砲塔の生い立ちと進化(4)
Progress of Turret and Barbette (4)


Hooded Barbette of HMS Majestic

イギリス戦艦『マジェスティック』 Majestic の主砲塔



 さて、一応外形的には近代砲塔の仲間入りをしたマジェスティックの主砲塔ですが、その中身は前世代のままで、固定位置、固定仰角での装填でした。
 装備する12インチ (305ミリ) 砲は、新しい緩燃性装薬 (コルダイト) を用いてはいるものの、口径長は35.5口径でしかなく、その特性を十分に生かしているとは言えません。この章では、イギリス海軍において12インチ砲の砲身が35から5口径刻みで50口径にまで伸びていく間に、砲塔内部がどのように改良されていったかを述べていきます。
 まず、おさらいとして・・・



■フード付きバーベット・Mk-BII (『マジェスティック』・1895年)

Majestic's Mk-B2


 図で、灰色は鉄構造、茶色は木構造、黒は装甲、空色が砲身、赤は砲弾、紫が装薬、
 青は俯仰装置、緑は旋回装置、黄色は装填装置を示す。



 この砲塔が、前形式を引きずったために持っていた欠点はいくつかあるが、そのひとつは旋回部直径が小さいことである。砲身の装備位置に自由度が低いため、砲身が長くなり、重心が砲口寄りになったことによって、砲塔の重心を旋回中心に合わせるのに大きな困難が発生した。
 また固定位置装填方式はいかにも時代遅れで、大きな発射速度への要求にはとうてい応えられない。そこで、根本的に発想を転換した新型砲塔が開発される。それが、次に述べるMk-BIII (マークB3) 砲塔なのだ。

 なお、Mk-BII 砲塔を装備したのは、『マジェスティック』級の『マジェスティック』、『マグニフィセント』、『ハンニバル』、『プリンス・ジョージ』、『ヴィクトリアス』、『ジュピター』、『マース』の7隻である。装甲厚はバーベット14インチ (356ミリ)、砲室前盾10インチ (254ミリ) とされる。
 日本に輸出された『富士』、『八島』も、これに準じた形式の砲塔を装備している。ちなみに、当時のイギリス海軍で用いられていた12インチ徹甲弾の重量は850ポンド (385キログラム)、装薬は砲によって異なり、2包に分かれていて、合計246ポンド (112キログラム) ないし307ポンド (139キログラム) である。



■Mk-BIII (『シーザー』・1898年)

Caesar's Mk-B3

 薄い灰色で塗ってある部分が砲塔旋回部。
 この砲塔では、中心部の揚弾筒は固定されている。
 弾庫と装薬庫が同一甲板上にあるのに注意。
 装薬庫の装薬包は、蓋のついた缶に収納されていた。



 アームストロング社ホイットワース工場の設計になる。この砲塔では、装填装置が下方へ拡大された砲室の中に収められ、ともに旋回するようになった。装填仰角は13.5度の固定であり、これはこの砲塔の最大仰角でもある。
 ラマーがまだ伸縮式で、それが砲身の後方にスペースを要求しているため、バーベットの直径は大きく、それでも足らなくて構造材の一部が削りこまれている。

 砲身には前型と同じ35.5口径のMk-VIII (マーク 8) が用いられ、砲架にも大きな改良は見られない。尾栓も間隔螺旋式である。砲身重量は46トンとされる。
 砲身の装備状況を改善するために、ローラー・パス (砲塔旋回部を支えるローラーとそれを支える構造の総称) の直径が大きくなっているものの、後方に装填装置を置くためにかえって窮屈になった。

 下部へ拡大された砲室の下には、新たに換装室 (working chamber) と呼ばれる部屋が造られた。円筒形の部屋の中央には揚弾筒があるけれども、これは船体側に固定されていて旋回しない。
 揚弾筒には砲弾ホイストと装薬ホイスト、昇降はしごが組み込まれており、これらを作動させる水圧機も収容していた。

