遠き祖国 7
Far from My Fatherland 7


 このページは、以前に三脚檣掲示板で連載した「遠き祖国」のイラストページに、短縮した本文を加えたものです。割愛したのは主にフィクション部分ですので、全体としては史実に沿っています。
 ここではシュペー提督が採り得た作戦と、脱出した『ドレスデン』について書いています。




 さて、コロネル海戦の後、シュペーが採り得た行動の内で、現実性があり、効果的だった方法はどんなものだろう。
 軍令部の示唆のように、大西洋を北上してドーヴァー突破を図るのは、如何にしても無謀だろう。石炭の残量、機関の衰耗を考えれば、とうてい20ノットも不可能で、せいぜい15ノットくらいの航行になる。どう考えても、イギリス海軍が見逃してくれるわけがない。よほど天候に恵まれなければ確実に捕まるし、天候待ちをする場所もないのだ。

 ブリテン島を迂回して、北から入るには完全に航続力が足らない。北部アメリカやカナダで補給できるわけもなく、運よく中部大西洋で発見されなくても、アイスランドまで行くのがやっとだ。補給は抗議を無視して強行せざるを得ない。イギリス本島やスカパ・フローとの位置関係を見れば、知らせを受けて迫ってくる艦隊から逃げ切れる可能性は極端に低い。時期は真冬だから、大きく北へ迂回することもできないのだ。

 ここで、最も実現の可能性が高いのは、南アフリカ喜望峰を通過してインド洋へ入り、紅海へ入ってアラビア半島から陸路で乗組員だけが帰国する道である。艦は持って帰れないが、紅海の奥は同盟国トルコ領なので抑留されることはないから、補給や修理は無理でも自沈処分はできるだろう。もともと本国では使い道に乏しいのだし、艦体は不要とも言えるのだ。『ケーニヒスベルク』の乗員も救出できる可能性がある。

 これには、『エムデン』のミュッケ副長以下のたどった道が参考になるものの、どうにもシュペーがそれを知る方法はない。12月8日には、ミュッケはまだ脱出途上で帆船『アイシャ』に乗っていたのだから。
 南米からやはり乗員だけが脱出する道はあるけれども、陸続きでないアメリカ大陸から、3千人もの現役兵がヨーロッパへ渡るのは至難だろう。連合軍は大掛かりな網を張るはずだから、大半が逮捕、抑留されると考えなければならない。

 もしシュペー艦隊がアフリカ東岸へ入ったと知れれば、当該地域にはパニックが起きるに違いない。イギリスの大規模な基地は、せいぜいアデンくらいなものだ。配備されている艦隊も非力で、とうていシュペー艦隊を止められはしない。有力なのは旧式戦艦『スイフトシュア』 Swiftsure (1904年就役、11800トン、10インチ砲4門、7.5インチ砲12門、19ノット) と軽巡洋艦『ダートマス』 Dartmouth (1911年就役、5250トン、6インチ砲8門、25ノット) くらいであり、現実にはともかく、現場の意識としては無理だろう。

 距離からしても、アフリカ東岸で二度載炭すれば、紅海の奥までは進めると思われる。強敵がいなければ、機関に無理をかける必要もない。燃料が足らなければ装甲巡洋艦だけを気付かれないように自沈処分し、乗員を軽巡洋艦へ収容して先へ進む方法もある。行方不明になった装甲巡洋艦に対して、連合軍は確信が持てるまで脅威の位置付けから外すことはできないだろう。自沈を確認されるより効果は大きいかもしれない。

 たとえ兵員だけでも、敵艦隊を撃滅した勇士が3千人も帰国すれば、マンパワーとしても、精神的支柱としても、他国への宣伝としても、効果は非常に大きなものになる。それを率いたシュペー提督を国家英雄に祭り上げれば、トルコから帰国する道すがらへの影響も計り知れない。
 これを阻止できるのは、唯一スターディ艦隊だけであり、巡洋戦艦をアデンへ急行させる以外に手段はあるまい。極東の艦隊からでは間に合わないし、香港司令部はすれ違いを怖れるだろう。ボンベイ (ムンバイ)、シンガポールを固めるのがせいぜいと思われる。

 スターディが間に合うかどうかは、計画を知るタイミングしだいになるが、不確実な情報だけを根拠にした決断は難しいし、巡洋戦艦への燃料補給の問題は大きく影響するだろう。南アフリカで載炭しても、アデンまでは直航できないから、ザンジバルあたりで再補給が必要になるけれども、準備があるかどうか。燃料供給に確信がなければ、高速で突っ走るわけにはいかないから、追いつけるかは疑問だ。危なくてスエズ側からの補給船を迎えには出せないのだ。地中海からの艦隊派遣は、現場や海軍本部が、それだけの余裕を捻出できると考えるかによる。
 世界世論を考慮すれば実行できないだろうが、シュペーがスエズを封鎖、もしくは自沈による閉塞を行う可能性があり、イギリスは本来ならば運河を紅海側で防備しなければならない。しかし、防備艦隊主力が運河を抜けてしまえば、ポート・サイド側への備えがおろそかになると考えるだろうし、ダーダネルスに、より強力な『ゲーベン』の存在があるから、容易に防御の手は抜けないのだ。

