒いベールのように見えた。
 そこには何も見分けることができない。これは、ロシア人にとっては好都合だった。彼らは、『ゲーベン』が吐き出す煙を道案内に、それを隠れ蓑にして近付いてくる。そして魚雷を発射するつもりなのだ。

 またしてもロシア語の通信が傍受される。「2号、3号、発射しました!」 これは魚雷を意味するもの以外では有り得ない。
 そして実際に、真っ暗な海を見詰める後部の見張りは、かすかに光る魚雷の航跡が、艦尾からそう遠くないところを通り過ぎるのを見ていた。それが『ゲーベン』を狙ったものであるのは疑いもない。

 夜の子宮に閉じ込められた静寂の中で、今こそ息をも継がせぬ、目覚しいスペクタクルが展開しようとしている。
 『ブレスラウ』が短い通信を送ってきた。「後方を照らし出せ!」
 その要請が艦橋へ伝わるや否や、目がくらむほどの光の束が、墨を流したような夜の闇を切り裂いた。最初に見えたものは、『ゲーベン』自身が吐き出している、渦を巻く大量の煙に乱反射する光の粒でしかなかった。そしてすぐに、その煙の中に幽霊のような五つの小さな船が認められる。この幻は実在するロシアの駆逐艦だ!
 その姿は、4000カンデラの白い腕に掴まれ、がっちりと握られた。

 警告なしの照射に目がくらみ、間髪を入れずに浴びせかけられた恐ろしい砲弾の嵐によって、駆逐艦は混乱の只中へと放り込まれた。すぐ真横から、『ブレスラウ』が全力射撃を行ったのだ。砲弾はその瞬間に、先頭の駆逐艦の周囲へ落下した。すぐに2回目の斉射が行われる。
 命中!
 ロシア駆逐艦から炎の束が吹き上がる。明白な砲弾の炸裂音が聞こえるほどだった。たちまち駆逐艦は叩きのめされ、沈みはじめている!

 ほんの数秒で、次の目標の運命が極まった。浴びせかけられるサーチライトの光とは別な方向から、雨あられと砲弾が降ってくるのだ。だが2番目の駆逐艦は、奇妙に落ち着いているようだった。いや、これは沈みかけているのだ。先頭の駆逐艦は、すでに波の下へ見えなくなっている。
 次は3番目の番だ!

 砲は急速に新しい目標へ向けられる。しかし、機敏な駆逐艦はその瞬間に急激な旋回を行い、瞬時に闇の中へ消失していた。他の駆逐艦もすぐにへさきをそらせ、夜はあっという間に元の静寂に戻る。それはほとんど一瞬の出来事だった。
 すべてが過ぎ去り、深い暗闇と静けさが、私たちの上に降りてくる。闇からの襲撃は終わった。それはしかし、ロシア人の狡猾ささながらに計画された夜襲を、間一髪のところでかわしたものだったのだ。
 『ブレスラウ』の協力が、見事にタイミングを合わせられたことは幸運だった。私たちは誰しも、この脅威から解放されて、大きな深呼吸を味わっている。

 この夜はロシア人もまた、十分によくやっていたのだ。生き残った駆逐艦の間で、煩雑な通信がやり取りされている。すぐにその信号は弱まり、ほどなくまったく聞こえなくなった。
 ロシア人は、もう一度の襲撃を考えてはいないようだ。ほんの15分もすれば月が昇ってくる。周囲が明るくなれば、魚雷攻撃のチャンスはなくなってしまう。
 彼らは沈められた2隻の生存者を救出するだけで手一杯だろう。この結果は、突然に存在を暴かれたという部分で、ロシア人にとって大きな衝撃であったはずだ。

 後に『ブレスラウ』の仲間から聞いたところでは、彼らの見張りが夜光虫の光の中に、近付いてくる駆逐艦の立てる艦首波を見つけたのだそうだ。彼らは臭跡を追う猟犬のように、『ゲーベン』の煙についてきたのだ。それは姿勢を低くし、静かに忍び寄っていた。

