遠き祖国 5
Far from My Fatherland 5


 このページは、以前に三脚檣掲示板で連載した「遠き祖国」のイラストページに、短縮した本文を加えたものです。割愛したのは主にフィクション部分ですので、全体としては史実に沿っています。




fleet in port stanley

フォークランド島ポート・スタンレーを出撃するイギリス艦隊

撮影艦は『インヴィンシブル』で、手前右側の巡洋戦艦は『インフレキシブル』。左側の3本煙突の装甲巡洋艦はおそらく『コーンウォール』。先行しているのは『カーナーヴォン』だろうか。警戒任務に就く『ケント』もしくは『グラスゴー』かもしれない。撮影艦のトップマストについているひらひらは、敵の測距を妨害するための工作。




 コロネルで大敗し、誇りをいたく傷つけられた大英帝国海軍は、海軍本部作戦部長だったスターディ中将に大きな権能を与え、『インヴィンシブル』と『インフレキシブル』という2隻の巡洋戦艦を率いさせて、復讐のために送り出した。
 現場からの戦力増強要求を軽視し、新型有力艦の配分を恣意的に行って、クラドック艦隊の悲劇を図らずも裏で演出したようなスターディに、フィッシャーは失点を取り戻す機会を与えた。もし、ここで失敗すれば、スターディはどこか地球の隅っこへ放り出されるだろう。

 造船所の尻を叩いて11月11日に出撃した巡洋戦艦は、厳重な無線封止を命じられ、一般船と出会わないように航路を定めると、大西洋を南下しつつ、途中にいるストッダート少将指揮下の巡洋艦を片っ端から艦隊に加えていく。たちまち装甲巡洋艦『カーナーヴォン』、『コーンウォール』、『ケント』、軽巡洋艦『ブリストル』、仮装巡洋艦『オラマ』という大所帯に膨れ上がった。
 アブローリョス諸島で『グラスゴー』と会同した艦隊は、ここで当事者から話を聞き、コロネル沖海戦の詳細を知る。スターディ提督は、艦隊主力をフォークランドのポート・スタンレーに置き、軽巡洋艦をホーン岬へ派遣して網を張ることとした。
 11月28日、艦隊はブラジル沿岸を離れ、フォークランドへ向かう。




 アブローリョス Abrolhos 諸島は、ブラジル沿岸をリオ・デ・ジャネイロから800キロほど北へ向かったところにあり、アブロルホスと表記されていることもある。ブラジル領で岩ばかりの無人島集団。




 いきなり最前線になってしまったフォークランドには、ちょっとしたパニックが広がっていた。シュペー艦隊の来襲が予想されるからには、島の防備を固めなければならない。義勇軍が編成され、倉庫で眠っていた古い大砲が引っ張り出される。銃と名のつくものなら、猟銃から骨董品までが掻き集められた。
 接近する船があるたびに、ポート・スタンレーの町は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、家族を奥地へ避難させる者、穴を掘って財産を埋める者もあった。これがようやく落ち着いたのは、戻ってきた戦艦『キャノパス』が、港の奥にどっかと腰を据えたときだった。

 この港は内外二重の構造になっており、外港であるポート・ウィリアム、南側の内港であるポート・スタンレーに分かれている。(町の名と紛らわしいので、以後、港の名はスタンレー港、ウィリアム港と表記する)
 ウィリアム港へは比較的簡単に進入できるが、スタンレー港へ入るには、熟練した水先案内が必要になる。『キャノパス』はスタンレー港の奥、海寄りの砂丘の影に引き込まれて、目立つトップマストを下ろした。乗組員は砂丘上に監視所を設け、間接射撃のための観察員をおく。小口径砲は降ろされ、要所に据え付けてにわか造りの砲台となった。
 浅い泥の上に係留された戦艦は、12インチ砲を港の外へ向け、容易に近付けないだけの要塞に変じた。敵が攻撃してきても、これに魚雷を打ち込めるような場所までは入ってこられないし、12インチ砲の威力は簡単に敵を寄せ付けないだけのものではある。海底は浅く、仮に浸水しても沈没はしない。




