砲塔の生い立ちと進化(2) Progress of Turret and Barbette (2) |
■コールズ砲塔・動力装填 (『サンダーラー』 Thunderer のもの・1877年)
●概要
図2のワスカルの砲塔を基礎にし、水圧動力による装填装置を組み合わせたもの。同型艦『デヴァステーション』 Devastation では人力装填だったが、2番艦『サンダーラー』の前部砲塔に、機力装填装置が導入された。
図は、後に改装された後部砲塔を示している。装填装置は砲塔の左右、30度の位置に二組用意されていたとされるのだが、この艦のシタデルには前部砲塔の前側にそのような余積はなく、これは砲塔の後方にあったのだろう。図の後部砲塔では、艦の前方側にあるように描かれている。
●旋回
蒸気動力で旋回されたが、砲の操作は人力で、砲塔には22人を必要とした。装填装置の機械化によって、これは10人にまで減らせている。
中心軸が中空となり、ここを通して水圧動力が供給された。新造時にはまだ電気照明が用いられておらず、電気は使っていても発砲管制だけと思われる。
●俯仰
通常の方法であるが、最大仰角14度10分から最大俯角3度10分まで13分かかったという。装填のために特別俯角が用意され、砲身は大きくお辞儀をした状態で装填される。
この砲塔の構造を示した資料はほとんどなく、手元にあるのはイラストひとつだけである。図では紫色に着色した水圧機と思われるものが、どういう作用をするのか理解できない。この位置にあっても砲の俯仰には使えないのだ。
これは、砲架を載せた床そのものを傾け、砲身に必要な角度を与える機構なのではないだろうかと推測するのだが、元図ではここに示したイラストと同様、床は水平に描かれている。発砲時の俯仰は通常の方法で、装填時にのみ、これを用いるのではないかと考えるのだが。
●装填
前装砲なので、ラマーは非常に長い。この頃にはまだ伸縮式ではなかったようだ。ラマーは水圧によって前後動する。
就役から2年に満たない1879年1月2日、前部砲塔砲が二重装填によって暴発し、士官2名を含む11名が死亡、30名が負傷した。
これは演習中の事故であり、砲塔員が誰も直前の不発射に気付かず、装填手が残ったままの砲弾の上に新たな装薬と砲弾を詰めてしまったもので、急ぐあまりラマーに刻まれたマークの確認を怠ったためとされる。後装砲ではまず起きない事態である。
●照準
砲室の後部天蓋上に観測塔が設けられているのは、『ワスカル』のそれと同様である。
■コールズ砲塔・全動力砲塔 (『インフレキシブル』 Inflexible のもの・1881年)
●概要
砲口径の増大が求められ、砲身が巨大化したことにより、砲室内へ砲身を引きこむことが困難になってきた。このため、砲塔外側に天井の盛り上がった部屋を作り、そこに装填装置を収めて砲塔外から装填を行おうとしたもの。
前装砲でない限り採用されない方式なので、これを用いたのはイギリスに1隻、イタリアに2隻あっただけである。本流とはいくらか外れる存在ではあるけれども、当時の最大口径砲を装備したものとして取り上げておく。
■コールズ砲塔・後装砲装備 (『コロッサス』 Colossus のもの・1886年)
●概要
1886年になり、イギリス海軍もようやく大口径前装砲に見切りをつけ、後装砲へ移行した。図を見ていただけばお解りのように、構成は『サンダーラー』のもののパーツを前後入れ替えただけに近い。
最も進歩しているのは砲鞍(ほうあん)で、砲のスライドはその仰角と一致したものになった。
●旋回
前型と大きな違いはない。
●俯仰
これまで砲身に取り付けられていた俯仰軸 (砲耳) は、砲鞍に取りつけられ、砲はこの上をその中心軸と平行に後退するようになった。砲鞍には水圧式の駐退機が内蔵され、砲と一緒に俯仰する。
砲眼孔を極力小さくする要求に応じて、俯仰軸を砲鞍の先端に置いたので、バランスは完全に砲尾よりとなり、俯仰機は砲身と砲鞍の全重量を支えているのに近い。
俯仰軸が砲軸と離れているために、発砲の反動によってモーメントが発生し、衝撃は俯仰用の水圧機を直撃する。当然これは故障の原因となっただろう。
●装填
まったく前型のものと同様であり、砲弾と装薬の順番、向きが変わっただけに過ぎない。装填時の仰角は13.5度で、これがそのままこの砲塔の最大仰角でもある。通常の後装砲では、作業空間を確保するために前進位置で装填する場合が多いが、本砲塔では旋回部外から装填するために、最も後退した位置で装填される。
尾栓は砲尾に取り付けられておらず、まったくの別部品である。間隔螺旋式で、脱着時には30度ほど回した後、真っ直ぐ後方へ引き抜くようになっていた。
何も支持構造がないので、尾栓を扱うために砲の後方には運用台が置かれ、引き抜かれた尾栓はここの専用トレーに乗せられる。台は尾栓を乗せて横方向へ移動し、砲尾に装填用の空間を確保する。
●照準
砲塔の後部に装填関連装置や尾栓運用台が置かれたので空間がなくなり、指揮装置は砲の脇に置かれて、かなり前部に照準塔が設けられた。指揮塔はその後方に置かれている。
■高架砲塔 (『ロイアル・ソヴリン』 Royal Sovereign のもの・1892年)
●概要
前掲の『コロッサス』の砲塔を仔細に眺めてみると、砲室には重厚な装甲が施されているが、これが水平弾道の敵弾から保護している部分は、砲身の後ろ半分でしかないことに気付かれるだろう。
そこで、旋回部装甲をそっくり取り除いてしまおうという大胆な発想が生まれた。指揮塔や照準塔は位置を変えることができるので、設計思想の変更に大きな障害とはならない。
こうして誕生したのが、この高架砲塔 (overhead-gun-mount in barbette) である。この用語は私の造語なので、一般的ではないことをお断りしておく。