 これらはまあ、完全な後知恵だし、思考の遊び以上のものではない。ただ、これをやられたら、連合軍は対策に窮したと思われる。




 シュペー提督がフォークランド島攻撃を企てたこと自体がエラーと言えるかは微妙なところだが、戦術上の失策がなかったわけでもない。
 その最大のものは、島へ早朝に接近したことである。予想しない強力な敵がそこにいた場合、午後の時間帯であれば日没まで逃走することは難しくないが、朝早くに接近したのでは、追われる時間が長すぎる。
 もうひとつは島へ石炭船を伴っていたことで、太平洋にあったときには、こうした無用心な行動をしなかったのだから、やはりなにかしか疲労が溜まっていたのだろう。

 もし、スターディの到着が一日遅れていたら、いったいどうなっていたのだろうか。




●後書きと前書き
 スターディ提督は、おそらく身から出た錆とはいえ、どうにも逃れられない貧乏くじを引かされた。勝つのはあたりまえ、上手くできて当然、失敗すれば譴責ものの任務である。その結果も芳しいものではなく、発見は運よく敵が目の前に出てきてくれただけだから評価の対象にはならないし、勝ったのは戦力差からすれば必然でしかない。『ドレスデン』を逃がしたことはフィッシャーの怒りを買い、巡洋戦艦をして一軽巡洋艦の追跡をするよう命じられている。
 しかし、本国のビーティが手薄になった隙を狙い、12月16日にヒッパー艦隊がイギリス本土北海沿岸都市を砲撃したため (本ホームページの「スカボロー・フィア」参照)、2隻の巡洋戦艦は急遽呼び戻され、スターディも一緒に本国へ帰還している。

 スターディはこの後、男爵位を授けられてグランド・フリートの第四戦艦戦隊司令官となり、ジュットランド海戦には、ジェリコー直属である第三戦艦戦隊の直後に位置して参戦した。
 後にジェリコーの第一海軍卿就任に伴う人事で、次期グランド・フリート司令長官の候補としてスターディの名も挙がったようだが、結局はビーティが席に着いた。英国海軍省内での彼の評価がどのようなものだったかは聞こえてこないけれども、かなり辛辣な意見も一部には見られるし、英雄視されていないのは間違いない。敵艦隊、それも味方の艦隊を一度は撃破した仇敵をほぼ全滅させた指揮官とすれば、この評価のなさは異例とも思える。

 その一例を挙げれば、彼の名を冠された軍艦は建造されていない。『スターディ』 Sturdy という名の駆逐艦はあるが、これは「屈強な」という意味の一般単語であり、彼の名 Sturdee とはスペルが異なる。ジェリコーはともかく、ビーティの名もないが、こちらは後の条約型戦艦『キング・ジョージ五世』級の予定艦名に挙げられていた。この二人はいずれも、海戦で決定的な勝利を勝ち取ってはいないのに、だ。
 スターディは戦後、1921年に艦隊司令長官に任命されるものの、すでにグランド・フリートは解散していて、時はワシントン軍縮条約調印のその瞬間であり、仕事は解体される主力艦隊の残務整理といったところだ。名誉職、閑職というより、これもやはり貧乏くじだろう。

 勝利艦隊のもう一人の指揮官ストッダート少将もまた、評価されていない。その戦闘航跡は、彼にやる気がなかったのでないなら、無能の証明でしかない。命じられるまま漫然と巡洋戦艦の後ろに付いていただけで、直接指揮下の巡洋艦に指示を出してもいない。もしかしたらこの二人は、互いに相手がやっているものと考えたのかもしれない。

 さて、この二つの海戦を扱った書物や記事では、逃げた『ドレスデン』について、たいていはごく簡単な記述があるだけでしかない。南アメリカ大陸の南端に身を隠した軽巡洋艦は、3ヵ月後に太平洋のファン・フェルナンデス諸島近くで発見される。一度は逃走してマス・ア・ティエラ島へ逃げ込んだものの、駆け付けた『グラスゴー』と『ケント』の攻撃を受け、被害を受けて自沈したというのが、記述量としたら多いほうだろう。
 しかしながら、400人近い乗組員を抱えた軽巡洋艦が、組織的な補給を受けずに100日近くも生き長らえることは困難であり、血眼になって探すイギリス艦隊の目を逃れるのも不可能に近い。それでも、実際にここで何が行われたのかを詳しく述べた資料はなく、資料そのものも少なくて、詳細はまったくわからない。

 その一部を拾ってみれば、12月16日の事件によって巡洋戦艦が本国へ呼び戻されるまで、イギリス艦隊はフォークランド海戦に参加した全艦が『ドレスデン』捜索に従事している。12月17日に帰還命令が下ると、後始末はストッダート司令官に託された。
 1月上旬には『コーンウォール』が中部大西洋警備区へ戻され、『カーナーヴォン』と『マケドニア』、『ケント』と『オラマ』、『グラスゴー』と『ブリストル』がそれぞれペアを組み、アルゼンチン沿岸から太平洋岸ペルーまで、『ドレスデン』の影を求めて行動している。2月10日頃には『カーナーヴォン』もストッダート司令官とともに中部大西洋へ戻り、さらなる捜索は最先任の『グラスゴー』、ルース艦長に引き継がれた。