 『キャノパス』を浅い海底に沈座させたとする資料が多いものの、そうすることによる利益が大きいとは思えないし、都合よく水平な海底があるとも思えない。また、何かを積むか、海水を引き込まなければ、艦は海底に座らず、満潮時には動き出してしまう。艦底が海底に着いていれば、冷却水の取り込みなどにも問題が出るはずなので、普通は行わないことだ。実際には、ごく浅い場所に、複数の錨を下ろすことで動かなくなるように係留したのではないかと考えるのだが。




 12月7日、島の人々が緊張して敵を待っているところへ、無線封止のために予告なしで、スターディ提督の艦隊が到着した。前触れの石炭船が先に到着しなかったら、煙を見た島民はパニックになっただろう。『キャノパス』に加え、巡洋戦艦2隻、装甲巡洋艦3隻、軽巡洋艦2隻が集合して、フォークランドは周辺で最強の要害となる。
 艦隊はただちに石炭の補給を始めるが、ここにはこれほどの艦隊を同時に扱うような設備がなく、石炭船も3隻しかなかったから、一部は順番待ちになってしまうのが避けられなかった。吃水の浅い軽巡洋艦は奥のスタンレー港へ入り、ウィリアム港にとどまった大型艦は、一部が載炭を始め、残りは翌朝からの作業に向けて準備にかかる。

 『ブリストル』はエンジンに不具合があり、タービンのケーシングを開放して修理を始めた。この時点でシュペー艦隊の具体的な情報はなく、急いではいても、緊急に出動するような状況ではなかった。
 シュペー艦隊の所在情報は錯綜しており、11月28日にはリオから、シュペー艦隊がモンテビデオ沖400浬にありという虚報が発せられ、12月1日になって誤りと判明している。11月28日に独巡洋艦3隻が、ペルーのイキケ沖に現れたという情報もある。また12月4日、仮装巡洋艦『プリンツ・アイテル・フリードリッヒ』が、ヴァルパライソ沖に現れたとも伝えられていた。これらにより、シュペーはまだ太平洋側にいるという観測がなされている。

 翌12月8日火曜日の朝8時、ペンブローク岬で見張りについていた義勇部隊へ、南部に住む婦人から沖に軍艦が見えるという知らせがあり、彼らが合図の狼煙を上げたとき、『インヴィンシブル』は石炭を積みはじめたところで、湾口には警戒艦として『ケント』が待機していた。『コーンウォール』はまだ石炭を積んでおらず、入口近くにいた仮装巡洋艦『マケドニア』は、難を避けて湾の奥へ移動する。
 スターディ提督は、艦隊に2時間での出港準備を命じ、マストへ登った見張りは、敵艦を『グナイゼナウ』、『ニュルンベルク』と識別した。いずれ、近くに少なくとも『シャルンホルスト』はいるはずだ。飛んで火に入る夏の虫とは、まさにこのことだろう。

 9時15分、ドイツ艦隊は港内に装甲巡洋艦と軽巡洋艦のマストを見ていたが、『キャノパス』には気付いておらず、巡洋戦艦も見付けていなかった。『キャノパス』は8時52分から12インチ砲による射撃を始めていたのだが、彼らはこれを陸上の砲台からのものと勘違いしていたのだ。湾内に立ち上る太い黒煙も、タヒチで行われたような備蓄石炭の焼却の煙ではないかと考えられている。
 やがて、多数のマストが発見されると、予想よりもはるかに多くの軍艦が集まっていると知れた。報告を受けたシュペー提督は、2隻に作戦中止を指示し、艦隊への復帰を命じる。このときにはまだ、それほど強力な敵艦がいるとは思っておらず、おっとり刀で出撃してくるイギリス艦を、射程に入ったものから順次片付けていけると考えていた。彼らが艦隊を集合するまで足踏みしているなら、追いつけなくなるだけのことだ。

 9時45分には、『ブリストル』を除く各艦の出港準備が整った。『グラスゴー』と『ケント』が港外へ出て、敵の奇襲に備える。続いて『インフレキシブル』、『インヴィンシブル』、『カーナーヴォン』が続き、速力を上げてドイツ艦隊を追う。10時半には、しんがりの『コーンウォール』も湾口を出た。機関整備中の『ブリストル』は取り残され、仮装巡洋艦と共にポート・スタンレーを防備するよう命令されている。
 港外へ出たスターディ提督は、離れていくドイツ艦隊の煙を見て、艦隊に「総追撃 General Chase」を命じた。




