サリチの戦い (3) The Action off Cape Sarych (3) : 1914.11.18 |
●会敵
17日午後、ロシア艦隊はセヴァストポリへ向けて航行中であり、エベルガルド提督は『ゲーベン』と『ブレスラウ』が出動したという、ペトログラードからの情報を無線で受け取る。これはドイツ海軍の暗号を解読した結果であるとされる。
まあ、人種の坩堝とも言われるコンスタンチノープルは、各国スパイの暗躍する巣窟のような都市であり、情報源には事欠かなかっただろう。狭い海峡を気付かれずに抜け出すことなど、まったく不可能でもある。
エベルガルドは当初、艦隊をボスポラスへ向け、ドイツ艦隊を捕捉しようと考えていた。しかし、艦隊の大多数では燃料が少なくなっていたため、帰らざるを得なかったのだ。戦時の巡航は艦隊速力が12ノットと速く、10ノットの経済速力より燃料の消費量が多くなってしまうのだ。特に石炭焚きの駆逐艦では消費が激しく、艦隊を帰らせなければならない要因となっている。エベルガルドは艦隊に、「警戒を厳重にせよ」と命じた。
夜間、ドイツ艦隊は風雨の中を航行していたが、18日の夜明けと共に天候は回復した。海は穏やかだったものの霧が発生している。霧の濃さは場所によってまちまちで、視程は変動が激しい。風は西北西の微風。
『ブレスラウ』は、午前中にクリミア半島のバラクラバ海岸が見える位置まで進出した。その記録によれば、霧が濃く、敵影は見えなかったとされる。
実際にはこのとき、両艦隊はかなり接近しており、正午には『ゲーベン』が北緯44度0分、東経33度47分と、その位置を記録している。同じ時刻、『アルマーズ』ではその位置を、北緯44度3分、東経33度32分と記録した。双方の位置が正しいとすると、ロシア艦隊がドイツ艦隊の西側にいることになってしまうので、どちらか、もしくは両方の位置が正しくないことになる。
この程度の航法誤差は珍しいことではなく、その補正の目的もあって、船は目立つ陸標を見ようとすることが多い。ここではそれが、クリミア半島最南端のサリチ岬だった。
ロシア艦隊は、針路292度で霧の中を進んでいる。戦闘配置にはついていない。3隻の巡洋艦は、偵察の目的で艦隊の前方10浬に位置することになっていたが、霧のため主力に近付き、その距離は3.5浬ほどになっていた。目視距離を確保しなければならないので、霧の状況によって距離は変動し、最も近いときには1浬ほどにまで接近している。
『アルマーズ』は戦艦艦隊の正面におり、『カグール』と『パミアト・メルクリア』は、それぞれ旗艦の左右斜め前方45度に位置している。5隻の戦艦は、前から『エフスタフィ』、『ツァラトゥスト』、『パンテレイモン』、『トリ・スヴィティテリア』、『ロスティスラブ』の順に並び、各艦の距離は4ケーブル (800ヤード=730メートル) とされている。駆逐艦と水雷艇は二つの集団となって、戦艦隊の後方にあった。旗艦駆逐艦『グネブニイ』は右側の集団を率いている。
『ゲーベン』は正午少し前、『ブレスラウ』に無線信号を送り、合流を命じている。ロシア艦隊が見えないため、スション提督は捜索を東方へ向けようとしていたのだ。そのときの針路は71度、おおよそ東北東である。
ロシア艦隊はこの通信を傍受したが、無線で警報を発することはしなかった。味方がひと塊になっていて、敵艦隊が至近距離にある場合、無線通信は敵に警戒させるだけの意味しかないからだ。
11時40分、『アルマーズ』は旗艦に向け、発光信号で「前方に煤煙が見える」と送信し、その煙へ向けてわずかに針路を転じた。
エベルガルド提督は、戦艦艦隊に「間隔を詰めろ」と命じ、各艦の距離を2ケーブル半 (450メートル) とするために旗艦の速力を落とした。最後方の2隻は接近が遅れ、戦闘中に定位置へつくことができていない。エベルガルドはさらに、巡洋艦に後方へ退くように信号した。視界が悪いため、咄嗟砲戦に巻き込まれれば、主力の援護が間に合わない可能性を憂慮したのである。
そのとき部分的に視界が広がり、独露それぞれの前衛巡洋艦は、ほぼ同時に互いを視認した。ドイツの公刊戦史によれば、『ブレスラウ』は12時5分、右舷前方に巡洋艦を発見している。ロシア側では『アルマーズ』が12時10分、艦首左舷7度の霧の中に大きなシルエットがある、と報告している。
