砲塔の生い立ちと進化(5) Progress of Turret and Barbette (5) |
今回は、第一次大戦でのイギリスのライバル、ドイツ海軍の砲塔を見ていきましょう。イギリスのそれに比べると入手できた資料が乏しく、記述の曖昧になる部分が多いのですが、ご勘弁いただきたいところです。図も多くなく、まったく判らないものもありますが、後期には変化が少なくなっているので、おおよそは掴んでいただけるかと思います。
まずは露砲塔 (砲塔の生い立ちと進化・第3回) のおさらいから。
■DRH LC/1892
『ブランデンブルグ』 Brandenburg 級戦艦に装備されたもの。28センチ35口径砲を装備している。
ドイツでは当初、イギリス式の囲砲塔が用いられたが、後はほとんどが露砲塔で、これに比較的厚めのフードを被せる方向に進んだ。これは中小口径砲からの防御を考慮したものだが、重砲弾に対しては能力不足であり、かえって標的面積を増加している。
その延長上にあるのがこの砲塔で、フードの厚みは最大で120ミリだったけれども、バーベットの300ミリと比べるまでもなく不十分である。
装填は固定位置、固定仰角で行われるが、最大仰角は25度もあり、これはイギリス艦とは大きく異なる部分である。ただしこれは陸上への曲射射撃を想定したものであって、洋上での遠距離射撃を考えてはいない。当時の測距技術では、この仰角で命中させるような精度での距離測定は困難だった。
俯仰、旋回とも水圧駆動で、補助として人力も用いられる。旋回盤の支持は一般的なローラーではなく、ボール・レース (ベアリング) である。これはドイツ独特のもので、第二次大戦のビスマルク級まで継承されている。
一方、砲架は旧式なままで、発砲した砲は耳軸を支える砲架ごと、登り坂になったレールの上を後退する。このため最大仰角が大きいことと合わせ、砲眼孔は非常に大きくなってしまった。
★「DRH LC」はDrehscheiben (旋回する)、Lafette (砲架)、 Cは不明
■DRH LC/97
24センチ (238ミリ) 40口径 (正味37.3口径) 砲を装備する。
部分球形のフードを厚い装甲を持った砲室に変えたため、外形は整形上の問題から楕円筒を基調としたものになったが、図をご覧いただければお判りのように、内部は『ブランデンブルグ』級戦艦の砲塔と大きな違いはない。揚弾、装填機構はほとんど変わっていないと言える。
砲架は新しくなっており、俯仰する砲鞍の中にスライドを介して砲身が装備されている。
バーベットは後方に膨らんだ卵型平面形で、装甲厚は230ないし250ミリ、砲室の前面装甲は250ミリ、天蓋は50ミリだった。24センチ砲弾の重量は140キログラムしかなく、385キログラムのイギリス12インチ砲弾とでは威力に大差がある。
これは一般に、発射速度を重視したための口径とされているけれども、この砲塔を見る限りでは、その差を克服できるほど発射速度に差がつくとは思えない。
いかにも前近代的なこの砲塔は、『カイザー』級戦艦の前期2隻に装備したにとどまり、後期艦3隻は次のC98砲塔を装備している。
■DRH LC/98
『カイザー』級の後期3艦と次の『ヴィッテルスバッハ』級が装備した。砲は前型と同じである。
この2種の砲塔の違いは、ちょうどイギリスのMk-B2とB4の関係に類似している。
この砲塔には換装室がなく、弾薬は艦底の弾薬庫から砲尾まで一気に持ち上げられる。揚弾箱はそのまま装填箱を兼ね、この点もMk-B4とよく似ている。同じ欠点も抱えていただろう。
予備の揚弾装置は砲の外側に設けられ、砲尾まで砲弾を運ぶレールが敷かれていた。尾栓、ラマーは人力、推進は空気圧である。最大仰角は30度だった。
■DRH LC/1901
28センチ40口径砲 (正味36.8口径) を載せ、『ブラウンシュヴァイク』 Braunschweig 級、『ドイッチュラント』 Deutschland 級の戦艦が装備した。
残念ながら、この砲塔については図面を入手していないので、詳細は判らない。
ドイツでは大口径砲にも楔形鎖栓式の尾栓が採用されている。クルップが開発したこの尾栓は、後には速射砲に好適な構造として多くのメーカーに採用された。
この尾栓は装薬の燃焼ガスの緊塞が難しく、これの対策として主装薬は薬莢に収められ、これが薬室と尾栓の隙間を塞ぐ効果を期待した。このため、射撃後に高温となった薬莢の処理が必要になり、これを砲室内に残せないので、発射ガスの高圧で薬室に張り付いた薬莢を抜き取り、砲塔から投棄する仕組みが、砲尾や装填装置周辺に組み込まれている。
