砲塔の生い立ちと進化(6)
Progress of Turret and Barbette (6)


Kearsarge's double turret

アメリカ戦艦『キアーサージ』Kearsarge の二重砲塔



 いわゆる旋回砲塔の起源は、イギリスのコールズ式囲砲塔、フランスの露砲塔とアメリカのモニター式に求められます。
 これらについてはすでに解説を試みていますが、アメリカのモニター式砲塔が、その後どうなっていったのかについては、何も述べていません。ここでは、アメリカで生まれた一方の始祖であり、最初に戦闘を経験した方式の砲塔が、どのように進歩していったのかを振り返ってみましょう。



■『モニター』の砲塔

Monitor's turret

 このシリーズの最初に登場した砲塔だが、おさらいの意味で



 この砲塔では、前述したように船体内部へ取り込まれている部分がほとんどない。旋回部分で船体内部にあるのは中心軸一本だけと言え、せいぜいこれを回すための蒸気機関と動力伝達機構が船体側に設けられているだけだ。
 旋回重量を支えるためのローラー系設備もなく、回すためには全体をジャッキで持ち上げるという、かなり乱暴な方法をとらなければならなかった。
 これに対する改善は、かなり初期から考えられてはいたようだが、戦時中のことでもあり、量産が優先して根本的な改良は先送りされている。

 まず行なわれた改良は、砲塔構造そのものではなく、その存在が発砲制限となった司令塔の移設だった。そして、それは間違いなく砲の射界を制限しない場所、すなわち砲塔の上に移されたのである。
 モニターは、艦そのものが、ほとんどまったく砲の能力を発揮するだけのために造られているので、その操縦は砲の指揮と同等か、あるいは砲指揮のほうが優先さえされる。
 砲塔の真上に司令塔を設けることで、これは理想的な解決を見た。しかし、すべてに有利な改変ということはめったになく、この場合にも旋回部の重量増加というマイナス面が存在している。
 重装甲を施した司令塔が高い位置にあるため、全体の重心上昇という負荷もこれに加わる。また操舵の面では、砲塔の旋回によって指揮官の目の向きが変わるため、目標を見失ったり、錯覚を起こす可能性もあった。



■『パッサイク』の砲塔

Passaic's turret

 上の図は、量産型モニターである『パッサイク』Passaic 級の砲塔を示す。内部構造は、『モニター』のものとほとんど変わっておらず、相変わらずジャッキで持ち上げなければ旋回できない。
 砲眼孔の扉は、『モニター』では涙滴型の板を上に付けたヒンジで吊り下げ、横合いからロープで引っ張って持ち上げるものだったが、ここでは図に示すような回転式のものに変わっている。しかし、作業効率上の問題から、あまり閉められることはなかったようだ。

 砲は『モニター』の11インチ (28センチ) 前装砲と同じだが、一部に新開発の15インチ (38センチ) 前装砲が導入された。このとき、すでに完成していた砲室の砲眼孔を開けなおすことをせず、そのまま大直径の砲を載せている。このため砲眼孔の直径が足らず、15インチ砲の砲身は砲室の外へ突き出せなかった。
 前装砲であるので、装填作業上は大きな障害にならないけれども、砲身の先端を砲眼孔内側に接して発射するため、衝撃波の一部は砲塔内へ跳ね返ったと思われる。後座長も十分に取れなかったのではなかろうか。

Passaic's turret front view

 上が砲塔正面、下が背面。弾痕が生々しい
 向かって左側に15インチ砲が装備されており、内部にその砲口が見える
 砲眼孔は砲弾がやっと通れるだけの寸法でしかない
 右側は11インチ砲ということになっているが、写真で見る限りでは8インチ程度だろう

Passaic's turret rear view

 15インチ砲の製造が間に合わないことから、初期の艦では片方だけが15インチ砲とされ、もう一方は11インチ砲のままだったものがある。これは砲塔としては異例のことだが、砲架が原始的なので可能だったのだろう。
 実用上は大きな問題がなかったらしく、後に建造された3砲塔の大型モニター『ロアノーク』 Roanoke では、3砲塔に3種類各2門の砲を、それぞれ左右違う形で搭載している。第一砲塔には15インチと8インチ、第二砲塔が15インチと11インチ、第三砲塔は11インチと8インチの組み合わせである。