記録を突き合わせてみると、このときドイツ側の時計は、ロシアのそれより4分ほど遅れていたようだ。ロシア側の記録では、発見したときのドイツ艦は非常に低速で、煙をまったく出していなかったとされており、『アルマーズ』がその前に見ていた「大きな煙」とは状況に矛盾がある。『アルマーズ』はすぐに発光信号でコードGを発した。これは「前方に敵発見」を意味する。
『ブレスラウ』は『ゲーベン』の左舷側前方におり、敵発見の知らせを受けた『ゲーベン』はただちに全速力とし、『アルマーズ』の位置へ向けて舵を取った。すぐに右舷前方に別な船を発見する。これはおそらく、左翼にいた『カグール』だっただろう。
『アルマーズ』は面舵を取って右へ回り、敵から離れると同時に味方主力への合流を図る。この艦は基線長9フィートのバー・アンド・ストラウド測距儀を装備しており、敵との距離は6,000メートルと計測された。これは『ブレスラウ』との距離で、『ゲーベン』は『アルマーズ』から見てほぼ同じ方角のより遠方にあった。『ブレスラウ』も非敵側に転舵し、主力艦同士の間に邪魔者はいなくなる。
『アルマーズ』が何を見ているのか、エベルガルドたちには確実なことがわからない。彼らはこれが、日常的にセヴァストポリ港外で掃海任務を援護している、旧式戦艦『シノプ』である可能性があると考えねばならなかった。
旗艦の射撃指揮所にいたネビンスキー士官は、これに続く数分間を以下のように記録している。
「すぐに見張りが、『右舷前方に煙が見えます』と報告してきました。照準眼鏡を覗いてみると、はっきりとした煙の塊が見えたのです。艦橋ではこれを、『ゲーベン』もしくは『ブレスラウ』であろうと確信しましたが、霧のいたずらでこれはすぐに見えなくなりました。司令官は艦隊に14ノットを命じ、フォーメーションを形成しました。『カグール』に戦隊の前方に位置するようにとの命令が出され、『メルクリア』は後部に付くように命じられました。艦隊は、それぞれのボイラーが噴き上げるものすごい煙の中で集合していったのです」
『アルマーズ』は後方で『メルクリア』と合流し、第4、第5分隊の駆逐艦は、旗艦の左舷前方に位置しようとしていた。ネビンスキーは、煙までの距離を14,500ないし16,000メートルと報告している。彼は艦長のガリーニンに、左右どちらの舷での戦闘になるか予測できないので、どちらでも戦闘できるように準備してほしいと進言したという。
下級士官のこのような進言は異例のことだし、霧の中から飛びだしてくる『ゲーベン』と遭遇した瞬間に、それがどちら側であれ、変針するのは非常に危険である。ネビンスキーの進言によるのか、提督自身の判断によるのかはわからないけれども、ガリーニン艦長の記録では、エベルガルド司令官は、艦隊を変針させて、『ゲーベン』に対してT字型の対勢を作るのは、すでに間に合わないと考えていたとされる。
おそらく彼の脳裏には、日本海海戦の接敵時における、ロジェストウェンスキー提督の行った隊形変更がイメージされていたのだろう。敵前での無用な艦隊運動は、艦隊に混乱を招き、反撃を遅らせたのだ。
これはまた、後のジュットランド海戦でのジェリコー提督の判断とも関連している。航行序列から戦闘隊形への移行で、左右どちらを選択するかは、接敵時の対勢に大きく影響し、場合によっては勝敗を分ける可能性すらある。
エベルガルドもまた、ジュットランドでのジェリコー同様、十分な情報を与えられていない。旗艦から『ゲーベン』の煙が見えているとはいえ、その正確な針路、速力はまったくわからず、もし彼が間違った方向へ艦隊を向けてしまえば、『ゲーベン』はロシア艦隊の前、もしくは後ろを通り抜けてしまうだろう。
至近距離で、かつ最良の角度で接触しない限り、はるかに優速な『ゲーベン』は、艦隊の脇を擦り抜けてしまうに違いない。それを追って変針すれば、回頭中の戦艦は効果的な射撃ができなくなる。当時の射撃法では、自分が直線等速運動をしていなければ、確実な諸元が得られないのだ。
