ゲーベンが開きし門
第三部・第六章
The Goeben opens the gate : part 3 : chap.6



Breslau's damage by mine

『ブレスラウ』の機雷破口

 1915年7月の撮影とされる。



第6章・戦いの夏

■"Two lone ships"より

 トルコに夏が訪れようとしている。青い空は一点の曇りもなく澄み渡り、焼け付くボスポラスの上に壮大なアーチを描いている。太陽は無慈悲な熱線を降り注ぎながら、天空を独歩していく。振動する高速の光線は、ステニア入江の上にも容赦なく叩きつけられた。
 ときおりの空気のそよぎが、有り余る力を浴びせている熱線の効果をわずかに和らげるとき、どれほどの安らぎが訪れたことか。太陽光に溢れかえった空気は、『ゲーベン』の装甲の上にも踊り、打ち震えるのだった。

 港に留まっているのは拷問にも等しかったから、黒海へ出動し、涼やかな風を艦の隅々まで行き渡らせることは、大いなる喜びだったのだ。そして、たいてい私たちは港を空っぽにしていたのである。
 今しも『ゲーベン』と『ブレスラウ』は、護衛される兵員輸送船と石炭船を間に挟んで、黒海へ乗り出したところだ。こうしてアナトリア海岸沿いを幾たび東へ向かって航海しただろうか。何度もロシア黒海艦隊と遭遇し、その駆逐艦ともぶつかっている。彼らは、私たちが常用する航路を常に監視しているのだ。

 あるとき、私たちはゾングルダクからの石炭船を護衛していて、油断のない見張りがロシアの潜水艦を発見した。潜水艦はアナトリア海岸近くを移動していて、『ゲーベン』に出くわすや、ただちに潜航しようとする。警報が艦全体に鳴り響いてから、ほんの数秒間の出来事だった。
 海上にあるとき、『ゲーベン』の砲は常に装填された状態になっており、ただちに砲塔が火を吹いた。砲弾は潜水艦を挟叉し、巨大な破片がその船体を引き裂く。潜水艦はひっくり返り、しばらくキールを上にして浮いていたが、ほどなく沈没した。悪賢い敵は、海底にその安住の地を見出したのだ。
 少し前、『ブレスラウ』もボスポラスの沖でロシアの潜水艦を撃沈していた。ロシアとのこうした消耗戦は、途切れることなく続いている。

 『ブレスラウ』はまたも、ゾングルダクへ行く石炭船を護衛するために出動した。しかし今回は、目的を達成できなかった。ステニアを離れてほんの20分後、「妹」は精一杯の緊急信号で叫んでいた。
 何が起きたんだ? 即座に応答する。
 『ブレスラウ』はボスポラスを出たところで触雷し、ステニアにある浮きドックの準備を要請してきたのだ。私たちはただちに受け入れを命じている。それはもちろん、『ブレスラウ』が無事に港へ戻れれば、ということで、損傷はかなり深刻であり、その船体には大穴が開いていたのである。

 幸い、それ以上の機雷にぶつかることなく、『ブレスラウ』は苦労しながらも港へ戻ってきた。軽巡洋艦の吃水はずっしりと深くなっており、重々しく足を引きずっているかのようだった。その瞬間に沈んでいても、ちっとも不思議ではなかっただろう。
 浮きドックは大急ぎで水を引き込んで沈下し、やっとのことで浮いているだけの『ブレスラウ』を引っ張り込んだ。あたかも母親のように、傷ついた哀れな「妹」を、そっと抱きかかえたのである。当分、航海には出られない。修理には時間がかかるのだ。

 しかし、このおかげで、『ブレスラウ』の乗組員は厳しい労働から解放され、休養するチャンスを得られた。ただちに修理が始まり、ハンマーがリベットを叩く音が、大きな破口の周囲から聞こえるようになる。ステニアの厳しい夏の熱線の下で、その仕事は過酷だった。しかし、軽巡洋艦にかつての能力を取り戻させることは、どうしても必要だったのだ。
 『ゲーベン』がなされたのと同じように、修理は効率よく進められた。リベット打ちと溶断の騒音が、平和なステニアを支配している。

★冒頭の描写では熱帯のような印象を受けるが、コンスタンチノープルは北緯41度くらいなので、日本で言えば青森あたりになる。それでも北緯50度、樺太の緯度に居住するドイツ人からすれば、「死ぬほど暑い」のだろう。   


 『ブレスラウ』への修理は、素早く進行していた。休みない作業の甲斐あって、『ブレスラウ』はほどなく破口の修理を終え、黒海への再出撃に備えることができた。これは1915年7月に起きた出来事である。
 8月になって修理はほとんど終わり、『ブレスラウ』は『ゲーベン』がゾングルダクまで送っていった石炭船を迎えにいくことになった。
 このとき私は、『ブレスラウ』に乗務するよう命じられたのである。