 これがどういう意図を持って行なわれたのか、正確なことは判らないが、おそらくは砲によって用途が異なり、それぞれを有効に使う場合には、狭い砲塔に乗員が集中しないほうがやりやすかったのではないかと考えられる。つまり、6門を同時に使用する運用法ではなかったということなのだろう。
 『モニター』のものを含め、これらは一般に「モニター型」もしくは「エリクソン式」砲塔と呼ばれている。



■イアズ式 Eads 砲塔

Eads turret

 これは、南北戦争中に河川用モニターとして建造された『ミルウォーキー』 Milwaukee 級が装備していた砲塔である。イアズ James B. Eads (発音は確認できていない) が独自に開発したもので、このクラス4隻中3隻が、それぞれ2基の砲塔のうち艦首側のものにだけ採用した。
 旋回部は船体内に埋め込まれ、ローラー・パスも持っていてコールズ式に近いのだが、最も大きな違いは砲塔内部の床で、これが装填作業の利便のために、蒸気圧で昇降するように造られていた。
 後にイタリアやイギリスで、砲室内に引き込めない大口径前装砲へ砲塔外から装填する方法が考案されたが、これと同じような発想から、砲塔内の砲を床ごと下降させ、艦内で装填しようとしたのである。
 かなり突飛なアイデアではあるけれども、現実に製作されたし、実戦も経験している。

River Monitor Milwaukee class

 『ミルウォーキー』級の写真・艦名不詳

 向かって左、艦首側がイアズ式砲塔、艦尾側がエリクソン式砲塔
 外見上は区別がつかず、大きさにも差はない


 この方式では、可動床を上限の位置まで上げなくても射撃できるので、少し低い位置から射撃すれば、砲眼孔を広げることなく大きな仰角が取れる。これにより、モニター型では10度がやっとだった最大仰角を、20度ほどまで上げることができた。これは位置の高い川岸砲台との交戦に有利である。
 砲の駐退、推進、砲門蓋の動作にも蒸気圧が用いられ、この当時としては画期的な試みだった。砲塔内の要員は、わずかに6名とされている。
 作業空間を砲塔内に持たなくてよいため、いくらかは砲室を小さく造れたかもしれないが、後座長のことを考えれば、それほど極端に小型化はできないだろう。実際に写真で見る限りでも小さくはない。これに機械化された装填装置が組み合わされたという話もなく、重量、容積、故障、事故の問題を考えれば、利点はけっして大きくないと思われる。事実、この方式が踏襲されることはなかった。

 南北戦争が終わってからのアメリカは、海軍をほとんど無視してしまったため、これらのモニターは多くが解体され、一部は海外に売られたり、数珠繋ぎになって川に浮かべられたままになっていた。
 軍艦はほとんど建造されなくなり、ポツポツと既存のモニターを代替するくらいだった。当然新型砲塔の開発は低調になったが、そもそも砲塔の実用化そのものがヨーロッパより大幅に先行していたので、追いつかれはしたものの置き去りになったほどではない。
 そして1890年代、さすがに海軍力の必要性を感じたアメリカ政府は、新たな海軍の創造に乗りだす。



■12インチ・Mk1

 単装砲塔を1895年完成の砲塔艦『テキサス』Texas が装備した。当初は固定位置装填だったが、後に改良されて自由方位装填となっている。砲は間隔螺旋式の尾栓を備え、横方向への開閉は人力で行なわれた。
 次の項の砲塔と大きな違いはなく、おおよそ同じものと考えられる。ただし、改造前の固定位置装填だった状態については資料が見つからない。

Texas' turret

『テキサス』の砲塔

 乗組員との比較で、甲板上の背の低さが認識できる



interior of Maine's turret

 この図は、1898年に爆沈した『メイン』Maine の10インチ連装砲塔を示す
 基本構造は『テキサス』ならびに次項目のものと同一である
 『テキサス』のみは単装砲塔だった