ジュットランドでのジェリコー同様、エベルガルドも逡巡した。いくつかの言明によれば、彼は『ゲーベン』が見えるまでそのまま進行するべきだったとされるが、実際のエベルガルドは、ネビンスキーの言うところとは異なり、艦隊に左8点の変針を命じて、接触前にほぼこれを終了している。
ドイツ側の戦史によれば、『アルマーズ』と『カグール』を発見した後も、『ゲーベン』は東寄りのコースを変えておらず、その南東方向にいる5隻の戦艦と、多数の駆逐艦を発見できていない。
このときのロシア艦隊は、先頭が左8点の変針を終えた直後で、おおよそ南南西へ艦首を向けていた。
ドイツ公刊戦史は言う、「とうとうその時がやってきた。どちらの艦隊が強いのか、力比べの瞬間である」。しかし、ドイツ艦の対応を見る限りでは、ロシア艦隊の存在を確実に捉えていたとは考えにくい。何か気配を感じていただけで、それが何なのかはわかっていなかったとしか思えないのだ。
「敵までの距離、8,200メートル!」
『エフスタフィ』の艦橋からは、『ゲーベン』は霧の中におぼろげな影として見えるだけである。それでも測距手は、なんとか距離を割り出したようだ。
「近いな、『ツァラトゥスト』はなんと言っている?」
「まだ連絡はありません、提督」
「『ツァラトゥスト』に命令。攻撃開始!」
艦橋の背後で、信号旗がするするとヤードへ上っていく。
この距離は、予想されていた遭遇距離の約半分という近さだった。これでは、ドイツ海軍が戦前に想定していた戦闘距離に近い。ロシア艦隊はまず、長射程射撃という有利さを1ポイント失ったのである。
「後部砲塔からです。煙で敵が見えないと言っています」
「右舷ウイング、後方の状況を報告せよ」
わずかな間があり、ウイングで後方を見透かしていた士官が振り向いた。
「煙突からの煙が下がって、後部砲塔は見えません」
「なんだと?」
弱い風が追い風になっているのと、11月の冷たい空気のために吐き出された煙が冷やされて重くなり、まとわりつくように艦を覆っていた。
「ガラニン君、煙を減らしてくれんか」
「はい、提督。ボイラー室へ、煙を出すな!」
このとき、戦列の2番艦、射撃指揮上のマスターである『ツァラトゥスト』では、視界はさらに悪く、『エフスタフィ』の航跡上にあるこの艦の砲術士官スミルノフは、旗艦の煙と霧の連合軍に悩まされながら、なんとか敵を見ようと焦っていた。
旗艦にはすでに「射撃を開始せよ」の命令旗が掲げられており、『エフスタフィ』では『ツァラトゥスト』から送られてくるはずの砲撃諸元を待っている。ようやく、スミルノフは距離を算出した。
「『ツァラトゥスト』からです。射程11,000メートル」
一瞬、艦橋を静寂が支配した。
「ネビンスキー君、『ツァラトゥスト』は11,000メートルと言っているが」
「そんなに遠くありません! 現在の距離8,000メートル」
「間違いないか」
「間違いありません、提督。がっちり捕まえています」
「『ツァラトゥスト』からは、十分に見えないのではないでしょうか、提督」
「うむ…」
艦橋から見える範囲であっても、経験的におおよその距離はつかめる。射撃ができるほど確実な数字ではないというだけだ。
「ネビンスキー君、現在の距離は?」
「7,600メートルです。ここからははっきり見えています。11,000メートルなどということはありえません。提督、信じてください!」
「私にも、そんなに遠いとは思えません、提督」
「私もそう思う。『ツァラトゥスト』からは見えていないのだろう」
エベルガルドにすれば、自分が開発し、訓練してきた射撃方式の欠陥を、目の前に突き付けられているのだ。もちろん、想定の中にはマスター艦の測距儀が機能しなくなった場合の処置が考えられている。
「こちらの射程を『ツァラトゥスト』へ送れ。射程を訂正させるんだ」
「敵艦が右へ回っています」
『ゲーベン』のシルエットが長くなっている。並行した方向へ舵を切ったようだ。
大きい。何か実際以上に近く感じられる。ますます11,000メートルなどという数字は信じられなくなった。
状況は切迫している。このままいけば両艦隊は並行針路となり、ありがたくもない10門の28センチ砲による一斉射撃を食らうことになる。『エフスタフィ』の首脳部は、正しい射程を『ツァラトゥスト』へ送ろうと試みるものの、送られてきている11,000メートルの表示が邪魔をして、送り返すことができない。