『ブレスラウ』の弾痕

1915年8月の撮影・写真の損傷場所は不明



 軽巡洋艦はドックから引き出され、4本の煙突から黒煙を噴き出しつつ、黒海への航海へ乗り出していった。午後、『ブレスラウ』はゾングルダクの沖へ到着する。石炭船はすでにいっぱいに荷を積み終えており、ただちに出発が命じられた。
 石炭船はアナトリアの海岸に張り付くように進み、『ブレスラウ』はその沖側を動き回って、警戒に務めていた。監視所にいるすべての乗組員は、目を皿のようにして海を見詰めている。これには大きな理由があったのだ。

 無線室で、空中を飛び交うロシア語の通信を傍受していたのである。害虫どもが近くにいるに違いない。こうしたとき、夜は不快なものになる。黒い駆逐艦は暗闇に溶け込み、そこが彼らの猟場となるからだ。
 まだ、見張りは何も見つけていない。しかし、刺すような第六感は、私たちに警告を与え続けていた。無線室からの報告が艦橋へ駆け上がっていくそのとき、すべての耳は虚空に向けられていた。艦全体の存亡がかかっているという意識は、私たちに非常な集中を強いたのである。

 『ブレスラウ』は石炭船の前後を往復しながら航海している。それは昔ながらの光景だった。貴重な石炭船は、無事にボスポラスまで送り届けられなければならない。見張りは一時たりとも気を抜かず、航海は続いた。艦首は黒海の海面を切り分け、右と左に二つの波を作り出してゆく。
 午後の間は、まったく静かだった。航海を乱そうとする何者も存在しなかった。やがて晴天の太陽は、暗闇に取って代わられた。暖かい、柔らかな夜が、静かな海の上を覆っている。

 ほとんど真夜中を迎え、ボスポラスへの航路はほぼ半分が消化された。順調に行けば、私たちは夜明けに戻るはずだったが、あるいはまったく異なった状態にあるかもしれない。無線室では、微妙な疑いが抱かれていた。夜の闇を通して、敵の駆逐艦の通信が徐々に近づいてきているようなのだ。何かが暗闇の中で進行している。
 午前2時、すべての監視所には緊張がみなぎっている。この瞬間にも、危険な影、敵が暗闇の中から突っ込んでくるかもしれないのだ。先に敵を発見することは、当然に大きな利益であるから、目と耳は最大限に酷使されている。そして突然の落雷のように、このスリルに満ちた状況は打ち砕かれた。

 突然、右舷の暗闇からサーチライトの光がつんざき、『ブレスラウ』を照らし出した。私たちが光源を確かめようとした瞬間、砲弾を発射する閃光が闇の中にきらめいた。
 次の瞬間、強烈な雷撃が周囲を取り巻いていた。ほんの数秒間の出来事だった。ロシアの駆逐艦が、先に私たちを見つけたのだ。
「そこにいるぞ!」
「サーチライトを点灯せよ!」
 暗闇の中に、目がくらむほどの光線がほとばしる。

 闇の中を探った光の束は、ぴたりと止まった。その白い光の中には、3隻の背の低い船がぼうっと浮かび上がっている。敵の駆逐艦だ!
「警報! 警報!」
 『ブレスラウ』の最初の砲弾は、敵艦隊の先頭に向けられ、駆逐艦は水柱に包まれる。再び『ブレスラウ』の舷側から射撃の閃光がほとばしり、強烈な砲声があたりに轟く。たちまち、先頭の駆逐艦は波間に消え去った。
 二番目がすでに捉えられていた。砲弾の水柱は、サーチライトの光の中で明瞭に視認された。
「そこだっ!」
「命中!」
炎の塊が空高く舞い上がる。両軍が全力で交戦していた。一瞬の戦いに全力が注ぎ込まれたのだ。

 私は無線室に詰めたままだった。
 攻撃の騒音は、控え室のハンモックで寝ていた同僚たちを叩き起こした。彼らはまだ半分寝ぼけている様子で、ようやく大儀そうに立ち上がる。やっと2時間前に、当直から開放されたばかりだったのだ。その中の一人がベンチに片足を上げ、靴の紐を結ぼうとしていた。
 その瞬間、私たちのすぐそばで砲弾が炸裂した。目がくらみ、強烈な衝撃と轟音がそれに続いた。『ブレスラウ』の上甲板上にある無線室の周囲を囲んだ鉄板は、恐ろしいハンマーでガンガンと叩かれる。

 ベンチに足を上げていた同僚が、音もなく倒れた。彼は頭の右側に負傷し、そこから血がどくどくと流れ出している。
 二号受信機にも破片が当たっており、受信機からはバリバリと不快な雑音が発生していた。外の甲板から叫び声が聞こえる。
「火災発生!」
「ちくしょう!」
 奴らは『ブレスラウ』をがっちりと射程に捕まえている。何発かの命中弾があったようだ。