Invincible

もうもうと煙を上げて加速する『インヴィンシブル』

1908年就役、17250トン、12インチ砲8門、25.5ノット、『インフレキシブル』は同型艦。12インチ砲の片舷指向砲数は6門。
フォークランド海戦当日の撮影とされ、主砲は右前方を指向している。3本の煙突の高さに留意されたい。かなりの追い風があるので、煙が飛ばしきれずに上構背後の低気圧部分に引き寄せられ、艦にまとわりついている。こうなると後部砲塔からは、まったく目標が見えなくなることもある。この欠点を是正するため、『インフレキシブル』の第一煙突は高さが増されていた。




 この先の物語は、圧倒的に強く、足が速く、数が多くて防御に勝る艦隊が、術力以外のすべてにおいて劣る艦隊を追いかけ回し、屠殺しただけの海戦である。指揮官の能力も、巧みな戦術運動も、砲撃の精度や射撃指揮能力も、強固な船体構造や防御装甲の厚さも、これだけの実力差の前では、唯一速力以外の要素は意味をなさない。
 その速力を上げたくないドイツ艦隊は、敵方に巡洋戦艦がいるとは知らず、当初15ノットほどで艦隊を集合しつつ南東へ向かっていた。そのうちに敵艦隊に三脚檣を持つ艦がいると発見され、それが容赦ない速力で距離を縮めてくるとはっきりしたところで、今度は全力での逃走にも意味がなくなった。

 もし、シュペーが早くにイギリス巡洋戦艦の存在を知っていたなら、艦隊を完全に散開させ、水平線の煙だけではどれが装甲巡洋艦なのか、軽巡洋艦なのかをわからないようにしただろう。その場合、追跡側が戦力を分散するのは危険が大きくなるので、散開した5隻全部が追跡を受けるとは限らないのである。ところがシュペーは艦隊を散開させておらず、一網打尽の状況を残したままだった。これは、彼が巡洋戦艦の存在に気付くのが遅かったことを意味すると思われる。

 日没までにはまだたっぷり時間があり、天候はこの地方には珍しいほどの好天で、空には雲ひとつない。うねりもなく北西の風は穏やかで、どんな新米砲手でも、そのうちには命中させるだろう。イギリス側には十分な量の砲弾があり、そのすべてを使い切ったところで、ドイツ艦隊を叩きのめしてしまいさえしまえば何も心配する理由がない。
 いつかはこういう日が来ると考えていたドイツ艦隊だが、イギリス艦隊の追及は想像を超えており、もうもうと煙を上げて接近してくる巡洋戦艦の姿は、あたかも抵抗を無意味と宣言しているようだった。それでも、シュペー提督以下の全員が、名誉をかけて最後まで戦おうと、全力を傾注したのである。




Carnarvon

イギリス装甲巡洋艦『カーナーヴォン』

ストッダート司令官の旗艦。『モンマス』、『ケント』の改良型で、7.5インチ砲4門、6インチ砲6門を備える。速力は22.25ノットと若干遅くなった。




 混乱は、追ってくるイギリス艦隊の側に顕著だった。「総追撃」すなわち陸軍であれば「突撃」を意味する命令を掲げておきながら、自らが突出して後続が遅れはじめたのを見たスターディ提督は、各艦に指示を出していく。
 まず、装甲巡洋艦が追いついてこられるように、巡洋戦艦の速力を19ノットに落とす。『グラスゴー』を前方に出し、敵情を報告させる。『インフレキシブル』を後方に接近させ、隊列を組ませる。つまり、どこにも「突撃」などないのであって、取り消されもしなかった「総追撃」は、何の言い訳もなく反故にされたのである。スターディ提督が艦隊指揮というものを理解していなかったのは、この一事にして歴然としているのだ。
 それでも、艦の実力には何も影響がなく、両艦隊の距離は着実に縮まっていく。ドイツ艦隊は背後に死神の冷たい息を感じていた。