■12インチ・Mk2、13インチ・Mk1、Mk2

 モニターの『モンテレィ』Monterey、『ピューリタン』Puritan が12インチ砲を、戦艦の『インディアナ』Indiana 級が13インチ砲を装備している。旋回装置は蒸気動力だが、『オレゴン』Oregon だけは水圧駆動だった。
 俯仰、砲の推進機、ラマーは水圧で動作する。完成時から、装填は自由方位だった。最大仰角は15度、俯角は5度とされる。
 アメリカ最初の本格的砲塔艦が装備した砲塔で、一応世界的水準の構造を持っていた。(写真は「オレゴン」の項を参照)

Indiana's turret

 砲身はバンドで砲鞍のスライド側へ固定され、駐退装置を介して砲鞍本体に乗っている。俯仰軸は砲鞍先端にあり、俯仰水圧機は砲鞍を下から支えている。
 装填箱は艦底の弾薬庫から、装薬と砲弾を積んで砲尾まで一気に上る。このレールは、旋回中心から砲尾へ、イギリスやドイツ式の直線的な移動ではなく、湾曲したガイドレールに沿わされていた。しかし、これは砲塔下部の直径を抑えながら、砲室内で砲尾をかわすのが目的であり、その最上部ではレールが直線となっていて、装填仰角は10度固定である。
 レールは砲室と一緒に旋回し、砲塔がどの方角へ向いていても装填できた。イギリスのものなどと異なり、揚弾・装填箱はトランクに入っておらず、剥き出しでガイドレール上を吊り上げられた。

 砲室の後部には伸縮式の水圧ラマーがあり、砲弾と2包の装薬を順次砲尾へと押し込んだ。このラマーは、不使用時に邪魔にならないよう、垂直に立てられる構造になっている。
 一組のレールにはひとつしか装填箱がなく、装填が終わってから艦底へ降り、次の砲弾と装薬を積み込まれるわけだから、発射速度は速くならない。

 この砲塔は、旋回部の重量が軸回りにバランスしておらず、砲を側面へ向けると艦が傾く傾向があった。このため遠距離射撃では仰角が不足し、砲塔の運動そのものにも障害となっている。
 『インディアナ』は、荒天中に砲塔のロックが外れ、動揺によって砲塔が勝手に回りだすというトラブルにも見舞われている。
 後にこのアンバランスは改善されたけれども、単に28トンの鉛をバラストとして砲室後部に積んだだけである。このために代償重量として6インチ砲を降ろさなければならず、戦力の低下に繋がった。
 円筒形の砲室の天蓋中心部には砲塔指揮所があり、これもモニターのデザインを踏襲している。



■12インチMk3

 『アイオワ』Iowa (BB-4 1893年) が装備した。俯仰が人力のみとなっている。砲の推進にはコイルバネが用いられたが不調で、以前の水圧式に戻された。ラマーには電動機が採用されている。装填仰角は3度固定、最大仰角は14度、俯角は5度である。



■モニター『アンフィトライト』の砲塔

 1895年頃に完成したモニターの砲塔で、進歩した自由仰角装填装置を組み込んでいる。装備しているのは10インチ (254ミリ) 後装砲である。

Amphitrite's turret

モニター『アンフィトライト』の砲塔

Amphitrite's turret: photo

 乾舷の低いモニターで、吃水も浅いために船体に深さがなく、基本的に『インディアナ』と同じ配置を採っているが、窮屈なのはやむを得まい。上の図の砲塔にはバーベットがなく、下の写真にはこれがあるけれども、4隻の同型艦で2隻ずつが、バーベットのある砲塔とない砲塔を装備していた。内部構造の違いについては判っていない。
 『アンフィトライト』Amphitrite 級は、完成こそ1890年代中期であるものの、計画は1870年代、進水は80年代であって、異様に建造期間が長い。これは主に予算問題が原因で、議会が首を縦に振らないため、当初は南北戦争時代の古いモニターの修理名目で予算を獲得していた。
 別段古い艦から資材を流用したわけではなく、まったくの新造だったので、議会にこのからくりがバレたことから工事中断も起こっている。この時代のアメリカ海軍予算は悲惨なもので、海軍はまったくの余計もの扱いだった。



■13インチ・Mk3

  『キアーサージ』Kearsarge 級の二重砲塔である。電動機が大幅に導入され、旋回には50馬力のモーターが用いられた。俯仰、揚弾、ラマーとも電動となっている。砲の駐退、推進は、特別に考案されたコイルバネ方式である。13インチ砲の最大仰角は15度、俯角は5度である。