この尾栓は、それがただの四角い鉄の塊でしかないことから、ウェリン式段隔螺旋尾栓より製造ははるかに容易である。この得失を一言で言い切ることはできないが、良くも悪しくもドイツ海軍砲の特徴であった。
一般に袋詰にした装薬を用いる砲では、装薬包は人力での運用の利便を考慮し、一包あたりの重量を100ポンド (45キログラム) ほどに抑えている。大口径砲では、包みの数を増減することで必要な量を調節しているのだ。
しかし、薬莢を用いるクルップ式の砲では、口径が大きくなっても、これは主と副の2個で運用され続けた。このため主装薬は人力で扱うことができなくなり、専用のホイストや運搬装置を必要としている。『シュレージェン』におけるそれぞれの重量は、79キログラムと26キログラムである。副装薬は他と同じ布バッグのものだが、ドイツでは専用の保護缶に入れて扱っており、剥き出しで扱っていたイギリスなどより格段に安全性が高かった。砲弾の重量は302キログラムである。
■DRH LC/1906
『ヴェストファーレン』 Westfalen 級戦艦に採用されたが、『ポーゼン』 Posen、『ラインラント』 Rheinland では舷側砲塔のみで、中心線上砲塔には、次のDRH LC/1907が用いられている。28センチ45口径砲。
俯仰と旋回に電気駆動を取りいれているが、どちらも人力による補助装置を持っている。俯仰装置は扇形ギアとピニオン・ギアによる。最大仰角は20度、俯角は6度である。
尾栓とラマーは手動で、砲身の推進のみ空気圧を用いている。旋回盤はボール・レースで支持され、旋回部重量はおよそ400トンである。
砲室下の換装室 (working chamber) には電動の下部揚弾機が接続され、ここから弾薬が供給される。
換装室脇では、砲弾は移送台のトレーに移され、換装室内へ送り込まれる。
砲弾薬は外壁に沿って巡らされているローラー・ラックに乗せられ、換装室の周囲を取り巻くように並べられた。
ここからさらに旋回部に吊るされたホイストで揚弾機下部へ渡され、揚弾箱へ入れられる。
換装室には8発分の弾薬が保管されており、主装薬は隔壁側に置かれていた。副装薬は容器に収められている。
装填箱は三つに区切られており、上から主装薬、砲弾、副装薬の順に積まれる。
砲室に到着した1セットの弾薬は、3組の電動のチェーン・ラマーで押され、装填台に移される。装填台は装填箱ホイストの直後にあり、装薬は砲尾後方のすぐ脇に置かれる。砲尾へは、砲弾、副装薬、主装薬の順に送られなければならないので、主装薬は横に動き、装填トレーの横によける。
ついで砲弾が装填位置へ動かされ、さらに副装薬がその前側に送られる。副装薬は延長トレーのひとつに乗せられて、一時脇にどけられ、ラマーによって砲弾が薬室に送りこまれると、空いたトレーに人力で移される。これも同様に装填され、最後に大きな主装薬が横に動かされて装填トレーに乗る。
おそらく水中防御上の問題から、中心線上の弾庫は火薬庫の上に置かれ、舷側砲塔では逆にされている。
■DRH LC/1907
巡洋戦艦『フォン・デア・タン』と、戦艦『ポーゼン』、『ラインラント』の中心線上砲塔に用いられた。28センチ45口径砲。
旋回は前モデル同様電動だったが、俯仰には水圧が採用された。これには2門を結合して同時に俯仰させる仕組みも組みこまれている。構造は通常のシリンダー/ピストン式で、最大仰角は20度だった。この形式は次の30.5センチ、38センチ砲塔でも踏襲されたが、最大仰角は13.5度に抑えられている。
ラマーと尾栓は相変わらず人力で、予備の装填装置も用意されている。砲の推進には空気圧が用いられるようになった。
この砲塔ではすべて弾庫は火薬庫の下側とされ、電動の揚弾機と揚薬機はそれぞれを換装室まで持ち上げる。ここで上部揚弾機に移されるが、砲弾は砲尾直後の内側へ押し上げられ、装薬は砲塔中心の真横、外側に上がってくる。手動式の移送レールは、バネで復帰するように作られており、砲弾は円弧に乗るようにトレーへ移される。この間、装薬はラマーに押され、砲尾の専用装填トレーへと移動してくる。
■DRH LC/1908, 1910
28センチ50口径砲用の砲塔。1908年モデルは、巡洋戦艦『モルトケ』 Moltke と『ゲーベン』 Goeben が積み、装甲を強化した1910年モデルは、巡洋戦艦『ザイドリッツ』 Seydlitz が装備している。
構成はほぼ1907年モデルと同じで、最大仰角は13.5度だが、後に16度とされている。『ゲーベン』だけは最終的に22.5度にまで引き上げられた。
