サリチの戦い (2) The Action off Cape Sarych (2) : 1914.11.18 |
さて、その艦隊の真の実力とは、どんなものだったのだろうか。
日露戦争の戦訓によって、彼らの砲弾は、不発だったり早発だったりするものが多かったと認識されている。これは1907年と1911年制式の砲弾から改善が図られ、炸薬の更新と信管の改良が行われた。第一次大戦勃発時のロシア戦艦の30.5センチ砲では、M1907徹甲弾 (重量331.7キログラム、炸薬量6キログラム) が主力で、これより若干重いM1911も用いられはじめている。
日露戦争では、大口径砲の発射速度が遅かったことも反省材料となっており、新型の尾栓、大力量の関係機械の導入によって、準ド級戦艦では40秒ごとの射撃が可能となっていた。それまでは斉射に90秒を要していたのである。同様の改良は中口径砲にも行われている。
しかしながら、最も重要な改良は射撃指揮の改善であり、遠距離射撃術の研究は急速に進められていた。『ゲーベン』が装備していた3メートル級、イギリスで標準だった9フィート (2.7メートル) 級の測距儀に対し、ロシアでは基線長12フィート (3.6メートル) のものが採用されている。
準ド級戦艦の主砲も最大仰角を35度として、旧式艦にもその仰角を引き上げる工事が行われている。『トリ・スヴィティテリア』と『パンテレイモン』は25度になった。『パンテレイモン』には35度という数字も残されている。
当時の石炭焚きの軍艦では、的艦の後半部が厚い煙に遮られ、着弾の水柱のうち、的艦を飛び越えた分を見ることが難しい。そこで、(発射弾数−水柱の数) で弾着の分布を推測しようとした。距離が大きくなれば命中そのものを確認するのが難しいし、遅延信管を備えた徹甲弾では、爆発が艦内深くで起きるためになおさら確認しづらいのである。
1発ずつの射撃では、自分の砲弾を見失う確率の方が高く、弾着を見ての修整は不可能に近い。少なくとも4発程度は同時に観測したい。また、位置の低い砲塔からの視野では、そもそも敵を見ること自体が難しいのだから、高い位置に有力な観測装置も欲しいところだ。
このように大遠距離射撃には、良好な観測を伴った斉射システムの導入が不可欠であるのだが、主砲を4門しか持たない前ド級戦艦では、交互撃ち方を行った場合に斉射が2発だけとなってしまうために、これが成り立たない。4発を同時に発射する射撃法では、発砲の間隔が開きすぎて修整が意味を持たなくなりかねない。
そこでエベルガルドは、三位一体射撃法とでも言うようなものを開発した。これは3隻の戦艦を一体として射撃指揮しようというものであり、以下のような要領で行われる。
まず3隻の2番目に位置する中央艦をマスターとし、前後の艦をこれに従うスレーブとする。これは射撃指揮上のマスターであって、艦隊旗艦とは限らない。この理由は位置関係ばかりでなく、先頭艦には敵の射撃が集中されやすいので、観測の妨げになる要素が大きく、当然に損害もまた早くに発生すると考えられるからである。
マスター艦によって決定された射撃緒元は、一般のものとは独立した艦隊内通信システムにより、直接前後のスレーブ艦に渡される。スレーブ艦では、このデータに基づいて砲を操作し、3隻が同時に一斉射撃を行う。こうすれば、1砲塔1門の交互撃ち方でも同時に6発が発射され、理論上は散布界が形成されるのだ。
エベルガルドはこれを、黒海艦隊最新の3戦艦、『エフスタフィ』、『ツァラトゥスト』、『パンテレイモン』に適合させようとした。4番目の『トリ・スヴィティテリア』は予備艦とされ、『ロスティスラブ』は10インチ砲の弾道特性が異なるために、システムには組み込まないものとしている。
砲撃に先立ち、マスター艦の砲術士官は、敵艦隊についての諸元を確定する。測距儀による距離の連続測定によって距離の変化率を計算し、これを距離時計にセットする。当時のロシア海軍は、『ゲーベン』の持っていたとほぼ同等の機器を備えており、これらの手法もまた似かよったものだった。