 じわじわと距離を詰めた艦隊に、戦闘開始命令 ”Open Fire and Engage The Enemy” が下ったのは12時51分、『インヴィンシブル』が最後尾の『ライプチヒ』を射撃しはじめたのは、12時55分だった。速力の上がらない『ライプチヒ』は、右へ左へと蛇行して砲弾をかわす。




Falkland map 1300

13時の状況。追跡が始まってから2時間以上が経過している。

 通常の航跡図より、スケールがはるかに大きいのに注意。




 シュペー提督は13時15分になって、「軽巡洋艦は戦場からの脱出を図れ」と信号を掲げ、自らは逃走を諦めて敵方へ転舵し、『グナイゼナウ』とともに最後の戦いを挑んだ。この間、イギリス艦隊の砲弾は一発も効果をあげていない。
 左舷後方15000メートルほどに接近した『インヴィンシブル』の艦首を右から左へ横切るように、およそ6点の回頭を行い、南東から東北東へ針路を転じた『シャルンホルスト』と『グナイゼナウ』は、21センチ砲12門を振りかざして、30.5センチ砲12門に立ち向かう。しかし、その斉射弾量には3倍半もの開きがあった。
 所詮は蟷螂の斧であり、物理法則への無意味な抵抗であったかもしれないが、とにかく彼らは全力を尽くして強過ぎる敵に立ち向かったのであって、その航跡には何も紛れがない。3隻の軽巡洋艦は、ほぼ真南に針路をとり、各々可能な限りの速力で逃走を図った。

 シュペーは後方の敵艦隊の正体に気付いたとき、艦隊の速力を22ノットに上げるよう命令を出しているが、実際にどれだけの速力が可能だったのか、これといって言及はない。航跡図を見る限りでは、やっと20ノットというところだろう。『ドレスデン』はより高速を発揮でき、『ライプチヒ』は遅れ気味だったとされる。
 この状態で装甲巡洋艦の機関に余力がどれだけあったかは不明だが、それがまったくなかったとは思えない。おそらく、それを使うようなことをすれば、当然機関に重大な故障が発生し、下手をすれば行動能力そのものを失いかねないから、戦術運動の能力を確保するために、あえて無理をさせなかったのだろうと思われる。いずれ全速が発揮できたところで、逃げ切れる相手ではない。
 一点だけ、シュペーの行動に疑問があるとすれば、軽巡洋艦を追おうとしている敵装甲巡洋艦の進路を妨害していないことで、これをやられればそれだけ追跡が遅れるわけだから、なぜ味方軽巡洋艦の航跡上に立ち塞がらなかったのかは、理解が困難である。




Falkland map 1400

14時の状況

 シュペーの命令によって艦隊は分散し、イギリス艦隊もまた分離して追跡している。この段階で、二つの戦場はすでに互いが見えない距離に離れている。




 イギリス艦隊の行動もまた明確で、『インヴィンシブル』と『インフレキシブル』がドイツ装甲巡洋艦に当たり、装甲巡洋艦と軽巡洋艦には、『カーナーヴォン』のストッダート提督の指揮下に軽巡洋艦を追うよう、命令が出されていた。これは、すでに決定され、事前に通達されていた作戦通りである。艦隊は自動的に分離し、各々の目標へと向かう。
 ところがスターディは、『カーナーヴォン』に巡洋戦艦隊への追従を命じる。ここで残余の巡洋艦隊には将官がいなくなり、最先任は『グラスゴー』のルース艦長ということになった。
 これはストッダート司令官からの指揮権剥奪に近く、かなり乱暴な命令と思える。また、シュペー艦隊がフォークランドへ姿を見せたことで、当然に追撃戦となるにもかかわらず、より快速の艦に旗艦を移そうとしなかったストッダート司令官も、積極性に欠けると言えるだろう。旗艦の『カーナーヴォン』は、追跡艦隊中で最も遅い艦なのだ。