 砲弾は、艦底の弾庫では水平に砲弾箱 (shell bin) に格納されている。これを走行ホイストで吊り上げ、その先端に吊り上げ用のリングボルトを取り付けて垂直に吊り下げ、砲弾ホイスト (shell hoist) へ送り込む。
 換装室へ押し上げられた砲弾は、ここでまた水平に戻され、装填箱 (loading cage) 脇の待機トレーに乗せられる。装填箱の準備ができれば、砲弾は箱の上のくぼみへと移される。
 装薬は1発分2包が収められる装薬箱 (cordite cage , ammunition cage) に人力で押し込まれ、これも換装室へと吊り上げられる。装填箱の側面には装薬を入れるポケットが付属しており、装薬はここにやはり人力で移される。

 砲身は前進位置、最大仰角で装填される。定位置で尾栓が開かれると、装填箱は上昇し、装填位置に到着する。ラマーが前進すれば、砲弾は砲身へと送り込まれる。この間、装薬は砲塔員が人力で装填箱から取り出し、ラマーが後退して空いたトレーに乗せられると、再びラマーが前進して装填が終了する。
 装填箱は下降し、尾栓を閉じた砲は、発射準備を整えて所要の仰角に調整される。
 図では、装薬ホイスト中の装薬箱が上下に二つ描かれているけれども、図解上の便宜的なもので、実際にはひとつのホイストにひとつずつであり、これが3組あった。砲弾ホイストは2本である。

Interior view of Mk-B3

イギリス戦艦『イラストリアス』 Illustrious の主砲塔内部

 間隔螺旋式尾栓が開かれている。蝶番にがっちりとしたリングが取り付けられ、
 尾栓はこの中をスライドして抜き差しされる。手前に装填用のトレーが見える。



 砲室の後部は、ちょうどバーベットの直径と一致した位置にまで張り出しており、ここには砲塔指揮官の指揮所と、予備の装填装置が置かれていた。砲室後部に格納された砲弾は1門あたり3発でしかなく、ここの装填装置は手動である。換装室には1門あたり24発が貯蔵されていた。全準備砲弾数は、平時には1門あたり80発が標準で、戦時には100ないし110発まで増加できた。

 揚弾機構自体は、砲弾を台に乗せて上下する籠のないリフトの形状なので、旋回する換装室から見ると、砲弾は固定された中心部の床から生えてくるように見える。
 上がってきた砲弾をホイストで吊り上げて水平にし、待機トレーに移す間は、砲塔が旋回するといろいろな弊害がありそうだ。
 つまり、自由旋回位置装填とは言っても、揚弾機が固定されているため、換装室内では、砲塔の動きを意識せずに作業ができるわけではない。それゆえ、換装室内の砲弾を使用している間の発射速度は速いのだが、これを使い果たすと、やはり発射速度は大きく低下した。

 砲塔旋回部の深さが大きくなったことにより、ローラー・パスを支える円形の構造は、明確に円筒形の形を取ることになった。これはリング・サポートと呼ばれ、旋回部のほぼ全重量を支えている。バーベットは、これの周囲に立てられた装甲と、その支持構造を指し、両者は基本的に別な構造である。
 この砲塔を装備したのは、『マジェスティック』級の『シーザー』と『イラストリアス』、『キャノパス』級の『キャノパス』、『ゴライアス』、『オーシャン』である。『キャノパス』級戦艦砲塔の装甲厚は、バーベット12インチ (305ミリ)、砲室前盾8インチ (203ミリ) とされる。



■Mk-BIV (『グローリー』・1900年)

Glory's Mk-B4

 長く大きな揚弾トランクが目立つ。
 ラマーは3段伸縮式で、旋回部からはみ出している。



 これは、B3砲塔とは根本的に形式の異なるもので、アームストロング社エルジック工場で設計された。装備する砲身はB3と同じものである。大きな特徴は長い揚弾トランクで、下部で垂直、上部で傾斜したトランクの中を、装填箱が弾薬庫から砲尾まで一気に上昇する。
 トランクは砲室とともに旋回するが、装填角度は13.5度固定だった。B3同様、砲室下には換装室が設けられているけれども、この砲塔では予備弾の格納と、主揚弾装置が故障した場合の予備揚弾ルート中継点としての役割しかない。