データは各砲塔に送られると同時に、前後のスレーブ艦にも無線で送られる。ちなみにこれはモールス系統の無線電信であって、電話ではない。また、ロシア語の無線符丁がどういうものだったのかはわからない。おそらくはキリル文字に対応した符丁だったのだろう。
スレーブ艦の射撃指揮所には砲術士官と共に無線員がおり、伝えられた緒元に基づいて、自艦の砲側へ情報を伝達する。もちろん、不意の通信途絶などに備え、自艦の射撃指揮装置類はそれなりに観測を続けている。
このシステムでは、相互位置の確定した隊列 (正しいフォーメーション) を形成することが必須である。左右どちらが戦闘舷になっても対応できなければならないし、対勢の変化、敵の行動への追従などによって艦の位置関係が崩れてしまえば、効果は期待できなくなるのだ。
また、この斉射の瞬間、各艦はそれぞれローリング周期の異なった位置にいるから、発射の瞬間には、ロシア戦艦の砲がドイツ式のスタビライズを行っていたのでない限り、発砲のタイミングにはずれが発生してしまう。しかし、同じ諸元で発砲されるのであれば、弾着に若干の時間差が発生するだけで、観測上はそれほど大きな障害にはならないだろう。それでも極端な場合には、10秒以上の時間差が生まれる可能性があり、これはこのシステムの限界であるとも言える。
ロシア海軍は、この戦術の確立によって、自分たちの前ド級戦艦が、それなりイギリス製のトルコ超ド級戦艦に対抗できるものと期待していた。しかし、この新戦艦は戦争の勃発と同時にイギリスに接収されてしまい、トルコの手には渡らないことになった。そして、予期しなかった敵、『ゲーベン』が現れたのである。
それでも、ロシア主力艦隊の基本戦術に大きな変更は必要がなかった。ドイツ海軍の好近戦傾向は承知されており、大射程による攻撃は依然効果的と考えられたためである。ロシア海軍の参謀たちは、1万5千から1万8千メートルでの砲戦を企画しており、『ゲーベン』を遠距離で圧倒できると期待していた。
●戦闘までの行動
コンスタンチノープルに到着したスション提督は、トルコをドイツ側に立たせるための工作を始める。トルコ政府は、直接には大きな利害のない戦争に加わるには消極的で、親独派、親英派の勢力は相半ばしていた。ここで、イギリスによる完成期にあった2戦艦の接収は国民を激高させ、『ゲーベン』の到着と譲渡は親独派の発言力を強めている。
提督は、すでにドイツからトルコへ派遣されていた軍事顧問団と密接な連絡を取り、この容易ならざる問題に立ち向かった。
1914年9月21日、『ゲーベン』は黒海に入る。これといった目的のない航海で、どうやらロシアに攻撃されることを期待していたようだ。エベルガルドは攻撃におおいに乗り気だったが、中央政府からのじきじきの命令により、戦闘行動は差し控えられている。
2カ月半が空費されても、トルコ政府内部は煮えきらないままだった。一方、緒戦で一敗地にまみれた北海のドイツ海軍は、潜水艦によって報復の凱歌をあげた。いまだドイツ東洋艦隊は健在であり、各地での巡洋艦による通商破壊も、イギリスを苦しめている。
このころイギリスは、旗下に9隻の巡洋戦艦を持っており、さらに最新鋭の『タイガー』が完成して、まもなく戦力化する状況だった。しかし、『オーストラリア』はシュペー艦隊を追って太平洋に釘づけだったし、ダーダネルスからの『ゲーベン』の出撃に備えて、常時2隻が地中海東部から離れられずにいる。
10月28日、ドイツ軍人に指揮権を握られたトルコ海軍艦艇は、密命を受けて黒海に散らばっていった。翌29日早朝から、各艦は宣戦布告なしの敵対行動に突入する。すなわち、『ゲーベン』はセヴァストポリを、『ブレスラウ』がノヴォロシスクを、他の艦隊がオデッサを艦砲射撃したのである。
要塞地帯であるセヴァストポリを攻撃した『ゲーベン』は、煙突に2発の命中弾を受けただけで作戦を終えたが、帰路、機雷敷設艦を撃沈し、駆逐艦に大損害を与えている。このとき『ゲーベン』は管制機雷原の上を通過したとされるが、機雷はまだ発火準備を整えていなかった。