●DRH LC/1908
戦艦『ヘルゴラント』 Helgoland 級に装備。30.5センチ50口径砲
●DRH LC/1909
戦艦『カイザー』 Kaiser 級。砲は同じ。
●DRH LC/1911
戦艦『ケーニッヒ』級
●DRH LC/1912
巡洋戦艦『デアフリンガー』 Derfflinger、『リュッツオー』Lutzow
30.5センチ50口径砲を装備。スペースの関係で、艦尾の第4砲塔だけは弾庫が火薬庫の下になっている。揚弾機は弾庫から砲室までひと繋がりとなり、中心軸の直後、砲身の間へと立ち上がっている。砲弾はここから砲尾の待機トレーへラマーで押し出され、横方向へ押されて装填トレーに乗る。
揚弾、旋回はすべて電動だが、俯仰だけは水圧式である。最大仰角は13.5度で、後に16度に改造された。砲塔旋回部重量はおよそ550トンである。戦艦の砲塔に比べ、装甲が薄い分だけ軽くなった。
発射速度では、ほぼ同一の『カイザー』級戦艦で3発の発射に48秒という記録がある。これは揚弾の全行程を含めての記録とされる。
装薬は2行程となっており、下部ホイストは砲弾ホイストの外側に置かれている。主、副装薬は換装室で移送車に移され、ラック・ギア上をピニオン・ギアによる駆動で移動し、外側の上部ホイストに送り込まれる。まず副装薬が待機トレーに下ろされ、主装薬がこれに続くが、主装薬は副装薬とは別の専用トレーに乗せられる。
こうして三つの要素はそれぞれに砲尾の周辺に集合し、バネによる復帰装置を備えた人力の装填トレーに乗って待機する。それぞれの機構が次弾を用意するのには5秒しか掛からず、全行程も20秒でしかない。
●DRH LC/1913
巡洋戦艦『ヒンデンブルグ』 Hindenburg
基本的に電動で、旋回速度は毎秒3度。俯仰は水圧とされ、最大仰角は16度、俯角は5.5度である。推進は空気圧。砲鞍は左右連結して同時に俯仰できたが、この場合でも俯仰機は両方ともが必要とされる。
揚弾は電力、揚薬は電力もしくは人力、尾栓、伸縮式装填ラマー、移送ラマーは水圧もしくは人力である。旋回部重量は内部の深さによって543トンから558トンとされる。
弾庫は火薬庫の下側とされたが、背負い式の上部砲塔では、これらの上に砲弾貯蔵室を設け、サブ・システムでの揚弾はここを経由して行われた。
●DRH LC/1913
戦艦『バイエルン』 Bayern
ドイツでは同時期のイギリス主力艦に比べ、口径の小さい砲を装備するのが通例だったが、どうしても直接戦闘では不利になりやすく、同程度のものを採用するようになっていった。
その代表的なものが『バイエルン』級の38センチ砲で、ようやくイギリス海軍の15インチ砲と肩を並べている。この砲塔については非常に詳細な図面があるのだが、小さな本に刻まれて収録されているのと、解説がドイツ語であるために完全な理解には至っていない。
この砲塔では、砲室後部に砲弾8発が準備されているけれども、これはかなり素早くラマーの前へ移動できる位置にあり、予備弾ではなく即応弾と考えたほうがよさそうだ。
また換装室にも、1門あたり3発ずつの砲弾が、ただちに装填機へ載せられる位置に用意されており、急射撃への意識の強さが現れている。
後の『ビスマルク』級の38センチ砲砲塔の構造は、手元の資料を見る限りでは『バイエルン』のそれに近いものです。俯仰機が円弧ギアを用いた電動式になっていることと、砲塔測距儀の位置が変わっているくらいで、大雑把に見る範囲では大きな違いはありません。
努力不足で資料収集が不十分なため、舌足らずな部分が多いことをお詫びします。ドイツ語の資料は十分に読解できないので、解説部分にはあまり反映されていません。
全般に不明なのが、薬莢の排出方法です。合戦時の写真などで、砲戦中にこれを砲塔外へ投棄していたのは間違いないのですが、どこからどうやって出していたのか明確な資料がありません。この『バイエルン』の砲塔では、図からまず間違いないと思われますが、断定はしきれないものです。
それでも、この砲塔には、それまで背面装甲鈑にあった顕著な穴がなくなっており、この点からも床下からの投棄と推測されます。
図から判断する限りでは、主装薬装填用トレーと対になった空薬莢用のトレーがあり、発砲後の砲から空薬莢を受け取ると、砲塔の外側へ向かって横方向へ移動し、後方の排出機に渡すようになっていると思われます。
排出機は空薬莢を傾け、床下の排出口から砲室外へ投棄するようです。
(4)へ戻る (6)へ |
ワードルームへ戻る |