 前方にT字を描こうとするドイツ装甲巡洋艦の動きに対応した巡洋戦艦は、やはり左へ6点ほど旋回し、ほぼ平行した針路で砲撃を開始する。15000メートルから徐々に接近するが、『シャルンホルスト』の21センチ砲は、砲塔砲こそ仰角30度で15000メートル以上の射程を持つものの、舷側の砲廓砲は最大仰角が小さく、それは12300メートルでしかなかった。15センチ砲のほうが仰角は大きく取れ、13500メートルの最大射程を持っている。

 イギリス巡洋戦艦の12インチ砲は、理論的最大射程は大きいものの、他の事例から推測するに、この時期には対艦戦闘での最大有効射程を16000ヤード (14600メートル) に設定していたと思われ、おそらくこれを越えた距離での射撃は想定されておらず、訓練も実施していないだろう。
 つまり、しばしば述べられるこの海戦での「アウトレンジ」は、さして大きな範囲ではなく、それも一部の砲に対してのみ有効だったにすぎないのだ。
 イギリス艦隊は、それぞれ対艦を目標とするが、ドイツの2隻は旗艦である『インヴィンシブル』に射撃を集中した。『カーナーヴォン』はなかなか射程に入れず、巡洋戦艦の後ろを付いて回るだけだ。

 相互に激しい射撃を行いながら12000メートルまで接近したとき、ドイツ側は『インヴィンシブル』に最初の命中弾を与えている。これにより、スターディは北東へ針路を変え、距離の拡大を図った。14時頃には双方が射撃を中止している。このときには『グナイゼナウ』に12インチ砲弾2発が命中し、1発の至近弾によって水中部に若干の浸水をみていた。『シャルンホルスト』の被害は不明だが、大きな損傷をこうむった様子はない。
 14時03分、シュペーは右へ12点ほど転舵し、追従の遅れたイギリス艦隊とは距離が開いている。これを追って増速し、距離を詰めたスターディは14時50分頃、距離16000ヤードで射撃を再開した。一方的に射撃されるシュペーは14時53分、左へ10点の回頭を行い、スターディもこれにならった。距離は徐々に詰まり、12000メートルに至って、スターディは再び左に回頭する。

 スターディが距離を開けば、シュペーはより離れる側へ転舵し、近付けば踏み込んでくる。追いつ追われつの戦いは、優速の巡洋戦艦がもう一歩を踏み込まないため、ダラダラと長引くだけの撃ち合いになった。やがて、ドイツ装甲巡洋艦には砲弾が欠乏してくる。




Falkland map 1500

15時の状況

 機関状態のよかった『ドレスデン』が、他を引き離しはじめた。装甲巡洋艦と巡洋戦艦は、艦隊運動の駆け引きの最中である。『カーナーヴォン』はおおよそ巡洋戦艦の航跡をなぞっているが、部分的にショートカットして距離を詰めつつある。




 15時15分、イギリス艦隊は左回りに16点の一斉回頭を行い、『インフレキシブル』が嚮導する形になる。艦隊を率いる立場になった『インフレキシブル』は、さらに左へ6点ほど回り、ドイツ艦隊の後方について急速に距離を縮める。
 15時27分、右に大きく回頭したシュペーは、イギリス艦隊の艦首を押さえる形になり、T字の頭を取られたイギリス艦隊は右へ回り、またも並行砲戦となった。
 このときの距離は11000メートルほどで、すでに『シャルンホルスト』には多くの命中弾があったけれども、それまで非敵側にあって損害の少ない砲廓からの射撃を受け、スターディはさらに右へ舵を取らせて距離を離す。ほどなく14000メートルの間隔となると、ドイツ側は主砲塔からだけの射撃となり、一方的な命中弾を受けて戦闘力は急激に減少した。
 15時55分頃にはドイツ艦隊の速力もはっきりと低下し、イギリス艦隊は左へ回って西南西へ向かうドイツ艦隊との距離を詰める。シュペーは『グナイゼナウ』に対し、「機関に余力あれば脱出を試みよ」と信号して、右8点の回頭を行い、敵に接近しようとする。しかし、艦首を沈め、左に大きく傾斜した『シャルンホルスト』は16時17分、艦首から急速に沈没した。