Kearsarge's double turret

 戦艦『キアーサージ』の二重砲塔

USS Kearsarge

 有名な二重砲塔である。基本的な構想としては、副武装の8インチ連装砲塔の射界を広く取り、両舷に指向できるようにすることで、それまで4基積んでいたものを半数の2基とし、なおかつ同等の片舷指向砲数を確保しようとしたものだ。これは主に予算枠から排水量を制限されたことが原因である。
 このとき、主砲塔と背負い式に配置することも検討されたが、主砲塔に対する爆風の影響の他にも、艦の長さの問題で制約があり、このような積み重ね方式が採られたらしい。その長所としては、以下のような項目が指摘されている。

1・主砲塔上に装備された副砲塔の射界は広く、両舷のそれが180度に満たないのに対して、270度もの角度に射撃できる。(これは背負い式ではなく、それまでの配置に対する利点)
2・主砲との併用において、相互の爆風による影響が少ない。これは、『インディアナ』級で、主砲の斜め後方、一段高く設けられた8インチ砲塔が主砲塔上をかすめるような射撃をした場合、主砲塔への爆風の影響が大きかったために、射撃角度を制限せざるを得なかったことによる。(背負い式の場合は同様の影響がある)
3・砲塔下部の防御装甲が共用されるので、重量が削減できる。
4・砲塔指揮官が一人ですむ。
などである。欠点としては、

1・同時に別な目標を射撃できない。
2・1発の命中弾やひとつの故障で、主副4門が同時に使用不能になる可能性がある。(背負い式でも接近した配置の場合には可能性が残る)
3・砲塔内部が複雑になり、主砲身の交換が容易でない。
4・主砲塔砲室が直接副砲塔の重量を支えなければならないため、構造や、その支持構造を強化しなければならない。砲塔旋回部の重量は、『アイオワ』の463トンから728トンに増えている。
などが挙げられている。

 実際問題としては、長所とされた爆風問題では、副砲の砲口が主砲の砲眼孔に近いため、この発砲が主砲の作業を妨害することに変わりはなく、軽くなったとは言え、どの角度でも同じように発生するから、角度によっては影響のなかったそれまでの配置より悪くなったとも言える。砲塔内部ばかりでなく、弾薬庫の配置も複雑になり、作業空間も狭くなってしまった。
 また、別々な目標を射撃できないのはひと目で判ることだが、実際には同じ目標を射撃するにも制約が大きかった。至近距離ではたいした問題でなかったものの、距離が大きくなると砲弾の大きさの差による弾道の違いにより、2種類の砲は微妙に着弾位置が変わる。その水柱が交錯するため、修整が思うに任せなくなるのだ。つまり、2隻で射撃しているような状態になるわけである。



 もっとも、中間砲を装備する時期の遅かった英独仏など他列強と違い、アメリカでは15年ほどもその装備が続いているから、現場ではそれなり対策が講じられており、後世言われるほどには不利を感じていなかったのだろう。
 そもそもイギリスなどの中間砲とアメリカの8インチ砲では、装備目的そのものに違いがあったようだ。
 他列強が、小数の準ド級艦を造っただけで、当然のステップとしてド級へ進んだのに対し、アメリカ海軍は中間砲に別な効能、用法を見出していたようにも見える。それゆえ、アメリカの中間砲装備艦は、具体的にはBB-1である『インディアナ』からド級直前の『ミシシッピ』Mississippi 級まで、いわゆる準ド級艦というマイナーな分類を受けないことが多い。

 これらのことと、本級の開発当時には、主砲と8インチ砲とが同じ目標を射撃することは稀であると考えられていたためもあって、重量削減効果が大きいことから、この方式が完全な失敗とは捉えられていなかった。このため、後の計画の『ヴァージニア』Virginia 級で、リファインされた二重砲塔が復活したのである。
 これには、砲術思想、用兵側の意見より、有権者、すなわち納税者、つまり予算の金額を見ざるを得ない、政治側からの圧力が大きかったとされる。