オデッサへの攻撃はほんの数時間前のことであり、ロシア海軍はまだ起き出していなかったのだ。海軍大臣グレゴローヴィッチは、ただちに臨戦態勢を命じたが、同時にこの事態をエベルガルドと彼の部下たちの失態とも考えた。
トルコ政府が、スションたちの攻撃を自分たちとは無関係であると立証しなかったため、1914年11月2日、ロシアはトルコに宣戦を布告する。
最初の両艦隊の衝突は、これから2週間後に発生した。きっかけは、エベルガルド指揮下の艦隊が、15日に黒海南東部へ出撃し、トルコ軍のコーカサス方面への出撃拠点であるトレビゾンドを砲撃したことだった。艦隊には5隻の戦艦が加わっており、3隻の巡洋艦、13隻の駆逐艦が随伴している。その編成は以下の通り。
艦隊司令官エベルガルド中将、旗艦:戦艦『スウィアトイ・エフスタフィ』
第一戦艦戦隊:指揮官ノヴィトスキー中将
戦艦『スウィアトイ・エフスタフィ』:艦長ガラニン上級大佐
戦艦『ヨアン・ツァラトゥスト』:艦長ヴィンター上級大佐
戦艦『パンテレイモン』:艦長カスコフ上級大佐:戦隊旗艦
第二戦艦戦隊:指揮官プチャーチン少将
戦艦『トリ・スヴィティテリア』:艦長ルーキン上級大佐:戦隊旗艦
戦艦『ロスティスラブ』:艦長ポレムスキー上級大佐
巡洋艦戦隊:指揮官ポクロフスキー少将
巡洋艦『パミアト・メルクリア』:艦長オストログラズキー上級大佐:戦隊旗艦
巡洋艦『カグール』:艦長ポグリアエフ上級大佐
特設巡洋艦『アルマーズ』:艦長ザーリン大佐
水雷戦隊:戦隊指揮官兼第一分隊指揮官サブリン上級大佐:旗艦駆逐艦『グネブニイ』
第一分隊
駆逐艦『デルズキー』級3隻、『ベスポコイニイ』、『デルズキー』、『プロンジテルニイ』のうち2隻と『グネブニイ』
第三分隊:指揮官トレベツコイ王子・上級大佐
駆逐艦『ルテナント・シェタコフ』、『カピタン・サーケン』、『カピタン−ルテナント・バラーノフ』、『ルテナント・ザチャレニイ』
第四分隊:指揮官ゲゼカス上級大佐
駆逐艦『ジュツキイ』、『ジヴォイ』、『ジャルキイ』、『ジブチ』
第五分隊
駆逐艦『ズヴォンキイ』、『ゾルキイ』
(人名、艦名のカナ表記は原発音を確認できないので、かなりいい加減である。アテにしないように)
この中で第一分隊の新型駆逐艦3隻だけが、『ゲーベン』、『ブレスラウ』より優速である。
11月17日の朝、戦艦『ロスティスラブ』、巡洋艦『パミアト・メルクリア』、水雷戦隊1隊からなる部隊は、トレビゾンドの海岸に接近して陸上への砲撃を始めた。残りの艦隊は沖合いで待機している。
作戦の一環として、機雷敷設艦『コンスタンチン』と『クセニア』は護衛の水雷艇艦隊を伴ってバツームから出撃し、17日の夜から翌朝にかけ、トレビゾンド沖に123発、プラタナに77発、ウニエ Unye に100発、ザムスン近辺に100発の機雷を投下した。
砲撃を終えた艦隊は西進し、ケルサン付近まで進出している。会敵を期待していたけれども敵影はなく、13時45分には帰途についた。
ロシア海軍がトレビゾンドを攻撃したニュースは、ただちにコンスタンチノープルへ伝えられ、8時50分に『ゲーベン』と『ブレスラウ』は出動準備を命じられている。攻撃に加わっているロシア艦隊は、戦艦5隻、巡洋艦2隻、駆逐艦12隻とされ、スション提督は正面からの対決に不安を抱いた。13時に両艦は錨を上げ、スションはトルコ北岸に沿って東へ進むと決めた。とりあえずの目的地はシノプである。
しかし、15時50分、両艦がまだボスポラスから抜けきる前、ロシア艦隊主力がギレスン付近で北へ針路を変え、セヴァストポリへ引き返したという情報が入る。両艦は16時にボスポラス海峡を抜けると、クリミアへ向かって15ノットで進行した。『ブレスラウ』は18ノットに増速し、先に立って偵察にあたる。行動を秘匿するために無線は封止された。
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