多くの書物で、これは露砲塔の一種と紹介され、砲塔員が剥き出しの配置であったかのような表現が行われているけれども、大きな誤解である。写真をご覧いただければお判りのように、この砲塔には天蓋があって、砲塔員は弾片などから保護されている。
大落角の敵弾は、当時はほとんど想定されておらず、艦対艦の戦闘ではまったく考慮されていなかった。それゆえ、これを本砲塔の欠陥とする表現は当たらない。
砲身はまったくの剥き出しだが、第2次大戦型戦艦の砲塔でも、砲身の大半は防御区画外にあることを忘れてはならない。これに直撃を受ければ、砲が使えなくなることに変わりはないのである。
■フード付きバーベット (『マジェスティック』 Majestic のもの・1895年)
●概要
これも図を見ていただくと理解が早いのだが、基本的には『ロイアル・ソヴリン』の砲塔に装甲されたフードを被せたものに他ならない。
大きな変更点は、前述の欠点を解消した部分である。このとき、砲身がそれまでの黒色火薬を用いたものから、緩燃性の新装薬に変わったため、別な要素が発生している。砲身内部の圧力分布が変化したことから、砲身の強度分布も変わり、太さの変化が小さくなっているのである。
このため、わずか5口径の砲身伸長でしかないにもかかわらず、砲身の重心がずっと砲口寄りになった。これにより、砲塔全体の重心位置が動き、旋回に支障をきたすほどになったのである。
対策として、砲身は極力後方に装備され、これもバランスを考慮された俯仰軸位置に砲室前面装甲を近付けるために、かなり後退した位置に装甲板を置いた。砲眼孔のあるフード前面は、これよりだいぶ前に作られている。
それでも不十分なことから、砲室は後部に延長され、後端にカウンター・ウエイトを兼ねた装甲板を取り付けている。
これらによって砲室の後部に余積ができたので、指揮所と予備の装填装置が置かれ、10発前後の砲弾がここに保管されている。ここに砲弾がある間は、砲塔をいちいち装填位置に旋回させる必要がないため、発射速度は若干向上した。
●旋回
基本構造に大きな変化はない。
●俯仰
砲身が俯仰軸の前後でバランスされたため、水圧機の力量は格段に小さくなった。衝撃による損傷の機会も減っている。しかし、これまで一方からしか力を受けなかった水圧機は、砲身の微妙なバランスによって両側から力を受けるようになり、ガタつくために、二つの水圧機が俯仰棹を両側から挟むような構造になっている。
●装填
尾栓の変更以外、大きな変化はない。『マジェスティック』級の後期型から、旋回位置を選ばない装填装置が導入されるけれども、これの解説は、また後日に譲ろう。
●照準
照準塔、指揮塔とも、フード天蓋上に設けられたが、照準塔の位置は砲身の横に置かれたままとなった。これは、後のイギリス式砲塔の基本となり、このために砲塔配置に制限を受けることになる。
砲塔天蓋が前傾しているのは、前方側の重量である前盾を少しでも小さくするためと、俯角をかけた砲尾のクリアランスのためである。後方張り出し部では、この傾斜は意味を持たないのだが、なぜか水平または後傾させるデザインはなされなかった。
この時代、フランスなどでは旋回式の揚弾、装填装置が実用化されており、イギリスがこれほどに固定位置装填にこだわった理由は判然としない。単に保守的だっただけとも言えそうなのだが、理由としては砲塔旋回部と装填装置を切り離すことで、誘爆の危険性を最小限にとどめる意図があったのかもしれず、それならば評価は慎重に行わなければならない。
砲塔の進歩について、初期の砲塔艦から、一応の外形が整う19世紀末期までを駆け足で眺め渡してきましたが、砲塔の構成要素には、それぞれ固有の発生と進化があることをご理解いただけたでしょうか。
ここで最後になった『マジェスティック』級の砲塔では、あえてフード付きバーベットという呼称を用いています。これは、これが『コロッサス』で用いられていた装甲砲塔の直接の子孫でありながら、まったく異なった要素を持つ別系統との融合によって生まれたものであるからです。
それは、いわゆる露砲塔と呼ばれるもので、フランスを発祥とし、バーベットを基礎に据えて発展した形式です。これについては、また場を改めて解説することにしましょう。
その後で、『マジェスティック』級後期型で採用された新型砲塔をスタートとして発達した近代砲塔についても、解説の場を設けたいと考えています。
参考文献
●Before The Ironclad/D.K.Brown/Conway Maritime Press
●Big Gun 1860-1945 (The) /Peter Hodges/Conway
●British Battleships 1860-1950/Oscar Parkes/Seeley Service
●British Battleships 1889-1904/R.A.Bart/Naval Institute Press
●Development of a Modern Navy 1871-1904 (The) /Theodore Ropp/Naval Institute Press
●Guns at Sea/Peter Padfield/Evelyn
●Naval Gun/Ian Hogg and John Batchelor/Blandford
●Old Steam Navy vol.2 (The):The Ironclads,1842-1885/Donald L.Canney/Naval Institute Press
●Warship/Conway Maritime Press
(1)へ戻る (3)へ |
ワードルームへ戻る |