 二階建てになった装填箱には、下部に砲弾、上部に装薬が同時に積み込まれ、水圧機によって装填位置まで引き上げられる。後退位置の砲身に砲弾が装填され、ラマーが後退すると、箱についたレバーの操作で上に積まれた装薬が空いたトレーに落ちる。もう一度ラマーが前進すれば、装填は完了するわけだ。

 この砲塔の欠点は、揚弾距離が非常に大きくなったにもかかわらず、ここに大きな工夫がなされなかったことである。
 合計で500キログラムを軽く超える重量を、およそ10メートルほども持ち上げなければならないのだから、かなり大力量の動力が必要になるのだが、これは十分ではなかった。また、この揚弾機はつるべ式になっておらず、1トランクに1個しか装填箱がない。
 砲弾を積みこんだ装填箱は、途中まで上昇して待機位置につくが、発砲するまではここから動けない。発射が終わって尾栓が開かれ、砲側の準備が整ってから、最後の行程をよじ登るのである。さらに、装填が終わり、装填箱が弾薬庫まで下りてくる間、弾薬庫側ではただ待っていることしかできないのだ。

 もっともつるべ式にすると、上下両方の作業が終わらない限り装填箱を動かせないので、一方の作業が脚を引っ張ることにもなりかねない。また、最も危険な瞬間である装填作業中に、砲室への命中弾によって誘爆する可能性のある装薬は、装填中の2発分、4包だけでしかないということも見逃してはならない。

 揚弾筒下部は弾薬庫内で旋回するわけだが、ここには同心円の旋回床が二重に設けられ、まず外側を艦に固定して砲弾を乗せ、ロックを外して所要位置へ回し、今度は揚弾筒側にロックをかけて砲弾を移すのである。この装置は扱いにくく、荒天時にはかなり危険だったとされる。
 砲架などはB3砲塔とほぼ同じである。これを装備したのは、『キャノパス』級の『グローリー』と『アルビオン』だった。『ゴライアス』と『オーシャン』も、この砲塔だったという説もある。日本に輸出された『敷島』も、砲身は異なるが、この形式の砲塔を装備していた。『朝日』、『初瀬』も同様とされるが、確認できていない。

Shikishima's Ammunition Hoist

日本戦艦『敷島』が武装を撤去するおりに撮影された主砲塔揚弾筒の写真



■Mk-BV (『ヴェンジャンス』・1902年)
 この砲塔はプロトタイプとして製作された。形式としては砲身が異なるだけで、後述するMk-BVIIと同じである。装備したのも『キャノパス』級の『ヴェンジャンス』1隻だけだ。製造はヴィッカース社の手になる。
 詳細についてはMk-BVIIの項で解説する。



■Mk-BVI (『フォーミダブル』・1901年)

Formidable's B6

 ウォーキング・パイプは、砲塔の旋回にかかわらず水圧や蒸気を送り続けるための工夫である。
 これの整備、修理はかなり危険で、砲塔が動くと挟まれてしまうことがしばしばあった。
 チェーン・ラマーの採用によって、バーベット内側の寸法が余っているのに注意。



 アームストロング社エルジック工場の開発で、40口径のMk-IX砲を装備する。尾栓はウェリン式の段隔螺旋となり、尾栓挿入部が短縮されると同時に軽量化され、扱いも楽になった。砲身そのものの重量は50トンと重くなっている。
 全体的な形状はMk-BIIIに似ているが、揚弾筒は砲塔旋回部側に固定され、砲室と一体化された。弾薬庫内の砲弾移送装置も改良され、円筒形の揚弾筒周囲を回る砲弾車 (shell bogie) となった。

 砲弾車は円筒形の揚弾筒に取り付けられたレールに乗っており、周囲に刻まれたラックギアによって揚弾筒を回るようになっている。揚弾筒とのロックを外して床の定位置に固定し、ホイストに吊られた砲弾を乗せ、床とのロックを外す。手動ハンドルを回して揚弾筒の所定位置へ移動し、揚弾筒にロックしてから扉を開いて、中の揚弾箱に砲弾を転がし込むのである。
 砲弾を乗せた揚弾箱は換装室まで吊り上げられ、砲弾はすぐ脇の待機トレーに移される。このトレーには直列に2発が並べられた。装薬はまったく別経路で、装薬箱が装薬庫と換装室を往復する。装薬包の扱いは人力である。