Falkland map 1600

16時の状況

 すでに『シャルンホルスト』は重傷を負っており、間もなく沈没する。3隻の軽巡洋艦は分離して、イギリス側もそれに対応している。




 このとき、すでに『グナイゼナウ』の速力は16ノットしかなく、脱出の望みはなかった。沈没する『シャルンホルスト』に接近したイギリス艦隊との距離は、最小9000メートルほどとなり、『グナイゼナウ』は活発な射撃を行って命中弾を得る。このとき、嚮導艦『インフレキシブル』は大きく回頭して、沈みかけた『シャルンホルスト』へ接近しようとした。しかし『インヴィンシブル』は先行する『インフレキシブル』に続かず、「旗艦に続航せよ」と信号して単縦陣の形成を命じる。
 これに応じて一回転した『インフレキシブル』だが、旗艦後方の位置は煤煙が濃く、照準できないために命令を無視して再度左へ回り、『グナイゼナウ』の艦尾側へ出て、猛烈な射撃を行った。

 17時頃、『インフレキシブル』は右へ回頭し、左舷前方に『グナイゼナウ』を見ながらこれを追い越しつつ、旗艦に接近する。遅れていた『カーナーヴォン』も、ようやく戦いに加わった。
 ここまで、この艦は艦隊運動を無意味になぞっており、積極的な接近を試みた様子はない。15時15分の一斉回頭で巡洋戦艦が半回転すると、射程に入っていない自分までもが同じように回って距離を詰めようとせず、その後もドイツ艦へ接近しようとしないばかりか、旗艦を追うだけでコースのショートカットすら行っていない。その航跡をたどれば命令盲従と読める。ストッダート司令官はおそらく、まったくやる気がなく、積極的に射程に入るより、命令不服従で譴責されるほうを怖れたのだろう。

 すでに『グナイゼナウ』の後部砲塔は、左舷90度方向を指向したまま旋回不能となっており、砲廓砲も全滅して、射撃しているのは艦首砲塔だけである。そのため砲弾は急速に消耗し、砲廓砲から砲弾を移送しなければならなくなる。やっと1発の発射をすれば、10倍の砲弾を撃ち返される状態で、艦首砲塔も揚弾機を破壊されたため、とうとう発砲不能となった。
 17時20分、メルカー艦長は自沈を命じ、17時25分に最後の魚雷を発射すると、海水弁や水中発射管の扉を開放して、乗員の退艦を開始する。17時45分、『グナイゼナウ』は転覆し、沈没した。降伏はしておらず、戦闘旗は檣頭に翻ったままだったとされる。

 戦闘が継続したためもあって、先に沈没した『シャルンホルスト』の生存者救助は行われず、旗艦ではシュペー提督、フィーリッツ参謀長、シュルツ艦長以下、乗り組みの全員が戦死している。『グナイゼナウ』ではおよそ200名が救助されたものの、低体温症のためにかなりの人数が救助後に死亡した。生存者数は187名と伝えられる。メルカー艦長、ハインリッヒ・シュペー少尉も助からず、生存者中の最先任は、ポッポハンマー副長だった。
 このとき、麾下の巡洋艦はまだ、それぞれドイツ巡洋艦との戦闘を継続中であるのだが、スターディ提督は『グナイゼナウ』の沈没地点に『インフレキシブル』と『カーナーヴォン』を停止させ、乗員の救助と「記念撮影」を行っている。部下がなお戦闘中であるという意識は、彼の頭の中にはなかったらしい。




Falkland map all

全体状況

 全般に最終段階で時間が掛かっており、停止してから、沈没、救助に至る所要時間が大きい。これは、ドイツ艦が降伏しないため、魚雷攻撃などを恐れたのではないかと思われる。
 『グナイゼナウ』が戦闘力をなくして停止した17時30分頃には、他の艦は未だ戦闘中だった。『ライプチヒ』の1923の時刻表記は停止した時間であり、沈没は21時過ぎである。