 『モニター』から『インディアナ』級まで、砲室の平面形はほぼ完全な円であり、いみじくも薬缶と呼ばれたように、ひとまわり大きな直径のバーベットにはめ込まれているように見える。実際には図のように、装甲がわずかに重なり合っているだけだった。(薬缶=円筒形の錠剤入れ=pillbox=円形のトーチカを意味する)
 この形は、おそらくモニター時代からの形状を踏襲したものだろうが、避弾径始には好都合であり、理論上、装甲重量に対して最大の床面積を得られる。また、バーベットから食み出しておらず、バーベット頂部が露出している部分もないので、装甲の配置としては理想的とも言えた。
 しかし、実際には使えない面積が発生するし、前盾を傾けるのが難しいために、より厚い装甲鈑を用いなければならなかった。また旋回部の重量バランスを取るにも具合が悪く、バーベット直径が必要以上に大きくなる傾向がある。

 これは、『インディアナ』級の次に1隻だけ建造された『アイオワ』の12インチMk3砲塔で、若干の改善を施されている。砲室の後部が後方に伸ばされてカウンターウェイトとなり、実用上問題のないバランスとなったのだ。
 それでも、これだけでは不十分だったのと、砲架が新型化して重くなったために、『インディアナ』級に比べて砲の装備位置を35センチほど後退させなければならなかった。これにより、俯仰軸と前盾との距離が大きくなったため、同じ俯仰角範囲に対して砲眼孔を大きくしなければならなくなり、『インディアナ』より面積で34パーセントほど広くなってしまっている。
 『アイオワ』、『キアーサージ』級の砲室平面形は、わずかに縦長の楕円形状となって、後部がバーベットの外にオーバーハングしているけれども、写真で見る限りでは認識が難しい程度である。



■13インチ・Mk4、12インチ・Mk4

Illinois' turret

戦艦『イリノイ』Illinois(『アラバマ』級)の砲塔

 前盾が傾斜した平面になっているが、全体形状は楕円基調である

 内部は13インチMk3と基本的に同じだが、砲室上に8インチ砲を乗せていない。
 13インチのものは戦艦『アラバマ』Alabama 級が、12インチのものは戦艦『メイン』級と、モニターの『アーカンソー』Arkansas 級 (後に改名され『オザーク』Ozark 級となった) に装備されている。やはり電動で、装填仰角は2度固定。最大仰角は15度、俯角は5度である。12インチのものには予備装填装置があり、こちらは仰角0度で用いられる。  この砲塔からは、曲面加工の難しいクルップ装甲鈑の採用とあいまって、砲室形状が若干変化した。楕円筒形状の砲塔正面部分を斜めにそぎ落とし、ここに平らな前盾を傾けて取り付けた形である。砲室下端では楕円平面、天蓋部では馬蹄形となっている。
 しかし、実際にはクルップ装甲鈑製造のための技術導入が間に合わず、このクラスでは、その使用部位がまちまちになってしまった。

 次の『メイン』級では、主砲が新式装薬の12インチ40口径砲となったが、この砲塔から12インチ砲装備した最終期までの砲塔については、図面資料が入手できていない。
 とりあえず写真と文章だけになるが、次の形式へ進もう。



■12インチMk5

Virginia's double turret

 戦艦『ヴァージニア』級が装備した二重砲塔。12インチ砲の最大仰角は20度。俯角は7度とされた。装填は0度固定である。自動化された電動装填装置は、90秒おきの発砲を可能にしている。砲の駐退、推進は、コイルバネ方式である。



■12インチMk6

 『コネチカット』Connecticut、『ヴァーモント』Vermont、『ミシシッピ』の戦艦各級が装備している。『ニュー・ハンプシャー』New Hampshire のみは、Mk7を装備していたらしい。
 Mk5とほぼ同じだけれども、揚弾装置がホイストではなく、エンドレスのチェーン駆動となっている。



 この頃までのアメリカ砲塔は、砲室から艦底の給弾薬室まで、揚弾はひとつのエレベーターで一気に行なわれ、換装室を持たない。また、砲室にも完全な床がないため、艦橋のウイングに立っていて、自分のいる側へ向いた主砲塔の砲眼孔を覗いた士官が、その砲眼孔があまりにも大きいため、砲身の脇を透かして、砲塔直下の給薬室が見えたことに仰天したという逸話もある。
 もし、ここへ火の着いた何かが飛び込めば、艦は一瞬で吹き飛ぶに違いないと、彼は考えた。そして、違った原因ではあるけれども、これは現実となったのである。