 南アメリカ大陸南端の太平洋側には、およそ2000キロメートルに渡って無人の島が無数に連なっており、島を隔てる水道もまた無数にある。これはアンデス山脈の末端が海中に没し、強固な岩山が侵食をまぬかれて海中に聳え立っている地形なので、いわばノルウェーに見られるフィヨルドがさらに細切れになったような場所なのだ。小さな島に標高2000メートル級の山も珍しくない。海岸に平地がほとんどないため、天候の悪さもあって利用法がなく、ごくわずかな原住民が住む以外、人口はほとんどない。




map of Magellan straight

マゼラン海峡付近の地図

 解説などはガンルームに掲載予定の「続・遠き祖国」に掲出する予定



 この何百、何千という島の隙間を廻っての捜索は現実に行われ、狭水道へは艦載艇を送り込んでいる。地元にはドイツびいきの人もおり、細々ながら『ドレスデン』への補給も行われていて、その痕跡は手繰られているのだが、行方不明になった貨物の跡を追っても、軽巡洋艦の姿にだけはたどりつかないのだ。一時は補給船を海峡内で捕捉したものの、まんまと逃げられている。

 マゼラン海峡内唯一の都市であるプンタ・アレーナスでは、地元船が捜索に雇用されて、ドイツ艦所在情報への賞金も提示された。当時のこの町は、戦争とパナマ運河 (1914年8月開通) の影響で通りかかる船舶が激減し、不況を通り越して町の消滅まで噂されるほどだったから、金ほしさに協力する者はいくらでもいただろう。通常、地元民による大規模な捜索が行われれば、地域内にいる軽巡洋艦が見付からないなどということはありえない。しかし、『ドレスデン』は実際にほぼ2ヶ月間、南アメリカ大陸南端地域にあって、捜索の目を逃れ続けたのである。
 その最中『ブリストル』は、偽情報に踊らされて狭水道へ入りこみ、2月23日に触礁して舵を痛め、修理に戻らなくてはならなくなった。このときすでに『ドレスデン』は、通商破壊作戦を継続するため、太平洋に出ていたのだ。わずかに1隻だけだが、ここでイギリス国籍の帆装貨物船が捕らえられている。

 情報を得てドイツ補給船を泳がせたイギリス海軍はようやく3月8日、その会合点付近で『ドレスデン』を発見するものの、追跡した装甲巡洋艦『ケント』は、消耗した機関がたたってわずかに追いつけず、取り逃がしてしまう。しかし、機関をすりつぶし、燃料を使い切った『ドレスデン』も行動能力を失って、ファン・フェルナンデス諸島のマス・ア・ティエラ島へたどり着くのがやっとだった。
 イギリス艦隊は何らかの方法で島への『ドレスデン』到着を知り (公式にはこの島に本土まで通信可能な無線機はなかった)、『グラスゴー』のルース艦長は、燃料を補給した『ケント』と仮装巡洋艦『オラマ』を呼ぶと、14日にマス・ア・ティエラ島へ押し寄せる。すでに行動能力がなく、抵抗の意思もなかった『ドレスデン』だが、中立国領海内にあるにもかかわらず、問答無用で攻撃を仕掛けてきたイギリス艦隊にわずかながら抵抗し、白旗を掲げて攻撃をやめさせると、弾薬庫に点火して自沈した。ここで戦死7名、重傷15名、軽傷14名を出し、1名が行方不明になっている。乗組員は島へ上陸して抑留され、後にヴァルパライソへ移送された。

 しかし、軟禁された彼らは少数ずつグループに分かれて抑留から脱走し、その多くが本国への帰還を果たした。後にナチス政権下で国防軍諜報部長官となったカナーリス中尉も脱走すると、本国へ帰り着いている。若い3人の少尉を引き連れた予備少尉が、小型帆船『チンタオ』に乗ってヴァルパライソを脱出し、120日をかけて1917年3月17日に本国へ戻るという冒険譚もあるのだが、詳細は発見していない。

 ここで、私はまったくの創作として、この『ドレスデン』とイギリス艦隊の隠れんぼを小説にしてみた。手に入る範囲の資料を漁ってみれば、いろいろと見えてくるものもあるから、それを下敷きにして話を膨らませたのだ。架空の人物を登場させて、話をまとめている。
 いわば「遠き祖国」の続編にもあたるのだが、フィクションとしては最後に華々しい結果はなく、『ドレスデン』は動くこともできなくなって撃破され、自爆、自沈してしまうから、結末としては寂しいものである。戦闘場面も少なく、クライマックスがなくて、ただダラダラと続くだけに思えるかもしれないが、一応は史実に沿った展開なので、それもやむを得ない。
 これをお楽しみいただけるかには、私の稚拙な筆力の問題もあるのだが、書き上げたものは連載した本篇に匹敵する長さになってしまった。これについては後日、三脚檣ガンルームへまとめて掲載しようと考えている。

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