 そこでまず、『ゲーベン』にサーチライトの準備をするよう、通信が送られた。そうしてから『ブレスラウ』は、『ゲーベン』の航跡からそれ、駆逐艦に側方から接近していったのである。彼らは、自分たちの存在が気付かれていないと思っていたようだ。
 タイミングを計って、二つ目の通信、「サーチライトを点灯せよ!」が発せられた。このときロシア駆逐艦は、『ゲーベン』の艦尾から100ないし200メートルしか離れておらず、『ブレスラウ』は闇の中ですぐ近くまで接近していたのだと言う。

 それから長いこと、『ブレスラウ』の乗組員は事あるごとに、この事件を持ち出しては私たちのズボンの裾を引っ張るのだった。彼らは繰り返し言う。「もし、俺たちがあそこにいなかったら、ロシア人の奴らは君たちを沈める前に、艦尾に自分の名前を書いていっただろうよ」
 たしかにそうなったかもしれない。それほど駆逐艦は『ゲーベン』に接近していたのだ。
 夜の後半は平穏なままに過ぎ去り、私たちには異常な興奮から回復するための、格好の休み時間になった。すでに月は高く、海面を銀色に照らし出している。夜はたとえようもなく静穏だった。少し足を緩めて、『ゲーベン』と『ブレスラウ』はボスポラスへ向かっている。

 翌日の正午には、岩だらけの入口が視認された。また、無事にここへ戻ってきたのだ。空と海の青い色彩の中に、ボスポラスの崖が日の光を浴びながら海へと下り落ちている。その幸福を感じる眺めの中で、前夜のロシアの駆逐艦は、どこか奇妙な悪夢でしかなかったように思われた。
 私たちも、すでに半分がところは、この東への航海による緊張感から抜け出しているのだ。『ハミディエ』と2隻の駆逐艦は、数時間前に海峡へ入り、なんら損害もなく母港へ帰り着いていた。私たちの味わった危険は、けっして無駄になっていなかったわけだ。

 私たちもまた、ステニア入江に戻ってきた。『ゲーベン』は修理を終えた最初の戦闘航海を、上首尾に終えたのである。乗組員には休暇が与えられた。眠りたかった者は、誰にも遮られることなく眠り続けられた。非番の者たちには上陸許可もあった。
 当直は載炭に備えて艦を整理する。翌日にはさらに厳しい任務が待っているだろう。こうして、私たちの1915年の復活祭は終わったのだ。




russian cargoship is sunk

撃沈されるロシアの貨物船



 数日間は静かなままに過ぎ去った。そして4月25日、敵は新しい方法で戦争を始めたのである。午前8時、ボスポラスのカヤク無線局が、強力な戦闘部隊の接近を報告してきた。ロシアの黒海艦隊が攻撃を行おうとしているのだ。
 まもなくチャナクの無線局も、多数の輸送船を伴ったイギリスとフランスの艦隊が、ガリポリ半島の西海岸を目指して進んでいると報告してきた。海峡の両側で、同時に攻撃が始まろうとしている。当面は、私たちには敵がどのように行動しようとしているのかを見極めることしかできない。
 いずれにせよ、今日は重大な日になるだろう。ハサミの両腕が、私たちの上に閉じてこようとしている。

 まもなく、ボスポラス側の状況は、それほど深刻ではないように判断された。ロシア黒海艦隊は、遠くから崖の要塞へ短い射撃をしただけで、すぐに姿を消したのだ。
 しかし、もう一方の戦場では、例を見ないほど激しい、悲惨な戦闘が始まろうとしていた。3月18日の失敗に懲りた連合軍は、別な方法で彼らの運を試そうとしているようだった。