 コルダイト系の無煙火薬の導入により、砲身を長くすることができたものの、これはしばしば発砲後の砲身内部に換気不良を起こした。
 訓練などで急速な次発装填を行なおうとしたとき、砲身内に残っていた高温ガスが、砲尾から砲室内へ逆流する現象が発生することがある。これはフレア・バック flare back と呼ばれ、これが準備装薬に点火してしまう事故が起きている。

 1904年4月13日、戦艦『ミズーリ』Missouri の後部砲塔では、訓練中にフレア・バックが起こり、装填位置に剥き出しで置かれていた装薬に引火、160キログラムほどが爆燃した。炎は開放構造の砲塔内部を駆け下り、砲塔下部にあったおよそ320キログラムの装薬もが誘爆した。
 幸いそれ以上の誘爆は起きず、最悪の事態は免れたが、この事故により、砲室内の18人、給薬室の12人が死亡している。これを教訓として、砲塔には上下を分割する防炎扉が取り付けられ、尾栓開放前に砲身内へ高圧空気を噴射する噴気装置が採用された。
 1905年には『キアーサージ』でも同様の事故があったという。

 1907年7月15日、『ジョージア』Georgia の後部主砲塔上の8インチ砲塔でフレア・バックが起こり、装填準備位置にあった2包の装薬が爆燃した。これによって21名が大火傷を負い、うち10名が死亡した。このときには、砲室内に左右を分割する隔壁が設けられている。



■12インチ・Mk7

 前述の『ニュー・ハンプシャー』、ド級戦艦『サウス・カロライナ』South Carolina 級、『デラウエア』Delaware 級が装備した。
 駆動には主として電動機が用いられ、旋回は25馬力のモーター2基、俯仰は15馬力のモーターによって行なわれる。最大仰角は15度、俯角は5度である。装填はこの範囲のどの仰角でも可能となり、チェーン・ラマーは砲鞍に取り付けられている。
 アメリカ戦艦としてはこの砲塔で初めて、砲室直下に換装室を持つようになり、揚弾機を上下に分けている。砲弾は垂直姿勢で持ち上げられたが、ベツレヘム鉄工所で製作された『デラウエア』級のものは成績が悪く、『サウス・カロライナ』級と同じワシントン工廠製に置き換えられた。



 下に掲げる砲塔は、1915年のものとされているのだが、どの艦のものか判然としない。1915年に完成した戦艦は、すでに14インチ砲を装備しているので、これに該当しないのである。おそらくは、12インチ砲装備砲塔の最終形だろうと推測するが、前掲のどれかかもしれない。
 内部構造は大幅に変わっており、これに至る中間種には興味が持たれるのだが、資料不足は如何ともしがたい。今後なにか見つけたら、この部分をリファインできるだろう。



■1915年の12インチ砲塔

1915 12inch gun twin turret

 図でお判りのように、砲弾は、まるでアクロバットであるかの如く、くるくる回りながら砲塔内を上っていく。これは揚弾筒の直径を抑える目的で、砲弾を立てた状態で押し上げようとしたためだろう。途中の乗り換え部分では、垂直に立った、もしくは倒立した状態では安定が悪くて扱いにくいため、倒しては起こす繰り返しで、このような運用になったと思われる。
 部分部分を見る限りでは、それぞれ理にかなった動きに思えるけれども、全体として見れば奇妙な印象はぬぐえないところだ。砲弾や信管に悪影響はなかったのだろうか。
 装薬は換装室までホイストで上げられ、換装室から砲尾へは、装薬室と記された小部屋を介し、人力で上げられた。

Arkansas' superimposed turrets

戦艦『アーカンソー』の背負い式砲塔

 12インチ砲を装備した最後のアメリカ戦艦である



 こうしてアメリカ戦艦は、超ド級艦時代へ入っていきます。その砲塔内部の基本形はこの砲塔を踏襲しており、砲弾の格納姿勢、揚弾時の姿勢が、よりシンプルな方向へと変化していきました。
 この先の変化については、イギリスの近代砲塔と同様、リクエストがあればということにさせていただきます。これらについては、「世界の艦船」などの専門誌にも取り上げられておりますので、そちらから調べていただいたほうが手っ取り早いかもしれません。



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