 外から艦の仲間たちの、悲痛な叫び声が聞こえてくる。士官室に火災が発生しているそうだ。
 その瞬間には、何が起きているのかを知っている者は誰もいなかった。それは一瞬の出来事であり、あまりにも素早く過ぎ去ったのだ。『ブレスラウ』はまだ撃ち続けている。
 駆逐艦は1隻だけしか残っていなかったけれども、そいつは砲撃をやめようとせず、砲弾は夜の闇を切り裂いて突っ込んでくる。砲弾が炸裂して鉄のあられが降り注ぐと、上甲板の男たちは思わず身をかがめるのだった。

 最大の問題は火災だった。暗闇の中の炎は、敵駆逐艦に絶好の目標を与えているのだ。そのため、『ブレスラウ』は戦闘を打ち切り、退却しなければならなかった。
 戦闘がまだ継続している間にも、左舷の砲員たちがロシア軍の砲弾によって発生した火災を消すために、消火器を持って駆けつけていた。何がなんでも火を鎮めなくてはならなかった。そのために敵駆逐艦からの攻撃が、大きな利益を得ているのだから。幸運にも、炎は素早く消し止められた。

 すでに敵駆逐艦のすべては、闇の中に消失している。彼らの同僚を襲った運命が、彼らをして立ち去ったほうが賢明だと思わせたのだろう。再び、周囲は静寂に戻り、騒音はどこにも残っていない。
 『ブレスラウ』はボスポラスへ向けて速力を上げた。

 この夜の攻撃は不快な出来事だった。私たちは暗闇の中から負傷者を回収し、船首楼の下の病室へ集めて、応急処置を施していた。簡単に数えられないほど、死傷者は多かった。ロシアの砲弾は炸裂して何千という破片になり、そこらじゅうを破壊して回ったのだ。
 砲弾の爆発した場所は、どこもかしこもメチャクチャだった。またしても死神が到来したのだ。その重いこぶしが、たくさんの生命の中に叩きつけられたのである。

 午前5時頃、『ブレスラウ』はボスポラス沖へ到着した。海峡に艦首を向け、水道をできる限りの速力で走り抜けて、金角湾へと急いでいた。
 無線室は送信機をなんとか修理して、その夜の戦闘の顛末を提督に報告することができた。同時に『ブレスラウ』が通り抜けるために、金角湾に新しく架けられた橋を開いておいてくれるよう、依頼を発している。
 『ブレスラウ』はステニア入江を通り過ぎ、新しいスタンブールの橋は交通を遮断されていた。橋の上は空っぽになっている。不必要な遅れは許されないのだ。橋は開かれ、『ブレスラウ』は金角湾へ入っていった。戦死者と負傷者が、ただちに陸上へ移された。

 この夜の駆逐艦との戦闘は、まるで悪夢のようだった。しかし、実際に命を失った仲間がいた。不運な彼らは重傷を負い、血まみれになっていた。
 しかし、『ブレスラウ』もまた撃ち返しており、ロシア人の間にも同じ苦痛が渦巻いているだろう。こうした出来事のあとでのその確信は、仕事を続けるのに必要な満足感だったのだ。
 この戦闘の間に、『ブレスラウ』が盾になって保護した石炭船は、アナトリア海岸に張り付くようにして航海を続け、妨害されることなくボスポラスへたどり着いている。

 一方、ガリポリではイギリス軍との激しい戦いが続いており、彼らは繰り返し新たな攻撃を試みていた。防御線の維持はいっそう困難になってきており、前線を支援するために『ゲーベン』の乗組員の中から機関銃隊が編成され、ガリポリへと送られていった。
 『ゲーベン』そのものからも、救援の手は差し伸べられている。15センチ副砲のいくつかが取り外され、砲の不足している前線へと送られていった。圧倒的な敵勢に対し、この上なく重要な海峡を守りきるために、すべての力が結集されなければならないのだ。戦線の拡大は、連合軍側にとって、より利益が大きいように思える。

 その夏、ロシア海軍の黒海艦隊は、大きな損害を被った。
 私たちは6月12日に、戦艦『パンテレイモン』がミディアの沖でドイツの潜水艦に雷撃され、沈没したという知らせを受け取ったのだ。この潜水艦はコンスタンチノープルにかき集められた、わずか半個小隊の中の1隻だった。魚雷を受けた『パンテレイモン』は荒天の中、わずか2分で沈んでしまい、乗組員は誰一人助からなかったという。
 それから1ヶ月もたたないうちに、ロシア艦隊はさらに1隻の戦艦を失った。旧式戦艦『シノプ』が触雷し、ルーマニアのマンガリア港へ辛うじて到着したそうだ。