 純粋に海軍だけの作戦では、ダーダネルスを抜くには無理があると判断されたのだろう。適切に構築された防御網を突破することは不可能と考えられたに違いない。作戦の主導権は陸軍に移り、海軍は陸軍の上陸作戦の中で砲撃による支援を行うだけの存在として、新しい混成作戦に従事しているのである。
 重砲の援護の下で先鋒部隊は、ガリポリ半島のいくつかの場所で同時に上陸を始めていた。この戦闘の警報レベルは、非常なボリュームに達している。防衛軍は勇敢に立ち向かっていたが、上陸部隊は次々に送り込まれる援軍によって補強され、猛然と突進してきたのである。

 数の優越は次第に明確になり、連合軍は成功裏に上陸作戦を達成しようとしていた。
 ガリポリの名を不滅にした戦いが、ここに始まったのである。まもなく特別な機関銃隊が『ゲーベン』の乗組員によって編成され、戦場へ送り込まれた。
 海峡に対する同時攻撃は、敵が何を意図しているかの重要な手がかりになった。これは、ロシア艦隊が気晴らしに行ってきたような幼稚な作戦ではなく、真剣な挑戦であるかもしれないのだ。

 無線室は大わらわだった。私たちは高度な警戒態勢を敷き、なんとかして海峡の両側にいる敵の正体を暴かなければならなかった。この企みに潜むものを明らかにし、両側の敵に自由なコミュニケーションを行わせないよう、的確に妨害しなければならない。そして私たちはほどなく、両側の敵が協同して行動を起こしている手段を見付け出したのである。
 敵は大きな結果を得るために巧妙な作戦を計画しており、それが目論みどおりに推移すれば、偉大な成功が得られるだろう。もし、『ゲーベン』の無線室がなければ、それは必ずや成功していたに違いない。

 私たちは虚空へ耳を向けているとき、最近極東から離れてダーダネルス沖へ進出してきたロシアの巡洋艦『アスコルド』へ、1000メートル付近の波長で『カグール』から通信が送られていることに気付いた。すぐに、『カグール』がセヴァストポリから『アスコルド』への通信を中継しているだけだと判断される。セヴァストポリの主無線局は、『アスコルド』との直接の通信を行えるだけの出力を持っていないのだ。そこでロシア人は、『カグール』を中継に使う手段を考え出したのだろう。

 このロシア巡洋艦は、黒海のアナトリア海岸近くに停泊しているに違いない。セヴァストポリと『アスコルド』の間では、こうした方法で通信をやり取りしているのだ。モールス信号は常に、セヴァストポリから『カグール』へ、そして『アスコルド』へと送られる。そして、この逆も同じように実行された。これらは主に、受信状態の良くなる夜間に集中していた。

 この連絡手段を発見したからには、ダーダネルス沖の連合軍艦隊と、ロシア黒海艦隊との間にやりとりされる通信に注意することと、その妨害を行うことが重要な任務になった。その夜は一晩中、膨大な通信の全体が追跡されていた。それは暗号で発信されていたから意味はわからなかったけれども、ロシア人とイギリス人は、どちらにも言うべきことがたくさんあったのだろう。次の夜、『カグール』は驚きを体験することになる。
 彼らは無線通信の接触が確立されるやいなや、『ゲーベン』の通信機が同じ波長で介入し、『アスコルド』への通信を台無しにしてしまう事態を心から呪ったに違いない。何をしても、彼らの努力は無駄に終わった。『カグール』が通信を始めれば、『ゲーベン』は精力的にこれに干渉したのである。

 10日間、昼夜に渡ってロシア人は、この試みを押し通そうとした。彼らは、繰り返していればいつかは成功すると考えていたようだ。しかし、私たちも準備を整えていたのだ。前触れの通信を始めただけで、本文などまったく触りもしないうちに始まる妨害に、『カグール』の連中は泣き出しそうになっていたに違いない。常にこの状態は継続した。
 私たちはこの作業を楽しんでおり、無線機の向こう側にいる「同僚」の、苛立ち、落胆する表情をありありと想像していた。結局、ロシア人は通信を断念するしかなかったのだ。『ゲーベン』の無線室はあまりにも巧妙であり、彼らは虚空で起こり得る戦いに精通していたのである。