 一方、全速力で逃走する軽巡洋艦だが、比較的機関の状態がよかった『ドレスデン』は、他の2艦より先行して、南から南西方向へと逃走する。『ニュルンベルク』と『ライプチヒ』では、高速運転を強いられた機関が次々に故障を起こし、速力は急激に低下した。
 これを追うイギリス艦隊も、『コーンウォール』、『ケント』の速力が上がらず、やっと20ノットくらいでの追跡だったが、やがてドイツ軽巡洋艦の速力低下が認められ、その距離は徐々に詰まっていった。このとき、速力に余裕のあった『グラスゴー』は、一時『ドレスデン』追跡の構えを見せるものの、ほどなくこれを放棄して『コーンウォール』とともに『ライプチヒ』を攻撃している。このため、『ドレスデン』は機関に決定的なダメージを受ける前に速力を低下でき、燃料も節約されたので、以後の行動が容易になった。

 『ニュルンベルク』を追った『ケント』は、燃料石炭の欠乏をきたし、艦内の木製備品を焚いて速力を維持している。これはおそらく、防御の目的で広い範囲に積載された石炭の移動が間に合わず、一時的に即応燃料が不足したため、容易に入手できた木材を代用燃料としたものだろう。戦闘後にフォークランドへ戻った時点で、残燃料128トン (巡航速力で2日分弱くらい) という数字が残っているから、絶対量が足らなかったわけではない。

 ここで英側の記録には、各艦が能力以上の速力を発揮したように書かれているけれども、機関や船体が長期間大整備を受けていないのはイギリス艦も同じであり、状況は五十歩百歩というところである。これは、公称23ノットの艦に2ノット差で追いついたから25ノットというような、かなり安直な推測ではないかと思われる。実際にはずっと遅かっただろう。
 『ケント』の例にしても、木材を燃やしても石炭以上のカロリーは得られないのだから、それでより速くなることはありえない。もしそうなるなら、速力公試の際には、誰もがボイラーに薪をくべるはずだし、そもそも石炭を燃料にする理由がなくなる。

 18時30分頃には『ニュルンベルク』が停止し、19時27分に沈没している。『ケント』の艦載艇に損傷が多く、救助作業に手間取ったため、救助された生存者は兵11名のみだった。そのうちの4人は、低体温のためにほどなく死亡し、7人のみが生き残っている。
 戦闘力をなくして停止したドイツ艦が明確に降伏しないため、『ケント』はおっかなびっくりにしか接近していないようでもある。沈没時に生存が確認されていたシェーンベルク艦長、オットー・シュペー少尉も、生存者の中にいない。
 この頃には『ライプチヒ』も停止し、こちらは21時23分に沈没したが、すでに戦闘力をなくし、乗員が脱出を始めている状況であるにもかかわらず、イギリス艦が射撃を継続したため、救助の遅れもあってほとんどの乗組員が死亡した。生存者は士官5名、兵13名に過ぎず、ハウン艦長は含まれていない。『グラスゴー』では、砲手が抗命して射撃を中止するまで、ルース艦長は攻撃を止めさせなかったという。

 南西方向へ逃走した『ドレスデン』は、唯一追跡が可能だった『グラスゴー』が早々に追跡を断念したため、まったく砲撃戦を行っておらず、被害もなかった。最も接近したときの両艦の距離は20キロメートルほどで、当日の天候からすれば見失うほどではない。また、『グラスゴー』のルース艦長は、『ドレスデン』の速力が速かったと言っているけれども、『ドレスデン』側の記録からすれば、速力はわずかに『グラスゴー』のほうが速かったようだ。
 この『ドレスデン』が生き残ったため、イギリス艦隊はフィッシャー海軍卿の叱責を受け、その捜索を命じられることになった。

 ドイツ艦隊に付属していた石炭船は、機関整備によって出動の遅れた『ブリストル』と仮装巡洋艦『マケドニア』に追われ、『バーデン』と『サンタ・イサベル』は洋上に停止した。わずかに『ザイドリッツ』のみは逃走し、虎口を脱している。
 『ブリストル』のファンショー艦長は、2隻の石炭船を捕獲したものの、『輸送船を撃沈せよ』とのスターディ提督の命令 (フォークランド島占領目的の陸兵を乗せている可能性を考えていたらしい) にこだわり、あたら有用な物資、石炭とともに、この2隻を沈めてしまった。この無意味な処置は、後にイギリス国内でも問題視されている。