想定では、『ツァラトゥスト』の指揮所が機能しなくなっていることを前提にしているから、向こうがマスターの地位を放棄しなければ、こちらに切り替えることができないのだ。
旗艦の砲術士官コレキツキイは、手旗信号での交信を試したが、これにも反応がない。おそらく、煙に隠されて見えないのだろう。『ツァラトゥスト』からは、やはり「11,000メートル」が繰り返されるだけだ。
旗艦の射撃指揮所は、さらに正確な距離を弾きだし、それはすでに7,300メートルにまで接近していると報告された。『ツァラトゥスト』は、旗艦からの確認信号が来ないために、まだ発砲していない。
「こちらの砲は照準を終えています。いつでも撃てます! 提督、撃たせてください!!」
叫ぶようなネビンスキーの声に、エベルガルドは決断した。
「これ以上待てん。…これは訓練じゃないんだ。ガラニン君、ただちに射撃開始!」
「はい、提督。…撃てーッ!!」
『エフスタフィ』は、12時24分に初弾を発射する。射程は実に7,000メートルでしかない。射程が短いため、通常の1発ずつの試射ではなく、ネビンスキーは砲塔ごと1門ずつの本射を選択した。主砲発射の警報が鳴り響く。
ほぼ同時に、前後の砲塔から炎がほとばしり、顔が熱波を感じる。一瞬遅れて強烈な衝撃波が艦橋を襲った。足元に振動が伝わり、艦の誰もが戦闘の始まったことを知る。
この最初の1発は、見事に『ゲーベン』の中央部へ命中した。
「命中しました!」
見間違えようのない爆発の閃光と、巨大な火の玉が霧の中に浮かぶ。
「よくやった。続けて撃て!」
すぐに主砲塔のもう1門ずつが発砲する。これは命中しなかった。『ゲーベン』の向こう側にひとつ、水柱が見える。甲板の上をかすめるように飛んだに違いない。
装填の間、敵を見ている人々を強烈な不安が襲う。次は向こうの番だ。
また発砲警報が鳴る。まだ『ゲーベン』は撃ってこない。
「『ツァラトゥスト』も射撃を始めました、提督」
「よろしい。全力射撃だ」
「各副砲砲廓へ、照準できしだい射撃開始!」
主砲が火を吹き、『ゲーベン』の中央部にまた黄色い炎が見えた。
「命中しました!」
「続けて撃て」
そのとき、『ゲーベン』全体が炎に包まれた。閃光が四つか五つ、まごうことなき巡洋戦艦の反撃である。まだ、『ゲーベン』は戦闘力を損なっていない。
ロシア側は、『ゲーベン』の反撃まで1分なかったとしているが、ドイツ側の記録では、たっぷり2分かかったことになっている。『ゲーベン』はまだ旋回を終わっておらず、霧のいたずらでロシア戦艦がほとんど見えなかったのだ。反撃を開始したときの射程は、7,000ないし7,200メートルで、これは『エフスタフィ』の記録と一致している。
『ゲーベン』の最初の斉射は、ロシア戦艦を飛び越えた。斉射のうちの1発は、『エフスタフィ』の第2煙突を貫通し、反対側へ抜けたところで爆発する。
爆発のエネルギーはほとんどが舷外へ逃げたが、ガラガラと凄い音がして、砲弾の破片が戦艦の上甲板に降り注いだ。誰も、自分の艦に砲弾が命中する音など、聞いたことがなかったから、それが意味するものを理解した者はほとんどいなかった。
「オーバーです。敵は射程をつかんでいません」
左舷側の見張りは、並んで走っている駆逐艦『ザルキイ』との間に、『ゲーベン』の砲弾がひと塊になって突っ込んだ水柱を見た。
「被害を報告せよ」
「『ツァラトゥスト』との通信が切れました」
「故障か?」
「いえ、機械は正常です。アンテナが切れたのかも」
「誰か、通信アンテナを見てこい!」
すぐに、待機していた伝令の一人が駆け出す。
『ゲーベン』にとっては幸運なことに、この砲弾のうちの1発は、海戦の結果を左右する「損傷」を与えた。1発の砲弾が第二煙突を撃ち抜き、左舷側へ出たところで爆発したのだ。直接の被害は艦載艇とボート・ダビットを壊したくらいだったが、弾片のひとつが砲術管制用の無線アンテナを切ってしまったのである。
アンテナは15分後に修理されたけれども、そのときすでに戦闘は終わってしまっていたのだ。これによって、旗艦がマスター艦の誤った射程を修整するチャンスはなくなり、戦闘は『ゲーベン』側に有利となった。