 ある夜、『アスコルド』は黒海の『カグール』に宛て、そっと低出力での通信を始めた。しかし、この通信は受信されなかった。『カグール』もまた、『アスコルド』を呼び出し続けている。私たちはこの両方を聞いていた。
 この、双方が相手を手探りで探しているような通信は、こっけいな冗談にしか思えなかった。そして私たちは、あるすばらしい考えを思いついたのだ。

 『アスコルド』の発信は、特有の雑音を伴っていることがすでに知られていた。そこで私たちはその雑音を慎重に再現し、非常に低い出力で、捜し求められている『アスコルド』のふりをし、『カグール』への通信を送ったのである。
 いたずらは見事に的中した。
 やっと通信を確立できたと考えた『カグール』は、大喜びで『アスコルド』へ送るべき大量のメッセージを、とうとうと語りはじめたのである。彼らに私たちの笑い声が聞こえなかったのは、まあ、幸いだったのだろう。なんにせよ、大威張りの『カグール』は、『アスコルド』から何も返答を得られずに、呆然としていたに違いない。




russian cruiser Askold

ロシア巡洋艦『アスコルド』

日露戦争にも参加した、1901年ドイツ、クルップ社建造のベテラン巡洋艦である。5本煙突が大きな特徴



●ドイツ/トルコ海軍
 この作戦についての「孤独な2隻」の記述は、かなり奇妙なものである。本文中ではすでに『ゲーベン』の触雷損傷の修理が終わったかのような書き方をされているが、実際には左舷中央部の破口修理が終わっているだけで、右舷のそれはそのままに近い。
 ドイツ海軍の公刊戦史によれば、4月1日に『ハミディエ』と『メジディエ』がオデッサ港攻撃に出動していて、付属した駆逐艦は4隻とされる。そもそもニコライエフは、かなり複雑な水路を内陸へ入った場所にあるから、長射程の誘導ミサイルでもなければ、洋上からの攻撃は不可能である。

 航法に失敗した攻撃部隊は、目標地点をかなり離れた陸岸に接近してしまい、不案内な場所で未知の水路を移動しなければならなくなる。それでも3日早朝から掃海具を展張した駆逐艦を先頭にして、オデッサに近い浅海面を進行し、各所に砲撃を加えた。
 午前6時40分、前方に掃海作業中の駆逐艦がいたにもかかわらず、『メジディエ』が触雷し、前部缶室の左舷側に大破口を生じた。ただちに浅海面へ進んで、艦首を沈下させたまま座洲したが、浸水の拡大防止に全力を挙げたものの防ぎきれず、左舷を下に傾いた状態で沈座してしまう。

 急速な再浮揚は不可能であり、艦を廃棄することとなったため、砲から尾栓を外して海中に投棄し、無線機を破壊、乗員を退去させた後に駆逐艦『ヤディガル』の魚雷によって後部に破口を作り、完全に沈没させた。しかし、水深が浅いことから艦橋、煙突、マストは水面上に残ってしまい、そこに沈没艦があることは歴然となってしまう。
 ロシアはこの沈没艦を6月に浮揚させ、ニコライエフへ持ち帰って修理、再武装して巡洋艦『プルート』とし、10月に就役させている。結局1918年の休戦によって再びトルコの手に戻り、旧名に復して第二次大戦後まで在籍していた。

 乗員を救助した艦隊は、ロシア艦隊の追跡を逃れるために帰港することとなるが、駆逐艦隊に劣速の艦が含まれることから、最大速力は17ノットに制限された。軽巡洋艦『ハミディエ』は20ノットでボスポラスへ直航し、駆逐艦隊は被発見を避けるために迂回航路を選択、陸岸に近付いて南下する。
 このときすでに別個に出動していた『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、4月2日夕方に黒海中央部で合流し、クリミア半島の西方へ向かっていた。『ゲーベン』はまだ修理を終えていなかったけれども、破損部の補強などによって20ノットが可能とされ、示威の意味を持って出撃したものである。