 装填機は傾斜した直線のガイドレールに沿わされた箱で、砲弾は人力で押されながら角度を変え、箱の中へ送りこまれる。装填箱はさらに装薬も積みこみ、砲尾へと押し上げられる。装填角度は4.5度の固定仰角で、ラマーはチェーン・ラマーとなった。
 やはり砲室の後部に予備の装填装置を持ち、こちらの装填仰角は1度の固定である。砲室内の予備弾は、1門あたり2発ずつでしかなかったが、後に配置を見なおされて5発に増えている。換装室には8発ずつの16発が格納された。
 この砲塔から、弾庫と装薬庫はフロアが分けられ、ここでは弾庫が下に設けられている。

 チェーン・ラマーは、多関節式とでも言うのだろうか、連結された多数の素子が、押されるとリンクが噛み合って一本棒になり、引っ張られるとほぐれて鎖のようになるものである。砲弾などを押し込む時には棒として作用し、格納する場合はほぐれて自在に曲がるので、背後に大きなスペースを必要としなくなる利点があった。

 この砲塔を装備したのは、『フォーミダブル』級の『フォーミダブル』と『インプラカブル』、『ロンドン』級の『ロンドン』と『ブルワーク』、『ダンカン』級の『ダンカン』、『コーンウォリス』、『ラッセル』、『モンターギュ』、『クィーン』級の『クィーン』である。次のMk-BVII砲塔と、同時期に並行装備されていることに注意してほしい。日本の『三笠』も、砲室の外形こそ大きく異なるものの、これに類似した形式の砲塔を装備していたと思われる。
 それぞれの装甲厚は、『フォーミダブル』級、『ロンドン』級、『クィーン』級が基本的に同一で、バーベット12インチ、砲室前盾10インチ、『ダンカン』級はそれぞれ11インチ (279ミリ) と10インチである。



■Mk-BVII (『イリジスタブル』・1902年)

Irresistable's B7

装填箱のガイドレールが湾曲している。
 砲鞍の後部に突き出した腕の先端、黄色く着色されている部分がチェーン・ラマーの先端。
 本体はこの腕の中に収容されている。



 ヴィッカース社の開発になる。前述のように35.5口径砲のMk-BVが試験的に採用され、これに40口径砲を載せたMk-BVIIが、『フォーミダブル』級以降の戦艦にMk-BVIと並行して装備された。

 大きな特徴は、装填箱のガイドレールが湾曲したものになり、砲の俯仰角に合わせて装填箱の角度や位置が砲尾と一定の関係を保つようにされたので、砲がどの仰角にあっても動かさずに装填できるようになったことである。
 これに伴い、チェーン・ラマーも砲鞍に収容されて砲と一緒に俯仰するスタイルとなり、これを砲尾へ誘導する腕が、装填箱の通り道を避けて斜め下から砲尾真後ろへと突き出している。これ以外の機構、運用要領は、Mk-BVIとほとんど変わらない。

HMS Venerable's Mk-B7

イギリス戦艦『ヴェネラブル』 Venerable の主砲塔



 一般にイギリス戦艦は、『キャノパス』級の『ヴェンジャンス』から自由仰角装填方式に移ったとされているが、実際にはこの方式の本砲塔は、『フォーミダブル』級の『イリジスタブル』、『ダンカン』級の『アルベマール』と『エクスマス』、『ロンドン』級の『ヴェネラブル』、『クィーン』級の『プリンス・オブ・ウェールズ』の5隻が装備したに過ぎない。
 一見大きく進歩したように感じられるこの機構が、英海軍内ではそれほど評価されなかったのか、固定仰角装填のB6が同時に使われ続けていたわけである。その数もほぼ2対1でB6のほうが多い。