German sailors and Inflexible

『記念写真』

 写っているのは『インフレキシブル』である。このとき『インヴィンシブル』の3本の煙突は、ほぼ同じ高さだった。
 この写真が単なる事実記録か、あるいは何かを意図して撮影されたものか、判断は皆様にお任せしよう。助けを求めるように上げられている腕が、少々長すぎるように見えるのは、私の気のせいかもしれない。




 この戦闘において使用された砲弾の数は、以下の通りである。
『インヴィンシブル』:12インチ徹甲弾(APC)128発、被帽弾(CP)259発、通常弾(HE)126発、合計513発
『インフレキシブル』:12インチ徹甲弾157発、被帽弾343発、通常弾161発、合計661発
『カーナーヴォン』:7.5インチ砲弾85発、6インチ砲弾60発、(種別不明、以下同じ)
『ケント』:6インチ砲弾638発
『コーンウォール』:6インチ砲弾1093発
『グラスゴー』:6インチ砲弾316発、4インチ砲弾889発
 砲弾の搭載数に記録はないが、定数は12インチ砲で1門あたり平時80発、戦時110発とされる。6インチ砲では1門あたり100ないし200発ほどだろう。艦と砲の装備位置によって同一ではない。12インチ砲8門の『インフレキシブル』では、搭載数の4分の3以上を消費したことになる。

被命中弾は以下の通り。( )内は異説
『インヴィンシブル』:22発 (23発、25発)、軽傷1名 (死傷者なし)
 21センチ砲弾12発、15センチ砲弾6発、不明4発とされる。うち11発は甲板に命中し、舷側装甲帯に4発、舷側非装甲部に4発が命中した。舷側水中部、前部砲塔、前檣楼へ、各1発が命中している。
『インフレキシブル』:3発、内容不明、戦死1名、負傷3名、砲塔上の4インチ砲が破損した。
『カーナーヴォン』:なし
『ケント』:10.5センチ砲弾38発 (37発)、戦死6名、負傷12名 (8名)
『コーンウォール』:10.5センチ砲弾18発、死傷者なし
『グラスゴー』:10.5センチ砲弾2発 (6発)、戦死1名、負傷4名
『ブリストル』:なし

 『グラスゴー』は前檣トップに命中弾を受け、そのための死傷者が多かった。『ケント』では中央部の6インチ砲砲廓に直撃弾があり、装甲は突破されなかったものの、砲弾の炸裂で準備装薬が誘爆したため、大きな被害を出したのである。この爆発は揚弾筒にまで伝わっており、下部にいた乗組員がすばやく筒内の装薬を抜き取って扉を閉鎖したため、大被害を避けられた。この砲廓は直下に弾薬庫を持っておらず、防御甲板下の水平通路によって主弾薬庫から弾薬を移送していたから、通路の状況によっては大惨事の可能性もあった。(砲弾が砲門から入ったとする説もある)
 もちろんドイツ艦には被命中弾数の正確な記録は残っていないが、発射数からすれば、『ライプチヒ』は12インチ砲弾を含めて2千発以上撃たれたことになり、命中率が5パーセントとしても100発以上当たったことになる。そんなに持ちこたえられるわけがないので、命中率はずっと低かったのだろう。『グナイゼナウ』には生存者の記憶などから構築された記録があり、それによれば主要な命中弾はおよそ30発ということである。

 ドイツ側には発射数の記録もない。装甲巡洋艦は21センチ砲弾をあらかた撃ち尽くし、軽巡洋艦も大半を消費したと思われるが、手の届かなくなった弾薬庫に残弾はあっただろう。『ドレスデン』は1発も発射しておらず、撃たれてもいない。
 イギリス側の『カーナーヴォン』と『ブリストル』に、被害がまったくないことをご記憶いただきたい。

 この海戦については、戦力差があまりにも大きかったために、あまり突っ込んだ研究がなされていないようだ。前述したように、個々の行動についてはイギリス側に疑問点が多いものの、勝利の輝きはその影を覆ってしまい、これといった批評はなされていない。一般の書物でも、「手際が悪い」、「時間のかかりすぎ」といった程度の論評で、誉めてこそいないけれども辛辣なものは少ない。日本海軍では2隻の巡洋戦艦の戦い方を、「悪い手本」と評価していたようだ。




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