 両艦は3日午前2時、セヴァストポリの緯度に達し、針路を東にとって接近していく。これは『ハミディエ』たちのオデッサ攻撃に呼応して、セヴァストポリ近郊に姿を見せ、ロシア艦隊を牽制する狙いだった。午前7時頃にセヴァストポリ南方にロシア艦隊と思われる煤煙を発見し、『ゲーベン』は存在を誇示するため、強力な無線を発信した。しかし、その直後に『メジディエ』喪失の報告を受け、当該部隊に撤退を命じると共に、その援護を行うことになる。

 8時15分、2隻のロシア汽船を発見し、『ゲーベン』は砂糖1000トンを積んだ1500トンの貨物船『ウオストチユナヤ・ズベズタ』を、『ブレスラウ』は同じく砂糖を積んだ2200トンの貨物船『プロビデント』を撃沈している。
 9時28分、東方の煤煙の下から、『ブレスラウ』は接近してくる『カグール』を識別した。『ゲーベン』は『カグール』攻撃を企てるものの、速力が発揮できないために逃げられてしまう。
 11時10分になって、両艦はボスポラスへの帰還針路をとるが、ロシア艦隊は戦艦を繰り出して追跡してきた。13時30分頃から、ロシア艦隊は『ブレスラウ』へ向けて発砲するものの、甲板に砲弾の破片が落下した程度で命中弾はない。

 これはどうやら、戦記にあるような東への誘導作戦ではなく、実際には、撤退する巡洋艦部隊と追跡しようとするロシア艦隊の間に挟まって、敵の行動を抑制しようとした作戦のようだ。ロシア海軍は当然、オデッサを襲撃したトルコ艦隊の存在を知っているから、可能であればこれに追及したいところだろう。戦艦ではトルコ巡洋艦に追いつけないけれども、快速の巡洋艦や駆逐艦は、間に挟まっている『ゲーベン』たちが邪魔で通り抜けることができない。なまじ視界内にいるために、うかつに主力部隊から離れられないのである。
 この場合には、本文中にあった「同じ子午線上にいる」という状態が発生し得るし (公刊戦史の航跡図を見る限りでは発生していない)、それが意味を持つだろう。原著者の記憶違いがどういう部分にどういう形で現れているのか、これ以上の考察は困難だが。

 『ゲーベン』に対しては、17時頃からロシア駆逐艦が襲撃を企てて接近している。20時40分頃までトルコ艦隊は回避運動を続け、接近した『ブレスラウ』が砲撃を加えて3発の命中弾を得るなどしたけれども、10.5センチ砲弾の威力が小さく、駆逐艦を撃沈できていない。ロシア側の魚雷も命中しなかった。夜半に至って『ゲーベン』は大きく東へ針路を変え、ロシア駆逐艦を振り切ると、そのまま4日朝にボスポラスへ帰着している。
 『ゲーベン』は4月7日から右舷側の破口修理を開始し、これは5月1日に完了した。この間、4月15日、25日に、ロシア主力艦隊のトルコ沿岸での行動が確認されている。




Goeben's landtroop

『ゲーベン』乗組員によって編成された陸戦隊



▲連合軍

ガリポリ半島上陸作戦

 ガリポリ半島は、先端のヘレス岬から、付け根付近の最も幅の狭くなっている部分にある町ブレアまで、直線距離でおよそ70キロメートルあり、コンスタンチノープルまではさらに150キロメートルほどあるから、規模と位置関係としては幅を半分にした伊豆半島くらいで、首都は東京よりいくらか遠い千葉あたりになる。
 連合軍の上陸地点は、伊豆半島に置き換えてヘレス岬を石廊崎に見立てると、西の入間漁港から東は弓ヶ浜にかけてと、西海岸の土肥付近の位置にあたるので、両者は協同して作戦できない。対抗するトルコ軍側も同様である。

