地獄の番犬ケルベロス(3) The Life of HMVS Cerberus (3) |
●効率のよい発電機が開発される以前の探照灯は、電池式です。懐中電灯の親玉ですから、夜空を切り裂く光芒などという印象は持たないように。 ファイティング・トップは、マストの中段に設けられた狙撃用のフラットで、水雷艇や衝撃戦法の普及に伴って予想された接近戦に備えるため、小口径の機関砲などが装備されました。「舷側に並んだ水兵」という戦法は冗談に聞こえますが、そういう訓練風景の写真が残されています。まあ、相手が持っているのは円材水雷であって、魚雷ではない時代の話ですけど。 |
●つまりは、査察であっても停泊したままで、通り一遍のことをやるだけだったということでしょう。なまじ人力で操作できるために、それをしなければならなかったとは、不運というしかないのでしょうか。 この時代の巡洋艦では、砲塔などほとんどが装備していませんから、砲を人力で扱うのは当然であり、査察を行う側からすれば、なぜそんなに時間が掛かるのか容易に理解できなかったでしょう。 当時の航洋艦が主用していたのは、最も大きいものが口径7インチ (178ミリ) 程度の前装施条砲で、砲の重量は6.5トンほどでした。『サーベラス』の10インチ砲には、18トンの重量があるのです。当時の砲塔の狭さを考えれば、観客用の席などありませんから、査察官は発砲作業中の砲塔内に入っていないと思われ、現実の状況を見てはいないと推測されます。単純に自艦の標準タイムと比べて、「なっとらん」なわけでしょう。 もっとも上には上があるもので、砲廓で運用された最大の砲は、35トンの12インチ (305ミリ) 前装砲でした。これを人力で扱ったとされるのですが、状況は想像できません。ちょっとした戦車を、人力で押したり引いたりしているようなものなのです。 |
●ボイラーの換装については、記述があるのはひとつの資料だけで、裏付けとなる資料がありません。簡単な工事ではないので、実際に行われたのかどうか疑問があります。 |
●インドへ配備された同型艦の『マグダラ』は、この頃に備砲を新型後装砲に代えています。こちらの状況もまあ、似たようなものだったのですが。 |
●36年間の同一艦への勤務も有り得ないことではないのですが、この場合はからかわれただけかもしれません。 |
●乾舷が低いので、同じように低乾舷の潜水艦を係留するには都合がよいのです。低乾舷の装甲艦では、晩年を同様の任務に就いていたものが少なくありません。 |
●このようにして、『サーベラス』は防波堤としての第二の歴史を刻むわけですが、この七十有余年は、「ただ、そこにある」だけの歴史でした。 現在、オーストラリアには『サーベラス』の復元、保存運動があり、船体を引き上げて修復するための計画が練られてします。しかし、かなり莫大な費用が必要なことと、長期間にわたって風波に曝された船体は痛みが激しく、浮揚作業自体が危険を伴うので、実現は困難な様子です。 モニター類似艦は、アメリカにはまったく保存されておらず、わずかに沈没した『モニター』の船体が海底に確認されているだけです。イギリスの類似艦も残っていません。ですから、この船体が貴重であるという主張にも説得力はあります。 最低限、ほとんど原形のままに残っている砲塔だけでも回収できないかと画策されていますが、いずれ資金面は厳しいでしょう。このページによって、日本人の協力者が一人でも生まれれば、オーストラリアの人々も喜んでくださるでしょう。 |
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