 当時の英国海軍の射撃法では、発射準備のできた砲は所要の仰角に調整され、ローリングの頂点付近で号令射撃を行う。これは、微妙なタイミングのずれによる着弾のばらつきを最小限に抑えるためで、艦の動きが最も小さくなる瞬間を狙っており、発射間隔はローリング周期と密接な関係を持っていた。
 それゆえ、仰角という比較的調整の容易な部分だけ改良しても、発射速度が大きく向上しなかったのではないかと思われる。私企業の開発したものだから、パテントの問題が絡んでいたのかもしれない。

 この砲塔か、BVIからか、装薬室の揚弾筒の周囲に隔壁が巡らされている。この中は給薬室 (cordite working room) と呼ばれ、防炎扉で装薬庫と連絡していた。この部屋には、次に投入する分の装薬だけが装薬庫から運び込まれることになっており、誘爆の危険を回避するための工夫のひとつだった。
 また、砲塔天蓋にあった換気、採光用のスリットがなくなったのもこの頃のようだ。これは、砲塔内部の気圧を外部より高め、煙などの侵入を防ぐ仕組みを導入したことを表しているものと考えられる。



■Mk-BVIIs (『キング・エドワード7世』・1905年)

King Edoward's B7s

バーベットの直径が小さくなっている。旋回装置は3気筒の蒸気機関。



 これもヴィッカース社の開発になる。基本構造はB7とほとんど変わらないが、砲塔旋回用エンジンが砲塔旋回部に取りつけられ、バーベット内側に刻まれたラックギアにピニオンを噛み合わせて旋回するようになった。これにより、砲塔指揮官の意図が実際の砲塔の動きとなる間のタイムラグが減少している。
 チェーン・ラマーの採用によって余っていたバーベットの寸法が見なおされ、若干直径が小さくなった。このため、砲室後部はバーベットの外へ張り出す形になっている。

 このような波及的改良が同時に行われないのは、イギリス海軍ではしばしば見られる現象だが、単純に保守的だったというだけではない。新しい試みが失敗だった場合、元に戻せる保険でもあるのだ。そのために新方式の利点が埋もれてしまい、判りにくくなってしまうことから、成功と判断されなくなってしまうという不利もあった。

 この砲塔を装備したのは『キング・エドワード7世』級8隻だけだが、日本へ輸出された『香取』、『鹿島』も、ほぼ同じものを装備していたようだ。
 装甲厚は、バーベット12インチ、砲室前盾も12インチとなり、ここでようやく双方の防御力がほぼ対等となった。



■Mk-BVIII (『ドレッドノート』・1906年)

Dreadnought's B8

換装室内での砲弾と装薬の移送が機械化され、安全性が増した。
 しかし実用上の理由で、この方式は一般化しなかった。
 照準塔は円筒ではなく、縦長になっている。



 Mk-VIIsに45口径MkX砲 (砲身重量58トン) を載せたもの。砲身が長くなった分だけバランスが悪くなり、カウンターウエイトでもある砲室後盾を拡大する必要に迫られた。これは後盾を下へ延長する形で行われ、バーベットの外側に垂れ下がるような形状になっている。
 それでも足らなかったようで、『ドレッドノート』では厚さ11インチ (279ミリ) の前盾に対し、後盾には13インチ (330ミリ) の厚みがある。また、砲室後方にあった指揮塔は砲身間の前部へ移され、塔が三つ横に並ぶ形となった。左右の指揮所からはそれぞれの砲が、中央の指揮所からは両方の砲が操作できる。

 揚弾装置では、換装室内で若干の改良があり、揚弾筒頂部から装填箱へ砲弾を移すのに、いったんトレーに移すのではなく、双方を直結してラマーで直接移動できるようにされている。これにより換装室内で露出している砲弾薬はなくなり、安全性が増すと考えられた。
 ところがこの「改良」は、現場ではまったくの不評であり、次の形式では旧に復することになった。すなわち、換装室で砲弾が「一時待機」しているとき、これまでなら揚弾箱は艦底へ下りて次の砲弾を積みこむ作業ができたのだが、本砲塔では砲弾を装填箱へ移すまで揚弾筒の頂部に残っていなければならず、結果的に射撃速度が低下してしまうと言うのである。