『エフスタフィ』の発砲と同時に、水雷戦隊の先任指揮官サブリン大佐は、独断で自己の艦隊に突撃を命じた。しかし、最も近い駆逐艦は低速で、速力を増して逃げていく『ゲーベン』についていくことすら難しかった。これを見たエベルガルドは攻撃中止命令を出し、駆逐艦は敵影を見ることなく突撃を中断する。
『ツァラトゥスト』は、その誤った射程11,000メートルで射撃を始めたものの、当然にすべての砲弾は目標からはるかに離れたところへ水しぶきを上げただけである。しかし、射程の通報直後に行われた『エフスタフィ』の砲撃に命中弾があったことから、彼らは自らの射程を正しいと思い込み、そのまま射撃を継続している。このとき、『ツァラトゥスト』の後部砲塔からは『ゲーベン』を見ることができず、艦首砲塔が射撃を行っただけだった。
3番艦の『パンテレイモン』は、霧と前2艦の吐き出す煙に遮られ、まったく『ゲーベン』を見ることができなかった。このため、射撃は行われていない。もし、観測所がもっと高い位置にあったならば、この2隻はいくらかなりとも有効な射撃ができただろう。
ネビンスキーの回想によれば、4番目の『トリ・スヴィティテリア』は、さらに後方にあって独自に射撃をしたものの、その射撃指揮所では『ツァラトゥスト』の誤った射程を基準としていたから、なんら戦闘には寄与していないとされる。
最後尾の『ロスティスラブ』は、主砲の口径が異なるために最初から統一指揮下になく、こちらは『ブレスラウ』に向けて若干の砲撃を行っている。命中弾はなく、『ブレスラウ』は『ゲーベン』の陰に入ることで、この攻撃をかわした。
『トリ・スヴィティテリア』の副砲も『ブレスラウ』を射撃しているが、『ゲーベン』へ向けても副砲による射撃を行った。これは副砲指揮所で得られた独自の射程でなされたのだが、やはり命中したものはない。つまり、有効な攻撃は『エフスタフィ』と『ゲーベン』の間で行われたものだけだったわけである。
一方、『ゲーベン』の攻撃はロシア艦隊の先頭艦に集中していた。最初の射撃がオーバーだったことから、『ゲーベン』の砲術士官ニスペルは「下げ200」を命じ、これはわずかに近弾となった。修整された第3斉射は見事に目標を捉え、2発が命中している。
右舷側を見ていたエベルガルドたちの真下で、敵の砲弾が爆発した。明らかに発砲とは違った衝撃があり、艦橋は大きく揺れる。
「副砲砲廓に被弾!」
「損害を報告せよ」
「右舷第1砲廓、応答ありません」
「左舷中央部に命中弾」
「なんだと!?」
「左舷4番の副砲砲廓から被害報告です」
「敵は右舷側だぞ」
「わかりません。報告は左舷の砲廓からです」
「右舷第4砲廓から報告。敵弾が貫通したそうです。装甲鈑に穴が開いていると言っています」
損害報告が重なり、艦内は大混乱になっている。
「こちらの砲弾も命中しています! こっちのほうが多いぞ!!」
ネビンスキーは、もう10発近い命中弾を報告している。しかし、『ゲーベン』の火力は衰えない。
『エフスタフィ』艦上には死傷者が続出しているが、艦は致命傷を受けていない。『エフスタフィ』では副砲以下も射撃を行なったため、『ゲーベン』は水柱に包まれている。その射撃は正確で、誰が撃っているのかもわからないから、『ゲーベン』ではロシア艦隊の集中攻撃を受けていると錯覚した。
実状は、これとはほど遠いもので、実際に射撃していたのは『エフスタフィ』だけに近い。他の艦の射撃は見当外れの場所を撃っているので、おそらくは誰も気付かないような着弾だったのだろう。しかし、林立する水柱を見た『ツァラトゥスト』は、それが自分の指示した射程で行われている射撃の結果と考えるしかなく、なんら修整は行われなかった。
このときにロシア艦から観測された『ゲーベン』への多数の命中弾は、どうやら最初の命中弾によって発生した副砲弾薬の誘爆を、命中と誤認したもののようだ。実際に命中したのは最初の1発だけであり、『ゲーベン』はなお有利に戦闘を行なっていた。
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