 ロシアの黒海艦隊は、徐々に姿を消しつつあった。2隻の戦艦、数隻の駆逐艦と水雷艇が失われ、それにけっして負けない数の潜水艦が沈んでいる。ロシア艦隊の出撃頻度は目に見えて小さくなり、全体を見ることはほとんどなくなっていた。
 6隻の戦艦があってさえ、『ゲーベン』に正面から立ち向かうのは困難だったのだ。それが今は4隻だけになってしまったから、危険ははるかに大きくなっているのだ。

 現在のところ私たちは、多くの苦労と共に勝ち取った黒海の支配権を握っている。しかしそれは、彼らの最初の超ド級戦艦が完成したとき、どのように変化するだろうか。それはまだ艦隊に加わっていないが、私たちには受け入れたくない現実である。
 しかし、『ゲーベン』の男たちは、まだ希望に満ちている。その日が来るまでは!




Breslau's damaged stack

損傷した『ブレスラウ』の煙突



●ドイツ/トルコ海軍

 『ゲーベン』による潜水艦撃沈の話には、裏付けになる被害報告がない。1915年9月6日に浮上中の潜水艦を主砲で射撃しているけれども、命中は確認されていないし、この頃に撃沈された潜水艦の記録もないようだ。
 もっとも、ロシアの記録は直後に大変動を迎えているために不確実なものが多く、絶対に起きていないとも断言できないのだが。

 『ブレスラウ』の触雷は1915年7月18日のことで、第4缶室右舷側で爆発した機雷は、642トンの浸水を導き、8人の乗組員が戦死した。資材と技術者の不足が原因となって、修理には長期間を要し、1916年2月に至って、ようやく再出動が可能になっている。
 この機雷は、ロシア海軍が1912年に建造した機雷敷設型潜水艦『クラブ』が敷設したものとされ、通常の敷設艦であれば作業を見られてしまうはずの場所にあったらしい。このときの『ブレスラウ』艦長は、フォン・クリチング大佐とされる。

 『ブレスラウ』とロシア駆逐艦のゾングルダク沖における遭遇戦は、記録によれば1915年6月10日に起きたとされており、上記触雷よりも前のことになる。筆者の記憶違いと思われるこうした錯誤は、この戦記が書かれた時期には、まだ公刊戦史が発表されていなかったのだろうと思わせる。
 戦いに参加したロシア駆逐艦は、『デルズキイ』と『グネブニイ』の2隻で、それぞれ102ミリ砲3門、47ミリ砲2門、46センチ魚雷発射管10門を装備しており、105ミリ砲しか持たない『ブレスラウ』にとっては強敵である。

 20時頃に戦闘が始まり、すれ違いざまの反航戦だったようで、短時間のうちに終了している。『ブレスラウ』には7発 (3発とも) の砲弾が命中して、戦死7名、負傷15名を算した。無線室にも被害があったとされる。ロシア駆逐艦からは魚雷も発射されたようだが、命中したものはない。
 ロシア側では『デルズキイ』が主蒸気管を損傷して行動力を失い、『グネブニイ』に曳航されてセヴァストポリへ戻っている。具体的な被害、戦死者数などはデータがない。『デルズキイ』は6日後に再出撃しているので、行動能力の喪失は一過性のものだったようだ。(損傷したのは『グネブニイ』だとする資料もある)

 黒海は一般に天候がよく、空気が清澄で視程の大きいことが多いので、近距離での砲戦は機会が少ない。そのため、あまり活用のチャンスがないと考えられた『ゲーベン』の15センチ副砲2門が、ダーダネルス海峡防御に役立てるために取り外され、前線に送られた。
 しかし、5月24日にこの砲1門を運んでいた輸送船『ナガラ』が、イギリス潜水艦『E14』に撃沈されたので、砲は砲弾250発と共に失われている。

 ドイツ公刊戦史によれば、戦艦『パンテレイモン』は1915年10月27日に、ドイツ側に立ったブルガリア牽制のためにバルナ付近に進出したとき、当地に展開していたドイツ潜水艦『UB7』の雷撃を受け、左舷に1発を受けて大破したとされる。沈没はまぬかれているが、かなりの重傷だったようで、数ヶ月の修理期間を要したという。
 この被害については、これ以外の文献には記載が見付からず、裏付けはない。唯一、1916年に一部の水中発射管を撤去したという一文があるので、あるいはこれが損害修復と同時に行われたのかもしれない。

 旧式戦艦『シノプ』の大破は事実無根のようであり、当時のロシア内部に生まれつつあった混乱がいかに大きかったにしても、こうした噂が一人歩きするトルコ側の混乱も小さくはなかったのだろう。この艦は後に機雷原突破船として艤装され、両舷に幅5メートルに及ぶバルジを付加して、身を持って機雷を爆破しようとしている。

to photoalbum07  三脚檣ガンルームの写真帖 (7) を参照




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