 伊豆半島と大きく異なるのは、幅が半分ほどしかないのと、最も高い部分でも標高が300メートルくらいなことである。また東側の海岸は海峡を挟んで対岸が近く、海峡越しに砲撃されるので、こちらからの進撃はできない。人口はいくらもなく、道路も少ない。地形的には、丘の頂上がなだらかで深い谷が多く、上から見下ろす側が圧倒的に有利になる。

 半島全体に縦通した尾根はなく、鈍い稜線は主として横断する側に向いているから、前線はなだらかな尾根をひとつずつ越えていく形になる。また海際に広い平地がなく、すぐに切り立った崖になっている部分が多いので、ここへ上陸してしまうと最初に崖登りになり、攻撃を受けたらまず前進できない。
 谷に沿って進めば、曲がりくねって分岐が多く、見通しが利かないので自分のいる場所もわからなくなるだろう。低い谷底には植生が多く、尾根には潅木すらない裸地もある。

 1915年3月18日に行われた艦隊の突破失敗による作戦変更の結果として、連合軍は総指揮官にイギリス陸軍のイアン・ハミルトン将軍を任命、本国の第29師団を中核に、海兵隊とフランス軍、オーストラリア、ニュー・ジーランドからのアンザック軍団を加え、総勢7万5千人に及ぶ上陸部隊を編成していた。目標はガリポリ半島であり、そのエーゲ海岸の数ヶ所に上陸後、半島の付け根に向かって進攻するものとされた。
 それほど強力な防御網が敷かれてはいないとはいえ、敵国本土の重要拠点から遠くない地点への上陸はあまり試みられたことのない作戦であったが、事前偵察によれば上陸そのものは難しくないように考えられていた。

 まったく港湾施設のない場所への揚陸であるため、多数の小型船舶が必要であり、それぞれへの兵力の分散が大きな問題となる。この点では海軍作戦史上に興味深い新構想が多く実現され、揚陸戦というものの実体験としては大きな教訓があったけれども、代償も大きかった。
 これ以前に行われた類似の上陸作戦としては、日清戦争中に行われた1895年の威海衛近郊への日本軍の上陸がある。ここでは清国側の抵抗が小さかったため、敵艦隊の根拠地から数十キロしか離れていない場所への上陸という大胆な作戦にもかかわらず、上陸そのものはほとんど損害なしに成功している。連合軍の中にはこの作戦を観戦した者もおり、そのイメージがあったかもしれない。

 ガリポリには敵側の水上戦力がなく、上陸側は沖で十分な準備が整えられるし、道路が整備されていないために防御側は急速な展開ができない。問題は地理がまったく不案内であることで、道路がないのだから上陸側も進攻が思うに任せない懸念はあるけれども、大軍勢が陣を張ってしまえば、トルコ帝国が自壊するという目算もあったようだ。
 海峡の砲台が陸側から制圧され、艦隊がダーダネルスを突破してコンスタンチノープルに迫れば、トルコは落ち着いて戦うこともできなくなるだろう。
 コンスタンチノープルの主たる兵器工場や造船所は、マルマラ海側からであれば容易に戦艦の砲撃で破壊できるため、沖に戦艦艦隊が展開すれば、トルコは屈服するという推測がなされた。それまでのバルカン周辺の戦闘状況から見れば、政府の内部分裂は当然と思われたのである。

 結果として、連合軍は50万の兵力を投入しながらも作戦に失敗し、25万人という膨大な戦死者を出して撤退を余儀なくされる。その作戦、戦闘の詳細、失敗の理由などについては、前述したように良好な研究が多く行われているので、ここでは触れない。
 ほぼ同数の25万人を失いながらも、ガリポリ (現在の現地の発音ではゲリボル) を守りきったことは、トルコという国家にとっては負け続きだった戦争につきまとっていた劣等感が払拭される大きな効果があり、陣頭に立って防衛軍を指揮したムスタファ・ケマルを新国家建設の中心にして、戦後に近代国家として一歩を踏み出す原動力になった。



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