 この砲塔を装備したのは、『ドレッドノート』、『ロード・ネルソン』級の戦艦、巡洋戦艦『インヴィンシブル』級の『インフレキシブル』と『インドミタブル』である。
 戦艦『ベレロフォン』級と『インデファティガブル』級巡洋戦艦が装備したのは、Mk-BVIII*と呼ばれる改良型で、BVIIIとほとんど同じだが、揚弾筒内の補助揚弾機が動力化され、配置の見直しによって換装室内の即応弾数が増加している。
 砲塔の開発はヴィッカース社だが、製造はアームストロング社でも行われ、『インデファティガブル』と『ニュー・ジーランド』のものはアームストロング製、『オーストラリア』のそれはヴィッカース製である。



HMS Dreadnought's Mk-B8

イギリス戦艦『ドレッドノート』 Dreadnought の主砲塔

 左舷側の舷側砲塔だが、載炭作業のため後方に指向されている。



■Mk-BIX、BX (『インヴィンシブル』・1908年)

 これはMk-BVIII砲塔を全電動化したもので、Mk-BIXがヴィッカース社、Mk-BXがアームストロング社エルジック工場の製造になる。
 これを搭載したのは巡洋戦艦『インヴィンシブル』だけで、その艦首尾の砲塔がMk-BIX、中央部の舷側砲塔がMk-BXである。

 使用電圧は200ボルトで、4基の200キロワット発電機と2基の100キロワット発電機から供給された。電力は砲塔旋回部最下部の環状接点から砲塔内部へと送られる。
 旋回、揚弾、装填機などもすべて電動とされ、俯仰機も電動で5インチ (127ミリ) 径のリード・スクリュー形式 (ボルトとナットの関係) とされた。発砲の衝撃で破損しないよう、ネジ棒はオイルとスプリングで半インチほどの遊びを持たされている。力量は10馬力である。
 公試の結果、この俯仰機は構造が華奢で、しばしば作動不良を起こした。この当時、アメリカでも同様のシステムが採用されているけれども、こちらはずっとがっちりとした構造になっていたという。

 水圧を用いなくなったことで、砲を前進させるために新たな仕組みが必要となり、ヴィッカース社はコイルバネ方式を、エルジック工場は空気圧装置を採用している。
 この電動化の試みは、高価だったこともあり、全体として失敗とみなされ、第一次大戦までに水圧方式に改造された。



■Mk-BXI (『セント・ヴィンセント』・1910年)

St. Vincent's B11

 砲室の形状が変わっている。
 揚弾機トップは旧方式に近くなった。
 照準機のフードが小さくなっている。



 これはMk-VIII砲塔を基本に、12インチ50口径のMk-XI、Mk-XII砲 (砲身重量67トン) を装備したものである。Mk-BVIIIで不評だった揚弾装置の待機トレーが復活し、旋回用動力機として蒸気斜盤エンジンが採用された。
 砲身がより重くなったことで、砲室はさらに後方へ延長されたが、これと同時に外形も改められ、後半部の天蓋が逆向きに傾けられている。また継ぎ目も重ね合わせた構造となった。
 これまで変わらず13.5度だった最大仰角は、15度に引き上げられている。これを装備したのは、『セント・ヴィンセント』級、『ネプチューン』と『コロッサス』級の戦艦である。
 装備された砲身はMk-XIで、戦艦『コロッサス』と『ハーキュリーズ』はMk-XII砲身を装備していた。砲身形式の違いはわずかで、尾栓の開閉に用いられる動力の違いだけだったようだ。

 この砲塔には大きな欠陥がなく、基本的な構成は、後の、より大口径の砲を装備する砲塔へと引き継がれていく。
 しかしながら、ここで装備された12インチ50口径砲は、砲身の強度などに問題が多く、散布界が大きい、砲身寿命が短いなどの欠点を抱えていた。



 発達の系譜からは、この次に来るのは13.5インチ45口径砲を装備したMk-II砲塔になるのですが、これ以後のものについては、皆様のご要望があればということにします。
 いずれ、第1次大戦が終わるまでに造られた砲塔では、そうそう大きな変化は発生していません。戦時には、新機軸よりも確実性のほうが優先されやすいので、当然でもあるのですが。
 次回は、同時期の他国の砲塔について見ていきたいと考えています。



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